アンブローズ・ビアス

『アウル・クリーク橋でのできごと』
 

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アンブローズ・ビアス作『アウル・クリーク橋でのできごと』の全文訳を掲載します。 原文はhttp://www.gutenberg.org/dirs/etext95/owlcr11.txtで読むことができます。



アウル・クリーク橋でのできごと

アンブローズ・ビアス



 I

 アラバマ州北部の鉄橋の上で、ひとりの男が六メートルほど下の急流を見下ろしていた。男は後ろ手にされ、手首を紐で縛られている。首にはロープがいささかのゆるみもなく巻きついていた。ロープは、男の頭上、鉄橋に渡した頑丈な材木にくくりつけてあり、たるんで男の膝のあたりまで垂れ下がっている。線路を支える枕木の上には、ぐらぐらする板が数枚置いてあって、男も、刑の執行者――北軍の兵士がふたりと彼らを指揮する軍曹、その顔つきは兵役につく前は副保安官でもしていたようだった――も、そうした足場にのっていた。

この間に合わせの足場のすこし離れたところには、士官がひとり、階級を示す軍服を着、武器を携えていた。陸軍大尉だ。鉄橋の両端には歩哨がひとりずつ、ライフルをいわゆる「捧げ銃」、左肩の前で垂直に銃を構え、撃鉄の部分は胸の前で水平にした右手の上腕部に載せておくという、正式で不自然な、強制的に直立の姿勢を取らせる体勢で立っていた。ふたりは、これから鉄橋の中央で何が起こるのか理解することは、自分の任務外である、という顔をしている。鉄橋に置かれた踏み板の両端に立って、ただそこを塞いでいるだけのようだ。

片方の歩哨の先には人影がなかった。線路は百メートルほどまっすぐ森に向かって伸びてから、カーブし、視界から消えていく。その先には、間違いなく前哨基地があるようだった。向こう岸はひろびろと開けている。緩い斜面をのぼっていくと、てっぺんには木の幹を垂直に並べた防御柵が構えてあり、柵にはライフル用の銃眼がいくつも穿たれ、一箇所の隙間からは真鍮製の大砲の砲口が、橋の方角を向いて取りつけられていた。

土手のなかほど、橋と砦の間には、見物人もいた。中隊の歩兵が整列して、「行進休め」の姿勢、ライフルの台尻を地につけ、銃身を後ろへ傾けて右肩に倒し、両手を直角に交差させて銃床を支えるという体勢を取っていた。列の右端に中尉が立ち、サーベルの先を地面につけて、右手の上に左手を乗せている。橋のまんなかにいる四人の他は、だれひとり身動きしなかった。中隊全員が、石にでもなったように身じろぎもせず、橋を凝視している。川の土手の方を向いて立つ歩哨は、鉄橋を飾る彫刻のようでもあった。

大尉は腕を組んだまま、無言で、合図一つするではなく、部下の行動を見つめていた。死は、いつ、だれに対して宣告されたものであろうとも、改まり、敬意をもって受けとめられなければならない厳粛なものである。たとえどれほど死に慣れきった者であろうとも。軍規はその儀礼を、沈黙と不動によって敬意を表明するものと定めていた。

 絞首刑に処せられようとしている男は、およそ三十五歳といったところ。服装から判断するなら民間人、農園主か何かのようだった。立派な顔立ちである――鼻筋は通り、口元は引き締まり、額は広い。濃い色の髪の毛がまっすぐ後ろにくしけずられて、耳の後ろから、ぴったりと身体に合ったフロックコートの襟まで届いていた。口ひげをはやし、あごひげは先をとがらせていたが、頬ひげはなかった。目は大きく深い灰色で、縛り首の輪の中に頸を突っ込んでいる男の顔からは望むべくもないような、穏やかな表情を浮かべていた。どう考えてもこの男は、卑しい暗殺者などではない。軍の法規は、さまざまな種類の人間に絞首刑を気前よく適用する条項があり、紳士であろうと除外されることはなかったのだ。

 準備が完了すると、ふたりの兵士は一歩横に移動して、自分が足場にしていた板をそれぞれ引っ込めた。軍曹は大尉のほうを振り向いて敬礼し、大尉のすぐ後ろに場所を移す。つぎは大尉が一歩動いた。こうして、三本の枕木にのった一枚の板の両端に、処刑される者と軍曹が立つことになった。民間人が立っている側の端は、四本目の枕木に、からくも届かない。この板は、これまで大尉の体重で所定の位置に保たれていたのだが、いまでは軍曹がそれを支えている。大尉の合図で軍曹が横に一歩踏み出せば、板は傾き、処刑される男は枕木の間に落ちていくことになる。この措置は、単純だが効果的であると、審判者たちは思ったのだろう。男の顔は、覆われてもいなければ、目隠しもされていない。男は一瞬、足の下の「落ちつかない足場」に目を遣り、それから、渦を巻いて、狂ったように流れていく足下の川に目を走らせた。水面で踊る流木に注意を引かれ、流れに乗ってくだっていくのを目で追う。こいつはひどくゆっくりと流れていくように見えるぞ。なんとのろい川なんだろう!

 男は目を閉じて、自分の妻と子供たちに最後の思いを向けようとした。早朝の日を浴びて金色に輝く水面、下流の岸壁に立ち上る朝靄、砦、兵士たち、流木、あらゆるものが男の想念をかき乱す。そこへ新たに意識を揺るがすものがあった。愛する人々のもとに向かおうとする思いを引き裂くような音、無視することもできなければ、何の音かも定かではない、鋭く鮮明な金属音、ちょうど鍛冶屋が金床を打つような音――同じように、響き渡るような質の音が聞こえだしたのだ。

何の音だろう。遠くから聞こえてくるのか、近いのかさえ定かではない――どちらとも聞こえる。

規則的に繰り返すその音は、弔鐘のように間延びしたものでもあった。男はひとつひとつの音を、耐え難い思いで、そして理由も定かではなかったが、不安な思いで待ちわびた。静寂が徐々に長くなって遅れていくせいで、気も狂わんばかりに思われた。間隔が開いていくにつれて、音は強さと鋭さを増していく。耳をナイフでえぐられるような痛みを感じる。悲鳴をあげるかもしれない、と思うと、ゾッとした。男が聞いていたのは、自分の時計の音だった。

 男は目を開け、もういちど足下の水面に目を遣った。「両手が自由なら」と考えた。「首の縄を振り捨てて、川に飛びこむんだが。飛びこんだら弾は避けられる。必死で泳いだら岸にも着ける。森を抜けて、家まで逃げられるかもしれない。ありがたいことに、家はまだ敵の戦線の外だ。妻にも子供たちにも侵入軍の最前線は届いていない」

 言葉にするとそうなってしまうこうした思いが、大尉が軍曹に頷くよりも早く、終焉を前にした男の脳にひらめいた。軍曹は、一歩脇へ移動した。

 II

 ペイトン・ファーカーは裕福な農園主で、アラバマ州の名高い旧家の出だった。奴隷を所有しており、政治に関わりを持つほかの奴隷所有者と同じく、早くから分離独立主義を唱え、南部の大義を熱烈に支持するのはあたりまえのことだったである。

詳細は省略するが、ある緊急事態のために、ファーカーは勇敢な部隊に参加することができなかった。その部隊は、ミシシッピ州コリンス陥落という結末を迎えた悲劇的な軍事行動を遂行したのである。不名誉にも参加できなかったことに苛立ったファーカーは、自分のエネルギーを解き放ちたい、兵士としてより広い世界で生きたい、名誉の機会を与えられたい、と願うようになったのだった。そのチャンスは、必ず訪れるだろう、戦時には、あらゆる者にそうした機会が訪れるのだから。できることはなんでもする。南軍のためなら、一市民として、どんなつまらない任務でも遂行するつもりだったし、どんな危険なことでも飛びこんで行くつもりだった。ただその市民というのも、心は兵士、恋と戦争においてはあらゆることが正当化されるという、ありていにいえば悪人が言いかねないような格言を、本気で、少なくとも部分的には無条件で賛成しているような市民だったが。

 ある夕べ、ファーカーが妻と屋敷の門に近い田舎風のベンチに座っていたところ、グレーの軍服(※南軍)を着た兵士が門口に馬を乗りつけ、一杯の水を求めた。ファーカー夫人は喜んで、水仕事などしたこともない白い手で水をふるまうことにした。水を取りに行っている間、ファーカーは埃まみれの兵士に寄っていき、前線の様子を根ほり葉ほり尋ねたのだった。

「ヤンキー(※北軍)は鉄道を修復しているところです。そうやってさらに進軍しようと準備をしているんです。やつらはアウル・クリークまでやってきて、鉄橋を修復し、北岸に砦を築きました。司令官が出した布告があちこちに掲示してあります。鉄道や鉄橋、トンネル、列車に対して妨害を計ろうとする現場を押さえられた者は、たとえ一般市民であろうと即刻絞首刑に処す、と書いてあった。この目で見たのです」

「アウル・クリーク鉄橋までは、ここからどのくらいありますか」

「だいたい50キロというところでしょう」

「川のこちら側には部隊はいないんですか」

「川から1キロほどの線路沿いに前哨基地があって、鉄橋のこちら側には歩哨がひとりいるだけです」

「もし、市民で、絞首刑に興味がある人間がですよ、前哨基地を迂回して、歩哨をうまく出し抜けたら……」ファーカーはにやりと笑って続けた。「何ができるだろう」

兵士は考えこんだ。「わたしはそこにひと月前までいたんです。鉄橋のこちら側の木の橋脚には、冬の洪水のせいで流木が相当たくさん溜まっていたのを見ましたね。いまはそれも乾いているでしょうから、麻くずのように燃えるでしょう」

 夫人が水を持ってきたので、兵士はそれを飲み干した。丁重に礼を言い、夫には帽子を取って頭を下げ、馬は去った。一時間ほどしてから日が暮れた後、兵士は農園をもういちど横切って、自分が来た方角、北に向かって帰っていった。彼は北軍の斥候だったのだ。

 III

 鉄橋の隙間を抜けてまっすぐ下へ落ちるペイトン・ファーカーは、意識を失い、すでに死んだも同然だった。その状態から、目覚めた――ひどく長い時間が過ぎたように思われた――のは、喉を圧迫する鋭い痛みと、それに続く、窒息しそうな感覚のためだ。鋭い、強烈な痛みが、頸から胴体、そして四肢の細胞ひとつひとつを貫いていく。痛みは、その一本一本がはっきりと知覚できる、枝分かれしながら全身に伸びる神経細胞を通って、瞬く間に伝わり、考えられないほど早い周期でガンガンと脈打ちながら襲ってくるのだった。繰り返し押し寄せる炎の波が、耐えがたい熱さで炙ろうとしているようだ。いっぽう頭は圧迫感――鬱血する感じ以外のなにものでもなかった。思念が入り込む隙などまるでない。生来備えていたはずの知的な部分は、すでに拭い去られてしまっていた。残されたのは、ただ感覚のみ、それも激痛の感覚だけだった。

自分が動いていることに気がついた。まばゆい雲に抱かれ、いまや自分は肉体を備えた実体をもたない、雲の金色の心臓と化して、想像もつかないほど大きな孤を描いて、巨大な振り子のように左右に揺れているのだ。すると突然、あまりにも唐突に、この身を包んでいた光は、バッシャーンという大きな水しぶきの音とともに、パッと上のほうに移動してしまった。恐ろしげな咆哮が耳に届き、あらゆるものが冷たく、暗くなった。

思考力が戻ってきた。ロープが切れて、自分が川のなかに落ちたのを知った。首を圧迫する力はこれ以上、加わってこない。首のまわりの縄のせいですでに窒息しかけていて、肺に水が入ってくることもない。絞首刑になって、川底でくたばるとは! そのことを思うと、なんだかおかしくなってくる。暗闇のなかで目を開くと、頭上に一筋の光が差すのがみえてきた。だがなんと遠い、届くことなどできそうもない光だろう。身体がどんどん沈んでいっているので、光はいっそう微かになっていき、ただのぼんやりした薄明かりになろうとしていた。と、急に光は大きく、輝き始めた。自分が表面に向かって浮かび上がろうとしているのだ――それに気がつくと、なんだか嫌な気がした。いまの状態は心地よいのだ。

「吊されて、溺死するのは悪いものではない。だが、銃殺はごめんだ。断じて嫌だ。撃たれたくはない。撃たれるのなんて、フェアじゃない」

  

 自分が何をしようとしているのかわからなかったけれど、手首がひどく痛むことから、両手を自由にしようとしてもがいているのだ、と知れた。苦心惨憺している自分のことを、怠け者が手品師の芸当に目をやりでもするように、なりゆきにたいして興味もないまま眺めていた。

なんと一生懸命、やっているんだろう……すごいものだ。超人的な力だ。まったくたいした努力だ。やったぞ! 紐が外れた。両手が離れ、浮かび上がっていき、だんだん明るさを増す光のなかで右と左、両側に手があるのがぼんやりと見えた。まず片方の手が、そうしてもう一方の手もそれに続いて、首の縄をつかむのを、新たな興味で眺めた。両手が縄を引きちぎって、荒々しく脇に押しやった。縄が動くさまはうみへびのようだ。

「元に戻せ、戻すんだ」自分の両手に向かって叫んだような気がした。縄はゆるんだものの、これまで経験したこともないほどの恐ろしい激痛が続いたからだった。首がひどく痛む。脳は火に炙られているようだ。力無く、不規則に打っていた心臓は、いちど大きく跳ね上がって、口から飛び出しそうになった。全身が、耐えられないほどの苦痛に切り苛まれる。だが反抗的な両手は、命令に従わない。両手は、力いっぱい、素早く、叩きつけるように水を掻いて、水面に浮かび上がろうとした。顔が水の上に出た。太陽の光に目が眩む。心臓が発作的に拡張する。肺が、限りない苦痛とともに、胸いっぱいに空気を吸い込もうとした。ところがつぎの瞬間、悲鳴をあげて、吐き出していた。

 いまやあらゆる肉体的感覚が戻ってきた。というより、感覚が異常なまでに鋭く研ぎ澄まされていた。肉体器官がすさまじい動揺にさらされたことで、感覚が一段引き上げられ、精密になって、これまで気がつきもしなかったようなものごとを意識に刻むのだ。顔を打つさざ波を感じ、うち寄せる波のひとつひとつが聞き分けられる。岸から森に目をやると、木の一本一本、葉の一枚一枚、そうしてその葉の葉脈や、葉の上の虫たちまでもが見えてくる。セミも、胸をきらめかしているハエも、枝から枝へと巣をかけていく灰色のクモの姿も。

無数の葉の尖端ひとつひとつが露を抱き、その露が虹色に輝くのを認める。渦を巻く流れの上でダンスするブヨがぶんぶんいう音、トンボの羽根を鳴らす音、ミズグモの足が水を叩く音は、ちょうどボートを押し上げるオールのような音だ。すべてが音楽となって耳に響く。目のすぐ下を魚が一匹、滑るように泳いでいき、その魚が水を分けて素早く泳いでいく音さえ聞こえてくるのだった。

 ファーカーは水面に出て、下流に顔を向けた。瞬く間に、目に映る世界が自分を中心にして、ゆっくり回転していった。鉄橋、砦、鉄橋の上の兵士、大尉、軍曹、ふたりの二等兵、刑の執行者たち。なにもかも、青い空を背景に浮かび上がるシルエットだった。兵士たちが大声をあげ、こちらを指さしながら何か身振りをしている。大尉はピストルを抜いたが、発砲はしてこない。ほかの兵士たちは武器を持っていなかった。彼らの動きは奇怪で怖ろしく、その姿は巨大だった。

 突然、鋭い炸裂音が響き、頭から数センチのところの水面に何かが激しく当たって、顔にしぶきがかかった。二発目の銃声。歩哨がひとり、ライフルを肩に当てており、銃口からは青い硝煙が薄い雲のようにたなびいている。水の中にいるファーカーは、鉄橋に立つ男の目がライフルの照準器を通して、自分の目を凝視していることがわかった。鉄橋の男の目は灰色だ。灰色の目は一番鋭く、名高いガンマンや射撃名人はみな灰色の目だということを何かで読んだのを思い出す。だが、この男はしくじった。

 

 逆巻く渦に巻き込まれ、ファーカーの身体は反転した。またしても砦に背を向けて、対岸の森の方を見ることになった。一本調子の澄んで高い声が、背後から聞こえてくる。あらゆる物音を貫き、耳を打つさざ波の音さえ圧して、川面を渡りこちらまで届いてくるのだ。兵士でこそなかったが、兵営をしばしば訪れていたファーカーには、そのゆったりと長く伸びていく声、詠唱のような有気音の怖ろしい意味がよく理解できた。岸にいた中尉が、朝の任務の一端に加わってきたのだ。冷然と情け容赦なく、平静で穏やかな調子で、予兆を与えつつ、まずもって兵士たちを落ち着かせ、それから正確に間合いを計ってから、残酷な命令を口にしたのだった。

「中隊、気をつけ! ……構え銃! ……撃ち方用意! ……狙い定めよ! ……発射!」

 ファーカーは潜った――できるだけ深く。耳のなかでは、水がナイアガラの滝のように轟音を立てている。それでも一斉射撃の鈍い雷鳴のような音が聞こえた。ふたたび水面に浮かび上がると、妙に平べったくなった、きらきら光る金属片が、ゆっくりと揺れながら底に沈んでいくのが見えた。弾がひとつ、襟と首筋の間にひっかかっている。生暖かく不快だったので、ファーカーはひっつかんで捨てた。

 水面に浮上してぜいぜいと喘いだファーカーは、自分が水の中にずいぶん長く潜っていたことに気がついた。ずいぶん下流に移動していたし、安全な場所にはいっそう近づいていた。兵士たちは弾をふたたび装填し終えようとしている。煤を払う鉄棒が銃口から引き抜かれ、一斉に日の光にきらめきながら大きく弧を描いて、軸受けに押し込まれた。ふたりの歩哨がもういちど、てんでに発砲してきたが無駄なことだった。

 追われるファーカーは、こうした何もかもを肩越しに見た。いまや流れに乗って、力強く泳いでいく。頭も手や脚と同じく全力で働いていた。稲妻が閃くように考える。

「司令官は」ファーカーは推理する。「教条主義的な失敗を二度は繰り返さないだろう。一斉射撃から身をかわすのは、一発の弾丸を避けるのと同じで、さほどむずかしいことではない。おそらくいまごろはもう、任意射撃に命令を切り替えているにちがいない。神様、どうかたすけてください。そのすべてから身をかわすことなどできそうにありません」

 

 2メートルも離れてはいないところで、すさまじい飛沫が上がり、それに続いてどーんという猛烈な音がした。だんだん小さくなるその音は、砦の方へ、宙を飛んで戻っていく音なのかと思われもしたが、やがて川底を揺るがす爆音となって収束した。

 水が一枚の幕となって持ち上がり、はるか頭上で曲線を描いたかと思うとそのまま落ちてきて、目を眩まし、息の根を止める。大砲がこの勝負に加わってきたのだ。ファーカーは頭を振って、襲いかかる水の攻撃を避けたとき、逸れた砲弾が宙を飛んで前方に飛んでいく音が聞こえた。つぎの瞬間、砲弾は向こうの森の枝を砕き、なぎ倒した。

「もう二度とこんなものは撃ってこないだろう。次に使うのは、ブドウ弾(※数個の小型爆弾を合わせたもの)にちがいない。大砲から目を離してはならない。硝煙が目印だ――音は届くのに時間がかかる。弾丸が飛んでくるより遅れて聞こえるのだ。あれはいい大砲だからな」

 突然、自分がぐるぐると回転している、コマのようにまわっていることに気がついた。水も岸も、森や、いまや遠くになった橋、砦や兵士たち、すべてが混ざり合い、溶け合っていた。目に映る像は、単なる色でしかなかった。円を描く水平の色の帯――それが目に映るすべてだった。渦に巻き込まれていたのだ。すごい速さで流されながら、旋回する水に呑み込まれて、目は眩み、吐き気がする。やがて、ファーカーは川の左岸――南岸――の水際の砂利のうえに投げ出された。そこは出っ張りの背後、敵から隠してくれる場所だった。突然身体が停止し、片手が砂利でこすれてすりむいたために、意識が戻ったファーカーは、喜びのあまりむせび泣いた。砂のなかに指を突っこんで、両手いっぱいにつかんでは、身体に何度も浴びせ、歓声を上げて祝福した。砂は、ダイヤモンドであり、ルビーであり、エメラルドだった。頭に浮かぶ美しいものは、すべてこの砂に似ているように思える。岸の木々は、巨大な庭木だった。その配列には明確な秩序があることに気がつき、花の芳香を吸い込む。幹と幹の間には、見たこともないようなバラ色の光が射し込み、枝をそよがせながら、風は、風の神アイオロスのハープを奏でた。ファーカーの、逃げおおせたい、という願いは、なくなってしまっていた。この心惹かれる場所に、もういちど捕まるまで留まっていたい、それで満足だ、と思ったのである。

 ビューッという音とともに、頭よりはるか高い位置の枝にブドウ弾がバラバラと降りそそいで、ファーカーを夢から覚ました。途方に暮れた砲撃手が行き当たりばったりに最後の一発を撃ったのだ。跳ね起きたファーカーは、岸の斜面を駆け上がり、森に飛びこんだ。

 一日中、天を移動する太陽の位置で進むべき道を探りながら、ファーカーは歩き続けた。行けども行けども森に果てがないように思われる。出口はどこにも見当たらず、木こりの踏み分け道さえないのだ。自分が住むところに、これほど未開の領域があろうとは思いもよらなかった。この新発見には、どこかしら薄気味悪いところがあった。

 日が暮れると、すっかり疲れ果て、足は痛み、空腹は耐えがたかった。妻や子供たちのことを思うと、はやる気持ちが募る。とうとう一本の道を見つけた。これをたどっていくと正しい方角へ出るにちがいない。その道は街中の大通りのように広くて真っ直ぐに伸びていたが、人が通った様子がない。畑が広がるわけでもない、どこかに家があるわけでもない。人が住んでいることを知らせる犬の鳴き声すらしなかった。木々の黒い幹が道の両側に続いていく壁を作り、遠近法の練習で描く線図のように、地平線上の一点へと収束していた。木の間から見上げると、頭上には、見たこともない大きな金色の星が輝いて、奇妙な星座を作っていた。あの星の並び方には、秘密で禍々しい意味がこめられているにちがいない、とファーカーは思った。両側に広がる森からは、おびただしい不思議なざわめきが聞こえ、そのなかに混じって、一回、二回、そうしてもう一回、知らない言葉でささやく声が、はっきりと耳に届いた。

 首が痛むので触れてみると、ひどく腫れている。ロープが擦った傷が、首のまわりにあざになっているのだ。目も充血している。閉じることができない。舌は渇きで膨れ上がり、歯の間から舌を出して冷たい空気にさらして熱を冷まそうとした。人が通ったことのないこの道には、芝生のカーペットが、なんと柔らかに敷かれているのだろう。足の下の道をもはや感じることができない。

 苦痛にも関わらず、どうやらファーカーは歩きながら眠っているようだった。別の情景が見えているのだから。――あるいは、幻覚症状から一時的に覚めただけなのかもしれない。ファーカーが立っているのは、我が家の門の前だった。なにもかもが、家を出たときのまま、朝日を浴びてきらきらと輝き美しい。自分は一晩中歩き続けていたのだろう。門を押して開け、広く白い小径を歩いていくと、ひるがえる女の服が見えた。妻だった。みずみずしく穏やかな、優しげなたたずまいで、ヴェランダの階段を下りてこちらへやってくる。一番下の段で立ち止まった。言葉にならないほどの喜びに満ちた笑みを浮かべ、較べるものがないほどの気品と威厳を備えて、待っている。ああ、なんと美しいのだろう。両手を差し伸べて、駆け寄った。妻を抱きしめようとしたその瞬間、首の後部に息が止まるほどの打撃を感じた。目も眩むような白い閃光が、大砲の衝撃のような音とともに、あたり一面を燃え立たせた――そののち、一切が闇と静寂に包まれた。

 ペイトン・ファーカーは死んだ。首の折れたその死体は、アウル・クリーク鉄橋の横木の下で、左右にゆっくりと揺れていた。


The End





作者アンブローズ・ビアスと作品についての覚え書き

英語に"twist ending" という言葉がある。日本語でいう「予想外の結末」といったところだろうか。
Wikipediaを見てみると

A twist ending is an unexpected conclusion or climax to a work of fiction, which may contain a surprising irony, or cause the audience to review the story from a different perspective by revealing new information about the characters or plot.

とある。最後に驚くようなクライマックスが待っていて、受け手はもういちど、まったく別の角度から作品全体を見直すようになるのが"twist ending(ひねった結末)"なのだという。

この『アウル・クリーク橋でのできごと』は、まさにその"twist ending"の代表作と言えるだろう。

これは、ペイトン・ファーカーが橋から落下して絶命する瞬間、すべてがその一瞬に向かって準備されている。時間にすれば一秒にも満たない間、彼の頭に浮かんださまざまな想念、幻覚、幻想が、色彩豊かに、圧倒的な存在感を持って描かれる。読み終わってみて、わたしたちはもういちど読み返さずにはいられない。そうすると、最初に読みながら違和感を感じていた部分が、すべて落ち着くべきところに落ち着き、ああ、これはそういうことだったのか、と、初めて納得がいく。

ただ、こうした"twist ending"の作品の多くが、一度結末を知ってしまうと、もう二度と読もうとは思わなくなるのに対して、この『アウル・クリーク橋でのできごと』は、それだけでは片付けられない何かがある。

それは、「死」というものを前にした人間の心の動きというのは、こうしたものかもしれない、と、わたしたちに思わせる「確かさ」をこの作品が備えているからではあるまいか。

わたしたちのだれもが、いま、この瞬間にも、いつか必ず訪れる「死」に近づきつつある。「生きる」とは、まさに「死」に向かって歩いていくことにほかならない。けれども、この「死」は、決して真に経験されることがない。「死」をとらえ、意味づけようとする「わたし」は、死にゆくことによって破壊されてしまうからだ。
わたしたちは、この「死」を怖れ、なんとか忘れようとしながら、一方で、そのことを知りたいと思う。

おそらくビアスもそうしたひとりであったのではないか。
ビアスの短編の多くが死を扱ったものである。ただし、死そのものを意味づけようとする方向には、彼の問題意識は向かわない。むしろ、死という極限の舞台を設定することで、登場人物の本質を露わにしてみせるといった印象である。
短編の多くは、技巧的な、ペシミスティックで皮肉なもので、この『アウル・クリーク橋でのできごと』のように、深い余韻を残すものは例外的であるように思う。

作者のアンブローズ・ビアスは1842年生まれ。貧しい家に生まれ、教育らしい教育は受けずに成長する。彼の転機となったのが、1861年から始まった南北戦争で、ビアスはリンカーン大統領が呼びかけた最初の義勇兵に応募し、戦争が終わる1865年まで、重傷を負ったりしながらも、ずっと北軍の一員でありつづけた。

戦後、サンフランシスコに渡り、新聞や雑誌に投稿することを始め、次第に文名もあがっていく。皮肉なユーモアと、死と恐怖の影がつきまとう作風から「辛辣なビアス」と評されもした。88年ごろから、南北戦争の体験に基づいた短編を発表するようになり、やがてそれは『兵士と市民の物語』(1891)にまとめられる。今日、文学史上に名を残すことになったのも、この短編集一作によってのみである、とも言われている。

13年に革命さなかのメキシコへ渡航し、その地で消息不明となる。



【翻訳ノート】

おそらく現在アンブローズ・ビアスの一番手に入れやすい作品集というと、2000年9月14日初版、2002年5月7日第二刷発行の岩波文庫『ビアス短編集』(大津栄一郎訳)だろう。
これは、ビアスの全短編作品を集めたコレクションが「恐怖の世界」「戦争の世界」「信じられない世界」と分類したのに倣って、従来の短編集には収められていなかった初期の短編、なかでも芥川龍之介がそのイメージを借り、のちに『藪の中』へと発展させていった『月明かりの道』も読むことができる、バランスの良い選集であるといえよう。

当然ビアスの代表作である、この『アウル・クリーク鉄橋での出来事』も収められている。
ただし、この最終パラグラフの訳に関して、若干異をとなえたい。 全体との解釈にも密接に関連してくるので、敢えて一項を設けてみた。

大津訳ではこのようになっている。

 ペイトン・ファーカーは死んでいた。首の折れた、彼の体は、アウル・クリーク鉄橋に流れ集まった材木の下で、右に左にゆっくりと揺れていた。

この文章だけ読んだら、どこで揺れてるんだと思いますか?

「流れ集まった」のおかげで、非常に不鮮明な文章になっているように、少なくともわたしには、思える。「流れ集まった材木の下」ということは、首つりの縄が切れて、川底でたゆたっているのか? という気さえしてくる。

では原文を見てみよう。

Peyton Farquhar was dead; his body, with a broken neck, swung gently from side to side beneath the timbers of the Owl Creek bridge.

「流れ集まった」に該当する単語はない。"timbers" があるだけだ。 実は、問題になってくるのが "timbers" という複数形なのである。

この"timber"が文中に出てくるのは、もう一箇所、冒頭の部分である。

It was attached to a stout cross-timber above his head and the slack fell to the level of his knees.
ロープは、男の頭上、鉄橋に渡した頑丈な材木にくくりつけてあり、たるんで男の膝のあたりまで垂れ下がっている。(拙訳)

最終節に出てくるのが "timber"という単数形であれば、あきらかにこれに対応しているものとして、何の問題もなく処理できる。ところが、これは複数形なのだ。 ロープをかけた材木とはちがうものである。

おそらく大津氏が「流れ集まった材木」としたのも、"timbers"という複数形を処理するための苦肉の策だったのではないか、と愚考するのだけれど。

ところが北軍の斥候がファーカーに、鉄橋に流木が溜まっている(これ自身、ほんとうなのだろうか、という気がする。これではまるで、冬の乾燥した時期に人通りの少ない裏手に新聞紙を積み重ねておいて、「放火に気をつけましょう」というポスターを貼っているようなものだ。たとえそういう事実が過去にあったとしても、北軍が鉄橋を修理した時点で処理しているのではないだろうか。むしろこれはファーカーのような、南軍に心を寄せる民間人をおびき出すためのニセの情報ではなかったかと思われる)と告げるときの原文は、以下のようになっている。

I observed that the flood of last winter had lodged a great quantity of driftwood against the wooden pier at this end of the bridge.

ここで「流木」はあくまでも流木を指す一般語、"driftwood" が使ってある。最後の "timbers" が、このdriftwood であると、これだけではいいがたい。

さて、もういちど、単語本来の意味に戻ってみよう。

tim・ber1 #n
1a 《材木用の》立木 (=standing 〜) 《集合的》; 森林(地).
b 《建築・造船・木工などに適した》材, 材木; 《製材した》大角材; #挽材(ひきざい), 製材 (lumber#); 構造木材, 木骨, 【造船】 肋材(ろくざい), フレーム材.
c 《もと》建物, 建材; 【馬】 木造障害物《柵・門など》; #【狩】 木製の柵と門; [pl] 《俗》 《クリケットの》ウィケット (wicket).
2a 材料, 素材, 材.
b 人柄, 資質; 《地位などにふさわしい》人材, 材, 人物.
・men of that timber あのような性質の人.

[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]

ここからわかるのは、timberという単語は、ある程度、物理的な大きさを備えた木、あるいは材木である、ということである。

さて、つぎに木製の鉄橋とはどのようなものか、イメージ検索にかけてみた。

http://images.statelibrary.tas.gov.au/Fullimage.asp?Keywords=Port+Arthur&x=21&y=11&Page=9&ID=AUTAS001127112142

親記事によると、1878年の写真である。この作品が収められた短編集の出版は1891年、ほぼ同時期のものと考えてよいだろう。

"timbers"はこの橋のフレームであると考えて良いのではないだろうか。

以上のことから、わたし自身は "beneath the timbers of the Owl Creek bridge" とは、この鉄橋に使用された、橋脚ではないほうの柱、ということで「横木」という言葉を選んだ。天下の岩波文庫様に向かって喧嘩を売るわけではないのだけれど、個人的にはこの部分に関する限り、大津訳は誤訳であると思っている。

初出 August 2-11 2005 ノート部分補足 Aug.15
 

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