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ここではウィラ・キャザーの短編「ポールの場合」を訳しています。
キャザーはどういうわけか日本ではあまり有名ではないのですが、二十世紀初めのアメリカを代表する作家のひとりです。
この短編は、キャザーがまだ本格的に執筆活動に入る前の処女短編集『トロールの庭』に所収されている、1904年彼女が31歳のときの作品です。
トロールという妖精は、魔法の溶鉱炉で珍しいものを作る、とされています。そのトロールをタイトルにとった短編集では、どの作品にも芸術家が主人公です。高校生のポールは、芸術家ではありませんが、芸術家の魂を持っている少年です。まわりとの齟齬を感じ、なんとか認められたいとあがくポールは、結局どうなってしまうのか。
同じように高校を退学になってニューヨークを彷徨するホールデン・コーフィールド(『ライ麦畑でつかまえて』)は、このポールをどこかに響かせているように思います。
原文は
http://www.shsu.edu/~eng_wpf/authors/Cather/Pauls-Case.htm
で読むことができます。



ポールの場合


by ウィラ・キャザー

カーネーション


 その日の午後、ポールは自分のしでかした数々の悪さの釈明をするために、ピッツバーグ高校の教師たちのもとに出頭することになっていた。ちょうど一週間前に停学処分をくらったときに、校長室に呼び出された父親が、息子はとてもじゃないがわたしの手には負えないんです、と打ちあけたばかりである。職員室に入ったポールは、人好きのする微笑を浮かべていた。来ている服はいささか小さくなっていて、前開きのコートの襟は、黄褐色のヴェルヴェットがほつれ、すりきれている。にもかかわらず、ポールの様子はどことなく洗練されていた。小粋に結んだ黒いネクタイをオパールのピンで留め、ボタンホールに赤いカーネーションを挿している。教師の目には、こんな赤い飾りをつけているところを見ると、停学処分を受けても、少しも応えてはいないらしいな、と映るのだった。

 ポールは歳のわりに背が高く、ガリガリに痩せて、そびやかしてでもいるような狭い肩と幅の狭い胸をしていた。目には一種ヒステリックな光が異彩を放っていて、いつも自意識過剰で芝居がかった、少年にしては異常なほど攻撃的なまなざしである。瞳がことのほか大きく、まるで瞳孔を開かせるベラドンナでも常用しているかのようだったが、薬を常用する者の瞳がガラスがきらめくように輝くことはなかったろう。

 校長が、なぜきみはここに来たのかね、と尋ねると、ポールは礼儀正しく、学校に戻りたいからです、と答えた。それはまったくの嘘だったが、嘘をつくなどポールにはお手のものだった。実際、厄介な事態を切り抜けるためには、嘘は必要不可欠である、ぐらいに考えていたのだ。ポールに対する処罰の理由を問われた教師たちは、憎悪と侮辱された恨みをつらつらと訴えたために、事態が通り一遍のものではないことが明らかになった。ポールが秩序を乱すこと、生意気な物言いをすることを教師たちは罪状としてあげたが、彼ら全員がほんとうの原因は、たとえポールがヒステリックなほど反抗的な態度をとったにせよ、とうてい言葉にはできないと感じていた。その行動は、自分たちを軽蔑し、しかもそれを隠そうともしないところからくるものであることを、教師たちみんなが知っていたのである。

以前、ポールが黒板に段落の要旨を書いていたとき、英語の教師が横にやってきて、手を添えて導こうとしたことがあった。ポールは身震いして飛びすさり、自分の手を乱暴に引き抜くと、後ろに隠してしまった。女教師はもちろん驚いたが、ポールが殴りかかってきたとしても、これほどまでに傷つき、当惑することもなかっただろう。この侮辱があまりに無意識的な、しかも自分だけに向けられた攻撃であったために、忘れようとしても忘れられない出来事となった。ポールがとった行動はそれぞれに異なっていたが、男教師、女教師を問わず、彼らに対して等しく肉体的な嫌悪の情を覚えていることを隠そうともしなかった。ある授業では、いつも片手で目の上にひさしを作って坐っていた。別の授業では、朗読のあいだじゅう、窓の外を眺めていた。みんなをおもしろがらせようとして、授業に注釈を加えることもあった。

 教師たちの目には、その日の午後見せたポールの肩をすくめる仕草も、きざったらしい赤いカーネーションも、ふだんの態度一切合切を象徴しているように映り、英語の教師を先頭に、みんなで容赦なくつるし上げたのだった。ポールはそれを笑顔で受け流し、薄い唇の先から白い歯をのぞかせていた(唇はずっとぴくぴくと引きつっていたし、おまけに眉を持ち上げる癖まであったのだが、小馬鹿にしたようなこの仕草は、ことのほか人を苛立たせるものだった)。たとえポールより年かさの少年であっても、火あぶりの試練に直面すれば、がっくりとくずおれて、涙のひとつもこぼすものだが、ポールの作り笑いは最後まで消えることもなく、不快な気分をうかがわせるのは、わずかにコートのボタンをもてあそんでいる指先が神経質そうにぶるぶる震えていたことと、帽子を持つ手が、ときおり引きつったように動くことぐらいだった。ポールは終始笑みを絶やさず、自分の周囲に目を走らせては、みんながぼくを監視して何か見つけようとしてることなんてお見通しですよ、といわんばかりだった。この自意識過剰の表情は、少年らしい闊達さとは無縁で、そのためいつも横柄だとか、「抜け目がない」だとかと思われていたのである。

 尋問のなかで女教師がポールが言った無作法な言葉をそのまま繰りかえしてみせたので、校長は、そんな言葉を女性に対して口にすることが礼儀に適っているとでも思っているのかね、と聞いた。ポールはちょっと肩をすくめると、眉をひょいと上げた。

「わかりません。それが礼儀に適っていると思ったわけではありませんけど、かといって、ぶしつけに振る舞おうとしたつもりもなかったんです。たぶん、ぼくの癖で、あんまりそういうことは気にしなかったんだと思います」

 校長は、思い遣りのある人柄だったために、そんな癖は改めたほうが良いのではないかな、と聞いた。ポールは、にっと笑って、そうですよね、と言った。もう行ってよろしい、と言われ、優雅な身ぶりで頭を下げると、部屋を出ていった。そのお辞儀を見た人は、けしからぬあの赤いカーネーションをもういちど見せつけられたように思ったのだった。

 教師たちのやるせない気分は、美術の教師が言った、あの生徒にはだれにも理解しがたいようなところがありますな、という言葉に代弁されていた。美術教師は続けた。「あの子の笑い方は、横柄というのとはまったくちがっているように思うんですよ。取り憑かれている、とでもいったほうがいい。第一、あの子は丈夫じゃないですしね。聞いたところによると、ポールはコロラドで生まれてからほんの数ヶ月で、お母さんが長患いのすえに亡くなったんだそうですよ。だからなんだろうな、やつがちょっとふつうじゃないところがあるのは」

 美術教師は、ポールを見ていると、どうしても白い歯とわざとらしくよく動く目ばかりに気持ちがいってしまう、と、感じるようになっていた。以前、暖かい午下がり、ポールが画板に向かって居眠りをしていたことを思いだす。なんと血の気のない顔なんだろう、静脈が透けて見えるじゃないか、と驚いたものだった。やつれて皺のある目元は老人のようで、口元は眠っていてもひくひくと神経質に痙攣していたのだった。

 教師たちは物足りないような、やりきれないような気持ちのまま校舎を出た。年端もゆかぬ少年に深い遺恨を抱いたことや、その感情を辛辣な言葉で剥きだしにしてしまったこと、さらには叱責の激しさを競うおぞましいゲームかなにかのように、おたがいがけしかけあってしまったことが恥ずかしかった。ある教師はいじめっ子たちが輪になって、かわいそうな野良猫を追いつめていく様子が脳裏に浮かんでいた。

 一方、ポールの方は口笛でオペラ『ファウスト』の「兵士の合唱」を吹きながら、丘を駆けおりていた。ときおり、先生たちのだれかがぼくがこんなに弾むような心持ちでいるのを、歯がみしながら見ているんじゃないだろうか、と、あわてて振り返っては、そうでないことを確かめた。もう午後も遅く、その夜は地元の「カーネギー・ホール」で案内係のアルバイトがある日だったので、晩ご飯を食べに家に帰るのはよそうと思った。

コンサートホールに着いてみると、扉はまだ開いていないし、外は寒かったので、美術館――その時間帯はいつも閑散としているのだ――に行くことにした。そこにはラフィーリのパリ市街を描いた明るい色彩の習作が何点かと、軽やかな青で描かれたヴェニスの風景画がひとつかふたつあって、それを見るとポールはいつも気持ちが浮き立つのである。美術館のなかは、黒い眼帯を片目に当て、もう片方の目を閉じている年寄りの守衛が、膝に新聞をのせて隅に坐っているだけで、閑散としていたので、ポールはうれしかった。そこを独り占めして、低く口笛を吹きながら意気揚々と歩き回る。やがてリコの青い作品の前に腰を下ろし、夢中で見入った。ふと我に返って時計を見ると、七時を回っている。大急ぎで立ち上がると階段を駆け下りながら、彫刻が置いてある部屋からこちらをじっと眺めているアウグストゥスにしかめっつらで応え、ミロのヴィーナスには指で卑猥なサインを送りながら脇を抜けていった。

 ポールが案内係の更衣室へ入っていったときには、もう六人ほどの少年たちがいたので、彼もいきおいこんで制服に袖を通した。その制服はめずらしくポールの体にぴったりくるもので、自分でもよく似合っていると思う。身に沿った直線断ちの上着が、自分の薄い胸板を際立たせることがひどく気にはなったのだが。ポールはいつも、着替えをしているときに、チューニングのために弦をつまびく音や、調整のために吹く管楽器のファンファーレが音楽室から聞こえてくると、興奮の波が押し寄せてくるように思う。だが、今夜のポールはずいぶんどうかしていたようで、ほかの少年たちにしつこくふざけかかってはうるさがられたあげく、お前、頭がおかしいぞ、と言われながら床に押し倒され、みんなの下敷きにされてしまった。

 動きを封じられてやっと落ち着きを取りもどしたポールは、早々と到着する客を案内しようとホールの表へ走っていった。彼は模範的な案内係なのである。感じのいい微笑を浮かべて通路を駆け足で行き来し、彼にかかってはどんなこともお手のものなのだった。メッセージを届けたり、プログラムを持っていったりすることが、まるで人生最大の喜びであるかのように振る舞うために、担当区域の客は、だれもがみな、なかなかたいした少年じゃないか、わたしのことをよく覚えてくれているし、なにより態度に敬意が感じられる、と思っていたのだ。ホールが詰まってくるにつれ、ポールもますます溌剌とし、夢中になって、頬にも唇にも血の気がさしてくるのだった。あたかもこれが盛大なパーティで、ポールがその主催者だとでもいうように。

ちょうど、楽団員たちが出てきて所定の場所に着いたとき、彼の英語の教師が、著名な製造業者が押さえているシーズンチケットを手にやってきた。彼女はポールにチケットを渡すときに、自分の感じた決まり悪さを尊大な態度でごまかそうとしたのだが、それはのちに、馬鹿なことをしたものだと後悔することになる。一瞬、ポールもあっけにとられ、追い出してやろうかとさえ思った。なんでまた立派な人が大勢集まる豪勢な場所に、こんな女が来たんだろう。先生を上から下まで眺めてこうも思った。こういうところに来ていいような格好とはほど遠い、こんな上着で一階席に坐るなんてバカじゃないか。このチケットも、おそらく何かのお礼で手に入れたのだろう、と席へ案内しながら考え、さらに、この女がここに座る権利があるんだったら、自分だって十分あるな、と考えたのだった。

 交響曲が始まると、ポールは後部座席に身を沈め、ほっとして長いため息をひとつつくと、さきほどリコの絵の前で我を忘れたように、また心を奪われた。ポールにとって意味があるのは、交響曲それ自体ではなかった。楽器が最初のため息をもらした瞬間に、彼のうちに喜ばしく力強い生気のようなものが沸き起こってくる。アラビアンナイトに出てくる漁師が壺のなかで見つけた魔神のように、心のなかであがく何ものかを解き放ったかのように。すぐに、生きる喜びが体を満たす。目の前で光が舞い、コンサートホールは想像もできないほど華麗な炎に包まれた。ソプラノの独唱者が登場すると、ポールは教師がそこにいるという不快感も忘れて、有能な音楽家がかならず与えてくれる、特別な興奮に我身をそっくり委ねた。

独唱者はドイツ人女性で、もう若いと呼べるような年齢でもなく、子供をたくさん抱えた母親でもあった。だが、豪華なドレスとティアラを身につけたその女性は、なによりも高い位置にまで到達した人だけが持つ、言うに言われぬ雰囲気を醸し出していて、ポールの目には、世界が彼女にスポットライトを当てているかのように映り、まるでおとぎ話の女王というおもむきがあった。

 コンサートが終わってからのポールは、いつも神経が高ぶって、眠りにつくまでいらいらした気分が続くのだが、今夜はいつもにも増して落ちつかなかった。休むことなどできない、この甘美な興奮を手放してしまうことなどできそうもない、生きていると呼べるものがあるとすれば、ただひとつ、この興奮しかないというのに、と感じていた。最後の曲の途中でポールはそっと抜けだすと、更衣室で服を着替えて、独唱者の馬車が停まっている裏口に回った。そうして歩道を行きつ戻りつしながら独唱者が出てくるのを待った。

 遠くにぬっとそびえているのはシェンレー・ホテルで、小糠雨の向こうに、角張った大きな姿を浮かびあがらせていた。十二階建ての窓が、クリスマス・ツリーの下のおもちゃの家にあかりを灯したときのように、明るく輝いている。ピッツバーグにくる有名な俳優や歌手は、かならずそのホテルに泊まるし、地元の有力な製造業者のなかにも、冬のあいだここに滞在する人々がいた。ポールはときどきホテルの周りをうろついて、出入りする人々を眺めたり、自分もなかに入って、教師やら煩わしい苦労やらを永久に閉めだしてしまえないものか、と思っていた。

 やっとあの独唱者が出てきた。付き添ってきた指揮者が、馬車に乗るのに手を貸し、扉を閉めると心のこもった声でアウフ・ヴィーダーゼン、と声をかけたので、ポールは、指揮者は昔の恋人だったのかもしれない、と考えた。ポールは馬車を追いかけてホテルまで行った。足を急がせたので、それほど遠くない位置から、独唱者が馬車から降りて、山高帽をかぶって丈の長いコートを着た黒人のドアマンが押さえるガラスの開き扉の向こうへ消えていくのを見ることができた。閉じきらない扉を見ているうちに、自分も一緒になかに入っていくような気がしてきた。彼女のあとについて階段をのぼって、暖かい、灯りのともった建物のなかに、表はきらきら輝き、内部はひなたぼっこをしているように暖かな、エキゾティックな熱帯の世界に足を踏み入れたように思った。ダイニングルームに運ばれてくるのは不思議な料理の数々やアイスバケットに入った緑色の瓶、こうしたものはどれも新聞の日曜版の付録にあった、晩餐会の挿絵で知った世界だった。

突風とともに激しい雨が吹きつけ、ポールは自分がまだ外に、砂利が敷き詰められた車寄せのぬかるみに立っているのに気がついた。ブーツに水が入って、貧弱な上着はぬれそぼってまとわりつく。コンサートホール正面の灯りは消えて、しのつく雨がポールと見上げるオレンジ色に輝く窓を隔てていた。自分が望んでいるものがあそこにある……自分のすぐ目の前に、クリスマスのパントマイムの舞台の、おとぎ話の世界のように。だが自分は扉の前に張り付くように立っていて、雨に顔を打たれているのだ、と、あざけりたいような気持ちになった。自分はこうしてずっとそれを見上げたまま、暗い夜、戸外で震えている運命なのだろうか。

 ポールは踵を返して、沈む気持ちで車道のほうへ歩いていった。いつか終わりがくるはずだ。階段の上に現れる寝間着姿の父親も、言い訳にもならない言い訳も。やっつけの作り話のおかげで、決まってよけいに厄介な事態になることも。二階の自分の部屋の、おぞましい黄色い壁紙と、脂で汚れたフラシ天張りのカラー入れがついた、キィキィとやかましいタンス、ペンキで塗った木製のベッド、ジョージ・ワシントンとジョン・カルヴィンの肖像画、額に入った「私の子羊を養え」という聖書の一節も。この聖句は母が赤い毛糸で紡いでくれたものだった。

 三十分後、ポールは電車をおりると、大通りから横町へ足を引きずるように入っていった。いかにも立派な通りに居並ぶ家はそっくり同じ外観で、それなりの収入のある勤め人が大勢の子供たちを養っている。どの子も日曜学校に通ってカトリックの公教要理を学び、算数が好き。彼らの家がそっくりなように、子供たちも互いにそっくりで、住んでいる家が退屈なように、彼らもまた退屈な子供たちなのだった。コーデリア街を歩いていると、ポールはいつも嫌悪感に身震いがしそうだった。ポールの家は、カンバーランド長老教会の牧師の家の隣にある。今夜も家に近づきながら、敗北感とも、平凡で醜悪な世界に永久に沈んでしまいそうな絶望感ともつかない気持ちに襲われていたが、これはいつも家に帰るたび、そうなってしまうのだった。コーデリア街に入った瞬間、頭の先までずっぽりとはまりこんでしまったような気がする。生の祝祭が終わったあとは、欲望に耽った直後に覚える重苦しさのようなものに、全身が襲われるのだった。平凡なベッド、ありきたりの食事、台所の臭いがたれこめる家がいやでたまらない。香りもない、色もない、日常的なことどもへの身震いするほどの嫌悪感。素晴らしいもの、柔らかな光や美しい花に対する灼けつくような渇望。

 家に近づけば近づくほど、まったく反対に、家のさまざまなことから気持ちが離れていく。醜い自分の寝室、薄汚れたトタンのバスタブのある寒い浴室、ひび割れた鏡、水滴の垂れる蛇口、そうして父親。階段の上に立ち、寝間着の裾から毛ずねを剥きだしにして、部屋履きに足を突っこんで。いつもよりずっと遅くなったから、きっとうるさく聞いてきては小言をいうにちがいない。戸口の前で、しばらくポールはたたずんでいた。今夜、父親にまとわりつかれるのはたまらない。あの惨めなベッドで眠れぬまま輾転反側するのも耐えられない。家に入りたくなかった。電車賃がなかったし、大雨だったので、友だちの家に寄って一晩中そこにいたんだ、と父親に言えたらどんなにいいだろう。

 そうしているうちにも、ポールは濡れそぼち、凍えてきた。家の裏手に回って、地下室の窓のひとつを押してみると開いたので、慎重に持ち上げて、かべをつたって地下室に下りた。床に立ったまま、固唾を呑むようにして、自分が立てた物音が聞きつけられはしなかったかとびくびくしていたが、頭上は静まりかえり、階段のきしむ音もしない。石けんの木箱があったので、暖房炉の扉からもれる穏やかな光の輪のなかに運んで、そこに腰掛けた。ネズミがひどくきらいだったから、そこで眠ろうとは思わなかったが、暗いところにいるのではないか、とそこから目をそらすことができない。父親を起こしてしまったのではないか、と怯えながら、そうやって坐っていた。わびしい空虚な毎日に、突然訪れる特別な昼や夜を過ごしたあとでは、感覚はすっかり鈍くなっているのに、頭が奇妙に冴えかえる、という影響が出てくるのだった。もし父親が窓から入った音を聞きつけて、ここにおりてきて、泥棒とまちがえて自分を撃ったらどうなるだろう。それとも、おりてきた父親が銃を持っていたとしても、自分が先に大声を出すことができて、命が助かり、父もまた危うく息子を殺すところだった、と心底ゾッとするとしたら。あるいは、ずっとあとになって、この晩のことを思いだして、あいつが大声を出さないでそのまま自分が撃っていれば良かったのに、と考えるようなことはないだろうか。最後の疑問をポールは夜が明けるまで繰りかえし考えた。

 その週の日曜日はよく晴れた。十一月の冷え冷えとした空気が和らいで、つかのまの小春日和となった。いつものように午前中は、教会と日曜学校に行かなければならない。天気の良い日曜の昼下がり、コーデリア街の住民たちは、家の玄関前の階段に腰を下ろし、これまた同じように腰をおろした隣人と言葉を交わし、あるいは通りを隔てた人にも声をかけ、近隣のよしみを確かめ合うのだった。男たちはたいてい歩道におりる階段に、派手なクッションを置いてそこに腰かける。一方、女たちはウェストの窮屈な日曜の晴れ着に体を押し込んで、狭いポーチに置いた揺り椅子に、いかにも楽しそうに腰かけるのだった。子供たちは通りで遊ぶ。あまり大勢いるので、幼稚園の遊び場のようだ。階段の男たちは――みんなシャツ一枚になって、ヴェストのボタンをはずしている――大股開きで腹を突き出した楽な格好で、物価の話や、上司や社長がいかにひとかどの人物かを物語るエピソードをしゃべっていた。ときどき子供たちのケンカがひどくなると、彼らの甲高い、鼻にかかった甘え声に優しく耳を傾けてやり、自分の気質が子供にそっくり受け継がれているのを笑う。鉄鋼業界の大立て者たちの逸話を広めるあいまに、うちの子の成績が上がっただの、算数の点数だの、貯金箱にお小遣いをどれだけ溜めているだのといった話をはさむのだった。

 十一月最後の日曜日、ポールは午後のあいだずっと、階段の一番下に腰をおろして通りを眺めていた。そのあいだ姉や妹は揺り椅子に坐って、隣の牧師の娘たちと、先週は何枚ブラウスを縫ったとか、誰それがこの前の教会の夕食会でワッフルをいくつ食べたとかいう話をしていた。暑いころなら、そうして、父親が格別に機嫌が良いときなら、娘たちはレモネードを作って、わすれな草の模様が青いエナメルで描いてある赤い水差しに入れて持ち出した。この水差しを娘たちはとてもおしゃれだと考えていたが、隣人たちは、その色は怪しいぞ、けしからぬものが入っているのかな、とお定まりの冗談を言うのだった。

 今日、ポールの父親は最上段に坐って若い男と話していたが、相手のひざには右へ左へ、片時もじっとしていない赤ん坊がいた。彼はポールの手本として毎日のように引き合いに出されている青年で、それもそのはず、父親の最大の希望はポールが彼のようになってくれることだったのだ。青年は血色がよく、堅く引きむすんだ赤い唇をし、色の薄い近視の目にぶあつい眼鏡をかけて、金色のつるを耳のところで曲げていた。彼は大きな製鉄会社の事務員で、コーデリア街は前途洋々たる若者で通っている。彼にはこんな話があった。五年ほど前――いまだってまだ二十六歳でしかないのだが――ちょっとした「道楽」にふけった時期があった。ところが欲望を抑制するために、そうして、むやみに充足を求めてあたら時間と精力を無駄にしないように、上司がつねづね口にした助言に従って、二十一歳の時に、運命をともにしてくれ、という申し出に最初に応えてくれた娘と結婚した。相手は、はるか年上の、堅苦しい教師で、これまたぶ厚い眼鏡をかけて、すでに四人の子をなしていたが、その全員が彼女同様近眼だった。

 青年は、自分の上司が、いま地中海を船で旅行中であるが、仕事ではどんなささいなことでも連絡をとってやっていること、クルーザーにいても、本国同様、執務時間を決めていて、「ふたりの速記者を手一杯にするほどの量をこなして仕事を切り上げる」らしかった。一方、ポールの父親は、自分の会社が懸案中の、カイロに電鉄会社を設立する計画を話していた。ポールの歯がカチッと鳴った。自分がそこにたどりつく前に、なにもかもがなくなってしまうような強い不安を抱いたのである。とはいえ、日曜や祭日に繰りかえし語られる、鉄鋼業界の大立て者の逸話を聞くのは、むしろ好きなほうだったのだが。こうした話に出てくるヴェニスの宮殿や地中海のクルーザー、モンテカルロの高額な賭け事を聞くと、空想は刺激されたし、釣り銭受け渡し役の少年が成功して有名になった話もおもしろかった。自分がそんな仕事をやってみる気は毛ほどもなかったが。

 夕食が終わって皿を拭く手伝いをしたあとで、ポールはおそるおそる父親に、ジョージのところへ幾何を教わりに行っていいか、と尋ね、さらにびくびくしながら、電車賃をもらえないか、と頼んでみた。電車賃を頼むことは、もういちど言ってみなければならなかった。というのも、父親は主義として、額の多寡に関わらず、小遣いをせびられるのを嫌っていたからだ。もっと近くの子に教わるわけにはいかないのか、と聞き、日曜日になるまで宿題を放っておくのはよくないな、と言いもしたが、十セント玉を一枚くれた。父親は決して貧乏ではなかったが、世間でひとかどの人物になろうという野心を抱いていた。ポールが劇場係をするのを許していた唯一の理由は、たとえ子供であっても、多少なりとも自分で稼ぐべきだと考えていたからだ。

 ポールは二階に駆け上がると、手に残る皿洗いの水の油臭さを、いやなにおいのする大嫌いな石けんでごしごし洗ってから、引き出しに隠していたスミレ水の瓶をふって、数滴、指にたらした。これみよがしに幾何の本を小脇に抱えて家を出たが、コーデリア街を離れてダウンタウン行きの市電に乗るやいなや、ポールは死んだようなこの二日間の倦怠をふるい落とし、ふたたび息づき始めるのだった。

 ダウンタウンのある劇場では専属劇団による公演が開演中だったが、そこの若手主演俳優とポールは知り合いで、日曜夜のリハーサルならいつでも見においでよ、と招待されていた。ポールはもう一年以上、時間があるときはいつでも、チャーリー・エドワーズの楽屋で過ごすことにしている。ポールはエドワーズのファンのあいだでも特別な地位を獲得していたのだ。というのも役者としてはまだ若いエドワーズは、衣装係を雇う余裕がなく、ポールはその点、単に用が足りるというだけでなく、教会が言うところの神が与えたもうた「天職」にも似た働きを見せたからである。

 ポールがほんとうに生きているのは、劇場とカーネギー・ホールにいるときだけ、それ以外は、眠っているか記憶に留まることもなかった。劇場はポールのおとぎ話であり、何もかもが秘やかな恋心をかきたてる。舞台裏で、ガスの臭いやペンキの臭い、埃っぽい臭いを吸いこめばたちまち、獄から解き放たれた囚人のように息ができるようになり、何かすばらしいことができそうな、輝かしいこと、詩的なことをしたり、言ったりできそうな気分がみなぎってくる。よたついたオーケストラが、オペラ「マルタ」の序曲を奏でればたちまち、あるいは「リゴレット」のセレナーデが聞こえてくればその瞬間に、彼の内から愚かしいものも醜いものもすべてが滑りおちて、五感はそっと、しかも甘美に燃え上がるのだった。

 おそらくそれは、ポールの世界にあっては、当たり前のものはほとんどいつでも醜い衣をまとって現れるために、美にはある種、人工的な要素が必要不可欠であると考えていたためだろう。あるいはこうもいえるかもしれない。劇場外での生活の経験は、日曜学校のピクニックや、けちくさい倹約、人生で成功するには、というありがたい忠告や、振り払うことのできない料理の臭いといったものであふれていたために、劇場がことのほか魅力的に映り、そこに集う洗練された服装の人々に夢中になったのだ。そうしてスポットライトの下で年中咲き誇る、燦然たるリンゴの花の園に心を奪われたのかもしれない。

 ポールにとっては、劇場の舞台へ通じる扉が、現実世界に現れたロマンスの入り口を意味していたことを、どれほど強調しても十分ではあるまい。たしかに劇団のだれひとりとしてそのことを疑う者はいなかった。とりわけチャーリー・エドワーズなどは。これはロンドン界隈で言い伝えられた大金持ちのユダヤ人の伝説とよく似ていた。彼らは、巨大な地下室を持っていたという。そこには棕櫚が植えてあり、泉があり、ランプが穏やかな光を放ち、豪華な服装の女たちは、魔法を解くロンドンの昼の光など見たこともない。同じようにポールは、煤煙たれこめる都市、数字と煤けた骨折り仕事に心を奪われた街のただなかに、秘密の神殿を持ち、魔法の絨毯を持ち、日の降り注ぐ青と白の地中海の海岸の一部を持っていたのだった。

 教師のなかには、ポールの想像力が正常な発展を遂げなかったのは、安っぽい小説を読んだせいだと憶測する者もいたが、実際のところ、ポールは小説などほとんど読んだこともなかった。家にある本といえば、青少年の精神を誘惑したり堕落させたりするような類のものではなかったし、友だちがこれを読んでみろよ、と熱心に勧めてくれる小説を読んでみても、つまりは、彼が求めているものは、音楽の方がずっと簡単に与えてくれる、ということなのだった。オーケストラから手回しオルガンまで、どんな種類の音楽でも良かった。必要なのは、小さな火花、言葉にしがたいようなゾクゾクする感じだった。その火花が想像力を生みだし、五感を自由に操るのだ。筋書きを考えたり情景を描いたりすることは、自分が持っているものだけで十分可能だった。

同様に、ポールは役者志望でもなかった――何にせよ、その言葉が指す一般的な意味合いからは外れていた。役者になりたいという情熱は、音楽家になりたいと思ったことがないのと同様、まったくなかった。音楽や演劇を自分でやる必要は、すこしも感じなかった。彼が望むのは、ただ見ることであり、その場にはいっていくことであり、その波に漂うことであり、あらゆることから離れて、何海里も彼方の広い海へと運ばれていくことだった。

 楽屋裏で夜を過ごしたあとでは、教室は前にも増して、耐えがたい場所となった。剥きだしの床と壁、フロック・コートを着ることもなく、ボタンホールにスミレを挿すこともない退屈な男たち。鈍い色の上着を着て、耳障りな声を張りあげ、与格を支配する前置詞について、気の毒なほど一生懸命な女たち。ほかの生徒たちに、自分が教師をまともに相手にしているなどと、ほんの一瞬でも思ってほしくない。なにもかもくだらないと思っているんだ、ここにいるのもちょっとした冗談なのさ、とクラスの連中に教えてやらなくては。ポールは劇団全員のサイン入りの写真を持っていたので、クラスメイトにそれを見せて、自分は友だちなんだ、カーネギー・ホールに出る独唱歌手のような人たちとだって仲がいいんだ、一緒に食事をしたこともあるし、花束を贈ったこともある、とまったくありそうもない話を聞かせるのだった。こうした話も威力を失って、聴衆が興味を失いかけると、やけになってみんなに、それじゃお別れだ、と言い、自分はしばらく旅に出る、ナポリへ、ヴェニスへ、エジプトへ行くんだ、と告げる。そうして翌週の月曜日には、へどもどした作り笑いを浮かべて、こっそりまた教室に戻ってくる。姉さんが病気になったんだよ、だから旅行は春まで延期になったんだ。

 学校でのポールの状態は着実に悪くなっていった。教師に向かって、自分がどれほど教師や教師の説教を軽蔑しているか、そうして、学校以外の場所ではどれほど高い評価を受けているか、言わずにはおれなくなって、一度、あるいは二度にわたって、自分には定理なんかで時間を潰しているような暇はないんです、と言明したのだった。さらに――眉をひくつかせたり、神経質そうにいくぶん虚勢を張ってみせたり、という教師がひどく嫌っていることをしきりにやってみせた挙げ句に――自分は劇団の手伝いをしてるんです、劇団のみんなは、昔からずっと、ぼくの友だちなんです、とつけ加えた。

 その結果、校長がポールの父親に会いに行き、退学が決まって、ポールは職に就くことになった。カーネギー・ホールの支配人は、彼の代わりにほかの案内係を雇うよう言い渡され、劇場の門番はポールを中に入れないように命令を受けた。そうしてチャーリー・エドワーズは父親に、もう二度と会ったりしません、と申し訳なさそうに謝った。

 ポールの話を聞いた劇団員たちは、ひどくおもしろがった――とりわけ女性の団員たちがそうだった。必死の思いで働いている女たちは、ほとんどが貧乏な夫や兄を支えるためだったのだが、ポールの派手でえらく情熱的な作り話を聞いて、苦々しい思いであざ笑ったのだ。ポールっていう子も困ったもんね、ということで、教師たちや父親と彼らの見解は一致した。



 東部行きの列車が一月の吹雪をかきわけて進んでいた。汽車がニューアークの1.5qほど手前で汽笛を鳴らすころ、空がぼんやりと白みはじめた。ポールは体を丸めて座席に横になり、不安な浅いまどろみのなかにいたのだが、身を起こすと、吐息でくもった窓ガラスをてのひらでぬぐって外をのぞいた。白い低地は雪が渦を巻き、野原や柵にそった吹きだまりはすっかり深くなっていた。吹きだまりのそこここに、丈の高い枯れた草や干からびた雑草の茎が黒く飛び出している。点々と連なる家には灯りがともり、線路沿いに立つ工夫の一団が、ランタンを振っていた。

 ポールはほとんど寝ていなかったし、自分が薄汚れたように思えて落ち着かなかった。彼は普通車両で夜を明かしたのだが、ふだんの格好のままで豪華な寝台車に乗ることが恥ずかしかったし、それだけではなく、ピッツバーグの勤め人のなかに、あれはダニー・アンド・カーソン商会で働いている男だ、と見とがめる者がいるかもしれない、と考えたためでもあった。汽笛で目が覚めたとき、まっさきに胸ポケットを握りしめ、おどおどした笑顔であたりを見まわした。だが、小柄な、粘土がはねかかった服を着たイタリア人たちはまだ夢の中、通路を隔てた向こうにいるだらしのない女たちは口を開けて眠りこけ、薄汚い、泣きわめいていた赤ん坊たちも、いまのところは静かだった。ポールはいらだつ自分をなんとか抑えようと、座席に背をもたせかけた。

 ジャージー・シティ駅についたポールは、慌ただしく朝食をすませたが、そのようすはどこか落ち着かなげで、たえずあたりを鋭い目で窺っていた。二十三番通り駅に着くと、辻馬車の御者に、紳士服店に連れて行ってくれるよう頼み、ちょうどその日に開店したばかりの店に向かった。そこで二時間以上かけて、熟考に熟考を重ねて買い物をした。外出用スーツを試着室で着こみ、フロックコートと盛装のタキシードはリネンのシャツと一緒に馬車に積んだ。それから帽子屋と靴屋に向かう。つぎの用件はティファニーで自分専用の銀食器と新しいネクタイ・ピンを買うことだった。銀食器に名前を入れてもらいたいのだが、その時間がないんだ、とポールは言った。最後にブロードウェイにあるトランクの店に寄り、それまでに自分が求めたものを、さまざまな旅行カバンに詰めさせたのだった。

 一時過ぎ、ウォルドーフホテルに着くと、御者に心付けを渡してオフィスに入っていった。宿泊簿には、ワシントンから来たことにする。両親が帰国するんだ、だからその汽船を迎えに来たんだよ。いかにももっともらしい説明に加えて、両親のぶんも先に払っておこう、と申し出たので、部屋を取るのに何の面倒もなかった。寝室、リビング・ルーム、浴室つきの部屋だった。

 一度や二度ではない、もう何百回もポールはニューヨーク行きを計画してきた。チャーリー・エドワーズには、計画の隅々までくりかえし話したし、家には新聞の日曜版から切り抜いたニューヨークのホテルの記事のスクラップが、何ページ分もあったのだ。八階のリビング・ルームに案内されて、ポールは一目で、なにもかもが、自分がこうあるべきと考えていたとおりであることを見て取った。とはいえ、たったひとつ、些細なことではあったが、想像とちがった点があったので、ベルを鳴らしてボーイを呼び、花を持って来るように言った。ボーイが戻るまで、落ちつかない気持ちで動き回っては、リネンのシャツを片づけながらその手触りを楽しんだりした。花が届くと、すぐに水に浸し、それから自分もバスタブの湯に浸かった。やがて白い浴室から出てきたポールは、新しい、まばゆいばかりのシルクの下着を身につけて、赤いガウンのふさをもてあそんでいた。窓の外は激しい雪が渦を巻き、通りの向こうさえも見えない。だが部屋のなかは心地よく暖かで、良い香りが満たしていた。スミレと水仙はソファの脇の小さなテーブルに置いて、自分は臥所に身を横たえ、深いため息をつきながらイタリア製の毛布にくるまった。全身が疲労しきっている。たえず急きたてられ、緊張を強いられながら、この二十四時間で驚くほどさまざまなところを行き過ぎてきたが、いったいどうしてこういうことになったのか、考えてみたかった。風の音、暖かな空気、花の心地よい香りに誘われて、ポールはいつしか、あれやこれや思いだしながら眠りに引きこまれていく。

 おそろしく単純な話だった。連中がポールを劇場とコンサートホールから閉めだして、彼の大切なものを奪ったときに、あらゆることは決まってしまったも同然だったのだ。それから先は単に成り行きでそうなったにすぎない。驚いたのは、自分にそんな勇気があった、ただその一点だった――というのも、不安というか、恐怖の予感というか、そうしたものにさいなまれる状態が、最近ではどんどんひどくなり、片時の猶予さえなくなりつつあったのだ。自分でついた嘘の網が、自分を捉え、体中の筋肉をぎゅうぎゅうと締め上げていたのだ。これまでも、何に対しても怯えずにいた時期などはなかった。ほんの小さな子供のときでさえ、恐怖は背後に、あるいは前方に、あるいはすぐ脇につきまとっていた。かならず薄暗い隅があり、暗い場所があり、あえて目を向けなくても何ものかが自分をじっと監視していることはわかっていた――だから自分は監視者のために、美しいことなどするわけにはいかなかったのだ。

 けれどもいまは奇妙な安心感があった。あたかもとうとうその隅の何ものかに、真っ向から戦いを挑みでもしたかのように。

 ふてくされた顔で仕事に縛りつけられていたのは、ほんの昨日のことだった。昨日の午後にいつもどおり、ポールはデニー・アンド・カーソン商会の預金を持って銀行に行った――だが、そのときは精算のために、通帳を預けておくように指示されていた。小切手が全部で二千ドル以上、さらに紙幣で千ドル近くがあったが、彼はそれを通帳から抜き取ると、自分のポケットに移したのである。銀行は新しい入金伝票を発行してくれた。動揺することなく、そのまま事務所に戻って自分の仕事を片づけ、いかにももっともらしい理由と一緒に、土曜日の明日、まる一日休ませてほしい、と申し出た。通帳が月曜か火曜まで戻ってこないことはわかっていたし、父親は来週一杯、出張が決まっている。ポケットに札を滑りこませたときから、ニューヨーク行きの汽車に乗るまで、ほんの一瞬の躊躇もなかった。危険水域に足を踏み入れたのは、なにもこれが初めてのことではなかったのだ。

 なにもかもがあきれるほど簡単だった。ことは完了し、自分はここにいる。もはや目を覚ます人間もいないし、階段のてっぺんに立つ姿もない。窓の外、渦を巻きながら舞う粉雪を眺めているうちに、ポールは眠りに引きこまれてしまっていた。

 目を覚ましたときは午後の三時だった。ハッとして飛び起きる。貴重な時間のうちの半日が、すでに過ぎてしまった! それから身支度するのに一時間をかけ、ひとつ終えるごとに洗面所の鏡に映して、入念に仕上がり具合を確かめた。何もかもが完璧だ。自分がこれまでずっとこうありたいと思っていた少年になったのである。

 階段を下りたポールは、馬車を頼んで五番街からセントラルパークへと向かった。雪はいくぶん弱まっている。馬車や商用の荷馬車がせわしげに、冬のたそがれのなかを音もなく行き交っていた。マフラーをまいた男の子たちが、シャベルで家の前の階段の雪かきをしている。五番街という舞台では、白一色の通りを背景に、華やかな色合いが浮かびあがっていた。街角のあちこちには屋台が立っていて、そこにはガラスケースに入った花が花園のように咲き乱れ、ガラスケースに舞い降りた雪片も、端から溶けていくのだった。スミレ、バラ、カーネーション、スズラン……雪のなかで不自然に咲く花は、それだけにいっそう美しく、心引かれる。セントラルパークもまた、冬の場面を描いた舞台の一幕のようにすばらしかった。

 ホテルに戻ったときは、微かに残っていた薄暮も闇に変わり、通りのようすも一変した。雪は激しさを増してきたが、高層ホテル群から洩れる灯りは、大西洋から吹きつける荒々しい風をものともせず、嵐のなか、燦然と輝いている。馬車は長く続く黒い影となって南へ向かう通りを進んでいき、そこかしこで東西方向へ向かう流れと交叉した。ホテルの入り口は多くの馬車が列を成し、ポールが乗った馬車もしばらく待たなければならなかった。おそろいの服を着たボーイたちが、歩道まで覆う天幕の下を走って出たり入ったり、入り口から歩道へ続く赤いヴェルヴェットの絨毯を、昇ったり下りたりしている。頭上も、周囲も、内部でも、そこかしこで車がガラガラ鳴る音やどよめきが聞こえ、ポールと同じように、楽しみを求めて急いだり行き交ったりする大勢の人々があふれていた。四方八方から、富は万能である、という大合唱が聞こえてくるようだった。

 望みが叶った、という思いが発作のように襲ってきて、少年は奧歯をぐっとかみしめながら胸を張った。この世の戯曲という戯曲の筋書きが、物語という物語の文章が、神経線維の一条一条が、彼の周りを雪片のようにくるくる舞っていた。嵐のなかにかかげたたいまつのなかの一本の粗朶のように、自分が燃え上がるのを感じた。

 ポールがディナーを取りに下りていくと、オーケストラの音楽がエレヴェーター・シャフトまで漂っていた。通路の人混みのなかに足を踏み入れたポールは眩暈がして、壁を背に置いてある椅子のひとつに腰をおろした。明かり、おしゃべり、香水、途方に暮れるほどの雑多な色の寄せ集め――、一瞬、とうてい自分には耐えられそうもないように思った。だが、その瞬間が過ぎると、これが自分にふさわしい人々なのだ、と言い聞かせた。廊下をゆっくりと歩いていく。書き物室、喫煙室、応接室を抜け、まるで自分だけのために建てられて、人々を住まわせている魔法の宮殿の部屋を探求しているように思った。

 ダイニング・ルームに入って、窓際の席に腰をおろした。花、白いリネン、さまざまな色のワイングラス、女たちのきらびやかな装い、コルクを抜く小さな「ポン」という音、オーケストラの演奏する、寄せては返す波のように繰りかえす「美しき青きドナウ」、あらゆるものがポールの夢を目もくらむほどの輝きで満たした。ばら色のシャンパンが――グラスのなかによく冷えた、高価な、泡立つ液体が注がれた刹那、ポールはこの世にいったい正直な人間などいるのだろうか、といぶかった。これこそ世界が求めているものではないのか。これをめぐってひとびとが争っているのではないのだろうか。自分が過去、現実だと思っていた存在の方が、よほど疑わしい。自分はあのコーデリア街という街、疲れ切った顔の勤め人が、早朝の電車に乗る地域に住んでいたのだろうか。彼らは所詮、機械のリヴェットのひとつにすぎないじゃないか。吐き気を催させるような男たち、コートには、梳かしてやった子供の髪の毛がまとわりつき、料理の臭いが染みついた服を着て。コーデリア街だなんて――ああ、あんなところは別の時代、別の世界の話だ。自分はいつだってこんなふうにして暮らしてきたのではなかったか。ものごころつくまえの、幼いころから。こんなふうに物思いにふけりながら、きらきらとひかる布に目を奪われ、シャンペングラスの柄を親指と中指にはさんで回して、いくつもの夜を過ごしてきたのではなかったか。彼にはずっとそうしてきたようにしか思えないのだった。

 物怖じすることもなければ、孤独を感じることもなかった。ここにいるだれかと交わりたいとも、知り合いになりたいとも思わない。ただ観察し、想像し、壮麗な演劇を見る権利がほしいだけだった。舞台装置で十分だったのだ。別の日の晩に、メトロポリタン劇場の特別席に収まったときもそうだった。もはや神経質な疑いの目を向けることもなければ、自分は周囲の人びととはちがうのだと誇示したい、いてもたってもいられないような気持も起こらない。感じるのは、周囲の人びとやそこにある物こそが、自分がだれであるかを説明してくれている、という感じだった。自分が身に纏っている高価な盛装も、問いただされることもない。ただそれを着ていさえすれば良いのだ。自分のタキシードにちらりと目を走らせるだけで、もうだれも、自分を辱めることなどできはしないのだ、という確信がよみがえってきた。

 その夜、美しい居間を離れてベッドに入るのが、どうにも名残惜しくて、長いこと坐ったまま、張り出し窓の向こうの荒れ狂う嵐を見ていた。眠りに就くときも、寝室の灯はそのままにしておいた。確かに幾分かはこれまでの憶病さもあったが、それよりはむしろ、夜中にふと目をさましたとき、黄色い壁紙やワシントンやカルヴィンの肖像画がベッドの頭上にあるのではないかという疑いが、ほんの一瞬でも生じる隙もないように、という理由からだった。

 日曜日の朝、ニューヨークは雪にすっぽりと閉じこめられてしまった。遅い朝食を取ったあと、午後になって、ふとしたことからイェール大の一年生、サンフランシスコ出身の不良青年と知り合った。日曜日、「ちょっとした冒険」のためにやってきたという。ニューヨークの夜の世界を案内してやるよ、とポールに言い、ふたりは夕食がすむと、翌朝七時までホテルには戻って来なかった。互いにうち解け、シャンペンを酌み交わすところから始まった友情も、エレヴェーターで別れるころにはひどく冷え冷えとしたものになっていた。イェール大生は気分を一新して電車に乗りこんだが、ポールのほうはベッドに倒れこんだ。目が覚めたのは昼の二時で、ひどく喉が渇いて眩暈もしたので、電話をかけて、氷水とコーヒー、それにピッツバーグの新聞を頼んだ。

 ホテル関係者から見ても、ポールの様子には怪しいところはなかった。それが略奪品であっても、威厳を持って着こなしており、人の注意を引くようなところなど微塵もなかった。ワインに酔うことはあっても、馬鹿騒ぎとは無縁の酒で、奇術師が手品を繰りだすステッキを見つけたようなものだった。ポールの貪欲さは、もっぱら耳と目に限られていて、多少いきすぎるところがあったにせよ、それが周囲に不快感を与えるようなものではない。最大の楽しみは、居間に坐って灰色の冬の日のたそがれを眺めることだった。自分の花や、自分の服、体を沈めるゆったりしたソファ、タバコ、そうして力の感覚を、静かに楽しんだのである。自分自身とこれほどまでに穏やかな気持ちで向き合ったことなど、いままでなかったように思う。つまらない嘘をつく必要から解放されたのだ。来る日も来る日も嘘ばかりついてきたのに。それだけでも、自尊心は取りもどせた。学校にいたころでさえ、嘘をついて楽しかったことなど一度もなかった。認められるため、尊敬されるため、コーデリア街のほかの連中とはちがっていると主張するためについてきた嘘でしかなかった。自分がずいぶん男らしく、誠実な人間になったように感じ、友人の役者たちがよく口にしていたように、「役柄を身にまとう」ことができるようになったいまでは、大きな口を叩く必要も、気取る必要もなかったのである。おもしろいことに、後悔の念はまったく起こらなかった。黄金の日々は一点の曇りもなく、ポールもまた最善を尽くしたのだった。

 ニューヨークにやって来てから八日目、ポールはピッツバーグの地方紙に、事件の全貌が書き立てられているのを見つけた。地元ではセンセーショナルなニュースが枯渇していた時期だったらしく、詳細に報じられている。デニー・アンド・カーソン商会では、少年の父親が横領された全額を弁済したために、告発するつもりがないことを言明していた。カンバーランド長老教会の牧師は、インタビューに答えて、この母親のいない子供にも更正の余地は残っている、と語り、日曜学校の教師も、更正のためにわたしも努力を惜しまないつもりです、と答えている。ニューヨークのホテルでその少年を目撃したという噂は、ピッツバーグまで届いているようだった。

 ちょうどポールは夕食のために着換えようと、部屋に戻っていた。膝の力が抜けて、がっくりと椅子にくずおれ、両手で頭を抱えた。刑務所に行くのより、なおのこと悪いじゃないか。あのコーデリア街のぬるま湯が、とうとう、そうして未来永劫、自分を閉じこめてしまうのだ。灰色の単調な生活が、何の望みもなく、救われることもない歳月が続いていく。日曜学校、青年会の集い、黄色い壁紙の部屋、湿った布巾、なにもかもが胸がむかつくほど克明に浮かびあがってきた。オーケストラが突然中断した感じ、劇が終わり、気持ちが沈んでいく感じが襲ってくる。額には汗が吹きだす。弾かれたように立ち上がると、真っ青になった顔で、鏡に向かってウィンクした。勉強もしないで教室に入っていくときのように、奇跡が起こるに違いない、という昔ながらの子供っぽい信念を自分に言い聞かせ、服を着替えて口笛を吹きながら、エレヴェーターに向かって廊下を進んでいった。

 ダイニングルームに入って、音楽が聞こえてくると、いまこの瞬間を味わい、気持ちを高めて満足を見出そうとする、本来の快活な性質がよみがえってきて、気持ちも明るくなってきた。彼を取り巻く、まばゆく輝いてはいるが、舞台装置でしかない装飾が、ふたたび、そうして最後に、それが持つ力を発揮した。自分自身にガッツがあるところを見せてやらなくちゃ。立派にやり遂げてみせる。これまでになかったほど、コーデリア街の存在が疑わしいものに思えてきた。そうして初めて、あとさきのことを考えず、酒をあおった。結局、ぼくはここにいる幸せな人々のひとりとして、高貴に生まれついたのではなかったのか。いまこそほんらいの自分、そうして本来の自分の場所にいるのではないのか。音楽にあわせて神経質そうに指でテーブルを叩きながら、あたりを見まわして、自分がやったことは十分に報いられたのだ、と、何度も何度も自分に言い聞かせるのだった。

 うねる音楽とワインのひんやりとした甘さに朦朧としながら、自分はもっとうまく立ち回れたのではなかったのか、と振り返る。外国行きの汽船に乗って、いまごろ、連中の手の届かないところに行ってしまうこともできたのだ。だが、海の向こうの世界はあまりに遠く、あまりに茫漠としていた。そんなものを恃みになどしてはいられなかったのだ。彼が求めていたのは、もっとせっぱ詰まったものだった。もし同じことを最初からもういちどやったとしても、明日も同じことをするだろう。ポールは柔らかな霧の向こうに輝いているダイニングルームを、愛惜の思いをこめて見渡した。ああ、ほんとうに、確かにやっただけのことはあった!

 翌朝ポールは、ズキズキと痛む頭と脚のせいで目が覚めた。服も脱がずにベッドに倒れこみ、靴もはいたまま寝入ってしまったのだった。脚も腕も手首から先も、鉛のように重く、舌も喉もからからで灼けつくようだ。肉体が疲れ果て、神経の糸が切れたようなときにだけ、発作的に頭が冴え返るようなことが起こるのだが、いまもそのような状態になっていた。静かに横になって目を閉じ、さまざまなことどもが押し寄せ、自分を洗うにまかせた。

 父親がニューヨークにいる。「どこかしけたところに泊まってるんだ」とひとりごとを言った。玄関前の階段で過ごしたいく夏もの記憶が、黒い水となって自分を押しつぶそうとでもするかのように、のしかかってくる。もう百ドルも残ってない。いまになってあらためて金がすべてであり、金こそが望むものを、自分が憎むあらゆるものから隔ててくれる壁でああったことを理解した。終わりが近づきつつある。ニューヨークに着いた最初の輝かしい日から、そのことは考えていたし、始末をつける方法さえ用意していた。いまはサイドテーブルの上にある。昨夜、夕食を終えて朦朧とした状態で戻ってきて、取りだしておいたのだ。だが、金属の表面がチカチカと反射して目に痛かったし、その形状も好きになれなかった。

 痛みをこらえながら立ち上がり、ときおり襲ってくる吐き気をこらえながら、ごそごそと動いた。あのおなじみの憂鬱が何千倍にもなって戻ってきた。世界中がコーデリア街になってしまった。だがどういうわけか、もはや何も怖いものがなく、心はひどく穏やかだった。おそらくあの暗い片隅をのぞきこみ、ついにその正体を突きとめたからなのだろう。そこで見つけたものはまったくひどいものだったけれど、にもかかわらず、これまでずっと怖れていたほどにはおぞましくはなかったのである。いまではなにもかもがはっきりしていた。自分はうまくやってのけたのだ、生きるに足る人生を生きたのだ、と感じながら、半時間ほども拳銃をじっと見つめていた。やがて、これはちがう、と独り言を言いながら、階段を下り、馬車に乗って船着き場へ向かった。

 ニューアークに着いたポールは、汽車を降りてからまた馬車に乗って、ペンシルヴァニア線沿いに走って街を出るように言った。道路には雪が深く積もり、広々とした野原にも、深い雪だまりができている。そこかしこに枯れ草や干からびた雑草の茎が、奇妙なほど黒々と、雪の上に突きだしていた。すいぶんひなびた場所に入りこんでから、ポールは馬車を帰し、線路沿いに苦労しながら歩いていった。さまざまなことが、てんでんばらばらに頭に浮かんでは消えていく。その日の朝に見たなにもかもを、絵にして脳裏に留めておこうとでもいうかのように。乗った二台の馬車それぞれの御者も、コートに挿している赤いカーネーションを買った歯の抜けたおばあさんも、切符を買った駅員も、フェリーに一緒に乗り合わせた客のひとりひとりも、細かな表情までもがしっかりと記憶に焼きついていた。目前に迫る死活的な問題に立ち向かうことのできない彼の心は、一心不乱にそうした人々のおもかげを、あざやかな手際でもって選り分け、まとめていたのだった。ポールにとってそうした人びとは、世界の醜悪な側に属するもの、自分の頭を苦しめ、舌を灼く苦々しさの一部だった。かがんでひとにぎりの雪をすくうと、歩きながら口に入れたが、それさえも熱をもっているようだ。やがて小高くなっている場所にたどりつく。そこでは足下の先六メートルほどのところを線路が走っていたので、そこに立ち止まって腰をおろすことにした。

 コートに挿していたカーネーションが、冷気でだらりと垂れているのに気がついた。花の輝かくばかりの赤さは失せていた。最初の夜に見たガラスケースに入った花もみな、おそらくはずっと前に同じ運命をたどったにちがいない。あれも花にとっては、ほんの呼吸ひとつぶんの華やかな期間だったのだ、たとえガラスの外の冬をものともせず、けんめいに咲いてみせたとしても。世間にあふれる退屈なお説教に反逆を企てると、結局はゲームに負けてしまうのだ。ポールはカーネーションを一本そっと抜き取ると、雪のなかに小さな穴を掘って、そこに埋めてやった。体が弱ってきたのか、寒さもあまり感じなくなっていたために、しばらくまどろんだのだった。

 近づいてくる列車のとどろきに目が覚めた。驚いて立ち上がると、決心だけを思いだし、自分が遅れたのではないか、と怖れた。歯をガチガチ鳴らしながら、恐ろしさのあまりに引きつった唇が笑っているかのような顔になって、迫ってくる汽車を立ったまま見つめた。誰か見ている者がいるとでもいうように、一、二度、神経質そうに左右に目をやった。さあ、いまだ、と飛んだ。落ちながら、馬鹿なことをしている、自分は早まったのだ、という考えが、無慈悲なほど鮮明に理解された。自分はどれほど多くのことをやり残していくのだろう。これまでに見たこともないほど鮮やかな情景が、脳裏をよぎっていく。アドリア海の青い海原も、アルジェリア砂漠の黄色い砂も。

 ポールは何かが胸に当たったのを感じた。つぎの瞬間、体が吹き飛ばされた。どこまでも、どこまでも、はかりしれないほどの速さで、はるかかなたへ。手足は穏やかにくつろいでいる。そのとき映像を生じる器官が壊れたので、恐ろしげな光景が真っ暗になった。ポールはあらゆるものの源である果てしのない場所へと還っていった。

The End





ハエにハエとり壺の出口を示してやるには

「ポールの場合」の最大の特色は、全編を通じてカギカッコでくくられた会話がただ一箇所、あとはすべて静かな語り口を持つ語り手の声で語られる、という点である。

この作品は、周囲とうまく適合できない少年の物語である。出来事はすでに起こってしまっていて、わたしたちは直接、現場に立ち会うこともない。たとえポールが教室にいても、コンサートホールにいても、楽屋にいても、ホテルにいても、静かな声がすべてを説明しているので、どこも同じような、少しセピアがかった風景を、ロングショットで見ているような気がしてくる。
わたしたちはこの少年の悲劇を、この静かな声の語り手から聞き、最後に、ポールと一緒に虚空に放り出される。そうしてポールのことを思いだす。どうしてこういうことになってしまったのだろう。ほかに方法はなかったのか。
そうして思いだすことで、この作品は完成する。

二十世紀の多くの作品は、臨場感ということを問題にするし、進行中の行動をクローズアップで見せてくれるものが多いので、この「ポールの場合」のように、ほぼ全編が要約で成り立っているような作品は少ない。その意味では、技法的には二十世紀初頭の、古風な作品である。
それでも、描かれている内容はいささかも古びてはおらず、かえってタクシーではなく「馬車」が、電車ではなく「汽車」が出てくるのが不思議なほどだ。ポールを日本の現代の高校生に置き換えて、バイト先のコンビニのお金を着服させても、そのまま作品として通用しそうだ。ただ、現代の東京のシティ・ホテルに泊まったところで、ポールが味わったほどの満足が得られるかどうかは疑問だが。

ともかく、それほどまでにポールが抱える周囲との不適合の意識は、今日的、つまりは普遍的ということなのだろう。

美しいものに引かれる気持ち。
ほんものを求める気持ち。
まがいもの、見せかけを憎む気持ち。
だが、それだけではない。それを自分の内側にひっそりと育てているだけで良かったら、ポールの悲劇は起こらない。
そうした気持ちを持っている自分を同時に認めてほしいのだ。

自分はほんものがわかる、だから、自分もほんものである。
だが、自分が絵や音楽をほんものと認めたように、自分もほんものだと、これはだれかに判定してもらわなければならない。すべての問題はそこから生じる。
つまり、ポールの困難は、自分がほんものであることを、自分が軽蔑しているはずのにせものたちに認めてもらわなければならない、ということなのである。
ここでポールは解決不能の問題に落ちこんでしまう。

二十世紀初頭の三千ドルが、いったいどれほどの価値があったのかよくわからないのだが、ともかくポールは着服した金で、何よりもあこがれていたヨーロッパに行くこともできたはずである。
ところが彼はそうしない。どうしていわば無為に八日間をニューヨークのホテルで過ごしたのか。

ここで前半、ポールの地元、ピッツバーグの「カーネギー・ホール」を思い起こしてみよう。
ここに独唱者が登場する。このおとぎ話の女王のような独唱者は、ピッツバーグのシェンレー・ホテルに泊まっている。ポールは馬車を追いかけ、ホテルを外から眺めて、中に思いを馳せることしかできない。
つまり、馬車も、ホテルもすべて、独唱者の行動の模倣なのである。ニューヨークで、独唱者の行動をそれと意識しないままに模倣した。模倣する以上にその金を使ってポールにやりたい何ごとかがあったわけではなかったのだ。

自分がだれであるかを確かめたい十代の少年は、手近なところにモデルを求める。それが望ましい人がいなければ、モデルは反面教師となる。ポールにとって、まずモデルは周囲の大人たち、父親やコーデリア街の住人や教師の、反面教師だった。
自分は彼らではない。彼らとはちがう。そういう形で自分を作り上げようとして、けれどもそうした自分を認めることができるのも、自分が軽蔑していた彼らでしかなかった。

ポールが手本とした独唱者やチャーリー・エドワーズは、ポールとは異なる世界の住人だった。その世界に入るというやり方もあったのだ。けれどもポールはそれは望まなかった。自分を、現実の自分とは異なる者であると思いこむための、模倣のためのモデルだったのだ。

ガラスケースの外では生きられない花を、美しいままに保っておくために、最後にポールはカーネーションを雪の中に埋める。だが、花ではなく、地中に種を埋めておけば、暖かくなればまた花が咲くのだ。

ウィラ・キャザーはネブラスカで少女時代を過ごし、やがてピッツバーグで高校教師をしたり、雑誌編集に携わったりした。そののち、ニューヨークで雑誌編集者をしながら創作に励み、やがて作家となる。この「ポールの場合」も彼女のさまざまな経験が反映されているだろう。

だが、キャザーはポールではなかった。ハエ取り壺の出口を知らなかったポールとはちがって、キャザーは出口があることを知っていたのである。だからこそ、最後にポールに自分の誤りに気がつかせるのだ。自分には、見ようと思えば見られた世界があったことを。やろうと思えばできたこと、知ろうと思えば知ることができたこと。最後にポールはそのことに気がつく。

ただ、ポールは虚空に投げ出されたまま、作品は終わる。わたしたちの内側で、ポールはどこにもたどりつかない。

初出March.06-15 2007 改訂Nov.28, 2009
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