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英語の詩を読む――その1.


1.イロクォイの祈り


Great Spirit Prayer of the Iroquois ――anonymous poem


聖霊の祈り ――作者不詳



Oh, Great Spirit, whose voice I hear in the wind,

おおいなる精霊よ、その声は風のなかから聞こえ、

Whose breath gives life to all the world.

その息吹はあらゆるものに命を与える、大いなる精霊よ。

Hear me; I need your strength and wisdom.

わたしのことばをお聞きください、わたしにはあなたの力と知恵が必要なのです。

I come to you as one of your many children.

わたしはあなたの前に立っている。あなたの多くの子どもたちのひとりとして。

I am small and weak,

わたしは小さく弱い。

Let me walk in beauty, and make my eyes ever behold the red and purple sunset.

どうかわたしを美のなかに歩ましめ、赤く、やがて紫へと変わる夕陽を、いつまでも見守らせてください。

Make my hands respect the things you have made and my ears sharp to hear your voice

わたしの手があなたの創ったすべてのものをいつくしみ、わたしの耳があなたの声を聞きもらすことのないようにしてください。

Make me wise so that I may understand the things you have taught my people.

教えてくださったことどもを知ることができるよう、わたしを賢明にしてください。

Help me to remain calm and strong in the face of all that comes towards me.

立ち向かってくるすべてのものに対して、穏やかで、かつ強くあり続けられるよう、わたしを助けてください。

Let me learn the lessons you have hidden in every leaf and rock.

一枚の木の葉、ひとつの石ころに、あなたがそっとこめられたお教えの数々を知ることができるようにしてください。

Help me seek pure thoughts and act with the intention of helping others.

混じり気のない思いでほかのものたちを助けられるよう、

Help me find compassion without empathy overwhelming me.

同調するあまり、相手に呑み込まれることなく、思いやりを持つことができるよう、わたしを助けてください。

I seek strength, not to be greater than my brother, but to fight my greatest enemy

わたしは強くありたい、仲間に打ち勝つためではなく、最大の敵、

Myself.

わたし自身と闘うために。

Make me always ready to come to you with clean hands and straight eyes.

汚れのない手と真っ直ぐなまなざしをもって、いつでもあなたの御許に行くことができるように、

So when life fades, as the fading sunset, my spirit may come to you without shame.

やがてわたしの魂が、あの夕焼けの空の色のように消えるとき、わたしの魂がなんの恥じ入るところもなく、あなたの御許に行くことができるようにさせてください。

* * *

この詩を初めて目にしたのは、土産物屋のタペストリーだった。内容に引かれてすぐに買ったのだけれど、ほかにもこの『精霊の祈り』がプリントされたマグカップやら、記念コインやらがたくさんあったから、法隆寺近くの土産物屋にあまねく置いてある、灰皿や湯飲みに印刷された子規の句のようなものなのかもしれない。

後日、辞書を引き引き日本語にして、机の前に張っていた。タペストリーはどこかに行ってしまったのだが(母親が片付けたにちがいない)、へたくそな日本語のほうは、長く記憶に残っていた。

検索してみると、微妙にちがうものがいくつか見つかる。もともと口承の祈りを英訳したものではあるし、ソースも定かではないのだが、読んでいると自分の身体がもっと大きなものと溶け合っていくような感覚が好きなため、改めて訳し直してみることにした。

もともとネイティヴ・アメリカンは汎神論で、あらゆるものに精霊の魂が宿ると考えている。それを精霊と呼びかけること自体、英訳した時点でキリスト教的発想が混入してしまっているのかもしれない。こうしてイロクォイのことばが英語になり、それをさらに日本語にしたものが、どれだけ原意を伝えているのかはなはだ心許ないのだけれど。

http://www.btigerlily.net/BTGSでは短いバージョンながら、イロクォイのことばをアルファベットに起こしたものが載っている。原語で聞きたいものだと思う。




その2.まるで、俳句のような……


In a Station of the Metro ――Ezra Pound

地下鉄の駅で ――エズラ・パウンド

The apparition of these faces in the crowd;

ひとごみのなか、つとあらわれたいくつもの顔――

Petals on a wet, black bough.

黒く濡れた大枝にはりついた幾枚もの花びら。

* * *

以上がエズラ・パウンド『地下鉄の駅で』の全文である。
まず、著者自身が書いたコメントを見てみよう。

三年前(1911年)のパリ、わたしはコンコルド駅で地下鉄を降りた。すると突然、美しい顔が目に入った。それからもうひとつ、またひとつ、そして美しい子どもの顔、さらに美しい女性が。その日、一日中、そのことがわたしにとってどういう意味だったのか、を表す単語を見つけようとした。けれども意味のある単語、突然湧き上がった感情にふさわしい、美しい単語はひとつも見つけることができなかった。その夜、レヌアール通りを歩いて家に帰ったわたしは、まだ探しつづけていた。そして、突然表現を見つけたのだ。単語を見つけたのではなく、単語に代わるもの(equation)が浮かび上がってきたのである。それはことばではなく、色の斑点だった。ちょうど「模様」のような、だがもし「模様」ということばがなんらかの「繰り返し」を意味するのなら、模様とさえ呼べない。けれどもそれはたしかにことばだった。わたしにとって、色によることばの始まりだったのだ。……

わたしは三十行の詩を書いたが破ってしまった。それがいわゆる「二次的」な強さしか持たない作品だったからである。六ヶ月後、その半分の長さの詩を書いた。一年後、『地下鉄の駅で』という発句のような文章を作った。あえて言ってしまえば、これはある種の思考の流れに乗っていかなければ意味はない。こうした種類の詩は、外部の客観的なものが、内部の主観的なものへと変形していく、あるいは矢のように移って行く、まさにその瞬間を記録しようとするものなのだ。

(Ezra Pound, Lea Baechler, A. Walton Litz "Personae: The Shorter Poems of Ezra Pound")

これは俳句を意識して作られた詩なのである。英語の俳句はシラブル数を五・七・五にそろえるのだが、事実、この詩のシラブルも以下の通り5−7−6となっている。

The / a/ppar/i/tion (5:太字が強いアクセント)
of/ these/ fac/es/ in / a / crowd (7)
Petals / on / a / wet,/ black / bough(6)

"apparition"は思いがけなく現れる人やものを指す。訳によっては「現れた幻影」としたものもある。
まずタイトル(詞書き)と一連目から、地下鉄の駅から人がどっとはきだされてきた情景が浮かんでくる。
そして、二連目、一転して、濡れて黒い大きな枝にはりついた花びらが描かれる。この花びらは、大きくて肉厚の花びらではなく、小さなもの。黒い枝、雨のなかに浮かび上がる花びらは、おそらく白にちかいものでなければならない。そう、おそらく桜だろう。
地下鉄からはき出された人波と、雨の中、散る桜。灰色の情景の中にうかびあがる美しい顔、黒い枝にうかびあがる白い花びら。
ふたつのまったくちがうイメージを重ね合わせることによって、パウンドは、わたしたちに世界をちがったふうに見ることを教えてくれる。




その3.歩いていくリズムで

The Road and the End   By Carl Sandburg
 道とその終わり ――カール・サンドバーグ

I shall foot it

ぼくは歩いていく

Down the roadway in the dusk,

たそがれの道を、

Where shapes of hunger wander

餓えた亡霊たちがさまよい

And the fugitives of pain go by.

苦痛にひしがれた逃亡者たちが行き交うところを。


I shall foot it

ぼくは歩いていく

In the silence of the morning,

朝の静寂(しじま)を、

See the night slur into dawn,

闇が夜明けへと移りゆくのを見、

Hear the slow great winds arise

風が立ちのぼる穏やかで崇高な音を聞く

Where tall trees flank the way

道に沿ってつづく高い木々が

And shoulder toward the sky.

空に向かって胸を張るところを。


The broken boulders by the road

道端の砕けた岩が

Shall not commemorate my ruin.

うちひしがれたぼくの碑になることはない。

Regret shall be the gravel under foot.

悔恨は踏みしだかれる砂利となるのだ。

I shall watch for

ぼくは待つ。

Slim birds swift of wing

かろやかな羽根をもつ華奢な鳥たちが

That go where wind and ranks of thunder

風吹き雷鳴轟く空を飛び

Dive the wild processionals of rain.

激しい雨の隊列めがけて急降下してゆくのを。


The dust of the travelled road

歩んできた道の砂塵は

Shall touch my hands and face.

ぼくの手と顔を染めるだろう。
 
           
* * *

カール・サンドバーグは二十世紀前半のアメリカの詩人である。スウェーデン移民の子として生まれ、13歳で中学を中退し、日雇い労働者となった。さまざまな職業を経ながら、三十八歳のときに出した詩集『シカゴ』で一躍名を馳せる。
『シカゴ詩集』には全部で百四十六篇の詩が収録されており、「シカゴ詩篇」「少しばかり」「戦争詩篇」「道とその終わり」「霧と火」など七つのグループに分けられている。
ここで採った詩は、「道とその終わり」の表題作である。

 

「シカゴ詩篇」では、シカゴで魚を売ったり、土方をしたりして生きるひとびとや、地下鉄や公園の風景が歌われ、また「霧と火」には、"At a Window"のように、「わたしに餓えを与えてください」と言いつつ「しかし、小さな愛だけは残しておいてください」とそっと祈る、チャーミングな詩もある。

サンドバーグの詩はどれも平明でわかりやすく、韻も凝ったものではない。「道とその終わり」も、特に難解なことばもイメージもない。それでも"Slim birds swift of wing"と口にしてみると、ほんとうにしなやかな鳥が羽ばたいていくのが見えるような気がする。
なんともいえず健康で、若くて、力にみなぎる詩だ。




その4.受け容れられることのない悲しみ

Travelogue For Exiles   by Karl Shapiro
 追放者たちのための旅行記 ――カール・シャピロ

Look and remember. Look upon this sky;

 見よ、そして記憶せよ。この空を見るのだ、

Look deep and deep into the sea-clean air,

 海のように澄む虚空を、深く深くのぞきこめ、

The unconfined, the terminus of prayer.

 限りのない、祈りのゆきつく場所を。

Speak now and speak into the hallowed dome.

 いまこそ語れ、聖堂の天井に向けて語るのだ。

What do you hear? What does the sky reply?

 何が聞こえる? 空はなんと答える?

The heavens are taken: this is not your home.

 天は奪われた。ここはおまえの家ではない。


Look and remember. Look upon this sea;

 見よ、そして記憶せよ。この海を見るのだ、

Look down and down into the tireless tide.

 疲れを知らぬ潮の流れを、深く深くのぞきこめ、

What of a life below, a life inside,

 下の命はどうなっている、水底の命は、

A tomb, a cradle in the curly foam?

 墓か、うねる泡の揺りかごか?

The waves arise; sea-wind and sea agree

 波は立ち上がり、風と海は唱和する。

The waters are taken: this is not your home.

 水は奪われた。ここはおまえの家ではない


Look and remember. Look upon this land,

 見よ、そして記憶せよ。この地を見るのだ、

Far, far across the factories and the grass.

 工場と草地を、遠く遠く越えて

Surely, there, surely they will let you pass.

 そうだ、あそこなら、きっとおまえを入れてくれるだろう。

Speak then and ask the forest and the loam.

 ならば森や土に話し、訊ねてみるがいい

What do you hear? What does the land command?

 何が聞こえる? この地はなんと命ずる?

The earth is taken: this is not your home.

 地は奪われた。ここはおまえの家ではない。

* * *

読んで心地よく、わかりやすい詩というと、これを思い出した。
英語は得意ではない、という人も、ぜひ英語で読んでみてほしい。
韻律もきれいにそろっているし、頭韻も踏んである。とにかく読んで心地よい詩なのである。

内容は一転、重い詩である。シャピロがユダヤ系の詩人であることを考えると、これは故郷を追われたイスラエルの民の詩とも読めるし、もっとひろく社会に受け容れられることのないひとびとをExilesと読んだのかもしれない。
またTravelogue of Exiles(追放者たちの旅行記)ではなく、Travelogue for Exiles(追放者のための旅行記)なのはなぜなのか、詩人は追放者たちの一員ではないのか、など、さまざまに考えることもできるだろう。

一連目、高い空を「のぞきこむ」、のぞきこむ、というのは、目よりも下の位置にあるものの見方ではないのか? それでもシャピロは、空を「深く深くのぞきこめ」という。そうすることで、自分が空に吸い込まれていくような気がするかもしれないし、逆に、天と地がひっくり返ったような、めまいにも似た感覚を覚えるかもしれない。
天に向かって聞く、つまり神に向かって「そこに自分の居場所があるか」と訊ねるのが一連目の趣旨であるとすると、二連目は海、すなわち生命が生まれるところ、そして死んで還っていくところでもある。追放者はそこでも拒まれる、つまり、生と死からも拒まれるのである。三連目、工場と草地のあるそこは、人々の生きる場所だ。そこでなら受け容れられるのではないか。しかし、そこでもまた拒まれる。
救いのない詩なのだけれど、不思議に陰気な感じはしない。それは、空や海の透明なイメージであり、軽やかな音の響きのためだろう。

1913年生まれのシャピロは、エリオットやパウンドのつぎの世代の詩人であり、先行する世代を知性偏重主義、と批判する。分析をこばみ、観念を表現する手段ではなく「詩のために詩を読む」ことを提唱する。

そういうシャピロの詩であるから、解釈よりもなによりも、「ルック・アンド・リメンバー」と声に出して読んでみてほしい。高い空を深く深くのぞきこむ、めまいのするような感覚を味わってほしい。そして、「ディス・イズ・ノット・ユア・ホーム」と言われたときの悲しみを感じてほしい。




英語の詩を読む その5.子どものころの輝くような記憶


FERN HILL   By Dylan Thomas
ファーン・ヒル   ――ディラン・トマス
Now as I was young and easy under the apple boughs
ぼくが幼くて、なんの憂いも知らなかったころ、林檎の木の下、
About the lilting house and happy as the grass was green,
 楽しげな家のまわりで、緑の草のように幸せだったころ、
The night above the dingle starry,
    渓谷の夜空は星が瞬き、
Time let me hail and climb
    時は その絶頂で
Golden in the heydays of his eyes,
    金色に輝くぼくに 歓声をあげさせ、舞い上がらせた
And honoured among wagons I was prince of the apple towns
    荷馬車に囲まれたぼくは、林檎の町の王子
And once below a time I lordly had the trees and leaves
    時の流れもまだ知らぬころ、王者のように木々や葉を従えて
Trail with daisies and barley
    雛菊や大麦といっしょに歩いていった
Down the rivers of the windfall light.
    思いがけない贈り物のように光り輝く川に沿って。


And as I was green and carefree, famous among the barns
ぼくがこどもで、なんの苦労も知らなかったころ、納屋たちの間で有名だったころ
About the happy yard and singing as the farm was home,
    幸せな庭のまわりで、農場を我が家と歌っていたころ、
In the sun that is young once only,
    ただ一度だけの若い陽光のなかで
Time let me play and be
時はぼくを遊ばせ、金色に染めた 
  Golden in the mercy of his means,
  時はその恵みを与えてくれたのだ、
And green and golden I was huntsman and herdsman, the calves
  緑と金色に彩られたぼくは 狩人で、牧人だった、
Sang to my horn, the foxes on the hills barked clear and cold,
子牛は角笛にあわせて歌い、丘の狐は澄んだ冷たい声で啼いた
And the sabbath rang slowly
安息日の鐘はゆるやかに響いていった
In the pebbles of the holy streams.
聖なる小川の小石の間まで。


All the sun long it was running, it was lovely, the hay
太陽のあるかぎり、陽はかけめぐり、陽は美しく、
Fields high as the house, the tunes from the chimneys, it was air
  牧草地には屋根ほども高く干し草が積み上げられ、煙突からは調べが流れ出る、
And playing, lovely and watery
陽はそよ風となり、踊り、快く水を含んで
And fire green as grass.
火は草のように緑に燃える。
And nightly under the simple stars
夜ごと無邪気な星のもと
As I rode to sleep the owls were bearing the farm away,
ぼくが眠りに漂っていくと、梟は農場を遠くへ運んでいった、
All the moon long I heard, blessed among stables, the nightjars
月のあるかぎり、ぼくは厩に囲まれて祝福され、聞いていた
Flying with the ricks, and the horses
夜鷹が干し草の山といっしょに飛び、
Flashing into the dark.
馬が闇のなかへと身を躍らせるのを。


And then to awake, and the farm, like a wanderer white
やがて目覚めると、農場は放浪者のように、
With the dew, come back, the cock on his shoulder: it was all
露に白く濡れ、戻ってくる、その肩に雄鶏をとまらせて。
Shining, it was Adam and maiden,
すべては輝き、アダムと乙女になった、
The sky gathered again
  空はふたたび寄り集まって
And the sun grew round that very day.
太陽はその日丸くなる。
So it must have been after the birth of the simple light
だから回転を始めた空間に あの一条の光が生まれたあともこんなだったにちがいない。
In the first, spinning place, the spellbound horses walking warm
魔法にかかった馬はゆっくりと歩いていく
Out of the whinnying green stable
いななきがこだまする緑の厩を出て
On to the fields of praise.
賛美に満ちた平原へ。


And honoured among foxes and pheasants by the gay house
狐や雉は取り囲んでぼくを崇めた 楽しい家の傍らで
Under the new made clouds and happy as the heart was long,
生まれたばかりの雲のした、豊かな心は幸せに満ちて
In the sun born over and over,
なんども なんども 生まれ変わる太陽のもと、
I ran my heedless ways,
ぼくはむこうみずに駆け回る、
My wishes raced through the house high hay
ただ願うのは屋根ほども高い干し草を駆け抜けること
And nothing I cared, at my sky blue trades, that time allows
青い空とやりとりしながら、ぼくはなにひとつ気にかけることはなかった
In all his tuneful turning so few and such morning songs
時が音楽を奏でながら変化していくなかで こんなにもめずらしい朝の歌を聞かせてくれるけれど
Before the children green and golden
    緑と金色に彩られたこどもたちが
Follow him out of grace.
恩寵を離れ、時の後につづいていくまえに


Nothing I cared, in the lamb white days, that time would take me
子羊のように真っ白い日々のなか、ぼくはなにひとつ気にかけなかった、
Up to the swallow thronged loft by the shadow of my hand,
つばめのむらがる屋根裏に 時がぼくの手の影を引っ張っていったことも
In the moon that is always rising,
いつも照らしている月の光のなかで、
Nor that riding to sleep
眠りに落ちるときも
I should hear him fly with the high fields
ぼくは時が高地といっしょに飛ぶのを聞いていなければならなかったのに
And wake to the farm forever fled from the childless land.
子どものいない国から逃げてきた農場に気がついていなければならなかったのに
Oh as I was young and easy in the mercy of his means,
ああ、ぼくが時のめぐみのおかげで 幼くて なんの憂いも知らなかったころ
Time held me green and dying
ときはぼくをつかまえて 若さと死を結びつけていたのだ
Though I sang in my chains like the sea.
ぼくは鎖に繋がれても 海のように歌っていたけれど。

 
* * *

ファーン・ヒルは、ディラン・トマスが生まれたウェールズにある丘の名前である。トマスの伯母の農場があった。実際にその農場で子ども時代を過ごしたのだろう。

この詩を知ったのはPat Conroyの"Prince of Tides"(『潮流の王者』というタイトル、真野裕明訳で早川書房から出ている。ほかにバーバラ・ストライザンドが監督して映画化もされている)という小説のなかだった。
主人公の高校教師は、この詩を読むたびに涙が出てくる、というのだ。
もちろん小説のタイトル"Prince of Tides"も、詩の一節"prince of the apple towns"から来ていることは言うまでもない。そればかりでなく、この詩がウェールズの農村部で過ごした少年の日々が追憶されているように、その小説では、サウスカロライナで育った幼年時代と「現在」が二重写しされている。

英語の詩はむずかしい、という。散文よりさらに、訳を通じて意味をつかまえることも、見ず知らずの土地をイメージすることもむずかしい。それでも、あふれんばかりの色のイメージ、金色に輝く太陽と、緑の木々は印象派の絵を見ているような気がする。
もっと深くわかりたい、この詩の深いところにふれたい、と思いながら、ずいぶん時が過ぎた。

ディラン・トマスはイギリス、ウェールズを代表する詩人である。
1914年生まれ、1930年代のイギリスの詩壇の、非常に知的で左翼的で社会心理学の影響を色濃く受けた「ニュー・カントリー」派の詩人が支配していたところへ、19歳の全く無名の新人トマスが、個人の魂を謳った「緑の導火線を通して花を駆り立てる力」という、詩壇そのものを揺るがすような詩をひっさげて華麗に登場した。
その作品は愛好者も多く、ボブ・ディラン(本名はロバート・アレン・ジママン)の名の由来ともなっている。

トマスの詩は、とくに初期のものは難解で知られている。
とりわけ、言葉に象徴性と多義性を持たせようとして、多くの言葉を創り出し、複雑な構文で書いた初期の作品は、一つの言葉が動詞と受け取られたり、名詞と受け取られたり、批評家の見解も一致していない。
トマスのなかでももっとも有名で、比較的わかりやすい、とされるこの詩でも"once upon a time"をもじった"once below a time"ということばによって、時の流れという観念が、意識のうえに乗っていないことを意味している。

だれもが小さなころは、その世界の王だった。草も木も人間と変わりなく、さまざまな動物と「会話を交わす」ことができた。だが、その小さな王さえも、時の流れとは無縁でいられない。その若さのなかに、すでに死は胚胎しているのである。

光があふれ、鮮やかな色彩のなかであるからこそ、秘められた闇は深く、かなしい。






初出Feb.18-24, 2005、改訂Feb.28, 2005



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