ここでは Robert Sheckley の "The Prize of Peril" の翻訳をやっています。
これは1958年に発表されたSF短篇です。
アメリカ人の夢をかなえる機械として、テレビ受信機は1950年代初頭から爆発的に普及していきます。そうしてドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」の大ヒットなど、50年代半ばには早くも娯楽の中心を占めるようになりました。
ちょうどそんな時期に発表された「近未来」を想定したこの短篇の世界は、不思議なほどわたしたちの「現在」と似ています。発表年さえ見なければ、とてもSFとは思えないでしょう。
過去から見た「未来」とわたしたちの「現在」が、この短篇のなかで交錯しています。
原文はhttp://arthursclassicnovels.com/arthurs/sheckley/prizep10.html
で読むことができます。
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危険の報酬
by ロバート・シェクリィ
レイダーはおそるおそる窓の下枠から目だけをのぞかせた。非常階段が見え、その先は狭い路地だ。そこには雨ざらしの乳母車とゴミ罐が三つ。様子をうかがっていると、一番遠くの罐の陰から黒い袖がさっと出た。光るものを握っている。レイダーはとっさに首をすくめた。銃弾は窓を撃ち抜き、頭をかすめ、天井を砕いて、漆喰のシャワーを降らせた。
路地の状況はわかった。見張られている。ドアと同じだ。
ひび割れたリノリウムの床に、ごろんとあおむけになると、ドアの外の気配に耳をすませながら天井の弾痕をながめた。長身のレイダーの眼は血走り、二日ぶんの無精ひげが伸びている。顔は汚れと疲労に隈取られていた。恐怖のために顔の筋肉がこわばり、神経がひくひくとけいれんしている。ぎょっとするような形相だった。間近に迫る死のせいで、面貌が一変していた。
路地には銃を持った男がひとり、階段にはふたり。彼は追いつめられていた。もはや死んだも同然である。
ああ、そうだ。レイダーは考えた。まだ動いているし、息もしているが、それも死神のやつがもたもたしてるってだけの話だ。だが、もう何分かしたら片をつけにくる。死神はおれの顔も体も穴だらけにするだろう。服は血で結構な色合いに染まっちまうだろうし、この手も足も、墓場バレエ団のグロテスクなポーズを取らされるんだ……。
レイダーはきつく唇を噛んだ。死ぬのはごめんだ。何か方法があるはずだ。
身を反転させて腹這いになり、給湯設備もない、薄汚いアパートの一室を見回した。殺し屋たちに追われてここに逃げ込んできたのだ。ちっぽけな一間きりの部屋は棺桶にうってつけだ。ドアはあるが見張りがいるし、非常階段も同様。あとは窓のない浴室があるだけだった。
浴室まで這っていき、そこで立ちあがった。天井には十センチ四方のぎざぎざの穴がひとつ開いている。この穴を広げたら、上の部屋に上がれるんじゃないか……。
くぐもった音が聞こえる。殺し屋は辛抱強くないのだ。ドアを破ろうとしているらしい。
天井の穴を調べた。考えてもムダだ。穴を広げているような暇はない。
ドアを破ろうと、うなり声をあげながら体当たりを続けている。じきに錠が引きちぎられるか、腐りかけた柱からちょうつがいが吹っ飛ぶかするにちがいない。そうして破ったドアから無表情な殺し屋がふたり入ってくる。上着の埃をはたきながら……。
だが、かならず助けがあるはずだ! ポケットから小型テレビを取り出した。画面がぼやけているが、わざわざ調節するには及ばない。音の方は雑音もなく、はっきりと聞こえる。
大勢の視聴者に向かって話しかけるマイク・テリーのめりはりのきいた声に、彼も耳を傾けた。
「……恐ろしい事態になりました」テリーは告げた。「そうです、みなさん、ジム・レイダーは、まさに絶体絶命の窮地に追い込まれているのです。みなさんも覚えていらっしゃるように、彼はこれまで偽名を使って、ブロードウェイの三流のホテルに潜伏していました。ここなら安全と思われました。ところがベルボーイが彼に気がつき、情報をトンプソン一味にたれこんだのです」
ドアが繰りかえされる攻撃に悲鳴をあげている。レイダーは小型テレビをにぎりしめ、耳を凝らした。
「ジム・レイダーは、きわどいところでホテルから逃げおおせました。あわやというところで、ウェスト・エンド街156番地のブラウンストーンのテラスハウスに飛び込んだのでした。屋根づたいに逃げようとしたのです。うまくいくはずでした、視聴者のみなさん、確かにうまくいくかに思えたのです。ところが屋根に通じるドアに鍵がかかっていた。万事休す、と思われました……。ですがレイダーはアパートの七号室が空き部屋で、しかも鍵がかかっていないことを発見したのでした。彼はその部屋に飛び込みました……」
テリーは効果を高めるために一息置いたあと、声の調子を上げた――「そうしていまや彼はそこにとじこめられてしまったのです。まさに袋のネズミです! トンプソン一味はいまドアを破ろうとしています! 非常階段にも見張りが! カメラ・クルーが付近の建物にいます。クローズ・アップをお届けしましょう。みなさん、よくごらんください! ジム・レイダーにはもはや一縷の望みもないのでしょうか?」
おれには一縷の望みもないのか? レイダーは声に出さず繰りかえした。暗く、息も詰まりそうな狭苦しい浴室で、間断なくドアにぶつかるくぐもった音を聞きながら、冷や汗を流していた。
「ちょっと待ってください!」マイク・テリーが叫んだ。「がんばれ、ジム・レイダー、もう少しがまんしろ。望みがあるかもしれない! たったいま、視聴者の方から緊急電話が入りました。“善きサマリア人”専用回線に電話があったのです。君を助けられるという方からの電話だよ、ジム。聞いているかな、ジム・レイダー?」
レイダーは待った。腐った柱からちょうつがいが吹き飛んだ音が聞こえてくる。
「お話ください」マイク・テリーが言った。「お名前は?」
「ああ……フェリックス・バーソロモウです」
「心配なさらなくていいんですよ、バーソロモウさん。話を聞かせてください」
「はい。……レイダーさん」老人のふるえる声が聞こえてきた。「わしは昔、ウェスト・エンド街156番地に住んどりました。レイダーさん、あんたがいま閉じこめられているそのアパートですな――で、その浴室は、レイダーさん、窓があったんです。上からペンキを塗ってしまったんだが、窓が――」
レイダーは小型テレビをポケットに押し込んだ。窓枠を探り当て、蹴破った。ガラスが割れ、日の光が降り注ぐ。窓の敷居に散ったギザギザの破片を払いのけ、急いで下をのぞいた。
コンクリート敷きの中庭まで、かなりの高さがある。
ちょうつがいがはずれた。ドアが開く音がする。急いでレイダーは窓によじのぼり、いったんぶらさがってから、飛び降りた。
衝撃が襲う。よろめきながら立ちあがった。浴室の窓から顔がのぞいた。
「逃げやがったな」男が言うと、身を乗り出して、銃身の詰まった38口径で慎重にねらいをつけた。
その瞬間、浴室内部で発煙弾が炸裂した。
弾は大きく外れた。殺し屋はこちらに背を向けて悪態をついている。さらに何本かの発煙弾が中庭で炸裂し、レイダーの姿を隠してくれた。
ポケットの小型テレビからマイク・テリーの興奮した声が聞こえる。「さあ、逃げるんだ!」テリーは叫んでいた。「走れ、ジム・レイダー、命がけで走れ。いまのうちに、発煙筒の煙で殺し屋どもの目が見えなくなっているあいだに逃げるんだ。それから“善きサマリヤ人”のサラ・ウィンターズさんに感謝するのを忘れるな。発煙弾五発を寄贈してくださり、それを投げる人物まで雇ってくださったんだからな」声を落としてテリーは続けた。「ウィンターズさん、あなたは今日、ひとりの人物の命を救ったんですよ。視聴者のみなさんに聞かせてあげてください、あなたがどのように……」
レイダーにはその先を聞いている暇はなかった。煙の立ちこめる中庭を駆け抜け、物干しロープをかいくぐって、表通りへ出ていった。
長身を隠そうと背を丸め、疲労と空腹、それに睡眠不足のせいで、ふらつきそうになる足をふみしめて、63番街を歩いた。
「ちょっとそこのあんた!」
レイダーは振り返った。中年の女がブラウンストーン造りの家の前の階段に腰をおろし、眉をひそめて彼を見ている。
「あんた、レイダーでしょ? 殺されそうになってる人だね」
レイダーはそのまま歩いていこうとした。
「うちへおいでよ、レイダー」女が言った。
これは罠にちがいない。だがおれは一般人の好意と親切に頼らざるを得ないのだ。おれは一般人の代表、一般人が自分を投影させる像、ヤバい事態に巻き込まれた平凡な男ってわけだ。みんながいてくれなければ、おれは負けだ。だが、みんながいてくれさえすれば、おれは大丈夫なんだ。
大衆を信じろ、とマイク・テリーも言った。大衆は君を悪いようにはしない、と。
女のあとについて客間に入った。女は、すわんなさい、と言ってから部屋を出ると、すぐにシチューの皿を持ってきた。彼が食べているあいだ、立ったまま、動物園の猿がピーナツを食べるのを見るような目つきで眺めていた。
子供がふたり、台所から出てきて、彼のことを穴のあくほど見つめた。オーバーオールを着た男も三人、寝室から出てきて、テレビ・カメラの焦点を彼に合わせる。その部屋には大型テレビがあった。レイダーは、がつがつとむさぼりながら、画面に映ったマイク・テリーを眺め、彼の力強い、心の底から心配しているような声に耳を傾けた。
「みなさん、ここに彼がいます」テリーは言った。「ジム・レイダーはいま、この二日間で初めて、まともな食事を取っているところです。わたしたちのカメラ・クルーがみなさんに映像をお届けしようと、現場に張り込んでいたのです。クルー諸君、どうもありがとう……。みなさん、ジム・レイダーは63番街343番地のミセス・ヴェルマ・オデールの下で、ほんのひととき、安らぎの場所を得ることができました。「善きサマリヤ人」のオデールさん、どうもありがとう。ありとあらゆる分野でこれほど多くの人びとが、ジム・レイダーを応援してくださっているとは、ほんとうにすばらしいことではありませんか!」
「あんた、急いだ方がいいよ」ミセス・オデールが言った。
「そうですね、奥さん」レイダーは答えた。
「あたしんとこでドンパチやられちゃ困るからね」
「もう行きます」
子供のひとりが聞いた。「あいつら、おじさんのこと、殺そうとしてるんだろ?」
「黙ってな」ミセス・オデールが言った。
「そうだよ、ジム」マイク・テリーも木霊のように言った。「君は急いだ方がいい。殺し屋たちは君のすぐ後ろに迫っているんだ。奴らだって馬鹿じゃないよ、ジム。極悪非道なアウト・ロー、常軌を逸した連中ではあるが、馬鹿なんかじゃない。彼らは君の血の跡をたどってるんだ――手の傷から血が流れているんだよ、ジム」
レイダーはそれで初めて、窓の下枠に手をついた拍子にそこを切っていたのを知った。
「さあ、包帯を巻いてあげるよ」レイダーは立ちあがると、包帯を巻いてもらった。手当をすませたミセス・オデールは、茶色い上着と、灰色のつばのひろい帽子を出してくれた。
「主人のものだけど」彼女は言った。
「みなさん、彼は変装しました!」マイク・テリーはうれしそうに叫んだ。「これは新しい展開です! 変装とは! あと七時間で彼は安全になるのです!」
「さあ、もう出てってよ」ミセス・オデールが言った。
「ええ、行きます」レイダーは言った。「奥さん、どうもありがとう」
「あんたも馬鹿な人だよ」と彼女が言った。「こんなことにかかずらわるなんて、ほんと、馬鹿だよ」
「そうでしょうね、奥さん」
「まったく割りの合わない話さ」
レイダーは夫人に礼を言うと、そこを出た。ブロードウェイを歩き、地下鉄に乗って59番街まで行ってから、今度はアプタウン行き各駅停車に乗り換えて、86番街に向かった。そこで新聞を買うと、マンハセットまでの直通急行に乗った。
地下鉄はうなりをあげてマンハッタンの地下を走る。レイダーは包帯を巻いた手を新聞の下にし、帽子を下げて顔を隠して、うとうととまどろんだ。まだ見つかってないだろうか? トンプソン一味をふりきったのか。それとも、いまこのときにも、誰かが連中に電話をかけているところだろうか。
なかば夢心地で、自分は死神の手から逃げおおせたのだろうか、と考えた。それとも生きているように見えるだけの死体で、あちこちうろつきまわっているのも、死神の不手際のせいかもしれない(やれやれ、きょうびの死神は、えらくぐずぐずしてるんだな! ジム・レイダーときたら、死んでから何時間も徘徊したあげく、埋葬される直前まで、聞かれたことに返事までしていたらしいぞ!)。
レイダーははっとして目を開いた。夢を見ていたような気がする……気味の悪い夢だ。だが、その内容は思い出すことはできなかった。
ふたたび目を閉じると、厄介ごとに首を突っこむ前の日々が不意に思い出されて、なんだか奇妙な気がした。
二年前のこと。彼は図体ばかり大きい、気のいい青年で、トラックの運転助手を務めていた。とりたてて才能があったわけでもない。控えめな彼にはこれといって夢もなかった。
そんな彼の代わりに夢を見てくれたのが、きつい顔つきの小柄な運転手だった。「ジム、おめえ、テレビに出てみないか? おめえほど見栄えがすりゃ、おれだったら絶対そうしてるぜ。テレビじゃ平凡な好青年ってやつが好きなんだ。とりたててぱっとしねえやつがな。一般出場者としてぴったりなんだ。だれでもそんなやつが好きだからな。ちょっと調べてみちゃどうだ?」
言われるまま、彼は調べてみた。近所の電気屋の店主がもっと詳しい話を教えてくれた。
「ジム、世間はもう、鍛え上げられた運動選手がどれだけすばらしい反射神経を見せようが、プロ根性を見せつけようが、そんなものには飽き飽きしてるんだよ。だれがそんな連中に感動できる? 感情移入できる? 確かにみんな、ワクワクするようなものは見たい。だがな、ご立派な連中が、年に五万ドル稼ぐような見せ物はお呼びじゃないんだ。だから、きちんとお膳立てされたスポーツ番組は、どれも不調なのさ。代わりにスリル番組がヒットしてるんだ」
「なるほどなあ」とレイダーは答えた。
「六年前、議会は任意自殺法を通過させた。当時、古い議員連中は自由意思だの自己決定権だのさんざん言い合ったもんだ。だが、そんなヨタ話なんてどうだっていい。問題はその法律が本当は何を意味してるかってことだ。そいつはな、素人がでかい賞金目当てに、自分の命を危険にさらしたってかまわない、ってことだ。プロがやるんじゃなきゃな。昔はプロのボクサーやフットボールやホッケーの選手にでもならなきゃ、頭を殴られて金を稼ぐことは法で禁じられていた。だが、いまじゃ一般人にもそのチャンスが回ってきたってわけだ。おまえさんのような人間にもな、ジム」
「なるほどなあ」レイダーはまたそう言った。
「これはどでかいチャンスだぞ。そいつをつかまえるんだ。おまえにはこれといって並はずれたところはないだろう、ジム。おまえにできることなら、ほかの誰だってできる。おまえはまさにふつうの人間だ。だからスリル番組にうってつけなんだよ」
レイダーは夢を見てもいいのかもしれない、と思った。才能もなければ訓練も受けていない、気のいいだけの若い者にとって、テレビに出ることは金持ちになる確実な道かもしれなかった。そこで『一か八か』という番組に、写真を同封して手紙を出したのだった。
『一か八か』は彼に興味を持った。JBC局は調査し、その結果彼がまったくの凡人、鵜の目鷹の目の視聴者さえ、文句のつけようがないことがわかった。親兄弟や関係者に至るまでが調べられた。そうしてついにニューヨークに呼ばれ、ミスター・ムーランの面接を受けたのだった。
ムーランは色の浅黒いエネルギッシュな人物で、しゃべるあいだもガムを噛むのをやめない。「君ならいけるよ」と語気鋭く言った。「だが『一か八か』じゃない。『転落』に出るんだ。3チャンネルの昼間の30分番組だ」
「そりゃすごい」レイダーは言った。
「礼はまだ早い。一位か二位になれば賞金千ドル、負けても残念賞が百ドル。だがそんなものはたいしたことじゃない」
「そうなんですか」
「『転落』なんてつまらんショーだよ。JBCじゃ試しに使ってるんだ。『転落』で二位以内に勝ち残った者は、つぎの『非常事態』に進める。『非常事態』の賞金は、はるかに高額だ」
「それは知ってます」
「もし君が『非常事態』でいい仕事ができたら、今度はトップクラスのスリル番組、『一か八か』や『海底危機一発』が待っている。こいつらは全国ネットで放送するし、賞金もとんでもない額だ。そうしてそこからがいよいよ本番だ。どこまでいけるかは、君にかかっている」
「ベストをつくします」レイダーは言った。
ムーランは少しの間、ガムを噛むのをやめて、おごそかともいえる口調で言った。「君ならやれる、ジム。だが、忘れるんじゃない。君はありふれた人間だ。ありふれた人間というのはな、なんだってできるんだ」
その言い方を聞いていると、レイダーはつかのまミスター・ムーランが気の毒になった。色の黒い、ちりちり頭で飛び出した目のミスター・ムーランは、どう考えてもありふれた人間には見えなかったからだ。
ふたりは握手を交わした。そのあとレイダーは、自分が競技中に生命や四肢を損なったり、精神状態に異常をきたしたとしても、JBCに対しては一切責任を問わないという内容の誓約書にサインした。さらに、任意自殺法に基づく権利を行使する、という別の誓約書にもサインした。これは法が求めるだけで、単に手続き的なものということだった。
三週間後、彼は『転落』に出た。
番組はごく一般的なモーターレースの形式で行われる。経験のないドライバーが馬力のあるアメリカやヨーロッパのレース・カーに乗り込んで、30qを超す危険きわまりないコースを競うのである。大型のマセラティに乗せられたレイダーは、いきなりギヤの操作を誤って発車し、恐怖におののいていた。
車が悲鳴を上げ、タイヤの焦げる臭いの充満する、悪夢のようなレースだった。レイダーは後方に留まって、先行集団が早々に逆バンクのヘアピンで曲がり損ねてぶつかり合うのを見ていた。目の前を走るジャガーが進路を外れてアルファロメオにぶつかり、二台ともがうなりをあげて掘り返した空き地に突っ込んでくれたおかげで、レイダーは三位にすべりこんだ。スピードを上げて残り5qというところで二位になったが、抜かそうにも抜ける場所がない。S字カーブにつかまりかけたが、なんとか車体を路上に戻して、三位をキープした。すると、あと15mというところで先頭の車のクランクが折れ、なんと二位でゴールすることができたのだった。
いまや賞金千ドルを獲得したのだ。ファンレターも四通来たし、オシュコッシュに住む女性がアーガイル模様の靴下を編んで送ってくれた。さらに『非常事態』の出場権を得たのだった。
ほかの番組とはちがって、『非常事態』は競技番組ではなかった。この番組が重きを置いているのは、個々人の独創性である。番組の前にレイダーは習慣性のない麻酔剤を打たれて意識を失う。目が覚めるとそこは小型飛行機のコックピット、パイロットもおらず、高度10,000mを飛んでいたのだった。燃料計の針は、ほとんどゼロを指している。パラシュートもない。自力で飛行機を着陸させなければならないのだった。
もちろん、彼には飛行機で飛んだ経験などない。
先週の出場者が潜水艦のなかで意識を取り戻し、間違ったバルブを開けて溺れ死んだことを思い出しながら、なんとか自分を励まして試行錯誤を続けた。
何千という視聴者が、自分と同じ平凡な人間が、自分が置かれるかもしれないような情況で格闘するのを見守った。ジム・レイダーは自分だ。彼にできることなら自分にだってできる。彼はありふれた人間の代表なのだから。
レイダーはどうにか機体を着陸態勢に近いところまでもっていって、おろすことができた。彼自身、何度となく吹き飛ばされそうになったが、シートベルトがそれを押さえてくれた。しかも、予想に反してエンジンが火を噴くこともなかった。
肋骨を二本折った彼は、よろよろしながら降りてきて、三千ドルと、傷が治ったら『闘牛』に出場する権利を得たのだった。
ついにトップクラスのスリル番組がまわってきた! 『闘牛』の賞金は一万ドルである。彼は、ただ、訓練を重ねた本物の闘牛士のように、名高いミウラ牧場の闘牛を刺し殺せばいい。
闘牛はアメリカ本国では非合法なので、その競技はマドリードで行われた。それが全米で放映されるのある。
レイダーには強力なカドリーラ、闘牛助手がついていた。彼らは図体の大きい、動作の鈍いアメリカ人に好意を持っていた。ふたりいる馬に乗ったピカドールは、槍を構え、彼のためになんとか牛の動きを遅くしてやろうとした。バンデリロたちも小槍を投げる前にけんめいに走って、牛が立っていられないほど疲れさせた。そうして副闘牛士、アルヘシラス出身の憂鬱そうな顔つきの男は、あざやかなケープさばきで、牛の首をへしおらんばかりにしてくれた。
とうとうジム・レイダーが闘牛場に立つ番がやってきた。赤いムレタを左手で不器用に握りしめ、右手に剣を構え、重さ一トン、黒い、血を流している巨大な角をした闘牛と向かい合ったのだ。
誰かが叫んだ。「おい、肺を狙うんだ。英雄を気取るんじゃない、やつの肺を刺せ」
だが、ジムが知っているのは、ニューヨークの技術指導者が教えてくれたことだけだった。剣を構えて角の間をねらえ。
レイダーは襲いかかった。剣は骨にはじき飛ばされ、彼は牛の背に放り上げられた。それでも立ちあがることができたのは、奇跡的に角で突かれずにすんだためらしい。別の剣を取り、今度は目をつぶって角の間に突き立てた。子供や愚者を護る神が見守っていてくれたにちがいない、針をバターに刺すように剣はすっと入っていき、驚いた牛は、まさかこんなことが、といわんばかりのまなざしで彼をまじまじと見たあとで、しぼんだ風船のように、がくりとくずおれたのだった。
彼は賞金の一万ドルを手にし、やがて骨折した鎖骨も癒えた。二十三通のファンレターを受け取り、そのなかには返事は出さなかったものの、アトランティック・シティに住む女の子からの情熱的な誘いの手紙も含まれていた。テレビ局からは、さらに別の番組への出演の打診があった。
彼はもう、純真無垢とばかりはいえなくなっていた。自分がはした金で殺されかけたことを、骨身にしみて思い知らされていたのだ。この先は大金である。そのときの彼は、どうせ殺されるのなら、それに見合う金のために殺されたいと考えるようになっていた。
そこで彼はフェア・レディ石鹸がスポンサーになっている『海底危機一発』に出ることにした。ダイビング・マスクと水中呼吸装置、重量ベルトとフィンとナイフを装備して、他の四人の競技者とともに温かなカリブ海の底に潜るのだ。カメラ・クルーは防護柵に守られながら彼らを追う。スポンサーが海底に隠した宝物のありかを探して取ってくるのがその目的だった。
ダイビング自体はとりたてて危険なものではない。だがスポンサーは視聴者の興味をそそるために、いくつかの趣向を凝らしていた。その領域に、巨大な二枚貝やウツボ、さまざまな種類のサメや大ダコ、毒サンゴ、そのほか、深海を危険にするためのさまざまな配備を行ったのである。
危機感あふれる競技となった。フロリダ出身の男が岩の深い割れ目で宝物を見つけたが、ウツボに見つかった。別のダイバーがそれを手に入れたが、今度はサメにつかまった。目の覚めるような青緑色の水がぱっと血で染まる、その映像は見事にカラー・テレビに映えた。宝物はまた海底に沈み、レイダーはそれを追いかけて潜ったが、途中で鼓膜が破れた。毒サンゴにひっかかっているのを拾い上げ、重量ベルトを捨てて、浮かび上がろうとした。海面まであと9メートルというところで、もうひとりの宝探しをしているダイバーと争う羽目になった。
前へ後ろへとフェイントをかけながらナイフで戦う。男がレイダーの胸に斬りかかった。だがレイダーは百戦錬磨の競技者らしい落ち着きをもって、ナイフを捨てると相手の口から呼吸装置をむしり取った。
それで決着がついた。レイダーは海面に浮かび上がると、宝物を予備のボートに向かって掲げた。宝物はフェアレディ石鹸が入った箱だった――「宝のなかの宝」。
これで二万二千ドルの賞金と賞品を手に入れ、308通のファン・レターを受け取った。ジョージア州メイコンに住む女の子からの誘いには興味をそそられ、彼も真剣に考えてみた。ナイフで負った傷や破れた鼓膜、サンゴかぶれのために受けた注射などの治療費は、すべて彼の負担にはならなかった。
だが最高だったのは、スリル番組の最高峰ともいえる『危険の報酬』への招待を受けたことである。
そうして、このときから本物の苦難が始まったのだった……。
地下鉄が停車し、うとうとしていた彼ははっとして目を覚ました。レイダーは帽子を押し上げて、通路の向こうの席を見渡した。男がひとり、じっと彼を見つめながら、横にいるがっしりした女に何ごとか耳打ちした。気づかれてしまったのだろうか?
ドアが開くが早いか立ち上がり、時計に目を走らせた。まだ五時間残っていた。
マンハッタン駅でタクシーに乗り、運転手にニュー・セイラムに行くよう伝えた。
「ニュー・セイラムですね」ドライバーは、バックミラーに映った彼の顔をじろじろ見ながら聞き返した。
「そうだ」
運転手はカチッと鳴らして無線を入れた。「ニュー・セイラムまでお客さんだ。そう、そういうことだよ、ニュー・セイラムだ」
車は発車した。レイダーは険しい顔で、いまのが何かの合図だったのではないか、と考えた。もちろんタクシーの運転手が係員に行き先を告げるのは、別におかしなことではない。だが、運転手の声には何かある……。
「ここでいい」レイダーは言った。
運転手に金を払い、細い田舎道を歩き始めた。その先にはまばらな雑木林がある。木立ちの丈が低い上に、木と木の間隔が離れているので、隠れられそうもない。レイダーは身を潜める場所を探しながら歩き続けた。
一台の大型トラックが近づいてくる。彼は帽子を目深にかぶって歩き続けた。トラックが近づいたとき、ポケットのテレビから声が聞こえた。「危ない!」
身をひるがえして溝に飛び込んだ。辛くもかわしたところで、猛然と走り過ぎたトラックは、キーッとタイヤをきしませて止まった。ドライバーの怒鳴り声がした。「逃げるぞ! 撃て、ハリー、撃つんだ!」
レイダーが林に飛び込むと、弾が落ち葉の雨を降らせた。
「またもやピンチです!」マイク・テリーがうわずった声で叫んでいる。「ジム・レイダーは早まって安心してしまったのではないでしょうか。そんなことをしちゃいけない、ジム! 自分の命は危険にさらすようなことをしちゃいけない! 殺し屋に追われているようなときに! 気をつけるんだ、ジム、君はまだ四時間半、逃げ続けなければならないんだよ!」
運転手が話している。「クロード、ハリー、トラックで回り込むんだ。やつはもう袋のネズミだ」
「やつらは君を袋のネズミにしたと言ってるぞ、ジム・レイダー!」マイク・テリーが叫んだ。「でも、やつらはまだ君を捕まえてはいない! なにより君は『善きサマリア人』であるニュージャージー州サウス・オレンジのエルム街12番地のスージー・ピーターズさんにお礼を言わなければいけないよ。ピーターズさんはトラックが君を轢こうとしたときに、悲鳴を上げて教えてくれたのだから。まもなくそのスージーさんがステージにきてくださいます……さて、みなさん、局のヘリコプターが現場に到着しました。みなさんにもジム・レイダーが走っているところがご覧になれますね、殺し屋たちが跡を追い、包囲しようとしているのも……」
レイダーは林のなかを100メートルほど走ると、舗装道路に出た。向こうにはまばらな木立ちが見えた。殺し屋のひとりが彼を追って林を走ってくる。トラックがふたつの道を結ぶ道路を走り、彼のところから2キロもない位置にまで迫っている。
一台の車が反対側からやってきた。レイダーは道路に飛び出し、むちゃくちゃに手を振った。車は止まった。
「急いで!」運転していた若いブロンドの女が叫んだ。
レイダーは飛び乗った。女はそこでUターンした。弾が当たってフロントガラスが粉々に割れた。女はアクセルを踏み、ひとりで立っている殺し屋はねとばしそうになりながら車を走らせた。
トラックからの射程圏内に入る前に、車はどんどん離れていく。
レイダーは座席に身を預け、目をきつく閉じた。女はバックミラーに映るトラックを見ながら、一心不乱に運転している。
「またもや動きがありました!」マイク・テリーが恍惚としたような声を上げた。「ジム・レイダーは、ここでもまた、死のあぎとより引き上げられたのです。『善きサマリヤ人』であるニューヨーク・シティ、レキシントン街433在住のジャニス・モロウさんに感謝しましょう。こんな場面をこれまでに見たことがあったでしょうか、みなさん。ミス・モロウは弾丸が降り注ぐなかを走り抜け、ジム・レイダーを地獄の縁から助け出したのです! のちほどミス・モロウにインタビューして、感想をうかがうことにしましょう。さて、ジム・レイダーが急いで逃走しているあいだ――おそらく無事に、さらなる危機の待つ方へ進んでいるあいだ、スポンサーからの短いお知らせをお送りいたします。チャンネルはそのままで! ジムが安全の身になるまでにはまだ四時間十分ありますからね。予断は許しませんよ!」
「いいわよ」と女が言った。「いまは放送されてない。レイダー、あなたいったいどうちちゃったのよ」
「え?」レイダーは聞き返した。女は二十代の初めだろう。見るからに有能で、しかも魅力的、近寄りがたい雰囲気があった。きれいな顔立ちだ。しかもスタイルもいいのにレイダーは気がついた。おまけになんだか腹を立てているらしい。
「お嬢さん」彼は言った。「お礼の言葉もないよ……」
「正直にいうと」ジャニス・モロウは言った。「あたしは『善きサマリア人』なんかじゃない。JBCの局員よ」
「じゃ、番組がオレを助けてくれたのか!」
「そのとおり」
「なんでまたそんなことを?」
「あのね、これはお金がかかってる番組なのよ、レイダー。わたしたちはみんな、うまくやらなきゃならないの。視聴率が下がりでもしたら、道ばたでリンゴ飴でも売らなきゃならなくなっちゃう。なのにあんたときたら、ちっとも協力してくれないんだから」
「協力って何を? 何でまた?」
「だってあんたがトンチキだから」女は吐き捨てるように言った。「ダメなんだから、ドジばっかり踏んで。自殺でもするつもり? どうやって生き延びたらいいか、ここまでなんにも知らずにきたの?」
「これでも精一杯やってるつもりなんだけど」
「トンプソン一味はこれまでに十回以上、あんたを殺せたのよ。わたしたちが、落ち着くんだ、先へ延ばせ、って引き留めてきたの。だけど、まるでクレー射撃用の180センチの的が、さあ撃ってくれ、って突っ立ってるようなものじゃないの。トンプソン一味だってこれまで協力してくれてたけど、いつまでもお芝居を続ける必要があるわけじゃない。もしあたしが来てあげなかったら、やつら、あんたを殺してたわよ――放送時間が残ってようがいまいが」
レイダーは呆然と彼女を見た。こんなかわいい女の子が、どうしてこんなことを言うのだろう。彼女はちらりと彼に目をやり、すぐに背後の道路に視線を戻した。
「そんなふうにあたしを見ないで!」彼女は言った。「お金のために自分の命を危険にさらしたのはあんたなんだからね、このバカ。すごい大金なのよ! あんただってわかってるでしょ。何も知らない雑貨屋の小僧が、おっかないあんちゃんたちに追いかけられてるのに気がついた、なんて顔をするのはやめて。そんな筋書きじゃないんだから」
「わかってる」レイダーは言った。
「うまく生き延びられないんだったら、せめてうまく死んでよね」
「本気でそんなこと言ってるわけじゃないんだろ?」レイダーは言った。
「どうかしらね……。番組が終わるまで、あんたはまだ三時間と四十分もあるのよ。うまく持ちこたえられるのなら、それは結構。賞金はあんたのもの。だけど、たとえそれがムリでも、なんとか賞金のために逃げようとぐらいはしてちょうだい」
レイダーは彼女を見つめたまま、うなずいた。
「もうじきあたしたちはまたテレビに映っちゃう。車のエンジンがおかしくなっちゃって、あんたは降りることになるのよ。トンプソン一味は、いま全員総出。見つけ次第、あんたを殺すわよ。わかった?」
「わかった」レイダーは言った。「もしおれがうまく逃げられたら、いつか会ってくれる?」
彼女は怒って唇を噛んだ。「あたしをからかってんの?」
「そうじゃない。ただ、また会いたいと思って。会えるかな?」
まじまじと彼の顔を見た。「わかんないわ。そんなことは忘れて。もう映るから。たぶん、一番可能性がありそうなのが、右手の林だと思う。準備はいい?」
「いいよ。で、どこへ連絡したらいい? もちろん終わったら、の話だけど」
「もう、レイダーったら、何を寝ぼけたことを言ってるの。林を抜けて、水の涸れた渓谷まで行くの。そんなにたくさんはないけど、なんとか隠れられそうなところがあると思う」
「どこへ連絡したらいい?」レイダーはもう一度聞いた。
「電話帳のマンハッタン地区に載ってるわ」彼女は車を停めた。「オーケイ、レイダー。走るのよ」
彼はドアを開けた。
「待って」彼女は身をかがめて顔をよせ、彼の唇にキスをした。「頑張って、おバカさん。逃げ延びられたら、電話して」
それから彼は地面に降り立つと、林に向かって駆けだした。
樺と松の木立ちのあいだを走り、斜面のところどころに建つスキップフロアの家の前を過ぎていった。どの家も、大きな窓から一心に外を見ている顔がいくつものぞいていた。そんな家々のどこかから、一味にたれ込みがあったにちがいない。水の涸れた小さな渓谷の底まできたときには、連中がすぐ後ろに迫っていた。この静かな場所に住む、礼儀正しく法律を決して破ったりしないような人びとも、おれが逃げ延びることを望んではいないのだ。レイダーは悲しい気分でそう思った。おれが殺されるのが見たいのだ。それとも、すんでのところで殺されるのをまぬがれるのが見たいのか。
結局、同じことじゃないか。
谷底におりていくと、うっそうとした茂みに潜って身を横たえた。トンプソン一味が両側の斜面からおりてきて、ゆっくりと移動しながら、動くものの姿に目を光らせている。レイダーは息を殺して、すぐ脇を歩いていく彼らをやり過ごした。
リボルバーから発射された鋭い音が響いた。だが、殺し屋が仕留めたのはリス一匹だった。痙攣していたリスはすぐに動かなくなった。
茂みに横たわったまま、レイダーは頭上で旋回しているテレビ局のヘリコプターの音を聞いていた。カメラは自分の姿をとらえただろうか。ありそうなことだ。もしだれかそれを見たら。万一それが『善きサマリア人』なら。
そこで仰向けになって、ヘリコプターに向かって敬虔な表情を浮かべ、手を組んで祈った。視聴者はこれみよがしな信仰のポーズは好まないかもしれない。だから声は出さなかった。だが、唇は動かすことにした。これぐらいのことはしてかまわないだろう。
唱えたのは本物の祈りだった。以前、読唇術を身につけた視聴者がいて、ある逃亡者が祈るふりをしながら実際には九九を唱えていたことを見やぶったのである。そんな男をどうして助ける必要があろう!
レイダーの祈りが終わった。時計に目を走らせる。あと二時間ちょっとの辛抱だ。
死にたくはなかった。いくら金を積まれても、こんなことで死ぬのはごめんだ。まったく頭がどうかしていたんだ。あんな気ちがいじみた契約に同意してしまうなんて……。
だが、ほんとうはそうではなかったことを彼はよく知っていた。自分は徹頭徹尾、正気だったのだ。
ちょうど一週間前、彼はスポットライトもまばゆい『危険の報酬』のステージに立っていた。マイク・テリーが握手を求める。
「さて、レイダー君」テリーはおごそかな声で言った。「君がやろうとするゲームのルールはよくわかってるね?」
レイダーはうなずいた。
「ジム・レイダー君。もし君がこれを引き受ければ、一週間のあいだ、追われる身になるよ。殺し屋たちが君を追いかけるんだ、ジム。凄腕の殺し屋だ。ほかの罪状でお尋ね者になっている連中が、この一件のみ、任意自殺法が適用されるために免責扱いとなる。彼らは君を殺そうとするだろう。そのことはわかってるんだね?」
「わかってます」レイダーは言った。同時に、一週間生き延びれば、二十万ドルが手にはいることも了解していた。
「レイダー君、もう一度尋ねるよ。わたしたちは君に命を賭けるよう、いかなる強制もするつもりはないんだからね」
「おれがやりたいんです」レイダーは言った。
マイク・テリーは観客に向き直った。「紳士淑女のみなさん、わたしがここにもっているのは、徹底的な心理テストの結果報告です。これはわたしたちの申し出を受け入れたジム・レイダー君に対して、第三者機関が心理テストをおこなった、その結果なのです。ご希望の方にこの写しを25セントの送料をご負担いただいた上でお送りいたします。この結果によりますと、ジム・レイダー君の精神状態はまったく申し分なく、あらゆる面において責任能力に何ら問題はないとのことです」そう言うと、今度はレイダーの方を向いた。
「ジム、君はほんとうに競技への出場を希望するんだね?」
「はい。そうするつもりです」
「すばらしい!」マイク・テリーは叫んだ。「ジム・レイダー君、君を殺そうとする連中をお目にかけよう!」
ギャングのトンプソン一家が舞台に登場し、観客席からさかんにブーイングが浴びせられた。
「連中をよくごらんください、みなさん」マイク・テリーが軽蔑もあらわに言った。「どうです、みなさん。反社会的で、骨の髄まで冷酷、道徳心のかけらもない。連中にあるのは闇社会の常軌を逸した掟だけ、規範なんてものは通用しないんだ。彼らには誇りもありません。かりにあったとしても、雇われ殺し屋の腰抜けの名誉です。彼らは滅びゆく連中だ。彼らの行為をもはや許容しないわたしたちの社会で、滅びゆく連中、早晩、惨めな末路をたどることが宿命づけられた手合いなのです」
観衆は熱狂的な歓声をあげた。
「何か言いたいことはあるかね、クロード・トンプソン?」テリーは尋ねた。
クロード・トンプソン、トンプソン一家のスポークスマンがマイクの前に立った。きちんとひげを剃った、痩せて地味な格好をした男だった。
「思うんだが」クロード・トンプソンはしわがれた声で言った。「おれたちが世間の連中にくらべて格別悪どいってわけじゃない。戦争中の兵隊を見てみろ、人を殺すことには変わりないんだ。政府だって組合だって、同じことをやってるじゃねえか。みんな袖の下を取ってるんだ」
それがトンプソンにとっての精一杯の理屈らしかった。だが、マイク・テリーはいともたやすく、きっぱりとした口調で、殺し屋どもの言い分を完膚なきまでにうちのめす。テリーは相手を問いつめ、薄汚れた魂を刺し貫いた。
インタビューの終わるころには、クロード・トンプソンは汗だくになり、絹のハンカチで顔をぬぐいながら、子分の方にちらちらと目配せしていた。
マイク・テリーはレイダーの肩に手を載せた。「ここに君たちの獲物になることに同意した人物がいる――ただし、君たちに捕まえることができたら、の話だが」
「わけなく捕まえられるさ」トンプソンは言ったが、ここへ来てやっと落ち着きを取り戻したらしかった。
「いい気になるなよ」テリーは言った。「ジム・レイダー君は凶暴な牡牛とだって闘ったことがあるんだ――こんどの相手は小物だからな。彼はありふれた男だ。大衆の一員だ――最終的に、君や、君の同類を滅ぼしてしまう大衆のな」
「捕まえてやる」トンプソンは言った。
「それからもうひとつ」テリーがなごやかな調子で言った。「ジム・レイダー君はひとりじゃない。アメリカ中の人びとが彼の味方だ。全国至るところにいる偉大な人びとが、『善きサマリヤ人』として彼を助ける。武器も持たず、身を守るすべもないジム・レイダー君だが、みんなの助けと応援を味方につけているんだ。彼は大衆の代表なのだからな。いい気になるんじゃないぞ、クロード・トンプソン! ありふれた人びとはみなジム・レイダーの味方だ――ありふれた人びとの数は多いぞ!」
レイダーは茂みに横たわって、じっとしたまま考えていた。ああ、そうだ。みんなはおれを助けてくれた。だが、同時に殺し屋にも力を貸してきたんだ。
彼の体を悪寒が走った。おれが選んだことじゃないか。自分にそう言い聞かせる。責任があるのはこのおれだけだ。心理テストが証明しているじゃないか。
だが、彼をテストした心理学者にはいかなる責任もないのだろうか? 貧乏な男に大金をちらつかせたマイク・テリーには? 世間は首つり用の縄をない、彼の首にかけた。そうして彼がぶらさがり、それを人は自由意思と呼ぶ。
いったい誰の責任なんだ?
「あっ!」誰かが叫んだ。
レイダーが顔を上げると、でっぷり太った男がそばに立っていた。男は派手なツィードのジャケットを着ている。首から双眼鏡をぶらさげ、手にステッキを持っていた。
「なあ」レイダーはささやいた。「頼むから黙っていてくれ」
「おーい!」太った男は大声をあげると、ステッキでレイダーを指し示した。「ここにやつがいるぞ!」
こいつ、いかれてる、とレイダーは思った。この大馬鹿野郎はかくれんぼでもしてると思ってるらしい。
「ここにいるんだ!」男は腹の底から声をふりしぼった。
悪態をつきながら、レイダーは飛び起きて走り出した。渓谷を出ると、遠くに白い建物が見える。そちらに向かって走った。背後では、男の声がまだ聞こえていた。
「あっちだ、あっちへ行った。まったく、あほうどもが、あそこにいるのが見えないのか」
殺し屋たちが発砲を始めた。レイダーはでこぼこの谷底を転げるように走り続けていくうちに、三人の子供がツリー・ハウスで遊んでいるところにさしかかった。
「あいつだ!」子供たちが金切り声をあげた。「ここにあいつがいるよ!」
レイダーはうめき声をあげて走り続けた。建物の入り口の階段に近づいたところで、そこが教会であることに気がついた。
教会の扉を開けたところで、右膝の裏に銃弾が当たった。
倒れ込み、這いずりながら教会に入っていく。
ポケットのなかのテレビが言った。「みなさん、なんという、なんという幕切れでしょう! レイダーが撃たれました! 撃たれたんです、みなさん! 彼はいま這っています。痛みに耐えながら、それでも希望を失わず。ジム・レイダーは不屈です!」
レイダーは通路を進んで、祭壇のところで横たわった。子供たちの嬉々とした声が聞こえる。「やつはここに入ったよ、トンプソンさん。急いで、追いつけるから!」
教会は逃亡者をかくまってくれる聖域ではなかったのか? レイダーはいぶかった。
扉がさっと開いて、レイダーはもはやそのような風習はすたれてしまっていることを悟った。全身の力をかき集めて這いずりながら、教会の裏口から外へ出た。
そこは古い墓地だった。十字架や星をかたどった墓碑、大理石や花崗岩などの石造りの墓碑や粗末な木の墓標の横を這いながら進んでいく。弾が頭をかすめて墓石に当たり、破片が散った。這いずりながら墓穴の縁にきた。
みんな、おれをだましたんだ、と彼は思った。みんな、善良で、平凡で、まっとうな人たちだった。自分たちの代表だと言ってくれなかったか? 自分たちの一員としてかばってやると誓ってくれなかったか? 冗談じゃない。やつらはおれを憎んでいる。なんでおれはそれに気がつかなかったんだろう。やつらの英雄は、冷酷で虚ろな眼をした殺し屋なんだ。トンプソンやアル・カポネ、ビリー・ザ・キッド、若いロキンヴァー(※ウォルター・スコットの長詩「マーミオン」に出てくる騎士。結婚式のさなか、教会へ馬で乗り込み、花嫁を奪って去る)やエル・シド(※ムーア人と戦ったスペインの国民的英雄)、クーハラン(※アイルランド伝説の英雄)のように、人間らしい望みを抱いたり、恐れを感じたりすることもない連中なのだ。みんなが崇拝するのは、無表情で情け容赦ないロボットのようなガンマンで、その足下にひれ伏すことを渇望しているのだろう。
レイダーは何とか動こうとしたが、その口を開けた墓穴にずるずるとすべり落ちてしまった。
仰向けに横たわったまま、青空を見ていた。不意に黒い影がぬっとあらわれ、空をさえぎった。金属製の何かがきらめく。人影はゆっくりとねらいを定めた。
レイダーはあらゆる希望を永久に捨ててしまった。
「待て、トンプソン!」マイク・テリーのマイクで増幅された声が叫んだ。リボルバーがぐらついた。
「いま五時一秒だ! 一週間は終わった! ジム・レイダーが勝ったんだ!」
スタジオの観衆が拍手喝采して大騒ぎするのが聞こえた。
墓穴を取り囲むトンプソン一味は、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。
「彼は勝ったのです、みなさん、彼の勝利です!」マイク・テリーは叫んでいた。「ご覧ください、スクリーンをご覧ください! 警官が到着し、トンプソン一味を引き離しています――彼らが殺し損なった獲物から! 何もかもみなさんの、アメリカ全土の『善きサマリヤ人』であるみなさんのおかげです。みなさん、見てください、優しい手がジム・レイダーを墓穴から引き上げているところです。ここが彼の最後の隠れ家となりました。『善きサマリヤ人』のジャニス・モロウさんもそこに来ています。果たしてこれがロマンスの始まりとなるのでしょうか? ジムは気を失っているようです、みなさん。いま刺激剤を投与されたところです。二十万ドルの賞金を獲得したのです! さあ、ここでジム・レイダーに一言聞いてみましょう!」
一瞬、沈黙があった。
「変だな」マイク・テリーは言った。「みなさん、いますぐにはジムのコメントは聞けないかもしれません。医師団が診察しているところです。しばらくお待ちくだ……」
また沈黙が落ちた。マイク・テリーは額の汗をぬぐうと笑みを浮かべた。
「緊張のせいですね、みなさん、なにしろ恐ろしい緊張を体験したのだから。ドクターの話が入ってきました……えー、みなさん、ジム・レイダーは一時的に不安定な状態になってしまったようです。もちろん、ほんの一時的なものですからね! JBCは国内でも一流の神経科医と精神分析医を用意してありますから。この勇気凛々たる青年に対して、わたしたちは人道的見地から、可能な限りあらゆる手を講じることにしております。もちろん一切は局の負担によるものです」
マイク・テリーはスタジオの時計に目をやった。「さて、そろそろお別れの時間となりました。次回のグレート・スリル・ショーのお知らせをご覧ください。それからどうぞご心配なく。ジム・レイダーはまもなくわたしたちと一緒にみなさんにお目にかかることができるはずですから」
マイク・テリーはにっこりし、視聴者に向かってウィンクした。「彼は絶対によくなりますよ、みなさん。なにしろわたしたちみんなが応援しているんですからね!」
The End
テレビの時代
1950年代初め、アメリカでSFは大変な隆盛を見る。それまでSF専門雑誌に発表されるだけだった作品が、ペーパーバックとして広汎に売り出されるようになり、読者の裾野が広がったこと、アメリカ社会全体が豊かになり、人びとに余暇が生まれてきたこと、さらには実際の宇宙探査計画が始まって、それまで夢物語のように思われていた「月旅行」「宇宙旅行」が、一気に身近に感じられるようになったことも、その理由としてあげられるだろう。1985年の映画《バック・トゥ・ザ・フューチャー》でも、1955年当時高校生だったマーティの父親は、未来のSF作家を目指して、ひそかに小説を書きためていた。今日でもさかんに読まれているハインラインやブラッドベリ、アシモフなどによるSFの代表作も、この時期に書かれたものが非常に多い。
だが、それから半世紀が過ぎ、当時の作品を読んでいると、「未来」として想定された舞台が、現代のわたしたちにとっては過去になっているのもめずらしいことではなくなってしまっている。1950年に発表されたブラッドベリの『火星年代記』の「未来」の年表は、1999年から始まる。
2000年の大晦日があけて21世紀になったとき、これがあの21世紀か、と思ったものだった。車も空を飛んでいない、身の回りにロボットもいない、地下街はあっても地底都市はないし、海底にも住んでいない。火星を植民地にもしていなければ、太陽系の外にも出ていないし、宇宙人も(知っている限りでは)来ていない。
1950年代のSFが描いた21世紀をいま読んでみると、逆に何ともいえない懐かしさを感じる。科学技術に対する信頼と、それゆえの怖れ。世界はまちがいなく、いまとはくらべものにならないほど大きな変化を経験するはずだという確信。当時の人びとにとって、未来とはそんな世界だったのだ。
一方で、携帯電話やパーソナルコンピュータ、インターネットの普及に代表される、当時想像もつかなかった変化はあるにせよ、身の回りの多くは、半世紀前とどれほど変わっているのだろうか。当時のSF小説が描く世界との落差とは、結局は当時の未来観を含めた社会の受け止め方と、いまのそれのずれということなのだろう。
ところがこの短篇は、不思議なほど時代を感じさせない。「小型テレビ」ではなく、テレビ受信機能のついた携帯電話となっていれば、現代の作品と読んで少しもおかしいことはない。事件があればヘリコプターが頭上をやかましく旋回するところまで同じだ。
この違和感のなさは、テレビとわたしたちの関係が、当時と少しも変わっていないことから来るものではあるまいか。この作品を訳しているとき、たまたまテレビをつけたら、出演者が舞台に設定された中華街を逃げ回る、という《逃走中》という番組をやっていた。わたしはこんな番組があることを知らなかったのだが、以前から放映されている人気番組らしい。まさにこの番組のアイデアは「危険の報酬」だ。逃げ回るのは有名人だが(一般人にくらべて、わたしたちは彼らを多少なりとも「知って」いる)、複数でもあり(わたしたちはそのうちの誰かに感情移入できる)、追う「ハンター」たちは、黒服に黒いサングラスという「殺し屋」スタイル、最後に「報酬」が待ち、「台本」も「リハーサル」もない、とされている。「危険の報酬」のように、主役が殺される可能性はないことはわかっていても、それなりにスリリングではあり、盛り上がる。おそらく半世紀前から同じような企画、同じような番組が、連綿と続いていたのにちがいない。
わたしたちは、テレビというのは、視聴率のためなら、やらせだろうが、非人道的なことだろうが、しかねないという思いがあるのだろう。「危険の報酬」に出てくる「スリル番組」はいくぶん極端だとは思うが、制作者がそんな非人道的なことをするはずがない、とは思わない。作品を読んで覚える違和感は、追いかける側にある。いったい誰が、世間を敵に回すような仕事を引き受けてくれるだろう。テレビ制作者の側から、巨額の金が支払われていることは想像に難くないが、それにしても、非難を浴びながら追いかけ、番組を引き延ばすために失敗して見せれば馬鹿にされ、首尾よく仕留めたところで抗議が待っている。そんな割の合わない仕事を引き受けてくれる人物なり団体なりが、別個に存在するはずがない。彼らが《逃走中》のハンターたちのように、完全にテレビ制作者の側が仕立て上げた存在なら納得もできるが、シェクリィは、彼らは本物の悪であると設定する。一般人が心の底であこがれ、支持しているのは、自分と同じの一般人レイダーではなく、強く冷酷な悪なのだ、と。ここらへんは、冷戦期の50年代と、何の対立軸も見えてこない現代の差だろうか。
SFがアメリカで大変な人気を博し、多くの雑誌につぎつぎと作品が発表された1950年代は、同時に、新しい娯楽としてテレビが各家庭に普及し始めた時期でもあった。この作品は1958年の年間ベストにも選ばれた作品であるが、このころ、テレビ番組は、「低俗さと暴力に満ち、創造性に欠け、ワンパターンに陥っている」(有馬哲夫『テレビの夢から覚めるまで ―アメリカ一九五〇年代テレビ文化社会史―』国文社)と批判されていたのである。
だが、テレビは一貫して、みずから求めて「低俗」を提供しているわけではないのだ。視聴率をにらみながら、「これならみんなが喜んでくれるだろう」と先を予測し、「善意」で差し出すその結果が、「低俗さと暴力」「ワンパターン」となってしまうのである。
その昔、経済学者のケインズは「為替相場」を「美人コンテスト優勝者あて投票」になぞらえてみせた。投票で求められるのは、美人を見きわめる能力ではなく、「みんなが美人と思うのは誰か」を見きわめる能力で、投資に要求される能力も、それとまた同じだというのである。これと同じで、テレビ番組の送り手側は、「みんなが美人と思うのは誰か」と考えて、選んだ「美人」が「低俗で、暴力的で、ワンパターン」ということになってしまうらしい。そしてまた、視聴率の高い番組を「みんなが見ているから」という理由で見てしまうわたしたちは、「みんな」と自分が同じか、「みんな」と同じ人に投票しているかどうか、確認しないではいられないのだろう。
作品の最後で、レイダーはあまりの恐怖のために狂気に陥ったことが暗示されている。だが、その恐怖というのは、「みんなが美人と思う」対象として名指しされた存在は、もはや「みんな」のなかには決して戻っていけないことを知った恐怖だったのかもしれない。
初出Jan.04-11 2009 改訂Jan.25, 2009
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