「話し上手」
ある暑い日の昼下がり、汽車の客室のなかも蒸し暑く、つぎの停車駅テンプルクームに着くまでは一時間ほどあった。客室には小さな女の子と、それよりさらに小さな女の子、それと小さな男の子がいる。子供たちの伯母さんが隅の席を陣取り、反対側の隅には、彼らとは赤の他人の独り者の男が腰を下ろしていたが、わがもの顔で客室を占領していたのは、女の子ふたりと男の子だった。伯母さんといい子供たちといい、くちゃくちゃと延々しゃべり続け、追えども寄ってくる、こうるさいハエのようである。伯母さんが口にするのは「だめよ」で始まるせりふ、子供たちのほうは「どうして」で始まるせりふと決まっているらしい。独身男はひとこともことばを発しなかった。
「だめよ、シリル、だめですよ」伯母さんが金切り声を出す。男の子が座席のクッションを叩きだしたのである。一撃ごとに埃がもうもうと立ち上り、雲を作っていた。
「こっちへきて窓の外を見てごらんなさい」
男の子はしぶしぶと窓際へ来た。「どうしてあの羊は原っぱから追い出されてるの?」
「もっと草のある別の原っぱへ連れていかれるところなのよ、きっと」答える伯母さんの声には自信がない。
「だけどあそこだっていっぱい草があるよ」男の子は抗議した。「っていうか草しかないじゃないか。伯母さん、あの原っぱにはほんとに草がうんとあるよ」
「たぶんほかの原っぱのほうがいい草があるのよ」と伯母さんは説得力のないことを言った。
「なんでそっちのほうがいいの」すぐに当然の疑問が返ってくる。
「あら、あっちに牛がいるわ!」伯母さんは大きな声を出した。線路沿いに広がる草地には、これまでにもいたるところに牝牛や牡牛がいたのだが、まるで、めずらしい生き物だから見てごらん、とでも言いたげである。
「どうしてほかの原っぱの草のほうがいいの?」シリルと呼ばれた子は追求の手をゆるめなかった。
独身男の顔の寄せた眉間の皺はいよいよ深くなり、渋面になった。なんて思い遣りがないんでしょう、冷酷な人にちがいないわ、と伯母さんは胸の内で断じた。ほかの原っぱの草については、満足させられそうな解答を与えることなど、とうていできそうになかったのだ。
小さい方の女の子は、気晴らしにキプリングの『マンダレイへの道』を暗唱することに決めたらしい。知っているのはどうやら第一行目だけのようだが、その限られた知識を可能なかぎり十全に利用した。第一行目ばかりを、夢みるような、しかし、毅然とした響き渡る声で、何度も何度も繰りかえす。独身男は、だれかが彼女と、休みなしに二千回繰りかえすことはできないだろう、と賭けをしたにちがいない、と思ったのだった。それが誰であったにせよ、負けるのは彼の方らしい。
「こっちへいらっしゃい、お話をしてあげるから」と伯母さんが言ったのは、独身男が自分に二度、非常通報コードに一度、目をやったからである。
子供たちはのろのろと伯母さんのいる隅の方へ寄っていった。伯母さんの語り手としての評判は、どう見ても芳しいものとはいいがたいようだ。
やたらにさしはさまれる、大きな声の、おもしろがっていないことがあきらかな質問に中断を余儀なくされながら、伯母さんは低い声で、めりはりもなくひどく退屈な話を始めた。それは善良な小さな女の子が、その善良さゆえにすべての人から愛され、その道徳的な性質を愛する多くの人々によって、最後は猛々しい暴れ牛から救われる、という話だった。
「その人たち、もしその子がいい子じゃなかったら、助けてあげなかったのね?」と大きい方の女の子が聞いた。これは独身男も気になっていた点だった。
「まあ、そんなことはないんじゃないのかしらね」伯母さんはしどろもどろになりながらも答えた。「でもその子がそこまで好きじゃなかったら、そんなふうに大急ぎで走っていって助けたりはしなかったと思いますよ」
「これ、わたしがいままで聞いたお話のなかで、一番ばかみたいなお話ね」大きい方の女の子が確信をこめて断言した。
「ぼくなんか最初のほう、ちょこっと聞いただけだった。だってくだらないからさ」とシリルも言った。
小さい方の女の子は、話について実際に論評することはなかったが、ずいぶん前からお気に入りの一節を、小さな声で繰りかえし暗唱していた。
「どうやらお話はうまくいかなかったみたいですね」と、急に独身男が隅から声をかけた。
むっとした伯母さんは、この予期せぬ攻撃に対してたちまち防御網を張った。
「子供たちに十分理解できて、そのうえなお、おもしろいお話をしてやるのは、簡単なことじゃございません」と切り口上で答えた。
「そうでしょうか」
「あら、ずいぶんお話がなさりたいご様子ね」伯母さんはやり返した。
「お話してちょうだい」大きい女の子がせがんだ。
「むかしむかし」と独身男は話しだした。「あるところにバーサというすばらしく良い子供がおりました」
一瞬かきたてられた子供たちの興味は、たちまち風前の灯火となった。あまねくお話というものは、だれが話したところで、つくづく変わり映えのしないものらしい。
「バーサは言われたことはなんでもするし、嘘なんてついたことがないし、お洋服は汚さない、牛乳のプリンだってジャム・タルトとおんなじくらいにおいしそうに食べるし、お勉強はよくできるし、おまけにお行儀まで良かったんだよ」
「その子、かわいかった?」大きい方の女の子が聞いた。
「君ほどじゃなかったな。そのかわり、おっそろしく良い子だったんだ」
お話を支持する反応が小波のようにひろがっていった。「おっそろしく」という言葉と「良い子」の結びつきがめずらしく、興味深げな印象を与えたのである。そこには伯母さんの話に出てくる子供たちの生活にはない、真実の響きがあった。
「バーサは良い子だったから、ごほうびにいくつもメダルをもらって、ピンで留めて肌身離さず身につけていた。ひとつはいいつけをよく守ったごほうび、二つ目は時間をきちんと守ったごほうび、それから三つ目はお行儀が良かったごほうび。どれも大きい金属のメダルでね、歩くたびにカチンカチンと鳴ったのさ。バーサの町には三つもメダルを持っているような子はほかにはいなかったから、それを見た人はみんな、バーサは特別に良い子供なんだ、ってすぐにわかったんだよ」
「おっそろしく良い子だったんだね」シリルが繰りかえした。
「みんながバーサがどんなに良い子か、いつも話していたから、とうとうその国の王子様の耳にまで届いたんだ。そこで王子様は言った。そんなに良い子なら、一週間に一度、余の庭園に立ち入ることを許してつかわすぞ、って。町はずれにその庭園はあったんだけどね。それはそれは美しい庭園で、いままでそこに入るのを許された子供はひとりもいなかったから、バーサに入るお許しが出たというのは、たいそう名誉なことだったのさ」
「庭園には羊がいた?」シリルが聞いた。
「いや」独身男は答える。「そこには一匹もいなかった」
「なんで羊はいなかったの?」その答えから、必然的に新たなる質問が生まれた。
伯母さんはそっと笑みを浮かべたが、それはほとんど「ほくそ笑み」と形容されるたぐいのものだった。
「庭園に羊がいなかったのは、王子様のお母さんが夢でお告げを聞いたからなんだ。あなたの息子は羊に殺されるか、さもなくば時計が落ちてきて死ぬであろう、ってさ。だから王子様は庭園に羊を飼うことはなかったし、王宮には時計もなかったんだよ」
伯母さんは感嘆のあまり洩らしそうになったため息を呑みこんだ。
「王子様は羊に殺されるか時計が落っこちるかして死んじゃった?」シリルが聞いた。
「まだ生きてるんだ、だからその夢が正夢かどうかはわからない」独身男は平気な顔で答えた。「ともかく、庭園には羊はいなかった。だけどそのかわりに小さなブタがたくさんいて、そこらじゅうを走りまわってたんだ」
「何色のブタだった?」
「黒くて顔だけ白いやつとか、白くて黒いぶちのあるやつとか、真っ黒のやつとか、灰色でところどころ白くなったやつとか、真っ白なやつもいたな」
語り手は少し間をおいて、この庭の宝のようすが子供たちの脳に深く浸透していくのを待った。やがて話を続けた。
「バーサはちょっぴり残念だった。そこにはお花がなかったからね。伯母さんに約束してたんだよ、目に涙をいっぱいためて。わたし、王子様のお花は一本だって摘んだりしないわ、ってね。もちろんその約束は守るつもりでいたから、摘もうにも一本もないとなると、なんだかちょっとばかみたい、って思っちゃったのさ」
「どうしてお花がなかったの?」
「ブタが全部食べちゃったからさ」独身男はすかさず言った。「庭師が王子様に言ったんだ。おそれながら陛下、ブタと花の両方を育てるわけにはまいりません、って。そこで王子様はブタを飼うことにして、花はあきらめたのさ」
王子の卓越した決断に同意するつぶやきが洩れた。たいていの人なら逆を選ぶだろうに。
「庭園にはほかにもたくさんすばらしいものがあった。池には金色と青と緑の魚が泳いでいたし、木にはきれいなオウムが何羽も留まっていた。このオウムはすぐに賢いことを答えてくれるんだよ。ほかにもそのときどきのはやり歌をハミングするハチドリもいた。バーサはあちこち歩き回って心から楽しみながら、こう思った。『もしわたしがこんなに特別に良い子じゃなかったら、このきれいなお庭に入れてもらえることもなかったし、お庭のいろんなものを見て、楽しく過ごすこともできなかったんだわ』ってね。おまけに歩くたびに三つのメダルがカチカチ鳴るもんだから、自分がこれまでどれほど良い子だったか、歩くたびに思いだしていたんだよ。ちょうどそのときだ、ものすごく大きなオオカミが庭園に忍びこんで、太った子豚を一匹、晩ご飯にしてやろうと思って探しに来たんだ」
「オオカミは何色だった?」俄然、興味をかき立てられて子供たちは尋ねた。
「全身、泥の色さ。舌は真っ黒、灰色の目は言葉にできないくらい残忍な光がギラギラしている。庭園に入って最初に目に留まったのがバーサだった。バーサのエプロンドレスは染みひとつない、真っ白だったから、遠くからでもよく見えたんだ。バーサもオオカミに気がついたし、そのオオカミが自分の方にそっと近寄ってきているのにも気がついて、ああ、こんなことならお庭になんか入れてもらわなきゃよかった、と思った。
それから走りに走ったんだけど、オオカミときたらどんどん追いかけてくる。やっとのことでヒメツルニチソウの植え込みのところにたどりついて、そのなかの一番深い繁みのなかに隠れた。オオカミは枝のあいだをクンクン嗅ぎ回る。真っ黒い舌はだらりと垂れてるし、灰色の目は怒りに燃えている。バーサはもう震え上がっちゃって、こう思った。
『もしわたしがこんなに特別に良い子じゃなかったら、いまごろ町にいて、安全だったのに』って。
だけどヒメツルニチソウは匂いが強いから、オオカミはバーサがどこにいるか、嗅ぎ当てることができなかったし、繁みも深かったから、あちこち探しても姿を見つけ出せそうにもなかった。だからここはもうやめて、かわりに子豚を捕まえることにしようと思った。ところがバーサはオオカミがすぐ近くで嗅ぎ回るもんだから、もうガタガタ震えちゃって、いいつけをよく守ったごほうびのメダルが、お行儀が良かったメダルと時間を守ったメダルにぶつかって、カチカチ音を立てたんだ。その音が、そこを離れようとしていたオオカミの耳に聞こえた。オオカミは立ち止まって、耳をそばだてた。すぐ近くの繁みのなかから、もういちどカチンという音がした。灰色の目が、残忍そうに、勝ち誇ったように光ったかと思うと、オオカミは繁みに飛びこんで、バーサを引きずり出して、最後の一口までむさぼり食った。あとに残ったのはバーサの靴と、服の切れ端と、ごほうびの三つのメダルだけだった」
「子豚たちは殺された?」
「いいや。みんな逃げちゃったからね」
「お話、最初はおもしろくなかったけど」小さい方の女の子が言った。「おしまいがサイコーだった」
「いままでにこんなステキお話、聞いたことない」大きい方の女の子は、断固たる確信をこめてそう言った。
「ぼくが聞いたなかでほんとにカッコイイ話はこれだけだ」シリルが言った。
伯母さんの口からはそれに同意しかねる旨の意見が述べられた。
「小さな子に聞かせるのに、これほどふさわしくない話もないもんだわ。おかげでもう何年も辛抱して教えてきたことが、おじゃんになってしまったんですよ」
「ともかく」独身男は自分の荷物を集めて客室を出る準備をしながら言った。「ぼくはこの子たちを十分間は静かにさせましたよ。ぼくの方が話がうまかったってことにはなりませんか」
「気の毒なご婦人だ」彼はテンプルクーム駅のプラットフォームを歩きながら考えた。「これから半年かそこらは、あの子たちは伯母さんにしつこくせがむだろう。人前だろうとなんだろうと、あの不道徳的な話をしてくれって」
The End
「博愛主義者と幸せな猫」
ジョカンサ・ベスベリーは満ち足りて幸福感にどっぷりと浸っていた。彼女の住む世界は居心地のよいものだったが、いまはその世界も、なにもかもが最高の様相を呈しているように思われるのだ。時間をやりくりして家に戻った夫のグレゴリーは、昼ご飯を慌ただしくすませ、これから居心地のいい場所に腰を落ちつけて一服しようとしているところである。昼食は楽しかったし、コーヒーとタバコを味わう時間もあった。食事も、そのあとの一服も、それぞれにすばらしいし、グレゴリーだって、ほんとうにすばらしい夫。ジョカンサは自分のことも相当に魅力的な奥さんだと思っていたし、洋服の仕立てに関しては、第一級の腕前ではなかろうかと思っていた。
「チェルシー全部を探したって、わたし以上に幸せな人間はいないはずよ」ジョカンサは自分を評してそう言った。「たぶん、アタブは別だろうけど」ソファの隅にのんびりとねそべっている大きなぶち猫に目をやりながら続けた。「あそこに寝そべって、喉を鳴らしながら夢心地ね。いま、脚の位置を変えたでしょ、クッションが気持ちよくてご満悦なんだわ。柔らかい、絹だとかヴェルヴェットだとか、鋭いところがどこにもないものに命を与えたら、あの子になるんだわ。夢みる子の哲学は、眠ることと眠るにまかせることね。そのくせ、夕方になったら、あの子、目をきらりと赤く光らせながら庭に出て、眠そうなスズメの息の根を止めちゃうの」
「スズメなんてものは、ひとつがいで一年のうちに十羽以上も雛を孵すんだ、なのにエサになるものは増えるわけじゃないだろ、だからアタブの一党が午後のお楽しみにそういうことを企てるのは結構なことなんだよ」グレゴリーは言った。知的な意見を開陳したところで、もう一本タバコに火をつけると、おどけた仕草で、行ってくるよ、とキスをすると、外に出ていった。
「忘れないで、今夜、晩ご飯は少し早いのよ。ヘイマーケット劇場に行くんだから」ジョカンサはその背に向かって声をかけた。
ひとり残ったジョカンサは、ふたたび自己満足的でもあり内省的でもある目で、自分の生活を見回した。たとえこの世で望むものすべてを手に入れることが不可能であるとしても、すくなくとも自分が手に入れたものは十分満足できるものである。たとえばこの居心地の良い場所だ。快適で上品、しかも豪勢という条件すべてを満たすようにしつらえられている。磁器の置物は珍しいもので美しいし、中国製の七宝焼きは、火明かりのなかですばらしく映える。絨毯も壁飾りも、豪華な色のハーモニーに目を奪われるばかりだ。この部屋は、大使や大主教をもてなすにふさわしいような部屋でもあったし、それでいて、スクラップブックに張るために切り抜いた写真を散らかしていても、この部屋の神々に対して恥じいる気持ちを抱かせない部屋でもあった。この部屋と同じように、家全体がそうだったし、家がそうであるように、ジョカンサの生活のほかの面もそうだった。チェルシーで一番の幸せ者と考えるのも、まことに十分な理由があったのである。
自分の運命に対するわきたつような満足感は、やがて周囲の何千という人々、退屈し、貧乏で、何の楽しみもない人々に向けた同情へと移っていった。女工や店の売り子といった、貧しいゆえの気ままさも享受できず、かといって有閑階級でもない人々のことをジョカンサは同情心した。若い人たちが、一日の長い仕事を終えて、たった一人で冷え冷えとしてわびしい寝室に腰をおろしていることを思うと、悲しくてたまらなくなるわ。その人たちは一杯のコーヒー、ひと皿のサンドイッチさえレストランで食べる余裕もないんだもの、まして一シリング払って天井桟敷の切符なんて買えやしないのだわ。
ジョカンサはこうしたことで頭をいっぱいにしたまま、昼下がりのあてもない買い物に出かけていった。どんなに心がやすらぐだろう、と思う。もしわたしが何かしてあげられたら、ひとりでもふたりでもいい、わびしい思いと空っぽのポケットを抱えた労働者に、とっさに何か思いついて、ちょっとした楽しみやおもしろいことをさせてあげられたら。それなら、今夜、お芝居を見に行くときも、いっそう楽しめるはず。
ジョカンサは、人気があるお芝居の最上階の席を二枚買おうと考えた。安っぽい軽食堂にでも行って、興味をひかれる労働者の女の子に会ったなら、さっそく、さりげなく会話に加わって、そのチケットをプレゼントすることにしよう。理由ならこう説明すればいい。わたしは行けなくなったのだけれど、ムダにするのももったいないし、かといって送り返すのも面倒なのよね。さらに考えたあげく、切符は一枚だけの方がいい、さびしそうな顔でひとりぼっちのつましい食事をしている女の子にあげればいいんだわ、と結論を出した。そうすれば彼女は劇場で隣に坐った人と、なんとかして知り合い、末永く続く友情の礎石を築くかもしれない。
おとぎ話に出てくるような、主人公を助ける妖精になりたい衝動にかられて、ジョカンサは切符売り場へ勇んで出向くと、細心の注意を払って最上階の席をひとつ選び出した。芝居は『黄色い孔雀』で、いま話題だったし、批評にも取り上げられている。それからジョカンサは軽食堂を探しに行き、いよいよ博愛主義の実践に乗り出したのと同じころ、アタブはぶらぶらと庭を歩きながら、スズメの捕獲に向かって精神を集中させていたのだった。
ジョカンサはチェーン店の軽食堂の一隅に空席を見つけると、さっそくそこに落ち着くことにした。隣の席に若い女が座っていて、さして器量も良くないし、疲れたような、無気力な目をしてはいるが、悲惨な境を愚痴ることもなさそうな様子に引きよせられたのである。彼女の服は安っぽい素材ながらも流行のデザインで、髪はきれいだったが、肌の色つやは悪かった。お茶とスコーンというつましい食事を終えようとするところで、いままさにこの瞬間、ロンドンの軽食堂で食事を終えたり、食べ始めたり、食べている最中だったりする何千人の娘たちと、どこといってちがうところのない娘である。『黄色い孔雀』など見たことがない可能性は、きわめて高そうだった。どう見てもジョカンサのいきあたりばったりの慈善行為の第一歩を踏み出すには、願ってもない対象である。
ジョカンサは紅茶とマフィンを注文すると、隣に顔を向けて、にこやかな表情を浮かべながらじろじろと眺め、なんとか彼女の視線をとらえようとした。まさにその瞬間、娘の顔は急にうれしそうに輝き、瞳をきらめかせ頬を染めて、美しいといってもいいような顔になった。青年に向かって愛情のこもった言い方で「こんにちは、バーティ」と声をかける。こちらに歩いてきた青年は、娘の向かいの椅子に腰かけた。
ジョカンサはこの新しい登場人物をじろじろと眺めた。年はきっとわたしよりちょっと下ね、だけどグレゴリーよりずっとハンサム、いいえ、わたしが知っているどんな青年より整った顔立ちだわ。卸売倉庫か何かの礼儀正しい店員ってとこね。少しばかりのお給料で、せいいっぱいがんばって生活したり、遊んだりしているんだわ。そうやって、年に二週間ほど休暇を取るのよ。もちろん自分がハンサムだって気がついてる。だけど、アングロサクソン独特の自己意識からくる恥じらいがあるのよ、この人には。ラテン系やセム系に見られるように、あからさまな自己満足みたいなものは見受けられない。その話しぶりからすると、どうやら娘とは親密な間柄であるようで、おそらくこのままずるずると正式に婚約、という運びになるのだろう。
ジョカンサは青年の家を想像してみた。世間のあまり広くない、なにやかやと七面倒な母親は、夜、息子がどこで何をしているか、いつも詮索していることだろう。やがて単調で束縛された生活を出て、自分の家を構える。そこでは慢性的にポンドもシリングも、ペンスでさえも不足して、生活を楽しく、心地よくするようなものなどまったくないのだ。ジョカンサは青年のことが気の毒でしょうがなくなってきた。『黄色い孔雀』など見たことがあるかしら。見たことがない可能性はきわめて高かった。娘の方はずいぶんまえに食事を終えており、じきに仕事に戻るらしい。青年がひとりになれば、ジョカンサも話しかけやすくなる。
『宅の主人が今夜わたしを別のところに連れて行く予定を組んでしまいましたの。この切符をお使いになってくださいません、さもないと無駄になってしまいますわ』
それから、いつかのお昼にここにお茶を飲みにくればいい。そうして彼に会ったら、お芝居はおもしろうございました? とでも聞いてやろう。もし気持ちのいい青年で、親交が深まったらもっと切符をあげてもいいし、日曜の午後にでもチェルシーのわが家にお茶にいらっしゃいません? と誘ってみてもいい。ジョカンサは親交を深めることに心を決めた。それにグレゴリーも気に入るだろう。かくて妖精の仕事は、最初に思い描いていたものより、はるかにわくわくするものになってきたのだった。
青年は確かに二枚目だった。髪をどう整えたらいいか知っているのは、たぶんだれかの真似をしているのだろう。自分に似合う色のネクタイも知っている。そっちはきっと勘ね。彼はまさにジョカンサがうっとりするようなタイプである。もちろんこれも偶然なのだが。ともかく娘の方が時計に目をやって、親しみをこめて、だがあわただしく彼に別れを告げたとき、ジョカンサは少なからずうれしかった。バーティは「サヨナラ」とうなづいてみせると、お茶を一杯飲み、それからコートのポケットからペーパーバックを取りだした。『セポイとサヒブ ――インド叛乱の物語』という題名だった。
喫茶店でのエチケットとしては、赤の他人と目も合わさないうちに、劇場の切符を差し出すなど論外である。砂糖壺を取っていただけないかしら、と頼んだ方がいい。あらかじめ自分のテーブルに鎮座している大きな砂糖壺は隠しておくのだ。これは別にむずかしいことではない、印刷してあるメニューというのはたいがいテーブルと同じくらい大きいので、それを端に立てておけばよいのだから。ジョカンサは希望を胸に、その作業に取りかかった。ウェイトレスに向かって非の打ちどころのないマフィンの欠陥を甲高い声で長々とあげつらい、派手に悲しそうな声で、あるわけがないほど遠い郊外まで通じる地下鉄がないか尋ねてみたり、だれが見てもわざとらしく喫茶店の子猫に話しかけてみたり、とうとう最後の手段として、ミルク容器をひっくりかえし、上品に毒づいてみたりした。いずれもたいそうな注目は引いたのだが、ただの一瞬も、きれいに髪をなでつけた青年の目をとらえることはできなかった。彼の心は何千キロも彼方にある、やけつくようなヒンドゥスタン平原にあり、人影のない粗末な家や、人でごったがえす市場、騒々しい兵舎が集まった一角に取り巻かれ、タムタムの響きや遠くのマスケット銃の音を聞いていたのだった。
ジョカンサはチェルシーの家に帰っていったのだが、そこが不意に、初めて、つまらない、家具ばかりがひしめきあっているところのように見えた。晩ご飯のときもグレゴリーときたらきっとどうでもいいようなことばかり言うにちがいない、と疎ましかった。そのあとのお芝居だってくだらないだろう。彼女の心持ちは、満足に浸りきってのどを鳴らしているアタブとは、まったくちがったものになりはてていた。アタブときたら、ソファの隅で丸くなり、体のあらゆる曲線が醸す平和な空気は、周囲を満たしていた。
ところがアタブとしては、すでにスズメの殺戮の任務は遂行していたのだった。
The End
「立ち往生した牡牛」
テオフィル・エシュレイは画家を職業としており、いきがかり上、牛画家ということになっていた。そういっても農場を経営しているわけでも、酪農家というわけでもないし、角やら蹄やら、乳搾りのときに使う腰かけや、焼き印を押す鉄のこてなどに囲まれて暮らしているわけでもなかった。
彼の家は自然公園のような、別荘が点在する地域にあって、かろうじて「郊外族」という汚名からは免れていた。庭の一方は小さな、絵のような牧草地に隣接しており、商売気のある隣人が、そこで小さな、絵のようなチャネル・アイランド種の牝牛を飼っている。夏のお昼どきには、牝牛たちは膝まで届く牧草のなかに立ち、うっそうと繁るクルミの木漏れ日をまだらに受けて、その毛はハツカネズミのようにつややかに光らせていた。エシュレイは、クルミの木の下の安らかな二頭の乳牛、牧草と木漏れ日、というモチーフを思いつき、実行に移した。王立美術院は夏期展覧会の期間、同じモチーフの絵をしかるべく方式に則って展示していたのである。王立美術院はその傘下にあるものたちの従順さと系統的やりかたを称揚する。エシュレイはクルミの木の下で絵のようにまどろむ牛の絵を描き、成功裏に受け入れられた。そうしていったん始めたからには必要に迫られて続けたのである。
彼の《真昼の平和》クルミの木の下の二頭の焦げ茶色の牝牛の習作につづいて、《真昼のサンクチュアリ》、これは一本のクルミの木の習作で、木の下には二頭の焦げ茶色の牝牛がいた。以降順を追って《アブも踏むを怖るるところ》、《家畜の楽園》、《酪農地帯の夢》、いずれもクルミの木と焦げ茶色の牛の習作だった。二枚の野心作、自分の従来のやり方をうち破ろうとする試みは、手ひどい不評にさらされた。《ハイタカに怯えるキジバト》と《カンパニャーノ・ディ・ローマのオオカミたち》は箸にも棒にもかからない駄作という評価を得て、アトリエに送り返された。そうしてエシュレイは《まどろむ乳牛が夢みる木陰》という作品で、栄誉に返り咲き、衆目を集めたのだった。
晩秋のある気持の良い昼下がり、彼が牧草の習作に最後の仕上げをしていると、隣人のアデラ・ピングスフォードがアトリエのドアをものすごい勢いでガンガン叩いた。
「庭に牡牛がいるのよ」それが嵐のごとくの襲来の説明だった。
「はぁ、牡牛が」エシュレイはきょとんとした顔で、いささか間の抜けたことを言った。「何種の牡牛です?」
「そんなの知らないわよ」このレディは語気も荒く答えた。「そんじょそこらにいるような牡牛よ、俗っぽい言い方をしたら。わたしが言っているのはそんじょそこらがわたしの家だってこと。うちの庭は冬に備えて、ちょうどならしたところなの。そこに牛がうろつくんですもの、だいなしじゃないの。おまけにキクが咲き始めたところのよ」
「どうやって牛は庭に入ったんだろう?」エシュレイが聞いた。
「たぶん門からじゃない?」いらだたしげに言った。「塀をよじのぼったとは思えないし、牛肉エキスの宣伝をかねて、飛行機で空から落としたわけがないし。目下の重大問題は、どうやって入ってきたかじゃなくて、どうやって追い出すかでしょ」
「出て行かないんですか?」
「牛が出ていきたそうにしてるんだったら」アデラ・ピングスフォードは腹立たしそうに言った。「こんなおしゃべりをしにここまで来たりはしないわよ。わたし、ひとりなのも同然なの。メイドは午後から休みで出かけてしまったし、コックは神経痛が出て寝てるし。学校にいるころだか卒業してからだかに、大きな牛を小さな庭から追い出すやり方を習ったような気もするけど、いまじゃそんなことすっかり忘れてしまったし。そこであなたがお隣にいらっしゃる、牛の絵描きさんだから、お描きになるテーマなんだもの、きっとおおよそのことは知ってらっしゃるにちがいない、って思いだしたの。だから少しお力も貸してくださるだろうって。だけど、わたし、考えちがいをしてたみたいね」
「確かにぼくは毎日乳牛なら描いてるけど」エシュレイはいったんはそう認めた。「でも、迷い牛を駆り集めた経験はないなあ。映画でならそういうシーンを見たことはありますけどね、もちろん。だけど、そういうときにはいつも馬とか、ほかにもいろんな道具をいっぱい使ってましたよ。おまけに映画っていうのは、どこまで本当だか、だれにもわかりゃしませんからねえ」
アデラ・ピングスフォードは無言のまま、先に立って庭へ連れて行った。ふだんならかなり広い庭なのだろうが、牡牛がそこにいるとなると、なんだか狭苦しく思える。まだらの巨大な牛で、頭から首にかけては赤っぽい茶色、脇腹と全体の後ろのほう四分の一ほどは薄汚い白、毛むくじゃらの耳と、大きな赤い目をしている。この牛とふだんエシュレイが描いている牧場の上品な若い牝牛が似ているところを探そうにも、クルド族の遊牧民の族長と、日本の浮世絵に出てくる御茶屋の娘との共通点を探すようなものだろう。
「キクを食べてますね」エシュレイはやっとそう言った。沈黙にたえられなくなったのだ。
「たいした観察眼をお持ちね」苦々しげにアデラは言った。「なにひとつ見逃さないんでしょうね。実際のところ、いまこの瞬間にお口の中にはキクの花が六つ、あるみたいですわ」
なにごとかなさねばならない必要性はいまや火急のものとなった。エシュレイは一歩か二歩、牛に近寄って手を叩き、「シッ」とか「シュッ」とかいうたぐいの声を出してみた。その声がたとえ牡牛の耳に届いたとしても、そのことは外からはうかがい知ることはできなかった。
「もし迷子の雌鶏がうちの庭に来たら、絶対あなたを呼びにやって、脅かしてもらうことにするわ。いまの『シュー』はすばらしかったもの。ところで、もしよろしければあの牡牛の方をお願いできないかしら。いま食べ始めたのは“マドモワゼル・ルイ・ビショー”なの」アデラが氷のような声で落ち着き払って言ったのは、鮮やかなオレンジ色の花がもぐもぐ動いている巨大な口のなかで噛み砕かれているときだった。
「あなたがキクの種類をたいそう率直に打ちあけてくださったから、お礼にぼくもあれがエアーシア種の牡牛であることを教えてさしあげます」
氷のような落ち着きはたちどころに崩壊した。それからアデラ・ピングスフォードが口にした言葉は、画家を無意識に牛の方に1メートルほど押し出すたぐいのものだったのだ。エシュレイはエンドウの支え棒を引き抜くと、決意をこめて、まだら模様の脇腹めがけて投げつけた。“マドモワゼル・ルイ・ビショー”をすりつぶして花びらのサラダにする作業を一時的に中断した牡牛は、しばらくのあいだ棒を投げつけてきた男をもの問いたげにじっと見つめていた。アデラも同じくらいの集中力を発揮し、こちらは明らかに敵意をこめて、同じ人物を見つめた。牛が頭を下げることもなく、また脚を動かそうともしないので、エシュレイは思い切って、もう一本、エンドウの支え棒でやり投げをやってみることにした。
牡牛はどうやら即座に、これは行けということなのだ、と悟ったらしい。かつてはキクの花壇だった場所から、最後にぐいっとむしり取ると、大股にトットッと庭を歩いていく。エシュレイはその頭を門の方へ向けようと走り出したが、成功したのはその歩調を歩く速さからドタドタいう小走りに上げさせたことだけだった。物問いたげな気配を見せながらも、躊躇することなく、牡牛は細い縞模様の芝生、寛大な人のみがクローケー場と呼ぶ場所を横切り、開け放したフランス窓から居間へ入っていった。キクやほかにも秋の草花が部屋の花瓶に活けてあったので、牛は食事行為を再開した。それでもやはり、追われるものの気配がその目には浮かんでおり、どうやらその目には敬意を払っておいたほうがよさそうだった。そこでエシュレイは牛の居場所の選択に関しては、妨害しないことに決めたのである。
「エシュレイさん」アデラは声を震わせている。「わたし、あなたにこのけだものを庭から追い出してくださいってお願いしたのであって、家の中に追い込んでくださいとお願いしたつもりはございません。敷地内のどこかをどうしても選ばなければならないのでしたら、わたしとしては庭の方が居間よりは望ましいですわ」
「ぼくは牛追いを専門にしているわけではないんです。ぼくの記憶にまちがいがなければ、最初からそのことはお話しておいたはずですよ」
「もちろんわかってます」アデラは言い返した。「きれいな牝牛のきれいな絵をお描きになるのがあなたにはお似合いのことぐらい。きっと居間でくつろいでいる牡牛のスケッチでもなさりたいんでしょうね」
この言葉を聞いたエシュレイは大股で歩き出した。まるで一寸の虫も五分の魂、虫だって腹を立てれば向きを変えて立ち向かうのだ、といわんばかりに。
「どこへいらっしゃるの」アデラは金切り声をあげた。
「道具を取ってきます」
「道具ですって? 投げ縄なんてお使いにならないで。暴れだしたら部屋が痛んでしまうわ」
だが、画家はまっすぐに庭を突っ切っていってしまった。そうしてほんの数分もすると、イーゼルやスケッチ用の椅子、絵の具などを持って戻ってきた。
「あなた、まさか腰を落ちつけてあのけだものの絵でも描こうっていうの、あいつがわたしの居間をめちゃめちゃにしてるっていうのに」アデラはあえいだ。
「あなたがヒントをくださったんですよ」しかるべき場所にカンヴァスを据え付けながら、エシュレイは言った。
「やめてちょうだい、わたし、絶対そんなこと許しません!」アデラは叫んだ。
「どのようなご身分でこのことに口を出されるんでしょうね。あなたの牛だと主張するのには無理がありますよ。たとえこれから養子縁組をなさるつもりでも」
「ここはわたしの居間で、食べているのはわたしの花だっていうことを、どうやらお忘れのようね」
「あなたもコックの神経痛のことをお忘れのようだ。いまごろ運良くうとうとできているかもしれないのに、あなたが喚くものだから、目を覚ましてしまうかもしれない。ほかの人間を思いやるというのは、われわれのような身分にあるものにとって、従うべき大原則ではないでしょうか」
「この人、どうかしてるわ」アデラはせっぱ詰まった叫び声をあげた。だがそう言ったアデラのほうが、そのあと、どうかしてしまったようだった。花瓶の花と『イズラエル・カリッシュ』のブックカバーを食べ終えた牡牛は、この狭苦しい場所から立ち去るべきかどうか思案しているようすである。エシュレイは牛の落ち着かなげな様子に気がつき、いそいでバージニア・クリーパーの葉っぱを投げてやって、そこに居座らせようとした。
「こういうとき、ことわざではどういうのでしたっけ。『夕食に草を食べる方がきらいな人のところで立ち往生した牛を食べるよりましだ』なんてことを(※正確には「愛する人のところで夕食に草を食べた方がいい、きらいな人のところで太った牡牛を食べるよりも」)。ぼくたち、どうやらこのことわざを実践するのに必要なものなら、全部そろってるみたいですね」
「わたしは図書館に行って電話を借りて警察を呼んできます」アデラは怒りもあらわにそう言い放つと出ていった。
十分もしないうちに、牡牛は油かすと飼料の甜菜がどこかにある自分の牛小屋に用意されているのではないかと思いついたらしく、十分に警戒しながら向きを変え、もはや邪魔だてもしなければ、エンドウの支え棒を投げつけもしない人間を、もの問いたげにしげしげと見つめた。それから重々しい音を響かせ、だがあっというまに庭を出ていった。エシュレイは道具を片づけると、牛にならい、かくして《雲雀谷荘》は神経痛とコックだけが残された。
この出来事はエシュレイの画家としてのキャリアの転機となった。彼の特筆すべき作品《居間の牡牛 晩秋》はつぎのシーズンのパリのサロンでセンセーションを巻き起こし、大成功をおさめたのである。ミュンヘンでも公開されたのち、三つのビーフエキス抽出会社と激しく競り合ったバイエルンの官庁が購入した。そのときから彼の成功は、もはや一時的なものではない、確固たるものとなり、王立美術院は二年後、彼の大作である《婦人の私室で狼藉をはたらく野生猿》に感謝をこめて特別の場所を用意した。
エシュレイはアデラ・ピングスフォードに新本の『イズラエル・カリッシュ』一冊と、すばらしい花を咲かせる“マダム・アンドレ・ブリュッセ”を二株贈ったが、ほんとうの意味での和解は、ふたりのあいだでは未だ成立していない。
The End
サキと動物
ここでは動物が出てくる作品を三つ選んでみた。もちろんvol.1でも三つとも動物は出てくるのだが、ここではその「動物の描かれ方」に焦点を当ててみたかったのだ。
「話し上手」では、オオカミは「お話」に出てくる動物のパロディとして登場するし、「博愛主義者と幸せな猫」では、猫のアタブは人間の愚かしさを浮かびあがらせる特殊な鏡の役割を果たす。そうして「立ち往生した牡牛」では、決して交わらない世界の象徴のような動物として、牡牛は描かれる。
動物は、動物の世界を生きている。言葉の世界に生きる人間とは、生きている位相が異なっているのである。だが、人間の側は動物の行動や仕草をさまざまに解釈し、勝手に役を割り振っていく。
子供向けの「お話」では、たいていオオカミには「悪い」役が振り当てられ、「良い子」は「悪い」オオカミに食べられそうになっても助かるし、「悪い子」はオオカミに食べられてしまう。そうして教訓がついてくるのだ。ほんとうに「もしいい子じゃなかったら」助けられないかもしれない、という恫喝も、暗にこめられている。
ところが「話し上手」の話では「良い子」が「良い子」であったがためにオオカミに食べられてしまう。「良い子」といってもその根拠は言いつけをよく守ったり、時間を守ったり、お行儀が良かったり、つまりは大人にとって都合の「良い子」にすぎず、腹の減ったオオカミにしてみれば、何の関係もない、ということが明らかになるのである。
子供たちもそのことを漠然と気がついていたから、いままでのお話が「ほんもの」ではないと思い、退屈もしていたのだ。だからこそ「ほんもの」のお話に喝采をあげたし、大人の伯母さんは困ってしまうのである。これは別に「子供は残酷なものだ」という話ではない。教訓を探すとすれば、ご都合主義の話はつまらない、ということではあるまいか。
「博愛主義者と幸せな猫」では、主人公のジョカンサは自分を幸福だと思い、自分より幸福なのは猫だけだと思っている。ところが幸福という尺度は、絶対的なものではない。自分の幸福を感じるためには、不幸な人間を必要とするし、自分が思っているほど周囲の人は不幸ではないことに気がつくと、逆にこれまで幸福だと思っていた生活が、いつのまにか退屈でうらさびしいものに見えてくる。猫の世界には「幸福」という尺度も「残酷」という尺度も、あるいは「平和」という尺度も、さらには「階級」という尺度もありはしない。すべて、それは言葉でしかないのだ、ということを、アタブの姿は映し出す。
「立ち往生した牡牛」では、本来はまったく異なる位相に住んでいた「牛」と「人間」の世界が交錯する。だが、そもそもがちがう世界の住人なのだから、言うことを聞かせようなどとするのは土台、無理な話。いち早くエシュレイは元の世界に戻って、牛絵描きの本領を発揮する。
おそらくこのドタバタはイギリスの画壇を諷刺しているのだろうが、細かいところはわからない。だが、ウッドハウスならこのふたりに恋を芽生えさせるかもしれないところを、サキはそんなことはしないのである。
ただ、こうした作品を見て何よりも思うのは、サキはほんとうに動物が好きだったのだろうな、ということだ。
つまり、動物はあくまでも動物として登場し、一切の擬人化も感情移入とも無縁である。たとえおとぎ話のパロディであっても、オオカミが女の子を食べてしまうのはあくまでも空腹からで、「悪い」わけではないし、アタブのスズメ捕りも、夫がいうように、良いことでも、ジョカンサが考えるように残酷なことでもない。「スレドニ・ヴァシター」でもイタチは復讐をしたわけではない。
おそらくさまざまな動物と一緒に育ったサキ、というよりマンロー少年は、動物のことをよく知っていたのだろうし、動物を動物として、慈しんでいたのだろう。むしろ、孤独な少年は、人間よりそちらのほうに近しい思いを抱いていたように思える。
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