「ラプロシュカの魂」
ラプロシュカは私もついぞお目にかかったことがないほどけちな男だったが、それでいて、むやみに愉快な人物でもあった。誰かのひどい悪口を言っていても、その話しぶりが妙に愛嬌があるので、どうせ陰で自分のことも同じように悪く言っているのだろうとわかっていても、ついつい大目に見てしまう。悪意のあるうわさ話を嫌う人でも、それを聞かせてくれる人間がやってきて、しかもその話がおもしろかったりすると、やはり喜んでしまうというのが人の世のならいだが、ラプロシュカの話はたいそうおもしろかったのだ。
いきおいラプロシュカの交友範囲は広かったが、彼の側が細心の注意を払って選んだ結果、友人と呼べるのは、もっぱらもてなされる側でありたい彼の性癖を気に留めないでいられるほど、潤沢な銀行残高を有する者に限られることとなった。かくて、標準を超える資産は何一つ所持していなかったラプロシュカではあるが、収入の範囲内でなんとか暮らしていけるだけでなく、気前のいい仲間たちの収入の範囲内でなかなか快適な日々を送っていたのである。
ところが貧乏な者や自分と同じく限られた資本しか持たない者に相対するときの彼の態度は、一転、警戒心をみなぎらせたものとなる。たかだか数シリング、あるいは数フラン、現在流通している貨幣なら種類額面を問わず、自分の懐から手元不如意の友人のもとへと移動する、もしくは彼のために使用されるという恐怖から、片時も逃れられないらしいのだ。おごってくれそうな金持ちの友だちのためなら、「目的は手段を浄化する」とばかりに二フランの葉巻も喜んで差し出すが、ウェイターにチップをやる段になると、非常に遺憾ではあるが、実は銅貨の持ち合わせがあるのだと告白するぐらいなら、虚偽の申し立てをする心の痛みを喜んで引き受けるのを私は知っていた。貸した小銭も、日を置かぬうち、かならず返ってくるとわかっていても――借りた側が健忘症にかからないよう、彼は能うかぎりの手段を採る――どんな事故が出来しないともかぎらない。ペニーであろうがスーであろうが、ほんの一時の別れに思えても、災いの火種になりかねないことは避けるべきなのである。
この愛すべき欠点を知っていると、おごらされる羽目になるのではあるまいかと戦々恐々としているラプロシュカをからかいたくなる誘惑に、つい、かられてしまうのである。馬車に乗らないか、と誘っておいて、馬車代が足りないふりをしたり、彼がおつりの銀貨を何枚も受け取っている横で、六ペンス貸してくれないか、と言って狼狽させてみたり。こうしたちょっとした拷問は、きっかけさえあればいくらでも思いつく。公平を期して言うなら、ラプロシュカの縦横無尽の才覚は十分に評価しなくてはならないだろう。というのも、たとえジレンマに陥ったとしても、「いやだ」と断って自分の評判を落とすこともなく、いつも何とかうまく切り抜けるのが彼なのである。
だが、誰であれいつかは運が巡ってくるものらしく、私にもついにチャンスが訪れたのだった。ある夜、ラプロシュカと私は大通りの安食堂で一緒に夕食をとっていた(十二分な収入のある人物の招待でもないかぎり、ラプロシュカは食欲を抑制するのが常だった。幸運に恵まれさえすれば、食欲に身をまかせてほしいままむさぼったものだが)。食事を終えたちょうどそのとき、至急来られたし、という伝言が、私のもとに届いたのである。連れが度を失ってあげる抗議の声も無視して、残酷にも私はこう言って店を出た。「ぼくの分は立て替えてくれないか。明日返すから」
次の日の早朝、ふだんはほとんど使わない裏通りを歩いていた私は、本能で察知したラプロシュカに捕捉されたのだった。彼は昨夜、一睡もしていない様子だった。
「君には昨夜二フラン、貸したままだ」というのが、息を切らしながら言う彼の挨拶だった。
私は、近々ポルトガルでは大変なことが起こるらしいぞ、と外国情勢に話を持っていこうとした。だがラプロシュカはまるきり上の空、そんなことなどまったく耳に入らない様子で、またすぐ二フランの話題を持ち出した。
「すまないが貸しにしてくれないか」私は軽い調子で残酷なことを言った。「いま手持ちが全然ないんだ」それから嘘をつけ加えた。「半年か、もしかしたらもうちょっと長く留守にすることになるから」
ラプロシュカは何も言わなかったが、目は飛び出し、頬はバルカン半島の民族分布図のようにまだらになった。その同じ日の日没後、彼は死んだのである。「心機能停止」というのが医師の診断だったが、事情を知っている私には、彼が悲嘆にくれたあまりに死んだことは明らかだった。
彼の二フランをどうしたものかという問題が残された。ラプロシュカを殺してしまったことはさておいて、彼がことのほか愛した貨幣をそのまま手元に置いておくような無神経なふるまいは、私の耐えうるところのものではない。だれもが思いつく解決策、つまり貧しい人々に施すなど、状況から見てふさわしいはずがない。そんな財産の使い方をされるほど、故人が悲しむこともないだろうから。とはいうものの、金持ちに二フラン贈るのは、高度な戦略を必要とする。だがこの難題を解決する単純な方法が、つぎの日曜日に向こうから到来したのだった。そのとき私はパリでもっとも人気のある教会の通路を埋めつくす、さまざまな国から押し寄せた人々の波を、かき分けかき分け進んでいるところだった。『教区司祭様の貧しき人々』のための献金袋が、立錐の余地もない人の海を、もみくちゃにされながらうねうねと移動していて、前にいたドイツ人は、どうやらすばらしい音楽を味わっていたところに献金を促されて気分を損なわれたらしく、連れに大きな声で文句を言った。
「連中に金なんか必要ないさ。金ならうなるほど持ってるんだ。ちっとも貧乏なんかじゃない。いい暮らしをしてるんだ」
これがほんとうなら、この場合にわたしがやるべきことは明白だった。私はラプロシュカの二フランを教区司祭様のお金持ちの人々のために、祝福の言葉をつぶやきながら投げ入れたのだった。
三週間ほど前のこと、ウィーンへ行く機会があったので、私はある夜、ヴァーリンガー街にある、こじんまりとした店構えだが素晴らしい料理を出すレストランで食事を楽しんだ。しつらえこそ簡素なものの、子牛のカツレツもビールもチーズも文句のつけようがない。いい料理には客も集う、とでもいうように、入り口近くの小さなテーブルを除いては、どこにも空席はなかった。食事の途中、ふとその空席に目を遣ると、そこにももう人が座っていた。料金の欄に目を皿のようにして見入り、安い中でも一番安いメニューを探していたのはラプロシュカだった。一度だけ彼は私の方に目を向け、私のごちそうを、なるほど、とでもいうように見やると、“君が食べてるのはおれの二フランだ”とでも言いたげな顔でそっぽを向いた。どうやら教区司祭様の貧しき人々は本当に貧しかったようだ。もはや口の中のカツレツは革の味しかせず、ビールはぬるま湯にしか感じられない。エメンタール・チーズは味わうこともなく残した。私の頭の中にあったのは、ただ、ここから逃げ出すこと、「あれ」の座るテーブルから離れることだけだった。逃げながらもピッコロ吹きに私がやった金をとがめるように見つめている――それもおれの二フランの一部だ――ラプロシュカの目を感じた。つぎの日、私は昼食を、生きているラプロシュカなら、自分の金では金輪際足を踏み入れることもなさそうな、きわめつけ高額のレストランでとることにした。死んだラプロシュカだってその障壁は越えられまいとにらんだからである。私の予測に誤りはなかった。が、そこを出てみると、値段表を哀れっぽい目で見ながら、入り口のところで立ち尽くす彼がいた。のろのろと別のミルクホールに向かって歩いていく。生まれて初めてウィーンでの生活が、魅力的でも楽しくもないものとなった。
それからというもの、パリだろうがロンドンだろうが、私の行く先々に、ラプロシュカは頻繁に姿をあらわし続けた。劇場のボックス・シートに座っているとかならず、薄暗い天井桟敷の奥の方から、こっそりとこちらを見ている彼の視線を感じた。雨の午後、クラブの建物に入ろうとすると、向かいの家の軒先には雨宿りしている彼がいた。ハイド・パークにあるたった一ペニーのいすに腰掛けるささやかな贅沢さえ、無料ベンチの一角からこちらを見る彼の目から逃れることはできなかったのだ。別にじろじろと見ていたわけではない。だが、私の存在に気がついていたことは間違いない。友人たちは、顔色が悪いぞ、と言い出した。雑事から少し離れた方が良さそうだな。私としては、ラプロシュカから離れたいだけだったのだが。
ある日曜日のこと――おそらくふだんよりはるかにひどい混み具合から、復活祭だったのだろう――わたしはまたパリの人気のある教会で、音楽を聴こうと集まってきた大勢の人の間でもまれており、そしてまた献金袋が人間の海を渡りながらまわってきた。後ろにいたイギリス人のご婦人が、まだ遠くにある袋に硬貨を入れようと苦心惨憺していた。入れてくださらない? という頼みを受けた私は、硬貨を受け取ると、袋へ手を伸ばした。二フラン硬貨だった。その瞬間、インスピレーションが沸いたのである。私は自分の一スーだけを袋に入れ、銀貨の方はポケットに滑りこませた。これでラプロシュカの二フランを、貧しい人々、ラプロシュカの遺産を受け取るべきではなかった人々から取り返したのだ。人ごみを離れる私の耳に、女性の声が聞こえた。「あの人、わたしのお金を袋に入れてないみたい。パリにはあんなことをする手合いが大勢いるのね!」だが、わたしの心は久しぶりに軽くなっていた。
取り戻した金をそれにふさわしい金持ちに贈るという、細心の注意を要する任務がまだ私には残っていた。今度も私は偶然のインスピレーションにまかせたが、ふたたび幸運が恵ってきた。二日後、にわか雨に降られた私は、セーヌ川左岸の由緒ある教会に駆け込んだのだが、そこで古い木彫り細工に見入っているR男爵に気がついたのだ。R男爵というのはパリでも有数の資産家で、なおかつその格好のみすぼらしいことにかけても有数の人物なのだった。このときを逃してはあとがない。いつもの私は聞き間違いようのないイギリスなまりのフランス語を話すのだが、このときばかりはわざと強いアメリカ人ふうの抑揚をつけて、男爵を質問攻めにしたのである。この教会が建立されたのはいつか、広さはどのくらいか、など、アメリカ人観光客が決まって聞きたがるようなことである。不意をつかれた男爵が、それでも答えられるだけのことを聞いてしまった私は、しかつめらしい調子で二フランを彼の手にのせ、心からの感謝をこめて「取っておいてくれたまえ」といって、そのままきびすを返して去っていった。男爵はいささか面食らったような顔をしていたが、事態を快く受け入れることにしたらしい。壁に取り付けてある小さな箱の方に歩いていくと、ラプロシュカの二フランを、投入口に入れた。箱には「教区司祭様の貧しき人々のために」と書いてあった。
その夜、カフェ・ド・ラ・ペ近くの人通りの多い一画で、私はほんの一瞬、ラプロシュカを目にした。彼は微笑むと、軽く帽子を持ち上げ、そのまま消えていった。それから二度と彼の姿を見ることもなかった。結局のところ、あの金も受け取るにふさわしい金持ちの手に確かに渡ったおかげで、ラプロシュカの魂は安らかに眠ったのである。
The End
「マルメロの木」
「わたし、さっきベッツィ・マレンおばあさんのお宅にうかがってきたところなんです」ヴェラは叔母のベバリー・クランブルに報告した。「家賃のことでずいぶんお困まりのようでした。四ヶ月ばかり溜まってるうえに、払うめども立ってないんですって」
「ベッツィ・マレンは昔からずっと家賃に四苦八苦してたのよ、みんなに助けられてきたおかげで、どうにかやってこれたようなものなんだから」叔母は答えた。「わたしはもうこれ以上助けてやるつもりはありません。ほんとだったらもっと手狭で安い家に引っ越してなきゃ。この村の反対側にだって、いまの家賃、っていうのか、払うことになってる家賃って言った方がいいわね、その半額の家だって何軒もあるのよ。わたしは一年も前から、引っ越した方がいいわよ、ってずっと言ってきたんです」
「でも、叔母様、あそこの庭ほどすてきな庭はほかにはないと思いません?」とヴェラは言い返した。「おまけに庭の隅にはとってもステキなマルメロの木があるんですよ。教区中探したってあそこまで立派な木は一本もないと思うわ。なのにベッツィさんったらマルメロのジャムを作ろうともしない。あんなに見事な木が生えているのにジャムを作らないなんて、たぶん強い意志をお持ちなんだわ。ベッツィさん、あの庭から離れることなんて不可能なんでしょうね」
「十六歳の娘なら」ミセス・ベバリー・クランブルはにべもない調子で言った。「ちょっとしたくないぐらいのことを不可能だなんて言ってもいいけどね、引っ越せないはずがないし、そうした方がベッツィ・マレンのためにもなるんです。だいいち、いくら大きな家に住んでたって、ろくすっぽ家具さえ持ってないじゃありませんか」
「貴重なものだったら」しばらくしてヴェラが言った。「ベッツィさんのお宅には、この界隈数十キロのどこの家にもないような貴重なものがあるんです」
「ばかばかしい」叔母は言った。「骨董の磁器ならもうずいぶん前に手放してるわ」
「何もベッツィさんがお持ちのものについて言ってるんじゃありません」ヴェラは声を落とした。「だけど、もちろん叔母様はわたしが知ってることはご存じじゃないんだから、こんなこと言っちゃいけないんだわ」
「すぐ話して」叔母の声が高くなった。退屈してまどろんでいたテリヤが、ネズミの気配に目を輝かすように、彼女の五感は一気に覚醒したようだ。
「ほんと、このことは言っちゃいけないと思うんです」ヴェラは言った。「だけど、わたし、ときどきしちゃいけないことをやっちゃうのよね……」
「わたしだってしちゃいけないことをしなさい、なんて言うような人間ではありませんけどね」ミセス・ベバリー・クランブルは芝居がかった言い方をした。
「そうしたきちんとした人だったら、お話ししてもいいかしら、ってわたしいつもぐらついちゃうんです」ヴェラは認めた。「言っちゃいけないってことはわかってるんだけど、お話しします」
ミセス・ベバリー・クランブルのかんしゃく玉は、無理もないことだが破裂しそうにふくれあがったところを、なんとか腹の底へ押し戻して、じりじりしながら聞いた。
「ベッツィ・マレンの家に何があるからってあなたはそんなに大騒ぎしてるの?」
「別にわたし、大騒ぎしてるわけじゃないんです」ヴェラは言った。「このことを誰かに言うのは初めてなんですから。でも、おもしろいですよね、新聞で憶測が乱れ飛んだり、警察や探偵が国内や外国を探し回っているっていうのに、あの一見、平和そうな家に秘密が隠されてるなんて」
「まさかあなたが言ってるのは、ルーヴル美術館の絵、ほら、モナとかなんとかいう笑っている女の絵、二年前に行方不明になったあの絵のことを言ってるんじゃないでしょうね?」だんだん興奮してきた叔母の声は悲鳴に近くなっていた。
「あら、そのことじゃないんです。でも、値打ちにかけては勝るともおとらないぐらいのものなんです、おまけにミステリアスな――どちらかというと、スキャンダラスって言った方がいいかもしれません」
「もしかして、ダブリン……?」(※1907年7月、アイルランドのダブリン城で、王冠用の宝石が盗まれたことを指している)
ヴェラはうなずいた。
「それがまるごと」
「それがベッツィの家に? まさか!」
「もちろんベッツィさんはあれがそんなものだなんて全然ご存じじゃないんです」ヴェラは言った。「知ってるのは、何か値打ちのあるもので、そのことについては秘密にしておかなきゃならない、ってことだけ。それが本当は何で、どこから来たのかわたしが知ったのも、ひょんなことからだったんです。あのね、あれを手に入れた人たちが、どこか安全なところに保管できないか、もう万策尽き果てたときに、そのうちのひとりがこの村を車で通りかかって、あのこぢんまりしてひっそり建っている家を見つけたんです。この家こそまさにうってつけだ、って。そうしてミセス・ランパーがベッツィさんに話をつけて、こっそり家に持ち込んだんです」
「ミセス・ランパーが?」
「そうです。あの人、このあたりの家をしょっちゅう行ったりきたりしてるでしょう?」
「それは知ってるけど、あの人は石けんやフランネルや教化用の印刷物を困っているお宅に配って歩いてるんでしょう」ミセス・ベバリー・クランブルは言った。「そういうものと盗んだものをさばくのとではわけがちがうわ。あの人だって、その出どころぐらいは知ってるでしょうに。新聞を読めばだれだって、どれほどお気楽な人だって、盗まれたものだって気がつくはずだもの。きっと、それは一目でわかるものでしょうし。ミセス・ランパーって人は、これまでずっと良心的だっていう評判の高い人ですもの」
「もちろんあの人はほかの人たちのカモフラージュなんです」ヴェラは言った。「この事件の特徴は、立派できちんとした人がそれはそれは大勢、ほかの誰かの盾になるために、かかわっていることなんです。叔母様だってこれに関わり合っている人たちの名前をお聞きになったら、たぶん、ものすごくびっくりなさると思うわ。なのにだれひとりとして、もともとの容疑者が誰なのか知らないみたいなんです。わたしもこうやって叔母様をあの家の秘密を話して、ごたごたに巻き込んでしまったんだわ」
「間違いなく、わたしは巻き込まれてなんかいません」ミセス・ベバリー・クランブルは憤然として言った。「わたしは誰もかばうつもりなんてありませんからね。このことはすぐに警察に通報します。盗人は盗人ですよ、誰が関わり合いになっていようとね。立派な人だって、盗まれたものを受け取ったり、始末したりすれば、その人はもう立派じゃなくなってるんです。それだけのことよ。わたしはすぐに電話しなきゃ……」
「あら、叔母様」ヴェラはとがめるような声を出した。「気の毒なキャノンさんの心臓は破裂してしまうでしょうね。もしキャスバートがこのスキャンダルに巻き込まれてるってわかったら。そうじゃなくて?」
「キャスバートがかかわってるの? わたしたちがみんなどれだけキャスバートのことを大切に考えてるかわかっていて、そんなことを言ってるの?」
「もちろんわたしだって、叔母様があの人のことをそれはそれは大切に考えてることも、ベアトリスと婚約してることも知ってます。あのふたりはそれはそれはお似合いですもの。叔母様の義理の息子としても、これ以上はないくらいの人でしょうね。でもね、キャスバートのアイデアなんですよ、あれをあの家に隠そうと思いついたのは。それに運んだのもキャスバートの車だったんです。もっともキャスバートがそんなことをやったのは、友だちのペギンスン、ご存じでしょう、あのクウェーカー教徒の、いつも海軍の軍縮を訴えてる人を助けるためだったんです。わたし、なんでこんなことに関わり合いになったのかは忘れちゃったけど。この件には立派な人がたくさんかかわっている、って言ったでしょう。わたしが、ベッツィがあの家から引っ越すのは不可能だって言ったのは、そういう意味だったんです。かなり場所をとるものなんです。だからほかの家財道具と一緒に運んだらずいぶん人目を引くでしょう。もちろんもし病気になりでもしたら、やっぱり大変なことになるでしょうね。以前うかがったんですけど、ベッツィさんのお母さまは九十歳を越えるまで生きてらしたんですって。ですから、きちんとお世話してさしあげて、心配するようなことも取り除いてあげたら、おそらく十年以上はお元気でいらっしゃるはず。そのころまでには、いくらなんでもあの厄介なものも片がつく手はずも整うでしょうし」
「キャスバートにはいずれ話すことにするわ――結婚式が終わったら」ミセス・ベバリー・クランブルはそう言った。
「結婚式は来年までないし」ヴェラは親友にこの話をしたあとでこういった。「それまでベッツィは家賃は払わなくていいし、スープは週に二回は飲ませてもらえる。おまけにちょっと指が痛いとでも言ったなら、叔母の医者が駆けつけることになったの」
「だけどその事件のこと、あなたどうして知ったの?」友だちは感心したように聞いた。
「そこが秘密」ヴェラが言った。
「もちろん秘密っていうのはわかってるわ。だからみんながびっくりしてるんじゃない。なによりもわたしがよくわからないのは、どうしてあなたが……」
「ああ、宝石のこと? それはわたしが考えた部分」ヴェラは言った。「わたしが秘密っていったのはベッツィおばあさんの溜まった家賃がどこから出たかってことよ。ベッツィもあのステキなマルメロの木と別れるのはいやだろうなって思ったから」
The End
「毛皮」
「心配事でもありそうな顔をしてるじゃない」エリナーが言った。
「そうなの」スザンナは認めた。「別に心配事があるわけじゃないんだけど、ちょっと気になってることがあって。あのね、来週、わたしの誕生日でしょ……」
「いいなあ」エリナーが割って入った。「わたしの誕生日なんて三月の終わりよ」
「ともかく、バートラム・ナイトっていうおじいさんがアルゼンチンからイギリスに来てるのね。母の遠縁にあたるらしいんだけど、とんでもないお金持ちだもんだから、わたしたちもずっと関係が切れないようにしてるのよ。何年会わずにいても、便りがなくても、ひょっこり顔を見せでもしたら、かならずバートラム伯父様、っていうことになるの。かといって、たいしていい思いをさせてもらったわけじゃないんだけど、きのう、わたしの誕生日のことが急に話題になってね、プレゼントに何がほしいか教えてくれ、って言われたの」
「なるほどね。何が気にかかってるのかわかってきたわ」エリナーは言った。
「たいていのときって、いざとなると」とスザンナが言った。「何がほしかったんだかわからなくなってくると思わない? なんだか世の中にほしいものなんて何にもなかったような気がしてくるでしょ。それがそのときは、たまたま、前からすごくほしかったドレスデン磁器のお人形があったのね、ケンジントンのお店で見つけたんだけど、36シリング以上したから、わたしには手が出なかった。だからその人形のことをほとんど言いかけたのよ。バートラム伯父さんに店の住所を教えようと喉まで出かかったぐらいよ。そのとき不意に、36シリングなんて伯父さんみたいな大金持ちにしてみたら、ばかばかしいほどのはした金じゃない? っていう気がしたのね。36ポンドだって、あなたやわたしがスミレの花束を買うぐらいの感じでポンと出せるはずだもの(※1ポンドは20シリング)。欲張るつもりはないのよ、もちろんね、だけどせっかくの機会を無駄にはしたくないの」
「問題は」とエリナーは言った。「その人がプレゼントっていうものをどんなふうに考えてるかってことだと思う。人によってはどれだけお金を持っていても、そうしたことになると不思議なくらい、けちけちするものだから。お金が貯まっていくにつれて贅沢になって生活レベルも上がっていくのに、人にあげる物の感覚だけはそのままで、前とちっとも変わっていかないような人がいるじゃない。そういう人の考える理想的なプレゼントって、お店の中でも見てくれがいい割には高くないものなのよね。だから、どんなにいいお店でも、カウンターやウィンドウに、せいぜいが4シリングぐらいの値打ちしかないのに、7シリング6ペンスぐらいの値段に見えるものがいっぱい並んでるのよ。おまけに値札には10シリングって書いてあって、“この時期最適のご贈答品”なんて張り紙までついてるの」
「そうよね」スザンナが言った。「だからプレゼントに何がほしいかはっきり意思表示しないと危いのよ。もしわたしが伯父さんに『この冬はスイスのダーヴォスに行く予定なんです。だから旅行関係のものだったら何でもうれしいですわ』なんてことを言ったとするでしょ、そしたらゴールドの留め金がついた化粧ポーチを贈ってくれるかもしれないけど、その代わりにベデカー出版の『スイス旅行ガイド』とか『楽勝スキーガイド』みたいな本をくれるかもしれない」
「それよりこう言いそう。『ダンスに行く機会も多かろう。扇子が役に立つにちがいない』って」
「そうよねえ、だけど扇子ならもう山のように持ってるわ。だから危険だし、気がもめるのよ。いま、もしなにかひとつだけ、って言うなら、ほんとうにものすごくほしいのは毛皮ね。ひとつも持ってないんだもの。ダーヴォスにはロシア人がたくさんいる、って聞いたの。みんなすごくきれいなセーブル(黒貂)か何かを身につけてるんでしょうねえ。毛皮を身にまとってる人に囲まれて、自分だけ持ってなかったら、モーゼの十戒なんてことごとく破っちゃいたくなるでしょうね」
「毛皮がほしいんだったらその場に立ち会わなきゃ。親戚のおじさんだったら、シルバー・フォックスとありきたりのリスの見分けがつくかどうかわからないわよ」
「ゴリアス・アンド・マストドンにうっとりするようなシルバー・フォックスがあるのよ」とスザンナは溜息混じりに言った。「バートラム伯父さんをあの建物の中に引っ張り込んで、毛皮売り場に連れて行くことができたらなあ……」
「その人、どこかそこの近くに住んでるんじゃない?」エリナーが言った。「その人の日課なんてわからない? 毎日、決まった時間に散歩とかしない?」
「たいがい三時くらいにクラブに歩いて出向くの、晴れてたらね。そのルートにちょうどゴリアス・アンド・マストドンがあるわ」
「じゃ、明日、わたしたちが偶然に街角で会えばいいじゃない」エリナーが言った。「一緒に散歩すればいい。運さえ良ければ、店に引っ張り込めるわよ。ヘアネットか何かを買わなきゃいけない、とかなんとか言って。うまく中へ入れたら、わたしが言ってあげる。『あなたのお誕生日プレゼントには何がいいか教えて』って。もう、何もかもがあなたの手の中に入ったようなものよ――お金持ちの親戚、毛皮売り場、お誕生日プレゼント」
「すごい名案」スザンナが言った。「あなたほんとに頭がいいわね。じゃ、明日、三時二十分前ぐらいに来てよ。遅れないで。時間通りに待ち伏せしなくちゃ」
翌日の午後三時になる数分前、毛皮の罠師がふたり、狙いを定めた場所に向かって抜け目なく眼を光らせつつ歩いていった。すぐ先に、かのゴリアス氏とマストドン氏にちなんだ名高い建築物がそびえ立っている。その午後は、ことのほか好天にも恵まれ、いかにも年輩の紳士が散歩などの軽い運動をしたくなるような日だった。
「ねえ、今夜、頼みがあるの」エリナーはスザンナに言った。「晩ご飯のあとで、適当な口実を作ってわたしの家に来てくれない? アデラと叔母さんたちと一緒に四人でブリッジをやってほしいのよ。そうでなきゃわたしがやらされる羽目になっちゃう。急にハリー・スカリスブルックが九時十五分に来ることになったのね。だからわたし、どうしてもその時間をあけて、ほかの人がブリッジをやってるあいだ、話がしたいの」
「悪いんだけど、それは勘弁して」スザンナが言った。「百点が三ペンスのありきたりのブリッジを、あなたの叔母さんたちみたいな死にたくなるほどのろくさい人と一緒にやるなんて、泣きたくなるくらい退屈なんだもの。ブリッジやりながら居眠りしちゃうわ」
「でもね、ハリーと話ができるようなチャンスをどうしても逃すわけにはいかないの」眼にきらきらと怒りの光を宿しながら、エリナーはかき口説くように言った。
「ごめんなさい。ほかのことならなんだってしてあげるけど、それだけはイヤ」スザンナの返事は屈託がなかった。友情のために犠牲になることは、スザンナの目から見ても美しい行為だったが、それも自分が頼まれる側にならない限りの話である。
エリナーはそれ以上その話題にふれることはなかったが、唇の両端はゆがんでいた。
「来たわ!」急にスザンナが叫んだ。「早く!」
バートラム・ナイト氏は姪とその友だちに心からの笑顔で挨拶をし、目の前でおいでおいでをしている混雑した店に、ご一緒してくださいませんこと、という申し出を喜んで承諾した。厚い板ガラスのドアを押して開けると、三人は買い物客や冷やかし客でごった返すなかに勇猛果敢に飛び込んでいった。
「いつもここはこんなに混んでいるのかね?」バートラムはエリナーに尋ねた。
「だいたいこんな感じですね。いまちょうどオータム・セールをやっているところなんです」
スザンナは伯父を目的の聖地、毛皮売り場への水先案内で気が気ではなく、少し先を歩きながら、ふたりがほんの一瞬、どこかのカウンターに気を引かれでもすると、初めて飛び立つ雛鳥をはげます親鳥さながらに、神経をとがらせては即座に戻ってくるのだった。
「来週の水曜日はスザンナのお誕生日なんですよ」エリナーは、スザンナがまたはるか先に行ったところでバートラム・ナイト氏にそっと言った。「わたしの誕生日はその前の日なんです。だからわたしたち、お互いにやりとりするプレゼントを探してるんです」
「なるほど」バートラムは言った。「なら、わたしにもそのことで助言してもらいたいものですな。わたしもスザンナに何か贈りたいと思ってはいるんだが、いったい何がほしいのか皆目見当がつかない」
「スザンナはちょっとむずかしいんです」エリナーは言った。「あの子、ふつう人が思いつくぐらいのものは何だって持ってるんだから。幸せな子よね。だから扇子なんかいいんじゃないかしら。この冬、ダーヴォスに行くから、ダンスに行く機会もずいぶんあるでしょうしね。そうだわ、扇子だったら一番うれしいんじゃないでしょうか。お誕生日のあとで、わたしたちお互いがもらったプレゼントを見せっこするんですけど、わたし、いつもすごく肩身が狭いんです。彼女がすごくステキなものをたくさんもらってるのに、わたしの方は見せられるほどの値打ちがあるようなものはひとつもないんですもの。わたしの身内でプレゼントをくれるような人にはそんな余裕がある人はいないから、わたしもその日を忘れないでくれて、ちょっとしたものを贈ってくれる以上のことは望んでないんです。
「それが二年前に、母方の伯父が、ちょっとした遺産を相続したんですね、だからわたしにシルバー・フォックスのストールをお誕生日に贈ってあげよう、って約束してくれたことがあったんです。だからもうわたし、それがうれしくて、楽しみで、仲がいい子にも、嫌いな連中にもみせびらかしてやろうって。それが、ちょうどそのとき、伯父の奥さんが亡くなったんです。もちろんそんなときに気の毒な伯父に、わたしのお誕生日プレゼントのことなんてお願いできませんよね。伯父はそれっきり外国に行って、そちらで暮らすようになったんです。結局わたしは毛皮なんてないまま。だから、わたし、その日以来、シルバー・フォックスの毛皮をショー・ウィンドウで見かけたり、だれかが首に巻いているのを見たりするたびに、涙が出ちゃうんです。自分のものになるんだ、なんて思ったりしなかったら、そんなふうに感じることもなかったんでしょうにね。あら、あっちに扇子のカウンターがありますわ、左の方です。このぐらいの混雑だったら、だいじょうぶ、簡単に入っていけます。スザンナには一番いいのを選んであげてくださいね――あの子、すごく、すごーく優しい子だから」
「ああ、ここにいたのね、わたし、あなたたちとはぐれたと思ってた」スザンナが道をふさぐ買い物客をかき分けながらやってきた。「伯父さんはどこ?」
「もうずいぶん前にはぐれちゃったわ。わたしはてっきり、先に行って、あなたと一緒にいるとばかり思ってた」エリナーは言った。「この人だかりじゃ、バートラムさんを見つけることなんてできないでしょうね」
その予想は現実のものとなった。
「わたしたちの苦労も計画も水の泡ね」スザンナはぶすっとした顔で言った。人を押しのけながら、売り場を六ヶ所ほども回ってみたのだが、何の成果もなかったのである。
「どうして腕をしっかりつかまえておいてくれなかったの」スザンナが言った。
「それは前からよく知ってる人だったらそうしてたわ。だけど、紹介されたばっかりじゃない。あら、そろそろ四時になるわよ。お茶でも飲みに行きましょうよ」
数日後、スザンナはエリナーに電話した。
「写真立てをどうもありがとう。ああいうの、ほしかったのよ。うれしかったわ。ところでね、あのナイトとかいう人、何をくれたと思う? あなたが言うとおりよ――しけた扇子。え? ええ、そうよ、扇子としてはいいものだったわよ、でもね……」
「あの人がわたしにくれたものも見に来て」エリナーの声が聞こえてきた。
「あなたに? なんであなたがもらうわけ?」
「あなたの親戚ってお金持ちにしては変わった人ね。とびきりのプレゼントを人にあげるのが趣味なのかしら」というのがその返事だった。
「どうしてエリナーの住所をあんなに知りたがったか不思議だったんだけど」電話を切ったスザンナは吐き捨てるように言った。
ふたりの若い女性の友情に黒い雲がかかっていった。エリナーに関するかぎり、その雲はシルバー・フォックスが縁取っていたが。
The End
お金と人間とサキ
今回はサキの短編からお金にまつわる作品を三つ選んでみた。けちな人間は昔からよく話の種になってきたが、自分の大切なお金が貧乏人の手にわたることにがまんならない、いささか風変わりなけちんぼう、ラプロシュカがめでたく成仏(というのは不適切なのかもしれないのだが、この作品にはどこか落語風の味わいがあって、どうしてもこの言葉を使いたくなってしまう)するまでを描いた「ラプロシュカの魂」、「開いた窓」では十五歳だったヴェラが十六歳になって、今度もまた奇想天外な作り話で人助け(?)をする「マルメロの木」、エビをけちってタイを逃がした女の子と、エビをけちった相手に復讐して、まんまとタイをせしめたその友だちの「毛皮」の三編である。
それにしても、そもそもが異質のもの同士を恨みっこなしで交換できるような、共通のモノサシとして成立した(いったいいつ? どこで?)のが貨幣制度だったはずなのだが、いつのまにかそのモノサシは、モノサシだけにとどまらない意味合いを持つようになってしまった。
ラプロシュカの「けち」は、何か目的があって、お金を使うことを惜しむのではなく、ただひたすら自分の手元に置いておきたいという「けち」である。貧乏人に渡っては、そこからもう自分のところに循環することは望めない。だが、金持ちの手に渡るなら、以前より太って返ってくる……。哀れなラプロシュカは、自分の二フランの行方が気になって、成仏することもできないのである。おそらくこの「ラプロシュカ」という奇妙な響きの名前には、ユダヤ人の含意があるのだろう。
最初はラプロシュカにとっても「お金」は、それを媒介にして、何かをもたらしてくれる可能性だったはずなのだ。だがじきに、その「何か」の方は忘れ去られてしまい、ひたすら「可能性」のみが結晶化してしまった。どうやらある種の人びとに対しては、お金はそうした魔法を使うらしい。その人びとは「可能性の結晶」を眺め、所持し、悦に入る。
ヴェラはまだその魔法とは無縁なのだが、お金の持つ力は十分に理解している。お金があれば家を借りることができる。もっとお金があれば、すばらしいマルメロの木のある庭付きの家を借りることができる。だが、それだけではない。どうやら大切な人の評判を守ったり、自分の世間体を守ったりすることもできるらしいのだ。おまけにそうしたものを守るためなら、「立派なマルメロの木」というヴェラからみればまっとうな理由には金を惜しむ人も、その話の出所がどれほどあやふやであっても、気前よく出すものらしい。
エリナーとスザンナはどうだろう。スザンナにとって伯父さんのお金は「さまざまなものとなりうる可能性」を秘めたものだ。どうせ手に入れるなら、できるだけ価値の高いものを手に入れたい。だが、伯父さんを単なる金蔓とみなしているうち、友だちのはずのエリナーさえも、目的のための手段となってしまう。ほんのちょっと、友だちに自分の時間を与えることをけちったために、手痛いしっぺがえしを食らうのである。「さまざまなものとなりうる可能性」を秘めていたはずのお金は、もっとも望んでいなかったものに姿を変える。そうして彼女たちの友情も、同じように「さまざまなものとなりうる可能性」を秘めていたのに、すっかり黒い雲に覆われてしまうのである。
さて、以上の作品を見てきたが、結局、お金って何なのだろう?
サキの作品にもこうしてお金に翻弄されたり、翻弄される人を翻弄したり、さらにその翻弄される人を翻弄しようとする人を翻弄する人までもが出てくるが、やっぱりその正体はよくわからない。やっぱりマルクスに聞いてみなくちゃいけないのかしら。
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