The Schartz-Metterklume Method
「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」
レディ・カーロッタは街道沿いの小さな駅に降り立って、なんの変哲もないホームを行ったり来たりしながら、汽車が機嫌を直して動き出すまでの暇つぶしをしていた。すると、向こうの街道で、馬が相当量を遙かに超えた、山のような積荷を相手に格闘しているではないか。御者は、と見ると、日々のたつきの手助けをしてくれている生き物に、憎悪を抱く手合いのようである。レディ・カーロッタは即座に街道へおもむくと、格闘の形勢を一変させた。
知人のなかには、虐待された動物になりかわって口出しするなんてとんでもない、と口うるさくお説教を始める輩もいる。「あなたには何の関係もないないんですからね」というわけである。確かに一度だけは、レディ・カーロッタも言われたとおりの不干渉主義を実践した。それは不干渉主義者のなかでもひときわ雄弁な人物が、イノシシに追いかけられて、とげだらけのサンザシの小さな繁みに三時間近く籠城する羽目になったときのこと。そのあいだレディ・カーロッタは柵の向こうで描きかけの水彩画のスケッチを続け、イノシシとイノシシの虜囚のあいだに割って入ることは拒否したのである。レディ・カーロッタが、最終的には助け出された婦人との友情を失ったのは、きわめて残念なことだった。
だが今回は汽車に乗り遅れただけですんだ。汽車は道中で初めて焦りの色を見せたかと思うと、彼女抜きで走り去ってしまったのだ。レディ・カーロッタは哲学者のような平静さでもって、置き去りにされたことを受け止めた。友人であれ、親族であれ、本人の姿もないのに荷物だけが届くような事態には、すっかり慣れっこになっている。レディ・カーロッタは自分を待つ人びとに、自分は「ベツビンニテ」と、あやふやで当たり障りのない電報を打った。ところが、さて、どうしようかしら、と考える前に、着飾った堂々たる物腰の女性に相対する羽目になったのである。相手はどうやら腹の中で彼女の身なりや顔つきを調べ上げるのに余念がないらしい。
「あなた、ミス・ホープでいらっしゃるわね、わたくしとここで待ち合わせした家庭教師の方でしょ」不意に現れたその人物は、いかなる反論も許さない調子でそう言った。
「だったらいいんですけどね」レディ・カーロッタは自らの危険もかえりみず、反論もしないで独り言のようにそう言った。
「わたくし、ミセス・クォーバールです」その夫人は続けた。「それで、あら、あなたのお荷物はどこ?」
「行方不明になってしまったんです」家庭教師にさせられてしまったレディ・カーロッタは、責めを負うのはつねに不在者である、という人生の黄金律に基づいて答えた――事実に基づけば、荷物の側にはなんら落ち度がなかったのだが。
「荷物のことで、いまちょうど電報を打ったんです」と付け足して、多少なりとも真実に近づけておいた。
「まったく鉄道会社の不注意なことといったら」とミセス・クォーバールは言った。「ひどい話だわね。だけどあなた、今夜は家のメイドのものを借りたらいいわ」そう言うと、先に立って車の方へ歩いていった。
クォーバール邸へ車で向かう道すがら、レディ・カーロッタは、自分に押しつけられるらしい教え子の性質を延々と聞かされる羽目になった。それによると、クロードとウィルフリッドは繊細で感じやすい子供で、アイリーンは芸術的な気質のきわめて優秀な子供、ヴァイオラはなにやらの面で、二十世紀のこの階級の子供にありがちなタイプではない子供だそうだ。
「わたくし、子供たちをただ教えていただければそれでいいと思っているのではございませんの」ミセス・クォーバールは言った。「そうではなく、学ぶということに興味を持たせていただきたいんですのよ。たとえば歴史の授業でしたら、実際に生きていた男性や女性の人生の物語として子供たちが感じられるように教えてやってほしいのです。単に名前や出来事の年代を覚えるというだけでなくね。それから、フランス語に関しましてはね、もちろん週の何日かは、お食事のあいだフランス語で会話していただきたいんですの」
「週の四日はフランス語で、あとの三日はロシア語を使うつもりでおります」
「ロシア語ですって? おやまあ、ホープ先生、宅ではだれもロシア語を話しませんし、理解もできませんわ」
「そのくらいのことはわたしにとってはなんでもありません」レディ・カーロッタは冷たく言い放った。
ミセス・クォーバールは、口語表現でいうところの「とっちめられた」状態に陥った。彼女はいわゆる「生半可な自信家」というやつで、正面切って反論されない限りは、なかなかの独裁者ぶりを発揮する。ところが思いがけず、抵抗のそぶりをちょっとでも見せられると、たちまち降参してしまい、うってかわって弁解これ努めるのである。買ったばかりの大型高級車を前にしても、この新しい家庭教師はいっこうに驚くそぶりも見せず、お世辞ひとつ言うでもない。それどころか、つい先頃売り出された新車の話を持ち出して、その性能の良さなどをそれとなく口にするものだから、女主人はすっかりうちのめされ、見る影もなくしおれてしまった。さしずめ夫人の心境は、いにしえの将軍が、巨大な戦闘用の象に乗って戦場に打ってでてみれば、敵の投石機と槍の餌食となって、おめおめと退却を余儀なくされたようなものだっただろう。
夕食の席では、何でも妻の言うことを繰りかえして精神的な支えとなってくれる夫もついていたのだが、ミセス・クォーバールは自分が失った陣地を少しも取りもどすことができなかった。家庭教師は思う存分ワインを飲んだばかりか、各種ヴィンテージ・ワインの蘊蓄をつぎつぎと披露し、クォーバール夫妻はその道に詳しいふりすらもできなかったのである。以前の家庭教師であれば、話題にしようにもワインの知識など皆無に等しく、主人に対する敬意だけでなく、おそらくそれが本心でもあったのだろう、水で結構です、と言っていたものだったが。今度の家庭教師ときたら、ワイン醸造所の紹介まで始める始末である。ミセス・クォーバールは話題をもうすこし当たり障りのない方向へ持っていこうとした。
「わたくしたち、聖堂参事のティープ様から、あなたの立派な推薦状をいただいたんですのよ。それはもう、参事様はすばらしい方ですからね」
「浴びるように酒を飲んで、奥様を殴ることさえしなかったら、なかなか愛すべき性質をお持ちの方なんですけどね」と家庭教師はこともなげに言った。
「おやおや、ホープ先生! それはずいぶんな言い方です」クォーバール夫妻が声をそろえて叫んだ。
「公平を期すなら、確かに挑発と受けとられても仕方のない行為はあったでしょうね」と作り話の名人は続けた。「ミセス・ティープほどブリッジでイライラさせられる人は見たことがありませんから。最初の手を出すときにしても、宣言するときにしても、あの人が一緒だと、パートナーはどれだけ残忍な手を見逃さなきゃならない羽目になるか。おまけに日曜日のお昼に家にあったたった一本の炭酸水を、ひと瓶まるごと飲んでしまうような人なんですものね。日曜のお昼だと、もう新しいのを買いに行くこともできやしないじゃありませんか、なのにほかの人の楽しみなんて目じゃないんですから。そういうところをわたしは見逃す気にはなれませんでした。判断を早まったとお考えかもしれませんが、わたしがあのお屋敷をおいとますることにしたのは、実はそのソーダの一件があったからなんです」
「その話はまたの機会にしましょう」ミセス・クォーバールはあわてて言った。
「そのことにはもう二度とふれるつもりはありません」家庭教師はいやにきっぱりと言い放った。
ミスター・クォーバールは、会話を適切な方向へと導くべく、明日、最初はいったい何を教えるつもりかと尋ねた。
「最初は歴史です」家庭教師は伝えた。
「ほう、歴史ですか」ミスター・クォーバールはしたり顔で言った。「子供たちに歴史を教えるには、彼らに自分が学んでいることに興味を抱くよう、心がけてください。実際に生きていた男たちや女たちの人生の物語として教え込んでいただきたいのです」
「そういうことはわたくしからお話しておきました」ミセス・クォーバールが割って入った。
「わたしは歴史をシャルツ=メッテルクルーメ式教授法で教えています」家庭教師は威厳あふれる口調で言った。
「それは結構」聞き手二人は、ここは名前だけでも知っているふりをした方が利口だと思ったのであろう、そう答えたのだった。
* * *
「あなたたち、こんなところで何をしているの?」翌朝、ミセス・クォーバールは、階段のてっぺんに陰気な顔をしてすわりこんでいるアイリーンと、後ろの出窓にオオカミの毛皮をかぶって腰かけて、おもしろくなさそうな顔をしている妹のヴァイオラを見つけて聞いた。
「わたしたち、歴史の授業を受けてるの」と思いもよらない答えが返ってきた。
「わたしがローマっていうことになってるの。で、あそこにいるヴァイオラはメスのオオカミなのよ。っていってもほんとのオオカミじゃなくて、ローマ人があがめたオオカミの銅像なの――なんであがめたのか忘れちゃったけど。でね、クロードとウィルフリッドはみすぼらしい女の人を探しに行ったの」
「みすぼらしい女の人ですって?」
「そうよ。お兄ちゃんたちはその人たちを連れてこなくちゃならないの。いやだ、って言ったんだけどね、ホープ先生がパパのファイブズ(※イギリスの寄宿学校で行われたスカッシュに似た球技)のバットを持ってきて、行かなきゃこれで九発お尻をひっぱたいてやるわよ、って言ったから、行かなきゃならなくなったのよ」
怒鳴り声が庭の方から聞こえたので、ミセス・クォーバールは大慌てで駆け出した。この瞬間にも恐ろしい体罰が加えられているのかもしれない、と思うといてもたってもいられなかったのである。
だが、大声でわめいているのは、おもに門番小屋の小さな女の子ふたりで、その子たちを家の方向に引きずったり押し立てたりしているのは、息をあえがせ、髪を振り乱したクロードとウィルフリッドなのである。あまつさえ捕らえられた女の子の弟が、いまのところ効果をあげているとは言い難いが、それでも攻撃の手をゆるめないために、ふたりの任務はさらに困難の度を増している。
家庭教師はファイブスのバットを手に持ったまま、石の手すりに平然たる面もちで腰をおろし、戦場の女神のごとく一場を冷静かつ公平無私に仕切っていた。
「かあぁぁちゃんに言いつけてやるぅぅ」と怒りに満ちたコーラスが門番小屋の子供たちによって繰りかえされるが、門番のおかみさんは、耳が遠いために目下のところ洗濯に余念がない。ミセス・クォーバールは不安なまなざしを小屋に注いでから(善良なるおかみさんは、一部の難聴者に特権として与えられている、きわめて好戦的な資質のもちぬしであった)、人質と格闘している息子たちを救助に駆けつけた。
「ウィルフリッド! クロード! すぐにその子たちを離しなさい! ホープ先生、これはいったいどういうことなんですの?」
「古代ローマ史です。サビニ女の略奪をご存じじゃございません? 子供たちが歴史を自分で体験することによって理解するのがシャルツ=メッテルクルーメ式教授法なんです。記憶に刻みつけられますからね。当然のことながら、あなたの結構なお節介のおかげで、ご子息がサビニ女たちは最終的には逃亡したのだと誤ったまま一生理解したとしても、わたしの責任ではありません」
「あなたは大変聡明で、現代的な方なんでしょう、ホープ先生」ミセス・クォーバールは厳しい口調で言った。「でも、つぎの汽車でここを出ていってくださるようお願いします。あなたの荷物は到着次第、そちらに送りますから」
「どこへ落ち着くことになるかなるかわかるまで、数日はかかると思います」首になった家庭教師は言った。「電報で住所をお知らせしますから、それまで荷物を預かっておいてください。トランクがふたつか三つと、ゴルフクラブが数本、あとヒョウの子が一頭いるだけですから」
「ヒョウの子ですって!」ミセス・クォーバールは喉の奥で妙な声を出した。この途方もない女は出ていったあとさえ、困惑の余波を残していく運命にあるのか。
「もうね、子供とは言えなくなってきてるんです、おとなになりかけ、と言った方がいいのかしら。毎日ニワトリ一羽、日曜日にはウサギ、それがいつものエサです。生の牛肉をやると気が荒くなってしまって。ああ、わたしのために車のご用意はしていただかなくて結構です。散歩しながら行ってみたいんです」
そうしてレディ・カーロッタは元気良くクォーバール家の地平から去っていったのだった。
本物のホープ先生が登場して(到着予定の日を一日間違えていたのである)、その善良な女性は未だ経験したことのないほどの騒動に直面することとなった。クォーバール一家がまんまと一杯食わされたことはどう考えても明らかだったが、それがわかって、みんながほっとしたことも事実である。
「ずいぶん大変な目に遭ったんでしょうね、カーロッタ?」彼女を招待した家の女主人が、やっと到着した客に向かってそう言った。「汽車に乗り遅れて、見ず知らずの場所で一泊しなきゃならなかっただなんて」
「あら、そんなことなかったわ」とレディ・カーロッタは言った。「ちっとも大変な目になんて遭ってないのよ――わたしはね」
The End
※この話の背景にはローマの建国伝説があります。(※参照王政ローマ)
アイリーンがやっているのはローマ神マルスを待つ巫女のシルウィアで、ヴァイオラがやっているのは、ロムルスとレムを育てるオオカミなのでしょうね。ロムルスとレム、ではなく、クロードとウィルフリッドは、サビニ女の略奪を実演させられている。上にあげたニコラ・プッサンの絵では、左端の石段の上にバット、ではなく棒を持って立っているのが略奪を指揮するロムルスです。最後の場面はこの絵のパロディなのでしょう。
The Toys of Peace
「平和的なおもちゃ」
「ハーヴェイ」エリナー・ボウプは弟にロンドンの三月十九日付の朝刊の切り抜きを渡した。「ねえ、ちょっとこれを読んでみて、子供のおもちゃについてのところ。これ、影響と教育についてのわたしたちの考えてることが、ここにこのまま書いてあるわよ」
「全国平和評議会は」と切り抜きは言う。「我が国の少年層におもちゃの戦闘部隊や砲兵隊、『ドレッドノート型戦艦』の艦隊などを買い与えることに、強硬に異議を唱えるものである。評議会としても、少年たちが本能的に闘いや武器を好むことは認める……だが、彼らの原始的な本能を涵養し、あまつさえそれを恒常的資質として育成する必要はない。児童福祉博覧会が三週間に渡ってオリンピアにて開催されるが、平和評議会は『平和的なおもちゃ』を展示することで、保護者に対して、従来のそれに代わるものを提案したいと考えている。ハーグの平和宮の彩色像を取り囲むのは、ミニチュアの兵隊ではなく、ミニチュアの文官であり、銃の代わりに農具や工作機器である……。玩具生産者もこの展示から示唆を受けることを期待する。玩具店の店頭でもその成果が披露されんことを。」
「確かにこの意見は興味深いし、善意から来ているのもまちがいない」ハーヴェイは言った。「でも、実効性があるかどうかは……」
「やってみましょうよ」姉は最後まで言わせなかった。「あなた、イースターには家に来て、子供たちにおもちゃをプレゼントしてくれるでしょう? 新しい実験を始めるには願ってもないチャンスじゃない。おもちゃ屋に行っておもちゃでも模型でも、もっと平和的視点をもった、一般市民の生活を現してるようなものを買ってきてよ。もちろん子供たちにはおもちゃのことを説明して、新しい考え方にちゃんと興味を持つようにしてやってちょうだい。スーザン叔母さんがあの子たちに送ってくれた『アドリアノープルの闘い』の模型は、悲しいことに説明するまでもなかったのよ。軍服も軍旗も、敵味方の司令官の名前まで全部知ってるの。ある日なんか、きわめつけの悪い言葉を使ってるのが聞こえてきたのね、あの子たちったらそれをブルガリア語の命令だなんていうのよ。もちろん、そうかもしれないけどね、とにかくわたしはそのおもちゃを取り上げることにしたわ。だから、あなたがイースターに贈ってくれるプレゼントが、子供たちの心に新しい感情と方向付けを与えてくれるのを、すごく期待してるのよ。エリックはまだ十一歳にもならないし、バーティときたらたった九歳と半よ、あの子たち、ほんとに影響を受けやすい年代だしね」
「原始的な本能は一応、考慮に入れておかなくちゃ」ハーヴェイは、どうかな、という顔で言った。「それに遺伝的な傾向もある。あの子たちの大伯父にあたるひとりは、インケルマンの戦いに参加して、それはそれは残虐非道なことをしたんだよ、確か。それにひいじいさんにあたる人は、1832年の選挙法改正条例が通過したとき、近隣一帯のホイッグ党員の温室をぶちこわして歩いたんだ。まあ、姉さんの言うとおり、あの子たちが影響を受けやすい年頃であることにはまちがいない。とりあえずやってみるよ」
イースターの土曜日、ハーヴェイ・ボウプは大きくな、いかにもいいものが入っていそうな赤い段ボールの箱の包みを、期待で目を輝かせている甥っ子たちの前で解いた。
「叔父さんはね、あなたたちに最新型のおもちゃを持ってきてくれたのよ」エリナーがもったいをつけてそう言ったので、子供たちはそれぞれに、ぼくはアルバニア軍だと思うな、いや、きっとソマリアのラクダ部隊だよ、と希望を口にしたあとは、固唾を呑んで待ち受けた。エリックは後者の偶然を期待していた。「馬に乗ったアラブ人が入ってるんだ」とささやく。「アルバニア軍はカッコいい軍服を着てるし、朝から晩まで戦闘を続ける。おまけに夜だって、月さえ出れば戦うんだ。だけど国土が岩だらけだから、騎兵はいない」
蓋を開いたとき、最初に目に飛び込んできたのは、カサカサと音をたてている大量の紙くずの詰め物だった。とびきりおもしろいおもちゃが出てくるときは、いつだってこうなのだ。ハーヴェイはてっぺんの詰め物を押しのけると、四角い、これといった特徴もない建物を取り出した。
「要塞だ!」バーティが歓声をあげた。
「ちがうさ、アルバニアのムプレトの宮殿だよ」エリックは言ったが、「ムプレト」などというおそろしく珍しい単語を知っているのが得意でしょうがないらしい(※Mpretは「アルバニアの君主」という意の英単語)。「窓がないだろ、これは外部から王族に対して発砲できないようになってるんだ」
「これは市営の集塵庫だよ」ハーヴェイはあわてて言った。「町のガラクタやごみをここに集めておくんだ。そこらに転がしておくと、町の人の健康が損なわれるだろう?」
おそろしいまでの沈黙のさなか、ハーヴェイが取り出したのは、小さな鉛の人形で、黒い服を着た男である。「これはかの有名な市民、ジョン・スチュワート・ミルだ。彼は政治経済学の大家だよ」
「なんで?」バーティが聞いた。
「そりゃ彼がそうなりたかったからだろう。政治経済学は有益な学問だと思ったんだよ」
バーティは意味深長なうなり声をあげたが、“たで食う虫も好きずきだからな”という意味のようだった。
ふたたび四角い建物が出てきたが、今度は窓も煙突もついている。
「キリスト教女子青年会(YWCA)のマンチェスター支部の模型だ」とハーヴェイが言った。
「そこにはライオンがいる?」エリックが希望を託すように聞いた。ローマ古代史を読んでいたので、キリスト教徒がいるようなところであれば、ライオンが数頭いても理にかなっているだろうと思ったのである。
「ライオンはいない」ハーヴェイは答えた。「ここにもうひとり市民がいる。ロバート・レイクスだ。日曜学校の創設者だよ。この模型は市営の洗濯場だ。この小さな丸っこいものは衛生的なパン工場で焼いたパンだよ。この鉛の人形は衛生検査官で、こっちは地方議員、こっちは地方自治体の職員だ」
「その人、何するの」うんざりしたようにエリックが聞いた。
「自分の部署に関連した仕事をやるんだ」ハーヴェイが答えた。「この溝のある箱は投票箱だよ。選挙のときは投票用紙をこの中に入れる」
「ほかのときには何を入れるの?」バーティが聞いた。
「何も入れない。さて、こっちはいろいろな仕事道具だよ。手押し車に鍬、それにたぶんこの何本もあるのは、ホップをはわせる支柱なんだろうなあ。これはミツバチの巣箱の模型、こっちのは換気扇だ、下水施設の換気をするんだな。市営の集塵庫がもうひとつ出てきたと思うだろう、だが、こっちは美術学校と公営図書館の模型だ。この小さな鉛の人形は、ミセス・ヘマンズ、女流詩人だよ。こっちはローランド・ヒル、ペニー郵便制の創設者だ。そうしてこれがサー・ジョン・ハーシェル。高名な天文学者だ」
「で、ぼくらはこの市民の人形で遊ぶの?」エリックが聞いた。
「もちろん。全部おもちゃなんだ。遊ぶためにある」
「だけど、どうやって?」
これはなかなかの難題だった。「このなかのふたりにイギリス議会の議席を争わせたらどうだろう」とハーヴェイは言った。「選挙をして……」
「腐ったタマゴをぶつけたり、乱闘して、大勢の人が頭を割られるんだね!」エリックが歓声をあげた。
「それから、みんな鼻血を出したり、酔っぱらったりもするんだ」バーティがそれに合わせた。ホガース(※イギリスの風刺画家)の絵を注意深く見ていたのである。
「ちがうちがう」ハーヴェイは訂正した。「そういうのとは全然ちがう。投票用紙を投票箱に入れて、市長がそれを数える――そして、どちらが多く得票したか発表する。ふたりの候補者は、市長に向かって、議長を務めてくれたことのお礼を言ったあと、お互いに対しては、不正なく、気持ち良く戦えた選挙戦だった、と言い合って、お互いが敬意を表明して別れるんだ。すごく楽しいゲームだし、おまえたちも遊んでごらん。ぼくが子供のころにはこんなおもちゃはなかったよ」
「いまはそれで遊ばない」エリックは、叔父が見せた熱意のかけらさえ見せずに言った。「たぶん、休暇中の宿題をやった方がいいと思うんだ。今度は歴史だよ。フランスのブルボン王朝についていろんなこと勉強しなきゃ」
「ブルボン王朝か」ハーヴェイの声は不満の意がにじんでいた。
「ルイ十四世のことを調べるんだ」エリックは続けた。「ぼくはもう主だった戦争の名前は全部覚えたよ」
こういう事態は断じて捨ててはおけない。「もちろん彼の在位中にも戦闘はいくつかあっただろう。でも、おそらくそうした本には、かなり大げさに書いてあるはずだよ。当時のニュースなんて、信頼できるようなものではなかったし、そもそも従軍記者さえいなかったんだから。将軍だろうが司令官だろうが、自分たちが関わったちょっとした小競り合いを、天下分け目の戦闘でもあるかのように吹聴したんだな。ルイは確かに有名だった。だがそれは風景式庭園の設計者としてだよ。ヴェルサイユの設計は実際たいしたもので、ヨーロッパ中にそれとそっくりなものがいくつもできるほど、高く評価されたんだ」
「マダム・デュ・バリー(※ルイ十五世の愛妾)のこと知ってる?」エリックが聞いた。「この人も首をちょん切られたんじゃなかったっけ?」
「この人も庭造りを愛した人だった」ハーヴェイはそう言って逃げを打った。「実際、有名なデュ・バリーという種類のバラは、この人の名前を取ったんだ。ところで、おまえたち、いまはちょっと遊んで、勉強はもうちょっとあとにしたらどうかな」
ハーヴェイは書斎に引っ込むと、三、四十分のあいだ、小学校で使えるような歴史書の編纂は可能だろうかと考えていた。戦争や虐殺、血なまぐさい陰謀や変死にはっきりとは触れないですませるのだ。ヨーク朝やランカスター朝、あるいはナポレオンの時代など、どう考えても困難をきわめるだろうし、三十年戦争にまったくふれないとすると、歴史に穴を開けてしまうことになる。それでも、影響を受けやすい年頃に、子供たちがスペインの無敵艦隊やワーテルローの戦いに夢中になるかわりに、更紗模様を考案すれば、どれだけ多くのものが得られるだろう。
そろそろ時間だ、と考えた。子供部屋に行って、彼らがあの平和的なおもちゃでどのように遊んでいるか見てやろう。ドアの前に建つと、エリックが命令を下している声が聞こえてきた。バーティも要所要所でアイデアを出して協力している。
「そいつはルイ十四世だ」エリックが言っていた。「膝丈の半ズボンをはいてる、叔父さんが日曜学校をこしらえた人だっていったやつ。ちっともルイ十四世っぽくないんだけど、仕方ない」
「また今度、絵の具を使って、紫の上着にしてやろうよ」とバーティが言った。
「そりゃいいな、それにヒールを赤くしてやろう。それはマダム・ド・マントノン、おじさんがミセス・ヘマンズって言ってたやつ。マダム・ド・マントノンはルイに、今度の遠征には行かないでくれ、って頼んだんだけど、ルイは聞く耳を持たなかったんだ。遠征にはサクス元帥を同行させたから、ぼくらも千人の兵隊を連れて行ったことにしよう。合い言葉は“Qui vive?(誰だ)”に対して答えは“L'etat c'est moi(朕は国家なり)”だ――ルイ十四世のお気に入りのせりふだったんだぜ。真夜中、マンチェスターに上陸して、ジャコバイトの共謀者が要塞の鍵を渡すんだ」
ハーヴェイがドアの隙間からそっとのぞいてみると、市営集塵庫にはいくつも穴が開けられて、想像上の大砲の砲口がそこからのぞいているらしく、いまやマンチェスターの主要防衛拠点となっていた。ジョン・スチュアート・ミルは赤インクに浸されて、どうやらサクス元帥の代理となっているらしい。
「ルイは自分の軍隊にYWCAを包囲させて、大勢の人を拿捕するように命令を出すんだ。『ひとたびルーヴルに帰れば、女たちはみな余のものじゃ』ってルイが叫ぶんだ。ミセス・ヘマンズにはもう一度来てもらって、そこの女のひとりにしなくちゃ。その女は言うんだ。『決してそんなことはさせません』って。そう言って、サクス元帥の心臓を刺す」
「すごく血が出るよね」バーティが叫び、YWCAの正面に気前よく赤インクをぶちまけた。
「兵隊たちが殺到して、元帥を殺したことで、最高に残虐な復讐をする。百人の女が殺される」――ここでバーティが赤インクの残りを信仰厚い建物にぶっかけた――「そして生き残った五百人はフランス船に連行されるんだ。“わしは元帥を失った”ってルイは言う。“だが、徒手では帰らぬぞ”」
ハーヴェイはそっと子供部屋を離れて、姉のところへ行った。
「エリナー」彼は言った。「実験は……」
「どう?」
「失敗だ。始めるのが遅すぎた」
The End
※「平和的おもちゃ」で遊んでいるエリックとバーティの話は、当然史実には基づいていない。もちろんルイ十四世やサクス元帥(モーリス・ド・サクス)、マダム・ド・マントノンは実在するが、彼らがマンチェスターに上陸してYWCAを包囲するような歴史はどこにもない。サクス元帥はフランスの名高い軍人であるが、フランス軍に入ったのはルイ十四世没後、つぎのルイ十五世の代である。ただ、イアサント・リゴー描くところのルイ十四世(※wikipedia)は、確かに踵だけ赤い靴を履いている。
The Byzantine Omelete
「ビザンチン風オムレツ」
ソフィー・チャトル=モンクハイムは思想信条に基づいて社会主義者となり、婚姻に基づいてチャトル=モンクハイム家の一員となった。この富裕な一族の一員たる夫君は、名だたる財産家に数えられる他の親族同様に大金持ちだったのである。ソフィーは富の分配に関しては、きわめて進歩的かつ明快な見方をしていた。つまり、自分もまた裕福であるのは、喜ばしい偶然の成り行きに過ぎない、と。社交界の集まりでも、フェビアン協会の会議で資本主義の害悪を猛烈に批判しているときでも、たとえあらゆる不平等と不正が渦巻いているにせよ、現体制が少なくとも自分の生きているあいだは持ちこたえるだろうという安心感だけはつねに抱いていたのである。他人に繰りかえし説いている大いなる幸福が、仮に将来実現したとしても、自分はそのころにはもはや生きていまいと思えることは、中年の社会改革主義者にとって大きな慰めにちがいない。
ある春の夕刻、ほどなく夕食の時間になろうかという頃合いだった。ソフィーは鏡とメイドにはさまれて静かに腰をおろし、広く流行しているスタイルを巧みに反映した髪型に結ってもらっているところだった。あたりは平安に包まれている――努力と忍耐を重ねたあげく、とうとう望みをかなえ、到達した地平はやはりすばらしいものだった、とわかった人の平安である。来賓としてこの屋敷にお越しになることが決まったシリア国王が、いままさにお着き遊ばしたところで、ほどなくダイニングルームでの晩餐の席にお着きになろうとしている。正しき社会主義者のひとりとして、ソフィーは社会的差別は認めないし、王位などという概念も軽蔑してはいたが、現実にこうした人為的位階というものが存在している以上、高貴なる階級の高貴なる実例を、自分の屋敷で開かれるパーティに迎えることは、喜ばしいことであり、同時にまた望ましいことでもあることに変わりはない。彼女は罪を憎んで人を憎まぬほどに寛容なる精神のもちぬしであったのだ――ほとんど知ることもないシリア国王に暖かい個人的な親愛の情を抱いているわけではなかったが、国王としていらっしゃってくださる方なのだから、これほどありがたいことはない。なぜありがたいかを聞かれても答えようがなかったが、誰もそんな説明は求めなかったし、多くの女主人たちは彼女を大いにうらやんだのである。
「腕に特別、よりをかけてちょうだい、リチャードスン」満ち足りた調子でメイドに言った。「とびきりきれいにしておかなくてはね。みんなでとびきりのところを見せるのよ」
メイドは何も答えなかったが、懸命なまなざしや、たくみな指さばきを見れば、彼女がとびきりのところを見せようとしているのはあきらかだった。
そこへドアをノックする音が聞こえた。落ち着いた音だが、無視されることがあろうとは毛頭思っていない者の高圧的な響きがある。
「誰だか見てきてちょうだい」ソフィーが言った。「ワインのことかしらね」
リチャードスンはドアの向こうの姿を見せない誰かとあわただしく言葉を交わしている。やがて戻ってきたときには、それまでのしゃきっとした態度はどこへやら、うってかわって物憂げな様子になっていた。
「どうしたの?」ソフィーは尋ねた。
「奥様、屋敷の召使い一同『職場放棄』をすることになりました」
「なんですって?」ソフィーは叫んだ。「ストライキをやるっていうの?」
「そうでございます、奥様」リチャードスンはつけ加えた。「問題はガスペアなのでございます」
「ガスペア?」いぶかしげにソフィーは言った。「臨時のシェフね! オムレツの専門家!」
「そうでございます、奥様。ガスペアはオムレツの専門家になる前、従僕をしておりましたが、二年前、グリムフォード卿のお屋敷で一斉ストライキが行われたときのスト破りの一員だったのでございます。召使いはみな奥様がガスペアをお雇いになったことがわかってすぐに、抗議の意をこめて『職場放棄』を断行することに決定いたしました。奥様に対しては不満はございませんが、ガスペアを即時解雇を要求しております」
「でもね」ソフィーは抵抗した。「イギリスでビザンチン風オムレツの作り方を知っているのはガスペアだけなのよ。シリア国王がお越しになるというので、わざわざ雇ったんだから。こんな間際になってから、ガスペアの代わりなんて捜そうにも無理な話なの。パリに使いをやらなきゃいけないし、おまけに国王はビザンチン風オムレツが大好物でいらっしゃるんだから。駅からここまで来るあいだにも、お話くださたのはそのことばかりだったのよ」
「グリムフォード卿のお屋敷で、スト破りをやった一味でございますよ」リチャードスンはあらためて表明した。
「それにしてもあんまりよ」ソフィーは言った。「こんなときに召使いがストライキをするなんて。シリア国王はもう屋敷にお越しなのよ。すぐに何か手を打たなくちゃ。急いでわたしの髪を結ってちょうだい、向こうへ行ってみんなを集めて何ができるかやってみるから」
「これ以上お髪を結ってさしあげるわけにはまいりません、奥様」リチャードスンは静かに、だがきっぱりとした調子で言った。「わたくしも組合に入っておりますし、ストライキが決着するまでは、たとえ三十秒であろうと仕事はいたしません。ご希望にお応えできませんでほんとうに申し訳ございません」
「だけど、それは人としてずいぶんひどい仕打ちじゃなくて?」ソフィーは悲痛な声を上げた。「わたしはいつも模範的な女主人たるべく、かならず従僕組合に所属している者を雇ってきた。その結果がこれなの? 自分じゃ髪をどうにもできない。やり方なんて知らないんだもの。どうしたらいいの? 非道にもほどがあるわ」
「非道なのはこのご時世でございますよ」とリチャードスン。「わたくしはれっきとした保守党支持者でございますから、社会主義者の愚かしさには、つくづく腹に据えかねております。あれは専制政治でございますよ、ええ、まったくあらゆる面で。それでもわたくしも口に糊していかなければなりませんからね、ほかの方々と同じに。ですから組合に入らないわけにはいかなかったのでございますよ。ストライキが決着するまでは、わたくしもヘアピン一本すらさわることはできません。たとえ奥様がお給料を倍にしてやる、とおっしゃったとしても」
疾風にあおられたかのような勢いでドアが開き、キャサリン・マルサムが大変な剣幕で乗り込んできた。
「まったく結構なことだわよ」と金切り声を上げる。「家中の召使いが何の前触れもなしにストライキを始めてくれたおかげで、わたしはこのざまよ! こんな格好じゃ人前になんて出られやしない」
ざっと確かめて、ソフィーは、確かにそれでは無理ね、と請け負った。
「ストライキに入ったのは全員なの?」ソフィーはメイドにたずねた。
「料理人たちはちがいます」とリチャードスンが答えた。「組合が異なりますので」
「少なくとも晩餐の方は大丈夫ということね」ソフィーは言った。「それだけでもありがたいと思わなくちゃ」
「晩餐ですって」キャサリンは鼻先で嗤った。「わたしたちのだれも出られなくて、料理がいったい何になるっていうの? あなたの頭を見てごらんなさいよ――おまけにわたしのこのざまを! あらいやだ、見ないでちょうだい」
「メイドがいなきゃどうにもならないことはわたしにもわかってるわよ。あなたのご主人は力になってくださらないかしら?」わらにもすがるような気持ちでソフィーは言った。
「ヘンリーが? あのひと、わたしたちよりひどい目に遭ってるのに。あのひとが使ってる近侍しか、例のバカみたいな最新型のサウナの使い方をちゃんと知らないの。うちのひと、どこへ行ってもサウナに入らなきゃ気が済まないひとでしょ」
「ご主人だって一晩ぐらいならサウナなしでも大丈夫よ」ソフィーは言った。「わたしなんて髪をちゃんと結わなきゃ人前に出ることもできないのに、サウナだなんて贅沢だわ」
「あのねえ」キャサリンは恐ろしいほどの激しさで食ってかかった。「ヘンリーはストライキが始まったとき、サウナに入ってたの。サウナのなかに、よ、おわかり? まだあのなかなの」
「出られないの?」
「どうやって出たらいいのかわからないんだもの。ヘンリーが『開』って書いてあるレバーをひっぱるたびに、熱い蒸気が出てくるし。サウナには二種類の蒸気が出るようになってるのよね、『高温』と『超高温』の。ヘンリーったら両方とも開けちゃってるのよ。もしかしたらわたし、もう未亡人になっちゃったかもしれない」
「ガスペアを解雇するなんて、どうしてもできないわ」涙声でソフィーが言った。「ほかにもうひとり、オムレツの専門家を確保するなんて、どう考えてもできっこないもの」
「ほかにもうひとり夫を確保する大変さなんて、もちろんあなたが考えなきゃならないことにくらべたら、取るに足らないことですものね」キャサリンは吐き捨てるように言った。
ソフィーは折れた。「行ってきて」とリチャードスンに命じた。「ストライキ委員会だかなんだかの指揮を執っている人にこう言うのよ。ガスペアは即刻解雇するって。そうして、ガスペアにはこう伝えてね。奥様が書斎でこれからすぐお会いしたいとおっしゃってる、って。お給金ははずむつもりだし、今回の事情はちゃんと説明するからって。それだけ伝えたら、飛んで帰って、わたしの頭を仕上げてちょうだい」
三十分ほどのちに、ソフィーは客人たちを大広間に迎え入れ、ダイニングルームへと形式に則って入室する手はずを整えた。ヘンリー・マルサムが熟れたラズベリーのような顔色、ときおり内輪の素人芝居の舞台で見かけるような色になっていたが、彼を除けば、さきほどまでに遭遇し、かろうじて乗り越えることができた苦難の痕跡を、外見上に残している者はいなかった。だがその危機に直面しているあいだ、あまりに神経を張りつめていたのだろう、そうした精神的な影響は多少残っているようだった。ソフィーはやんごとなき客人と上の空で言葉を交わしながら、晩餐の支度が整った、という祝福の知らせを届けてくれるはずの大きなドアの方へ、頻繁に眼が吸い寄せられていくのはどうしようもなかった。ときおり鏡に眼を走らせて、すばらしい髪型に仕上がった自分の頭をうかがう。さしずめ大嵐を乗り越えた船が、無事港に入ってくるのを見た海上保険業者の気分であろうか。そのときドアが開いて待ちかねていた執事が部屋に入ってきた。ところが晩餐が始まることを一同に告げようともせず、ドアは執事の後ろで閉じてしまった。執事の知らせはソフィーただひとりに向けられた。
「奥様、お食事はございません」しかつめらしくそう言った「厨房一同『職場放棄』いたしました。ガスペアは料理人及び厨房従業員組合に所属しておりまして、ガスペアの略式解雇の報を聞くや、即刻ストライキに突入いたしました。ガスペアの即時復職と組合に対する謝罪を求めております。念のため、申し添えておきますと、奥様、彼らは大変に強硬でございます。すでにテーブルに配っておりましたメニューまで、わたくしに回収するように求めたのでございます」
それから十八ヶ月が過ぎ、ソフィー・チャトル=モンクハイムはまた、かつて頻繁に足を運んだ場所や親しい人びとのもとに出向くようにはなったが、依然として要注意の状態であることに変わりはない。医師たちは、上流社会の集まり、あるいはフェビアン協会の会議といった、興奮の可能性の高い場所は、出席を禁じている。もっとも彼女がそれを望んでいるかどうか、はなはだ疑問ではあるが。
The End
※作中に出てくる「フェビアン協会」は十九世紀末イギリスで、中産階級の知識人によって結成された社会主義団体である。マルクス主義の階級闘争理論は否定し、社会を漸次的に改良しながら福祉国家を実現していくというもので、H.G.ウェルズも一時そのメンバーだった。サキは政治的には保守主義者で、フェビアンの思想とは相容れなかったもののようだ。フェビアンの代表的な人物というと、劇作家のバーナード・ショーがかならず言及されるのだが、サキが1914年に発表した第二短編集のタイトルは "Beasts and Super Beasts"(訳すと『獣と超獣』ということになる)で、これはバーナード・ショーの "Man and Superman"(『人と超人』)のパロディである。ショーはフェビアン協会の創設者を通じて、アイルランドの富裕な遺産相続人のシャーロット・ペイン=タウンゼントと結婚しているのだが、このソフィーはショーに対する皮肉がこめられているのかもしれない。
闘争と人間と
今回はサキの短編のなかから「闘争」にまつわる作品を選んでみた。
「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」でのレディ・カーロッタとクォーバール一家の闘争、「平和的なおもちゃ」は、戦争にまつわるおもちゃを排斥しようとした平和主義者の闘争、「ビザンチン風オムレツ」では、フェビアン協会のメンバーであるソフィー・チャトル=モンクハイムと召使いのあいだの闘争である。だがそこはサキのこと。闘争を描くことを通して、笑いのめすの「ある種の人びと」がいる。
「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」では、レディ・カーロッタがあまりに強烈な個性を見せるため、うっかりすると見逃してしまいそうになるのだが、この作品で皮肉の矛先が向けられているのはミセス・クォーバールである。レディという爵位は持っていても、おそらくは貧乏貴族であろうレディ・カーロッタに対して、上層中流階級の一員たるミセス・クォーバールは「いわゆる「生半可な自信家」というやつで、正面切って反論されない限りは、なかなかの独裁者ぶりを発揮する。ところが思いがけず、抵抗のそぶりをちょっとでも見せられると、たちまち降参してしまい、うってかわって弁解これ努める」ような人物である。いつも相手をうかがっては、たえず自分より上か下かを測り、自分より下と見れば威張り散らし、上と見れば尻尾を巻くようなミセス・クォーバールは、サキの作品にはおなじみの、作り話の名人であるレディ・カーロッタの口から出任せにひどい目に遭わされる。
「平和的なおもちゃ」での皮肉の矛先は、歴史からあらゆる戦争を隠蔽しようとする平和主義者に向けられる。隠蔽しようとして逆にあらわになるのは、人間の歴史が戦争の歴史に他ならないということである。人は人と争いながら国土を拡張し、あるいは他国の資源や文化を自らのものにしながら新しいものを生み出してきた。そういう側面を無視して「暴力的なもの」だけを隠し、排除しようとするとどうなるか。「平和的なおもちゃ」は勉強するよりつまらない。そこにはドラマもなければ葛藤も生まれない。ジョン・スチュワート・ミルの人形では、遊びようがないのだ。
このなかでもっとも皮肉の色が濃いのは「ビザンチン風オムレツ」だろう。召使いの組合を認めるほど進歩的であることを自認するソフィー・チャトル=モンクハイムは、自分の理想とする社会が、少なくとも自分が生きているあいだには実現しないことで安心しているほどに欺瞞的な人物である。その彼女が一番高いところに上りきったところで、サキは梯子を外してしまう。それも、彼女の欺瞞が原因なのである。
闘争は、どれほどささやかなものでも、平時とはちがう人びとのある側面を凝縮して浮かび上がらせる。日常生活では表だってはあらわれてこない欺瞞も、うぬぼれも、残酷さも、たとえ相手から仕掛けられた諍いであっても、否応なく暴かれるのである。
考えてみると、古来の芸術的傑作には戦争に刺激せられてできたものが非常に多い。造形美術ではペルシア戦争後のアテナイの諸傑作などがその最も著しい例である。文学でも『イリアス』が戦争の詩である事は言うまでもなく、ダンテの『神曲』は十字軍から百年戦争までの間の暗い時代にダンテ自身の戦争経験をも含めて造られ、ゲエテの『ファウスト』は仏国大革命の時代をその製作期として持っている。これらは戦争の刺激によって芸術家が人生全体を通観する機会を与えられた、という事実を語るものではなかろうか。『イリアス』が古代世界を代表し、『神曲』が古代と中世を包括し、『ファウスト』が古代中世近代の全体を一つの世界にまとめ上げた、というように、大仕掛けな、時代全体のみならず、人類の運命全体を表現しようとする芸術品は、我々の時代においても、現戦争(※第一次世界大戦のこと)のすさまじい刺激の下から、生まれて来はしないだろうか。
(和辻哲郎「世界の変革と芸術」『和辻哲郎随筆集』岩波文庫)
サキの短編は、もちろん「人類の運命全体を表現しようとする」ような大げさなものではない。日々のちょっとした小競り合いのなかで浮かび上がる人間の愚かしさを笑いに包んでそっと差し出すのである。わたしたちはひどい目に遭わされる人びとの愚かしさを笑えばいい。ときに、身近にいる誰かを当てはめてみてもいいかもしれない。だが、笑ったあとでちょっと振り返ってみよう。自分のなかにも「生半可な自信家」がいるのではないか。都合の悪いところだけ隠して取り繕って、全体を色あせたものにしていたりしないか。口先だけの正義を振り回してはいないか。気をつけていないと、ある日、レディ・カーロッタのような人物がやってきて、ひどい目に遭わされるかもしれない。
考えてみれば、植民地ビルマに生まれ、第一次大戦中に従軍して戦場で死んだサキの作品も、「戦争に刺激せられてできたもの」と言えるのかもしれない。
サキはいつも少しちがうところから人びとの営みを眺めていた。それは神の視点なのではなく、もしかしたら、戦争模型で豊かなストーリーを紡ぎ出して遊ぶ子供の視点だったのかもしれない。
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