サキ コレクション vol.8:ああ、勘違い
「この先、うちにウィルフリッド・ピジョンコートが来てくれるようなことは、もう二度とないでしょうね。准男爵の爵位とあれだけの財産を相続したとなっては」ピーター・ピジョンコート夫人は残念そうな顔つきで夫に言った。
「おそらくそうだろう」と夫は答えた。「これまでずっと、うちの方が何とかして来させまいとしてきたんだ。なにしろ、先行き、見込みのありそうなやつじゃなかったからな。十二のときに来たのが最後か」
「おつきあいを控えてきたのにも、それなりの理由があったんですよ」と夫人は言った。「いわくつきの人ですからね。どこのお宅だって、お客に迎えるなんてまっぴらだったはずよ」
「確かにな。例の癖はまだ治ってないのかね? それとも財産ってやつには、相続した人間をまるっきり別人にしてしまえるような力があるものなのかね?」
「治るわけがないでしょ。だけどねえ。この先、一族を背負って立つ人ともなれば、誰だってお近づきになりたくもなるわよ。たとえそれが興味本位ってだけでもね。これは嫌味でもなんでもないんですけど、世間ってものは、お金持ちに対しては、たとえどんな欠点があったにせよ、まるっきりちがう見方をするものでしょ? そこへもってきて、ちょっとした小金持ちなんかじゃない、桁外れの大富豪になったんですもの。これから先、何をしたって『お金ほしさでやったんだ』なんて、思う人はいないわよ。ただの“こまった病気”で収まるんでしょうね、きっと」
サー・ウィルフリッド・ピジョンコートの跡を急遽継ぐことになったのは、甥のウィルフリッド・ピジョンコートである。従兄弟のウィルフリッド・ピジョンコート少佐が、ポロ競技中の事故の後遺症がもとで急逝した結果、そういう運びになったのだ(一族が“ウィルフリッド”という名を偏愛しているのは、元祖ウィルフリッド・ピジョンコートがマールボロ将軍の軍事行動において叙勲されたことに由来する)。
爵位と財産を新たに相続した二十五歳そこそこの青年は、ピジョンコート一族の中でも、とかく噂のある人物だった。しかもその噂というのが、いささか外聞をはばかる体のものだったのである。
一族中にあまたいる“ウィルフリッド”たちは、“ハブルタウンのウィルフリッド”とか“砲術長のウィルフリッド”などと、住所や職業をつけることで区別されているのだが、彼だけは“かっぱらいウィルフリッド”という不名誉かつそのものずばりの名で知られていた。というのも、小学校時代の終わりごろから、“かっぱらいウィルフリッド”は、執拗かつ猛烈な盗癖にとりつかれていたからだった。
見ようによっては「収集家の資質を備えていた」と言えなくもない。ただ、収集家につきものの偏愛とは無縁だった。食器棚より小さくて、持ち運び可能、しかも9ペンス以上の値打ちがありさえすれば何であれ、彼にはあらがいがたい魅力を持つ。もうひとつ、他人の所有物であること。それが、欠くべからざる要件だった。
何かの拍子に郊外の屋敷で開かれるパーティに招待されようものなら――近年ではそんな機会にも、とんと縁がなくなっていたが――そこを発つ前夜には、かならず招待主かその家の誰かが愛想を振りまきながら彼の荷物を改めにやってくる。ごめんなさいね、ほかの方のものが「まちがって」まぎれこんでないか、確かめさせてくださいね、とかなんとか。そうしてさまざまなものが、つぎからつぎへと発見されることになるのだった。
「妙なことがあるものだ」ピーター・ピジョンコート氏は、ウィルフリッドの話をしてから半時間もしないうちに妻にそう言った。「やっこさんから電報が来たぞ。車でこのあたりに来ることになったんだそうだ。だから顔を見せに来たいんだと。おまけに、さしつかえなければ一晩泊めていただけませんか、とある。『ウィルフリッド・ピジョンコート』と署名してあるんだが、“かっぱらい”に相違あるまい。自動車なんぞ持っている者はほかにはおらんからな。やっこさん、わたしたちに銀婚式の祝いの品を持ってくるつもりらしい」
「あらまあ、大変!」不意にミセス・ピーターはあることを思い出した。「いま手癖の悪い人に来られちゃ大変だわ。客間には贈り物の銀器があんなに飾ってあるんですよ。これから先だって、郵便屋さんが来るたびに、いろんなものが届くんだから。何をいただいたんだが、これからいったい何が来るんだか、わたしだってわからなくなってるのに。全部片づけて鍵をかけたって、きっとムダよね。見せろって言うに決まってるんだから」
「やっこさんから目を離さないようにすることだな」ピーターはそう言ってなだめようとした。
「だけどああした筋金入りの盗みの常習者って、ほんとに頭が切れるものなのよ」と妻の不安は去りそうもない。「第一、見張ってるのがばれたら、わたしたちの方がきまり悪いわ」
その晩、やってきた客をもてなしているさなか、一同の上にたれこめていたのは、実に気まずい空気だった。会話はひとところに落ち着くことを知らず、当たり障りのない話題ばかりが矢継ぎ早に口にされては消えていく。だが、客人はあたりをうかがうようなそぶりも見せず、後ろ暗さとも無縁だった。礼儀正しく、堂々たるものごしには、いくぶん「上流」ぶったところさえ見受けられる。一方の迎える側の夫妻ときたら、終始落ち着きがなく、あたかも彼らの方が、よからぬ魂胆でも抱いているかのようである。食後、居間へ場所を移してからのふたりは、いよいよぎこちなくなってしまった。
「あら、そういえばわたしたち、銀婚式の贈り物をまだお見せしていませんでしたわね」と出し抜けにピーター夫人は言った。にわかにお客様をもてなすすばらしい趣向を思いついたらしい。「こちらをごらんになって。すばらしいし、ほんとうに実用的な贈り物ばかりなんですよ。まあ、よくあることですけれど、いくつかだぶってしまってるんですけどね」
「クリーム入れが七つ」ピーターが間に入った。
「ええ、ほんというと、困ってしまってるんですのよ」ピーター夫人は続けた。「七つもいただいちゃったんです。これから先、一生クリームだけで生きていかなきゃならなくなりそうね。もちろん取り替えられるものは取り替えてもらえばいいんですけど」
ウィルフリッドの関心は、もっぱらアンティークの贈り物に向いたようだった。そのうちのひとつかふたつを、わざわざランプのところまで持っていって、銘を調べてるほどの念の入れようである。主人夫妻は、まるで親猫になったような気持ちを味わっていた。たったいま自分が生んだばかりの仔猫が人間に取り上げられて、てのひらに乗せられ、しげしげと眺められている……。
「そういえば、辛子つぼは返してくださいました? ここにあったんですけれど」うわずった声でピーター夫人が言った。
「すいませんね。クラレットの瓶の脇に置いておきました」そう言いながら、ウィルフリッドは今度は別のものに目を奪われている。
「あの、その砂糖入れ、もうこちらへいただけません?」ピーター夫人は神経質そうな中にも断固たる決意をこめてそう言った。「忘れてしまわないうちに、どなたからいただいたものか、ラベルをつけておかなければ」
これほど警戒したにもかかわらず、どうもそれが功を奏したようには思えない。「おやすみなさい」と客と分かれてから、ピーター夫人は、何か盗られたにちがいない、と自分の疑念を口にした。
「確かにやっこさんの挙動には、うさんくさいところがあった」夫もその疑念に賛同した。「何かなくなったものはないか?」
ピーター夫人はあわてて贈り物の数を数えた。
「三十四しかないわ。たしか、三十五なきゃいけないはずなんだけど」と夫人は報告した。「大執事様がくださった薬味立てがまだ届いていないのを含めて三十五だったのかしら」
「そんなはずはなかろう」ピーターは言った。「あのいやしいやつめは贈り物を持ってきてないんだ。その上、ひとつだって持って行かれでもしたら、たまらんよ」
「明日、あのひとがお風呂に入っているときに」ピーター夫人は興奮した面もちで言った。「きっとカギをそこらへんに置いてるでしょうから、旅行トランクを調べてみましょう。それしか方法がないわ」
翌朝、ふたりは共謀して半開きのドアの陰に潜み、鋭い目を光らせていた。豪華なバスローブを羽織ったウィルフリッドが浴室へ向かったのを見届けるやいなや、興奮のおももちで、忍び足で客用主寝室へ急いだ。ピーター夫人が外で見張っているあいだに、夫が大急ぎでカギを探す。首尾良く見つけだし、職務に忠実至極の税関吏さながらに、旅行用トランクに突進した。だが、探索はあっけなく終わった。銀のクリーム入れが畳んだ薄手のシャツの間におさまっていたのである。
「なんて悪賢いやつかしら」ピーター夫人は言った。「クリーム入れがたくさんあるもんだから盗ったのね。ひとつぐらいなくなっても見とがめられないだろうと思って。あなた早く。急いで持って降りて、ほかのと一緒にしておかなくちゃ」
ウィルフリッドが朝食に下りてきたのは、それからずいぶんしてからだった。いかにも何かがあったような顔つきである。
「こんなことを言うのは、実に気が引けるのですが」しばらくして急にこう言い出した。「どうやらおたくの召使いには、手癖の悪い者がいるようですね。旅行用トランクからあるものがなくなってるんです。それも、おふたりの銀婚式のお祝いに、と思って持ってきた、母とぼくからのささやかな贈り物が。
「昨夜、お食事のあとにでもお渡ししようと思っていたんですが、生憎、クリーム入れだったんです。ところがクリーム入れがいくつも贈られてお困りだという話をうかがったものだから、そのうえにまたクリーム入れをお贈りするわけにもいかなくなってしまいまして。何か違うものと変えようと思っていた矢先、なくなってしまいまったんです」
「お母様とあなたから?」ピーター夫妻は思わず声をそろえて聞き返した。“かっぱらいの両親がともに亡くなって、もうずいぶん年月が過ぎている。
「そうです。母はいまカイロにいます。ドレスデンのぼくのところに手紙を寄越して、何か風変わりで美しい、いぶし銀の縁取りのあるものを探してお贈りするように、と言ってきたんです。そこでクリーム入れに決めたんですよ」
ピーター・ピジョンコート夫妻は真っ青になった。ドレスデンという言葉が、事態を余すことなく明らかにした。そのウィルフリッドは、大使館員のウィルフリッドだったのである! 一族のなかでも並はずれて上流に属するその青年とピーター夫妻はほとんど社交上で接点がなかったために、自分たちがもてなしているウィルフリッドが“かっぱらい”ではないことに気がつかなかったのだ。彼の母君であるレディ・アーネスタイン・ピジョンコートは、所属する階級も、望むところも、ピーター夫妻からすれば“雲の上”の人種で、息子の方もそのうち大使になるであろうと言われていた。かかる人物のトランクをピーター夫妻は引っかき回し、略奪行為を働いたのである! 夫も妻も茫然自失して、お互い顔を見合わせるばかりだった。だがそのとき、ピーター夫人の脳裡にひらめくものがあった。
「この家に盗人がいるなんて、なんて恐ろしいことでしょう! ええ、もちろん夜のうちは客間にはカギをかけているんですのよ、でもね、わたしたちが朝食の席にいるときは、何か持っていこうとおもえばできるんです」
夫人は立ちあがると、いかにも客間から銀器が盗まれていないか確かめに行くようすで大急ぎで部屋を出ていき、クリーム入れを手に戻ってきた。
「いま見たら、クリーム入れは八つもありましたのよ、七つではなくて」彼女は大声でそう言った。「これは以前はなかったものですわ。ミスター・ウィルフリッド、記憶って奇妙なものじゃございません? おそらくあなた、昨晩こっそり下にいらっしゃって、わたしたちがカギをかける前に、あそこに置かれたんですわ。それを朝になったらすっかりお忘れだったんじゃございません?」
「確かに記憶っていうのは、そんないたずらをすることがありますな」ピーター氏も必死の形相で妻に加勢した。「つい先日もこんなことがありましたよ。町へ支払いに行ったんですが、つぎの日、また行ってしまったんですな。きれいさっぱりそれを忘れ……」
「ぼくが買ったのは、確かにこれです」とウィルフリッドはしげしげと眺めた。「ぼくが今朝、入浴する前にバスローブを出したときは、確かにトランクの中にあたんです。それが、戻ってまたトランクのカギを開けたときにはもうなかった。ぼくが部屋にいないあいだに、持っていかれたらしい」
ピジョンコート夫妻は、これ以上青くなりようがない、というほど、まっ青になった。だが、その瞬間、まさに究極の天啓が夫人の脳裏にひらめいた。
「わたしの気つけ薬を取ってきてくださらないこと、あなた」彼女は夫に頼んだ。「化粧室にあると思いますわ」
ピーター氏はほっとして部屋を飛び出した。なにしろ先ほどまでの数分間があまりに長く思えて、じきに金婚式が来そうな錯覚にさえ陥っていたのだから。
一方のピーター夫人は、客の方に向き直った。あたかも相手を信頼して身内の恥をさらすように。
「外交官をなさっておられる方なら、こうしたことをどう処理すれば、何もなかったことにできるかご存じですわね。宅の主人にはちょっとした欠点がございましてね。血筋なんですの」
「まさか! もしかして、ご主人に窃盗強迫症がおありだというんじゃないでしょうね、あの“かっぱらい”の従兄弟のような」
「まあ、それとは少しちがうんですけれどもね」ピーター夫人は自分が夫に塗りつけた真っ黒な汚名を、いくばくかでもすすごうとした。「主人はそこらに放ってあるものには、指一本ふれようとしませんの。でも、かぎのかかっているものとなると、どうにも抵抗できなくなるらしくて……。お医者さまはなんでも特別な病気だとおっしゃっておられました。主人はあなたがお風呂にいらっしゃったら、さっそくトランクのところへ駆けつけて、真っ先に目に入ったものを持ってきてしまったにちがいありません。もちろん、クリーム入れを盗ろうなんていう気持ちはなかったのだと思います。ご存じのように、家にはもう七つもありますから。ええ、もちろんお母様とあなたがご用意くだすった贈り物が気に入らないなんてことじゃないんですのよ――シッ、ピーターが来ましたわ」
ピーター夫人はあわてふためいて言葉を切ると、小走りに廊下に走り出て、夫を迎えた。
「万事、片がつきました」夫人は夫にささやいた。「何もかも打ち明けましたわ。だからあなたからはもう何もおっしゃらないで」
「度胸のすわった女だな」ピーター氏は安堵の吐息をもらした。「わたしにはそんな真似はできそうもない」
外交官としての守秘義務は、内輪の出来事に対しては、かならずしも適用されるものではなかったらしい。
その年の春、ピジョンコート家にミセス・コンスエロ・フォン・ブリオンが滞在したときのこと、ピーター氏にはどうしても理解できないことがあった。ミセス・コンスエロは浴室に行くときかならず、どうみても宝石箱にちがいないものを、ふたつとも持っていくのだ。どうしてそんなことをするのだろう。廊下で会ったときには、マニキュアセットとフェイスマッサージのセットだと言い訳していたのだが。
The End
しだいに色あせていく薄曇りの秋の午後の日差しの中を、マーティン・ストーナーは重い足取りで歩いていた。ぬかるんだ小道を抜け、深いわだちの刻まれた馬車道をたどってはいるが、自分でもどこへ向かっているのか定かではない。なぜか前方に海が待ち受けているような気がして、足は自然とそちらを目指していた。どうして疲れ果て、棒のような足を引きずって、海へ行かなければならないのか、自分でもわからない。追いつめられたシカが崖の突端へと逃げていく、それと同じ本能にかられているとしかいいようがなかった。
彼もまた、運命という名の猟犬に追いつめられようとしていた。空腹で、疲れ切り、前途に何の明かりも差さない絶望の深い闇に閉ざされて、頭も麻痺したままだ。いったいどんな衝動が自分を無意識のうちに前へ進ませているのか、考えるだけのエネルギーをかき集める気力はなかった。
ストーナーは、さまざまなことに手は出すものの、ことごとく失敗に終わるという種類の人間だった。そもそも生来怠け者で、あとさきのことを考えないたちである。ささやかな成功のチャンスが訪れても、それをものにすることもできず、そのあげく行き詰まって、もはや何かをやってみようにも、その余裕はなくなっていた。自暴自棄になっているせいで、たくわえられているはずの気力を奮い起こすこともできない。見方を変えれば、金銭的な破綻を前に、精神が麻痺してしまっているとも言えた。
着の身着のまま、ポケットには半ペニーしかなく、頼りにできる友だちも知り合いもない。寝場所のあてもなければ、明日の食べ物のあてもなく、マーティン・ストーナーは濡れそぼった生け垣のあいだを抜け、雨だれの落ちる木の下をとぼとぼと歩いていた。脳裡には何も浮かばず、半ば無意識のうちに、この先には海があるのだ、というばくぜんとした思いだけがあった。ときおり、みじめなほどの空腹感が身をさいなむ。
やがて、大きく開いた門の前に出た。その先には、放ったらかしにされた庭が広がっている。その奥にはひとけのない田舎家があった。寒々として、誰も寄せつけまいとしているかのようだ。だが、ぽつぽつとまた雨が降り出して、ストーナーは少しのあいだだけでも雨宿りさせてもらえまいか、と考えた。残っている小銭をかき集めれば、ミルクの一杯でも飲ませてもらえるかもしれない。疲れ切った足でのろのろと庭に入り、石敷きの小道を通って裏口へ回った。すると、ノックもしないうちにドアが開き、腰の曲がったしなびたような老人が、入り口の脇に立っていた。まるで彼を出迎えているかのようだった。
「雨宿りさせてもらえ……」とストーナーが言いかけたところ、すぐさま老人がさえぎった。
「おかえりなさいませ、トムぼっちゃま。ぼっちゃまがじきに戻っていらっしゃるのはちゃんとわかっておりましたよ」
ストーナーはよろめくように敷居をまたぎ、立ったまま、わけもわからず相手の顔をじっと見つめた。
「さあさ、おかけになって。そのあいだにお食事のしたくをいたしますで」老人は震える声に熱をこめてそう言った。ストーナーの足は疲れのあまりにいうことを聞かず、すすめられた肘掛け椅子に、崩れるように沈みこんだ。ほどなく冷肉とチーズ、それにパンが目の前のテーブルに用意された。
「四年たっても、ぼっちゃまはちっともお変わりじゃございませんな」老人の話は続いているが、ストーナーの耳にはその声が、まるで夢の中で聞いてでもいるような、不思議なほど遠くから聞こえてくるような気がした。「じき、ぼっちゃまもお気づきにおなりでしょうが、こっちはずいぶんと変わりましたよ。ぼっちゃまがここをお出になったときにいた者は、もう誰も残ってはおりません。手前と大伯母様だけでございますよ。ぼっちゃまがお帰りになったことを、大伯母様にお知らせしてきます。お会いになってはいただけないでしょうが、ぼっちゃまがこの家にいらっしゃることをおとがめにはなりますまい。大伯母様はずっと言っておられました。ぼっちゃまが帰っていらっしったら、この家にはいさせてやる、けれど、会ったり話したりするのは、金輪際ごめんだわ、と」
老人はマグに注いだビールをストーナーの前に置くと、足を引きずりながら廊下の奥に消えていった。先ほど落ち始めた雨は、いまや雨足も強まりドアや窓を激しく叩いている。しのつく雨のなか、宵闇せまる海辺にいたとしたらどんなことになっていたかと思うと、ストーナーは体の奥がふるえるような気がした。食事をすませてビールも飲み終え、この家の奇妙な主が戻ってくるのをぼんやりと待った。
部屋の隅にある振り子時計が時を刻むごとに、この青年の胸の内に希望の灯がともり、それが次第に大きくなっていく。希望といっても、何かしら口に入れるものと、ほんの一時、休ませてもらえれば、という願いが、どうやらかなえてもらえそうなこの家で、一晩、雨露をしのぎたい、という願いにまで成長したというだけのことだったのだが。足音がちかづいてきて、老僕が姿を現した。
「やっぱり大伯母さまはお目にかからんそうです、トムぼっちゃま。ですが、ここにいたいならいればよい、とおっしゃってますよ。そりゃそうでございますわな。ご自分が土の中にお入りになったあとは、農場の一切合切はぼっちゃまのものなんですからな。ぼっちゃまのお部屋に火を入れておきましたよ。メイドも新しいシーツを敷いたところです。お部屋は元のまんま。さぞかしお疲れになって、早いとこ、おやすみになりたいでしょうな」
言葉を返すこともなく、マーティン・ストーナーは重い体を苦労しながら持ち上げると、救いの天使のあとについて廊下を歩き、きしむ階段を上ってから、また別の廊下を進んで大きな部屋に入った。暖炉の中で明々と燃える火があたりを照らしている。家具は少なかったが、どれも飾り気のない、古風で良いものばかりだった。飾りといったら、箱に入ったリスの剥製と壁に四年前のカレンダーが掛けてあるばかり。だが、ストーナーにはベッドよりほかは何も目に入らなかった。服を脱ぐのももどかしく、深い眠りにいざなう疲労という恰好の睡眠剤と共にベッドに倒れ込んだ。運命という名の猟犬も、束の間、追跡の脚を休めたようだった。
朝の冷たい光の中で、ストーナーは陰気な笑い声をもらした。自分の置かれた立場が、少しずつわかってきたのである。おそらく朝飯をかきこむあいだぐらいは、もうひとりの行き方知れずのろくでなしと見間違えていてもらえそうだ。向こうからかぶせられた化けの皮がはがれないうちに、無事に逃げ出すこともできるだろう。
階下の部屋では、腰の曲がった老人が“トムぼっちゃま”の朝食に、ベーコンエッグを並べている横で、ティーポットを手に入ってきたいかつい顔の初老のメイドがお茶をついでくれた。ストーナーが食卓に着くと、小さなスパニエルがじゃれついてきた。
「こいつはあのバウカーの子犬でございますよ」と老人が教えてくれた。いかつい顔のメイドは老人をジョージと呼んでいる。「バウカーはぼっちゃまだけになついておりましたからな。だもんで、ぼっちゃまがオストラリヤにいらっしったあとは、すっかり別の犬になってしまいましたよ。死んでもう一年になりますか。こいつがその仔で」
ストーナーは母犬の不幸を残念がる気にはなれなかった。もしその犬が生きていたなら、身元確認の証人というだけではすまなかっただろう。
「トムぼっちゃま、遠乗りでもなさいますか」老人の口から思いがけない言葉が出た。「乗り心地のたいそういい、葦毛の子馬が一頭おりましてな。ビディもまだまだ乗れますが、歳には勝てません。葦毛の方に鞍をのせて、戸口に連れて来させましょうか」
「乗馬の装備は何も持ってきてないからな」ストーナーは口ごもったが、着たきりの服に目を落とし、笑い出しそうになってしまった。
「トムぼっちゃま」老人は、聞き捨てならないことを言われたとばかりに、熱をこめて言った。「ぼっちゃまのものは、ひとつのこらず、元のままにしてございますよ。ちょっと火に当てて乾かせば、いつでもお召しになれます。馬にお乗りになったり、鳥撃ちにでもお出かけになったりすれば、気晴らしにもなりましょう。ここいらの連中は目引き袖引き、ぼっちゃまのことをあれこれ言いはしましょうが。そうそう忘れたり、水に流したり、というわけにはまいりませんからな。人が寄らないうちは、馬や犬相手に気晴らしをなさるのが一番でございますよ。動物というのは、なかなかの相手でございますから」
ジョージ老人が手配のために足を引きずりながら部屋を出ると、ストーナーは夢の中にいるような気分で“トムぼっちゃま”の衣装ダンスを探しに部屋に上がった。彼は乗馬がことのほか好きだったし、トムが旧知の人びとから爪弾きされているのなら、すぐさま化けの皮がはがれるようなこともあるまい。この侵入者はなんとか自分の身に合いそうな乗馬服に体を押し込みながら、近隣一帯の人びとを敵に回すとは、本物のトムはいったいどんな悪事をしでかしたのだろうと、ぼんやり考えた。だがその物思いも、湿った土を足早に蹴る力強いひづめの音に断ち切られた。
「さしずめ『馬に乗った乞食たち』(※ジョージ・カウフマンの喜劇)だな」ストーナーは考えた。昨日はみすぼらしい宿無しとして、ひとりとぼとぼと歩いていたぬかるんだ道を、今日は馬で駆け抜けている。だが、あれこれと考えるのも面倒になり、物思いなどかなぐり捨てて、まっすぐに伸びていく街道沿いの道を馬で駆ける快さに身をまかせた。
開いた門から畑へ向かおうとする荷馬車が二台、出てこようとしている。ストーナーは馬を止めた。荷馬車に乗った若い男たちには、彼をじっくりと眺める暇があったはずだ。すれちがい際に、高ぶった声で「トム・プライクじゃねえか! 一目見ただけでわかった。舞いもどってきやがったんだな」と言っているのが聞こえた。
よぼよぼの年寄りが間近で見まちがえたほどの顔かたちは、どうやら若い男が至近距離で見てもその人物に見えるらしかった。
ストーナーが馬を走らせているあいだ、村の人びとがトムの過去の悪行を、忘れてもいなければ許してもいないことの証拠に何度も遭遇した。行方不明のトムがしでかしたあれこれを、彼はそっくり引き受ける羽目になったのだ。ひそめられる眉、ひそひそ話、引かれる袖。誰かに出くわすたび、そんな仕草で迎えられるのだった。敵意に満ちた世界の中で、横を走る“バウカーの仔”だけが、親愛の情を見せてくれた。
通用口で馬を降りたとき、一瞬、痩せた老婦人がこちらをのぞいているのがちらっと見えた。どうやら「大伯母さん」らしい。
自分を待っていた、十分過ぎるほどの昼食のおかげで、ストーナーにも自分の置かれている極めて特殊な状況がこれからどうなっていくのか、考える余裕が生まれた。本物のトムが、四年間の不在を経て急に戻ってくるかもしれないし、いつ何時、手紙を寄越すかもしれない。もしかしたら農場の相続人として、このニセモノのトムが書類に署名しなければならなくなるかもしれず、これもひどく困ったことになるだろう。親戚がやってくるかもしれないし、その人物は伯母さんのよそよそしい態度を見習ってはくれないかもしれないのだ。いずれにせよ自分の恥ずべきふるまいが、白日の下にさらされることに変わりはない。
だが、それより外の道というと、自分を待ち受けているのは、果てしない空と海へ続くぬかるんだ道だった。とにもかくにも農場は、すかんぴんの自分に、ほんの一時ではあっても避難所を与えてくれたのだ。農作業なら自分がこれまで経験してきた数多くの仕事のうちのひとつである。本来、自分には受ける権利がなかったもてなしに見合うような仕事だってできるはずだ。
「夕食は豚肉の冷製でよろしゅうございますか」いかつい顔のメイドが、テーブルを片づけながらそう聞いた。「それとも温かい方がよろしいでしょうか」
「温かいのにしてくれ。タマネギを添えて」ストーナーは答えた。人生の内で、いま、この時初めて、彼は即断した。そうして、そう命じた瞬間に、自分がここにとどまるつもりであることがわかった。
ストーナーは暗黙のうちに決まり、割り当てられたらしいこの家における「自分の分」というものを、厳格に守った。農場の仕事に加勢するようになっても、指図を受ける側にまわり、まちがっても自分から命令を出すようなことはなかった。ジョージ老人と葦毛の子馬、そうしてバウカーの子犬だけがこの世の友であり、それ以外は身も凍るほどの沈黙と敵意に囲まれていた。農場の女主人は、一向に姿をあらわさない。一度、大伯母が教会へ出かけたすきに、こっそりと客間に忍び込んでみたことがあった。自分が非合法的に譲り受けた地位と悪評の本来の持ち主である青年について、いくばくかでも知ることができれば、と思ったのである。
写真は何枚も壁に貼ってあったし、きちんと額装してあるものまであったが、探している写真は、それに類するものさえなかった。だが、とうとう人目につかないところにしまいこまれたアルバムの中に、求めるものを見つけた。
『トム』とラベルに記された一連の写真である。まるまるとした三歳の子供、風変わりな服がちっとも似合っていない十二歳ぐらいの少年、いやでたまらないというふうに、クリケットのバットを持っている、なかなか顔立ちの整った十八歳の青年は、髪を真ん中でぺったりと分けている。最後に、どこかしら向こう見ずな表情を浮かべた若い男の写真があった。この最後の写真をストーナーは食い入るように見詰めた――彼との類似点は見間違いようがない。
ふだんからあれやこれやと話好きなジョージ老人の口から、トムのどのようなところがあそこまでみんなに憎まれ、疎んじられているのか、何とか聞き出そうと幾度となく探りを入れてみた。
「このあたりの人間は、ぼくのことをどんなふうに言っているんだろう?」ある日も遠くの畑から帰る道すがら、ストーナーは聞いてみるのだった。
老人は頭を振る。
「やつらはろくなことは言いませんで。ひどいもんでございまよ。つらいお気持ちは、ようわかりますよ」
それ以上はっきりしたことは何も、老人の口からは明らかにはならなかった。
クリスマスもほど近い、澄んだ空気が凍てつくような夕方のことだった。ストーナーはあたり一帯を見渡す果樹園の一隅に立っていた。そこかしこにランプやろうそくの火がまたたいているのが見える。その火が物語るのは、クリスマスの善意や喜びに彩られた人びとの暮らしだった。背後には、陰気で静まりかえった農場の屋敷がある。そこでは誰も笑わず、ケンカのにぎやかささえ無縁の場所だった。
暗い影におおわれた家の、灰色に浮かび上がる横長い正面を、振り向いたまま眺めていると、扉が開いて、ジョージ老人が急ぎ足にこちらにやってくるのが見えた。ストーナーの耳にかりそめの名が、不安げに呼ばれるのが届く。瞬時に何かしら厄介なことが起こったことを悟った。彼の目には、突如、この聖域がまさに平和で満ち足りた場所に映り、ここから追い出されることが耐えがたいまでに恐ろしく思えてきた。
「トムぼっちゃま」老人がしわがれたささやき声で言った。「ここから二、三日、お逃げになってください。マイケル・レイが村に戻ってきて、見つけ次第、撃ち殺す、と言うております。そうとも、やつならかならずやりましょう。人殺しでもやりかねない形相でしたから。夜影に紛れて行ってくださいまし。なんの、一週間かそこらでございますよ。やつもそうそうこっちにゃおれないでしょうから」
「でも、ど…どこへ行ったらいい?」ストーナーは口ごもった。老人に取り憑いている明らかな恐怖が、自分にも乗り移ってくる。
「海岸沿いにまっすぐ進んで、パンチフォードへ行って、そこで隠れていてくださいまし。マイケルがつつがなく帰っていったら、わしはあの子馬でパンチフォードのグリーン・ドラゴン亭まで行きます。グリーン・ドラゴン亭に子馬がつないであったら、戻っていらっしゃって大丈夫だという合図でございますよ」
「だが……」ストーナーはためらっていた。
「ここに金が用意してございます」と老人は言った。「奥様も、わしがいま言った方法が一番良かろうとおっしゃって、これをくださいました」
老人は三枚の一ポンド金貨と、銀貨を数枚差し出した。その夜、老婦人にもらった金をポケットに入れて、農場の裏木戸からひっそりと出て行きながら、ストーナーはこれまでにないほど、自分がいかさまを働いているような気がしていた。ジョージ老人とバウカーの子犬が、庭で黙ったままじっと見送ってくれている。おれはもうここへ戻っては来ないだろう。この忠実なひとりと一匹の友だちが、彼が戻ってくる日を心待ちにするだろうことを考えると、良心の呵責に胸を衝かれる思いがした。おそらくいつかは本物のトムが帰ってくるだろう。そうして、人を疑うことを知らない農場の人びとは、同じ屋根の下で共に暮らしたあの客人はいったい誰だろうといぶかしく思うにちがいない。
自分自身については、さしあたっての心配がなかった。三ポンドばかりでは、たいしたことはできそうもなかったが、金勘定をペニーでやってきたような男にとっては、元手にするには十分だ。以前この道を、何の望みもない浮浪者として歩いてきた自分に、運命は気まぐれな幸運を授けてくれた。だから今度も何か仕事が見つかって、再出発するチャンスがめぐってくるかもしれない。農場から遠ざかるにつれて、彼の意気は上がっていった。本来の自分自身に戻ったことで、安堵する気持ちも生まれていた。もう誰かの影になったような、不安な状態でいることもない。
自分の人生と不意に交錯した執念深い敵のことは、ほとんど念頭になかった。後ろへ振り捨ててしまえば、そんな関係など、もはや気にすることもない。何ヶ月かぶりに、何の憂いもなくなり心も軽くなって、彼は鼻歌を歌い始めた。
そのとき、道に張り出した樫の大木の陰から、銃を持った男がぬっと現れた。誰だろうといぶかる必要はなかった。月明かりにうかびあがる白くこわばった顔には、憎しみの光が放射されているかのようだ。ストーナーがこれまで生きてきた浮き沈みのある人生の中でも、見たことのない表情だった。
ストーナーは横に飛びすさると、道に沿った生け垣を抜け、必死で逃げようとしたが、うっそうと繁る枝に腕をとられた。運命の猟犬は、この細道で彼を待ち受けていたのだ。そうして今度は有無を言わせなかった。
The End
ソーホーのアウル・ストリートにあるレストラン・ニュルンベルクには、ボヘミアン気取りの連中が集っている。そこにときおり、正真正銘のボヘミアンがふらりとやってくるのだが、その中でもゲプハルト・クノプフシュランクほど、興味深く、なおかつ得体の知れない人間は、誰も見たことがなかった。
彼には友だちがひとりもいない。レストランの常連全員とつきあいはあったが、その関係を、ドアの外、アウル・ストリートやその先まで続けていく気は、まったくなさそうだった。しかもそのつきあいというのが、まるで市場で商いをする女が通行人に相対するようなもの。商売物を見せながら、いい天気だねえ、とか、こう景気が悪くちゃねえ、とか、あたしもリューマチがひどくって、などという話はするが、客の日常生活に立ち入ったり、ひそかに抱いている野心を分析したりするようなことは決してないものだが、彼の場合もそれとまったく同じだった。
話によれば、なんでも彼はドイツ北部、ポメラニアの百姓の家の出らしい。わかっていることをすべてつなぎあわせると、二年ほど前にブタやガチョウの面倒を見る仕事と責任を放りだして、ロンドンで画家として一旗あげようと目論んだものらしい。
「どうしてパリやミュンヘンではなくて、ロンドンだったんだい?」彼はつねづね、おせっかいな連中からそう聞かれたものだった。
実のところ、シュトルプミュンデ港からロンドンへ月に二度出航する船が、客船ではないために安く乗ることができた、というだけの話なのである。ミュンヘンにせよ、パリにせよ、汽車賃は安いものではなかった。それだけの理由で、彼は果敢な冒険の舞台にロンドンを選んだのである。
レストラン・ニュルンベルクで長いこと真剣に議論されたのは、このガチョウ飼い上がりの移民が、真に魂を揺さぶるような天才、翼を広げて光に向かって羽ばたいてゆける逸材なのか、はたまた単に、自分に絵が描けると思いついただけの向こう見ずな若者、ライ麦パンの食事と、砂とブタにおおわれたポメラニア平原の単調なことを思えば無理もない話だが、そこから逃げ出すことだけを夢見た青年なのか、ということだった。
事実、みんなが疑いを抱き、慎重になるのも、理由のないことではなかった。
この小さなレストランには、ずいぶん大勢の芸術家が集まるのだが、自分こそ音楽や詩や絵、演劇に対する並はずれた才能のもちぬしであると主張しながら、その主張を裏付ける証拠の品を、ほとんど、もしくはまったく持っていない、髪の短い若い娘や髪の長い青年なら掃いて捨てるほどいたのである。彼らのただ中に現れた「自称天才」が疑われるのも、いわば自然の摂理といえよう。
だが一方で、天才とつきあいながらその才能に気がつかず、バカにしているのではないか、という危惧とは隣り合わせでもある。現に、スレドニという悲劇的な実例があるではないか。
スレドニは劇詩人で、アウル・ストリートという劇場にあっては、見くびられ、鼻であしらわれるという評価を受けていた。ところが、のちにコンスタンティン・コンスタンティノヴィッチ大公によって、“偉大なる詩人”と賞揚されたのである。ちなみにこのコンスタンティノヴィッチ大公とは、シルヴィア・ストラブルによれば「ロマノフ家最大の教養」ということである。さらに言うと、このシルヴィア・ストラブルなる女性は、ロシア王室一族についてなら、ひとりひとりに至るまで詳しくしっていることで名高い人物なのだが、その実、彼女が知っているのはたったひとりの新聞社通信員、「ボルシチ」をあたかも自分が発明した料理であるかのように食べる若い男だけだった。
ともかく、このスレドニの『詩集 死と情熱』は現在ヨーロッパの七つの言語で千部が売れ、さらにシリア語に翻訳されるところである。こうなってみればレストラン・ニュルンベルクの眼力高き批評家の面々も、みずからの軽々かつ粗忽な判断に、恥じ入るほかなかったのだった。
クノプフシュランクの作品を念入りに検討したり、鑑定したりする機会ならいくらでもあった。レストランの常連との社交生活からは、断固として距離を保っていた彼ではあったが、自分の作品は、連中の詮索好きな視線から隠そうとはしなかったのである。毎晩、というか、ほとんど毎晩のように、七時近くになると彼はやってきて、決まったテーブルに着く。そうしてふくらんだ黒い紙ばさみを向かいの椅子に放り出し、顔見知りの客に向かって均等にうなずいてみせる。それからやっと飲んだり食べたりを始めるのだった。
コーヒーが運ばれてくると、タバコに火をつけ、紙ばさみを引き寄せて、中味を引っかき回す。考え深げな悠々たる仕草で、何枚かの習作やスケッチを選び出し、黙ったままテーブルからテーブルへと渡していくのである。新顔の客でもいたことなら、特別な注意を払いながら。それぞれの絵の裏には、はっきりとした字で「価格 十シリング」と書いてあった。
彼の作品にはまぎれもない天才の刻印が押してあったわけではないが、少なくとも非凡でありながら、なおかつ普遍的な主題を選択しているという点に、顕著な特色があった。彼の絵はかならずロンドンの有名な通りや公共の場所が描かれていた。しかもそこはすべて廃墟となっており、人間の姿はなく、死に絶えたものらしい。その廃墟に野生動物――外来種ばかりであることを考え合わせると、どうやら動物園から逃げ出したものらしい――が、ほっつき歩いている。
『トラファルガー広場の噴水で水を飲むキリンたち』は彼の習作のなかでももっとも注目すべき作品であったし、『アッパー・バークリー・ストリートで死に瀕したラクダを襲うハゲタカたち』という身の毛もよだつような絵は、さらに評判を呼んだ。彼が数ヶ月に渡って専念した巨大なキャンバスに描かれた写実画もあった。彼はそれをどうにかして投機的な画商や、勇気ある素人に売りつけようと試みているところだったのである。そのモチーフたるや『ユーストン駅に眠るハイエナたち』というもので、計り知れぬほどの深遠さを暗示することにおいては、これ以上望めないほどの作品である。
「もちろんね、すばらしい作品かもしれませんし、絵画に新たな時代を切り開くものなのかもしれませんけれどね」とシルヴィア・ストラブルは自分のファンに向かって言った。「でも、別の見方をすれば、ただの頭のおかしい人とも言えるんです。もちろん商品価値ばかりに目を奪われるのは考えものなんですけれど、それでもあのハイエナの絵とか、スケッチでもいいですから、画商が値を付けてくれたら、わたしたちにもあの人とあの人の作品をどう評価したらいいか、もっとよくわかるのに」
「そのうち、わたしたちみんなが自分を呪いたくなるかもしれませんね」とヌガート=ジョーンズ夫人は言った。「なんでわたしたち、あの紙ばさみごと買ってしまわなかったんだろう、って。だけど、ほんとに才能がある人だって、実際にごろごろいるわけでしょう? だから、ただ物珍しいからって、十シリング、ポンと出すなんて気にはなれませんよねえ。確かにあの人が先週見せてくれた『アルバート記念碑に留まる砂鶏』は印象的なものでしたし、もちろん確かな技術があって、雄大さが効果的に表現されているのを認めるのにやぶさかではありません。それでも、わたしにはどう見てもあれがアルバート記念碑には見えないし、それにね、サー・ジェイムズ・ビーンクエストがわたしに教えてくれたんですけれど、砂鶏って木に留まるんじゃなくて、地面で眠るんですってよ」
このポメラニアの画家が、どんな才能や天分を賦与されていたかはさておいて、商業的な評価を得ることには、明らかに失敗したようだった。紙ばさみは売れないスケッチでふくらんだままだったし、レストラン・ニュルンベルクの才人が『ユーストンの昼寝』と称した例の巨大なカンバスの絵は、売れないままそこに残っていた。しかも財政上の逼迫状況を示すしるしは、徐々に顕著なものとなっていったのである。
夕食時に添えられた安いクラレットのハーフボトルは、小さなグラス一杯のビールに変わり、やがてその代わりに水が置かれるようになった。毎日決まって食べていた一シリング六ペンスのセットは、“日曜日のご馳走”となった。普通の日は、画家は七ペンスのオムレツとパンとチーズに甘んじ、やがて姿を現さない日もでてきた。たまに自分のことを話すときでも、芸術という偉大な世界を話題にするより、ポメラニアの話の方が多くなった。
「おれたちにとっちゃ、いまが忙しい時期なんだ」物思いに沈みながら言葉を続ける。「刈り取りが終わったあとの畑に、ブタを放してやんなきゃなんねえ。そうやって、やつらの面倒を見てやんなきゃな。あっちにいさえしたなら、手伝うこともできるんだが。こっちじゃ生きていくだけで一苦労だ。芸術は理解されないからなあ」
「なんでちょっとだけでも帰ってみないのかい?」わざとそう聞く者もいた。
「金がいるじゃないか! シュトルプミュンデまでの船賃だろう、それに溜まった下宿代だ。ここだって数シリング借りがあるし。スケッチが何枚かでも売れたらなあ……」
「もしかしたら」ミセス・ヌガー=ジョーンズは言った。「もう少し安い値段をつけてたら、わたしたちの中にだってお金を喜んで払う人もいるかもしれないわよ。十シリングとなると、お金をいくらでも払えるってわけじゃないわたしたちみたいな人間になると、ちょっと考えてしまうわよ。きっと六シリングとか七シリングだったら……」
百姓の魂は死ぬまで変わらない。ちょっと取引に入れ知恵をされただけで、この芸術家の目には、眠りから覚めた抜け目ない光が輝き、口元がぐっと引き締まった。
「九シリング九ペンス」画家はたたみかけた。ところがミセス・ヌガー=ジョーンズがそれ以上この話題について話を続けようとしないので、表情は曇った。どうやら画家は、彼女なら七シリング四ペンスは出すだろうと踏んだらしかったのだが。
数週間が矢のように過ぎ、クノプフシュランクがアウル・ストリートのレストランに顔を出す日はますますまれになり、食事を注文する機会があったにしても、その内容はいよいよ貧弱なものになっていった。ところがついに勝利の日がめぐり来たのである。
彼は夜も早いうちに現れると、まるで宴会でも開くかのように、大得意で凝った料理を注文し始めた。厨房では、いつもの食材ばかりでなく、輸入物のガチョウの胸肉の薫製や、コンヴェントリー・ストリートのデリカテッセンでもめったに手に入らないようなポメラニアの珍味を取り寄せた。首の長い瓶に入ったライン・ワインが盛りだくさんのテーブルに花を添え、テーブルでは盛んに乾杯が繰りかえされた。
「傑作が売れたんでしょうね」シルヴィア・ストラブルが、遅れてやってきたミセス・ヌガー=ジョーンズにささやいた。
「誰が買ったの?」ミセス・ヌガー=ジョーンズも声を潜めて聞き返した。
「知らないわよ。あの人、まだ何も言ってないんだから。だけどどこかのアメリカ人にちがいないわ。ほら、デザートの皿に小さなアメリカ国旗が立ててあるじゃない? おまけにジュークボックスにもう三回もお金を入れて、かけたのは最初が『星条旗』でしょ、つぎが何だったか、とにかくスーザのマーチで、で、いま流れてるのはまたしても『星条旗』でしょ。きっとアメリカの億万長者に法外な高値で売りつけたにちがいないわ。ご機嫌ね、ほら、あんなににたにたしてる」
「誰が買ってくれたか聞かなくちゃ」ミセス・ヌガー=ジョーンズは言った。
「シーッ! だめだめ。それよりスケッチを急いで買わなくちゃ。わたしたち、まだあの人が有名になったことを知らないことになってるんだから、その間に。そうでもなきゃあの人、値段を倍に釣り上げるわよ。わたし、前からあの人のことは買ってたんだから」
ミス・ストラブルはアッパー・バークリー・ストリートで死にかけているラクダの絵とトラファルガー広場で渇きをいやしているキリンたちの絵に、それぞれ十シリングを払い、同じ値段でミセス・ヌガー=ジョーンズは留まっているサケイの習作を買った。さらに野心作『アシニーアム・クラブの階段で闘うオオカミの群れとシカの群れ』に対しては、十五シリングで買おうという客が現れた。
「ところで今後の計画は?」と美術系の週刊誌にときどき寄稿している青年が聞いた。
「船便があったらすぐにシュトルプミュンデに戻る」と画家は言った。「で、もう帰ってこない。二度とな」
「でも作品は? 画家としてのキャリアはどうするつもりなんですか」
「ああ、そんなもんは何にもならんよ。食ってけないじゃないか。今日まで誰もおれの絵を買っちゃくれなかったんだ。今夜は何枚か買ってくれたがな。きっとおれの餞別のつもりなんだろう。だが、それまではさっぱりだった」
「でも、アメリカ人の誰かが……?」
「ああ、あの金持ちのアメリカ人か」画家はクックッと笑った。「ありがたいこったな。アメリカ人がブタの群れのまっただ中に突っこんだんだ。ブタを畑に出そうとしていたところにな。おれんちの一番いいブタが数頭、轢かれてしまったんだが、アメリカ人が全部弁償してくれたんだ。実際よりかなり高く、つまり、ひと月太らせてから市場へ出すときの値段の何倍も払ってくれたんだな。
「なにしろやつは、ダンツィヒへ行こうと焦ってたんだから。人間、急いでるときゃ言い値で買う以外、ないやな。ま、金持ちのアメリカ人には感謝しなくちゃな。連中はいつだってどこかに大急ぎで行こうとしてるんだ。おかげでうちのおやじもおふくろも、いまじゃすっかり金回りがよくなっちまったもんで、おれにもツケを払って家に帰れるぐらいの金を送ってくれたのさ。月曜日にはシュトルプミュンデに向けて発つ。で、もうこっちへは戻ってこない。未来永劫だ」
「でも、絵は、ハイエナの絵はどうなるんです?」
「ああ、くだらねえ。大きすぎてシュトルプミュンデまで運ぶに運べないから、焼いちまったよ」
そのうち彼が忘れられる日も来るだろうが、いまのところソーホーのアウル・ストリートにあるレストラン・ニュルンベルクの常連の一部にとって、クノプフシュランクの話題は、スレドンティ同様、胸の痛むものとなっている。
The End
ああ、勘違い
人はさまざまな局面で勘違いをする。手を振られてこちらも振り返したら、相手が手を振っていたのは自分の後ろにいる人間だったり、道を尋ねられて、駅の東口と西口を勘違いして、反対方向を教えてしまったり。自分ひとりだけなら、気まずい思いも一瞬ですむのだが、人を巻き込んでしまっては、気まずいだけではすまないことにもなってしまう。
サキの短編でも、「勘違い」が原因となって起こる事件を描いたものが数多くある。わざと相手に勘違いをさせてやりこめようとする、クローヴィスを初めとした口達者な主人公が登場する作品もあるが、登場人物たちが期せずして勘違いを犯してしまうケースも少なくない。ここでも「勘違い」を発端にドラマが生まれるような話を集めてみた。
一族のなかでも優秀な外交官の青年をかっぱらい扱いしてしまう夫妻や、ふらりと現れた宿無しを、行方不明の「トムぼっちゃま」と勘違いする老僕、急に金回りの良くなった芸術家の卵を「天才」と勘違いしたりする芸術家気取りの人びとが登場する。
「勘違い」が発端となる作品を書いたのは、もちろんサキばかりではない。教科書にも載っていた菊池寛の『形』では、音に聞こえた武将「鎗中村」ともあろう者が、猩々緋と兜を貸してやったおかげで一介の武者と勘違いされて、悲劇的な末路をたどる。志賀直哉の『小僧の神様』では、寿司代を払ってやった青年が「神様」と勘違いされる……という話を書こうとして、作者は途中でやめてしまう。戯曲となると、ゴーゴリの『検察官』では一文無しのフレスタコーフが検察官と勘違いされるし、シェイクスピアの戯曲でも、『十二夜』を初め勘違いを扱ったものは多い。オフィーリアもジュリエットも勘違いをしてしまう。
このように「勘違い」が発端となって巻き起こるドラマが数多く書かれているのは、いったいどうしてなのだろう。
わたしたちは、人やものごとをすべて知ることはできない。けれども、すべて知っているわけではない、これからどうなっていくかわからない、といって、関わらずにすませるわけにもいかない。だから「この人はこんな人だろう」とか、「これはこうなっていくはずだ」と、これまでの経験から得た判断を積み上げて、推理する。その推理がうまくいけば良いのだけれど、しばしば外れてしまう。なかでも「ああ、勘違いしてしまった……」とほぞをかむのは、単にこの推理が外れたというだけではない。こういう人だ、こうなるにちがいない、と堅く思い込んでいたこと、その思い込みが推理によるものだということさえ忘れ、確定的なことだと誤解しているようなことが間違っていたときに、「勘違い」が起こるのだ。
今回集めたサキの短編の中でも、ピーター夫妻は自分の家やってきた「ウィルフリッド・ピジョンコート」が“かっぱらい”ではないかもしれない、という可能性を一瞬も考慮しない。ジョージ老人にしても、ストーナーに銃を向けた男にしてもそうだ。レストラン・ニュルンベルクの常連たちは、それまでずっとクノプフシュランクの才能を疑っていたにもかかわらず、急に金回りが良さそうになったのを見て、絵が高値で売れた→クノプフシュランクは天才だった、と思い込んでしまう。
だがもし彼らが「自分の推理は間違っているかもしれない」と考えたら、どうだろう。確定的な判断の材料を探すばかりで、つぎの行動に出ることができない。確かに勘違いしてしまうことはないが、事態も進展しない。謎は謎のまま、「実は」と真実が明らかになることもない。結局、ドラマにはならないのである。
誰かが何かを推理して、行動を起こす。時間が経って、それが間違っていたことがわかる。勘違いがもとになった行動が失敗することを通して、勘違いした人のことも、された人のことも、出来事のことも、これまで表面化しなかったことが明らかになるのだ。「謎」が解き明かされ、読者はそこでカタルシスを得る。
それに対して長編小説となると、多くの場合、短編より扱う時間的な幅が広い。長編小説の中で起こる出来事は、仮に「勘違い」が発端でも、それをしてしまう人間の内的必然の方に焦点が置かれる。たとえば『こころ』でも、Kは先生のお嬢さんに対する気持ちをまったく勘違いしてしまっているが、作品ではそこに主眼点は置かれていない。短編の中での「勘違い」が果たす役割と、長編小説の中のそれはちがっているのだ。
「勘違い」が、推理を元に行動する結果、起こってしまう失敗、と考えると、わたしたちの日常的な人とのやりとりや行動は、つねに「勘違い」であることが後になって明らかになる可能性をはらんでいる、ということになる。幸いにしてストーナーのような目に遭ったことはなくても、人違いは日常茶飯のことだし、口にはしなくてもあることで人を疑い、それがまったくの過ちだった、ということもあるだろう。
果たして「勘違い」をただの一度もすることなく、一生を終えることができる人がいるのだろうか。いたならいたで、そういう人は深謀遠慮というより、人と接する機会の乏しい、ずいぶん寂しい人、ということになってしまうのかもしれない。わたしたちが人とつきあい、語り合い、ともに生きていこうとすれば、「勘違い」というのは不可避的に起こってくる、といえるだろう。
現実なら、決まりが悪いだけではすまないようなことにもなりかねない「勘違い」だが、小説の中でなら、笑って見ていることもできる。何とか上流社会に取り入りたいピーター夫妻の俗物根性も、芸術に対する鑑識眼を備えている、とアピールしたい芸術家気取り、ボヘミアン気取りの連中の失敗も笑うことができるのだ。だからこそ、勘違いが元になって起こるドタバタがおもしろいのだろう。
そうして、そのふたつとは異なる味の作品、「運命の猟犬」では、余韻を味わうことになる。ジョージ老人や村人たちは、自分たちの「勘違い」に気づくことがあるのだろうか。バウカーの子犬は、母親と同じように、ストーナーが帰ってくる日を待ち続けるのだろうか。
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