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「私」と「I」の狭間で ――主語を考える――




1.変幻自在な「私」と金太郎飴の「I」


来年から小学校に上がる甥っ子2号が、久しぶりに会ってみると、いつの間にか一人称に「オレ」を使うようになっていた。
ふたつ上のお兄ちゃんほど確立されたものになっているわけではなく、どうかすると、従来通り「Kちゃんも〜」「Kちゃんがやる〜」という言い方が混ざるのだが、あきらかに主体を指すことばの中心は、「オレ」に移行しつつあった。自分をどう呼ぶか、これだけのことではあっても、子どもが成長につれて、自分と、自分を取り巻く世界との関係をどのように認識していくかが鮮明に現れていて、ヴィゴツキーの『思考と言語』を読み返してみたくなったりもしたのだが、ここで考えてみたいのはそんなことではない。

さらに、父親が「じいじ」になっていた。
甥っ子の母親、すなわちわたしにとっては姉が、父のことを「じいじ」と呼ぶのである。あろうことか父までもが「レンゲル(※『A&P』の支店長ではなく、仮面ライダーグループの一員。この場合はビニール製の人形を指す。種類がやたら多くて、そこらじゅうに転がっている、ということになる。うっかり踏むと痛い)なら、じいじの部屋にあったぞ」と言うのである。それを聞いたときには、ひっくり返りそうになってしまった。
母が以前から自分のことを「お母さんはね……」と呼んでいたのに対し、父はあまり自分のことを「お父さん」と自称することはなかった。それだけでなく、あまり自分のことを呼ぶことがなかった。たまに電話で話をしているのを耳にしても、私、自分、ぼく、と相手によって使い分けていたような気がする。
日本語というのは便利なもので、それでも十分に用を足す。

英語の場合、一人称代名詞はつねに「I」である。いつ、いかなる場合でも、私的な場面でも、公的な場面でも「I」は「I」であって、省略はできない(ただし、日記などの他者が読むことを前提とせず、動作主体がきわめてはっきりしている場合は省略されるケースもある)。

省略可能で、場面によってころころと姿を変える日本語の一人称代名詞(ここでは仮に「私」で統一する)と、つねに姿を変えず、省略することもできない「I」は、果たして同じものなのだろうか。そのことについて少し考えてみたい。

***

英日翻訳学習者の必読書とされる一冊に、中村保男の『翻訳の秘訣 理論と実践』(新潮選書)がある。
あくまで翻訳者の立場から、きわめて実践的に書かれた本なのだが、まず第一章で扱われるのが主語のもんだいである。
ここで主張されるのは、直訳を脱し、日本語らしい文章にするためには、英語にかならずある主語を、日本語ではできるだけ省略しなければならない、ということである。

例文としてあげられる文章のひとつに、以下のものがある。

She thought he was in love with her, but he wasn't.

直訳すると「彼女は彼が彼女を好きだと思っていたが、彼はそうではなかった」、これを中村は「あの子は彼に惚れられていると思いこんでいたが、実はそうではなかった」と訳例を示す。
すなわちこの訳例では、英文では三つある主語をふたつにし、そのうえでふたつめの主語を省略、さらに日本語として「充分に熟していない(あるいは永久に熟さないかもしれない)」「彼」や「彼女」の使用を最低限に留めている(ただ情況がわからないところで、「あの子」とある種、色のついた日本語を当てはめてよいのかという疑問が個人的にはある。「あの子」とするのなら「彼」ではなく「あいつ」、より無色透明な文章として「彼」を使うのならやはり「彼女」と、自分だったらすると思う)。

もうひとつ、安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫)でも、「代名詞はできるかぎり訳文から隠す」ということが「鉄則」とされていて、最初にこの例文があげられている。

Proverbially, you can know a man by one of two ways. You can know a man by the books he keeps in his library; and you can know him by the companies he keeps.
*proverbially: 格言によれば

 

直訳:「格言によれば、あなたはある人をふたつの方法によって知ることができる。あなたはある人を、彼が書斎に持っている本によって知ることができる。そして、あなたは彼を彼がつきあっている友だちによって知ることができる」
安西訳:「人柄を見分けるコツとして、諺は二つの方法を教えてくれている。書斎にどんな本を持っているか、さもなければ、どんな仲間とつきあっているかを知れば、本人の人柄も見当がつくというのである」

ここでは代名詞として一括して述べられているのだが、言い方を変えるなら、「日本語らしく」するためには、動作主体がはっきりしている主語は、落とせということだ。例文の「you」は、いわゆる総称人称、漠然と「人」を表しているだけなので、安西訳ではひとつも訳出されていない。逆に言うと、英語ではどこのだれだか判然としないが、ある人物を知ろうとしているのは「you」であり、持っている本や、つきあっている友人から判断しようとしているのも、その判然としない「you」である、ということで、動作主体はつねにあきらかにされている。

その英語と日本語のちがいの理由を、安西は

西欧語は物事を抽象的、客観的、論理的に述べようとしているのにたいして、日本語はできる限り具体的な『場』(situation, context)を踏まえ、いわば「場」によりかかった形で発想するからだということである。

と説明している。

さらに中村はこのように述べる。

日本人は単一言語民族で、家族主義的国民だとよく言われる。家族主義的とはよく言ったもので、なるほど家族同士の話には主語などの省略が多い。……「身内」という言葉の意味範囲を拡大して「親類」「仲間」「友人」「同僚」「隣人」「同郷人」と続ければ、最後には一億一千万の日本同胞すべてが「身内」ともなるわけで、日本人同士の意志疎通が多くの語を省略した形でも円滑に運ぶのは、まさしく全日本人が均一な風土と風習の中に住んでいる「超大家族」だからなのだ。

そもそもこの「私」と「I」はまったく別物、という観点から、日本語、そして日本語で考える日本人の思考と英語と英語で考える英語を母語とする人々の思考について考察された本に、片岡義男著『日本語の外へ』(筑摩書房)という本がある。この本をもとに、もう少し「私」と「I」のもんだいについて考えてみたい。


2.論理的な「I」、主観的な「私」?


英語のIに相当する言葉は、日本語にはない。これは、なんとも表現しようのない、たいへんなことだ。どうしていいかわからないほどに、たいへんだ。このたいへんさだけを手がかりにして、日本語の性能の特徴的な傾きについて、そのほぼ全域を書き得るのではないか、と僕はふと思う。

(片岡義男『日本語の外へ』筑摩書房)

1997年に出た『日本語の外へ』は、ことばを軸に、アメリカと日本、アメリカ人の思考と日本人の思考について考え抜かれた本である。片岡は言語学者でも文法学者でもない。けれども日系二世としてハワイで生まれ育った父親を持ち、読書体験のほとんどは英語によるという、母国語を日本語としながらも、日本とアメリカ双方の言語に深く関わってきた作家である。
わたしは出版後間もないこの本を読み、衝撃を受けた。
英語で書かれたテキストを読み、覚束ない英語を喋ったり書いたりするうち、英語と日本語は根本的にまったく異なる論理に貫かれているのではないか、そのことを曖昧にしたまま、どれだけ単語を覚えても、センテンスを暗記しても、英語を根本的に理解することにはならないのではないか、という、漠然とした問題意識に、形を与え、考え方の枠組みを与えてくれるものだったのだ。
ちょうどそれは、日本人としてアメリカ文学を学ぶことの自分なりの意味を考えていた時期でもあった。

この本はよくある、日本語論から日本人論へと敷衍していき、「(プラスであれ、マイナスであれ)日本人は特別」という結論に収斂させるような体のものではない。

母国語は、それを母国語とする人たちを、思考や感情など人間の営みのすべての領域において、決定的に規定する。母国語を母国語らしく自在に駆使すればするほど、母国語の構造と性能の内部に人は取り込まれていく。そして、そこに、その母国語が日本語なら、日本人らしさというものが生まれてくる。日本人らしさの総体は日本らしさであり、日本らしさの総和の蓄積が日本文化だ。母国語と外国語とでは果たしてそんなにも異なるものなのか、所詮は人間の言葉なのだから、結局はたいした違いはないだろうに、というような日常的な認識は、母国語の内部へその人がすっかり取り込まれていることの証明だ。母国語の外には、とんでもない世界がある。

母国語から足を踏み出し、「とんでもない世界」からもういちど母国語を見ることによって、自分が絡み取られている母国語の論理のメカニズムを明らかにする。そうすることによってしか、母国語の呪縛を逃れ、外国という異質なものとともに、共通の場に立つことはできないのではないか、というのが、片岡の基本的な問題意識である。このとき、片岡が理想とする英語は、アメリカ人やイギリス人の母国語としての英語ではなく、たとえばダライ・ラマやネルスン・マンデーラの使う「英語の開かれた抽象性をきっちりと学んで自分のものとした、誰とでも共通の場に立てるという意味においてたいそうインテリジェントな、したがってどこまでも機能して止むことのないグローバルな言葉」である。

論点に入る前にこうしたことを長々と書いたのは、わたしがこれから多くを引用しようとする片岡の本の意図を、わたしが中途半端に引用することによって、誤解されることを避けるためにほかならない。
どうか、論理性に欠ける日本語はダメな言語で、論理的な英語はすばらしい言語だと片岡が言っているのではないことを、くれぐれも理解しておいていただきたい。

***

まず、片岡は「I」を、「生まれながらにして客観をめざす言葉」であると規定する。

  • 人は「I」と自分のことを言った瞬間から、世界のあらゆるほかのものから自分を切り離す。そのことは、同時に自分以外のあらゆる人と対立することを前提とする。

  • 「I」の発言は、基本的には主観的なものだ。それでも、多くの支持を得るためには、可能な限り、確かなものとしていかなければならない。すなわち、主観の発言は、客観をめざすものとなっていく。外の世界を、あくまで外の世界として表現する。外の事実と内なる主観を無差別に重ねることをしない。

  • 英語の性能は、事実を主観から切り離し続ける。

  • 客観とは、言葉を換えれば、因果関係の冷静で正確な解明ということである。

  • これはこうしたからこうなった。これはこうするとこうなる。これをこうするとこうなるかもしれない……、こうした因果関係を解明する機能を、英語は根本的に備えている。

  • 英語では、主語によって観点が決まる。

  • 世界に数限りなく存在する事実を観察するとき、さまざまな角度が存在する。そのとき「だれの観点か」を明らかにすることは、かならず必要となる。

  • そのとき「I」と「You」は、抽象的で対等な関係となる。

それに対して日本語は、「I」に当たることばを持たない。「I」に対する「You」に当たることばもない。

  • 「I」と「You」がないかわりに、日本語には、自分と他者との具体的なさまざまな関係の場があり、それに応じた呼び方が、数限りなく存在する。「俺」―「お前」、「私」―「あなた」、「ぼく」―「君」と場に応じて変化し、しかもその関係は、なんらかの意味で上下関係である。

  • 場がなければ、自分の位置と内容は、日本語の世界では決まらない。

  • 相手との関係によって、相手ごと、そして相手との関係の場ごとに、相対的に自分というものが確定されていく。そのつど、私になったり、俺になったり、我々になったり。

  • 人との関係があって初めて決まってくる自分というものは、人が自分をどう思っているか、どう評価してくれるかなどに対して、敏感にならざるを得ない。常に上下関係を伴いつつ保たれる関係においては、その関係のなかで自分がどれだけ得をするか、が至上命題となってくる。

  • 自分の損を少なく、得を多くするためには、関係が激変すること(たとえば論理の明快にとおった客観的な対立意見の提示など)はできるだけ避けられなければならない。関係はつねに友好的に保たれる必要がある。

  • 日本人の重要な美徳とされる、「思いやる」、これは相手の気持ちになる、という試みをとおして、誰もが相手を自分のなかに取り込むことである。同時に察してもらう、という試みを提案することで、自分を相手のなかに入れてしまうにほかならない。

  • 対話はそれぞれの主観がぶつかりあいつつ客観をめざすのではなく、だれもが自分の利害の視点から発言しつつ、相手を否定せず、両者の利害を微調整することを目的とするものになっていく。

片岡が指摘する「I」と「私」の違いから見えてくるのは、なんとも暗澹たる日本語の姿である。この片岡の主張が果たしてどこまで正当性を持っているのか、もう少し考えていきたい。


3.日本語と英語はとんでもなくちがう


日本の文学作品を英語に直すとどうなるか。
安西徹雄『英語の発想』(ちくま学芸文庫)には、川端康成の『千羽鶴』を英語にするとどうなるか、実例が載っていて、非常に興味深い。

「さきほど稲村さんにお電話で申し上げますと、母といっしょですかと、お嬢さんがおっしゃいますから、お揃いでいらしていただければなお結構ですと、お願いしたんですけど、お母さんはお差し支えで、お嬢さんだけということにしました」

これがサイデンステッカーの英訳ではこのようになる。

When I spoke to Miss Inamura over the telephone, she asked if I meant that her mother was to come too. I said would be still better if we could have the two of them. But there were reasons why the mother couldn't come, and we made it just the girl.

まず日本語の文を見てほしい。なんの予備知識もなしに一読しただけで、何を言っているのか理解できるだろうか?
  つぎに英文を見ると、こちらのほうがずっとわかりやすい。主語(太字)がすべて訳出されているために、だれが聞いているのか、だれが来ることができないのか、理路整然と頭に入ってくる。
ところがすでにこの本を読んでいて、これは主人公に対して、栗本ちか子が稲村のお嬢さんと見合いの段取りをつけているところだと情況がわかっている人にとっては、意味不明どころではない、すんなりと頭に入る。
というのも、敬語や謙譲語のおかげで、だれがだれに向かって言っているのか、たとえば「母といっしょですか」は稲村の娘が言う以外にありえず、また「お揃いでいらしていただければなお結構です」というのは、電話のなかでちか子が稲村の娘に対して言ったことばだであることも、ことさらに動作主があきらかにされなくても、わかる仕組みになっている。つまり、ランダムに、あるいは恣意的に主語が省略されているわけでは決してなく、省略には省略の論理が働いているのである。

また、この部分をちょっとみてほしい。

母といっしょですかと、お嬢さんがおっしゃいますから
she asked if I meant that her mother was to come too.

日本語から英語になるときに論理転換がなされている。
英語をもういちど日本語に直訳してみると(ただし、この場合は時制は煩雑になるので日本語の理論にしたがっている。そのため正確な直訳ではない)
「彼女は、私が意味するのは、彼女の母親も一緒に来るべきだということかどうか、聞いた」となる。
確かに「母といっしょですか」と稲村の娘が言うことを文字通りとらえるならば、日本語の時制に従うと、「いま現在、だれかが母親と一緒にいるかどうか」をたずねていることになる。もちろんそんなことを聞いているのではない。
ちか子との電話で話題になっている、将来のある時点において、稲村の娘は、自分が母親と一緒に行ってほしいのかどうか、ちか子の意図を確認しているのだ。すなわち、論理的に言うと、まさにサイデンステッカーの英訳は完全に正しいのである。

わたしが非常におもしろいと思ったのは、

there were reasons why the mother couldn't come

の部分である。
これをそのまま訳す(ここでも英文では時制の一致を受けているが、そのまま日本語にすると意味が変わってくるので、時制は訳出しない)と、「母親が来ることができなかいのにはいくつかの理由がある」となる。理由は明らかにはされないが、とにかく何らかの理由があって来られなかったのだ、ということだ。つまり因果関係の介在を鮮明にさせた文章で、「お母さんはお差し支えで」と好対照をなしている。

さらに、さきほどから何度も言っている「時制」、川端の文章は、文末の「しました」を除いては、すべて現在形で書かれている。
ところがサイデンステッカー訳では、まず、話題が「わたしが電話した」という過去の話であることをあきらかにし、一切がその時間軸に沿って、配列されている。時間軸に載せてみると、ちか子が主人公に話している「いま」があり、電話で稲村の娘と話した「過去」があり、いつかはわからないがお見合いの「未来」がある。けれそもこの「未来」は、「過去の話」のなかの未来であるために、過去時制の拘束を受ける。

これだけを見てもあきらかになってくるのは、日本語の発想で書かれた文章を英語にするためには、

  1. 主語を立てる。
  2. 話題を場から引きはがして、論理構造を鮮明にする。
  3. 因果関係を明らかにする。
  4. 日本語にはない時制を導入するために、文全体が時間軸に支配される。

ざっと考えただけでもこれだけの作業が必要となる。
日本人が英語が話せない理由もよくわかる。話しながら、こんなことをいちいちやってはいられない。

***

そもそも日本語に主語はない、という主張を戦前から行っていた文法学者に三上章がいる。

「甲が乙に丙を紹介した」
A introduced C to B.

英文では、Aは単独で文を支配している一文の主であり、主語と呼ぶのにふさわしい。
それに対して日本語では「甲が」「乙に」「丙を」の三つは対等である。
文法論的にも、意味論的にも、文全体を支配し、統括する西洋語流の主語はない、というのである。

あるいは、時枝誠記(ときえだもとき)は、日本語の主語はもともと述語のなかに含まれているという。

国語においては、主語は述語に対立するものではなくて、述語の中から抽出されたものである。国語の特性として、主語の省略ということがいわれるが、……主語は述語の中に含まれたものとして表現されていると考えるほうが適切である。必要に応じて、述語の中から主語を抽出して表現するのである。それは述語の表現を、さらに詳細に、的確にする意図から生まれたものと見るべきである。

(時枝誠記『日本文法・口語篇』岩波全書)

果たして日本語に主語があるのかどうか、国語文法に詳しいわけではないわたしにはなんとも言えないのだけれど、主語―述語、という理論そのものが、日本語のなかから生まれた概念ではない、明治維新とともに西洋から入ってきたものであることをふまえておかなければならない。

主語―述語というのは、西洋ではギリシャ時代から哲学と結びついてきた。
アリストテレスは実体、移ろい続ける世界にあって、変わらないものを「実体とは文の主語となり、述語とはならないものである」と規定した。
カントは「判断」を二種類に分類する。述語の概念がすでに主語の概念の中に含まれている分析判断と、述語の概念が主語の概念の中に含まれていない総合判断である。つまり、カントも主語―述語を使って、哲学の論理を構成していったのである。
主語―述語は、西洋の論理的思考と密接に関連している。
主観、客観を英語にすると、subject、objectとなる。これは同時に主語と目的語ということでもある。

片岡が言うように、英語が客観的であり、因果関係を鮮明にさせるのではなく、主観―客観、主語―述語、さらには因果関係という考え方の枠組みそのものが、西洋語のなかから生まれてきた論理であると言えるのではないだろうか。
そう考えていくと、日本語そのものに問題があるのではなく、問題は、それが明治以降、西洋の論理が日本に導入され、強引な形で当てはめられた結果、何らかの歪みが生じてしまった、と考えられないだろうか。
それとも、そんな歪みなどない、日本語は、いまのままでまったく問題ない、と言えるのだろうか。

柳父章は近著『近代日本語の思想 ――翻訳文体成立事情――』(法政大学出版局)において、近代以降、従来はなかった主語が翻訳によって作りだされたと主張している。主語ばかりでなく、述語さえも、すなわち、近代口語文そのものが、翻訳によって作りだされたのだ、と。
つぎの項では柳父の本を紹介しつつ、主語―述語についてもう少し考えてみたい。


4.日本語では、主語も述語も重要ではない?


日本語には「名詞」も「動詞」も「形容詞」もなかった。あったのは「山・川・海」であり、「行く・見る・飛ぶ」であり、「高し・清し・良し」であった。即ち個々の「ことば」があっただけなのだ。そこに「名詞」とか「動詞」とか「形容詞」とかの「類」を認めるのは、日常言語のレベル、伝達のための言語レベルとは別の、特殊な観点がなさしめる業なのである。

(小池清治『日本語はいかにつくられたか?』ちくま学芸文庫)

三上章は、西洋語をモデルとして近代日本語文法を作っていったために、従来の日本語の構文にはない主語―述語の関係をむりやり日本語に当てはめた、と主張した。
柳父章は『近代日本語の思想』で、三上の説をさらにおしすすめ、翻訳によって、近代の日本語自体が、西洋文をモデルにして作りかえられていったのだ、とする。以下同書をもとに柳父の主張を簡単に紹介してみたい。

一般に日本語で主述関係を持った文章というと、「〜は……である」「〜は……た」という形が考えられる。ところが、近世までの日本語には「〜は……である」という構文も「〜は……た」という構文もなかった。

まず、「〜ハ……デアル」という構文が生まれたのは、江戸時代にさかのぼる。
当時の蘭学者たちはオランダ語を学習していくときに、漢文訓読のように、オランダ語を一語一句直訳していく方法を取った。
そのとき、オランダ語の主語に対応する訳語を、日本語でも当てはめなければならなかった。

Dat is een handelbaar man.
ソレハ交リ易キ人デアル
Dat is haar life.
ソレハ彼女ノ恋アル

「ハ」「デ」は、漢文の送り仮名と同じように原文にないことばを補うものとして加えられた。二番目の例文で「デ」が小文字になっているのは、送り仮名であることを強調しているためであり、同じように「ハ」が小文字になっているもの、あるいは「デ」が小文字になっていないものも、当時の学習書に見られる。

それを受けて、明治時代、まず法律文の領域で、西洋の文章を翻訳する中から、「〜ハ」の構文が中心となっていき、それは明治二十二年の大日本国憲法として結実する。

  第一章 天皇
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

以降各条文の書き出しは、すべて「〜ハ」となっている。
この大日本帝国憲法が、以降の日本の文章全体に大きな影響を与えた。文の始めに「主語」が置かれるスタイルがここで確立したのである。

ただし、従来の日本語では、「〜が」が未知の情報を意味するのに対し、「〜は」は、既知の情報、すでに明確である物や事を受けるという性質があった。

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんおりました。おじいさん山へ柴刈りに……

ところが西洋語の翻訳として用いられるようになってから、「〜は」の性質が変わってきた。「天皇ハ」「日本臣民ハ」「真理ヲ発明スルノ方法ハ」のように、大事そうではあるが、その概念が不明確である言葉を積極的に受ける役割を果たすようになったのである。

さらに述語も翻訳によって作られた。
従来の日本語の文章は、句読点は一切なかった。西洋文の翻訳を通して、センテンスの切れ目に来るピリオドを「。」で対応させる意図は明治中期よりあったが、その使い方には、ずいぶん後まで混乱が残る。つまり、従来の日本語には、独立したセンテンスという概念がなかったために、「文末」もなかったのである。まず文の切れ目を作るための句点を打つ位置が、模索されていった。

西洋語は
 主語+述語動詞+修飾語+ピリオド
という形をとる。ところが日本語の文章は、
「主語」+修飾語+「述語」+助動詞
と、いう日本語特有の要素がつく。この文末につく助動詞を時枝は「陳述」と呼び、日本語でもっとも大事な要素であって、これがないと日本文は成り立たない、という。
はっきりと切れる文末の表現がどうしても必要となる。そこで、小説の分野では二葉亭四迷のロシア文学の翻訳によって「〜た。」が、法律文や学術論文などでは蘭学の流れを汲む「〜である。」が、翻訳によって作り上げられていく(注:二葉亭四迷が作りだした言文一致体に関しては、後日、項を改めて考えてみたい)。
それまで日本にはなかった概念や思想を、新しく日本に移植するために作り上げられた文体「〜は…である。」は、このような経緯で生まれたのである。

ところが、「A is B」が、日本語に翻訳され「AはBである」となったところで、本来の意味からずれが生じてしまった。

英語文の「A is B」は、Aという文全体を支配するもっとも大切な概念と、Bというまた別の概念を突き合わせ、論理的な関係を考え、その結果として「is」で結ぶ、という構造を持つ。

ところが日本語はそのような構造を取らない。
時枝誠記によると、日本語の文は「詞」と「辞」の結合によって作られる。
「詞」というのは、ものごとを客体的、概念的に表現した言葉で名詞・代名詞・動詞・形容詞などがこれにあたる。
「辞」は表現されることがらにたいする話し手の立場を直接表現するもので、助動詞、助詞、接続詞などが含まれる。
さらにこの結合は、単純な結合ではなく、「辞」は「詞」を包み、かつ、統一するものなのである。

たとえば「静かだ」という言葉であれば、「静か」という詞を「だ」という辞がふろしきのように包み込んでいる、と理解できる。
「波が静かだ」という文章になれば、「波」をまず「が」がくるみ、「波が」全体を「静か」がくるみ、さらに「波が静か」全体を「だ」がくるむ、という構造になる。

静か

このように考えていくと、「AはBである」という文章は、まず「Aは」を「B」がくるみ、さらに「AはB」という全体を「である」が承認する、という構造になる。

である

このとき、AとBの概念が明確にならなくても、とくに、Aが未知の概念であっても、Bという概念でくるんでしまうことは可能であるし、さらに強い断定「である」でくるみこんでしまうことで、全体として承認してしまうのである。

日本語の統辞論の基本構造は、日本語の論理を考える上で示唆的な多くの着眼点をふくんでいる。
 その主ないくつかを簡単にとり出しておくと、次のような四点になります。
一、日本語では、その全体が幾重にも最後にくる辞(主体的表現)によって包まれるから、大なり小なり主観性を帯びた感情的な文が常態になる。
二、日本語では辞によって語る主体と繋がり、ひいては主体のいる場面と繋がり、場面からの拘束が大きい。
三、日本語の文は、詞+辞という主客の融合を重層的に含んでいるから、体験的なことばを深めるには好都合だが、客観的・概念的な観念の世界を構築するには不利である。
四、日本語の文では、詞+辞の結びつきから成るその構造によって真の主体は辞のうちに働きとしてだけ見出されるから、文法上での形式的な主語の存在はあまり重要ではない。 (『中村雄二郎著作集VII 西田哲学』岩波書店 柳父章『近代日本語の思想』よりの孫引き)

柳父は中村雄二郎を援用しつつ、「主語が重要ではない」だけではなく、述語もまた重要でなく、大事なのは辞の働きによる「陳述」だとする。

「〜は」構文は、近代日本の先頭に立って、西洋先進文化の概念を取り入れる。そして、それを、述語が包み、さらに「である」や「た」などの陳述が包んで新しい日本文化をつくっていった。陳述でいったん包まれた文は、決定的な響きを持つ。その内容の、中でももっとも肝心なはずの「主語」の概念は、たとえ「未知」な、「新しいインフォーメイション」であっても、あまり問い返されることはない。「主語」の意味は、述語論理によって、述語が変わればそれに応じて変わることになる。そして、述語がそのままであっても、陳述によって閉ざされた構文の中で、「主語」の外見的な形はそのままで、その意味内容を変えていくことも当然あり得る。
 時枝の説く「陳述」は、伝統的な日本文においては、「辞及び陳述を客体的なものから切り離して、主体的なものの表現」と考えられている。その文法構造を受け手考えるならば、近代以降に翻訳でつくられた「である。」や「た。」や「ル形」は、客観的な判断の内容を包み込んでいる、と言えるだろう。すなわち客観的判断内容を「主体的なものの表現」で包み込むといういわば矛盾した構造である。

「主語」のところにきた未知の概念、難解な概念を、日本人は未知のままで理解する、というより、そのまま呑み込んできた。たとえば明治になって新たな概念が、西洋から入ってくると同時に、それに対応する日本語が、ときに編み出され、ときに当てられる。
「自然」や「社会」「権利」「個人」「美」あるいは「彼」などのことばは、翻訳者や学者や作家の「主体的なものの表現」におさめられたのち、時間とともに、「主体的」な解釈によって意味内容も次第に変容していく、という経過をたどってきたのだ。


5.「私」で考え、「I」で考える


これまで見てきたように、日本語が自分を指す一人称代名詞を使わなくても成立するのは、日本語の文では、主語が重要ではないこと、場に拘束される要素が強いことから、語り手としての「私」の存在は、暗黙の前提となっているからだ。
ところが「私」を言わない、すなわち動作主を明らかにしないことで、因果関係は不鮮明になり、話は主観的な、その場その場に拘束された、ごく具体的なものにとどまりがちになる。

古来からの日本語の傾向として、そのような側面があったのだろうし、柳父章が指摘するように、翻訳によって大きく変わってきた部分もあるだろう。

西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。……日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応えているなんて楽な刺戟ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。……この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。(夏目漱石『現代日本の開化』)

西欧の圧倒的な技術力を目の当たりにした当時の日本の指導者は、なんとかその落差を埋めようとした。
技術を取り込むために、社会や教育を変えていこうとした。そうしたなかで、言文一致の運動が起こり、書き言葉を中心に、日本語は大きな変貌を遂げる。
加えて「自由」「権利」「国家」「自然」、あるいは「主語」「述語」などの従来なかったさまざまな概念が移植された。その多くが、わからないまま、丸飲みにされてきた。
丸飲みにした概念は、西洋の概念とはちがうものとして、徐々に日本で根を張り、ちがうものとして育っていった。そうしながら、日本人の思想に、逆に影響を与え、ときに拘束するようになっていったのだ。

***

わたしたちは、日本語で考えている。「母国語は、それを母国語とする人たちを、思考や感情など人間の営みのすべての領域において、決定的に規定する」という片岡の指摘は、まさにその通りだろう。 ならば日本語が、どのような「くせ」を持っているのか。そうした「くせ」を、はっきりとわきまえておく必要があるのではないか。
こうしたことは、外国語と比較対照したときに、きわめて鮮明になる。

ことばは他者の存在を前提としたものだ。人間がひとりきりで生きるのなら、ことばは必要ない。
ことばを他者に向けて発する。それが相手に届く。こんどは相手からことばが返ってくる。こうしてことばは、ひととひとのあいだに関係をつくる。

わたしはこう思う。
わたしはこうしたい。
場からの拘束が強いことばは、ときに大変スムーズに進む。
「課長、今度の××の件、○○でやっていくから」
「了解しました、部長」
それを実際にするのはだれなのか、なぜそうしなければならないのか、もしうまくいかなかったときはどうするのか、そうしたことは一切不問にされたまま。
逆に課長が自分の「こうしたい」を通したいときは、あらかじめ根回しをしておくといい。

こうした日本語による言語活動のマイナス面は、すでに十分すぎるほど指摘されてきた。その結果、改善されつつあるのだろうか。
わたしにはわからない。

ただひとつ言えるのは、言語は習得していくものだ。わたしたちは母国語は「自然に身についた」と思っているけれど、決して自然に身についたわけではない。まずは幼児期、周囲のおとなのことばを真似することから始まって、学校教育やさまざまな経験を通じて、獲得していったものだ。そうしてこれは、学校教育が終了すれば終わりになる、というものではない。

本を読む。他者の話を聞く。他者と話をする。他者に向けて書く。
そのとき、自分が日本語を使っていることを、意識の隅に、つねに留めておく。わたしの考えは、いつの間にか日本語の「くせ」に拘束されて、不自由なものになってはいないだろうか。わたしの言っていることは、場にずっぽりとはまりこんで、人間対人間の関係ではなくなっているのではないだろうか。わたしはあまりに自分の主観からしか、ものごとが見えなくなってしまっているのではないだろうか。
できれば、外国語を学ぶ。
自分の発想が、日本語の枠に留まったものであるかどうかがこれほどよくわかる機会はほかにはない。
そのような意識的な努力によってしか、自分のことばの質を高めていくことはできないのではないだろうか。
そうしてまた、他者とのコミュニケーションを深めていくためには、みずからのことばの質を高めていくことによってしかなされないのではないだろうか。






初出Jan.6-14, 2005、改訂Feb.8, 2005