ここではロアルド・ダールの "Taste" の翻訳をやっています。
この短編は、「南から来た男」などと並んで、ダールのなかでも傑作のほまれも高い作品の一つです。
誰もが持っている“人に認められたい”、“ひとかどの人物と見なされたい”という欲望が、いったいどういう結末を引き起こすのか。ダールらしい皮肉な結末は、本文が終わったあとも「このあと一体どうなったんだろう」と思わずにはいられません。
原文はhttp://membres.lycos.fr/jpcharp/Taste.htmlで読むことができます。
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味
by ロアルド・ダール

その晩、ロンドンのマイク・スコフィールド家の夕食を囲んだのは私たち六人だった。スコフィールド夫妻と娘、私と妻、そうしてもうひとりはリチャード・プラットという人物である。
リチャード・プラットは美食家として有名だった。彼は“美食同盟”として知られる小さなグループの代表で、毎月、料理とワインについてのパンフレットを会員限定で頒布していた。食事会を開くこともあったが、そこでは贅を尽くした料理と珍しいワインがふるまわれる。自分の味覚に差し障りがあっては一大事、とばかり、タバコははねつけ、ひとたびワインについて語り出すと、奇妙な、いささか滑稽とさえ言えるようなしゃべり方をする――まるでそれが人か何かのように。たとえば「思慮深いワインだ」といったことだ。「どちらかといえば気の弱い、逃げ腰のところがあるが、その一方で、確かな思慮深さを感じるね」あるいは「陽気なワインだ。人が良くてにぎやかだ――いささか品がない、かもしれない……だが、そうであるとはいえ、陽気なことには変わりはない」
私はこれまでに二度、マイクの家の食事会でリチャード・プラットに会ったことがあるが、いずれの機会もマイクと夫人は格別に念を入れて、有名な美食家のために特別な料理を用意していた。今回もその例外ではないらしい。ダイニングルームに通された瞬間、すばらしいごちそうが用意されていることがわかった。丈の高いキャンドル、黄色い薔薇、銀食器は燦然と輝き、ひとりに三つ用意されたワイングラス、そうしてなによりもキッチンから漂ってくる、肉のローストされるかすかな匂いに、私の口の中にはさっそく暖かな唾液がわきあがってくるのだった。
席に着いたとき、リチャード・プラットが来ていたときはいつも、マイクとプラットのふたりでクラレットの生産地と醸造年を当てる賭けをやっていたことを思い出した。プラットは、当たり年のものであれば当てることなど雑作もない、と言う。そこでマイクは、当てられない方に当該のワインをひとケース賭ける。賭けに応じたプラットは、二回とも勝ちを収めていた。今夜も例の賭けをやるにちがいない、と私は思った。マイクときたら、自分のワインが知る人ぞ知るものであると立証できるなら、よろこんで賭けに負けるだろうし、プラットにしてみれば、自分の蘊蓄を披露できることに、抑えてはいたが、堪えられない楽しみを感じていたらしかったから。
食事はバターで香ばしく焼き上げた小イワシで始まり、それに合わせてモーゼルワインが出た。マイクは席を立って自らワインを注いで回ったあとで、自分の席にもどってから、リチャード・プラットにじっと目を向けているのに私は気がついた。マイクが目の前にボトルを置いたので、私にはラベルを見ることができた。“ガイエルスレイ、オーリクスベルク 1945年”とある。マイクは私に身を寄せてささやいた。ガイエルスレイというのはモーゼル地方にある小さな村で、ドイツのなかでもほとんど知られていない、はずれの方にあるんだよ、いま飲んでいるワインは大変めずらしいもので、葡萄園そのものが小さいために収穫量も少ない、そのために外国人はほとんど手に入れることもできない、私は、去年ガイエルスレイに自分で出向いていって、数ダース譲ってもらったんだよ、と。
「この国でいま私のほかにこれを持っている人間はおらんでしょうな」と彼は自慢した。そこでまたリチャード・プラットにちらりと目を遣ったのに気がついた。「モーゼルのすばらしいところは」と声を高くして続ける。「クラレットの前に出すには申し分のないワインだということだ。たいていの人はそこでラインを出すのだがね、それはただ、もっといいものを知らないというだけだ。ラインワインじゃ繊細なクラレットの風味を殺してしまう、そうじゃありませんか? クラレットの前にラインを出すなんて野蛮な話だ。だがこのモーゼルときたら! モーゼルこそ、まさにふさわしいよ」
マイク・スコフィールドは気のいい中年の男だった。一方で、彼は株式仲買人でもある。正確に言えば証券取引所のブローカーで、彼のような人物にありがちなのだが、ちょっと目端が利くのを生かしたところ、金持ちになっていたことに気がついて、当惑もし、恥ずかしがってもいるようなところがあった。胸の内では自分が実際には賭けの胴元以上のものではないことを知っていた――愛想が良く、一点の後ろ暗いところもなく、その実、裏に回っては違法なこともやりかねない胴元である。そしてまた、友人たちも自分のそうした側面を知っていることを理解していた。だからこそ、彼は教養人になろう、文学的知識をたくわえ、審美眼を養い、絵や音楽や本などありとあらゆるものを収集しようという望みを抱いたのである。さきほどのラインワインとモーゼルワインについてのちょっとした講釈は、その勉強のたまものらしい。
「なかなかチャーミングなワインでしょう?」そう言いながらもまだリチャード・プラットから目を離さない。小イワシを一口食べようとうつむくたびに、人目を盗むようにすばやく座に視線を走らせるのに私は気がついた。待っているのかもしれない、という気がした。プラットが最初の一口をすすり、グラスからあげたその顔に、喜びと驚き、おそらくは驚嘆の色さえ浮かぶのを、そうして講釈が始まり、マイクはガイエルスレイ村のことを話すつもりなのだろう。
だが、リチャード・プラットはワインに口を付けてもいない。マイクの十八歳になる娘ルイーズとの話に夢中になっているらしい。半身を娘の方に向け、笑みを浮かべながら話しているのは、私の耳の届くかぎりでは、パリのレストランのシェフがどうしたということのようだ。話に熱が入るあまりにどんどん相手に近寄って、あわやその身はふれあわんばかり、かわいそうな娘の方は、礼儀正しくあいづちはうっているものの、仕方なくそうしているに過ぎないようで、相手の顔ではなく、ディナー・ジャケットの第一ボタンを見つめていた。
魚料理が終わり、メイドが皿を片づけて回った。プラットのところまで来て、皿が手つかずであることに気がついてためらっていると、プラットもそれに気がついたらしい。手を振ってメイドを追いやると、話を中断してせかせかと食べ始めたのだが、香ばしく揚がった小イワシも、フォークで無造作に突き刺しては口のなかに放りこむ。皿が空になると、グラスに手を伸ばし、ゴクリゴクリとふた口で飲み干して、すぐにルイーズとの話を再開しようと、そちらへ向き直ったのだった。
マイクは残らず見ていた。身じろぎもせず坐ったまま、自分を抑えて客を見つめているのに私は気がついた。丸い陽気な顔も、いくぶん力が抜けてがっくりときたようだが、それでもなお自制して、じっと黙ったままでいた。
まもなくメイドが二番目のコース料理を運んできた。大きなローストビーフである。自分の前に運ばれて、マイクは立ち上がり、ナイフを入れるとたいそう薄く切り分けて皿にのせ、メイドが配って回った。自分の分も含めて全員に行き渡ったところで、切り分けナイフを下におろし、両手を食卓の端にのせて身を乗り出した。
「さて」彼は一同に向かって言ったが、その目はリチャード・プラットひとりに注がれていた。「さて、いよいよクラレットです。取ってこなくてはならないので、失礼させていただきますよ」
「マイク、君が取ってくるんだって?」私が尋ねた。「いったいどこから?」
「書斎だよ、栓を抜いて……息をさせてるんだ」
「なんでまた書斎で?」
「もちろん室温に慣らすためじゃないか。そこに置いて二十四時間になる」
「どうして書斎なんだ?」
「家のなかではそこが一番いいんだ。リチャードが前に来たときに教えてくれたんだよ」
自分の名前を耳にして、プラットは顔を上げた。
「そうだったよね?」マイクは言った。
「ああ、そうだ」プラットはそう答えると、重々しくうなずいてみせた。「その通りだ」
「書斎にある緑色のファイル・キャビネットのてっぺんに置いてあるんだよ」マイクは言った。「ふたりでそこがいいと決めたんだ。温度変化のない部屋のなかでも、風の通りがない場所だからね。じゃ、失敬して取ってこよう」
つぎのワインを出そうと思ったことで、マイクの気分は弾みをとりもどしたのだろう、急ぎ足にドアを出ていった。だが、ほどなく戻ってきたときの足取りは慎重そのもの、両手でワイン・バスケットを抱えており、なかには黒っぽいビンが寝かしてあった。ラベルの側は下向きになっていて見えないようになっている。「さて!」テーブルにやってきたマイクは大きな声を出した、「リチャード、これはなんだと思う? きっとわからないだろうな!」
リチャード・プラットはゆっくりと振りかえってマイクを見上げ、それから小さな籐かごに収まっているビンに目を移すと、眉を持ち上げた。眉を傲慢そうに持ち上げたかと思うと、同時に濡れた下唇を突き出したので、とたんに尊大で醜い表情になった。
「君にはわからないだろうな」マイクはもういちど言った。「百年たっても」
「クラレットだろう?」リチャード・プラットは見下したように言った。
「もちろん」
「おそらく小さな葡萄園のものだろうな?」
「そうかもしれないな、リチャード。だが、そうじゃないかもしれないぞ」
「当たり年のものなんだろう? それも最高級の年の?」
「その通り。その点に関しては保証する」
「じゃ難しいわけがないさ」リチャード・プラットはひどく退屈そうな表情を浮かべると、うんざりしたように言った。ただ、私にはその間延びしたしゃべりかたや退屈そうなそぶりがなんとなく奇妙なものに映ったのだった。眉間には何か悪意を感じさせる影があったし、その物腰は、どこか真剣そのもので、それを見ていると、なんとなく不安な思いにかられてしまうのだった。
「これは実際、簡単じゃないはずだよ」とマイクは言った。「これに関しては、あえて君に賭けてみろとは言えないな」
「いやはや。どうしてまたそんなことを?」ふたたび眉が持ち上がり、冷ややかな、そのくせ熱のこもったまなざしが向けられた。
「だってほんとうにむずかしいからさ」
「そりゃまたありがたいお褒めのセリフだな」
「そりゃね」マイクは言った。「君がどうしても、って言うんだったら、喜んで賭けるよ」
「銘柄なんて私にしてみれば雑作もないことさ」
「じゃ、賭けるというんだね?」
「よろこんで賭けさせていただくよ」リチャード・プラットは言った。
「結構。じゃ、いつものようにいこう。このワインひとケースでどうだ」
「君は私が当てられるなんて思ってないんだろう」
「実際、どうしたって無理なものは無理なんだ」マイクは努めて礼儀正しく振る舞おうとしていたが、プラットの方は、一連のなりゆきを小馬鹿にしている様子を隠そうともしていない。にもかかわらず、彼がそのつぎに聞いたことは、彼がある種の興味を抱いていることを、はからずも暴露していた。
「もう少し賭けないか?」
「そんなことをしても意味はないよ、リチャード。ひとケースで十分だ」
「五十ケース、賭けるのはどうだ?」
「そんなこと、ばかばかしいじゃないか」
マイクは食卓の上座の自分の椅子の背後にじっと立ったまま、籐かごに鎮座しているワインのボトルを大事に抱えていた。鼻の穴のまわりが変に白っぽく血の気が失せて、口は固く引き結ばれている。
プラットは椅子に背中をもたせかけ、マイクを見上げながら、眉を持ち上げたまま、目を半ば閉じて、唇の端に微笑を浮かべていた。そうして、私がふたたび見た、というか、見たように思ったのは、その表情にある何かしらおぞましいものだった。眉間の熱っぽい影、その目、黒い瞳の奥に、秘められた狡猾さのようなものがゆっくりときらめいたのだ。
「ということは、君はもっと大きなものを賭けるつもりはないんだな?」
「私だったらかまわない、まったくね」マイクは言った。「お望みなら何だって賭けてやろうじゃないか」
三人の女たちと私は黙ったまま、ふたりの男を見ていた。マイクの細君は気遣わしげな表情になっている。口元は不機嫌に曲がり、いまにも間に割って入りそうだ。私たちが食べるはずのローストビーフは目の前の皿に載ったまま、ゆっくりと湯気をたちのぼらせていた。
「私の言うとおり何でも賭けるんだな?」
「そう言っただろう。もし君がそんなに言うんだったら、なんだって喜んで賭けてやる」
「一万ポンドでも?」
「もちろんさ、君がそれを望むならね」マイクはいまや自信満々だった。プラットが賭けられるほどの金額であれば、自分ならいくらでも応じることができるとわかっていたのだ。
「じゃ、何を賭けるか私が決めていいって言うんだね」プラットは重ねて聞いた。
「そう言っただろう?」
だれもが黙りこんでしまったなかで、プラットひとり、テーブルの人々、まず私、それから三人の女に、ひとりずつ、ゆっくりと視線を注いでいった。君たちはこの賭の立会人なのだから、そのことを心しておくように、とでも言いたげな表情を浮かべて。
「あなた」スコフィールド夫人が口を開いた。「ね、あなた、こんな意味のないこと、おやめになって、みんなでお食事にしましょうよ。冷めてしまうわ」
「これは意味のないことではありませんよ」プラットは冷静に言った。「ささやかな賭けです」
メイドが背後で野菜の皿を持ったまま、前に進み出るべきか、まだ待っていたほうがいいか迷っているのに気がついた。
「さて、いいかな」プラットが言った。「私が君に賭けてもらいたいものを言おう」
「よしきた」マイクはいささか軽はずみな調子で言った。「それが何だろうが一向にかまうもんか。受けて立とうじゃないか」
プラットはうなずくと、ふたたび唇の両端をニッと上げてから、ひどくもったいぶった調子で、マイクをひたと見すえたまま言った。「君にはお嬢さんを賭けてもらいたいな、私が勝ったら結婚できるように」
ルイーズ・スコフィールドは飛び上がった。「何ですって? こんな話、聞いたことないわ! ねえったら、パパ、ほんと、とんでもない話よ」
「大丈夫ですよ」母親が言った。「プラットさんは冗談を言ってらっしゃるのよ」
「冗談を言っているつもりはありませんが」リチャード・プラットは言った。
「そんな馬鹿な」マイクもいまではまた平常ではいられなくなったようだった。
「君は私が望むなら何でも賭けると言ったじゃないか」
「金のことかと思ったんだ」
「君はそうは言わなかったよ」
「だがそういう意味で言ったんだ」
「生憎だが、君はそういう意味では言ってなかったよ。ま、何にせよ君が自分の前言を翻したとしても、私は何も言うつもりはないがね」
「自分の言ったことを引っ込めるつもりは毛頭ない。だが何にせよ、これは賭けにはならんじゃないか。君は釣り合うものを持っていないんだから。君が負けたところで、ぼくにくれるようなお嬢さんなんてどこにもいないじゃないか。もし仮にいたとしても、ぼくは君のお嬢さんと結婚するつもりはない」
「それを聞いて安心したわ」マイクの細君が言った。
「私も君の望むものを何でも賭けよう」プラットはそう言い放った。「たとえば家とかね。私の屋敷はどうかね?」
「どっちの家が良さそうかな?」マイクはふたたび冗談めかそうとした。
「田舎の方だ」
「もうひとつの方もつけてくれないか?」
「よろしい、君が望むなら。両方の家を私は賭けよう」
そう言われてマイクは黙ってしまった。一歩前に踏み出し、籐かごに入ったボトルをそっとテーブルに置いた。ソルトシェーカーを脇へ寄せて、ペッパーミルの位置をずらし、自分のナイフを手にとって、しばらく考え込んだ様子でその刃をためつすがめつしていたが、またそれを置いた。娘も黙って父親を見ていた。
「ねえ、パパ!」娘は泣き声になっていた。「変なことはやめて。ほんと、すっごくバカみたいよ。わたし、こんなことで賭けられるなんて願い下げよ」
「その通りよ」母親も声を合わせた。「すぐにおやめになって、マイク、席に着いてお食事をいただきましょう」
マイクは細君には取り合わず、娘に向かって笑いかけた。穏やかな、父親らしい、包み込むような笑顔だった。だが、その目に不意に勝利の光が小さくきらめいた。「あのな」と娘に笑いかけながら話しかけた。「いいかね、ルイーズ、もうちょっと考えた方がいい」
「やめて、パパ。わたし聞きたくない。こんなバカみたいな話、聞いたことないわ!」
「いや、バカみたいなんかじゃないよ。少し私の言うことを聞きなさい」
「いや。聞きたくない」
「ルイーズ! 頼むよ! こういうことなんだ、いいかい、リチャードはな、本気で賭けがしたいんだ。賭がしたいのはリチャードで、父さんじゃない。リチャードが負けたら、相当な額の資産を差し出さなければならないことになる。おっと、ちょっと待て、もう少しだけ話を続けさせておくれ。問題はここなんだ。おそらくやつは勝てない」
「だけどあの方、勝つ気だわ」
「まあ聞いておくれ、私が言っているのはこういうことなんだ。専門家がクラレットの鑑定をして――それがラフィットやラトゥールのような有名どころじゃないとして、の話なんだが、ともかく葡萄園の名前を当てようと思ったら、やり方はひとつしかない。もちろんボルドー産だ、ぐらいのことは言える。サン・テミリオンだろうがポムロールやグラーブ、メドックだろうが同じことだ。だがそれぞれの州には、いくつもの地方があるし、村もまた多い。しかもそれぞれの地方には無数の小さな葡萄園があるんだ。だから味と香りだけでそれぞれのちがいを聞き分けるなんてことは不可能なんだよ。このワインは数ある小さな葡萄園に取り囲まれた、そのなかの小さな葡萄園のものだ。いくら彼だって手に入れられるものではない。だから絶対に当てられない。無理なんだよ」
「絶対なんてことはないもの」娘は言い返す。
「勝てるって言ってるだろう。自分で言うのは何だが、お父さんだってワインのことにかけちゃなかなか詳しいんだぞ。まあ、ともかくだな、ルイーズ、父親が娘をやっかいなことに巻きこんだり、娘がいやがるようなことをさせるわけがないだろう。ただ、おまえにちょっとばかり金を作ってやろうと思ってるだけなんだ」
「マイク!」細君はきつい調子で割って入った。「やめてちょうだい、お願いだから」
またしても彼はそれには応えなかった。「この賭けにおまえさえ乗ってくれたら」と娘に言った。「十分後にはおまえは二軒のお屋敷のもちぬしだ」
「でもね、パパ、わたし、お屋敷なんていらない」
「じゃ、売ればいい。即刻やつに売ってやるんだ。お父さんが何もかも手はずをつけてやるから。さあ、よく考えてみるんだ、金持ちになれるんだぞ。もう一生金の心配はしなくてすむ」
「もう、パパったら。わたし、こういうのいやだわ。バカみたい」
「わたしだってそう思いますよ」母親が口を挟んだ。しゃべりながら頭を上下に激しくふるところは雌鳥さながらである。「ご自分のなさってることが恥ずかしくないんですの? マイケル、そんなことをおっしゃるだなんて。あなたの娘を賭けるだなんて!」
マイクは細君に目もくれない。「わかっておくれ」熱を帯びた調子でそう言うと、娘をじっと見つめた。「さあ、もうわかっただろう。負けることはないんだ、保証する」
「でも、いやなのよ、パパ」
「頼むよ、ルイーズ、うん、と言っておくれ」マイクは必死で娘に迫った。身を乗り出し、熱っぽい目で娘から目を離そうとしない。娘としてもそれ以上抵抗することはむずかしかったのだろう。
「だけど、もし負けたら?」
「ずっと言ってるじゃないか、負けることはないんだ。保証する」
「もう、パパったら。どうしてもしなきゃいけないの?」
「おまえに財産を作るためだよ。だから、さあ。どうするね、ルイーズ? いいね?」
ルイーズは最後の思案をした。そうして、仕方がない、と肩を少しすくめて言った。「しょうがないわね、いいわ。パパがそんなに負けないって言うんなら」
「よく言った!」マイクは叫んだ。「それでいいんだよ! さあ、賭けるとしよう!」
「そうしよう」リチャード・プラットが娘を見ながらそう言った。「さあ、賭けを始めましょう」
さっそくマイクはワインを取り上げると、自分のグラスに最初の少量を注いでから、弾むような足取りでテーブルを回って全員のグラスを満たしていった。いまや全員の目が、ゆっくりと右手をグラスに伸ばし、鼻に近づけるリチャード・プラットの顔を見つめていた。歳は五十前後、人好きのする顔とは言い難い。どこかしら、顔全体が口、というか、顔そのものが口腔と唇でできているように思える。分厚くぬめぬめとした美食家の唇、下唇は真ん中あたりでだらりと垂れ下がり、閉じることがない。ワイン鑑定家の唇、グラスの縁や食べ物が入りやすいように開いたままの形の唇。鍵穴だ、と見ていた私は思った。大きくて濡れた鍵穴だ。
プラットはゆっくりとグラスを鼻に近づける。鼻の尖端がグラスのなかに入り、ワインの表面を動いて、そっと匂いを嗅ぐ。香りを聞くためにワインをそっと回した。極度に集中している。目を閉じ、上体の全部、頭も首も胸も、匂いをとらえる鼻からの信号を受け取り、フィルターにかけ、分析する、巨大で繊細な嗅覚機械となっていた。
マイクは椅子にくつろいで、つとめて無関心なふうを装ってはいたが、どんな些細な動作も見逃すまいと息を詰めて見ているのに、私は気がついていた。スコフィールド夫人、細君の方は、テーブルの反対側の端に坐って、背を伸ばして浅く腰かけ、まっすぐ前を向いたまま、こんなことをわたしは認めませんからね、とでも言いたげに、厳しい顔をしていた。娘のルイーズは、椅子を横に少しだけずらして、横目で美食家のことを父親と同じように、じっとうかがっている。
少なくともまるまる一分間は、匂いを確かめる作業が続いた。それから目を閉じたまま、頭も動かさず、プラットはグラスを口元までおろし、グラスの半分を口に含んだ。声もなく、口をワインでいっぱいにして、最初の一口を味わう。やがて、そろそろと喉に流しこみ、それがおりていくのに合わせて、喉仏が上下するのが見えた。だが、まだ口の中には大部分が残っている。飲みこまないまま、唇の隙間から空気を吸い込むと、口の中のワインの香りと混ぜ合わせてから、それを肺に吸い込む。それから息を止めて、しばらく後に鼻から出し、最後に舌の上でワインを転がして、噛んだ。実際に、パンを食べているときのように、ワインを噛んだのである。
もっともらしく落ち着いた演技だった。なかなか見事な演技だったと言っていい。
「ううん」グラスを置くと、ピンク色の舌で唇を舐めた。「ああ、本当だ。おもしろい、かわいいワインだな――上品でお行儀が良い。後口はほとんど女らしいと言ってもいい」
口からあふれだした唾液が、何か言うたびに飛び散って、テーブルにできた小さな水たまりがいくつも光る。
「さて、そろそろ片づけるとしようか」彼は言った。「申し訳ないが慎重にやらせていただくよ、賭けとなればなおさらだ。いつもなら、ちょっとしたきっかけさえつかめばすぐに、葡萄園のど真ん中にひとっ飛びするんだがね。だが今度ばかりはね――少しずつ絞っていこうじゃないか、いいだろう?」彼は顔を上げてマイクを見ると、分厚い唇、濡れた唇をゆがめて笑顔を作った。応えるマイクの顔に笑みはなかった。
「さて、それじゃこのワインはボルドー州のどの地方からやってきたものだろう? これはそんなにむずかしい推理じゃない。サン・テミリオンやグラーヴにしては、ボディが少し軽すぎる。あきらかにメドックだ。それ意外にはあり得ない。
「さて……となると、メドックのどの村だろう? これも消去法でいくと、判断はそれほどむずかしくはない。マルゴー? いや、マルゴーではありえない。マルゴーの暴力的なまでの芳香はない。ポイヤックだろうか? ポイヤックでもないな。こいつはあまりにやさしい、ポイヤックにしてはしとやかだし、憂いさえある。ポイヤックものは味に、ほとんど尊大と言っても良いところがあるからな。おまけにぼくは思うんだが、ポイヤックには根性と、奇妙な土臭さ、きびきびとした味が、あの地方の土壌で育った葡萄にはあるはずだ。いや、これはちがう……。
「これはとても上品なワインで、一口目は慎み深く、はにかんでみせるんだが、二口目はその恥じらいながらも愛想のいいところが現れてくる。ちょっとお茶目なのかもしれないな、この二口目には少しばかりいたずら好きなところが出てきて、舌をからかうような、かすかな、そう、かすかなタンニンが感じられる。そうして、後口は爽快だ――慰めと、女性的なところ、ある種、無邪気な鷹揚さが感じられるこの資質は、サン・ジュリアン村のワインだけに見られるものだ。まちがいなく、これはサン・ジュリアンだね」
プラットは椅子に背をもたせかけ、両手を胸の位置まであげると、指先をぴったり重ね合わせた。笑い出したくなるほど気取っているその姿は、私にはどことなくわざとらしいものに映り、ただ主人をからかってみせるためだけにそうしているように思えた。娘のルイーズがタバコに火をつけようとした。プラットはマッチの音を聞きつけてそちらを向き、出し抜けに激しい怒りを爆発させた。「お願いだ!」彼は言った。「頼むからそんなものはやめてくれ。汚らわしい習慣だよ、食卓でタバコを吸うなんて!」
ルイーズはそちらを振り返って、片手に火のついたマッチを持ったまま、大きな目をゆっくりとその顔に向け、しばらくじっと相手を見つめてから、小馬鹿にしたようにゆっくりと視線をそらした。うつむいてマッチを吹き消したあとも、火のついていないタバコを手放そうとはしなかった。
「お嬢さん、許してください」プラットは言った。「私は食卓でタバコを吸いたくないという以上の意味はないんです」
ルイーズはもう彼の方に目を向けなかった。
「さて、と……どこまでいきましたかな?」プラットは言った。「ああ、そうだった。このワインはボルドー州メドック地方、サン・ジュリアン村のものだ。ここまではいい。だが、ここからはもっとむずかしい――葡萄園を当てなくちゃならないのだからな。サン・ジュリアン村にはそれはそれはたくさんの葡萄園があるし、我らがご当主も先ほどのたまわれたように、ある葡萄園のワインと、別の葡萄園のワインに、さほど差がない場合すら少なくない。だが、ともかくやってみようじゃないか」
また口をつぐむと、目を閉じた。「まずワインの等級をさぐってみよう」彼は言葉を続けた。「それさえできれば、問題の半分は片付いたことになる。ふむ。このワインはあきらかに第一級葡萄園のものではない――第二級でもない。特級畑のものとはちがう。この質にある、……何と言えばいいのだろう……輝きというか、力というか、そんなものが足りないのだ。だが、三級なら……かもしれない。いや、どうだろう。とびきりの当たり年のものらしいが……さっきご当主はそう言われたからな……だが、少しそれは褒めすぎじゃないか。よくよく考えるんだ。ここが思案のしどころだ」
グラスを手に取ると、もう一口含んだ。
「なるほど」そう言うと、唇を舐めた。「間違ってなかった。これは四級だ。これで間違いない。当たり年の第四級……ほんとうに超当たり年のものだ。だからこそ、一瞬、三級か二級のワインにさえ思えたのだ。結構。非常に結構。さあ、だんだん絞り込んできたぞ! サン・ジュリアン村の四級葡萄園はどこだ?」
また彼は口をつぐみ、グラスを取り上げて、グラスの縁をだらんと垂れた下唇に持っていった。そのとき、私が見たのは、ピンク色の細い舌が突き出され、その尖端がワインに浸されたかと思うと、素早く引っ込んだのである――ぞっとするような光景だった。グラスを戻す彼は目を閉じたまま、集中した顔で、二枚の濡れた柔らかいゴムのような唇をこすり合わしいる。
「さて、また始めよう!」彼は声を上げた。「味のなかにタンニン、素早く厳しく舌を締めつけるようなタンニンがある。そう、そうだ、もちろん! これでわかったぞ! このワインはベイシュヴェル界隈の小さな葡萄園のものだ。思い出したぞ。ベイシュヴェル地方、川が流れ、小さな港は川底が浅くなったために、もう舟が入ることもできなくなった。べイシュヴェルか……これがベイシュヴェルなんてことがほんとうにあるだろうか? いや、そうじゃない。間違いない。だがそこか、近いところだ。シャトー・タルボ? そう、そうかもしれない。いや、待てよ」
プラットがまたワインをすすったが、私は目の端で、マイク・スコフィールドが、口を半開きにして、小さな目をリチャード・プラットに釘付けにしたまま、身を次第にテーブルに乗り出しているのをとらえていた。
「おっと、違った。これはタルボじゃない。タルボはもっとこれより鋭い。答えがだんだん見えてきたぞ。もしこれが34年ものだとすると、それはもう決まりだ、とすると、タルボなんかじゃない。さてさて、ちょっと考えさせてくれよ。これがベイシュヴェルではなく、さらにタルボでもないが……だが、その両方共に近い、極めて近い、となると、その両方のあいだにある葡萄園だ。さて、どこだろう?」
彼は言いよどみ、私たちは彼から目を離さず、言葉を待った。だれもが、マイクの細君さえもが、いまや彼を見守っていた。メイドがサラダの皿を私の後ろにあるサイドボードの上に、そっと、静寂を乱さないように置く気配に私は気がついた。
「ああ」彼は叫んだ。「わかったぞ。そうだ、わかった!」最後に彼はワインをすすった。それから口元にグラスを近づけたまま、マイクに向き直ると笑いかけた。ゆっくりと、おもねるような笑い方だった。「君は知ってるね? これがシャトー・ブラネール・デュクリュだということを」
マイクは坐ったまま身じろぎもしない。
「1934年物だ」
私たちみんながマイクを見つめ、彼が籐かごに入ったボトルを回してラベルを見せてくれるのを待った。
「それが最終的な結論かね?」マイクが口を開いた。
「そう。そう思う」
「思う? そうなのかね、そうじゃないのかね」
「そうだ。それが答えだ」
「名前をもう一度」
「シャトー・ブラネール・デュクリュ。美しくて小さな葡萄園。年を経たうるわしき醸造所(シャトー)。よく知っているはずだったのに。どうしてすぐにわからなかったのだろう」
「さあ、パパ」娘が言った。「ボトルをこっちに向けて見せてちょうだい。わたし、二軒ともほしいわ」
「ちょっと待ってくれ」マイクが言った。「少しだけ待ってくれないか」そう言ったまま、無言で坐っている彼の顔は、当惑の表情が浮かんでいるだけでなく、顔全体が徐々にむくんで血の気がなくなり、まるで徐々にエネルギーが流れ出しているかのようだった。
「マイケル!」細君がテーブルの反対側の端から悲鳴のような声をあげた。「どうなすったの?」
「おまえは口を出すな、マーガレット、すまないが」
リチャード・プラットはマイクをじっと見ながら、口元をほころばせ、小さな目を光らせていた。マイクは誰も目に入らないようだ。
「パパ」娘が苦しげに叫んだ。「だけど、パパ、あの人は当てられないって言ったじゃない!」
「いや、大丈夫だよ、おまえ」マイクは言った。「心配するようなことは何もない」
私にはマイクがリチャード・プラットの方を向き直って「リチャード、話があるんだ。ふたりだけであっちの部屋でちょっと話をした方がいい」と言ったのも、自分の家族から逃げ出したい一心からだったように思える。
「ちょっと話なんてご免こうむりたいね」プラットはにべもない。「ぼくが望むのはただひとつ、ボトルのラベルを見ることだよ」もはや彼には勝者が自分であることがわかっていたようだ。その物腰には勝者の尊大な揺るぎのなさがうかがえ、私の目には、彼が何かことでも起ころうものなら、とことん陰湿な手口に訴えてやろうと手ぐすね引いて待ちかまえていることが、一目で見て取れた。「君は何を待っている?」プラットはマイクに言った。「ボトルを回して見せてくれないか」
そのとき、あることが起こった。メイドが、小柄で背筋をしゃんとのばし、白と黒の制服に身を包んだメイドが、リチャード・プラットの傍らに立ったまま、手に持った何かを差し出したのである。「これはお客様のものとお見受けいたしますが」
プラットは振り向くと、自分に向けられている薄い角縁の眼鏡を眺め、一瞬言いよどんだ。「これかね? たぶん……これは……、どうもよくわからんな」
「そうでございます。お客様のものでございますよ」年かさのメイドは、六十歳というより七十に近いほどの年格好で、長い年月、一家に忠誠を誓ってきた召使いだった。手にしていた眼鏡をプラットの傍らのテーブルにのせる。
礼の言葉もなく、プラットはそれを胸ポケットの白いハンカチの裏側にすべりこませた。
だが、メイドは下がらなかった。リチャード・プラットの少し後ろに立ったままでいる。その挙措にも、身動きせずにしゃんと立っている小さな姿にも、何かしらただならぬものが感じられ、少なくとも私は、にわかに不安をかき立てられて、メイドを見守った。その青白い顔には冷たい、決然とした表情が浮かび、固く引き結んだ唇、小さな顎は突き出され、両手は前できつく組み合わされている。頭に乗った妙なカチューシャと、まぶしいほど白い制服の前身頃のせいで、なんとなく羽毛を逆立てた胸の白い小鳥を連想した。
「お客様はこれをスコフィールド様の書斎にお忘れになっておられました」彼女は言った。不自然な、ことさらに慇懃な声音だった。「書斎にある緑の書類棚の最上段でございますよ。お食事の前に、お客様おひとりでそちらにいらっしゃったときでございましょう」
その言葉の意味が完全に理解できるまで少し時間がかかり、やがてみんながしんとしているなかで、私はマイクがのろのろと椅子から身を起こすのに気がついた。徐々に顔は紅潮し、目はかっと見開いたまま。口が歪んで、鼻腔のまわりには白い斑点が拡がり始めていた。
「おお、マイケル」細君が言った。「ねえ、落ち着いてくださいな、マイケル、あなた、落ち着いて!」
The End
お金のつぎに望むのは
ダールの作品のなかでも、よくできた作品と評判の高い「味」であるけれど、以前はこれは訳すつもりはなかった。「「賭け」する人々」で部分的に触れたということもあるのだけれど、賭けがメインテーマという意味では「南から来た男」と根本的には同じパターンの作品ではないかと思ったのである。
だが、よく見ると、いくつか重要なちがいがある。
ひとつには、「南から来た男」では、賭けを持ちかける男が、途中まで悪魔的に描かれている(最後になって悪魔的なのは彼の側ではないことを読者は知って、あらためてゾッとするという趣向が待っているのだが)のに対して、これは賭けをするふたりともがごく当たり前の、美食家のリチャード・プラットは少し当たり前の範囲を逸脱しているかもしれないが、このくらいの蘊蓄を垂れるワイン愛好家なら、どこかにいそうな気がする、その程度の人物である。
もうひとつのちがいは、「南から来た男」では、あくまでも「小指を欲しがる男」の不気味さに焦点が当てられていたのだが、こちらはそれぞれに思惑を秘めたふたりの男の心理戦に焦点が当てられる。
自分のことを、所詮「賭け屋の胴元」ではないか、と思ってしまっている株式仲買人のマイクは、一財産作ったあとに望むのは「教養」を手に入れることである。本を読み、絵画やワインを収集する、けれど、どれほど熱心に学び、コレクションを増やしたところで、それを保証してくれる「誰か」がいなければ何にもならない。
なぜマイクは「教養」をほしがったのか。それは金で手に入れられないものだからだ。絵は金さえ積めば、どんな名画でも手に入る。ワインもそうだし、有名な室内楽団を自宅に招いて演奏させることもできる。けれど、それを愛でる目や耳、味わうことのできる舌は金では得られない。もちろん生まれつきの感覚の鋭さということもあるだろう。だが、それだけではない。小さい頃からそういう環境に育って、感覚を養ってきた、生まれと育ちを証明するのが、そうした「教養」なのである。
壮年になってから「教養」の世界に足を踏み入れたマイクには、そういう「生まれと育ち」が育んだものを備えてはいない。けれども、金によって手に入れることができるものを集めることはできる。そうすることで「教養人」の尊敬を集めることによって、自分の憧れる「教養人」をもしのごうとしたのである。
実はそれまでのマイクとリチャード・プラットとの「賭け」は、本物の賭けなどではなかった。プラットは蘊蓄を披露するチャンスをもらい、マイクは自分が収集したワインの価値を認めてもらうという「交換」に過ぎない。だが、ここで初めてふたりはほんとうの賭けに打って出た。
マイクからしてみれば、マイクの金の力と、プラットの「教養」の対決である。マイクは金の力がまさか「ひとりの人間の味覚とワインの知識」に負けるとは思わない。自信満々である。
ところがプラットの側は、これをいい機会とばかり、別のものに狙いをつけた。公平な対決=賭けなど、もとよりするつもりはなかったのである。
人は、自分の所有しないものをつねに欲しがる。金を所有しているマイクは教養を、教養とある程度の金を所有しているプラットは、若い女を。
この勝負、もしプラットがずるいことをしなければ、どうだったのだろうと考えずにはいられない。やはりずるをしたということは、プラットの側も自分の舌に全幅の信頼は置けなかったのだろうか。味覚の鋭いプラットだからこそ、逆にその限界も知っていたのだろうか。
山田風太郎は「ダールやブラッドベリイは、この最後の、ただいちどだけの火花にいのちをかけているのである。再読など期待せず、再読してはならないものなのである」(『風眼抄』)と書いているのだけれど、この作品は再読してもいいような気がする。別に読み返したところで結末が変わるわけでもない、改めて驚くわけではないのだけれど、それでも読み返して、もしプラットがずるをしなかったら、とか、ここでメイドが現れなければ、とか、マイクはどうなっちゃったんだろう、とかと考える。あるいは、承認を求めない教養というのはどういうものだろう、とか、「貨幣」が相互に縁のなかったもの同士を親密にするのなら、「マイク」と「ワイン」だけでなく、「マイク」と「味覚」をもいずれは結びつけることになるのだろうか、とか……。
そういう意味では、結末の意外さにかけては「南…」に譲るものの、作品としてはこちらの方がおもしろいかもしれない。
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