カンヴァスに重ねられた古い絵の具は、歳月を経るうちにすきとおってくることがある。そうした変化が生じると、絵によっては最初に描かれた線が見えてくる。一本の樹が、女のドレスごしに浮かび上がり、子供の姿は犬に場所を明け渡し、船の下に拡がるのはもはや大海原ではない。この現象がペンティメントと呼ばれるのは、画家が「後悔(リペント)」し、自分の考えを変えたからだ。あるいは、こうも言えるのかもしれない。かつて心に抱いた思いは、後に選びなおされ、置き換えられたとしても、やがて見えてくるし、さらには、ふたたび現れてくるのだ、と。
この本のなかに現れる人々についてわたしが言いたかったのは、そういうことだ。いま、歳を重ねたこの絵のなかに、かつてのわたしにとって何があったのか、そうしていまのわたしにとっては何があるのか、見てみたかった。
* * *
亀

五時に眼が覚めたわたしは、二、三時間、釣りをすることにした。霧がたちこめる美しい朝、ボートを漕いで釣り船まで行き、そこからマーサズ・ヴィンヤード島に沿って波の高いウェスト・チョップ岬まで進む。タシュムー湖に向かって北上していると、ヒラメが群れをなして泳いでいく、潮の流れの速い、ひとけのない場所を見つけた。わたしは釣り糸を二本垂らして、コーヒーを入れた。たったひとり船にいると、いつも子供のように幸せな気持ちに包まれる。ほかには一艘の船さえ見えない、朝日が差しこむまえのひととき。
一時間ほどのあいだに、ヒラメを9匹とヘレンがチャウダーにほしがりそうなカンダイを2匹釣ったので、家に戻って仕事をする前に泳ぐことにした。釣り船は波の高い岬の方へ流されていたが、こんなことは初めてではなく、わたしも十分に用意はしていた。1sほどの石を長いロープで結わえ、それを持ったまま船の梯子を降りて引っ張っていき、その近くで泳ぐようにするのである。
自分が泳いでいるのではなく、信じがたいほどの速さで流されている、これまで見たこともないような潮流に巻き込まれている、と気がつくまで、どのくらいの時間が過ぎただろうか。釣り船も、もちろんわたし同様流されていたが、沖へ吹く強い風は、船を釣りをしていた場所から海の深い方へ運んでいた。わたしにはどうすることもできない。船まで泳ぐこともできなかったし、激しい潮流に抗することもできなかった。
そのあとしばらくのことは、ほとんど記憶がない。ただ、あおむけになったまま、恐怖というのは必ずしも言われているようなものではない、と理解したことを除けば。身体がこわばってしまったわたしは、しばらくのあいだ波が顔を洗うに任せるほかなかった。そのうち身体が動くようになったので、潮に流されてどこへ運ばれているのか、なんとか知ろうとした。けれども頭を持ち上げようと身体をひねると、こんどは沈んでしまい、ふたたび浮かび上がったときには岸が見えないことなどどうでもよくなってしまった。これまで生きてきたあいだずっと、自分が水そのものであったように思え、惨めったらしくもがくことなく静かに逝けるだけの意識がはっきりしているのなら、こういう死に方も悪いものではないなと考えていたのだ。
やがて――それがどのくらいあとなのかはわからないけれど――ウェスト・チョップの桟橋の杭に頭がぶつかったので、わたしは腕をのばして柱に回し、わたしたち三者のことを、何もかも思い出したのだった。あの亀が死んで四日後に交わした会話のなかで、わたしがハメットに言った言葉だ。「あなたたちはわかりあったんだわ。亀はなにがあっても生き抜いたのだし、あなたもそう。だけど、わたしはどうなのかしら」
ハメットが答えなかったので、わたしは夜になってからもういちど聞いてみた。「わからない」とハメットは答えた。「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。おれが意見を言ったところで、それが何になる?」
杭につかまったまま、死んでから二十六年がたつ亀のことを、死んで五年になる人間と話していたのだった。
1940年の当時でさえ、ウェストチェスター・カウンティのそのあたりでは、そこまで広い土地は、もうどれほども残っていなかった。火曜日に見にいったわたしは、木曜日には『子狐たち』の印税でそこを買っていた。一週間分の食料を買うお金さえ残らなくなることはわかっていたが、気にもとめなかった。そこは屋敷と呼ばれていたけれど、家屋のほうは、19世紀風の格調高い庭園には似つかわしくないほど簡素なものだったので、だれもが120年間に渡って地所を所有していた一族に何が起こったのか、不動産屋の話によると、その後行方不明になったというのだが、興味をかき立てられずにはいられなくなるのだった(ただ不動産屋の話は正確ではなかった。8、9年ほどして、16、7歳ぐらいの少年が、家を見せてもらえないか、とやってきたのだ。湖でピクニックをしてもいいですか、と。ここで生まれたという少年は、自分の誕生を記念して母親が植えたサンザシの大きな枝を持って帰ったのだった)。
最初の数週間のうちに、客間のふたつは閉め切って、ツゲやめずらしい植物や乗馬道のことは放っておくことに決めた。ハメットが短編小説をふたつ売ると、わたしたちはすぐにペンキを塗り替え、わたしの仕事部屋をしつらえ、納屋を修理した。農地を使いたかったので、固くて石ころだらけだからやめておけ、という注意にも耳を貸さなかった。わたしがドイツ系の若い農夫、フレッド・ハーマンを雇ったのは、ひと目見て、彼のひととなりがわたしのそれに近いと直観的に思ったからである。
何年ものあいだ、朝六時から日が暮れるまで、ハーマンとわたしは疲労の限界まで働いた。失敗した計画も多かったけれど、うまくいったこともある。プードルを飼って売り(当時、流行っていたのだ)、利益が出たところで鶏のヒナを買った。映画版『子狐たち』の台本の収入で、牛とアスパラガスの苗を三千本買い、このアスパラガスは白く色を抜くと、大変な高値で売ることができた。わたし以外のものはいやがったけれど、カモとアヒルを異種交配させ、湖でバスとカワカマスの養殖をし、優良なブタを育ててかなりの収益をあげたけれど、キジの飼育でそれもすっかり失ってしまった。その一部でも回収しようと、実ったばかりの巨大トマトや子羊、コクのある未殺菌牛乳を売ったこともある。
だが、こうしたことのいっさいは、そこを売らなければならなくなる前の良い時代、ハメットがマッカーシー時代に投獄され、わたしが下院非米活動委員会に召喚されてから、ハリウッドから締め出しを食う前のできごとだ。好きなことができた時代は、1952年に終わったのだった。
そのころのことでは、ずいぶんさまざまな思い出がある。学んだけれど忘れてしまった多くのことがら、あるいはおぼろげに覚えていること。こうしたものは、忘れてしまったものよりなおさら悪い。昔は樹や鳥、野草や野菜、ある種の動物については、いまよりたくさんのことを知っていたような気がする。たとえばバターやチーズやソーセージの作り方。オオクチバスから泥臭みを抜く方法。自分が取ってきた野草を、「あなたにもできる」と謳っている本の通りに煮て、みんなに吐き気を催させる方法。あのエレガントなマーフィ夫妻、ジェラルドとサラに、18世紀のレシピに従って調理したスカンクキャベツを出して、具合を悪くさせてしまったこともある。
何よりもはっきりと覚えているのは、わたしがこの地所を買って初めての春のことだ。乗馬道からも雪は消え、納屋での朝の仕事もすんだので、わたしはサルードという大型のプードルと、四匹いるその子犬を連れて、湖まで早朝の散歩に出かけた。湖の対岸の、木の生い茂る小高い丘に来ると、サルードは立ち止まり、急に向きを変えると木立のなかへ走り込んだ。しばらくすると、道までじわじわと後退してきた。子犬を連れてわたしは湖の方へと先を急ぎ、口笛で呼んだ。ウッドチャックにでも気を取られているのだろうと思ったのだ。けれども振り返ってみると、サルードは道から動こうとしない。まるで大きく息を吸い込んだまま、固唾を呑んでいる、といったふうなのである。
呼んでもそこから動かない。いつもかならず言うことを聞いていた命令口調に変えてみた。頭と前脚はわたしの命令に従って、こちらを向こうとするのだけれど、すぐにそちらに気を取られてしまう。麻痺したように動けない犬を見たことがなかったので、そっちへ行きながら、ヘビが呪いをかけるという昔話を思い出していた。かがんで重たそうな枝と石を拾う。ヘビに出くわしたらどうしよう、と恐ろしくなった。サルードが変な吠え方をするので、その頭越しに木立に向かって石を放り、ついておいで、と大声で呼んだ。石がドサッと地面に落ちる音がして、犬の眼前に鈍重な足取りで寄っていくものがある。いまにもヘビが襲いかかろうとしているにちがいないと思って、サルードのほうに駈け寄って首輪をつかんだが、重みでよろけ、転びそうになった。わたしの手から身を離したサルードは、ゆっくりと物音のほうへ近寄っていった。体勢を立て直したわたしが見たものは、優に90センチはある丸い甲羅が犬の脇を通り過ぎ、水辺に向かってゆっくりと進んでいる光景だった。大きな亀だったのだ。
サルードは用心しながら亀のあとをついていき、わたしは犬とのろのろと動いていく甲羅という取り合わせに度肝を抜かれて立ち尽くした。サルードが亀の前に飛び出して、前脚を出す。と、亀の顎がその足に食いついた。サルードは動きを止めた。すぐに後ろへ飛びすさり、これまで聞いたこともないような苦悶の叫び声をあげた。わたしが動けるようになるまでどのくらいかかったのかわからないけれど、とにかく持っていた枝を亀の尻尾めがけて渾身の力で振り下ろした。すると亀はゆっくりと水の中へ沈んでいったのだった。サルードの脚はひどいことになっていたが、あまりに重くて連れて帰れない。フレッドを呼びに走って帰り、一緒に獣医のところへ運んでいった。一週間もすると、脚を引きずりながら歩くまでには回復したが、一生その状態よりよくなることはなかった。
ハメットは数週間ほどカリフォルニアにいたので、わたしはひとりで毎日のように湖に出かけては、なんとかもういちど亀を見てやろう、と思っていた。ニューオリンズで過ごした子供のころを思い出す。毎週土曜日になると、叔母と一緒にフレンチ・マーケットに行って、叔母がやっている下宿屋のまかないのために買い物をした。市場には親指のない肉屋がふたりいて、どちらも噛みつき亀をさばくときに食いちぎられたのだ。
農場に戻ったハメットは、自分がかわいがっていた犬の脚がひどいことになっていたのを見て、驚くと同時に腹を立てた。前から湖に噛みつき亀がいるのは知っていたんだ、おまけにヘビもいる、だがこうなった以上何とかしなくては、と言うと、いつものように徹底的な研究を始めたのだった。つづく数週間のうちに、亀を罠にかける方法を記した本や政府刊行物が何冊も送られて来、妙な小包までいくつも届いた。大きな金網の檻は、ほかの用途に作られたものらしかったが、ハメットはどう改造したらいいか決めるまで、何日も睨んでいた。そのほかにも、巨大な釣り針、特別に重い頑丈な縄、ロープの結び方を記した本もあった。わたしたちは噛みつき亀の起源についても読んだけれど、わたしにはたいしたことは書いてないように思えた。曰く、進化することなく存続している最古の種であると推測される、顎は強力で、的に対して大きな脅威となる、ひっくり返ると自分では何もできない、など。さらにわたしが見た亀がどうして木立のなかから現れたのかも説明してあった――毎年、春になると、メスは地上に産卵し、孵るまで毎日その上に坐る。そうして孵った子亀が水に戻るのを、用心のために見届ける、というのだ。
ある日、おそらく一ヶ月ほどしてから――ハメットが何かを学ぼうと決意したら、急がせることなど無理な相談だった――、金網の檻や巨大な釣り針、魚の頭や数日前から日にさらしてすっかり臭くなってしまった切り身を持って、わたしたちは湖へ行った。わたしはいつものように飽きてきた。というのも、ダッシュ(※ハメットの愛称)の一部となっている、何をするにも時間をかけ、精密にやりとげるという癖を発揮し始めたからだ。わたしは湖畔の土手を散歩することにした。ハメットはその間も、檻のなかに釣り針を忍ばせた餌をしかけ、湖に漕ぎだすと、張り出した太い枝を見つけてそれに結わえつけた。
湖の片側に罠をしかけたハメットは、わたしのところからは見えない南側に向かった。そこでわたしは泳ぐことにした。浮き台に向かってゆっくり泳いでいると、かなり向こうでサッサフラスの太い枝が、水の上で大きく揺れている。浮き台に座ってそれを見ていると、枝が揺れているのは、そこに釣り針を仕掛けた太いロープが結わえられているからだと気がついた。ハメットに大声で、亀はもうつかまったの、と聞くと、そんなにすぐにつかまえられるはずがない、と答えが返って来、わたしは、急いで来てよ、怖くて動けないんだから、もう四の五の言ってる場合じゃないのよ、と言い返した。
ハメットは湖のカーブしているところをまわってくると、わたしを見てニヤッと笑った。
「こんなに早くから酔っぱらっちまったのか」
わたしは揺れている枝を指さした。わたしのことなどすっかり忘れ、ハメットは大急ぎでそちらに漕いで行った。綱をたぐりよせようとしたが、なかなか持ち上げられないらしく、ボートに立ち上がってもういちど引っ張り、それからゆっくりと綱を戻した。浮き台までボートが戻ってきた。
「確かに亀がいる。乗れよ。手伝ってくれ」
わたしがオールを持ち、ハメットはボートに立って、枝から綱を外した。綱がたいそう重かったので、船尾に繋ぎ留めようと移動したハメットは、うしろに倒れかかった。咄嗟にわたしが差し出したオールは、その背骨をしたたかに打った。
背中をさすりながらハメットが睨んだ。「こんどはおれが忘れないように言ってくれ」と言いながら、綱を船尾に結びつけた。
「忘れないように何を言ったらいいの?」
「おれに助けはいらない。もう長いことそう言おうと思っていた」
岸に着くと、ロープをはずしたハメットは、地面の上を引っ張っていった。サルードと一緒のときに見かけたのより大きな亀が捕まえられている。頭をひゅっと突き出したので、わたしは後ろへ飛びすさった。ダッシュは身をかがめて尻尾をつかまえ、仰向けにひっくり返した。
「針がうまくかかったんだ。これだと逃げられない。家に戻って車を取ってきてくれ」
「あなたひとりっきりにしておけないわ。あんなもの、ひとりでどうにかしようなんて……」
「行くんだ。亀は女じゃない。おれは大丈夫だ」
わたしたちはリア・バンパーに亀をくくりつけると、砂ぼこりの舞う1キロ半の道のりを引きずって家に戻った。ダッシュは物置に斧を取りに行き、一緒に長くて太い棒を持ってきた。亀を元に戻すと、棒をわたしに持たせて言った。
「できるだけ後ろへ下がるんだ。棒を伸ばして、亀が食らいつくのを待て」
言われたとおりにすると、亀が食いつき、ハメットは斧を振り下ろした。だが、うまくいかない。亀がダッシュの腕に気がついて、素早く頭を引っ込めるのだ。わたしたちは五、六回やってみた。暑い日で、わたしが汗をかいているのはそのためかもしれなかったが、ともかく、ハメットが何かをやろうとしてうまくいかないときは、わたしはいつも心穏やかではいられなくなるのだった。
「もう一回やってみよう」
わたしが棒を出したが、亀は食いついてこない。ちょうどわたしが棒を持ち直そうと手を下げたそのとき、食いついてきた。それからくわえた棒を離すと、わたしの手めがけて、見たこともない速さで飛びかかってきたのだ。後ろへ飛び退いたとき、棒が脚に当たって、青あざになった。ハメットは斧を下に置くと、わたしから棒を取り上げ、頭をふった。「あっちで横になったほうがいい」
あっちなんて行きたくない、と言うわたしに、ハメットはどこでもいいから行ってくれ、目の前から消えてくれ、と言う。どちらもするつもりがないわ、斧で殺せなかったから、わたしに当たってるだけなんでしょ、と言い返した。
「撃つことにした。だが、腹が立っているのはそのせいじゃない。君とはどうしたらいいか話し合ったほうがよさそうだ。ずっとそう思ってたんだ」
「いま話せばいいわ」
「いや、いまは忙しい。どこかに行ってくれ」
ハメットはわたしの腕をつかんで台所から外へ押し出すと、自分はライフルを取りに家の奥へ入っていった。戻ってくると、肉を一切れ亀の前に置き、自分は背後にまわりこむ。わたしたちは長いこと待った。やっと出てきた頭は、肉をしげしげと眺めている。ハメットの銃が火を噴いた。鮮やかな手並みで、目のわずか後ろを撃ち抜いていた。亀のほうへ駈け寄ると、頭はひくひくと痙攣しながらも前へ進んでおり、飛び出そうとでもいうように、脚は甲羅を運んでいるのだった。かがんで近寄ろうとすると、ハメットが警告した。「近くへ行っちゃいけない。死んでないんだ」
斧を取り上げたハメットは、首めがけて勢いよく振りおろし、皮一枚残して切断した。
「何か変だ。撃ったのに死なない、弾は脳を通過しているはずなのに。こいつは妙だ」
尻尾をつかんでぶらさげると、ハメットは台所までの高い階段をのぼっていった。新聞紙を見つけて、ソーセージをつくる季節以外はほとんど使うこともない石炭ストーブの上に亀を載せた。
「さぁ、スープ用の切り方を研究しなくちゃ」わたしは言った。
ダッシュもうなずく。「そうだな。だが、そいつは時間のかかる仕事だ。明日ということにしよう」
わたしはヘレンの部屋のドアの下にメモを置いた――その日、ヘレンは休みで、ニューヨークへ行っていたのだ――。ストーブの上に亀がいるけれど、驚かないで、と。それからニューオリンズのジェニー叔母さんに電話をかけて、子供のころ食べたおいしいスープの作り方を教えて、と頼んだ。ところが叔母さんは、生きた亀なんかに近づくんじゃない、上品なレディのように、きれいな刺繍でもしてなさい、と言うのだった。
翌日、フレッドの搾乳を手伝いに、朝の6時に階下へ行ったのだけれど、台所の階段をおりて血を目にするまで、亀のことはすっかり忘れていた。その血も、昨夜家のなかへ亀を運んだときに垂れた血だとばかり思って、納屋に向かった。8時に家に戻ってみると、ヘレンが朝ご飯は何にしましょうか、と聞いてくる。コーン・ブレッドを作ってるんだけど、それはそうとストーブの上の亀って、何のことなんです?
風呂に入ろうと二階へ上がりながら、わたしは返事をした。「書いたとおりよ。ストーブの上に亀を乗せてるの。噛みつき亀のことなら、小さいときに聞いたことあるでしょ」
数分後、ヘレンがあがってきて、バスタブに入っているわたしをじっと見た。「亀なんていませんよ。血はずいぶん流れてるけど」
「石炭ストーブのほうよ。もう一回行ってみて」
「何回も見ましたって。この家に亀が乗っかってるストーブなんてありゃしませんよ」
「ハメットを起こしてきて。いますぐ」
「そんなことしたくありません。殿方を起こすなんて」
わたしは台所まで走って行き、そのまま大急ぎでハメットの部屋へ上がると、揺り起こした。
「いますぐ起きて。亀がいないの」
ハメットは頭をまわして、こちらをまじまじと見た。「君は朝から飲み過ぎてるな」
「亀がいなくなっちゃったのよ」
すぐに台所におりたハメットは、ストーブをぽかんと見つめると、ヘレンに向かって言った。「床を拭いたのか?」
「ええ。どこもかもひどいもんでしたよ。階段を見てください」
地下室へ、さらに庭へと続く階段に、ハメットは目を走らせた。それからゆっくりと階段を降り、血の痕をたどって小径を抜け、果樹園のまわりの道へ出た。わたしがこの家を買う何年も前からあった果樹園の近くには、広いロックガーデンがある。2000平米を越えるほどもあり、めずらしい木や植物が植えられ、家の玄関に向かって、ゆるやかな上り勾配を作っていた。ハメットはそこから血痕にをたどると果樹園のまわりの道を進んだ。「昔、ピンカートン探偵社で働いていたころ、巡回郡農産物品評会の観覧車が盗まれたことがある。一度はおれが見つけたんだが、見失ってしまい、そのあとは知っている限りじゃ二度と出てこなかったらしい」
「亀は観覧車じゃないわ。だれかが持っていったのよ」
「だれが?」
「知らないわ。あなたの推理は?」
「亀が自力で逃げたんだ」
「そんなの変よ。昨夜は死んでたのよ。完全に」
「見ろよ」
ハメットが指さした先は、ロックガーデンだった。サルードと子犬が三匹、大きな岩の上に腰をおろし、茂みのなかにいる何かをじっと見ている。わたしたちはロックガーデンに急いだ。ハメットは子犬に、あっちへ行け、と命じ、茂みをかき分けた。亀がにじりながら、茂みを越えてなんとか向こうに行こうとしているのだ。首の皮一枚で頭がぶら下がっている。
「信じられない!」同時にわたしたちは声をあげ、立ちつくしたまま、逃げだそうと大変な時間をかけながら一歩を踏み出す亀を見つめた。やがて亀は動きを止め、後ろ足が硬直した。それまで息を潜めていたサルードが、突然、亀に飛び乗り、二匹の子犬もキャンキャンなきながらそのあとに続いた。サルードが亀の頭からしたたる血を舐めると、亀は前脚を動かす。わたしはサルードの首輪をつかんで、力一杯、岩の方へ押しやった。
ハメットは言った。「もう亀は噛みついたりしないさ。こいつは死んだんだ」
「なんでそんなことがわかるの?」ハメットが尻尾をつかんでぶら下げる。「それ、どうするの?」
「台所へ持っていく」
「湖に戻してやりましょう。自分の命をわが手で勝ち取ったんだもの」
「死んでるんだぞ。昨日から死んでたんだ」
「そんなことない。もしかしたら、昨日は死んでたのかもしれないけど、いまはちがう」
「復活とでも言いたいのか? 元カトリックっていうのは厄介だな」そう言いながら歩いて行く。
あとについていくと、ハメットは台所に入り、大理石の厚板の上へ亀を放りだした。ヘレンが叫ぶ。
「大変! 神様、どうかわたしたちみんなをお助けください」
ハメットは肉切り包丁の一本を取り上げた。読んだ本を暗唱しているかのように、唇が動いている。まず脚を甲羅から切り分け、慣れた手つきで関節にそって解体していった。もう一方の脚に包丁が入ったとき、脚が動いた。
台所から出てきたヘレンにわたしは言った。「わたしがここで動物の解体を手伝っているのはあなたもよく知ってるわよね。確かに殺すのがいや、なんてことは言いたくない。自分が殺した生き物を、何のためらいもなく食べてるような人間は。でも、これはちがう。わたしたちが触れちゃいけないものなの。命を自分で勝ち取ったのだもの」
ハメットは包丁をおろした。「わかった。じゃ、好きなようにしたらいい」
一緒に居間に入ると、ハメットは本をとりあげた。一時間後、わたしが口を開いた。「じゃ、命ってどう定義したらいいの?」
「リリー、そんな話ができるほど、おれはもう若くはない」
昼前に、わたしも籍を置いているニューヨーク動物学会に電話をかけてみた。大変な思いをして亀の知識がある人間につないでもらう。わたしの説明が終わると、若い声が返ってきた。「それは学名ケリドラ・セルペン・ティーナですね。性質が大変荒いんです。どこで会いましたか?」
「会った?」
「遭遇したか、ということです」
「湖畔で開かれた文壇カクテル・パーティでお目にかかりましたの」
声の主は咳払いした。「陸上ですか、それとも水中で? 陸上で遭遇した場合、とりわけ獰猛です。噛みつく速度があまりに早いので、人間の肉眼ではその動きをとらえきれないほどです。四肢の力は強く、細い突起は背甲につながって――」
「知ってます」わたしは言った。「わたしが読んだのも同じ本です。わたしが知りたいのは、どうやって階段をおりて庭まで歩いていくことができたか、っていうことなんです。首の皮一枚で頭をぶらさげたまま」
「平均的なカミツキガメの体重は、9キロから14キロですが、その倍以上の体重を持つものも多く見られます。その卵は非常に興味深いもので、卵殻は頑丈、ピンポン玉に例えられることも多く――」
「お願い、ですからどう考えたらいいか、教えてほしいんです、つまり、何というか、あの、生命ってことについて」
考え込んだあげく、答えが返ってきた。「わかりません」
「庭で見つけたとき、亀は生きてる……生きてたんですか? いまは生きてる、って言えるの?」
「おっしゃることがよくわかりません」
「わたしは命のことが知りたいの。命って何なんですか?」
「死の前にある状態と言えるのではないでしょうか。よろしかったらその亀の心臓を少量の塩水に浸けて、どのくらい鼓動を続けるか教えていただけないでしょうか。わたしたちの記録によると10時間なんですが」
「じゃ、まだ死んでないのね」
しばらく間があいた。「理論上は」
「理論上、ってどういうこと?」
雑音に混じって電話の向こうで話し声がした。相手が声を潜めてそれに応じるのが聞こえる。それから返事があった。「カミツキガメというのは、きわめて下等な、おそらくは最下等に属する生命体と言えます」
「だから、生きてるんですか、死んじゃってるんですか? わたしが知りたいのはそれだけなの。お願いですから、それを教えて」
またヒソヒソ相談する。「おたずねになったのは、科学上の見解だったはずです、ミス・ヘラーナン。神学上の見解に関しては、わたしはそれを述べる資格がありません。お電話、ありがとうございました」
十年後、あるディナー・パーティの終わりかけに、大柄な女性が部屋を横切ってやってくるとなり、隣りに坐った。わたくし、マダム・ド・スタールについての本を書いているところですの、というので、わけのわからない話にわたしが不満の意を表したところ、こんなことを言い出した。「わたしの弟は、昔、動物学者だったんです。弟に噛みつき亀のことでお電話なさったでしょう?」
弟さんによろしく、あのときはごめんなさいと謝っていたとお伝えください、と言うと、彼女はこう答えた。「あら、お謝りになるには及びません。いまカルカッタで開業してるんですもの」
ともかく、その電話をかけた日、わたしはハメットに話の一部始終を伝えた。耳を傾けていたハメットは、神学がどうの、というくだりになると笑みを浮かべ、また『動物の王国』という古い本に戻った。1972年の7月の昼下がり、ひさしぶりにこの本を手に取ったとき、表紙のわたしの書き込みを見て、この亀の思い出がよみがえったのだった。
夕食の時間が近づいたころ、ヘレンが部屋に入ってきた。「あの亀なんですけど。あんなものが近くにいたら、料理なんてできそうにないわ」
わたしはハメットにたずねた。「どうしたらいいと思う?」
「スープにしろよ」
「それは次のときよ。次に捕まえた亀。この亀はお墓を作ってやりましょうよ」
「やるのは君だ」
「わたしをとがめてるのね。どうして?」
「なんとか理解しようとしてるだけさ」
「だって、あんなに遠くまで歩いていったのよ。なんていったらいいか、わたしはこれまで命について、こんなふうに考えたことなかったもの」
「何が言いたいのかわからないな」
「だから、命とはどういうことか、とかなんとかそんなふうな感じのこと」
「とかなんとかそんなふうな感じだって? いい歳をしてそんなことを言うとはね」
「そりゃあなたは、わたしにくらべたらずいぶん大人でしょうよ」
「それにしても君は34で、とかなんとかそんなふうな感じ、などと言っていい歳じゃない」
「馬鹿にしてるのね」
「いい加減にするんだ、リリー。そういうところは全部お見通しだ」
「そういうところ、ってどういうところよ」
ハメットは立ち上がって部屋を出ていった。一時間ほどしてから、わたしはマーティニを一杯持っていった。「こんどだけ。つぎからはもういいの」
「お好きなように。どうしようがかまわない」
「うそ、かまわなくないんでしょ。ほかに言いたいことがあるのね」
「いい加減にしろ、と言ったはずだが」
「わたしが言っているのは――」
「晩飯はいらない」
部屋を出たわたしは、力一杯ドアを叩きつけた。夕食の時間になると、いますぐおりてくるようヘレンに言いに行かせたが、戻ってきたヘレンが言うには、いますぐは腹は減ってない、とのことだった。
わたしが食べていると、ヘレンは、明日の朝ご飯を作るときに亀がいちゃ、いやですからね、と言う。
十時ごろ、ヘレンが寝に上がると、わたしも二階へ行って、ハメットの部屋のドアに本をぶつけた。
「どうしたんだ」
「お願い。こっちへ来て、亀のお墓を作るのを手伝って」
「亀なんぞの墓を作るつもりはないね」
「じゃ、わたしのお墓なら作ってくれる?」
「そのときがきたら、できるだけのことはしてやろう」
「ここを開けて」
「いやだ。フレッド・ハーマンに頼んで、手伝ってもらえよ。あと、ヘレンから祈祷書を借りるのを忘れないようにするんだな」
だが、そのあともう三杯飲んだころには、フレッドを起こすには遅すぎる時間になっていた。亀の様子を見に行くと、床に血がしたたり落ちている。それまで何年も、そうしてそれからあと何年も、わたしはヘレンが怖かったので、真夜中近い時間だったけれど、亀の尻尾をロープで結わえ、懐中電灯を持って、台所の階段を引きずってガレージまで降り、車のバンパーにロープをくくりつけた。それからハメットの窓の下に立った。
そこで怒鳴った。「わたしは力がないの。そんなに大きな穴は掘れない。手伝って」
それからもう二度繰り返すと、ハメットも大声で答えた。「お手伝いできたらいいんだが、生憎と眠っているんでね」
一時間というもの、湖の北側の小高い丘で、わたしはひたすら穴を掘った。埋めて土をかぶせてやるころには、ウイスキーのビンは空になり、頭はくらくらして吐き気までしていた。お墓の上に棒きれを立て、車に乗って家に戻ろうとしたのだが、途中で眠ってしまったらしい。というのも、明け方眼が覚めると、あたりはどしゃぶりで、右側のタイヤが前後ろとも、切り株に乗り上げていたからだ。歩いて家まで帰ってベッドに倒れ込むと、四、五日のあいだ、ハメットもわたしも亀のことは一切ふれなかった。これは偶然ではなく、最初の三日間は互いに口もきかず、食事さえ別々に取っていたからだった。
それから、ハメットが夕方の散歩から帰ってきて言った。「亀を二匹捕まえた。君はどうするのがいいと思う?」
「殺せばいいわ。スープにしましょう」
「ほんとにそれでいいのか?」
「初めてのことはなんだって楽じゃない。あなただってわかってるでしょ」
「君に会うまではそんなことは知らなかったけどな」
「お墓を掘ったから背中が痛いし、風邪もひいたの。それでもわたしは亀を埋葬してやらなきゃならなかった。その話はもうしたくない」
「君のやり方はうまくなかったぞ。動物か何かが君の墓を嗅ぎつけて、亀を食っちまっていた。まぁなんにしても神は君がしたことを喜んでくれるさ。骨を拾って穴のなかに入れておいた。ついでに君のために、墓標にペンキを塗っておいてやったからな」
わたしたちが住んでいるあいだはずっと、もしかしたらいまでも残っているのかもしれないけれど、小さな木切れに入念にペンキが塗ってある墓標はそこに立っていた。
〈わが最初の亀、ここに眠る。ミス・“信仰心” L.H.〉
The End
初出 Dec.14-20, 2005 改訂 Dec.22, 2005
以上が"Pentimento: A Book of Portraits"(1973)の冒頭のエピグラフと、「亀」の章全文である。"Pentimento"は全体が七章で構成されており、「亀」はその第六章にあたる。
サブタイトルが、「さまざまな人々の肖像」とあるように、作者が生きてきたそれぞれの場面で出会った人々に焦点を当て、自分自身との関わりを通じてその人々を描く、という形式をとっている。この章でふれられるのは、もちろんハメットのことである。
ヘルマンは1930年、25歳のとき、36歳のダシール・ハメットと出会う。それから31年間、ハメットの死まで、ふたりは赤狩りの時代を闘い、ときに喧嘩したり、別れたりを繰り返しながら、共に暮らしたのだった。
劇作家としてのヘルマンは、1934年の処女作『子供の時間』から1963年"My Mother, My Father"の12作の戯曲を発表。けれども実質的に50年代は、赤狩りのために仕事の場を失い、1969年に発表した自叙伝『未完の女』によって華々しく復活するまで、十余年間沈黙していた。この『ペンティメント』は、『未完の女』に続く自叙伝三部作の作品である(ヘルマンと赤狩り、ダシール・ハメットについては、「リリアン・ヘルマン――ともに生きる」を参照されたい)。
今回翻訳した「亀」も、劇作家の手によるものらしく、ひとつひとつの台詞に、あざやかに人柄が浮かび上がってくるものとなっている。いわゆる心理描写というものはひとつもないけれど、この短編を読むうち、ハメットの手触りも、ヘルマンの姿も、どちらもが決して一緒に暮らしやすい人間ではなかったであろうふたりの激しいぶつかりあいも、あるいはほんの一瞬登場するだけのヘレンも、声しか出てこない動物学者も、その姉も、生き生きと浮かび上がってくる。
冒頭「現在」、1972年から物語は幕を開ける。日常の隣りにある死と偶然顔を合わせたヘルマンは、まだその時期ではないと、戻ってくる。そうしてそのとき、26年前の出来事を思い出す。ここから舞台は26年前に変わる。
ここでヘルマンが取り上げる「出来事」は、非常にささやかなエピソードだ。同時に、そのささやかさは、波瀾万丈だったふたりの生涯のなかでも、穏やかな、平安に満ちたこの時期にふさわしいものともいえる。
ちょっとした台詞から、登場人物のイメージが鮮明に浮かび上がる。ただし、それを語っているのは、作中でハメットと言い争ったり、ヘレンと言葉を交わしたりする「リリアン」ではなく、26年後のヘルマンだ。おそらくそのときの「リリアン」にはかならずしもわかってはいなかった自分の苛立ちも、ハメットの苛立ちも、最後に明らかになるリリアンに寄せる愛情も、ここで振り返るヘルマンにはすべてわかっている。そうして、いまに残っているかもしれない墓標という鮮烈なイメージを最後に提示し、現在に戻ったところで、この短編は終わる。
限られた時間、限られた場面を切り取る戯曲ではできないことをヘルマンはここでやっている。散文でなければ表現できないもの。この短編を成り立たせているのは、過去を振り返る現在の視点、このときといまとをつなぐ「時間」なのだ。過去のひとつの台詞、ひとつの動作に意味を与えているのは、現在の視点だ。ヘルマンは回想しているいまの自分を隠さない。過去の絵のなかにタイムスリップするのではなく、古びた絵の奥の、当時の線を浮かび上がらせようとする。
死の床にあるハメットに、あるときヘルマンが、あなたの伝記を書くために、いろいろなことを知っておきたい、と言ったところ、「ぼくの伝記を書くのなんてやめたほうがいい、どうせそれはハメットという名の友人がときどき出てくるだけのリリアン・ヘルマンの自伝になるだけのことだろうから」と言ったというエピソードが『未完の女』にでてくるけれど、そうして、事実、ヘルマンはそのとおりのことをしてみせるのだけれど、そうしてこの作品が書かれた時点では、ヘルマンは二十五歳年下のピーター・フィーブルマンと同棲していたのだけれど、この「亀」という絵の奥からは、まぎれもなくハメットに対する愛と、自分がハメットに愛されたのだという記憶が浮かび上がってくる。