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The Undertaking
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ここではThomas Lynch のエッセイ "The Undertaking: Life Studies from the Dismal Trade"から第一章の翻訳をお送りします。
トーマス・リンチはアメリカ、ミシガン州在住の葬儀屋であり、かつ詩人・エッセイストでもあります。このエッセイ集"The Undertaking: Life Studies from the Dismal Trade"は、1998年のAmerican Book Awardを受賞しました。
もちろん著作権も切れてないし、当然のことながら翻訳権もとってません。邦訳は、知る限りなされていませんので、ここでほんの少しだけ、ゲリラ的にこっそり(笑)訳してみます。
もし読んでみようかと思われたかたがいらっしゃいましたら、ぜひ、こちら→から(笑)。





仕事 ――葬儀業から見た人間研究――

トーマス・リンチ



仕事


 毎年、わたしはこの町の住人を数百人埋葬している。そのほかにも、二十人から三十人、火葬場へと送っている。棺を売っているし、地下納骨堂も、灰を入れる骨壺も売っている。副業として、墓石や墓所に置く石碑、彫刻を扱っている。花の委託販売もしている。

 そうした有形の商品とは別に、所有するビルを葬儀場として貸し出すこともしている。建物は約千平米、内装は整えられ、ちゃんと飾り付けもされている。パステルカラーの壁は、腰の高さでチェアレールが上下を区切り、さらに壁と天井の接合部には飾り縁。建物全体はゆうに21世紀まで、抵当と二番抵当に入っている。所有している車両は、霊柩車が一台、フリートウッドワゴンが二台、窓を暗くしたミニバンが一台、これは価格表には送迎車と書いてあるが、町の人はみんな死体運搬車、と呼んでいる。

 昔は単位価格表示方式で出していた。昔ながらの一括表示、というやつだ。これでいくと、見ておかなければならない数字はひとつだけだ。額の大きな数字だが。いまでは何もかも、項目別に書き出しておかなければならない。法律でそうなっているんだ。だから、いまのやり方で行くと、項目や数字、それにイタリック体で記された免責条項がずらずらっと並んで、メニューやシアーズ・ローバックの通信販売のカタログみたいだよ。ときには連邦の規定した選択権が、車速設定装置や後部ガラスの霜取りみたいなオプションに見えてくることもある。わたしが大抵黒い色の服を着ることにしているのは、ここでビュイックの話をしているわけではないことを思い出してもらうためだ。リストの一番下には、やはり大きな数字がくる。

 うまくいけば、年間総収益は百万ドル近くまでいくこともある。そのうち五パーセントが粗利益と呼ばれる部分に当たる。わたしはこの町に一人しかいない葬儀屋だ。ここの市場を独占している。

 当市場は、というほどたいしたものでもないのだが、ともかくここは、いわゆる「粗死亡率」、年間千人あたりの死亡者数によって成り立っている。

 それはつまりこういうことだ。 大きな部屋の中に、千人の人間をうまく言いくるめて入れてしまったところを想像してほしい。一月に、ばたんと扉を閉めてしまう。千人を入れたまま、食べ物や飲み物、カラーテレビ、雑誌、それにコンドームもたっぷり用意して。標本の年齢分布の大部分を占めるのが、団塊の世代とその子どもたちだ。団塊の世代1人につき、子どもが1.2人という割合だ。成人7人のうち、老人が1人。じいさんだかばあさんだか、その大きな部屋にいない年寄りは、おそらくフロリダかアリゾナ、そうでなければ養老院にでもいるのだろう。こんなことがわかってくる。集団の中には、法律家が15人、信仰療法家が1人、不動産仲介人が3ダース、テレビカメラマンが1人、有資格カウンセラーが3、4人、タッパーウエアの販売業者が1人。残りは失業者に中間管理職、ごくつぶし、そうでなければ定年退職者だ。

 さて、ここで魔法がかかって、扉をぱっと開ければそこは十二月の終わりだ。991.6人、多少の前後があってもそれだけの人数が、立ち上がってごそごそと歩いて出てくる。いまでは260人がタッパーウエアを売るようになっているだろう。残った8.4にあたるのが粗死亡率だ。

 ここからがその統計だ。
この8.4人の死亡者のうち、三分の二が老人で、5パーセントが子ども、残りが(死亡者数は2.5人をわずかに下回る)が団塊の世代だ。不動産業者か弁護士、というところだな。そのうちの一人は、間違いなく、その年の間に公職に選出されているはずだ。さらに見ていくと、三人の死因は脳卒中か心臓発作、二人は癌、自動車事故、糖尿病、家庭内暴力によるものがそれぞれ一人ずつ。残る半端の0.4人は、神の御技か自殺、信仰療法家に起こりそうなことだな。

 保険会社のグラフからも実態的人口統計からも、大概見事に抜け落ちている数字がある。わたしが「最重要数値」と呼んでいるもので、つまりこれは、生まれた人間百人ごとの、死んでいく人数を指すものだ。この「最重要数値」は長いことかかってじりじりと伸びていき、やがて、だいたいのところ、おおよそ、……百パーセント、どんぴしゃりになるわけだ。もしこの数字をグラフに載せるとすれば、死亡見込み、とでも呼ばれるのだろうが、どんな種類の先物としても取引されることはないだろう。けれどもこれは役に立つ数字だし、ここから学ぶところも多い。

おそらく人は、自分の人生がどうなっていくか知りたいと思っているだろう。けれどこの数字のことを思えば、ほかの人々に対してある種の仲間意識を抱くようになるかもしれないし、あるいはショックを受けて度を失うかもしれない。死亡見込みが百パーセント、という数字がいったい何を意味しているにせよ、粗死亡率によって、ここがどれくらいの規模の町か判断することができるし、いつわたしの手を煩わせることになるかまでは予想はできないにせよ、なぜわたしの顧客になることになるのか推定することはできるのだ。

* * *

 人は24時間、いついかなるときも死んでいく。曜日や月が選べるわけではないし、特に人気のある季節があるわけでもない。星の並びや月の満ち欠けとも、教会の礼拝暦とも関係はない。ここかあそこか、といった場所とも無関係。立ったままで、横になって、人は逝く。シボレーに乗って、養老院で、バスタブで、州間高速道路で、ER(救急医療室)で、OR(手術室)で、BMWで。

おまけにわたしたちが、イニシャルで呼ばれる場所で製造される死者に、より高い格付けを与え、重きを置こうとしたとしても――ICUというと、なんだかグリーンブライアー療養所より良さそうなところに思える――死者にとってはたいしたちがいはないのも、また事実なのである。そういう意味ではわたしがこれから埋葬し、焼却場へ送ろうとする死者も、これまでわたしが送った死者となんら変わるところはない。ともに時間も場所も、まったくのところどうでもよくなっているのだから。

この「どうでもよくなった」ということが、実際、何か決定的なことが起ころうとしている最初の確実な兆候だ。そのつぎにくるのが、息をするのをやめる、ということだろう。ことここに至っては「胸部銃傷」や「ショック症状及び外傷」は、CVA(※脳血管障害)やASHD(※動脈硬化性心疾患)と書くよりインクをよけいに食うのは確かだけれど、前者の死因が後者のものに比べて永久性に欠ける、などということはない。死因がなんであれ死は永久だ。死者は気にしない。

 そしてまた「だれ」であるかも、実はたいした問題ではないのだ。つまり、「わたしは大丈夫、きみも大丈夫、それはそうと彼は死んだんだね」と言えるのは、生きている者にとっては、一種、心安らぐことでもあるのだ。

 だからこそ、わたしたちは川をさらい、墜落した航空機や被爆地をしらみつぶしにする。

 だからこそ、MIA(戦時行方不明者)はDOA(病院到着時死亡)より痛ましい。

 だからこそ、棺の蓋は開けられ、みんな死亡記事を読むのだ。

 わかることは、わからないことよりもいいし、しかもそれがわたしでなく、あなたであるとわかることは、このうえなくすばらしい。というのも、ひとたびわたしが死者となってしまえば、あなたが大丈夫であろうが彼が大丈夫であろうが、わたしにとってはどうだっていいことになってしまうからだ。とっとと行っちまえよ、死んだやつは気にしやしないんだ。

 もちろん生きている者、「非常に」「少しも」といった副詞と、保険料率の計理士に縛られている人々は、まだまだどうでもよくなんかない。このように両者には大きな違いがあるし、だからこそわたしの商売が成り立っているのだ。生きている者はいろんなことが気にかかるし、多くの場合、実際に気にかけている。死者は気にしないし、おそらくは気にかけることもできない。どちらにせよ、死者はそんなことにはこだわらない。これはあまり知られてはいないが、真実であることが確かめられる。

* * *

 先妻の母親は、身をもって、このあまり知られていない真実を証明してみせたのだった。義母はウィットを発揮しようとするときは、いつも好んで「女刑事キャグニー&レイシー」ばりの威勢のいい弁舌をふるったものだ。
「あたしが死んだら、箱に入れて穴の中へでも放り込んでおいてくれりゃいいわ」
だが、誰に対しても、現実にわたしたちがやっているのはそういうことなのだ、と注意をうながすたびに、義母の機嫌は悪くなり、むっとするのだった。

やがて、ミートローフとサヤインゲンを前にすると、決まってこんなことを言うようになる。
「わたしが死んだら、火葬にして、灰を撒くだけにしてちょうだい」
義母にしてみれば、この無神経な発言も、自分の剛毅さの現れと受け取ってほしかったようだ。子供たちは食べるのを止めて顔を見合わせている。子供の母親はそのたびに頼んだ。
「もう、お母さんったら。そんなこと言わないでよ」
わたしはライターを取り出して、もてあそぶことでそれに答えた。

 この女性の娘とわたしが結婚するときに立ち会った神父にも、同じようなことがあった。この神父は、ゴルフと金の聖体容器とアイリッシュ・リネンの僧衣が好きで、運転する豪華な黒いセダンの車内をワインレッドにしつらえ、つねに枢機卿の地位をねらう人物だった。この同じ人間が、あるとき、墓地からの帰りがけ、わたしにこんなことを頼んだのだ。
「わたしにはブロンズの棺なんていらないからな。まっぴらだ。蘭も、薔薇もいらないし、リムジンも必要ない。質素な松の棺で十分。静かな読誦ミサを一回だけ。墓は一番安いもの。物々しい行列も儀式も、一切なしだ」

 神父の説明によると、つつましくあること、敬虔で、禁欲的であることの範を示したい、ということらしい。確かにいずれも聖職者らしい、キリスト教の徳目にふさわしいものである。

だからわたしは神父にこう答えた。そのときまで待つ必要はありませんよ、今日から聖職者として範を示されちゃいかがです? ゴルフのカントリークラブをやめて、世間とのつきあいも断ち切る、高級車は中古のシボレーに乗り換えるんです。フローシャイムの靴とカシミヤのセーター、あとはプライム・リブステーキも止めて、夜のビンゴパーティも教会の建築資金もあきらめて。そうしたら、神の御心にかなって、聖フランチェスコの生まれ変わりか、そうでなくともその弟子のパドヴァの聖アントニウスの生まれ変わりぐらいにはなれるにちがいない。

それから、神父さんの預金とクレジットカードを、教区の敬虔だけれども貧しい信者に分かち与えるときは、わたしも喜んでお手伝いしますよ。そうして、悲しくも最期のお勤めのお召しがあったときは、わたしも神父さんがおっしゃったとおりのやり方で、無料で葬儀を執り行いましょう。そのころまでにはその葬儀が似つかわしくなっているでしょうからね。
わたしがこうしたことを言うと、神父は黙ってしまい、遠い昔、スウィニーをにらみつけ、呪いをかけて鳥にしてしまった伝説の僧正のように、怒りに燃えた目でこちらをにらみつけたのだった。

 わたしが言いたかったのは、つまり、死んだ聖者など、枯れたフィロデンドロンの鉢植えや死んだエンゼルフィッシュ同様、何の値打ちもないということだ。

 生きるというのはやっかいなことだし、つねにその状態は続く。

 生ける聖者は、浮き世に生きることの情熱ばかりか恥辱をも味わい、貞潔を切望する一方で、良心の痛みをも感じないわけにはいかない。

 だが、ひとたび死んでしまうと、わたしが神父に言ったとおり、遺された物はあちこちへ散らばり、死者がそれを気にかけることもない。

 生きている者だけが気にかけるのだ。

 繰り返しになることを許してほしい。けれどもこれがわたしの仕事の核心をなすことがらなのだ。すなわち、ひとたびあなたが死んだなら、あなたに対して、あるいは、あなたのために、あなたとともに、あなたについて、良いことも、害をなすこともできはしない。わたしたちが生きている者に対して傷つけたり、大切にしたりするように、死んでしまった者に対しては、それが実際にだれであろうとも、できることではないのだ。

生きている者は、その事実に耐えなければならない。けれど、人はそんなことはできない。あなたの死は生きている者に、悲しみか喜び、いずれかをもたらす。あなたの死は彼らに、損失か、利益のいずれかをもたらす。あなたの死は、彼らに、痛みと喜びの記憶両方をもたらす。そうして彼らには、葬儀の請求書が届き、死者に対する支払いの小切手が郵便で届く。

そうして、さきほどわたしが言ったようなことは、まったくの自明の理なのだけれど、親戚の老人も、教区牧師も、床屋やカクテルパーティやP.T.A.の会合でたえずわたしに話しかけてくる赤の他人も、さっぱりわかっていないようなのである。みんな熱心に、あるいは義務感に駆られて、自分が死んだらどうしてほしいか、わたしにうち明けてくれるのだ。

そんな話はやめておいたほうがいい。 ひとたび死んでしまえば、横になり、それでおしまい、夫か妻、あるいは子供か兄弟姉妹が埋葬しようが、火葬にしようが、大砲で吹き飛ばそうが、どこかの溝にほったらかして干上がるままにしようが、まかせればいい。それを確かめるのは、あなたの役目ではない。死者は気にならないのだから。

* * *

 人が葬式の話をわたしに繰り返しするもうひとつの理由は、まともな人間ならだれもが持っている死への恐怖からくるものだ。これはごく健全なことだ。だからこそ人は交通量の多いところで遊ばないのだ。このことは子供たちにしっかり言い渡しておかなければならない。

わたしがこれまでつきあってきた女性や、地元のロータリークラブの会員、子供の友だちの間で流布している説がある。それは、ここで葬儀屋を営んでいるわたしが死者に対して、常軌を逸脱した関心、特別な興味、内部情報、あるいは愛情めいたものまでをも持っているというものだ。そうした人々は、そう考えるのも無理はないことなのかもしれないけれど、おそらくわたしが彼らの遺体をほしがっているだろうと考えるのだ。

 非常に興味深い考えではある。

 けれども真相はこうだ。

 死ぬということは、最悪で最終的な出来事であるけれども、同時にまた、わたしたちおよびさまざまな種の生き物にあまねくふりかかる、一連の災難のうちのたったひとつの出来事でもあるのだ。そのリストには、歯肉炎、腸閉塞、離婚争議、税務監査、精神的苦痛、資金難、政変、等々、といったものが含まれるが、もちろんこれだけにはとどまらない。不幸になる原因にはきりがない。歯医者が傷んだ歯茎に、医者が病んだ内臓に、会計士が杜撰な支出記録に惹きつけられることがないのと同様、わたしが死者に惹かれるということもない。不幸というのはごく無造作にどこにでもあるものなのだから、わたしが銀行家や弁護士、牧師や政治屋以上にそうしたものに食らいつくということもない。相手の不幸など、パトロール警官や離婚した元配偶者、街の暴徒、国税庁なら、死者が感じないのと同じように何も感じないし、死者同様、気にもしないものなのだ。

 といっても、死者が重要でないといっているのではない。

 そんなことはない。まったくない。実に死者はきわめて重大な存在だ。

 月曜日にマイロ・ホーンズビーが亡くなった。ミセス・ホーンズビーは午前二時に電話をかけてきて、マイロが息絶えたことを告げ、わたしに、何かしてもらえないだろうか、と言った。まるでマイロが、何かほかの、たとえば持ち直したり、治癒できる状態であるかのように。午前二時、REM睡眠から引きずり出されたわたしは、25セントをマイロのために使って夜明け前に電話をかけるとはどういうことかを考える。

マイロは死んでいるのだ。一瞬のうちに、ほんとうにあっという間に、マイロはわたしたちの手の届きようがないところ、ミセス・ホーンズビーや子供たちにも、マイロが経営していたコインランドリーで働く女性たちや、在郷軍人会の仲間、フリーメーソン支部の会長やファーストバプテスト教会の牧師、郵便配達員も、地区理事会、町議会、商工会議所も手が届かない場所に、滑り落ちてしまったのだ。わたしたちの誰も手の届かないところ、マイロに対して、不実であることも、親身であることもできないところへ。

 マイロは死んだのだ。

 目は固く閉じられ、光は消え、幕はおりた。

 なすすべもなく、害をなすこともなく。

 だからわたしは分別をたぐり寄せるかわりに、コーヒーを飲んで、いそいでひげを剃ると、ホンブルグ帽と重いコートを身につけ、死体運搬車のエンジンをかけ、高速道路を急ぐ。夜明け前に、マイロのために。マイロにはもはやどんな願いもなかったけれど。わたしは彼女のために急ぐことにする。マイロが逝くのと同じ瞬間、同じく一瞬にして、水が氷に変わるようにホーンズビー未亡人となった彼女のために。彼女が泣くことができるうちに、気にかけることができ、祈ることができ、わたしの請求書を払うことができるうちに、彼女の下へ行こう。

* * *

 マイロが亡くなった病院は、最先端医療を誇る病院だ。ドアのひとつひとつに部所や処置方法や身体機能を告げる標識が出ている。そうした言葉を寄せ集めると人の体ができあがると思いたいけれど、もちろんそんなことはない。マイロが残したもの、その亡骸は、地下の搬出入口と洗濯室の間にある。もし、マイロにまだ好きになる能力があれば、きっと気に入ることだろう。その部屋は、病理学室とあった。

 医療技術の専門用語は、死が異常なものであることを強調する。

 わたしたちは常に、老化や異常、機能不全、機能障害、停止、異変によって死に向かいつつある。緩慢なこともあれば、あっという間に進むこともあるけれど。死亡診断書に書かれた言葉――マイロの場合は「心肺機能不全」――は、不具合を知らせる言葉のようにも思える。さらにミセス・ホーンズビーの場合は、悲しみのあまり、身体のどこかが構造的な不具合を起こし、機能停止、あるいは崩壊に向かいつつある、と言えるのかもしれない。あたかも死と悲しみが「健康的状態」の逸脱であって、マイロの不具合と、未亡人の涙が心肺機能の障害の原因である、あるいはそう推定しうるというかのようだ。

ホーンズビー夫人にとって「回復する」とは、なんとか耐え、嵐を切り抜け、あるいは子供たちのために気丈にしている、ということなのだろう。夫人の回復を助ける薬剤師になれるものなら、いくらでもそうするつもりだ。もちろん、マイロにとっての回復とは、上の階に戻り、持ちなおし、機器を動かし、モニターのビープ音を鳴らすことなのだろう。

 けれども地下にある「搬出入口」と「洗濯室」の間の部屋で、ステンレスの引き出しに入ったマイロは、白いビニール袋につま先から頭のてっぺんまで――つまり、小さな頭も広い肩幅も、どっしりした腹、細い脚、白いひもがくくりつけられた足首、タグのついているつま先まで――くるまれて、どう見ても等身大の精子のようだ。

 わたしはサインして、マイロをそこから出す。ほんのすこしではあるけれど、それでもわたしはマイロがまったく意に介していないわけではないような気がする。いまとなっては、もちろん、そんなことがあるはずがないと、よく知っているにもかかわらず――死者は気にしないのだから。

 葬儀場に戻り、階上の死体防腐処理室、「私室」と標示してある部屋の奥で、明るい電灯の光に照らされたマイロ・ホーンズビーは、陶器のテーブルに横たわっている。覆いを解かれ四肢を伸ばしたマイロは、いくぶん彼らしさを取り戻している――目をかっと見開き、ふたたび重力の影響を受けた口は開いている。わたしはひげを剃ってやり、目と口を閉じさせてやる。これは「造作」と呼ばれる処置だ。こうした造作――目や口――は彼らが普段開いたり、閉じたり、焦点を合わせたり、合図したり、何かを告げたりしていたときのようには決して見えない。死の淵に沈むマイロの目や口がわたしたちに告げるのは、もう何も見ることも話すこともしない、ということだけ。処置を待つ最後の部分はマイロの手だ。一方の手を他方に載せ、臍点に置く。安息の、憩いの、隠遁の体勢だ。

 その手も、もはやこれ以上何かをすることはない。

 わたしはその構えにする前に、マイロの手を洗う。

 妻が何年か前に出ていったとき、子供たちは汚れた洗濯物のようにここに残された。小さな町では大きなニュースだ。このような場所にはつきもののゴシップと善意とがあふれた。だが、そのことをめぐってあまたの話が交わされたけれど、わたしに向かって何を言うべきか正確に心得ていた人間はいなかった。おそらく、だれもが自分には何もできないように感じていたのだと思う。だからみんなはキャセロールやビーフシチューを持ってきてくれたり、子供たちを映画やカヌー漕ぎに連れていってくれたり、わたしのところへ自分の妹を寄越してくれたりした。

マイロがしてくれたのは、わたしが家政婦を見つけるまでの二ヶ月間、一週間に二度、洗濯屋のバンを回すということだった。午前中、マイロは洗濯物を五抱え引き取って、昼時までには洗って畳んだものを持ってきてくれた。わたしが頼んだわけではなかったのだ。そもそも彼のことなどほとんど知りもしなかった。家に行ったこともなかったし、コインランドリーを使ったこともなかった。マイロの奥さんが妻を知っていたということもない。子供たちもうちの子に較べてかなり年長で、一緒に遊んだこともなかった。

 家政婦を雇うようになってから、マイロにお礼を言いに行き、支払いをすませた。 請求書には、洗濯物の枚数と、洗濯機、乾燥機の使用回数、洗剤、漂白剤、柔軟仕上げ剤の明細が記してあった。総額で60ドルぐらいだったと思う。回収と配達の料金や、サイズごとに折り畳んできちんと重ねる手間賃、清潔な服とタオルとベッドシーツでわたしと子供たちの生活を救ってくれた費用は、どうしたらよかろう、とたずねると、マイロは「気にするな」と言ったのだった。
「片方の手は、もう片方の手を洗うんだ」

 わたしはマイロの右手を左手の上に置く。それから、逆にしてみる。そうして、もういちど戻す。やっと、そんなことはどうでもいいのだ、と決心がつく。どちらが上だとしても、片方の手は、もう片方の手を洗うのだ。

 防腐処理には、およそ二時間がかかる。

 処置が終わる頃には、昼の光が差している。

 毎週月曜日の午前中、アーネスト・フラーがわたしの事務所にやってくる。彼は朝鮮半島で深刻な怪我をした。地元の人間にも詳しいことはわかっていない。脚を引きずるわけでもないし、どこかに損傷を受けているようにも見えないので、突然、一日中のろのろと歩き回りだしたり、ゴミの山の意味を考えこんででもいるかのように、ビンのふたとガムの包み紙を前にじっとしている彼のことを、みんなは朝鮮半島で経験したことがもとで、多少頭が鈍くなり、ときおり混乱するのだろう、と思っていた。

 アーネスト・フラーは、おどおどとした笑顔を浮かべ、力無い握手をする。野球帽をかぶり、分厚いメガネをかけている彼は、毎週日曜日の夜になると、スーパーに出かけ、レジ脇のスタンドにある、シャム双生児や映画スター、UFOが見出しに踊るタブロイド紙を買い占める。速読が得意で、数学に関しては天才的な頭脳を持っているのだが、障害のために仕事についたこともなく、どこかの職に応募したということもなかった。月曜日の午前中になると、アーネストはわたしに、見出しに続く記事の切り抜きを持ってきてくれる。それはこんなものだ。
「275kgの体、棺の底を突き抜け落下――致命的状況」あるいは「スター専門の死体防腐処理業者、エルヴィスは永遠に、と語る」

 マイロが死んだ月曜の朝、アーネストが持ってきた切り抜きは、イギリス東南部のどこかで、遺灰が詰まった骨壺の中から物音がしたり、うめき声や、ときおり口笛までも聞こえてきて、今度は灰が話し始めるのではないか、という内容のものだった。イギリスのとある科学者たちも解明できていないのだという。実験もいくつか行われた。それを遺灰の未亡人は、遺産もないまま九人の子供と遺されて、心から愛し、いまはずいぶん軽くなってしまった夫が当たりくじの番号を教えてくれようとしているのだ、と確信しているらしい。

「ジャッキーは何の見通しもないまま、わたしたちを遺していくようなひとではありません。家族を何よりも愛していましたから」
記事にはふたりの写真があった。未亡人と壺、生者と死者、肉体と青銅、ビクターの蓄音機とビクターの犬。彼女は耳をそばだてて待っているのだった。

 わたしたちはいつも待っている。耳寄りな話を、当選番号を。しるしを、驚くべき出来事を、愛しい死者が、死んでもなお気にかけている、というサインを。死者が墓から立ち上がったり、棺の底をぶち抜いて落ちたり、白日夢のなかで話しかけてくれたりするような際だったしるしは、わたしたちを喜ばせる。あたかもこれが終わりではない、死者はまだ気にかけてくれている、死者にもまだやるべきことがある、未だ生きている、と思って、わたしたちはうれしくなる。

 けれども、この問題の悲しくも周知の事実は、わたしたちのほとんどは棺の内に留まり、長い眠りにつき、わたしたちの骨壺も、墓も、何の音も立てないということだ。そこに来た理由もレクイエムも、墓石も盛大なミサも、わたしたちを天国に入れてくれるわけでも、追い出したりするわけでもない。わたしたちの生の意味も、その記憶も、生きている者のうちにあるものなのだ。ちょうど、葬式が生者に属するものであるように。いま、死んでいる彼らがどんな感情を抱いているにせよ、それはひとえに生きている者が心からそう信じている、ということにすぎないのだ。

 冬場の埋葬の際は、ここでは墓所に暖房を入れる。墓堀り人夫が掘削機で穴を掘り始める、いわば一種の前戯に、固く凍った地面の霜を溶かすのだ。マイロを埋葬したのは水曜日のことだった。幸いなことに、わたしたちがそこに埋葬したのは、樫の棺に納め、凍結を溶かした土の底に埋葬したのは、マイロであることを止めた存在だった。マイロは、心に浮かぶマイロの像となったのだ。永遠に三人称と過去形で語られる存在に。未亡人は食欲を失い、夜眠れなくなる。マイロを求めて探しても、そこに彼の姿はなく、彼のことを思って動きが止まってしまうのがわたしたちの習慣となる。マイロはわたしたちの幻影肢、わたしたちの片方の手を洗う、もう片方の手。








声を聞く

以上が Thomas Lynch作 "THE UNDERTAKING: Life Studies from the Dismal Trade" の第一章に当たる部分である。全体は序文を除くと十二章で構成されている。

この冒頭部分はかつて、翻訳の勉強を初めて間がないころ、テキストにあったものだ。ちょうど最初のアタリスクまでの部分だった。

英文解釈とはちがう、翻訳の世界に足を踏み入れる前には、巷にあふれている翻訳本はどうしてあんなに読みにくいのだろう、と思っていた。自分が訳したら、もっと読みやすい文章にするのに、と。

そうして最初に浴びせられたのが「原文にはそういう箇所はない」「作文をしない」という厳しい叱責だった。原文に忠実に、語順はできるだけ変えない、何も足さない、何も引かない……。

もともと文章構造自身がまったくちがう日本語と英語である。どうしたって足したり引いたりしないでは、まともな日本語になりようがない。そうしてつぎにはえらくぎくしゃくした日本語を書くようになってしまった。最初の意気はいずこへ、である。

ちょうどそのころ出会ったのが、この一節だった。
原文を何度も読んでいるうち、不意に声が聞こえてきたのだ。

Every year I bury a couple hundred of my townspeople.

男の低い声。皮肉めいて、いつも冗談めかしながら話すけれど、ほろ苦く、かすかに甘いところもある声。明度の低い、やわらかな感じ。色でいうとバーントアンバー、ブラックチョコレートの色。

頭のなかにその声を響かせながら読む。よく聞いているCDを頭の中で再生する感じで。とてもすんなりいく。やっぱりこの声だ。

こんどはその声に、日本語で話させてみる。ちょうど吹き替えで見る映画のように。
すると自然に言葉が決まってくる。
「毎年、わたしはこの町の住人を数百人埋葬している」
文章を作るのではなく、その声に耳を傾けるのだ。そうして、わたしは訳文を完成させていった。わたしにとって、一種のブレイクスルーとなった文章だった。

以来、この文章のことはずっと頭に引っかかっていたのだけれど、それっきり、どうすることもなかった。ところがある人にこうしたことをメールで書いてから、急に気になり始めた。というより、その声がもういちど聞いてみたくなったのだ。前と同じように聞こえるだろうか。前と同じ声だろうか。
テキストを引っ張り出してみると、原作者と書名が載っていた。ペーパーバックになっているようだ。わたしは注文した。これだけでなくもっと読んでみたかった。

実際に読み進んでいくと、皮肉っぽい、ユーモラスな味わいは全編を通じて流れてはいるけれど、この声の主が見てきた世界は、わたしなどの想像が及びもつかない世界だった。死という冷厳な、決して超えることのできない向こう側と、リンチは否応なく向き合っていた。そうして、ときに、その境に立って(もちろんこちら側だけれど)、ふり返って、生きている者たちを眺めていた。

わたしはこの声の主が、いっそう好きになった。
だから、どうしても、この声をほかの人にも伝えたいと思ったのだ。

 
* * *

文章を読んで、書き手の声を聞いたのは、初めての経験だ。リンチ風に言うならば、この人物が、わたしの「初体験」の相手ということになる(笑)。

以来、ときどき書き手の声が聞こえてくる。どんなに耳をすましても聞こえてこない声もあるけれど、耳元で響く音もある。

実は、聞こえてくる声のもちぬしの実際の声を聞いたこともあるのだけれど、文章から聞こえていた声とは、あたりまえのことだけれど、ずいぶんちがっていた。アイアンブルーのような色、と思っていたら、実際はバーントシエンナくらいの色だったのだ。
おそらくわたしは読むことを通して、「声」を頭の中で組み立てているのだと思う。読んで理解したこと、感じたこと、そこまでもいかない曖昧な、漠然とした印象を、「声」として、内側に落としているのだと思う。

わたしはトーマス・リンチの声が好きだ。彼の眼に映った世界は、わたしがうかがい知ることもできない世界かもしれないけれど、それでもその声に耳を傾ける。そうして、わたしが伝えようとしたリンチの声は、みなさんに届きましたか?

初出Nov.7-13 2005 改訂Nov.20 2005




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