シャーロット・パーキンス・ギルマンの『黄色い壁紙』の翻訳をお送りします。
原文はhttp://www.pagebypagebooks.com/Charlotte_Perkins_Gilman/The_Yellow_Wallpaper/The_Yellow_Wallpaper_p1.htmlで読むことができます。
ジョンやわたしのような一般人が、ひと夏、由緒ある屋敷を借りるなど、そうそうできることではない。
植民地様式の邸宅や、代々続いてきた地所、わたしがよく幽霊屋敷と呼んでいたような家屋は、至福の極みを手に入れたようなものだった――だがそこまで言うのは、運命というものを当てにしすぎるというものだろう。
それでも、屋敷にどこかしら奇妙なところがあるのは、自信を持って断言できる。そもそも、どうしてこんなに安かったのだろう。こんなにも長い間、借り手がいなかったのだろう。
ジョンはわたしを笑うけれど、まあ結婚というのはそうしたものだ。
ジョンときたら、徹底的に現実的な人間なのだ。信仰に浸ったり、迷信に怯えたりすることなど、我慢がならないし、手で触れることのできないものや、目に見えないもの、数字で表すことのできないもののはなしでもしようものなら、容赦なく嘲笑する。
ジョンは医者で、おそらく――もちろんひとには言うつもりはないのだけれど、これは命のない紙切れにすぎないし、この紙切れがわたしの大きな慰めになっている――医者であるために、わたしがはかばかしく良くならないという側面もあるのだろう。
夫はわたしが病気だとは思っていないのだ!
わたしに何ができよう。
高い地位にある医者、しかも夫でもある医者が、友人や親類に、ほんとうになんでもないんだ、ただちょっと、一時的な憂鬱症になっただけなんだ、と言い張ったら、その妻にはなにができる?
わたしの兄も、同じように医者で、同じように高名な人物だったが、これまた同じことを言ったのだった。
だからわたしはリン酸塩か亜リン酸塩のどちらかを服用し、あとは強壮剤に転地療養、良い空気と運動といったものを受け容れ、加えて、良くなるまで「仕事」は完全に忘れなければならないのだ。
でも、わたし自身はそうは思っていない。
やっていて楽しい仕事、夢中にもなれ、気晴らしになるような仕事がどうして身体に悪いことがあろう。
わたしはどうしたらよいのだろう?
夫や兄に背いて、しばらく書き物をやってみたのだ。ところが疲労困憊してしまった――ひどくうまく立ち回らなければならず、そうでもしなければ、強硬に反対されただろうから。
ときどき、自分の健康状態について考えてみるのだが、もしいまのようにひどく反対されず、もっと人とつきあい、刺激を受けていればどうだろう。……けれどもジョンは、自分の体調を考えることが一番良くない、と言うし、正直いって、確かにそのことを考えるたび、ひどく気分は悪くなるのだ。
だから、自分の体調のことはこのくらいにしておいて、家のことを話すことにしよう。
ここはこの世とは思えないほど、美しいところだ! 往来から引っ込んだところにぽつねんと建っていて、近くの村からも5キロは離れている。本に出てくるようなイギリスは、こんなところではないだろうか。生け垣や壁や錠のかかった門、庭師や使用人のための小さな家が、軒を並べている。
それにしても、ぞくぞくするほど美しい庭だ!こんな庭は見たことがない――広々としていて、木陰は多く、小径が碁盤の目のようなに入り組んでいて、葡萄の蔓に覆われ、ベンチをしつらえたあずまやがそこここにある。
温室もあるけれど、無惨に壊れてしまっている。
おそらくは法律上のもめごと、遺族やほかの相続人の間でなにかがあったのだろう。とにかく、もう何年もここは空き家になっていたのだった。
でも、そんなことを考えると、わたしの幽霊屋敷という空想は台無しになってしまうし、だれが気にするものか――この家には、確かに奇妙なところがある――、わたしは感じるのだ。
月の明るい夜、ジョンにそう言ってみたことだってある。けれど、そんなことを思うのは、隙間風のせいだ、と言って、窓を閉めただけだった。
ときどき、ジョンにはわけもなく腹が立つことがあるのだけれど、以前には、ここまで神経を尖らせることはなかった。おそらくはそれも精神状態のせいなのだろう。
けれどジョンはわたしがそう言うと、きみは自制心が足りないんだ、と怒る。だからわたしは苦心してなんとか自分を抑えるようにする――少なくとも夫の前だけでは。そうするとひどく疲れるのだけれど。
夫婦の部屋はちっとも好きにはなれない。わたしが使いたかったのは、一階のポーチに面した部屋、窓には一面バラが覆い、美しい、古風なインド更紗のカーテンが下がっている部屋だった。
ジョンは、窓がひとつしかなく、ベッドをふたつ置けないし、自分が別の部屋を使うにしても、そこから離れてしまう、と言うのだった。
夫は大変に沈着冷静で愛情深く、とくに事情がない限り、わたしを不安にさせないように気を配っていた。
わたしの予定は一日中一時間ごとに決められている。あらゆる心配事を取り除いてくれている夫に対して、さほどありがたく思っていない自分が、なんだか卑しい恩知らずであるように思える。
ひとえにきみのことを思ってここへやってきたんだよ、と夫は言う。ここで十二分に休養をとり、できるだけ良い空気を吸うように、と。「運動はきみに体力がなくてはできない。食事も、食欲がなければ取ることができない。だが、空気はいつでも十分に吸い込むことができる」だから、わたしたちは最上階にある子ども部屋を使うことにしたのだ。
そこは風通しが良く、最上階のほとんどを占めるほど広い部屋で、四方に窓があり、新鮮な空気と光はふんだんにあった。最初は赤ちゃんのための部屋、それから遊び部屋になり、運動もする場所になったのではないかと思う。というのも窓には小さい子どものために格子がはまっていたし、壁には吊り輪やそうした類のものが下がっていたから。
壁の色や壁紙は、昔の男子校を思わせるものだった。壁紙は剥がされている――ベッドの頭のあたりはかなりの広さ、わたしの手が届く高さまで剥がされていて、反対側も、床の際ぐらいまで、剥き出しになっていた。これほど趣味の悪い壁紙は、これまでに見たことがなかった。
なぐり書きのようなけばけばしい模様は、絵画的な約束事をことごとく破っているようなものだ。
曖昧な柄を追っていると、目が回りそうになり、だんだんと苛立ちが増してくる。もっとよく見てみたい、という気持ちにさせるくせに、バランスを欠く曖昧な曲線をたどっていくと、じきに、前触れもなくいきなり断ち切られる。 奇妙な矛盾に陥って、自滅していくかのように。
虫酸が走るような、辟易するような色だ。燻したような、いやらしい黄色は、日に灼けたために徐々に褪せて、こんなに奇妙な色になったのだろう。
ぼけているくせに、妙に毒々しいオレンジ色の箇所と、病的な硫黄色の配色。
子どもたちが嫌ったのも当然だろう。この部屋に長く住まわなければならないとしたら、わたしだっていやだ。
ジョンが来る。どこかへ隠しておかなくては――ジョンはわたしがほんの一語書くことも、我慢ならないのだ。
* * *
ここに来て二週間が過ぎたけれど、以前のよう、つまり、最初の日のように、書きたいという気持ちが起こらない。
いまわたしは階上にいて、おぞましい子ども部屋の窓辺に腰を下ろしているのだけれど、心ゆくまで書きたい、という思いを妨げるものはなにもない。体力がない、ということを別にすれば、だけれど。
ジョンは昼間は出かけているし、重患を抱えているときは、夜でも行かなくてはならない。
わたしの症状が深刻なものでなくて、ほんとうに良かった。
とはいっても、神経にさまざまな不調を抱えているのは、実にやりきれないものだ。
ジョンは、わたしがどれだけ苦痛を感じているのか、わかっていない。わたしが苦痛を感じる根拠がない、と思っていて、そのことに満足しているのだ。
むろん、わたしはただ神経過敏になっているだけだ。どんな形であっても自分の仕事と呼べるようなことをしていないから、そのことが負い目になっているのだろう。
わたしはジョンを助けたいと思った。こころからの休養と安らぎを与えたいと願った。ところがここにいるのは、それだけで厄介なものになり果てているわたしだ。
わたしにできる些細なこと――着替えたり、人をもてなしたり、あれこれと指示したり――をやるのさえ、どれほど苦労しているのか、だれもわかろうとしてはくれない。
運のいいことに、メアリーは赤ちゃんによくしてくれる。かわいい赤ちゃん!
わたしはあの子と一緒にいることさえできない、というのもひどく神経質になってしまうからだ。
ジョンはこれまでに、一度だって神経質になったことなどないのではあるまいか。だからこの壁紙のことでわたしを笑ったりするのだ。
最初のうちは、ジョンも壁紙を張り替えるつもりだったらしいけれど、じき、きみはそんなもの、放っておけるようにならなければ、と言い出した。それがきみのためなんだ、と。自制心を失って、そうした空想にふけるほど、神経の病によくないことはないのだ、と。
壁紙を替えたあとは、無骨なベッドの枠、それから格子のはまった窓、おつぎは階段にしつらえてある扉、そのつぎは、ということになるにちがいない、と。
「ここがきみにいいのは、わかってるだろう。それに、実際、たった三ヶ月借りるだけの家の内装工事をする必要をぼくは感じないんだよ」
「なら、下の部屋にしましょう。下だって、ステキな部屋がいくつもあるわ」
するとジョンはわたしを抱いて、かわいいちっちゃなおばかさん、と言った。もしきみがそうしたいのなら、地下の物置にでも行くさ、そうしてそこの壁を白い漆喰で塗ってしまおう。
確かにベッドや窓などのことは、ジョンが言うとおりだ。
ここは風通しが良くて気持ちの良い、だれもが望むような部屋だし、気まぐれでジョンの機嫌を損なうような愚かしいまねをするつもりはない。
実際、わたしもこの広い部屋が、だんだん好きになってきていたのだ、もちろん、あのおぞましい壁紙だけは別だけれど。
一方の窓からは庭が見渡せる。濃い影に彩られた神秘的なあずまや、咲き乱れる、どこか古風な花、繁みや、ねじ曲がった木々。
別の窓からは、美しい入り江と、この屋敷専用の船着き場が見える。屋敷から船着き場へ、木陰に彩られた美しい小径が続いているのだ。このいくつもの小径やあずまやを、人々がそぞろ歩く姿を、わたしはいつも思い描くのだけれど、ジョンときたら、ほんの少しでも空想なんてしちゃいけない、と言うのだ。きみの想像力や、物語を紡ぎがちなところは、きみのように神経が弱い人間だと、ありとあらゆる種類の妄想を刺激することとなる、だから意志と分別を働かせて、その傾向に歯止めをかけなければならないよ、と。
わたし自身は、ときどき、ほんの少しでも、何か書いてさえいれば、もの思いも抑制できるし、心も安まるように思えるのだが。
けれど、いざ実際にやってみたら、ずいぶん疲れてしまった。
ものを書いても、助言も得られなければ、仲間もいない、というのは、意気消沈するものだ。完全に良くなりさえすれば、従兄弟のヘンリーとジュリアを訪ね、そこでしばらく過ごそうじゃないか、とジョンは言う。だが、すぐにこうつけ加えるのだ。いまきみがあんな刺激的な連中に会うなんて、枕のなかに花火を仕かけるようなものだよ、と。
早く良くなればいいのに。
けれど、そんなことを考えてはいけない。この部屋の壁紙は、自分がどれほど禍々しい影響を与えることができるか知っている、とでも言いたげに、わたしのほうを見つめている。
繰り返し目に留まるのは、模様が折れた首のようにぐんなりと横になって、球根のような目がふたつ、逆立ちしてこちらを見据えているようなところだ。
その押しつけがましい模様が、延々と続いていくのを見ていると、腹が立ってたまらない。上下左右その模様はのたくっていき、その馬鹿みたいな目玉は、瞬きもせず、そこかしこに散らばっている。一箇所、ふたつの呼吸が合っていないところがあって、目玉のラインが上下にずれて、一方がもう一方に較べて高くなっているのだ。
動きがないにもかかわらず、こんなにも表情豊かなものには、これまでお目にかかったことがないが、それでもわたしたちのだれもが、命のないものであっても、実に豊かな表情を持っていることを知っている。子どもの頃、よく横になったまま眠らずにいて、子どもたちの多くがおもちゃ屋で感じる以上の楽しさと怖ろしさを、剥き出しの壁や、何の変哲もない家具を見ては、味わったものだった。
わたしは家にあった古い、大型の机の引き出しの取っ手が、どれほど優しくウインクしてくれたか、よく覚えているし、椅子のひとつはいつだって強い味方でいてくれたのだ。
ほかのものがあまりに怖く思えてきたときには、その椅子に飛び乗って、安らかな気持ちになったのだった。
この部屋の家具は、部屋にちっとも調和していないのだけれど、それは階下から全部運び込まなくてはならなかったからだ。ここが遊戯室として使われるようになったときに、赤ちゃんの部屋だったころのものを、すべて運び出したのにちがいない。けれど、その子たちがここに加えた乱暴狼藉ほどひどいものを、これまで見たことがなかった。
壁紙は、まえにもいったように、ところどころで剥がされているのだが、それでも壁にしっかりと張りつき、兄弟よりも固い絆で結びついている――子どもたちは憎悪だけでなく、辛抱強さも要求されたにちがいない。
床には引っかいたあとやぶつかったあと、ささくれだったところもあり、ところどころ、モルタルのところまで穿たれていた。
けれど、そんなことはたいしたことではない。問題は、壁紙なのだ。
向こうにジョンの妹が帰ってきたのが見える。とても優しい子、おまけにわたしをとても大切にしてくれるのだ。書いているところを見られないようにしなくては。
あの子は家事を完璧に、しかも情熱をこめてやってのけ、それ以上の仕事は望んでいない。わたしが病気なのは書き物のせいだ、と思っているにちがいない。
それでも、あの子が出かけているうちは書くことができるし、それにこの窓からは、ずっと遠くの姿も見つけることができる。
窓の一方からは小径、木陰に彩られ、くねくねとうねる美しい小径が見えるし、もう一方からは、田園風景が見渡せる。こちらも美しい、楡の大木が続きヴェルヴェットのような草地が拡がっている。
薄暗くなってくると、この壁紙には、もうひとつの模様が現れるのだが、それはさらに神経を逆撫でするようなものだ。ある一定の明るさの下でしか見ることができず、しかも、そのときでもはっきりとはしていないのだ。
けれども、ある場所ではその模様は溶けていかず、日の光がちょうどよい加減のとき――奇妙な、人を焦らすような、形も定かでない姿が、みっともなく場違いな表面のデザインの下から、こっそりと現れてくるのだ。
ジョンの妹が階段を上がってきた!
* * *
ふう。やっと七月四日が終わろうとしている。みんな帰ってしまい、わたしは疲れ切っている。ジョンは、それほど多くない数の人に会うのは、わたしにとっても悪いことではない、と考えて、お義母さまとネリーと子どもたちを、一週間ほど招待したのだった。
もちろんわたしは何もしなかったけれど。いまではジェニーがなにもかも取り仕切っているのだ。
それでも疲れてしまうことには変わりはない。
ジョンは、きみの調子がはかばかしく良くならないようなら、秋にはウィア・ミッチェルのところへ行ったほうがいいな、と言っている。
そんなところなんて、金輪際ごめんだ。以前、ミッチェルにかかっていた友だちがいたけれど、彼女はミッチェルはジョンやわたしの兄と似たりよったり、まったくどちらにかかっても同じこと、と言う。
おまけにそんなに遠くまでいくのはひと仕事だ。
何かで気分転換すれば良くなるとはとうてい思えず、いよいよ、ちょっとしたことで気持ちが動転しやすくなり、怒りっぽくなっている。
なんでもないことで涙を流し、ほとんどいつも、泣いてばかり。
もちろんジョンやほかのだれかがいるときではなく、泣くのはひとりのときだけだけれど。
いまは、思う存分、ひとりでいられる。ジョンは重病の患者を大勢抱えているので、街に行ったきりだし、ジェニーは優しくて、わたしがひとりにしてほしい、と言うと、いつでもそうしてくれる。
だからしばらく、美しい小径を辿って庭を散歩したり、バラを戴くポーチに腰を下ろしてみたり、この部屋に上がってきてしばらく横になってみたりしているのだ。
* * *
壁紙はあるけれど、この部屋がだんだん好きになってきた。もしかしたら、壁紙があるから、好きになってきたのかもしれない。
いつも壁紙のことを考えているような気がする。
この大きくて動かせないベッド――おそらく床に釘付けされているのだろう――に横になって、時が過ぎゆくまま、模様を目で追いかける。確かにこれはいい運動だ。さあ、一番奥まったところから出発しよう。向こうの角の手つかずの部分を降りながら、千回目ぐらいの決心をする。このとらえどころのない模様に、なんらかの決まりがみつかるまで、絶対に追いかけてやろう。
デザインのことをたいして知っているわけではないけれど、それでもこの模様が、いかなる法則、放射や反復、対称、そのほかこれまで耳にしたどんな法則に従って、配列されたものではないことはわかる。
もちろん壁紙の幅のなかで、繰り返しは見られるが、それだけだ。
壁紙を幅ごとに独立して見るならば、ふくれた曲線や装飾線――譫妄状態に陥った“下卑たロマネスク様式”とでも言おうか――が、よたよたと上下しているのが、愚かしくも何列にも並んでいるのだ。
だが見方を変えると、模様は斜めに繋がっていて、不規則に拡がる輪郭は、目にもおぞましい大波となってうねっていく。まるであふれんばかりの海草が、死に物狂いでもがいているように。
全体としてみると、模様は水平方向に伸びていくとも言える。少なくともそう見えるのだけれど、そちらへ伸びる規則性を見つけだそうとすると、わたしは疲れ切ってしまうのだ。
幅一杯に、左右に拡がる帯状の飾りがあり、それを見ていると、さらにいっそう混乱してしまう。
部屋の端には壁紙もほとんど損なわれていない部分があり、そこに交叉するように当たる光が薄れて、傾きかけた日の光が直接照らすようなときには、そこに複雑な放射状に拡がるパターンが見えそうな気がする――途切れることのないグロテスクな模様が、ありきたりな中心から気も狂わんばかりのものすごい勢いで飛び出しているような。
模様を追うのは疲れる。少し寝ることにしよう。
* * *
なぜこれを書こうとしているのか自分でもよくわからない。
書きたくはないのに。
書けるとも思わないのに。
ジョンだったら、馬鹿なことを、と思うだろう。けれど自分が感じたり、考えたりしたことは、なんらかの形で言っておかなければならないのだ――それが、どれほどの癒しとなることか。
けれども要求される労力は、癒しというにはあまりに大きい。
いまでは一日の大半がどうしようもなくけだるく、たいていは横になっている。
ジョンは体力を消耗してはいけない、と言う。ワインやレア・ステーキなどはもちろんのこと、タラの肝油やさまざまな強壮剤までわたしに摂らせようとする。
なんて優しいジョンなのだろう。夫はほんとうにわたしのことを愛してくれて、わたしが病気であることをことのほか厭がっているのだ。先日、自分の心のままを、できるだけ理性的に話してみた。いとこのヘンリーとジュリアのところへ行かせてちょうだい、と頼んでみたのだ。
けれどもジョンは、きみは行けやしないよ、たとえ行ったとしても、そこで過ごすことは無理だ、と言った。そうして、わたしは自分の状態をきちんと説明することができなかったのだ。みなまで言い終わらないうちに泣き出してしまったから。
はっきりと考えようとするのが、ますますむずかしくなってきている。神経が参ってきている、というのは、こういうことなのだろう。
優しいジョンは、わたしを抱き寄せ、上の階に抱いていき、ベッドに寝かせてくれた。そうして横で、わたしの頭が疲れきって、もうたくさん、というまで本を読んでくれた。
きみはぼくのたいせつな人だし、慰めでもあり、ぼくのすべてでもあるんだ、だから、お願いだから、自分をたいせつにして、早くよくなっておくれ、と。
ほんとうに自分を助けられる人間は自分だけなのだから、きみは意志を強く持って、自制し、愚かしい空想のほしいままにさせてはならないよ、と。
慰めなら、ひとつある。赤ちゃんは元気で幸せそうだし、このおぞましい壁紙のある育児室を使わなくてすんでいる。
もしわたしたちが使わないでいたなら、あの子が使うことになっただろう。まぬがれることができたのは、ほんとうに幸運だった、感じやすくいたいけな自分の子どもを、こんな部屋にいさせるわけにはいかないのだ。
以前は考えたこともなかったけれど、ジョンがこの部屋をわたしに使わせたのは、結局は良いことだったのだろう。赤ちゃんと較べれば、はるかにたやすくここで我慢することができるのだから。
もちろんそんなことはだれにも言ったことはない――そうしないくらいの分別はある――が、以前と同様、壁紙に目を光らせるのをやめたわけではない。
壁紙の中には、わたしよりほかだれもしらない、おそらく今後とも知ることはない、さまざまなものがあった。
表面の模様に隠れたおぼろげな輪郭は、日増しにはっきりとしてきている。
いつも同じ形なのだけれど、かならずそこにいるのだ。
女が腰を曲げ、模様の奥をはいまわっているように見える。ひどくいやらしい姿だ。ジョンが早くここから連れ出してくれたらいいのに! わたしはそう考えるようになってきている。
* * *
自分の具合をジョンに説明するのは、ひどく骨が折れることだ。というのも、ジョンは頭が良いし、しかもわたしのことをとても愛してくれているから。
けれど、昨夜はそうしようとしてみたのだ。
月の明るい晩だった。太陽のようにあたりを照らしていた。
ときどき、月の光をおぞましく思うことがある。ゆっくりと忍び寄ってきて、ひとつの窓からいつの間にか、ほかの窓に移動しているのだ。
眠っているジョンを起こしたくはなかったので、静かに横になったまま、月の光が波打つ壁紙を照らすのを見ていたのだが、そのうち鳥肌がたってきた。
背後のおぼろげな人影が、模様を波打たせているように思えたのだ。あの女が外に出たがっているかのように。
そっと起き上がって、ほんとうに壁紙が動いたのかどうか確かめに行った。戻ってみると、ジョンが目を覚ましていた。
「どうしたんだい、お嬢さん。そんなふうに歩き回っていると、風邪を引いてしまうよ」
話すのなら、いましかない、と思ったわたしは、自分がここで良くなるとは思えないこと、ジョンに連れて出てほしいと思っていることなどを話してみた。
「おやおや。ここの契約期間はまだ三週間も残っているのに、なんでその前に出なきゃいけないのか、よくわからないなぁ。家の修繕だってまだ終わってないし、いまちょっとここを離れられないんだ。もちろんきみの容態が危険なようなら、話は別だよ。だけど、何を見たか知らないけれど、きみの調子はまったく問題なさそうだ。ぼくは医者だし、そのぼくが言うんだ。体重も増えてるし、顔色だって戻ってきた、食欲だってでてきたじゃないか。きみはずいぶん良くなってるように思うんだが」
「体重なんか、ちっとも増えてないわ。ほんの少しだって。食欲にしたって、今夜はあなたがいらっしゃったから、少しは食べることもできたけれど、朝になって、またあなたがいらっしゃると、なくなるに決まってるわ」
「まったくこのお嬢さんは何を言い出すやら」ジョンはわたしをぎゅっと抱き締めた。「このお嬢さんは自分が望むだけ病気になっていられると思っているらしい。だが、いまは時間を無駄にするのはよしにして、寝ることにしようじゃないか。明日の朝、また話すことにしよう」
「じゃあ、あなたはわたしをここから離れさせてはくださらないのね」わたしは暗い気持ちになった。
「なんでそうしなきゃいけない? たった三週間だし、その時期が過ぎたら、ジェニーが家の用意をしてくれるまで、ちょっと旅行に行こうじゃないか。ほんとにきみは良くなってるよ」
「おそらく体はね――」わたしは言いかけたけれど、すぐに口を閉ざした。ジョンが背を伸ばして座りなおすと、厳しい、非難がましいまなざしでこちらを見ていたので、それ以上ことばをつぐことができなかったのだ。
「よく聞きたまえ。頼むよ、ぼくと、ぼくたちの子どものために、それから、きみ自身のために、ほんの一瞬だって、そうしたことを考えちゃいけないよ。きみみたいな気質の人間にとって、これほど危険で、しかも心奪われることはない。そんな考えは、根も葉もない、ばかげた空想でしかない。どうしてきみは、ぼくの言うことを医者の見解として信頼してくれない?」
そうまで言われると、当然わたしも自分の言い分を引っ込めざるをえなくなり、やがてわたしたちはやすむことにした。夫はわたしがさきに眠ってしまったと思ったようだが、ほんとうはベッドに横になったまま何時間も、表面の模様と背後の模様が、一体か別々かはともかく、ほんとうに動いたかどうか、判断をくだそうとしていたのだ。
いまのように日の光の中で見る模様は、まとまりに欠け、法則性を無視しており、正常な頭の働きを絶えず掻き乱そうとするものだ。
色合いは、見るもおぞましいく、どこまでも不確かで、見ているといらいらするようなものだが、模様となると、拷問としかいいようがなかった。
パターンがわかった、と思っても、つづきを追っていくと、まったく思いもかけない具合にひっくりかえり、いったいどうなっているんだ、ということになる。模様は、見る者の頬を張り、打ちのめし、踏みつけにする。まるで悪夢のように。
うわっつらはけばけばしいアラベスク、一種のキノコを思い出させる。つなぎ目にキノコの生えている、はてしないキノコの列、発芽し、菌糸を伸ばしていく終わりのない渦巻きを思い浮かべることができたなら、模様の感じはそれにちかいかもしれない。
そう見える、こともある。
この壁紙には際立った特徴がひとつある。わたし以外にだれも気がついていないのだが、光の変化によって、模様も変わっていくのだ。
東の窓から朝日が照らすと――わたしはいつも、朝一番の、長く伸びたまっすぐな光をじっと見る――壁紙は、ちょっと信じがたいほど、すばやく変わっていく。
だから、常に監視している。
月明かりのもとでは――空に月さえ出ていれば、一晩中差し込んでくる――同じ壁紙とは思えない。
夜には、どんな種類の光でも、薄暮でも、ロウソクでも、ランプでも、そして最悪なのは、月光なのだが、模様は鉄格子に変わるのだ。表面の模様のことだ。そうして、その奥にいる女が、はっきりと浮かび上がってくる。
長いこと、奥に何が見えているのか、ぼんやりとした表面下の模様がわからないでいたのだが、いまならはっきりとわかる。女がひとり、いるのだ。
日の光の下では、女は息を潜めて、目立たずにいる。模様が女を抑えつけて静かにさせているのだと思う。ひどく不思議なことだけれど。模様を見ながらわたしは何時間でもじっとしている。
いまではほとんど、横になっている。ジョンは、きみはそうしたほうがいい、できるだけ眠るといい、と言う。
事実、ジョンは毎食後、わたしに一時間ほど横になる習慣をつけるように言っていたのだから。
まちがいなく、それは大変悪い習慣だ。だからわたしは眠らないでいたのだ。
しかもわたしは策略を覚えた。だからわたしが眠ってなどいないことを、だれにも言わないようにしている。金輪際言うものか。
こうした策略を働いているせいで、ジョンが少し、怖くなってきた。
ジョンはときどき変だし、ジェニーでさえ奇妙な様子のことがある。
ときどきそうしたことが、科学的仮説のように頭に浮かぶ――もしかしたら、壁紙のせいかもしれない。
わたしはジョンを見張るようになった。わたしが見ていることに気がついていないジョンや、どうということもない理由で、急に部屋に入ってくるジョンを。そうしているうちに、ジョンが壁紙を見つめている現場を、何度となく捕まえたのだ! ジェニーもそうだった。一度など、壁紙に手を置いていたところを目撃することができたのだ。
わたしが部屋にいることを知らないジェニーに、低い、とても小さな声で、できるだけ何気ない様子で、壁紙に何をしているの、と聞いてみた――ジェニーときたら、盗みの現場を見つかりでもしたように、ギョッとすると、振り向きざま、たいそう腹を立てた様子で、なんでわたしのことを脅かしたりするのよ、と言ったのだった。
それから、壁紙にさわると、なんでも染みがついてしまうわ、と言ったのだった。あなたの服にも、ジョンの服にもみんな、黄色い染みがついてるの。もっと気をつけてくれなくちゃ。
ずいぶんと疚しいところなどなさそうな言い種ではないか。けれどわたしはジェニーが模様を調べていたのはわかっているし、わたし以外のだれにも、そんなことはさせるものか、と決めていたのだ。
* * *
毎日が、前よりずっとおもしろいものになった。待ち受けるもの、楽しみにしているもの、見守らなくてはならないものができたのだ。前よりずっと食べるようになったし、前よりずっと落ち着いてきた。
ジョンはわたしが良くなっているのを見て、とても喜んだ。この間など、笑いながら、壁紙がそのままなのに、元気になったじゃないか、と言ったのだ。
わたしは笑ってはぐらかした。壁紙があるから元気になったのだ、などと言うつもりなど、毛頭なかったからだ――そんなことをすると、わたしを馬鹿にするに決まっている。ひょっとしたら、わたしをよそへやろうと思うかもしれない。
壁紙を確かめるまでは、ここを離れるわけにはいかないのだ。もう一週間以上あるし、それだけあれば十分だろう。
* * *
ほんとうに、ずいぶん調子はよくなってきた。夜はあまり寝ないようにしている。なにしろどうなっていくか、見守るのが楽しくてならない。そのかわり、昼のほとんどを眠っている。
昼間の壁紙は、うんざりするようなものだし、得体が知れないものでもある。
見るたびに、新しいキノコがいくつも顔をのぞかせ、全体を覆う黄色い影が濃くなっている。いつもしっかり数えていようと思うのだけれど、キノコの数を数え続けることができない。
それにしても、壁紙は奇妙な黄色だ。これまでにわたしが目にしたあらゆる黄色いものを思わせる――もちろんキンポウゲのようにきれいなものではなく、古く、汚れて、悪くなったあげく黄色くなったものだ。
それだけでなく、この壁紙には、ほかにも何かがあった――においだ。部屋に入った瞬間から、そのにおいには気がついていたが、風が良く通って、日が差し込んでいさえすれば、それほどひどくはなかった。だが、一週間も、霧と雨が続いているいまは、窓を開けていようが閉じていようが、においはどこにもいかなかった。
このにおいは、家中にしみこんでいる。
ダイニングルームをただよい、居間にまでついてきて、玄関ホールに潜み、階段に横たわってわたしを待ちかまえているのだ。
わたしの髪のなかにも潜り込む。
車に乗るときでさえ、急に顔の向きを変えて不意打ちを食らわせてやる――と、あのにおいがするのだ。
それにしても妙なにおいだ。 このにおいが何に似ているか、何時間も考えた。
悪臭、ではない――最初のうちは。ひどく微かな、そこはかとないにおい、けれどもこれほど持続するにおいをわたしは知らない。
湿っぽい天気のときは耐え難く、夜中に目が覚めると、身体の上におおいかぶさっていたりする。
最初のうちは気に障ってしょうがなかった。屋敷に火をつけようかと真剣に思ったぐらいだ――そうすれば、においをつかまえられる。
いまはずいぶん慣れた。においのことでわたしが思うのは、壁紙の色にそっくりだ、ということ。黄色いにおいなのだ。
壁には非常に奇妙なしるしがついている。低いところ、裾板の近くだ。一本の筋が部屋をぐるりと一周しているのだ。筋は、ベッドを除いたあらゆる家具の後ろ側にも、一本の長い、まっすぐで均質な染みのように続いている。あたかも何度も何度もこすったかのように。
こんな筋がどうしてついたのか、だれがつけたのか、いったい何のために? ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……目が回ってしまう。
* * *
とうとう見つけた。
夜の間、ずっと見張っていると、変わるときがあるのを、わたしはとうとう見つけたのだ。
表面の模様が、確かに動くのだ――それもそのはず、その奥にいる女が揺さぶっているのだ。
ときどき、その向こうにものすごくたくさんの女がいるような気がするが、また別のときは、たったひとりのような気もする。女は素早く這い回っていて、そのためにあたりが揺さぶられているのだ。
明るい場所では、女は静かにしているけれど、影になった部分では、鉄格子をつかんでひどく揺さぶっているのだ。
女はいつもよじのぼって侵入しようとしている。けれどもだれも模様を乗り越えることはできない。つまり模様が抑えつけているのだ。だからこそ模様には、たくさんの頭がついているのだろう。
女たちは越えてこようとする、そうして模様が女たちを抑えつけ、逆さまにすると、女たちは白目を剥く。
頭を何かで覆うか、取り払うかすると、壁紙の俗悪さも、半減するはずだ。
* * *
昼間のうち、あの女は外に出ているにちがいない。
あなただけにこっそり教えてあげるけれど、わたしはあの女を見たのだ!
あの女がどの窓からも出ていくのを!
同じ女だというのはわかっている。だって、いつも這っているし、普通の女は、昼日中、這ったりはしない。
あの女が、長く続く並木道をずっと這っていき、車が来ると黒苺の繁みの中に隠れるのを見る。
むりもない。昼日中這っているところを見られるのは、さぞかし恥ずかしい思いがするにちがいない。
お昼にわたしが這うときは、いつもドアに鍵をかける。夜にはそんなことはできない、というのも、ジョンがすぐに何かあるのではないか、と思うだろうから。
おまけにジョンはこのごろひどく変なので、イライラさせたくない。別の部屋を使えばいいのに。だいいち、あの女が夜の間、中にいないことを、わたし以外だれにも気がついてほしくない。
折に触れて思うのだけれど、全部の窓から一度に外に出る女の姿を見ることはできないものだろうか。
どんなに素早く見回しても、一度にたったひとつの窓から出ていくところしか見ることができないのだ。
いつだってあの女は見えているのだけれど、おそらくわたしが見回すよりも早く、ほかの窓に忍び寄っているのではあるまいか。
ときどきあの女が門の外の草地を、空高くよぎっていく雲が落とす影のように、すばやく這っていくのを見る。
* * *
表面の模様を、内側の模様から引き剥がすことができさえしたら! 少しずつ、やってみるつもりだ。
もうひとつ、奇妙なことを見つけたのだけれど、いまはまだ話さない。ひとを信用し過ぎるのは、考えものだもの。
壁紙を剥ぎ取るまで、もう二日くらいかかるだろうし、ジョンはそろそろ気がつきだしているにちがいない。ジョンがわたしを見る目つきは、なんだかいやなものだ。
おまけにジョンときたら、ジェニーにわたしのことを、医者らしいもの言いで根ほり葉ほり聞いていた。ジェニーときたら、ずいぶん立派な報告をしたようだ。
お義姉さまは、昼間、よくおやすみになってるみたい。
ジョンは、わたしがすごく静かにしているのに、夜はあまり眠っていないことを知っているらしい!
わたしにもいろんなことを聞いてきて、いかにもわたしのことを愛してくれているような、さも優しげなふりをした。
ジョンのことなんか、わたしが見通せないとでもいうように!
それでもジョンがそんな態度に出るのも不思議はない。この壁紙に取り巻かれて三ヶ月も寝たのだから。
ジョンとジェニーがいつのまにか、壁紙の影響を受けているのは興味深いように思う。
* * *
ばんざい! 今日でここともお別れだ。時間は十分。ジョンは一晩中街にいることになっているし、夕刻まで街を出ることができないのだ。
ジェニーはわたしと一緒に休みたがった――こざかしい真似をする。もちろんわたしは夜はひとりきりでいるほうが、ゆっくり休めるにちがいない、と言っておいた。
よくできた言い抜けだ。ほんとうはちっともひとりなんかじゃなかったのだから。月がのぼると、あのかわいそうな女は這っていき、模様を揺さぶり始めた。
わたしが引っ張ると女は揺さぶり、わたしが揺さぶると女は引っ張る。そうして朝になるまえに、わたしたちは何メートル分も、壁紙をはがしていった。
はがれた部分の高さはわたしの背ぐらい、そうして部屋を半周するぐらいになった。
そのころ日が昇り、嫌らしい模様がわたしを嗤うようになってきたので、今日はこれまで! とわたしも言ってやった。
わたしたちは明日には出ていくので、使用人が家具を階下に降ろし、元の場所に戻していた。
ジェニーは壁を見てギョッとしたようだったが、わたしは明るい調子で、悪意には悪意で報いただけよ、と答えておいた。
ジェニーは笑って、わたしはかまわないけど、疲れるようなことはしないでね、と言った。
ほら、ジェニーが正体を現した!
だけどわたしはここにいるつもりだし、わたし以外のだれにも壁紙はさわらせない――人間はだれも!
ジェニーはわたしを部屋から連れ出そうとした――なんて露骨なやりかただこと! けれどわたしは「部屋はとっても静かだし、がらんとしてるし、さっぱりしたから、もういちど横になって、眠れるだけ眠るつもりよ」と言ったのだった。晩ご飯にも起こさないでちょうだいね――起きたとき、呼ぶから。
これでジェニーも出ていったし、召使いも行ってしまい、家具もなくなった。あとは床に釘付けにされた巨大なベッドの枠組みと、ベッドの上に載ったキャンヴァス地のマットレスだけだった。
わたしたちは今夜は階下で寝ることになっていて、明日帰路につくのだ。
こんなふうにもういちど剥き出しになってみると、いよいよこの部屋が気に入ってきた。
それにしてもここにいた子たちは、よくも徹底的に引き裂いたものだ!
このベッドの枠も、ひどく傷がついていた。
けれど、わたしは仕事にかからなくては。
ドアに鍵をかけ、その鍵を屋敷の表の小径に放る。
外になんて出たくないし、だれにも入ってきてほしくない。ジョンが帰ってくるまでは。
驚かしてやりたいのだ。
この部屋に、ジェニーが気がつかないように、ロープを持ってきた。あの女が出てきて、逃げようとしたら、縛り上げることができるように。
けれど、何か踏み台のようなものがなければ手が届かない。
このベッドは動かしようがない!
ベッドを持ち上げたり、押したり、へとへとになるまやってみたが、しまいには腹が立って、角をちょっと囓った――だが、歯が痛くなっただけだった。
それから床に立って、手が届く限りの壁紙をすべて剥がしていった。壁紙はひどく剥ぎにくく、模様はおもしろがっている! 折れた首や球根の眼玉、どんどん伸びていくキノコは、悲鳴のような馬鹿笑いを続けた。
なにか捨て鉢な行動をしかねないほど、腹がたってきた。窓から飛び出すのは、運動にはもってこいのように思われるけれど、がっちりとした格子を見ると、やってみようという気さえ起こらない。
それに、そんなことをほんとうにしようと思ったわけでもない。もちろんそうだ。そんなふうに一歩踏み出すのは、適切な行動とはいえないし、誤解される畏れもあった。
窓から外を見るのさえ嫌だ――這っている女がずいぶんたくさんいるし、おまけにその這うスピードの速いこと。
わたしが壁紙と格闘している間に、あの女たちは全部出てきたのだろうか?
けれど、いまのわたしは、うまく隠してきたロープで身体をしっかりと固定している――だれもわたしを行手に引っ張り出すことはできない!
夜になったらわたしは模様の後ろに戻らなければならないだろう。それはつらい。
模様から出て、この広い部屋にいるのは楽しいし、好きなだけ這い回るのも楽しい。
部屋から外には行きたくない。絶対に行きたくない。たとえジェニーが誘ってくれたとしても。
* * *
だって外に出ると、地面を這わなければならないし、そうなると草の染みで黄色のかわりに緑になってしまうもの。
だけどここだと、床の上は這いやすいし、肩の位置がちょうど、あの長い筋にぴったりくる。だから迷わないですむ。
なんでドアの向こうにジョンがいるのかしら。
ムリよ、おなた。あなたには開けられっこないわ。
なんて大きな声でわめいたり、ドアを叩いたりしてるのかしら。
斧がどうだとか言ってる。
このきれいなドアをこわすなんて、恥ずかしいことよ。
「ジョン!」わたしはできるだけ穏やかな声で言った。「鍵は玄関の階段脇に落ちてるわ。オオバコの葉っぱの下よ」
それを聞いたジョンは、ちょっとの間静かになった。
それから言った――ほんとうに、とても小さな声で。「きみ、ドアを開けてくれるよね」
「ムリよ。鍵は玄関のドアの横、オオバコの葉っぱの下にあるんだもの」
それからわたしはもういちど、さらにもう何回か、穏やかな、ゆっくりとした声で繰り返したので、ジョンは下へ探しに行った。それからもちろん戻ってきて、部屋に入ってきた。ドアのすぐ近くでジョンは立ち止まる。
「どうしたんだ」ジョンの声は悲鳴のようだ。「なんてことだ。きみは何をしてるんだ」
わたしは相変わらず這っていたけれど、ジョンを肩越しに振り返った。
「とうとうわたし、出てきたの。あなたやジェーンがいたけどね。それに壁紙はほとんど剥ぎ取ったわ。だからもうわたしをなかに戻すことなんてできないのよ!」
どうしてこの男は気を失ったりするのだろう? だけど、男はちょうど壁ぎわの、わたしの通り道をふさぐように倒れた。だからわたしはそこへくるたびに、這いながら男を乗り越えていかなければならなかった!
The End
『黄色い壁紙』と作者であるシャーロット・パーキンス・ギルマンについて
1.作家について
作者のシャーロット・パーキンス・ギルマンは1860年生まれ。アメリカ建国以来、多くの自由主義的な宗教家や作家を輩出したビーチャー一族(ちなみに『アンクル・トムの小屋』を著したストウ夫人も一族の出身である)の末裔として、ニュー・イングランドの名家、ビーチャー家に生まれる。
ただし、シャーロットが生まれた時期は、一族に往時の面影はなく、父親はシャーロットが四歳の時に家を出、一家は貧困に陥ったため、シャーロット自身も四年間の学校教育しか受けていない。
1881年、彼女が21歳の時、風景画家であるチャールズ・ステットソンに紹介され、24歳で結婚、間もなく女の子を出産する。
ところがこの出産を前後し、シャーロットは鬱病に罹る。そののちサナトリウムに入院することになるのだが、そこでのおもな治療は、あらゆる肉体的・知的な活動を禁止する、というものだった。
一ヶ月後、シャーロットは極度の神経衰弱に陥り、夫と娘の元に帰る。そののち1888年、シャーロットは夫と別れ、娘を連れてカリフォルニアに移住。そこで彼女の精神状態は、劇的に好転する。
シャーロットが作家活動に入ったのは、1890年代である。
シャーロット・パーキンス・ギルマンの代表作として名高いこの『黄色い壁紙』は、当時の一流文芸誌『アトランティック・マンスリー』に掲載される予定だった。
ところが当時の編集長ホレス・スカッダーは「自分が感じたmiserableな感情を、ほかの人間に味会わせることなど、とうてい容認できない」として、掲載を断るのである。
結局1892年の『ニュー・イングランド・マガジン』に掲載される。
発表直後から大きな反響が巻き起こり、ボストン在住の医師は「こんな小説は書かれるべきではなかった。読んだ者はみな、まちがいなく正気を失ってしまう」と抗議したらしい。
そののち、詩集や、1898年に『女性と経済』(原題"Women and Economics")を発表。この作品は七カ国語に翻訳され(日本では未訳)、国際的に高名な作家となる。
1900年、従兄弟のヒュートン・ギルマンと結婚、それから三十年近くに渡って、作家として多くの書を著す。なかでも1916年に出版された"Herland"(強いて訳せば「彼女の土地」とでもいうことになるのだろうか)は、フェミニズム的ユートピアを描いた作品と言われている(未見のため詳細は不明)。
1932年、乳癌を患っていることが判明。三年後、75歳で自殺する。
今日では、フェミニズム運動に関わった最も重要な著述家のひとり、という評価のされかたをしており、ある女性団体が行った1993年の調査では、20世紀にもっとも大きな影響を与えた女性のうちの第六位に選ばれている。
2.作品について
最初期の作品である『黄色い壁紙』は、こうしたシャーロット・パーキンス・ギルマンの実生活をもとに書かれたものだ。
ギルマン自身が語るところによれば、その徹底した「安静療法」のために、彼女の精神状態は、ほとんどボーダーラインまでいった、という。そののち、賢明な友人の忠告を容れて、一切の療法を止め、仕事と、日常生活、家事や育児を始めた。すると力がよみがえってきた、と彼女は書いている。
彼女はこの『黄色い壁紙』を、まず自分に安静療法を課した医師に送った。ところがその医者は、その療法こそが患者を狂気に追い込むものであるということを、決して認めようとはしなかった、という。
だが後年、この医師も、親しい友人に、自分はあの本を読んで、治療法を改めた、と語ったらしい。
ギルマンは「なぜわたしは『黄色い壁紙』を書いたか」(1913)という一文を、このことばで締めくくっている。
「わたしは人を狂わせるためにこの書を書いたのではない。そうではなくて、狂気に追いやられそうな人々を救うために書いたのだ。そして、その効果は実際にあった」
* * *
今日では、この作品はもっぱらフェミニズム的な観点から読まれ、解釈されている。
19世紀後半の、中流階級の女性は、夫の監視下におかれ、使用人の監督と、家事と育児以外のしごとは認められていなかった。徹底して保護される反面、与えられた自由というのは、非常にささやかなもの。
たとえばケイト・ショパンの『めざめ』なども、こうした当時の女性、自立を求めながら得られず、崩壊していく女性が描かれている(こちらはまったくホラー的な要素はない)。
……いや、いいんですけどね。わたしはあんまりそういう読み方が好きじゃないってだけで。ごめんなさい、フェミニズムの活動家のみなさん、石を投げないでください。
ただ、これは「狂気」か「超自然」か、というと、もちろん「狂気」のほうにウェイトがかかっているのは言うまでもないのだけれど、やはり「超自然」という要素をまったく読みとばしてしまうと、それはちょっともったいないような気がするのだ。
壁に、こすれた筋がついている。
その筋がなんでついたかは、お読みになったみなさんは、よくおわかりでしょう。
だが、だれがつけたんだろう?
なんでその部屋はそんなに荒れていたのか?
その部屋には、確かに子どもたちがいたのだ。その子どもたちはどうなったのか。
荒れた温室は?
どうして長い間、借り手がいなかったのか?
なにか、でたのかも。
後ろ、ちょっと気になりませんか?
向こうでカサカサ、って音が聞こえたみたいじゃない?
振り向いても大丈夫?
そこに……。
女が這っていたりして。
初出July,07-22,2005 改訂July,23,2005