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What's new? ver.10



(※ここでは2007.12.19から2008.3.31までの更新情報を置いてあります)

Last Update 3.31

「うわさ話の値段」アップしました。

松本清張の短編に『顔』という短編があります。まだ無名の舞台俳優である主人公は、映画で端役を得たことをきっかけに、大きな役の声がかかります。彼にとってはこの上ないチャンスです。ところが彼にはつきあっていた愛人を殺して上京した過去があった。ひとけのないところで殺そうと遠出をした先で、愛人の顔見知りにばったり出会ってしまうのです。自分の顔が売れることは、自分の将来が開けていくことを意味すると同時に、自分の破滅をももたらしかねない。ジレンマに立たされた主人公は……というストーリーなのですが、その「目撃者」は、たまたま彼女と一緒に主人公がいるところに行き会わせたに過ぎません。ところが彼の「情報」は、主人公の死命を制する「力」を持つものとなった。
もし「目撃者」が自分の見たものをもとに主人公をゆすろうとすすれば、そのときその「情報」はきわめて高額の「商品」となっていきます。

一方、わたしが親しい人物と、気楽なおしゃべりしていたとします。たまたま相手が知らないことを教えてあげた。「ああ、いいことを教えてくれた」といって、相手がその情報の「お礼」をしようと申し出た。おそらくそのとき、わたしはそんなつもりではなかったのに……と、いささか不愉快になるでしょう。わたしが不愉快になるのは、楽しみのつもりで一緒に過ごしたひとときを、経済活動に位置づけられたことの不快であり、「商品」のつもりではない「情報」に値段がつくことによって、「商品」となったことの不快です。そうして、値段がつくような情報が、今後、何らかの「力」として利用されることへの危惧も含まれているはずです。

わたしたちはふだん、まったく無意識のうちに、多くの情報を得たり、与えたりしています。けれど、ほとんどのとき、それを「情報」と意識することもない。ところがある段階で、自分が見たり聞いたりした話が「情報」と意識され、あるいは「秘密」となり、さらにそれが持つ潜在的な「力」が意識されます。つまり、その話が特定の「情報」となったり「商品」となったりするのは、その「情報」そのものが持っている価値のためではありません。それを媒介するわたしたちが、それをある種の「関係」のもとに置くのです。

こういう「関係」は、かならずしも人と人のあいだで一致しているわけではありません。同じく松本清張の短編に『声』では、新聞社の電話交換手をしていた主人公が、たまたま殺人事件の現場に電話をかけ、一味のひとりと会話してしまうのです。のちにその声のもちぬしとおぼしい人間の声を耳にして、彼が自分が聞いた声かどうか確かめたくてたまらなくなる。彼女は「何かのため」にそれが知りたいわけではない。ただ、知りたいのです。けれど、犯人にしてみれば致命的な「情報」を彼女に与えるわけにはいかない。ここでは「情報」の価値をめぐってのずれが生じています。

あらゆるものにはそのものの価値があります。けれども、その「価値の担い手」である「もの」が、ある関係のなかに置かれれば、「商品」となったり「力」を発揮したりする。

わたしたちは、しばしばそのことを忘れてしまい、「商品」になるのは、つまり、わたしたちがお金を払ってまでも、読んだり聞いたりしたがるのは、その「もの」に価値があるから(逆に「商品」にならないのは、そのものに価値がないから)と思ってしまいます。人の口から口へと伝播される情報は、それ自体に価値があるからみんな取りざたするのだ、と思ってしまいます。
でも、ほんとにそうなんでしょうか。

しょせん、人間なんて、色と欲だ、だからだれでもゴシップが好きなんだ、という見方があります。確かにそうかもしれません。「物語」というのは、人が穴に落ちてそこからはいあがるか、その穴のなかで死ぬかどちらかだ、という「定義」を読んだことがありますが、わたしたちは人が穴に落ちる話が聞きたいのかもしれません。

けれども、読みたい、聞きたいという価値があるから、そういう情報が伝播しているのだろうか。というより、「みんなが知っている」から「わたし」も知りたい、「みんなが聞きたがる」から「わたし」も知りたい、そういう情報が、わたしたちの周囲を飛び交っているのではないだろうか。

「情報」というものに嫌悪感を抱いていた一時期があります。地下鉄サリン事件のあと、TV番組がオウム一色になった時期です。ふだんワイドショーや週刊誌を軽蔑しているような人までもが信者を「ホーリーネーム」で呼び、幹部信者の誰と誰は昔つきあっていた、だの、誰は顔がかわいい、誰それは頭がいい、と言い合っているのを聞いて、わたしはそういう情報を遮断した世界に住みたいものだと真剣に考えたのでした。そのころは毎日人にもなるべく会わず、新聞も雑誌も読まず、百年くらい前に書かれた本ばかりを読んでいました。ある日、道を歩いている人もいない、図書館にも人がいない、いったいどうしたんだろう、と思ったら、代表が逮捕された日だったという、笑えない笑い話みたいなこともありました。

その当時はよくわからなかったけれど、わたしがたまらない思いがしたのは、「オウムへの嫌悪感」(もちろんこれはありました)というより、その情報の扱われ方だったのだろうと思います。

話して楽しい人と一緒に過ごす時間はすばらしいものです。知らないことを教えてもらった。これは得をしたからうれしいのではなく、相手と話題を共有できたからでしょう。わたしが相手が知らないことを教えてあげることができた。相手がそれを聞いてくれた、受け入れてくれた、それもまたうれしいことです。

このような情報のやりとりもある。そうではないやりとりもある。いまはいろんな場面でそれがまぜこぜになってしまっているのではないか。値段がついた情報を価値あるものと思いこみ、金を払って得た情報にくらべて、本来なら、よろこびをもたらすはずの情報を軽んじているのではないか。
情報のこと、価値のこと。これからもいろんな角度で少しずつ考えていこうと思っています。

週末から冷え込んで、昨日は冷たい雨が降っていました。それでも鉛色の空を背景に、雨に濡れながら桜は一気に咲き始めています。今日は強い風が吹いていましたが、えらいものでどんなに風が強くても、咲ききるまでは散らないんですね。自然のメカニズムというものを改めて感じたりします。

雨のなか、エズラ・パウンドのこんな詩を思い出していました。

The apparition of these faces in the crowd;
 (ひとごみのなか、つとあらわれたいくつもの顔――)
Petals on a wet, black bough.
 (黒く濡れた大枝にはりついた幾枚もの花びら)

俳句の影響を受けたものとして有名な二行詩ですが、桜の季節に雨がふると、いつもこの詩を思い出します。

そろそろお花見の季節です。
どうかみなさまも咲き始めた桜を楽しんでいらっしゃいますよう。
ということで、それじゃまた。

March. 30 2008



Last Update 3.16

サマセット・モームの短編「奥地駐在所」アップしました。

起承転結のはっきりした、いわゆる「神の視点」から、心理の隅々まで描かれたモームの短編は、そのきっちりとした作りが逆に、いまとなってはいささか古めかしい感じもします。それでも訳していてこんなに楽しい作品は久しぶりでした。やはりよくできた、おもしろい作品だと思います。

なんといってもこの作品のおもしろさは、ミスター・ウォーバートンという、さまざまな矛盾を抱えた人物に尽きるように思います。

ミスター・ウォーバートンは「俗物」と見なされている。原文にある"snob" とは、高い社会的地位にあこがれ、そうした地位の人々と交わりたがる人を指す言葉です。ところがミスター・ウォーバートンからしてみれば、自分はそもそも「高い社会的地位」に属する人間であり、自分が求めているのは、自分自身と同じ階級の人間との交わりなのです。ミスター・ウォーバートンからみれば、この「俗物」という評価ほど的はずれなものはありません。

ところがミスター・ウォーバートンがたったひとつ、気がついていないのは、貴族階級として生まれ、貴族階級として育った人々は、その階級を決してありがたがったりしない、ということです。というのも、自分が生まれつき持っているものを、人はありがたがったりしないものだから。

ありがたい、つまり、有り難い、と感じることができるのは、あらかじめ持っていたなにものかを失ったときか、最初から持っていないかのどちらかなのです。そのものとの距離があって初めて、「ありがたい」という感情が生まれる。ミスター・ウォーバートンが決して気がついていないのは、その点です。ありがたがることによって、ミスター・ウォーバートンは自分がその階級の一員ではないことを、つねに告白し続けているのです。彼がその周囲の人々から笑われていたのも、むべなるかな、ではあります。彼が貴族の一員になれなかったのは、母方の血筋でもなんでもありません。爵位に無関心ではいられないという、その一点でした。

一方、植民地生まれのクーパーは、ミスター・ウォーバートンが貴族に憧れるのをちょうど裏返しにしたように、貴族を憎んでいます。ミスター・ウォーバートンが貴族を忘れられないのと同様に、クーパーもその存在が忘れられない。そしてまた、他人に威張られるのがいやさに、自分から先に威張ってみせるのも、ミスター・ウォーバートンと同じなのです。ミスター・ウォーバートンの場合は、威張るかわりに、お金を使う。自分がつまはじきされるのがいやさに、相手をお金で囲い込もうとする。だからこそ、クーパーが心ならずも傲慢で尊大な人間と思われているように、ミスター・ウォーバートンは俗物と見なされる。「中の一員」に決してなれないのはそのためです。

このふたりは、自分たちの意外なほどの近さに気がついていたでしょうか。決して認められなかったとは思います。でも、薄々、どこかで気づいていたのかも。気づいていたからこそ、よけいに自分の「陰画」としての相手の存在が、許せなくもあったのでしょう。

現実に、わたしたちはときどき、嫌い合っているふたりがそっくりなことに気がついて、おかしくなることがあります。お互いに相手を同じ言い方で批判していたりする。相手のことを悪く言いながら、まるで自分のことを言っているみたい、と。どうして自分でそれに気がつかないのだろう、と、端で見ているわたしたちは不思議でなりません。でも、嫌い合っている当事者にしてみれば、相手が自分と似ているなんて、とうてい受け入れがたいことでしょう。

逆に、わたしたちはときに、「あ、この人の感じ方は自分に近いな」と思うこともあります。相手の言葉や感じ方に自分自身とよく似た何かを見てしまう。第三者が見て、かならずしも似ているとは思わないのかもしれないのですが、自分では、ああ、近い、と思ってしまうのです。それはいったいどういうことなのでしょうか。

ヘミングウェイには有名な「氷山の理論」というのがあります。「氷山の一角」という言葉のとおり、実際に氷山は海の上に見えているのは全体の七分の一であるという。見える部分の六倍は水中に隠れている。つまり、それだけの部分は読者の想像に委ねられているのです。

なぞめいたヘミングウェイの登場人物に比べて、モームの登場人物たちは、もっともっと書き込まれています。わたしたちは、ミスター・ウォーバートンの経歴も、孤独にうちひしがれて限界まで追いつめられたクーパーの心情も知っています。でも、ほんとうにすべて知っているのでしょうか。作品にはひとこともふれられていないけれど、ミスター・ウォーバートン、イギリスの社交界では恋愛沙汰は一度もなかった、とする方が不自然でしょう。なんとなくほのめかされているだけに終わっていますが、彼の貴族令嬢に対する恋愛感情は、ことごとくが不調に終わったんでしょうか。

ヘミングウェイが書いているのが七分の一としたら、すべてを書いているように思えるモームは七分の二なのかもしれません。けれど、書かれているのがたとえ部分でしかなくても、それはわたしたちのなかにもあるひとつの特徴を見つけだす。それをもとに、残りの七分の六、もしくは七分の五を、自分で想像していくのです。もし自分との共通点がまったくなかったら、おそらくわたしたちはその人物を想像することさえできないでしょう。

時代が異なり、国が異なる登場人物なのに、ひどく身近に感じ、その心理がよくわかるのは、時代を超え、国を超え、人間に普遍的なものをわたしたちが見出すことができるせいなのか。それとも、わたしたちが、物語や会話の向こうに、自分のなかにあるものを勝手に見つけて、それをもとに、勝手に登場人物像をそれぞれが造り上げているせいなのか。
相手の中に見つけた「自分そっくり」の部分は、人間誰でも持っている部分なんでしょうか。それとも、わたしたちが勝手に見つけたものなんでしょうか。

おそらくそれが一概には言えないことなのだろうけれど。
それでも、「自分に近い」と思える人や登場人物に出会えるというのは、やはり幸せなことだろうと思います。逆に、きらいな人がいたら、もしかしたら、自分に近いから、自分はきらいなのかもしれない、と思ってみるのもまた、いいことなのかもしれません。もしかしたら、自分の行動を反省するきっかけになるのかも。

小説を読む楽しみというのはいろいろありますが、矛盾をつめこんで複雑に造型された登場人物に出会うことができるというのも、大きな楽しみのひとつでしょう。そうした意味で、モームはやはりおもしろい作家だと思います。

はてさて、このところほんとうに急に暖かくなりましたよね。どうも「三寒四温」なんてこともなく、ページをめくるみたいに、ぱたん、ぱたん、と季節が変わっていくように思います。この冬はずいぶん寒かったけれど、幸いなことに体調を崩すこともなく乗り切ることができたみたい。

もうすぐお彼岸です。暑さ寒さも彼岸まで、というより早く、寒さも終わっちゃったみたいです。遠くに見える桜並木は、木全体がピンクに染まってきています。もう二週間もしたら咲きそうです。

どうか早春の日々を楽しんでいらっしゃいますよう。
ということで、それじゃ、また。

March. 16 2008



Last Update 3.12

ブログでつなぎのつもりで書いた「自転車置き場と「正しい」論理」を大幅に加筆修正して「自転車置き場と「正しい」距離」としてアップしました。

「論理」が「距離」になったのは、いくつか理由があります。以前からわたしは何かを「正しい」とし、何かを「間違っている」とする見方に対して、激しい抵抗を感じてきました。

もちろん、わたしたちはつねにさまざまな選択にさらされている。晩ご飯になにを作るか、というようなことから、つぎの役員に誰を選ぶか、といったこと、国旗に頭を下げるかどうするか、といったこと……。
選択をするということは、同時にその選択の責任を自分が負うということでもあります。だから、ときに選択は大変むずかしいことになっていく。その結果が予想もつかないときの選択は、恐ろしくさえあります。そういうとき、結局わたしたちが頼るのは、自分がいったい何を「正しい」とするのか、という判断でしょう。問題がむずかしくなればなるほど、わたしたちは自分が「正しい」とする根拠を問いつめ、自分の考えを練り上げていかなければなりません。

そういうことにくらべて、人の選択の結果を論評することは、ものすごく簡単です。だって結果はもう出てしまっているのだから。出てしまった結果を見て、うまくいかなかったじゃないか、その判断は間違っていたんだ、責任を取れ……。こんなことは、誰にだってできる。でも、そういうことを言うのはまったく意味がない。

ところが多くの場合「正しい−間違っている」というのは、後者に向かって言われている。わたしたちは、自分の行為を考えるとき以外に、正しいか間違っているかなんて言えるのだろうか。そういう疑問はずっとあったのです。

最初、ブログに書いたときにも頭にあったのはこういったことでした。けれども、書いているわたし自身が、自転車の整理をしているおじさんを「被害者」ととらえ、声高に苦情を言っている女性を「間違っている」と見なしているわけです。他ならぬ自分自身が「正しい」−「間違っている」という文脈に置いてみている。

これ以外の見方はないだろうか。「鶏的思考」にアップしようと書き直しながら考えているうちに、むしろこれはどちらかが「正しい」、どちらかが「間違っている」ということではなく、お金を直接には払っていないことから来る混乱ではないか、と思えてきたんです。

考えてみれば、わたしたちの周囲のほとんどすべての領域で、「お金を媒介にした関係」が成り立っています。「お金を媒介にした関係」というのは、わたしたちのあり方をどのように変えていくんだろう。

わたしが以前からひとつ決めていたのは、タダでは教えない、ということでした。たとえ知り合いの子供であっても、個人的なレッスンを頼まれたら、授業料をもらうことにしています。もしかしたら「がめつい」と思われているのかもしれないのですが(笑)、何よりも、知り合いであればあるほど、教える−教えられるという関係が曖昧になりやすい。何かを教えようと思ったら、まず何よりも、教わる側が「教えられる態勢」に入ってくれないと無理なんですが、知り合いのおばちゃんに教えてもらっているのと、先生に教えてもらっているのでは、この態勢がまるっきりちがってきます。つまり、「教える−教えられる」という適正な距離を取るためには、お金を介在させることはきわめて有効なのです。

お金を介在させることは、「知り合いのおばちゃん」から「先生」へという距離を生むことを意味します。お金は人と人のあいだに距離を作りだす。そうして、距離を保った関係を新たに作り直すのです。

何でお金にそんな力があるんだろう。考えてみれば、お金というのは、やはり不思議なものです。お金を媒介にすることで、わたしたちは自分の欲望というものを客観的に形に変えることができる。一方で、本来ならひとりひとりまるで異なる人々を、年収などという尺度で一元化する力もある。それを欲望し、あるいは所有する量を力の感覚として味わい、あるいはときに「汚いもの」ととらえる。まだまだ見ていかなければならないところがたくさんありそうです。お金の話はまだまだ、いろんな角度で見ていきたいと思っています。

高校の社会科の先生にひとり、退官間近のずいぶんお歳を召した方がいらっしゃいました。もう板書もしんどいのか、いつも黒板に大きな字でちょっと書いて、あとはすべて口頭で、なかなか教わるのも大変だったのですが、その先生、マルクスの説明をするとき、黒板に大きくひとつ「金」の字を書いていたことだけ、いまでもはっきり覚えています。いったいどんな説明だったのか、まったく記憶にありませんが、その学期末の試験問題のひとつが「金で買えない物をひとつ挙げて、その理由を論ぜよ」というものでした。わたしはいろいろ考えて、おそらく「過ぎ去った時間」ということを書いたのではなかったかと思います。未来の時間は、たとえば交通手段によって短縮することもできるけれど、過ぎ去った時間だけはお金でもどうすることもできない、たぶんそういった意味のことを書いたのです。あとで友だちに聞いてみたら「愛に決まってるじゃない、アンタ、相変わらずシニカルね」と言われてしまったように思います。当時のわたしは愛はお金で買えると思っていたのでしょうか(笑)。
え? いまですか? 愛って何?

先週はまだ寒い寒いと言っていたのに、ここ数日、すっかり暖かくなりました。日向に出ると、春の日差しがまぶしく、上着など着ていられない気持ちになります。桃の花も咲く頃でしょうか。

この日に日に日差しが長くなり、暖かくなっていく時期というのは、一年でも一番気持ちのいい時期かもしれません。なんだか心の隅がわくわくしてくる。どこからか花の香の漂ってくるような、穏やかな春の夕暮れが好きです。

ということで、それじゃ、また。
どうか良い季節を楽しんでいらっしゃいますよう。

March. 12 2008



Last Update 2.22

ブログでつづきものという意識もないまま、連想のままに書き連ねた「坐る」ことにまつわる五回分の文章をまとめた「坐ったままでどうぞ」をアップしました。

そもそもは去年の暮れ、新聞で多田道太郎氏の訃報に接したことに端を発します。十代の頃、繰りかえし読んだ『しぐさの日本文化』や『遊びと日本人』を書かれた方が亡くなったんだ、と何ともいえない寂しさを感じ、久しぶりに読み返してみたのがきっかけです。

中学の通信添削だったか模擬テストだったか、ともかく教科書ではありませんでした。国語の長文読解で出題されて、「なんとおもしろいんだろう」と思ったのは、いったいどの部分だったかいまではまったく記憶にありませんが、すぐに探しに行った図書館で『しぐさの日本文化』を見つけて、しゃがむ姿勢や咳払いや握手といった身近なことに、こんなにおもしろい理由や歴史があったんだ、と目を開かれるような思いをしたことだけはいまでもはっきり覚えています。

当時どこまで理解できていたのだろう、とやはり思わずにはいられません。それでもこれまで気にも留めなかった人の動作が、急に気になるようになったのは、まぎれもなくこの本の影響です。世界には「あたりまえ」のことなど何一つないのだということを、わたしはこの本を通じて知っていったのかもしれません。

いま読み返してみれば、1972年初版のこの本に出てくる「しゃがむ」というしぐさは、わたしたちからいよいよ縁遠くなり、一方で、地べたに直接腰をおろす、当時では考えられないようなしぐさが見られるようになってきた。これはどういうことなんだろう。どう考えたらいいのだろう。

 慣習は無意味だ、多くの若い人は、世界中のどこでもそう思い、そう感じる。たとえば若いころのフローベールは新年がなぜ特殊な慣習をもつのかと腹立たしげに書いていたはずだ。しかし、慣習に反して、新しい慣習を人為的につくろうとするとき、人はしばしば法と暴力に依存する。私はヒットラー・ユーゲントの、あの片手を斜めに高々とかかげる「挨拶」のことを思いだしているのだ。あの挨拶は和平やなごみではなく、力の誇示であり、威嚇の表現である。
 慣習から身をひきはなす、そのひきはなしかたに、次の社会の「結合」のありかたがかかっている。握手やお辞儀にかわって、また贈答をやめることによって、どのような結びつきを人は考えているのか。それとも、結びつき一般というものを、人は拒否しようとしているのか。

(多田道太郎『しぐさの日本文化』筑摩書房)

この本には出てこない「三角坐り」、あるいは英語文化圏では一般的な "hug" が「ハグ」として、一部で挨拶の仕草に登場してきています。「相手の目を見て話す」ことが学校を中心として奨励されるようになり、かつてにくらべて人前で「泣く」ことの許容度は高くなっているように思える。その一方で、贈答はお歳暮やお中元からヴァレンタイン・デーやバースディ・プレゼントとして形を変えながら、相変わらず続いているようです。

どこが変わり、どうなっていっているのか。三十年前に比べて、確かに人と人のあいだの距離は広くなっているような気がするけれど、ほんとうにそうなのか。

当時予想もし得なかった変化がひとつあります。それは、インターネットを通じて、かつてないほどの規模で人と知り合うことが可能になったことです。以前ならしかるべき手順を踏んで、しかるべき地位にのぼった人でなければ自分の思ったことや考えたことを発表することもできなかったけれど、いまではこのように、だれであっても簡単に読んでもらうことができるようになりました。趣味や読んだ本、見た映画や聴いた音楽を通じて、従来なら知ることさえなかったような人の意見や感想を聞くことだって可能です。

反面、実際に人と会い、会話を交わすことは減り、多くの打ち合わせは相手の痕跡をほとんど感じさせない液晶画面に浮かび上がるメールの文字だけで事足りるようになってしまった。冒頭の挨拶さえない、文字通り「用件のみ」のメールも少なくありません。

わたしたちはどんな慣習を捨て、どんな慣習を新しく取り入れようとしているのか。さまざまな局面で、もっともっと見ていきたいと思うのです。確かに「慣習から身をひきはなす、そのひきはなしかたに、次の社会の「結合」のありかたがかかっている」というとおりなんだと思います。そのなかにいれば、空気のように見えない「時代」、それでもその時代は、わたしたちに考えるときも行動するときも、かならず影響を与えています。うっかりしていれば気がつかないわたしたちの考え方や行動の「くせ」。いろんなことを通じて、これからも考えていきたいと思っています。

やっぱり、「あたりまえ」のことなど何一つないのだと思うんです。そんなふうに思っていれば、退屈とも無縁です。「変なことが気になるんだね」と変人扱いされたって、退屈しているのよりずっとおもしろいと思うから。

自分はこんな坐り方をする、三角坐りは学校ではやらなかった、みたいなことがありましたら、またお話聞かせてください。そこから見えてくる何かがきっとあるはずです。

ここ数日、こちらはなんだか暖かく、考えてみたらもう二月も下旬なんだ、と思うような陽気でした。また明日から冷えてくるみたいですが、こうやって少しずつ春が近づいてくるんですね。やっぱり春が来ると思うと、うれしいなあと思います。これは大昔から受け継がれてきたDNAのなせるわざなんでしょうか。梅もずいぶん咲いてきました。

ということで、それじゃ、また。
お元気でお過ごしください。

Feb. 22 2008



Last Update 2.17

W.W.ジェイコブズの短編「猿の手」をアップしました。

昔話によくある「三つの願い」をふまえ、それを恐怖小説仕立てにした短編なのですが、これは従来の願い事をめぐる物語と異なる点があります。それは、願掛けの対象が神様や妖精ではなく、「物」だということです。

神様に願掛けする。「二百ポンド手に入りますように」
こういうときふつうはその二百ポンドがどこから来るか、あまり考えたりしません。それは、どこか無意識のうちに、神様というものは、無からなにものかを生み出すと思っているからなのかもしれません。

ところが、この「猿の手」は無から何かを生み出すものではなかった。「二百ポンド」を願ったために、ハーバートは命を奪われます。つまり、結果として一家は二百ポンドとハーバートの命を交換してしまった。つまりこの「猿の手」は交換の媒介物だったんです。

この点がわたしは非常におもしろいと思うんです。
わたしが仮にリンゴを一個持っていて、それを隣村の人が持っているみかん一個と交換する。これは物々交換です。ところがリンゴとみかんでは大きさもちがうし、食べ応えもちがうような気がする。なんだかリンゴとみかんの交換は割が合わないぞ、と考えたとする。こうなると、リンゴの価値やみかんの価値を計るモノサシがほしくなってきます。もちろん、リンゴ一個の価値はみかん二個の価値に相当する、とみんなで決めてもいいのですが、どちらも古くなってくると味は落ちるし、腐ったりもする。みかんばかりではなく、魚とも交換したいし、きれいな布とも交換したい。ですからモノサシはあらゆるものに通用するもの、しかも腐ったり、すり減ったり、なくなったりしないものが望ましい。そこで交換の媒介物が登場します。貨幣です。

こうした媒介物があれば、わたしは何もわざわざ海辺の村にリンゴをかついで行って、魚と交換してもらうに及びません。リンゴを売る。そこで貨幣を手に入れる。今度はその貨幣を魚と交換する。本来、貨幣というのは、それ自身にはまったく価値のない、交換の媒介物に過ぎないものだったはずなんです。ところが、貨幣があれば何でも手に入るから、わたしたちは、つい、全能の神のような錯覚を抱いてしまう。とくにほしいものがなくても、「持っていたい」と思うようになってしまう。本来なら交換の媒介物に過ぎない貨幣に価値があると錯覚してしまうことを、マルクスは物神化と呼んだのですが、この錯覚は貨幣というものが登場してからずっと、数多くの悲喜劇を生んできました。文学でも『ヴェニスの商人』から以前ここで訳したサキの「ラプロシュカの魂」、あるいはモリエールの喜劇『守銭奴』や木下順二の『夕鶴』など、この貨幣の「物神化」が隠れた主題になっている作品は、枚挙にいとまがありません。

「猿の手」も交換の媒介物として、願い事とそれにまつわるなにものかを交換してきたのです。そこでこの一家はついうっかり「猿の手」に別の交換の媒介物(人間社会ではこちらの方がはるかに一般的ですが)を要求してしまった。もしかしたら、これは最大の禁忌だったのではないのだろうか。だからこそ、最大の対価、命を要求されたのかもしれない。

そんなふうに考えると、「ハーバートの蘇り」の対価は「恐怖」、「死者を墓地に戻すこと」の対価は「平安と寂寞」だったのではないか、というふうに思えてきます。おそらくこの対価は願い事に見合ったものだったのだろう、と。

わたしたちはお正月などに神社に行って、ごく気軽に「願い事」をしています。もしかしたら、その「願い事」というのは、現実にはなんの御利益もないからこそ、わたしたちは願い事ができるのかもしれません。「大学に合格しますように」という願掛けは、自分の代わりにひとりの不合格者を出すことを意味します。「自分の店が繁盛しますように」という願掛けは、競合店の破綻をもたらすかもしれません。同じように、いつ自分が別の誰かの願掛けの被害を被る対象になるかわからないのです。「願い事」というのは気休めだからこそ、わたしたちも気軽に願を掛け、一瞬の平安を得た後、また毎日、がんばっていけるのかもしれない、と思うのです。だからこそ、現世御利益を謳うような手合いは信じちゃいけないんだ、とも。

少々の浮き沈みはある。運不運だってあるでしょう。それでも生きてさえいれば、そうして、自分の目先の利益のために、誰かにはっきりと害をなすようなことさえしなければ、長い目でみればきっと収支というのは合ってくるものだと思います。こんな考え方は楽天的に過ぎるのかもしれない。だけど、わたしはこの点に関しては、楽天家でいようと思っています。

今日、粉雪の舞うなかを、涙と鼻水を流しながら帰ってきました。積もるほどは降らないのですが、まったくこの寒さは泣きたくなります。それでも行きがけは、通りの梅の木に抹茶色をしたウグイス(鶯色、と言うべきか)が二羽留まって、チッチッとかわいい声で鳴いていました。梅にウグイス、というのはよく言われることですが、実際に見たのは初めてで、なんだかうれしくなってしまったのでした。ホーホケキョと鳴かないかなあと思ってたのですが、急いでいたので、鳴くまで待つことはかないませんでした(笑)。また会えたらいいのだけれど。

しばらく寒い日が続きます。それでも日の出は少しずつ早くなってきたし、雲間からのぞく日差しには春の明るさが加わってきています。早く暖かくならないかな。

寒い毎日、どうかお元気でお過ごしください。
ということで、それじゃまた。

Feb. 17 2008



Last Update 2.07

あれやこれやが重なって、身辺やたら多忙でずいぶん更新できませんでした。なんともう二月です。この間、ずーっと胸の内にひっかかっていた「有島武郎と共同体と共に生きることと」を、ちょっとずつ書いては直ししながら、やっとのことでアップすることができました。

とくに、『或る女』に関しては、まだまだ詰めが甘いというか、どこから見ていくかも未だ絞り切れていないのですが、「ここらへん」(笑)からまたもう少し考えていきたいと思っています。

明治時代というと、わたしたちからすると、たとえば大正時代などとくらべて、ある種、くっきりしたイメージを抱けるのではないでしょうか。それが正鵠を射ているかどうかはさておき、「明治」という時代、激動というにふさわしい四十年余りは、もちろんその時期や局面に応じてさまざまな様相を呈しているのですが、わたしたちにはなによりも、いまに続く近代が始まった時代として印象づけられているのではないかと思います。

明治の作家といって、いまのわたしたちがまず思い浮かべるのは鴎外と漱石でしょう。鴎外は政治権力の中枢に近いところにいましたし、漱石は意識的に遠く離れたところにいようとした。それでも彼らの作品を見ると、ともに明治の日本と自分のありようを重ね合わせていることがわかる。わたしのなかの「明治」のイメージの多くは、なによりも漱石や鴎外を通して作り上げられたとも言えます。

とはいえ、明治時代の文学者といえば、鴎外と漱石ばかりではない。有島武郎は明治十一年(1878)の生まれですから、1867年生まれの漱石とはわずか十一歳しかちがいません。けれどもわたしにとって有島は「明治の文学者」というより、「大正の文学者」というイメージの方が強い。というのも、有島のなかには、日本と自分のありようを重ね合わそうとする傾向はまったく見られないからです。

加藤周一は『日本文学史序説』のなかで、有島武郎と永井荷風が「明治国家のみならずその社会と明白な距離をおき、組みこまれを拒否して批判的な立場を貫き、しかし幸徳秋水や河上肇とはちがって、その社会の変革を志す代りに彼ら自身の自己実現を目的とし、信念と原則に従って生きることに自覚的であったのは、――その意味で個人主義者の一つの型を示し得たのは、おそらく三つの条件による」と書いているのですが、その条件はともかく、「個人主義者の一つの型を示し得た」という指摘は非常に重要だろうと思うのです。

いまに続く近代が明治から始まったとしたら、「社会と明白な距離をおき、組みこまれを拒否して批判的な立場を貫き……その社会の変革を志す代りに彼ら自身の自己実現を目的とし」と、現代のわたしたちにも通じるような態度というのは、有島や荷風から始まったのだろうか。

正直言って、江戸文学に関する知識のほとんどないわたしには、荷風というのはどうにもピンとこない作家なんです。有島だったらなんとかなるかもしれない(笑)、そんなふうに思って、いくつかの作品を読み直してみた、そういう背景がこれにはあります。個人主義、という問題意識で読みはじめて、共同体というところに出てしまったのは、天邪鬼なわたしらしいところかもしれませんが。

わたしは以前から、「いま」を理解するたったひとつの方法は、歴史を学ぶことだと思ってきました。それはその時代について書かれたものだけを指すのではなく、その時代に書かれたもの、その時代を生きた人、その時代の文化・習俗・思想・社会・政治・経済・ことば……あらゆることを学んでいくことを含んでいるはずです。そうしたものを鏡に、いまという時代を映し出し、その「ずれ」に着目する。そういうかたちで「いま」を浮かび上がらせることができるんじゃないか。大きなことを言いながら、自分がたったこれだけのことしか書けないのは、ほんとうに恥ずかしいんですが。でも、その「たったこれだけ」を少しでも深め、ひろげていくために、これからもいろんな時代の本を読んでいきたい、と思っています。

有島武郎で思い出すのは、中学のとき、『カインの末裔』を初めて読んで、ぎょっとしたことです。それまで有島というと、『一房の葡萄』や『碁石を呑んだ八っちゃん』『火事とポチ』といった児童文学でしかなかったので、あの「ポチの話を書いた人が」と思ったのでした(子供時代のわたしは表題作の『一房の葡萄』よりも、火事を教えたポチが死んでしまう話のほうにずっと感銘を受けていました。なかでも主人公がケガをして血を流しているポチを、かわいそうに思いながら、そのケガが気持ち悪くて見ることができない、その気持ちが手に取るようにわかって)。夜、明かりを消した部屋で、布団に横になってスタンドの明かりで読んだ『カインの末裔』。しばらく眠れなかったかもしれません。

ドナルド・キーンは「明治・大正時代の日本小説の中で、一番感銘を受けるものは有島武郎の『或る女』である。他の傑作の価値を認め、また『或る女』の欠点も充分認識しているつもりであるが、『浮雲』、『家』、『心』等に深く感心しても、『或る女』のような迫力を感じないのである」(「有島武郎」『鑑賞日本現代文学I 有島武郎』所収)と書いているのですが、確かにこの作品にはなんだかすごくよくわからないところがある。よくわからないんだけど、鉱脈がいっぱい埋まってるような。まだまだわたしの手には負えませんが、少しずつ考えていきたいと思っています。ブログに連載していた当時、何が書きたいかもよくわからず、ずいぶんとっちらかったことを書いていたんですが、辛抱強くつきあってくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

明治時代といって、本などではない、個人の記憶としてあるのは、母の実家の仏間の鴨居の上に飾ってあった明治天皇の肖像画の写しです。あの有名なエドアルド・キヨッソーネの「御真影」を、小さなわたしは見たことがなく、先祖のだれかだろうと思って(笑)、あれは誰? と母に聞いたのでした。母が何と教えてくれたかは忘れてしまったのですが、昔はなかったのになんであんなものを飾ったのだろう、といぶかしげに言っていたことはいまでもよく覚えています。あの家の記憶とも結びついて、わたしのなかの明治につながっていくイメージが、あの肖像画にはあります。

祖父がいて、曾祖父がいて、さらにその前の世代の人々がいて。古い家の黒光りする梁を見上げながら、わたしは積み重なっていく「時」というものを感じた……というのは、いまのわたしによる記憶の捏造かもしれませんが(笑)。

気がつけば立春も過ぎていました。今年もまた蝋梅が、黄色い可憐な花をつけています。寒い日々が続きますが、春の気配はたしかにありますよね。
どうかみなさま、お元気でお過ごしください。

ということで、それじゃ、また。

Feb. 07 2008



Last Update 1.13

サキ・コレクション vol.3「お金と人間と」をアップしました。

いきなりですが、今回からサブタイトルをつけてみました。一応選ぶ上でのおおまかな目安のつもりです。

今回、わたしが一番おもしろいと思うのは「ラプロシュカの魂」です。
昔から落語や喜劇に「けち」な人というのはよく出てきますよね。「けち」と笑いは非常に相性がいい。「けち」というのはつまり、お金が好きな人です。

もちろんわたしだってお金が好きですが、それはお金そのものが好きなんじゃなくて、お金でものが買えたり、楽しめたり、おいしいものを食べることができたり、明日も生きていけることが保障されたりするからです。お金が好きなのではなくて、そのお金を使ってできること、言い換えれば、そこにこめられた多様な可能性が好きなのだし、それを実現するために所持したいと思う。

ところが「お金でできること」ではなく、「お金そのもの」が好きな人が出てくる。バルザックの『ウージェニー・グランデ』の父親は、机に並べた金貨を見て「こいつを見ていると暖まる!」というし、臨終に際して娘に「もれなく用心、管理するのだ! あの世で会うときには、おまえ、わしに報告することになるぞ、この金のことをな」(椎名其二訳)と言い置くほど。

こういう人は、お金を使って何かをするなんて、もってのほかです。日々はひたすら倹約。モリエールの戯曲『守銭奴』の主人公アルパゴンも、召使いに向かって、家具はすり切れるといけないからあまりこするな、お客が来たら瓶の見張りを頼む(減りでもしたら、給料からさっぴくぞ)、お客に飲み物をつぐときは、「お客様が飲みたい時だけつぐんだぞ。わざと飲みたい気を起こさせたり、飲もうと考えてもいない時に飲みたい気にならせたりする、あの不作法な召使いの流儀でゆくんじゃないぞ」(小場瀬卓三訳)という徹底ぶり。

どうして「けち」な人っておかしいんでしょうか?
それはきっと、彼らがおかしいのはお金を好む彼らの心理が、わたしたちにまるで理解不能ではないから、理解はできるのだけれど、わたしたちが好むのとくらべると、ずいぶん極端だからでしょう。ある部分が極端ということは、それによっておろそかになっている部分が不可避的にできてくる、ということでもあります。意識が向かわないために不器用で、ぎこちなく、滑稽になっているのに、本人だけが気がつかない。彼らがそうした不器用さや滑稽さに無自覚であるだけ、端で見ているわたしたちにはそれがおかしい。

けれど、ラプロシュカの場合は、ただおかしいだけでなく、どこか哀れなところがあるように思います。その哀れさとは、ウージェニー・グランデの父親も、アルパゴンも、金を持つことで同時に権力も握っているのに対し、ラプロシュカは弱いままだからなのかもしれません。しみったれ、けちけちし、にもかかわらず、それでお金が貯まるわけでもない。そこまでのことはしないからです。人の財布はあてにはしても、自分が豊かになるために、誰かを押しのけたり、あるいは陥れたりはしない。
けれど、それだけにとどまらず、その哀れさは「ラプロシュカ」というユダヤ人であることが容易にうかがえる名字とも関連するのかもしれません。

近代に入るまで、西洋では教会は利息を取ってお金を貸すことを禁じていました。子孫を生み増やす、という営みは、神に直接創造された生き物にしか許されない、と考えられていたからです。人間が作った貨幣が、利息というかたちで貨幣を生む、という行為が許されていたのは、そもそも救いの圏外にいたユダヤ人だけでした。だから『ヴェニスの商人』のシャイロックはユダヤ人だし、『守銭奴』のアルパゴンは、利息を取る代わりに、貸した相手に「年金」を払わせていたのです。おそらくそこにはカトリック教徒なのに、そんな抜け道を使う悪どいやつ、という意図がこめられており、だからこそその金が盗まれて気でも狂ったようにアルパゴンが独白する、戯曲を読んだだけではちょっと笑えない場面も、当時の人々は腹を抱えて笑うことができたのだろうと思います。

ところがサキは、「ラプロシュカ」=ユダヤ人=金に執着する、というステレオタイプを利用しながら、その一方で「愛すべき人物」という不思議な陰影を彼に与えます。彼の悪口がどんなものなのか、この短編のなかではあきらかにされていませんが、おそらく、聞いていてちっともいやな気にならないものだったのだろう。たとえばそれはメリル・ストリープを「ニワトリ」と称したカポーティのような、相手を戯画化するようなものだったのかもしれません。
お金に目がない、という多少変わった趣味があるにせよ、平凡な愛すべき人物だったからこそ、最後の場面はサキの作品の幕切れにはめずらしい、暖かい余韻となっていくのではないかと。

ほかのふたつもなかなかおもしろいのではないかと思うのですが、いかがでしたでしょうか。あと、今回ちょっとふれた「お金」にまつわることは、また機会をあらためて取り上げてみたいと思っています。

さて、もうすっかり松の内も開けて、いまさらという感はあるのですが、一応2008年初の更新でもあるので、年頭の挨拶というのをやっておきましょう。

谷川俊太郎の詩に「年頭の誓い」というものがあります。

 「年頭の誓い」

禁酒禁煙せぬことを誓う
いやな奴には悪口雑言を浴びせ
きれいな女にはふり返ることを誓う
笑うべき時には大口をあけて笑うことを誓う
夕焼はぽかんと眺め
人だかりがあればのぞきこみ
美談は泣きながら疑うことを誓う
天下国家を空論せぬこと
上手な詩を書くこと
アンケートには答えぬことを誓う
二台目のテレビは買わぬと誓う
宇宙船に乗りたがらぬと誓う
誓いを破って悔いぬことを誓う

よってくだんのごとし

よってくだんのごとし、とそのままわたしの誓いにしちゃいましょうか(笑)。
宇宙船には乗りたいですけどね、わたしは。

いまではあまり「年頭の誓い」を立てること自体、やらなくなったような気がします。「一年の計は元旦にあり」なんていう言葉を聞くことも少なくなりました。元日からコンビニをはじめ、開いている店も多いし、TVもがしゃがしゃやかましい。凛と張りつめた空気の中に足を踏み出すような思いをすることもなくなってしまったのかもしれません。

それでもま新しいカレンダーや、真っ白な予定表は、いくつになってもわたしたちの胸をふくらませるものがあります。
それに何を書きこんでいくのかを決めるのは、やはりわたしたち自身だろうし、やったこと、なしたことを書きこめるのも、わたしたちだけでしょう。
放っておけばただ流れ去るだけの日々に、そうやって自分の手で刻み目をつけていこうと思います。

2004年の11月に開設した ghostbuster's book web.も、いよいよ四度目の新年を迎えることができました。読むために考える、そうして考えるためにまた読む。今年もまたそうしながら、歩くスピードで、ゆっくりとやっていきたいと思います。

今年も、よろしく。また一緒に読んでいきましょう。

いよいよ寒さも本格的になってきました。どうかみなさまお元気でおすごしください。
ということで、それじゃ、また。

Jan. 13 2008



Last Update 12.28

「望遠鏡的博愛」をアップしました。

記事のメインはポール・セローのThe Rock Star's Burden の翻訳が中心ですので、「翻訳」に分類すべきだったのかもしれませんが、これを「鑑賞」するのではなく、「文章をもとに考えてみよう」ということで、「この話したっけ」の方に分類しました。まあ、この分類自体がかぎりなくあやふやなものなんですが。

ポール・セローは、わたしが十代の頃から親しんできた作家のひとりです。『モスキート・コースト』や『わが家の武器庫』『Oゾーン』などの小説だけでなく『中国鉄道大旅行』『ポール・セローの大地中海旅行』"The Happy Isles of Oceania" などの旅行記も愛読してきました。

セローの魅力というのは、とくにこれは旅行記などで強く感じるのですが、何か見慣れないもの、よくわからないものを前にしたとき、拒絶したり、自分がすでに持っている尺度を当てはめて強引に理解したりしようとするのではなく、フットワークも軽く、そのなかへ入っていく。そうしてもっとよく見て、よく知ろうとする。あくまでも部外者であるという自分の立場をわきまえたままで。

『中国鉄道大旅行』にはこんな場面があります。旅行中、出会った中国人教師と話しているうちに、夜学の話が出る。「中国人は最近教育に熱心になった」という彼の話を自分の目で確かめるために、夜学の英語教師を引き受けるのです。

 おびただしい数の生徒が幽霊屋敷のような建物の薄暗がりでこつこつと勉強している光景は、呆然となるほど気の滅入る眺めだった。照明はお粗末、チョークは黒板にキーキー音を立て、教科書は汚れてすりきれ、辞書はボロボロ。生徒の最年少は八歳、最年長は七十四歳で、全員昼間は働いていた。…

 臨時講師としての穴埋めの期間が終わったとき、私は別れの挨拶をした。
「世間の人たちは、夜学で勉強することは素晴らしいと言うでしょう。でも、そう言っている当人は、一日の仕事が終わったあと家に帰って、ごはんを食べて、うたた寝したり、ラジオを聞いたりしているんです。みなさんは、世の中の人がめったにやらないつらいことをやっているわけです…(略)…

「ときには気力を失って、どうして夜学で勉強するのがこんなにつらいのかと思うこともあるかもしれません。でも、そうなんです。誰だってこんなことはつらいんです。勇気がなければできないことなんです。みなさんは偉いと思う。みなさんも自分は偉いと思っていいんです。根性がなければ、ここにはいないでしょう。みなさんの幸運を祈ります」

 生徒たちは温かい拍手を送ってくれた。そして、もう時間が過ぎていたので、早く門を閉めたがっている管理人に、夜の街へ追い出された。こう書いていくと、この夜学の生徒たちが、昼間の明るい光のなかでその価値を認められたいと願っている幽霊のように目立たない地味な人たちで、少しくらい邪気があったり悪さをするほうが面白いのに、と思うかもしれない。でも、彼らは立派だ。彼らは中国の大群衆をかきわけて苦労しながら自分の道を進もうとできるだけのことをやっているのだ、と言う以外に何が言えようか? 作家にとって、高潔な人々を面白く書くのは、常にむずかしいものである。

(『中国鉄道大旅行』中野恵津子訳 文藝春秋)

そうして、つぎの章の冒頭は「しかし、それが真実なら……不徳な人間を印象的に、ときには魅力的に書くのすら、けっこうやさしいということもまた真実である」と続いて、同じコンパートメントに乗り合わせた若いカップルと老婆の話が続いていく。さまざまなことをおもしろがりながらよく見、よく聞き、ときに皮肉で、それでいて虐げられている人に向ける目は暖かい。ああ、セローだなあと思います。

そのセローが批判するのはボノです。ボノというか、U2に関しては、「あのときわたしが聞いた歌」とか「音楽堂」とかでもいくつか書いているのですが、十代後半から二十代のはじめにかけて、音楽といえばU2で、楽器といえばエッジのカッティング・ギターで、歌といえばボノだった。のめりこむように聴いたアルバムもあれば、どうしても中まで入っていけないアルバムもあったけれど、やはりU2はわたしの一部となっています。

ただ、ボノのチャリティ活動については、漠然と、この人は自分がやっていることをどこまで信じているのだろうか、と思っていました。なんというか、こういうたぐいの活動をやっている人を端で見ていると、言葉は悪いのだけれど、どこか“いい気なもんだ”という印象をどうしても受けてしまうのです。なによりも、その人がその活動をしている自分に満足しているようすが、どうしても見え隠れしてしまうように思えてならない。ところがボノからは“いい気なもんだ”という印象よりも、むしろ苛立っているような、「焼けたトタン屋根の上の猫」のように、何かに炙られたように次へ、次へと活動の手を広げていく印象を持っていました。自分のやっていることを信じていない、というか、やっている自分を信じていない。だから、ボノの声はあれほどまでに大きいし、政治家にも向かっていくのだろう。もっと大きな声を出せば、出している自分が信じられる、ホワイトハウスを説得できれば、説得している自分が信じられる、とでもいうかのように。何の根拠もなく、わたしはそんなふうに感じていたのです。

そうして、セローの文章を読んで、なんとなくボノが彼自身に対して抱いている(とわたしが感じる)不信の念に納得がいったように思ったのでした。

わたしたちがアフリカの子供たちの写真を見て、募金なり支援物資なりの援助活動をしたい、と思ってしまうのは、いまある自分に後ろめたさを感じてしまうからではないか。自分が日本に生まれ、多少の不満はあっても仕事はあり、生活を続けていくことができる。住む家もある。けれど、この時代の日本に生まれることができたのは、自分が選んだわけではない。自分が何か特別なことをしたからでもない。もしかしたら、自分だってマラウィに、ルワンダに、エチオピアに生まれていたかもしれないのに。あるいは戦争中に生まれて、空襲や栄養失調で死んでいたかもしれないのに。

わたしたちがいま、日本で生きていて、とりあえずの生活ができている、というのは、誰か、あるいは何ものかから贈り物をしてもらったようなものなのではないか。その贈り物をもらったことに対する漠然としたうしろめたさを感じているから、なんとかしてそのお返しをしなければならない、と思ってしまうからではないか。

若いうちに大きな成功を手にした人は、やはりこのうしろめたさもそれだけ強いのかもしれません。自分にはそれだけの才能があったからだ、と開き直れる、ある種の鈍感さを備えた人ならそれにも耐えられるのかもしれませんが、そういう人ばかりではないでしょう。だからこそ、60年代のロック・スターの多くが薬物やアルコールに依存し、身を滅ぼしていったのではないか。そうしてボノのチャリティ活動も、このうしろめたさを何とか相殺しようとしているのではないか。

まったく意味のない想像なのですが。
けれど、このうしろめたさは何かで相殺できるようなものではない。だから、何をしたところでそれはなくならない。小学校のシスターは確か、みなさんが一生懸命に生きることが、何よりの神様へのお返しなのですよ、と、言っていたような記憶があるのですが、いまのわたしはそれをそのまま、ああ、そうですか、と納得はできません。
だから、とりあえずわたしは自分のうしろめたさはしっかり感じていようと思っています。

さて、たぶんこれが2007年最後の更新になると思います。
この一年、"ghostbuster's book web." をご愛顧いただきまして、ほんとうにありがとうございました。

わたしの言葉が、わたしから外へ出たところで、何らかの意味を持っていくのか。送り出した言葉が、読んでいただいた方々のなかに、意味を結んでいくのか。
わたしの試行錯誤は続いていきます。だから、これからも一緒に考えたり、話したりしていきましょう。

また来年もよろしく。
あ、ブログは年内一杯続く予定です。大晦日には恒例の「あれ」もやりますので(笑)、どうかご期待ください。去年はあわや、というところで、gooブログのランキング入りを逃したんですよね。まあそんなのはどうでもいいんですが。

このところちょっと風邪気味なんですが、なんとか無事年を越したいものです。みなさまもどうぞご自愛なさってください。

それではみなさまどうかよいお年をお迎えください。
2008年も当サイトとブログ「陰陽師的日常」をよろしく。
それじゃ、また。

Dec.28 2007



Last Update 12.19

ジョン・スタインベックの短編「菊」をアップしました。

アメリカの小説には、家に縛りつけられている女のもとに流れ者がやってくる、という系譜のものがあります。映画ですっかり有名になった『シェーン』を筆頭に、ジェイムズ・M・ケイン原作の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』も強烈な印象を残しますし、今から十年以上前なんですが、大変に話題になったロバート・ジェイムズ・ウォラーの『マディソン郡の橋』など、いずれも映画化されています。そのほかにも、少女と叔父さんという多少変則的なパターンですが、ボビー・アン・メイソンの『イン・カントリー』、あるいは流れ者というにはずいぶんお上品な音楽家が相手ですが、ケイト・ショパンの『めざめ』、あるいはテネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』なども、その系列に属する作品といえるでしょう。

そうした作品では、狭い世界に閉じこめられた女性の前に、偶然、よそ者である男がやってくる。その男の到来によって、女は変わっていく。それらの作品では、確かに男は女に知らない世界を見せてくれるのだけれど、実は女の側が、すでにその小さな世界に飽き飽きしていたり、物足りなく思っていたりして、変化を無意識のうちに渇望しているという共通点があります。女の側は、すでに変わる準備がすっかり整っている。そうして、男の登場が触媒となり、古い自分を脱ぎ捨て、新しい世界に入っていこうとするのです。

こういうタイプの物語は、シンデレラ・ストーリーとは似て非なるものです。シンデレラは置かれた境遇に文句も言わず、抵抗も改善も望まず、唯々諾々と継母に仕えており、魔法使いが登場するまで、変化など夢見ることすらありませんでした。だからこそ、シンデレラには魔法の助けが必要だったともいえるのですが、「流れ者」に出会う女たちに必要なのは、それまで自分が気づかずにいた望みに、何らかの形が与えられる、ただそれだけです。変身するには、魔法も、ガラスの靴も必要ないのです。

ところが多くの場合、変化を遂げた女たちに、行く場所は与えられていません。『郵便配達……』で首尾良く自由の身になれたコーラを待つのは、皮肉で悲劇的な結末ですし、『めざめ』で、せっかく夫のもとから独立したエドナに対して、ロバートは尻込みをしてしまい、結局エドナは行き場をなくしてしまいます。そうしてこの『菊』でエリーサは、変化を遂げたものの、また花壇の囲いのなかに戻って行かざるを得なくなる。どこにも行けなかったエリーサの今後に思いを馳せずにはいられません。

『マディソン郡の橋』を、一度だけ読んだことがあります。ちょうど英会話教室でバイトしていたころ、二十代に入って間もないころで、別に読みたくも何ともなかったんですが、当時一緒に英書講読をやっていた主婦兼日本語教師の人に、ぜひ読んでみて、と渡されたのでした。自分を理想化した人物をそのまま臆面もなく主人公に据えるような、作者の素人臭さが滑稽で、あっという間に読めるようなスカスカの作品だったから最後まで読み通したものの、ばかばかしい、という気持ちは最後までぬぐえませんでした。

本を返すときに、どうだった、と聞かれて、いやあ、笑っちゃいました、あんまりナルシシズムがひどいんで、と答えたら、その人はひどく傷ついた顔になりました。「わたしは読み終わって三十分ぐらい涙が止まらなかった」と。まるでわたしに平手打ちをくらったようなその人の表情を、いまでもわたしは忘れることができません。

そのときは、あまり本を読んだことのない人なんだろう、と思っただけでした。三十分、泣かなきゃいけないようないい本ならほかにいくらでもあるじゃないか。なんでこんなおじさんの夢物語につきあわなくちゃいけないんだ、もっといい本を読んだ方がいいな、と。

もう十年以上も前のその本を、もういちど読み返したいとは思わないし、基本的な評価が変わったわけではありません。けれど、わたしもその本を貸してくれた人の歳に近づいて、彼女がどんな思いでその本を読んだか、「ここではないどこか」を彼女自身がどんな思いで渇望していたか、そうして、それをあきらめて、深く胸の内に埋めてしまったか、そういうことを作品に重ね合わせたからこそ、読後三十分も泣いたのだろうと想像できるようになった。笑っちゃいました、なんて言ってしまって、悪かったと思います。いまでもひょっとしたら笑っちゃうかもしれないんですが(どうもナルシシズムとわたしは相性が悪いのです)、それでもそういうことを貸してくれた人に言わないくらいの思いやりというか、礼儀は身に付いたのではないかと思います。

『マディソン郡……』が一時のブームののちは、ほとんど読まれなくなっているのに対し、この『菊』は、アメリカの短編小説のアンソロジーにも所収されることも多く、今後もずっと残っていく作品でしょう。「ばねのついた幌馬車」がどんなものかピンと来る人が少なくなっても、自分が変わっていくことを渇望し、「ここではないどこか」を求める人の気持ちは、おそらくはなくならないのだろうと思います。

霧はいつか晴れる。新しい季節には新しい花が咲く。エリーサもつぎはもう少し遠くまで行ける、というのは、あまりに楽天的な見方かもしれませんが、わたしはそんなふうに思います。

十二月が背景なんですが、日本とカリフォルニアでは気候がちがうので、あまりぴったりくる感じではないかもしれません。それでも、深い霧、モノトーン一色の冬の午後が浮かんできたら、これほどうれしいことはありません。

カリフォルニアとくらべればずいぶん寒い日本の冬ですが、クリスマスは寒くなきゃ気分が出ませんよね。きらきら輝くイルミネーションも、冷たい空気の中だからこそきれいなんだと思います。冷たい風が吹きつける夜に、遠くの光がちらちらと瞬く様子は、ことのほか美しいもの。光害とか、エネルギー問題とか、賛否あるライトアップですが、この時期に限っては、場所を限り、逆にライトアップ周辺の照明を落とすなどして、地上の星くずを楽しみたいようにも思います。

さて、気がつけばずいぶん寒くなりました。寒さで風邪は引かないけれど、寒いと免疫力が落ちます。どうぞお風邪など引かれませんよう。

ということで、それじゃまた。

Dec.19 2007








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