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What's new? ver.11(※ここには2008 4.08 - 7.06 までの更新記録が置いてあります) Last Update 7.06 フランク・オコナーの短編「わたしのエディプス・コンプレックス」の翻訳をアップしました。 フランク・オコナーの作品を読んだのは、比較的遅く、丸善のバーゲンで、ペンギンのポケット・ブックを手に入れたのが最初でした。手のひらサイズのうすっぺらい本の裏表紙についた値札を見ると(わたしは値札のシールをはがすのが苦手で、どうも汚くなってしまうので、いつもシールはそのままにしておきます)350円の値段がついています。このとき、たぶん一緒にミュリエル・スパークやイーヴリン・ウォーの短編集も買ったように思うのですが、どれよりも繰りかえし読んだのは「わたしのエディプス・コンプレックス」と、ほかにも短編が三つ入った "The Genius and other stories" でした。コーヒー一杯飲めば飛んでいく350円で、ずいぶん楽しんだのです。 字幕の映画を見ても、外国人と会って話をしても、わたしはどうも英語を日本語で聞いてしまうようで、思い返す人はみんな日本語をしゃべるのです。それに対して読むときは、ふつうに英語で読むのですが、フランク・オコナーの短編は、目で英単語を読みながら、日本語を聞いているような不思議な印象を受けました。ちょうど志賀直哉の短編『真鶴』あたりを読んでいるような。いまより少し古い日本の物語のような。描かれている世界にも登場人物にも、ほんの少しの違和感も覚えなかったせいだったのかもしれません。 オコナーが描くのは、ほんの小さな世界の物語です。小さな世界、かぎられた登場人物が、ときに反発したり、腹を立てたりしながら、何かが起こる。その出来事も、わたしたちの日常に起こるような、ありふれたものです。それを通じて、人びとは互いを気遣い、相手に対する理解や絆は少しだけ深まる。 家族愛ということばがあります。親が子供を慈しみ、子供は親を慕う。けれどもこういうことは、ほんとうはことばなどでなく、行為のうちにそれとなく現れるような性格のものなのではないでしょうか。 以前にブログでもちょっと書いたのですが、ことばにしてしまうと、それを裏切ってしまうような思いがあります。 ペンがここにあれば、「ここにペンがあります」という必要はない。ことばが必要になるのは、「昨日わたしはそこにいなかった」といった種類の言明をおこなうときだけです。いま、ここにないものについてふれなければならないときに、ことばが必要になるのです。日常で「ここにペンがあります」と言うのは、ここにペンがある、と伝えたいときではなく、「それで書きとめておいたら?」ということが言いたいときです。 オコナーの登場人物たちは、そこにある思いを決してことばにすることはありません。けれども、最後に主人公のラリーが、父親に「ぼくの方に腕をまわしていいんだよ」と言うのも、父親が鉄道模型を買ってくれるのも、その「思い」からです。その「思い」を正面切って言わないために、この短編があると言っていい。オコナーは読者が自分でそれを掘り出せるように、物語の底にそっと埋めておいた。正面切って言ってしまうと、ちがうものになってしまうから。だからわたしたちは自分の手でそれを掘り出してやらなければなりません。 そうしてその宝物を掘り出すことができたとき、おそらくそれはわたしたち自身の宝物になっていく。本を読む喜びのひとつはまぎれもなくそれでしょう。
オコナーの短編に描かれた世界は、ドストエフスキーが描いた世界とは異なって、劇的なことはなにひとつ起こらない、わたしたちの日常とほとんど変わらない世界です。それでも、そんなささやかな日常のなかにも、深い感情が到達される瞬間があるのではないか。わたしたちが気がつかないまま、やりすごしてしまう日常のなかにも。オコナーの埋めてくれた宝物を掘り出したわたしたちは、いままで知らなかった日常の感情の深さを知るのではないか、そうして、ここで到達した感情の深さが、わたしたちの水準になっていくのではないか。だからこそ、宝物なのだ、とわたしは思います。 フランク・オコナーはまた翻訳していこうと思っています。楽しみにしていてください。もうひとりのオコナーもそのうち。これは名前が同じだけで、また全然ちがう世界ですが。 それにしても、カレンダーが新しい月になるのを待っているかのように、わたしのいるところはここ数日で急に暑くなりました。東向きのわたしの部屋はラリーと同じで、夜が白み始めると同時に目が覚めます。 日の出と同時に鳥が鳴き始め、ひときわ高く鳴き交わすカラスの声はすっかりなじみになってしまいました。この界隈をねぐらにしている三羽がいるらしく、「かあー、かあー」とひらがなで鳴くカラス、少しくぐもった「クァー、クァー」という声を出すカラス、それから「ゴルァー、ゴルァー」とまるで2chねらーのように(笑)鳴くカラス。毎朝決まってこの三種類の声が聞こえてきます。先日は、屋上にその三羽が並んで留まっているのを見かけました。もうちょっとしたら見分けがつくようになるでしょうか。 日が昇って二時間もすると、朝からもういきなり暑いこと。これから二ヶ月ほど、厳しい季節になりそうです。みなさまもどうかお元気でお過ごしください。 ということで、それじゃまた。 July 06 2008 Last Update 6.26 「「がんばれ」の代わりに」をアップしました。 以前、「坐ったままでどうぞ」を書いたとき、『しぐさの日本文化』をずいぶんひさしぶりに読み返してみて、なんとおもしろいのだろうと思いました。おそらく中学や高校で読んだころは、自分の身振りやしぐさにこんな意味があるのか、こんなふうにものごとを考えることができるのか、というところに感心するばかりで、一歩踏み込んだ考察の方までは、ほとんど理解していなかったのだと思います。 それからずいぶんさまざまな本を読んだのちにこの本に戻って、四角張らない語り口の奥に、そのころには気がつくはずもなかった深い考察がなされている箇所が、やっと理解できるようになりました。そうして思うのは、この本が書かれて三十五年後のいま、わたしたちのしぐさや身振りはどうなっているのだろう、ということでした。 アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールは『沈黙のことば』のなかでこのように書いています。
「異質な文化」は外国の文化ばかりではありません。三十五年前の本に描かれた身振りやしぐさを通して見えてくる文化は、いまから見れば、すでに「異文化」です。三十五年前には「乱用」されていたことばが、いまはむしろ「取り扱い注意」を要求されることばになっていたり、当時すでに肩身が狭かった「しゃがむ」姿勢は、現在では就学前に親が教えなければならなくなっていたり。 気にとめずにすまそうと思えば、「だれもがそうしている」こと、あるいは個人の癖や性格として流してしまうようなことだけれど、ほんとうにそうなのだろうか。わたしたちの身振りやしぐさ、使っていることばは、国や時代、地域によって異なる文化を反映したものではないのか。比較することによって、目に見えない「いま」が見えてくるのではないか。 ずいぶんおおげさなことを書きました。おそらくそういうことは多田氏の本にこそふさわしいことばで、わたしのささやかな「知見」では、あまりに無謀な野心なのかもしれません。それでもコバンザメのようにそれにくっついて、それから三十五年たって、わたしたちの周りはどうなったか、を考えてみたいと思っています。ホールのいうように、「生に対する関心は、異質なものに触れて、自分のものといかに対照的に異なっているかを痛感したときに、はじめてわれわれを捉えるものなのである」であるとしたら、少なくとも「別に、ふつうにやってるんだから、そんなこと気にする方がおかしいよ」というとらえかたよりおもしろいんじゃないかと思います。 ここでは「がんばれ」ということばをとりあげてみました。いつのまにかわたしたちの身の回りから姿を消しつつあることば、まだ「がんばれ」と言う人はいるけれど、自分自身、使うこともあるけれど、以前のように無意識には使えなくなってしまったことばです。どうして使わなくなったのか。社会のありようが変わったのか、わたしたちのものの見方が変わったのか。わたしにはその「答え」は出せません。けれど、『しぐさの日本文化』のなかにはちゃんと書いてあります。
「がんばれ」がどうして使われなくなったのか、というのは、少なくともおもしろい問いかけではないかと思っています。 さて、月曜日の夜のことです。いつものようにノートパソコンで文章を作っていて、保存しようとして砂時計が現れたかと思ったら、うんともすんとも言わなくなって、つぎに画面いっぱいに怪しい英文が現れました。ハードディスクがつぶれたんです。HDDがつぶれたのは三度目で、もう以前のように泡を食うこともなくなりましたが、それにしてもバックアップを取っていない文章がいくつかあったので、それには参りました。 ただ、そのときに書いていた文章は、電子の海の藻屑と消えたんですが、書き直しているうちに、前のときには十分考えきれてなかった箇所にいくつか気がつくことができました。その意味ではいい経験だったと思っています。 それでも、パソコンが使えなくなってしまったときの独特な「感じ」については、また改めて考えてみたいと思います。わたしの周囲にも携帯のヘビーユーザーがいるのですが、そういう人は携帯を忘れたことに気づいたら、半ばパニックになっています。肌身離さず、数分ごとに開く携帯が手元にないとなると、あそこまで不安になるものなのだろうか。わたしたちと、携帯やパソコンというのは、いったいどういう関係にあるんだろうか。あきらかにただの「物」ではない。「物」でないとしたら、何なのか。 例年にくらべると今年は雨が多いのでしょうか。蒸し暑いことは蒸し暑いのだけれど、まだ気温はそこまで高くないぶん、過ごしやすいかと思います。本格的に暑くなる前の時期、どうか少しでも快適にお過ごしでおられますように。 ということで、それじゃ、また。 June 26 2008 Last Update 6.9 「転がる石としてのあたしらの人生」をアップしました。 その昔、高校時代の国語の先生が、自慢話と人生訓の随筆というのは最低だ、と言っていたのを覚えています。自慢話にせよ、人生訓にせよ、そうしたのが正しいなどと、いったい誰に言えるのか。言えるとしたら、死んだ人間が自分の来し方を振り返って、初めて言えることだろう。死んですぐだってわからない。死後評価が上がったり下がったりする例なんていくらでもあるのだから。結局、それが正しいかどうかもわからないのに、自慢したり、生き方を正しいの、まちがっているの決めつけたりするなんて、とんでもない話だ、というわけです。そうして何人かの名前があがって、素直なわたしはそういう人の随筆だけは読むまいと固く心に決めたのでした。たとえば、亀井勝一郎とかね(笑)。読んだことないから、その評価が正しいかまちがってるかもわからないんですが。 それからしばらくたってから、ある作家のエッセイを読む機会がありました。本ではなかったと思うのですが、いったいどこで読んだかも定かではありません。確か「愛は時を食う」みたいなタイトルで、若い頃、ずっと恋人がいなくて、特に愛しているという意識もなく、偶然一緒に暮らすようになった女の子と結婚してしまった、そうして愛というものがよくわからないままに年数を重ねて、中年になってから、もしかしたらこれが愛かもしれない、という思いをときおり抱くようになった、愛というのは完成までに時間がかかるものなのだ、みたいな内容だったのです。わたしがそれをよく覚えているのは、ちょうどその時期、その作家の結婚生活が破綻していて、電車にさがっている週刊誌の広告には、毎週のようにさまざまな暴露記事が書かれていたからでした。 エッセイそのものは、落ち着いたいい文章で、自慢話でもなければ説教でもない、確かに愛というのは育っていくのに時間がかかるのだろう、と自然に思えるようなものだったのです。一方で、ほんとうだかどうだかわかりませんが、吊り広告には暴力がふるわれたようなことが書いてある。この文章を書いた頃は、そんなふうではなかったのだろうか、それともそういうことをしながら、この人はこんな文章を書いていたのだろうか、と、何とも言えない気持ちになったものでした。 人間は人間からもっとも遠い状態で生まれてきて、時間をかけながら人間になっていく、そうして、人間が最後に身につけるのが愛なのだろう、という内容(記憶だけで書いているので、もしかしたら捏造しているかもしれません)は、おそらくその作家の実感であるように思えました。だからこそ、自慢するでもなく、説教するでもなく、そういうエッセイを書くことができたのでしょう。けれど、時間が経過して、その内容に反するような出来事が起こってしまう。それを読むわたしたちは、もはやその出来事を忘れてエッセイを読むことはできなくなってしまう。書くということ、そして、書いたものが残っていくということは、怖いものだな、と思った出来事でもありました。 それからまた時が過ぎて、いまのわたしは、それでも「自慢」と「人生訓」はできるだけ避けようとしているのですが、反面、「良い−悪い」の判断を避けては通れないことに気がついてもいます。さきほどの作家のエッセイにしても、若い時期にくらべて、それを書いた時期の自分の方が「良」くなってきている、だから、愛を理解できるようになってきた、という判断が底にはあります。「愛」は良いもの、時を重ね、経験を積むことは良いこと、そういう価値判断がなされている。だから、それに反する「悪い」出来事が起こったときにギャップが生まれてしまうのです。 わたしたちは「出来事」が起こるたびに、かならず「良い−悪い」の判断を下してしまう。けれど、その根拠は一体何なのか。その判断を下している自分はどうしてそう考えているのか。自慢や説教がいやらしいのは、自分自身を省みることもなく、自分の考え方やありようを無条件に肯定し、そうして自分の狭い見方のまま、他人やさまざまな出来事を一面的に判断しているからではないのか。 自分は自分の狭い見方しかできないし、理解していることもごくわずかでしかない。自分を取り巻く状況は変わっていくし、きっと考え方だって変わっていくだろう。そんなふうに、「転がる石」のような自分を基本に置いておけば、「良い−悪い」という基準で何ごとかを書いても大丈夫じゃないんだろうか、と思っています。その結果、何年かして「あのときあんな偉そうなことを書いていたのに」というような状態になるかもしれないんですが、まあそれはそのときのこと。先のことはわからないんですから、わからないことを心配してもしょうがない。 そんなふうにちょっと開き直ったところで、どういうわけか最近よく目にしたり耳にしたりする「他人は変えられない、だから自分が変わるのだ」という言葉、これはほんとにそうなんだろうか。そうして、自分が変わるってどういうことなんだろう。最近気になる言葉のことについて、あれやこれや書いてみました。微妙に「人生訓」のニオイがして、やっぱり気は引けるのですが。 今日、雷が遠くで鳴っているなかを、雨雲に追いかけられるように自転車に乗って図書館から帰ってきたのですが、もうここまできたら大丈夫だろうとうっかりスーパーに寄ったのがまずかった。店を出る頃には土砂降りになっていました。 こういう雨のときは、雨宿りしていればいいんだろうな、とは思ったのですが、それほど距離もないので、えいやっと雨の中を帰ってきました。あっというまにずぶぬれになったのだけれど、久しぶりに雨に打たれてみれば、どうということもない。そこからどこかへ行くのであれば大変ですが、家へ帰って着替えればいいだけの話です。少し埃くさい雨の匂いと、体に当たる雨粒の感覚は、なんだか懐かしいものでした。 このところの雨は肌寒いような雨が多かったのですが、今日は暑かったですね。いよいよ梅雨らしい日々もつづいていくのかもしれませんね。 どうかみなさま、お元気でお過ごしください。 June 9 2008 Last Update 6.6 「サキ・コレクション vol.4 ―闘争と人間と」をアップしました。 冒頭の「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」は、ここで訳したサキの作品を読んでくださった方から、ご紹介いただいたものです。これまで読んだことがなかったものだったのですが、とてもおもしろかったので、ちゃんと訳してみたくなりました。 サキの登場人物は、もっぱら数種類のタイプに限られます。「開いた窓」や「マルメロの木」のヴェラ、「話し上手」の独り者の男、「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」のレディ・カーロッタのような作り話の名人たち。彼らはストーリー・テラーであるサキの延長上にある人びとです。それから、子供と動物。彼らは大人たちの思惑とは無関係に生きていて、作者は過度の感情移入を避けて、べたつかない愛情を感じているように思います。そしてまた「開いた窓」の神経質なフラムトン・ナトルや「ハツカネズミ」の自意識過剰なセオドリック・ヴォラー、「ラプロシュカの魂」のラプロシュカのように、明らかな欠点を抱えた人物たち。彼らに注がれるサキの目は、おもしろがりながらも温かいものです。 サキが許さないのは、欺瞞的な人びとです。「スレドニ・ヴァシター」のデ・ロップ夫人は、コンラディンを憎んでいるくせに、決してそれを認めようとせず、自分自身にさえも「すべてあの子のため」と偽っている。その結果デ・ロップ夫人は、サキのユーモラスな短編のなかでは異色の結末を迎えます。今回のシリーズでも、「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」でレディ・カーロッタにひどい目に遭わされるミセス・クォーバールにしても、「平和的なおもちゃ」のボウプ姉弟にしても、「ビザンチン風オムレツ」のソフィー・チャトル=モンクハイムにしても、多少のちがいはあってもみんな大なり小なりの欺瞞を抱えて生きています。彼らはみんな上層中流階級、それだけではなく、サマセット・モームが「奥地駐在所」で描いた「スノッブ」でもあるのです。 作り話の名人たちが、まわりを煙に巻くために(あるいは単に自分がおもしろがるために)作り話をするのに対し、スノッブたちは、自分を実際以上の存在に、偉く賢く立派に見せようと苦心します。お金こそは潤沢にあるものの、独自の世界を築くことはできないから、既存のモデルにへばりつき、そのまねをしている。世俗的には一定の地位がありますから、望めば自分たちより上の階級の人びととつきあうこともできるし、使用人を使うこともできる。たえず上をうかがいながら、下にはいばりかえって、いつも自分の位置を確かめることに汲々としています。 ミセス・クォーバールは家庭教師を使う「女主人」を気取り、ボウプ姉弟は「平和主義者」を気取り、ソフィー・チャトル=モンクハイムは「社会改良家」を気取る。彼らはそういう存在をほんとうには尊敬してもいないのに(尊敬していれば、少なくともそうなろうと努めるでしょう)、そのふりだけをするのです。ふりをしたところで、周囲からはわかってしまうのですから、彼らがだますことに成功しているのは、自分だけでしょう。作り話の名人の作り話とちがうのは、彼らがまず自分をだましている、という点なのかもしれません。 サキの登場人物たちは、肯定的に描かれている人物にせよ、いわゆる「世の中のためになるようなこと」は決してしませんから、わたしも最初の頃は気がつかなかったんですが、サキという人は、そういう意味ではきわめて厳しいモラルを持っていた人と言えそうです。おそらくモデルになるような人物(わたしは「ビザンチン風オムレツ」のソフィーは、本文の付記にも書いたのですが、バーナード・ショーを当てこすっているのだと思っています)が身近にいたのでしょうが、同時に、それが理解できるということは、サキの内部にもそうした部分があったのだろうと思うのです。作り話の名人も、自意識過剰な気の弱い青年も、動物や子供も、サキの分身だとしたら、おそらくスノッブたちも、ある意味で、サキの分身だったのでしょう。だからこそ、そういう自分の悪しき側面にことさら厳しく向かったのかもしれません。 いつもユーモアと皮肉にくるんで、欺瞞的なスノッブたちをからかうことを通じてしか、サキは自分の本心を見せてくれません。人前で「善いこと・正しいこと」を正面切って主張することすら、自らに許していない。けれどもサキより33年後に植民地で生まれ、同じようにビルマ警察で勤務したジョージ・オーウェルとは、意外なほど近いところにいたのではないか。このVol.4を訳しながら、わたしはそんなことを考えていました。 ギリシャ時代の哲学者ヘラクレイトスは「戦いは万物の父であり、万物の王である」と言いました。大昔から、人びとは自分が、あるいは自分の属する集団が生き延びるために戦い続けてきたのでしょう。やがて人びとが自分たちの「物語」を語り伝えるようになって最初に伝えたのは、その戦いの記憶だったはずです。だからこそ、平和的なおもちゃ」にも出てくるように、人間の歴史は戦争の歴史、戦いの歴史でもあった。戦いを記したものには、凝縮されたドラマがあります。それはこのサキの短編のようにごくささやかな世界を扱ったものでも、やはり見て取れるでしょう。 上でも書いたように、サキの登場人物はヴァリエーションが限られていますから、まとめて読むと、ちょっと飽きちゃう。ほら吹きたちも鼻についてくるんです。だからこんなふうに、少しずつ、楽しんでもらえたら、と思います。 数年前に、ベランダのブルーベリーの鉢植えから、見慣れない芽が伸び始め、どんどん成長していきました。あんまり元気がいいから、別の植木鉢に植え替えてやったら、あっという間に繁ってきたんです。二年目ぐらいから花を咲かせるようになり、図鑑で見てアベリアだろうと目星をつけていました。でも、花の感じや葉っぱもちがうし、まだまだ大きくなるんです。もういちど図鑑で調べて、きっとこれは街路樹なんかでよく見かける「ネズミモチ」だろうと結論を出しました。だけど、なにしろ木ですから、植木鉢におさまるサイズじゃないはずです。いままで植木鉢を大きくしたら、ずんずん巨木化して苦労する、という体験を何度もしてきましたから、小さい植木鉢のままなんですが、にもかかわらず、いまでは1メートルくらいになっています。ちょうどいま、きれいな白い小さな花を咲かせているのですが、なにしろ植木鉢が小さいから、すぐ倒れる。植え替えてやらなきゃいけないかなあ、なんて思っています。どうもわたしは植木屋になったほうがいいのかもしれません。 なんだかはっきりしないお天気の日が続きます。暑すぎないぶん、いいとも言えるのですが。どうかみなさま、お元気でお過ごしください。 それじゃ、また。 June 6 2008 Last Update 5.24 「文豪に聞いてみよう」に「啄木と言葉のふるさと」をアップしました。 その昔、「木綿のハンカチーフ」という歌を聞いて、おもしろい歌だなあと思った記憶があります。男性の方は郷里を離れ、「都会」に出ていく。一方、郷里へ残った女性は、いつか帰ってきてほしい、と願っているわけですが、男性は都会での生活が楽しくて帰る気などなくなってしまう。タイトルは、別れを決意した女性が、涙をふくハンカチを送ってほしい、というところから来たものでした。 気がつけば、いつからかわたしたちはこういうときに「都会」ということを言わなくなったような気がします。その対義語である「田舎」が、一種の差別語として、公式の場で使われなくなったこととも関係があるのでしょうが、「都市部」という言葉を使うことがあっても、あこがれであれ、反発であれ、何らかの感情と無縁ではありえない「都会」という言葉を、耳にすることがなくなって久しいように思います。 遠距離恋愛は今も昔も変わらずにあるでしょうが、たとえ片方が郷里から離れて東京へいったとしても「都会の色には染まらないで」と言う人はいないでしょう。それもそのはず、都内と地方の風景は、きょうび、どれほどもちがわない。もちろんビジネス街や駅、繁華街の様子はちがうかもしれないけれど、たとえば郊外のショッピングモールや、コンビニエンスストア、住宅街や集合住宅の写真を見てみれば、それがいったいどこの光景か、見当をつけるのは、ほとんど不可能ではないかと思います。人の服装や髪型などで地方か都心部かを見分けることも、農作業などしている人を除けば、むずかしいかもしれません。
この文章は「木綿のハンカチーフ」が流れていた1970年代のものではありません。寺田寅彦がこれを書いたのは、驚くなかれ、昭和七年のことでした。おそらく明治時代からこちら、交通は発達に発達を重ね、「都会と田舎の距離は次第に短縮」を続けてきたのでしょう。この距離は、物理的な距離だけではありません。情報網の発達の結果、どこにいようと情報は即時に入手できるようになりました。「木綿のハンカチーフ」のふたりは、どんなにがんばっても数日間のインターバルがあいてしまう手紙と、電話代を気にしながらの長距離電話で気持ちのやりとりをするしかなかったのでしょうが、いまならメールを日に何度でもやりとりすることができます。その結果、都会に対するあこがれも恐れもなくなって、いまはそれがどこであっても、ただの「遠距離恋愛」ということになってしまったのでしょう。 そうした「都会/郷里(田舎)」という二項対立を持たなくなってしまったわたしたちは、啄木をどんなふうに読むのだろう、という疑問がありました。たとえば「木綿のハンカチーフ」に出てくる男性は、帰る気になれない、帰れないという。けれどその彼でさえ、どうかした拍子に
という思いにとらわれる瞬間があろうことは、想像に難くありません。
ここでの「渋民村」は固有名詞ではなく、だれもが育った場所を表す普通名詞なのではないでしょうか。だれにも、たとえ都内で育ったとしても、「山」の代わりに公園とか、ときには商店街かもしれないけれど、そういう場所はあるはずです。ふるさとは「山」や「川」にあるのではないだろうと思うのです。 わたしのいる集合住宅は、四半世紀を超えています。建った当初から住んでいる人もいれば、つい最近入ってきた人もいる。その結果、お盆の時期は、ここに帰省してくる人と、ここから帰省に向かう人の両方がいるのです。ある人はここから「ふるさと」に帰り、またある人は「ふるさと」であるここに戻ってくる。山も川もなくても、ここがふるさとの人がいる。そんなとき、わたしは改めて、自分がいま住んでいるところと、自分が後にしてきた家を重ね合わせて見てしまいます。 啄木の詩は、わたしたちがふだん考えることもない、体に刻まれた遠い日の記憶にわたしたちを引き入れていくものではないのか。わたしはそんなふうに感じるのです。 啄木の歌を手がかりに、わたしたちの「言葉のふるさと」を考えてみたいと思いました。啄木論でもなければガイドでもない、こんな文章に何の意味があるのかよくわからないのですが、それでも、『一握の砂』だけでも読んでみようと思っていただけたら、何にもまさる喜びです。湯川博士が「砂」に「自然科学の真理」を感じたように、あなただけの「何か」がきっと見つかると思います。 さて、日が徐々に長くなってきて、起きても真っ暗でない季節になって、なんだかそれだけでうれしいものです。どうも朝早く起きるというと、たまに感心されることもあるのですが、ちっとも立派ではないわたしは、そんなふうに言われると困ってしまいます。早く起きるのは単にわたしの癖でしかないのだから。別に早起きは徳でもなんでもありません。 「けちん坊は朝早く起き、泥棒は前日の晩に起きる」(G.K.チェスタトン『棒大なる針小』)のだそうです(笑)。朝早く起きても、電灯をつけていたら、けちにもなんにもならないような気もするのですが、この季節、ベランダに出て、外の空気を吸うのはとても気持ちのいいもの。確かにそれだけで得をしたような気がします。今朝は雨がふっていたのですが、雨の匂いに混じって、かすかに若葉の匂いも感じられました。 どうかみなさまも気持ちのいい初夏の日々を楽しんでいらっしゃいますよう。 May 24 2008 Last Update 5.15 ジョイス・キャロル・オーツの短編「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」の翻訳をアップしました。 ジョイス・キャロル・オーツというと、現代のアメリカの作家のなかでも、飛び抜けて「多作な作家」であるといえるでしょう。ところが日本では、ここ数年やっと『ブラック・ウォーター』や『ブロンド――マリリン・モンローの生涯』、あるいはヤング・アダルト向けの『アグリーガール』の翻訳が出版されるようになりましたが、どういうわけか以前はほとんど翻訳されてきませんでした。わたしも名前はあちこちで見かけるのですがアンソロジーのなかに収められている短編をひとつかふたつ読んだだけ、まとまった作品というと、『贅沢な人びと』一冊しか読んだことはありませんでした。おまけにこの作品も、高校生だったわたしには、極力感情を排した一人称の語り手のゆがんだ感じ、熱い冷たさといったらいいのか、冷たい熱さといったらいいのか、矛盾した、ゆがんだ鏡に映した世界もまたゆがんでみえるような奇妙な感覚は理解できたものの、どう読んだものか、最後までピンと来なかったのでした。 そのうちペーパーバックを読むようになって、おそらく何かのアンソロジーだったと思うのですが、この作品にふれました。ぎょっとしました。のちに読んだレイモンド・カーヴァーのいくつかの作品にも共通する、直接に暴力を描かないにもかかわらず、あるいは、それだからこその暴力性に驚いたのでした。 とりあえず治安のいいと言われる日本に住んでいるわたしたちは、暴力というのは異常な事態だと思っています。だからこそ、何か事件が起こればそこに理由を求めずにはいられません。異常で理解しがたい出来事を、原因と結果の文脈に置き、さらには自分をそこから切り離そうとする。動機は「痴情のもつれ」だった、犯人は生育期の家庭環境に問題があって、情緒的な発達に問題があった、被害者が殺されたのは、そんな時間にそんなところを歩いていたからだ……。あたかもそういう異常事態を起こすような人間を切り離しておきさえすれば、そしてまた、日々、注意して生活していれば、暴力とは無縁でいられるかのように。選択さえ誤らなければ、「暴力」という「あたりくじ」(はずれ?)を引かずにすむかのように。 けれど、「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」でコニーが選ばれたのは、いったいなぜなのでしょう。夜、ドライブイン・レストランに行ったから? かわいい女の子だったから? おそらく、そうではないのだろうと思うのです。暴力は、つねにわたしたちの内にある。他者に対して力をふるうことが暴力であるとしたら、こちらへ向かって歩いてくる人に対して「あっちへ行ってよ」と厳しい声を出して追いやることすらも暴力でしょう。殴りつけて言うことを聞かせる代わりに、厳しい声を出す、という、より穏やかな暴力を選択しているに過ぎません。おそらくわたしたちの他者に関わる、つまりはあらゆる行動は、暴力と暴力の選択と言えるのだと思うのです。 「事件」というかたちを取った暴力を、自分から切り離すということは、わたしたちの内にある暴力をブラックボックスのなかに入れてしまうことです。そうするうちに自分の行為の暴力性にどんどん無自覚になっていくのではないか。「暴力」を意識するのは、自分の身に被害が及ぶときだけ、自分の行為の暴力性にはいっさい気がつかない……。現実に、わたしたちはそういうことをやっているのではないか。 そうではなくて、暴力に対する感受性を鋭くしていくべきなのではないか、と思うのです。そうすることで、初めて、自分の内にある、日常の暴力性にも、意識が向かうのではないかと思います。 映画を観ていて、主人公が敵を殴り倒しても、あるいは射殺したとしても、わたしたちはそれを「暴力」とは思いません。それは、わたしたちが主人公の側に身を置いて、描かれる世界を見ているからでしょう。あるいは、ちょっと昔の映画によく出てくるのですが、男と女がいて、男が女を抱きしめてキスをする。最初、いやがって抵抗しているのに、いつのまにか女は自分から男にすがりついていく。これを奇妙に思わないのは、わたしたちがあくまでも男視点からこの情景を見ているからでしょう。 このように、どこから見るか、誰の目を通してみるかによって、ものごとはまったくちがったものになっていきます。オーツのこの作品は、犯罪者を断罪する正義の味方の視点ではなく、暴力をふるう側の男の視点でもなく、偶然に生け贄に選ばれてしまった少女の視点から描かれます。最後の場面で彼女の見る世界は光にあふれています。死の側に立って生を見れば、世界はそんなふうに見えるのかもしれません。 もう一点、わたしが考えるのは、アーノルド・フレンドはどこから来たのだろう、ということです。彼の姿かたちが(単にブーツだけが合っていないのではなく)すべて借り物であることが暗示されているのと同じく、彼の言葉も借り物です。誰かのしゃべっている言葉の寄せ集めです。彼は、そうした言葉の世界の向こうから来た存在なのでしょう。 もちろんあらゆる「他者」は、言葉の向こうからやってきます。わたしたちはそれに言葉というフィルターをかけ、カテゴライズし、それに見合った構えをわたしたちの身は取っていく。実はわたしたちの誰もが、借り物の格好をし、借り物の言葉を寄せ集めてしゃべっていることを考えると、アーノルド・フレンドが奇妙に思えたのは、実はコニーの側の、言葉のフィルターが機能不全を起こし、コニーとずれを生じていたのかもしれません。 わたしが訳で一番迷ったのは、"hollow" をどう訳すか、でした。アーノルド・フレンドに、いい子だから出ておいで、と呼びかけられて 彼女はずっと "hollow" なんです。それまで、そこに恐怖だけが詰まっていた。けれどもいまは「空虚」が詰まっている。"hollow" という名詞は「穴、(木などの)うろ」、つまり固体の内部の中空になっている場所を指します。"She was hollow" というのは、ずっと "hollow" だったということではないのか。つまり、わたしたちはだれもが「わたしはわたしだ」と思っているけれど、「わたしは」という主語を受ける「わたしだ」という述語は、いったい何を指しているのか。それに当てはまる何ものも、ないのではないか。もちろんそこに職業的な肩書きであったり、誰かの子供、親、係累という関係を指す言葉を当てはめることはできます。けれど、そうした関係にしても、かりそめのものに過ぎない。わたしたち自身が "hollow" なんだ、と。ふだん多くの人が忘れているそのことを、そのときのコニーは気づいた。 コニーはずっと自意識の過剰な女の子でした。「わたしはわたしだ」という強烈な意識を常に抱いていた。さまざまな言葉によって自分の意識を固めていた、といっていいかもしれません。ところが、彼女の言葉を揺るがせるようなアーノルド・フレンドが現れる。そこで初めて、コニーは自分自身が空虚であったことに気がつく。自分の意識が言葉でしかなかったことに気がつく。その空虚さをどうするのか。コニーはその外に出ようとしたのかもしれません。言葉の外の世界に、沈黙の、自然の。 それだけあれやこれや考えて、結局「コニーのからっぽの体には、それまで恐怖だけがつまっていたのだが、いまはまったくのからっぽになってしまっていた。」という訳になったのは、ナントモハヤ……という感じなんですが。 この作品は、翻訳を始めたときからいつか訳してみようと思っていたもので、今回、なんとか形にすることができて、とてもうれしく感じています。まだあっちこっちおかしなところはあると思うのですが、そのうちちょこちょこ直していこうと思っています。 連休のあけ頃はいやに暑くなったと思っていたら、ここ数日、妙に気温が低くて、衣替えをすませてしまったわたしはあわててパーカーやらトレーナーやらを引っ張りだしていたのでした。「平均気温」という言葉がありますが、均してしまえば「平年並み」ということになったとしても、暑くなったり、寒くなったり、暦とは無関係に気温は変動していくものですね。 それでも季節という単位でみればゆっくりと夏に向かっていく。街路樹のハナミズキもいつのまにか青葉にすっぽりと覆われています。この季節の木立を見るのはほんとうにいいものですね。
どうかみなさまも気持ちのいい日々を過ごしていらっしゃいますように。 May 16 2008 Last Update 4.30 「陰陽師的音楽堂」に「日付のある歌詞カード 〜Porcupine Tree」を、「この話したっけ」に「ネット時代のお作法・不作法」をアップしました。 先頃、わたしも使わせてもらっているgooのブログの登録者が100万人を突破したそうです。gooの場合、毎日のアクティブユーザー数は29,000前後のようですが、ほかにもブログサービスをやっているところはたくさんありますし、http://www.blogfan.org/を見てみると、上位七社のアクティブユーザー数を合計すると、毎日45万近くのブログが更新されていることになります。 50万人近くの人が何らかの文章を書いてそれを公開している、というのもすごいことです。実感として思うのですが、書くことなんてすぐになくなってしまいますし、何かを書こうと思えば、そのためには何冊も本を読み、あるいは音楽を聴いたり映画を観たりして、アウトプットする数倍のインプットが必要です。インプットをしながら、書くことによって自分の考えをまとめていく。文章を書くということには、このように、自分自身を作り上げていくという側面がかならずあると思います。 自分の感想や意見がまとまってくれば、ほかの人がどう読んだか、聴いたか、も知りたくなってくるでしょう。そこで一冊の本をめぐって、あるいはひとつの事件をめぐって、さまざまな人がつながっていくようになります。意見を交換し、さらにそこからまた自分の考えが作られていく。そこで思い出すのは、エニグマです。 以前、ナチスの暗号製造機エニグマの話を聞いたことがあります。エニグマというのは、頻度分析によって解読される危険性を回避するために、暗号を一文字打ち出すたびに、文字変換のパターンが変化していくように設計されているわけです。わたしたちのコミュニケーションというのは、本来、そのエニグマのようなものなのではないか。という脈絡の話を聞いて、ほんとうにそうだなあ、そんなふうにありたいなあ、と思ったのでした。 エニグマが文字変換パターンを変えていくように、話し、聞くことを通じて自分も変わり、相手も変わりしていくことができれば、ほんとうにそれは豊かなコミュニケーションであろうと思います。 ネチケットという言葉がしきりに言われたころもあったように思います。そのころ、ネチズンという言葉もありました。わたしがインターネットを始めたのは98年と遅かったこともあって、初期のころの様子はあまり知らないのですが、当時の人たちは、新たな共同体の「市民」として、自発的に規範を求めていったのだろうと思います。顔が見えない、匿名性の高い場となると、発言者の責任も問われにくい、そうなると、不可避的に荒い言葉の応酬、不毛なやりとりになっていくことにもなりかねない。そこを豊かなコミュニケーションの場とするために、当時の人の意識は、いまよりもずいぶん高かったのかもしれません。 いまは当時と加入者の数もちがうし、ブログを通じて発信する人の数も比べものにならないほど増えていった。「すでにそこにあるもの」にあとから参加していった人の意識は、創生期に関わった人のそれとはちがってあたりまえでしょうが、それでも何らかの規範、参加者が自発的に従えるような規範は必要かと思います。その規範を支えるのは、どうしたら豊かなコミュニケーションの場を保障できるか、という意識だろうと思うのです。 自分の考えや意見を発信しながら、それに対する書きこみやほかの発信者の記事を見て、少しずつ自分の書くものを手直しし、自分の見方・考え方を変えていく。それがブログやサイトを通じて、何ごとかを書いていくということなのではないのか。いまのわたしはそんなふうに考えています。読むというのが、読み直すということなのだとしたら、おそらく書くということも、書き直すということなのでしょう。その結果、同じようなことを何度も何度も書いてしまうことになるんですが、そうしながら、わたしは少しずつ自分の考えなり、読み方なりを深めていこうと思っています。 音楽に関しては、何か書きたいという気持ちはあるのですが、どういうふうに書いていったらいいか自分でもよくわからない。試行錯誤している状態ですが、これからもときどき書いていこうと思っています。自分はこんなふうには聞こえない、とかいうのがありましたら、ぜひ聞かせてください。ブログで書き流してしまったのも、そのうち掘り起こそうと思っていますので、またそのときはよろしく。 このあいだお花見をしたと思ったら、もうまぶしいほどの若葉が繁っています。四月は今日で終わり。明日から五月、初夏と呼びたいような陽気です。山の新緑はさぞ美しいころだろうと思います。 どうかみなさまも気持ちのいい日々をお過ごしください。 April 30 2008 Last Update 4.18 ロアルド・ダールの短編「味」をアップしました。 「味わう」という言葉があります。 「味わう」のは、食べ物とのあいだに少し距離を置いて、その「味」そのものを楽しむことです。もう少し言えば、食べている自分が味覚や舌触りといった触覚、嗅覚や、視覚といった五感で感じる感覚を楽しむことです。「味わう」という言葉には、食欲を満たすことを離れて、「感覚を楽しむ」というニュアンスがこめられているように思います。 音楽を聴くことにしてもそうです。単に音を聞くために聞いているだけではない。音楽を聴きながら、何か大きなものと一体になる感覚を味わったり、自分の体の奥底から立ち上ってくる感覚に身を震わせたり、その曲を楽しむだけでなく、自分が「聞く」こと自体を楽しんでいます。 さらにそれだけではない。自分の感覚を今度は言葉に置き換えて、味わった「感じ」、曲を聴いた「感じ」を表そうとする。そうすることで、たったひとり、自分だけの感覚を、ほかの人と分かち合おうとする。 けれども、この対象とのあいだに生じた距離は、楽しみだけでなく、それとはちがうものがまぎれこんでくることも許します。「味」がわかることが一種のステイタスを意味したり、あるいは自分の「感じ」を置き換えたボキャブラリによって、その人の感じ方の深度が「評価」されたり。本来は、見たり聞いたりの「感覚」を楽しむはずだったのが、いつのまにか楽しみとは縁もゆかりもない、一種の「価値」の中に置かれてしまう。 わたしたちはいまそういうところにあるのではないでしょうか。 味わったり、香りを聞いたり、音楽に耳を傾けたり、絵や写真や彫刻を見たり、あるいは肌触りの良い布地にふれたり、ということは、わたしたちの感覚を通じて、わたしたちが楽しむということです。 日常、わたしたちは「世界」からさまざまな情報を受け取っても、考え、分析し、判断し、結論を出すことを求められます。けれども、それだけが「世界」とわたしたちとの関係なのか。もっと五感を通じて「世界」とふれあい、それを楽しむということを、つい、忘れてしまっているのではないか。 その「感じ」を言葉でたくみに表現されたものを読むのは楽しいことです。それによって、わたしたちの感覚自体が深くなりもするし、その感覚をほかの人と共有できることは、いっそうのよろこびをもたらします。だったら、それはそれだけでいいんじゃないか。言葉でたくみに表現されたものを知っていることが、その人の「格付け」につながったりするのって、やっぱりどこか変です。 「味」の主人公、マイクの悲劇は、おそらく「味わう」ということをしなかったことの悲劇でしょう。そう考えれば、タイトルの " Tate " に、冠詞がついていないことの意味もよくわかる。この単語は「味」であると同時に「味わう」という動詞でもあるのですから。さまざまなものを収集したマイクは、おそらくなにひとつ、「味わう」ことをしていないはずです。この皮肉なタイトルが、いかにもダールらしい、と思います。 えっと、ひとつ訂正です。 朝、雨が降っていたので歩いて家を出たのですが、午後からは雨もあがり、曇り空の下を歩いて帰ってきました。桜も終わってそろそろ街路樹のハナミズキが花を咲かせ始めたなあと思っていたら、ウグイスがいい声で鳴いていました。春先に見かけたときは、まだケキョ、ケキョと鳴き方もじょうずじゃなかったんですが、いまはもうすっかりなれたようで、“ホーーー”と伸ばす声がなんともいえずいい声でした。 晴れた日、曇った日、昨日みたいに嵐みたいな日、いろんな日があります。曇った日は鉛色の空を楽しみ、嵐の日には風の音を楽しんでいたい、そんなふうに思います。 どうかみなさまも、曇った日も雨の日も、楽しく過ごしていらっしゃいますように。 April 18 2008 Last Update 4.08 「良い人? 悪い人??」アップしました。 わたしはずっと、判断の早い人間でした。何かが起こる。情報を集め、見通しをつけ、判断を下し、解決する。この一連のプロセスを、自分は手際よくやってのけることができる方だと思っていたし、それこそが事に当たっては望ましい態度だと考えてきました。もちろん不安や迷いもあったけれど、そういうときはリリアン・ヘルマンの言葉「よろこんで懲罰を受ける覚悟さえあれば、闘いはもう半ば終ったも同然」(『未完の女』)がいつでも背中を押してくれました。つまり、まちがったとしても、失敗したとしても、自分がその責任を引き受ければいい、その覚悟さえできていれば、恐れるに足らないと思っていたのです。 だから、何かが起こっても、それについてとつおいつ迷ったり、さらに情報を求めようとしたりする人を見るといらいらしたし、決断できない人を軽く見る傾向もありました。当時のわたしは気がついていなかったのですが、ものごとに解決がつかない状態というのは、ひどくわたしにとって落ち着かない、不安なもので、その状態をじっと持ちこたえることができずにいたのでした。 そんなわたしの考え方が変わっていったのは、ひとつには、勉強というものが、与えられた設問に答えるという性格のものではなくなったことがあったと思います。それまでは、設問に答えさえすればよかったのですから、そこにたどりつく筋道も、たとえいくつかあったにしても、早いほうがいい、プロセスはできるだけ単純なものの方がいい。けれど、少しずつ、「答え」を出すのではなく「問い」を見つけていくのが勉強であるということに気がついていたこともありました。 ちょうどそのころ、囲碁の話を聞く機会がありました。囲碁というのは将棋とちがって、決定的な一手を指すのではなく、取った陣地の広さを競うゲームなのだそうです。途中、当然石を取ったり取られたりする。そういうなかで相手がAにくれば自分がB、相手がBにくれば自分がAに打てばいいという「見合い」という局面が生まれることがある。そこで、いまたちまち打つ必要がなければ、そのままにしておく。局面が変わってどちらか一方の価値が高くなるまで他を打つのだそうです。もうひとつ、聞いたのは「手抜き」ということでした。「手抜き」というのは、相手の手に対して応えず「手」を抜いて、他の箇所に打つ。そうやって、その箇所では相手に取られても、全体を有利にもっていく。 何にせよ、勝負というのはひとつひとつの石を取ったり取られたりではない。情況を変えていくために、あえて何もしなかったり、放っておいてほかのことをしたりもする。出来事が起こるたびに、きちんと結論を出し、態度や行動を決定するべきだとずっと考えていたわたしにとって、この考え方はひどく異質なものでした。けれどもそれが必要なことだということは、確かに理解できたのです。 いったん下してしまった判断は、自分の中ではそこで終わってしまいます。けれど、ほんとうに物事が「終わる」ということがあるのだろうか。いったんは、平衡状態に達するかもしれない。けれども、その問題は、かならずまたかたちを変えて、浮かび上がってくるのではないか。とすれば、必要なことは、自分の中で、判断をできるだけ先送りにしながら、ねばり強く考え続けていくことではないのか。ちょうど、場面場面では石を取ったり取られたりしながら、できるだけ広い陣地を自分のものにしていくように。 その話を聞いてすぐにそう考えるようになったわけではありません。それでも時間をかけながら、いろんな本を読みながら、いろんな出来事のなかで、わたしは少しずつそう考えるようになりました。そしてまた、この考えすらもこれからだって変わり続けていくのだろうと思います。でも、少なくともいまのわたしは判断の速い人間ではありません、というか、そうでありたいと思っています。自分の考えを持ちこたえることのできる、落ち着かない状態に耐えることができる強さを身につけたい、そう思っている限り、少し、以前よりは強くあることができるのではないかと思っています。 わたしたちは誰でも、自分の意識をよりどころに判断することしかできません。そうして、わたしにとってこの判断の基準になるのは、ずっと「自分がどうすべきか」ということでした。何が良いことで、何が悪いことなのか。できるだけ良い結果をもたらすには、自分がどうしたらいいのか。 もしかしたら、これはひどく個人的な基準なのかもしれません。人によっては、こんなことは基準でも何でもないのかもしれません。それでも、まずは自分の基準を問題にしてみよう。そんなふうに思って、これまで考えたことをまとめてみました。読んでくださる方が、少しでも「本を読む自分」に意識が向かうきっかけにでもなれば、これほどうれしいことはありません。 わかった、って思ったら、もうそこからわたしたちはその「わかったこと」を超えるメッセージは受け取れない。あの人のことはわかってる、と思ってしまったら、相手が自分の理解を超える何をしようとも目に入らない。わたしたちの意識は、かならず一種の簡略化を行ってしまいます。ねばりづよく持ちこたえること。いつまでたってもわかってしまわないこと。これは時に、大変でもありますが、わからないままでいると、どこまでいっても世界はわたしに「びっくり」の種を与えてくれます。そこでは飽きたり惰性になったりすることとは無縁です。そういう状態は、わたしはとっても楽しいことだと思っています。 それにしても、この季節になるたびに思うのは、毎年毎年桜が咲くのを見ていても、やっぱり見飽きることがない、その不思議さです。去年の美しさも覚えているのに、そうして、去年、桜の木を見上げた自分の胸にあった思いも覚えているのに、その記憶に重ね合わせながら、今年の花を今年の思いで見ている。
去年もこの白頭吟を引用したんですが、やっぱりこの詩ほど、桜の気分にぴったりくるものをわたしは知りません。 満開の桜もそろそろ散り始め、風がふくたびに、地面に落ちた花びらがぱっと舞い上がるのを見ました。今日あたりは入学式があったところも多かったようです。新年度の始まりです。 新しい年、新しい季節。毎年のことでも、やっぱり胸はワクワクします。片づかない問題を抱えながら、ねばり強く歩いていきたいと思っています。 みなさんの新しい年度のスタートも、順風満帆のものでありますよう! April 08 2008 |