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(※ここには2008 11.20 から 2009 03.03の更新情報があります。)

Last Update 3.03

「サキ・コレクション vol.6 “舌先三寸”」として、サキの短篇から「メスオオカミ」「ショック作戦」「こよみ」の三作品の翻訳をアップしました。

サキの短篇では、よい意図を持って何ごとかをする人物が肯定的に描かれることは、まずありません。それどころか「よい意図」のもちぬしというと、「博愛主義者と幸せな猫」とか、「ビザンチン風オムレツ」の主人公たちのように、「よい意図」と信じているのは本人だけ、実のところはひとりよがりだったり、親切の押し売りにすぎなかったりします。

逆に、サキの作品のなかでいきいきと動き回るのは、「よいことをしよう」などとは夢にも思わず、自分のやりたいようにやっている人びとです。なかでも魅力的なのが、「開いた窓」のヴェラや、「話し上手」の「独身男」のように、即興でおもしろい話をでっちあげる、舌先三寸の能力をもった主人公たちです。ときにはそれが高じて、「シャルツ=メッテルクルーメ式教授法」のレディ・カーロッタのように、とんでもない騒ぎを巻き起こすこともありますが。

“話し上手”ではあっても、「うそつき」とまでは呼びにくい彼らとはまた別に、サキの短篇には、はっきりと“うそをつく人びと”も登場します。

「うそつき」というのは、何か「真」であるところのものを知りながら、ある意図をもって、それに反することを語るような人びとといえるでしょう。たとえば「マルメロの木」では、ヴェラは家賃の支払いに困るおばあさんを助けるために、とんでもない話をでっちあげるし、「毛皮」のエリナーは、友人への意趣返しのためにうそをついています。

一方、今回は敵役にもそんなうそつきが登場します。「メスオオカミ」に出てくるレオナルド・ビルシターがその人です。できもしないことをできると言い、やったこともないことをやったと言う。そうやって情報を操作することで、自分が魔術師であると相手に信じ込ませようとしている。

ところが彼は、自分の舌先だけで勝負している主人公たちとはちがって、自分の話の権威付けを「魔術」に依存しているものですから、作り話の能力は、主人公たちの足下にも及びません。どうやらその被害に遭っている人は、あまりいないようではあるのですが、誰もろくに信じていないと知ってか知らずか、ビルシターは自己宣伝にこれ努める。そのうそは、どこまでいっても自分の宣伝の域を出ませんから、ちっともおもしろくない。

こうやって較べてみると、サキが高く評価しているのは、おもしろい話、わくわくするような、それからどうなった、とつづきを聞きたくなるような物語を語るストーリー・テラーとしての能力であることがわかります。実用一点張りの世界のなかに、不思議で色鮮やかな「物置部屋」を出現させるように。現実とは無縁であればあるほど、「物置部屋」内部のすばらしさは増します。だからこそ、彼らの語る話は、「騙り」ともなり、「うそ」ともなるのでしょう。

わたしたちは子供のころから、「うそをついてはいけません」と言われながら大きくなってきました。オオカミが来た、とうそばかりついて、とうとう最後にはオオカミに食われてしまう少年の寓話も、うそをつくことの危険、つまり、人から言っていることを信じてもらえなくなることの恐ろしさとして教わってきました。

それでも、こっそり食べてしまったおやつを「食べてない」と言い張るあたりから、何度も何度もうそをついてきたし、自分ばかりではない、自分にうそをつくな、と口うるさく言っている大人たち自身が、うそをつくのを見てきました。さらには、立派な肩書きのついた人が、公の場でうそをついたことで頭を下げるのを見ることもありました。うそをつくつもりはなかったのに、結果としてうそになったこともあるし、うそをついているつもりはなくても、いつのまにか話が大きくなったり、いい加減なところが混じってきたりすることもよくあった。気がついてみれば、うそはいたるところに転がっているではありませんか。

にもかかわらず、たとえどれほど「うそ」が身の回りにあふれていたとしても、わたしたちは「行き止まりですよ」と言われたら引き返すし、「きれいだね」と言われたら、「もう、口がうまいんだから」と言いながらも、相手の言葉に真実のいくばくかがこもっていると考えて、うれしくなります。道を聞かれれば、知らない人であっても、できるだけ正確なところを教えてあげようとするし、うっかり古い情報を告げてしまったことに気がついたら、わざわざ追いかけていって訂正することもあるでしょう。人の話を聞くときは、相手が真実を言っているものとして耳を傾けるし、つい調子に乗って、尾ひれをたっぷりつけてしまった話をしたあとでは、「うそを言ってしまった」と内心、忸怩たるものがあります。

やはりわたしたちは、「口にされる言葉は、真実であるべきだ」という原則を、根っこのところで信じているようです。というか、それを信じているからこそ、なんとでも言える言葉を使って、ほかの人とやりとりを続けることができるのでしょう。

では、「舌先三寸」たちを大量発生させているサキは、この原則を鼻でわらっているのでしょうか。おそらくそうではない。「口にされる言葉は、真実であるべきだ」という原則があるからこそ、そこからの「逸脱者」たちが愉快なのです。

「言葉でならなんとでも言える」という言い方がありますが、サキの短篇を読んでいると、「舌先三寸」たちにくらべて、自分がどれほど「言葉でもたいしたことが言えない」かがわかります。「言葉でここまで言える」のを見せてくれるのが彼らの、というか、サキの腕の見せどころだと言えるでしょう。今回の三つ、楽しんでいただけましたか。

さて、二月の終わりにインフルエンザに罹って、数日間寝込むことになりました。病気をしてみて思うのは、身の回りのあれこれを、自分でできることのありがたさです。

生きていこうと思えば、片づけ、洗い、乾かし、しまい、捨てることはついてまわります。元気なときというのは、自分がやったこと、これからやろうとしていることにばかり目が向いて、後始末の方は、つい、無造作に、あるいはぞんざいに、機械的に片づけてしまいがちなのですが、病気になると、てきめんにここにしわよせがくる。部屋の中は片づかず、洗い物とゴミは溜まり、使える食器や衣類に事欠くようになる。そうなるといかに「後始末」が、つぎの行動のための「準備」にほかならないかがよくわかってきます。

ジュースを飲んだあと、そのコップを洗うことは、つぎにまたコップを使うときのためです。ひとつ片づけることは、つぎにまたそれを使えるようにすること。いわゆる「家事」と呼ばれる仕事は、「過去」を片づけ、「未来」の準備をすることによって、自分の生活のなかに、具体的なかたちで「時間」を織り込んでいくことなのではないかと思うのです。

病気が次第に良くなっていくのに合わせて、体調を見ながら、片づけ、洗い、しまう仕事を少しずつ再開して。そうやって、わたしはまた日常に戻ってきたのでした。

それにしても、三月に入ったとはいえ、まだ寒い日が続きます。
早く暖かくなってほしいけれど、あと二週間もしたら、ずいぶん春らしくなってくるでしょうね。

どうか、みなさまもお元気でお過ごしください。
ということで、それじゃ、また。

March. 03 2009





Last Update 2.20

ブログでは去年の夏に連載した「濡れ衣」についてのあれこれを大幅に加筆修正して「濡れ衣が乾くまで」をアップしました。

小説には「濡れ衣」を扱ったものが数多くあります。ミステリともなると、疑いをかけられた主人公がいかにそれを晴らすか、というプロットの作品は、かなりの数になるのではないでしょうか。犯人探しだけでなく、ピンチに陥った主人公がいかにそこから抜け出すかが描かれるのですから、見どころは増えるし、おもしろさも増すことになります。わたしもポアロや金田一耕助が、警察から犯人と目された不幸な主人公たちの濡れ衣を晴らしていく作品をいくつも読みました。

ただ、これもミステリの影響なのでしょうか、いつからかわたしたちは現実に起こった事件でも、まるでミステリを「読む」ように、推理をたくましくするようになってしまいました。限られた場、限られた登場人物の小説の世界と、現実の世界はちがいます。なのにわたしたちは新聞やテレビ、雑誌が提供する情報をもとに、事件を「読む」のです。

その結果、いつのまにか犯人と目される人の周りには、テレビや雑誌のカメラが常駐するようになり、わたしたちはテレビの向こうでその人が逮捕される日を、いまかいまかと待ちかまえるようになってしまいました。

ところがある事件で、犯人と目された人が、実際には犯人ではなかったということが起こりました。まったくの「濡れ衣」だったのです。事態は一転、犯人扱いをしたとされるテレビの出演者が、今度はやり玉にあげられるようになりました。

「濡れ衣」をかけたのは、誰だったのだろう。それを見ていた視聴者は、マスコミに「だまされた」だけなのだろうか。視聴者もまた濡れ衣をかけた側ではなかったんだろうか。

濡れ衣をかけられるような人には、それなりの理由があるのだ、という言い方をする人もいます。その人に落ち度があるから、濡れ衣をかけられるようなことになるのだ、と。こういう人は、ほかの犯罪被害者に対しても、そう言うのでしょうか。そういうところを歩いていたから事故にあったのだ、そういうことをやっているから、そんな目に遭うのだ、と。でも、そういう見方はおかしいんじゃないか。

根っこのところにあった問題意識はそんなものだったのですが、どうも問題点が自分のなかではっきりしなくて、書き直す気持ちになるまでずいぶん時間がかかってしまいました。先日ブログで『走れメロス』をもとに「疑う」ということについて短い文章を書いたときに、やっと「書けるかもしれない」というところまでいきました。そこからまたずいぶん時間はかかったんですが。今度はまた「疑う」ということについても考えてみたいと思っています。

今回、これを書いているとき、「濡れ衣」の話を探しながら、ああ、そういえば『次郎物語』のなかにもそんなことが出てきたなあと思い出しました。『次郎物語』なんて読んだのは小学生のときです(笑)。それでも、青空文庫で検索機能を使えばすぐに該当箇所を探し出すことができました。結局これは「濡れ衣」には当たらないと思ったので、本文のなかには入れなかったのですが、改めて読み直すと大変おもしろいものでした。このエピソードは第三部に出てきます。

中学生(旧制)の次郎は、数学の授業中、先生の計算ミスを見つけます。それを気を遣いながら指摘したところ、自分の能力に日頃コンプレックスを抱いていたその先生は、揚げ足を取られたと逆上して、次郎を机ごと廊下に追い出してしまうのです。

次郎はもちろん腹を立てる。けれども他の生徒が次郎を擁護してくれる。人望のない先生の側に立つ人はいません。それでも数学の先生は、「揚げ足を取った」次郎の処分を、生徒監に求めます。

ところがこの生徒監の朝倉先生という人がおもしろい先生なのです。数学の先生が誤解しているということはわかっている、と次郎を諭したうえで、誤解をされた側も苦しいが、誤解をしている側も苦しい。だから誤解を解いてみてはどうか、と提案する。さらにこんなことも言います。

「考えるったって、一つ一つの事がらをばらばらにつかまえて来て、あれは正しい、これは間違っている、と考えるだけでは、しようがない。それじゃあ、次郎君のような場合の解決にはならないんだ。君らに考えてもらいたいと思うのは、どうせ人間の世の中にはいろいろの間違いがあるんだから、その間違いの多い世の中をどうして秩序立て、調和して行くかという問題だよ。君らは恐らく、その一番の早道は遠慮なく間違いを正すことだと言うだろう。なるほどそれが完全に出来れば、たしかにそれが早道だ。しかし間違いはあとからあとからと新しく生じて来る。いつまでたっても完全に間違いのない世の中になる見込みはないんだ。汚ない譬えだが、われわれの体にたえず糞尿がたまるようなものさ。さあ、そうなると、間違いは間違いなりで、全体の調和を保ち、秩序を立てていくという工夫をしなければならん。そういう努力をしないで、一つ一つの事がらの正邪善悪にばかりこだわっていると、かんじんの全体が破壊されて、元も子もなくなってしまうからね。かりに君らが、君らの体の中の糞尿のことばかり気にかけて、朝から晩まで便所通いをしているとしたら、いったいどうだ。それよりは、お茶が出たらお茶を飲み、煎餅が出たら煎餅をかじって、糞尿のことなんか忘れている方が遙かに健全だろう。」

その昔、代ゼミの教室には「日々是決戦」という標語が貼ってあって、その横に「日々是決算」という落書きがしてありました。このパロディがおかしくて、どうかするといまだにこの言葉を思い出してしまうのですが、実際わたしたちはこの「日々是決算」をやっているのではないかと思うのです。誰かと行動を共にするたびに、金銭貸借表を作るように、自分のやったこと、相手のやったことを書き出し、自分が赤字になっていれば、相手が間違っていると腹を立てる。わたしたちの味わっている「不正」の感覚は、煎じ詰めればその程度のものではないのか。

けれど朝倉先生は、「日々是決算」で間違いを取り上げ、解消を目指すのではなく、「間違いの多い世の中をどうして秩序立て、調和して行くか」が大切だと言います。人と人とのあいだに「金銭貸借表」を作るのではなく、調和した関係を築いていくことができるのか。

「濡れ衣」と聞けば、条件反射的に「晴らすもの」と思います。もちろんそれを晴らさなければ、たちまち困ることもある。けれども全体の調和を考えるとき、「濡れ衣」を晴らすことよりも大切なことがある場合もある。さまざまな物語は、それを教えてくれます。

このささやかな文章のなかに出てきたさまざまな作品を、読んでみよう、読み返してみようと思ってくだされば、これほどうれしいことはありません。

このかん、ちょっと体調が良くないときが続いていました。気分ってほんとに些細な体調の善し悪しで影響を受けるものだなあとつくづく思います。

わたしは喘息持ちで、風邪を引くと咳がとてもつらいのですが、その症状が治まっても二週間ぐらいは胸の内側の筋肉痛がひどいんです。でも、以前、その痛みを治す薬は、「ひにち薬しかないよ」とお医者さんに言われました。治るまでは時間がかかる。けれど、その時間こそが「薬」なのだと。

体調が良いときの方がもちろん望ましいのですが、悪いときには悪いなりにぼちぼちと過ごしていくしかないか。ま、焦らずにいきましょう。

このあいだ、自転車で信号待ちをしているときに、不意に梅の匂いがただよってきました。あたりを見回すと、ブロック塀の向こうに、ひっそりと白い花が咲いていました。小さな木で、花といっても、ほんの一枝です。なのにこんなにつよく薫るのかと思いました。

どんなに寒くても、春は確実に近づいているのですね。また新しい季節がめぐってくる。それだけで、胸躍るものがあります。

どうか皆様、お元気でお過ごしください。
ということで、それじゃ、また。

Feb. 20 2009





Last Update 2.3

「文豪に聞いてみよう」「鴎外は卑怯だったのか−軍医森林太郎と脚気」をアップしました。

わたしが昔から不思議でしょうがなかったのは、私小説でもなんでもない『舞姫』や『人間失格』を、森鴎外の、あるいは太宰治の実際の体験として読み、「鴎外は冷酷だ」「太宰は女々しい」という道徳的な批判をする人があとを絶たないことでした。

なぜわたしたちはある種の作品を「実話」として受け取り、またある種の作品を「完全なフィクション」と受けとるのか。
わたしたちの受け取り方には一定の傾向があるように思うのです。

わたしたちは作家に対して、漠然とイメージを抱いています。それは自分が読むことで作り出したイメージというより、一般的に流布されているイメージなのでしょう。それを補強するのが、虚実も定かではないようなエピソード。わたしたちはそんなイメージやエピソードを、作品を読むときにもどうしても投影させてしまう。その結果、作品を「実話」と取ったり、「フィクション」と取ったりするのでしょう。逆に、そんな予備知識のまったくない、何のイメージも持っていない作家の作品は、どうにもとらえにくかったりすることもあります。

そうして、鴎外と太田豊太郎を同一視する人は、作者に抱いているイメージと主人公が一致するからこそ、そうしているのでしょう。
その背景には、文学者でありながら、世俗的には軍医の頂点にまで上り詰めた、文豪と軍医総監という簡単には重なり合わないふたつの像を、そうやって統合しようとしているのかもしれません。

わたしが初めて読んだ鴎外の作品は、児童文学全集に所収された『山椒大夫』でした。そのなかにあった挿絵のひとつを、いまでもよく覚えています。
厨子王が逃げ込んだお寺のお坊さんが、ゆらめく火を背景に、怖ろしい顔をして追っ手に立ちむかう。逆光で描かれたお坊さんの顔がそれはそれは怖くて、これでは追っ手も逃げ帰るにちがいないという迫力が、その挿絵からは伝わってきました。

本文の方は、子供向けのリライトだったのか、鴎外の文章をそのまま掲載していたものだったのかはわかりません。ともかく最初は泣いてばかりいた安寿が、やがて弟を逃がそうと決意するところにひどく心を動かされたのでした。いま思うに、その凛々しさというか、弱い人間のこの上ない強さというか、何か姿勢を正したくなるほど立派なものが世の中にはあるのだ、ということを、漠然と感じたのだと思います。ともかく、小学生だったわたしにとって、その『山椒大夫』の作者は、敬愛してやまない作家のひとりとなったのでした。

やがて『最後の一句』を読み、いちのなかに安寿と同じものを感じました。それから『高瀬舟』や『雁』を読み、『阿部一族』は読んだけれどちっともわからず、そうして教科書に載っていた『舞姫』に行きあったのでした。安寿やいちに較べて、あるいは、どうにもはっきりしない岡田と較べてさえ、太田豊太郎はなんと卑怯な、つまらない男だろう、そう思うと、ひどく腹が立ったものです。それでも、どうして作者はこんな登場人物を主人公に据えたのか、ということには、考えが回らなかった。ただただ流れに翻弄される主人公がふがいなく思え、いらだたしい思いでいっぱいだったのでした。

それでもわたしの場合、限られた作品ではあっても、『舞姫』以前に鴎外との「つきあい」が長かったので、わたしのなかの作者のイメージは、太田豊太郎とは決して重なり合わないものでした。だからこそ、周りが太田豊太郎=作者と重ね合わせていることに気がつき、奇妙にも感じたのかもしれません。ともかく、それはどうしてなんだろう、という疑問は、高校の頃からずっと持っていました。

その鴎外が軍医時代に脚気細菌説を唱えたことで、多くの陸軍兵士が脚気に倒れたことを知ったのは、いったいいつのことだったのか記憶にはないのですが、一度ちゃんと読んでみようと思っていたのでした。そこで板倉聖宣の『模倣の時代』(仮説社)を知ったのです。

『模倣の時代』という本は、非常におもしろく、また参考になったのですが、一方で、軍医総監という職にあった森林太郎が「とるべき方向(この場合麦飯に切り替える)」を選択せず、ある種の感情(たとえばエリート意識)に従ったことで悲劇的な事態を招来してしまった、というトーンが全体を貫いていることが気になりました。

彼らが置かれていた当時の状況、限られた情報しかないところで、「とるべき方向」がどこまで合理的な判断といえたのか。まず考えなければならないのはこのことです。

さらに、人はさまざまな場面で選択を迫られ、「とるべき方向」というのが外部から提示される。そのとき、自分の感情や欲求がそれに逆らう、ということもまた、よくあることです。

たとえば、生まれてこのかた、差別・抑圧にあえぎながら成長した少年が、テロ組織に属するとする。そこで、テロ行為を命じられる。彼としては、「しなければならないこと」はあきらかです。けれども、自分のテロ活動が、多くの人を殺害することになるかもしれない。そう思うと、どうしても命令に従うことはできない。テロ組織の指導者は、少年を厳しく非難するでしょう。けれどもテロ行為に反対する人びとは、感情に従った彼の行為の方を賞賛するでしょう。

感情に従って「とるべき方向」を選択しなかったことが良かったのか悪かったのか。
それは、誰が、いつ、どの立場から判断するかによるのではないでしょうか。

もうひとつ考えるべきことは、そういうこととは別に、個人のレベルでの問題があります。その人が何をしたのであれ、その結果がどうなったのであれ、自分の行為をどう考え、どう評価し、どう説明するか、という問題です。

確かに森林太郎は公式の場で、あるいは作品を通じてでも、自分の判断が誤っていたことを謝罪するようなことはしていません。それは、彼が何の責任も感じなかったからなのか。自分の行為について、謝罪とは別のかたちで記述されているのではないか。

この三つの問題は、いずれもいまのわたしに答えの出せるような問題ではありません。それでも、これからも考えていこうと思っています。

それにしても、鴎外の史伝第一作である『興津弥五右衛門の遺書』は、乃木将軍の葬儀から帰った鴎外が、一種興奮状態のまま一気を書き始めたもの、と伝わっていまるのですが、同じ乃木将軍の自死について、志賀直哉は日記に「乃木さんが自殺したというのを英子から聞いたとき、馬鹿な奴だという気が、ちょうど下女かなにかが無考えになにかしたとき感ずる心持ちと同じような感じ方で感じられた」と感想を残しているのです。資質的なもの、あるいは生い立ちや社会的なステイタスなどの違いもあるのでしょうが、それ以上に1862年(文久2年)生まれの鴎外と、1883年(明治16年)生まれの志賀の世代的な差がここまでちがうものかと思うと、その価値観の変化に愕然とするような思いです。その志賀とも半世紀以上の世代の差のあるわたしたちに、鴎外の時代の感覚がどこまで理解できるものか。少なくともそのことにはくれぐれも慎重でなければならないでしょう。

米に関することにしてもそうです。結婚してから秋田に住むようになった知り合いがいるのですが、料理を作ると「そんなにおかずを作ったら、米が食べられなくなる」と怒られた、という話を教えてくれたことがあります。そのときに聞いた「ここらへんの人が、お米をどれだけ大切にするか」という言葉を、これを書きながら思ったものでした。

以前、鹿島茂の『モモレンジャー@秋葉原』を読んでいるときに、フランスでもパンの消費量が減った、とありました。食生活が豊かになるということは、米やパンの割合が減るということなのでしょう。それを考えると、「粗食のすすめ」的な本にある“昔の食事に戻ろう”というのがどれだけいい加減なものか、よくわかります。おそらくそこで想定されているのは、百年ほど前の、摂取カロリーのほとんどを米やパンが占めるような食事ではないでしょう。玄米・菜食なんて、粗食どころか贅沢なもの。それを考えると、「麦飯」という言葉から受けるわたしたちのイメージも、当時の人びととまったくちがっていたに相違ありません。

さて、早いもので今年ももう一ヶ月が過ぎてしまいました。今日は節分。
「ほんに今夜は節分か。西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし。豆沢山に一文の、銭と違つた金包み。こいつァ春から、縁起がいいわへ」

厄を払いに来てくれる人もいませんが、これから豆でもまきましょうか。

どうかみなさまの門にも福が来ますよう。
ということで、それじゃ、また。


Feb. 03 2009





Last Update 1.25

ロバート・シェクリィの短篇「危険の報酬」をアップしました。

SFを読み始めた中学生のころ、特に好きだったのが、ロバート・シェクリィの『人間の手がまだ触れない』や『地球巡礼』、フレドリック・ブラウンの『わが手の宇宙』や『スポンサーから一言』などの、鋭いオチの効いた、ユーモラスなのだけれど、どこか苦みのある短篇でした。

「危険の報酬」は当時は読んだことはありませんでした。ネットで読める英文テキストのサイトをあちらこちらのぞいて偶然見つけた懐かしい名前に引かれて読み始め、いかにもシェクリィらしい展開に、夢中で読みふけったころのことを懐かしく思い出したものです。

ただ、さすがに当時より大人になったせいか、この作品を読んで、当時のアメリカのテレビ番組というのはどのようなものだったかということが気になりました。作品に出てくる「危険の報酬」を始め、いくつもの「スリルショー」ががあまりに荒唐無稽だったせいではありません。逆に、いろんなかたちで(それを多少薄めて)よく似た番組がいまも実際に作られていたからです。そこで参考になったのが、あとがきやブログでもふれた有馬哲夫の『テレビの夢から覚めるまで ―アメリカ一九五〇年代テレビ文化社会史―』(国文社)という本でした。

この本は、テレビが人類に知識と相互理解をもたらす夢の機械と信じられていた黎明期から始まって、徐々にその夢が崩されていき、クイズ番組におけるやらせ問題で「夢から覚め」たことまでが描かれていきます。その末尾を飾ることになったのは「クイズショー・スキャンダルズ」。1950年代の半ば、大変な人気を博したクイズ番組は、実は仕組まれたものだった。答えをあらかじめ教えてもらいながら「勝ち進んだ」チャールズ・ヴァン・ドーレンは、公聴会の席でそのことを告白します。

けれど、台本を書き、リハーサルをし、「やらせ」を仕組んだ番組制作者たちは、それのどこがいけなかったのか、と反論するのです。

 チャンネルを合わせてくれる視聴者の期待に応えるためにも、いろいろ演出して番組を楽しいものにしなくてはならない。視聴者に楽しみを与えることは、悪いことではない。なにも手を打たずに、生のまま放送し、番組を台無しにしてしまうほうこそ、プロデューサーとして、ショー・ビジネスの人間として恥だ。番組の操作は、彼らなりの職業倫理にもとづいてしたことだった。それを非難するひとびとがいるとすれば、彼らの業界のことがよくわかっていないからだ。チャールズ・ヴァン・ドーレンはこの業界のことがわかっていないから、あのような告白をするのだ。詐欺というが、いったいだれが損をし、傷ついたのか。それどころか、視聴者はそれを楽しんでいたではないか。それすらいけないというなら、政治家はどうなるのだ。有権者は政治家の演説や本を、本人のものと思って投票するが、たいていの場合、これらのものはゴースト・ライターがひねりだしたものだ。こっちこそひどい詐欺ではないか。深刻で有害な詐欺ではないか。

(『テレビの夢から覚めるまで ―アメリカ一九五〇年代テレビ文化社会史―』)

今日、さまざまな場面でテレビや新聞などマスコミの報道姿勢を批判する声が聞こえてきます。それらの批判は、たいていマスコミを「悪」としてやり玉にあげている。けれども、マスコミの側ははたして視聴者や読者を「洗脳」したり、「愚民化」したりしようとして、そんな報道をしているのか。そうではないでしょう。視聴率を伸ばし、新聞の売り上げを伸ばすために、視聴者や読者の望む報道を「先読み」して、送り届けているだけの話です。

もちろんいまの報道に問題がないとはわたしも思いません。何よりも、わかりやすすぎる、と思います。わかりやすい、というのは、どんなニュースも出来事も、「悪者」がいて、被害者がいる、という、とてもシンプルな物語として送り届けられている。そんなわけがないんです。「それがどういうことか」ということがはっきりする前に、曖昧な部分がごっそりと削られ、白黒はっきりつけられてしまっている。

視聴者や読者はそんなに理解力がないんでしょうか。わからないものはわからないまま、持ちこたえられることもできないのでしょうか。

もしかしたらそうなのかもしれません。「善い側」「悪い側」、「加害者」「被害者」、白か黒かはっきりしないと、不安になってしまう。だから簡単に答えが書いてあるものに手が伸びてしまうのかもしれません。それでも、理解できないものしか理解しようとしなければ、理解できる領域は、どんどん狭く、小さくなっていく。理解できそうもないものは、あらかじめ見ないように、聞かないようになってしまう。

テレビ番組や新聞報道に問題があると思うのなら、マスコミを「悪い」と批判するのではなく、まず受け手であるわたしたちが変わっていくことではないのか。わたしはそんなふうに思います。むずかしいことですけどね。だけど、むずかしいことを簡単にしちゃいけない。わからないことはわからないまま、時間をかけて持ちこたえていくことしかないんじゃないでしょうか。

シェクリィの短篇のなかで、レイダーが最後に悟る場面があります。自分は大衆の一員だから、みんなに支持され、応援されてきたと思っていたが、大衆は、ほんとうは大衆を憎んでいた。だから、勝ち残って大衆の一員から飛び立とうとする自分を、大衆は決して許さないのだ、と。

ただ、これにはもうひとつ別の考え方があるんじゃないか、と思うんです。あとがきのなかで「美人コンテスト優勝者あて投票」のことを書いたんですが、人びとは「みんなはレイダーの側につくか、殺し屋の側につくか」と考えたのではないか。自分がどうしたいかではなく、「みんな」がどちらに投票するかを読みながら、それぞれに行動したのではないか。そう考えたところで、レイダーの気持ちが晴れるとは思いませんが、この「みんな」なんてものは結局はどこにもいないじゃないか、と思えることができたなら、もう少し、絶望しないですんだかもしれません。

さて、年明け最初の更新ですが、いまさら「あけまして…」もないもので、ブログでその挨拶はしていますから、こちらは省略することにしましょう。年明け早々忙しくて、なかなか更新できずにいましたが、これからがんばって、ブログで書きっぱなしにしているいくつかの文章をまとめていくつもりでいます。ですから、またちょこちょこと更新していくつもりですので、なにとぞよろしくお願いします。

それにしても寒い日が続きます。わたしのいるところでは、粉雪が舞うことはあっても、積もるまではいかないのですが、今日も北西の山は雪雲にすっぽり覆われていました。あの雲の向こうは雪が積もっているのでしょう。

インフルエンザも流行っているようです。どうかみなさま、ご自愛のほど。
どうか暖かくしてお過ごしください。
ということで、それじゃ、また。


Jan. 25 2009





Last Update 12.31

サマセット・モームの短篇「幸せな男」の翻訳と、「日付のある歌詞カード 〜サイモン&ガーファンクル “マイ・リトル・タウン”」をアップしました。

わたしたちはときどき、あれか、これか、と迷うような場面に立ち会うことがあります。真剣に考えれば考えるほど、どうしたらいいかわからなくなってくる。どうやっても決まらない、だれでもいいから自分の代わりに決めてほしい、と思うのは、そんなときなのかもしれません。考えてもわからない、誰かに決めてほしい、と思うくらいなら、最初から考えないで、機械的に選択しても良さそうなものですが、わたしたちはそういうことはできません。

実は、わたしたちが朝起きてから寝るまでの行動すべては、選択の結果なされたものであるにもかかわらず、ほとんどのとき、選択しているという意識もなく、無意識のままなされているのです。それが習慣化された行動であるために、わたしたちは「選択した」ということが意識されない。顔を洗ったあと、タオルに手を延ばすのも、別に顔を拭かない、という選択だってありうるし、手でぬぐうだけも可能、ほかの何で拭いたっていいのにタオルを選び、そこにあるはず、という場所を選択して手を延ばしている。そうした無数の選択を繰りかえしているしているにもかかわらず、わたしたちはある場面でのみ、迷うのです。それは、その行動をとったとき、どういう結果になるか予測がつかないときです。そういうときに初めて「選択する自分」が意識される。そう考えていくと、「意識」とはなんだろう、と思わずにはいられません。

いずれにしても意識というのは、反応を遅らせる必要性とそれを実現するための大脳の仕組みから、発生してきたものだろうということです。反応を遅らせる必要性というのは、実際には偶然のたまものなのでしょうが、感覚の鋭さと反応の速さを競う、恐竜全盛の世界に、逆説的に生じた秘策に由来するものであったのかもしれません。動くものはとかく目につきやすいものですが、動かないものは簡単に見逃されます。…

ほ乳類が恐竜のエサであった時期に、第一段階として、ただ反応を遅らせる、しばらくの間反応しないで、緊張を保ってじっとしている、それから、状況の変化を捉えて素早く反応する、というような仕組みが、まずできあがったのではないかと考えられます。次に第二段階として、反応を遅らせている間に、状況の変化を先取りして予測する仕組み、そしてその予測した結果に合わせて反応を調整する仕組みというようなものが、遂に登場したのだと思います。「遂に」と言ったのは、実はここまでくれば、意識というものが登場するのに半歩ほどの距離しか残されていないと言えるように思われるからです。

(岡部勉『合理的とはどういうことか 愚かさと弱さの哲学』講談社メチエ)

この部分はこう続いていきます。

考えるというのは、ある意味では、反応を遅らせる仕組みの、いわば帰結のようなものだと思います。まず、反応を遅らせることが実際に可能であって、しかも、反応にはいくつかの選択肢があり得る、つまり、いくつかの選択肢・選択可能性が明白な仕方で存在する、次に、選択にはすぐれた選択とそうでない選択の間の違いが、何らかあり得る、そのことに応じて、どれを選択するかを考えることにも、すぐれた仕方で考えるのとそうでない仕方で考えるのとで何らか違いがあり得る、そういう場合にのみ、考えることには意味があると言えるでしょう。意識が必要になるのは、可能な選択肢を明確に区別するためです。選択肢が一つしかない場合には、意識は必要ないでしょう。

考えることが「やがて行動を取ることを前提に、いまたちまち反応しない」ことだという指摘を、わたしは大変おもしろく読みました。モームの短篇に出てくるスティーヴンズも、自分がいまいる環境は、あまり望ましいものではない、という漠然とした状態から、「可能な選択肢を明確に区別」しながら、スペインへ行くべきか、イギリスにとどまるか、という二者択一のところまで問題を整理していったのです。ただ、先のことはわからない。「選択にはすぐれた選択とそうでない選択の間の違いが、何らかあり得る」ことまではわかっても、どちらがすぐれているか、やってみなくてはわからない。

実際には、どれだけ考えても生きてみなければわからない。しかも、やり直しはきかず、同じ時間は戻ってこない。だからこそわたしたちは迷うのです。わたしたちにとって「不安」というのは、いわばデフォルトの状態、行動する前の、考えている人間の当たり前の状態なのでしょう。

わたしたちは人の話を聞いたり、本を読んだり、周囲の人を見たりして、人が生まれてから死ぬまでの「人生」というものがあることを知ります。あたかも山の稜線を描くように、山になったり谷になったりするごとく、幸福や不幸というものがある、ということも。けれども、それは外から見た「人生の姿」にほかなりません。

けれども、そのなかで生きているわたしたちには、これからいったい何が起こるかわからない。上っているのか、下っているのか、この道がどこまで続いていくのかもわからない。けれども、それを外から見るように理解することが、どこまで必要なことなのでしょう。「上る」も「下る」もない。ひとつひとつ自分に起こったことを理解し、そのたびごとに自分というものを理解していくということが、幸せと考えることはできないでしょうか。

「銃の弾き金かけた指みたいに がたがたふるえ」ている少年は、おそらくはまだ幸せでもなければ不幸せでもないでしょう。あるいは、イギリスにいて、毎日の生活に飽き飽きしているスティーヴンズも、おそらくは幸せでも不幸せでもない。ほんとうに不幸せなら、迷ったりはしないでしょうから。けれど、スペインで暮らしているスティーヴンズは、確かに自分の幸せを実感している。《マイ・リトル・タウン》の語り手は、はっきり幸せだとは言いませんが、少なくともいまの彼は虹を見れば七色に見えるはずです。だからこそ、あのころが「黒一色」だったということがわかるのです。

外から見ているだけでは決してわからない。やり直しもきかない。それでも選択は下さなければならない。けれども、そんな選択を繰りかえして、未知の世界に足を踏み入れることで「わかってきたこと」は、確実にいまのわたしを支えます。これから先に何が起こるかわからなくても、いまここにいる自分は、何とか切り抜けられるはず。それは希望などではありません。だって、自分はいくつもの選択を下し、危険に身をさらしながらやっててきた。わたしがいまここにいるのが、なによりのその証拠です。

だからこそ、過去のあれこれを振り返り、あのときああしていればよかった、ああしなければよかった、と思い煩うのは、「考える」という能力の誤った用法でしょう。失敗を失敗と認め、軌道を修正するのではなく、ああしていれば、こうしていれば、という後悔のサイクルに入ってしまうと、しかもその責任を転嫁できるような誰かが現れたりすると、わたしたちはそこから抜け出せなくなってしまう。「やがて行動を取ることを前提に、いまたちまち反応しない」ためにほ乳類が編み出してきた能力を、そんなことに使っちゃいけない。

「幸せな男」のスティーヴンズにしても、「イギリスにいたころは安定したいい暮らしができた」と考えることだってできる。《マイ・リトル・タウン》の語り手だって、あのころは良かった、と歌うことだってできるのです。

けれど、彼らはそう考えない。それは、選択した結果、わからなかったことがわかるようになったから。そうして、わかることによって成長し、変化を遂げたからです。

わたしはそういうことを「幸せ」と呼びたいと思います。
それがあなたの言葉の意味と、大きくちがっていなければ良いのだけれど。

さて、本年も "ghostbuster's book web." にお越しくださって、ほんとうにありがとうございました。後半、ちょっと忙しくなったこともあって更新頻度も落ちたのだけれど、こうやって振り返ってみると、いろんなことをちょこちょこ書いてきたんだなあと思います。これからも書き続けながら、そうした断片を、書き直し、掘り下げていこうと思います。

わたしのところから送り出した言葉を詰めた何本ものビンは、一本でもあなたの下に届いたでしょうか。そうだったらうれしいなと思います。

さて、このあいだ小学生向けの国語の問題集を見ていたのですが、そのなかでこんな詩を見つけました。

 前へ     大木実

少年の日に読んだ「家なき子」の物語の結びは、
こういう言葉で終わっている。
――前へ。
僕はこの言葉が好きだ。

物語が終わっても、
僕らの人生は終わらない
僕らの人生の不幸は終わりがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、
物語の中の少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。

辛いこと、厭なこと、哀しいことに
出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
――前へ。

「家なき子」というのはわたしも小さい頃に読んだことがあるのですが、ストーリーはもうまったく覚えていない。そのくせ冒頭で、小麦粉とバターを使ってお母さんがパンケーキを主人公のために焼いてくれようとしているのですが、そこへ粗暴なお父さんが前触れもなくひょっこりと帰ってきて、お母さんはパンケーキをやめてシチューを作ることになる、という箇所があったことだけ、異様にはっきりと覚えています。子供心にパンケーキがシチューになったというのがすごく不思議だったのだと思います(笑)。

そんなどうでもいいことしか覚えていなくて、主人公が「ルミ」という名前で、彼がいったいどうなって、何をしたかすら記憶にないのですが、「――前へ。」という言葉で終わる小説があるとしたら、それはすてきなものだと思います。

この詩を読んで、「希望を失わず、つねに前へ進んでいく」という部分のあまりの直截さに照れてしまい、「「前へ」のひとことが自分への励ましになっている」という問題の選択肢を読んで、これを選ばせたいんだろうなあ、なんてことを思うくらいにすれてしまったわたしですが、「――前へ。」という言葉の響きの力強さにあこがれる気持ちは残っています。

時間が過ぎ、同じ瞬間は二度と戻ってこない、ということは、わたしたちが前へ前へと進んでいくことにほかならないでしょう。過去は戻らない、ということに感傷的になるのではなく、ときに立ち止まり、ときに判断を遅らせたりしながら、「弱い自分を励まし」、前へ進ませていきたいものだ、と思います。

だから、2008年の文章は、この言葉で締めくくることにしましょう。

――前へ。

どうかみなさまもよいお年をお迎えください。
そうして、来年もこのサイトとブログ「陰陽師的日常」をよろしく。


Dec. 31 2008





Last Update 12.07

カーソン・マッカラーズの短篇「家庭のジレンマ」をアップしました。

翻訳の勉強を初めて間もないころ、最初にいくつか「してはならないこと」を教わりました。作文しない(原文にない文章・言葉を加えない)、文末をそろえない(過去形の文章を訳していると、つい「……した」「……だった」「……になった」となってしまうのです)などと一緒に、カタカナ語を使わない、ということがありました。

もちろん、「ナイーヴ」や「ジェンダー」という言葉のように、日本語と英語の意味する内容がちがう単語があるのもその理由のひとつですが、そんな単語でなくても、カタカナ語でそのまま置き換えてしまうと、やはり意味はちがうものになってしまうのです。たとえば happy が「ハッピー」でそのまま置き換えられるケースがどれだけあるでしょうか。

いまでも翻訳をするときに、わたしが最初に気をつけることは、当時教わったそういうことなのですが、この短篇の原題 " A Domestic Dilemma " は悩みました。

まず、 domestic というのは、近ごろでは「ドメスティック・ヴァイオレンス」などとあまりありがたくないカタカナ語でずいぶん普及してきましたが、「家庭の」とか「家庭内の」とか「家族の」といった意味です。そこから転じて、「自国の」とか「国内の」とかの意味になることもありますが、とにかく「家のなかのこと」というイメージを持つ形容詞です。

問題は、" dilemma " です。ジレンマ、として、すでに日本語でも一般的な語かもしれません。英語の辞書を引いても日本語の辞書を引いても、出てくる説明はそれほど変わりはないのですが、わたしがいちばんすんなりと納得ができるのは、この説明です。

大切な選択は、私たちをジレンマに置く。ジレンマ(2つの di- 副命題 lemmas)とは、ギリシア語で「2つの角(つの)」を意味する。2つの選択しかない。そうであるか、そうでないか。そうあるべきか、そうあるべきではないか。真実か虚偽か。いや、本当のところは、唯一の選択しかない。ジレンマのあいだに一本の道を見つけ出すこと。そのほうが、この言葉の原義に近い。

(マーティン・コーエン『倫理問題101問』榑沼範久訳 ちくま学芸文庫)

ジレンマ、板挟み、あれかこれか。それだけでなく、英語では、単に「困難な情況」という意味で使われることもあります。最初、ブログで訳したときは、やっぱり「ジレンマ」というカタカナ語を使う気になれず、漠然と「家族の問題」としました。

でも、考えてみたら、やはり「問題」ではないのです。主人公はジレンマに直面している。「愛」と「憎しみ」のあいだで、「妻」と「子供」のあいだで、「過去」と「未来」のあいだで……。やはりこれは「ジレンマ」と訳すしかない。

タイトルにケリはつきましたが、今度は「ジレンマ」について考えるようになったのです。ほんとうに主人公は「ふたつのもの」のあいだに立っているんでしょうか?

たとえば「家庭」という言葉がある。けれど、「家庭」っていったい何なんでしょう。家ならわかる。お父さんがいて、お母さんがいて……という家族構成もわかる。けれど、「家庭」を誰か、見たことがありますか?

「生活」でもいい。「仕事」でもいい。ああいうのが「生活」だ、こういうのも「生活」だ、わたしたちはいろんな「生活」や「仕事」の例をひっぱってきて、相互に比べて、やっぱり「一人暮らしなんていうのはほんとの生活とは呼べないよ」とか「これはほんとうの意味で、仕事じゃない」などと考えたりしますが、「生活」というのも「仕事」というのも、なんだかよくわからないものです。

なんだかよくわからない、というのは、外から見て、それはこれこれこういう色をしていて、こういう形をしていて、大きさはどのぐらいで、と説明できない、ということでもあるでしょう。たとえばリンゴやテニスのラケットなどのように、全体像を眺めることができない。「仕事」にしても、「生活」にしても、「家庭」にしても、わたしたちにできるのは、外から見る代わりに、その内部に入って経験することだけです。

妻を愛している。けれど、同時に酒浸りの妻を憎んでもいる。妻と共に生活していきたい。だが妻は子供たちを危機に陥れるかもしれない。仕事で成功し、社会的に満足のゆく地位を築きたい。けれど、妻の存在は、自分の評判を地に落とすかもしれない……。
主人公のマーティンは、こうしたジレンマに直面しています。このジレンマが行き着く先は、これから先も妻と共に暮らしていくのか、それとも別々の道を歩むのか、という選択です。

ジレンマというと、ふたつに分かれた道のあいだに立たされて、行くべき道を決めかねているイメージが浮かびます。けれども、実際のわたしたちの周囲では、時々刻々と移り変わる情況のなかで、無限の選択肢が浮かんでは消えしているのです。そのなかで、「A」と「B」を取り出して、「あれかこれか」と考えているのは、ほかならぬわたしたち自身です。そうして、実はわたしたちは「A」か「B」かと考えているときは、すでに自分の取るべき方向を選択してしまっている。唯一の選択をなしたあとに、事後的に「そうでなかった可能性」「自分が取り得たかもしれないもうひとつの方法」として、それ以外のものが立ち現れてきているのに過ぎません。

おそらくマーティンも何かを選んでいるわけではない。マーティンも、わたしたちの前にも、おそらくいつも、唯一の選択しかないのです。そのたったひとつの選ばざるを得ない行為をしていくことが、わたしたちが「生きている」ということなのだろうと思います。

「家族」も「愛」も、わたしたちが俯瞰することができないものです(俯瞰したとたん、現実のそれとは似ても似つかぬものになるのでしょう)。けれど、わたしたちが実際にそのなかで生きているだけでは、やはり何がなんだかわからない。文学作品のなかで生きている人びとを通して、わたしたちは自分の「家族」という言葉にこめられる意味や「愛」という言葉にこめられる意味を見つけていくことができるのではないでしょうか。

そんなふうに考えていくと、この小さな作品も、わたしたちにさまざまなものを見せてくれるように思います。

ところで、この作品にはひとつだけ、よくわからないところがあります。やはり作家活動に入って間のない時期の作品のせいか、わたしにはこれはミスのように思えてなりません。それは、子供たちはいつ晩ご飯を食べたのか、という点です。マーティンがマリアンヌを膝にのせたのは、ポークチョップが焼けるのを待つあいだのはずです(骨付き肉をフライパンで焼くのですから、ある程度時間がかかるはず)。ところが、そこでエミリーが降りてきてしまう。エミリーがからんでいるあいだに、子供たちは食事をした? それとも、エミリーが降りる前に、もう食事はすんでしまっていたのでしょうか。どちらにしても、しっくりこない。スープを飲むエミリー、みんなに食事をさせたあと、残り物をむさぼるマーティンと、それぞれに食べる場面が重要な作品だけに、アンディとマリアンヌの食事がどうなったか気になるのです。おそらくこのあいだに食事をしたはずだ、という箇所をわたしが見落としているのかもしれません。もし何か気付かれた方がいらっしゃいましたら、ご指摘、よろしくお願いします。

さて、12月になりました。忙しい、と言って良いことは何一つないのですが、やらなければならないことと、実際にいま自分ができていることをくらべると、気ぜわしさにかられ、つい愚痴のひとつも言いたくなってしまいます。

ところが知り合いにいつも忙しがっている人がいるんです。今週も休みがなくて、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と、いつもそういうことを言っているんですが、それが常態化しているのもなんだかな、と思ってしまいます。何かがあって「忙しい」ではなく、「忙しい自分」「みんなに求められている自分」をアピールするためなのかなあ、なんて。

一日に最低ひとつ、できることをこなしていく。ふたつできれば御の字。どうにもならないことは、そのあいだをやり過ごすしかない。時期を待たなくてはならないことは、焦ってもどうにもならないし、考えてみれば自分にできることなんてわずかです。できることを一日ひとつやっていこう、って思っています。

うーん、今日は……。更新情報を書いたゾ(笑)。

寒さもこれから本格的になってきます。どうかみなさま、お風邪など召しませんよう。
お元気でお過ごしください。

ということで、それじゃ、また。

Dec. 08 2008





Last Update 11.20

チャールズ・バクスターの短篇「グリフォン」をアップしました。

チャールズ・バクスターと言っても、知らない方の方が多いかもしれません。わたしが初めてバクスターの名前を知ったのは、90年代初めの雑誌アトランティック・マンスリーに掲載された短篇でした。

中西部の小さな町で、雨が続いて川が増水し、やがて洪水になる。洪水といっても大勢の死者がでる、国外に報道されるような規模のものではなく、ローカルニュースで報じられるていど、日本でもときどきニュースで流れるような、大雨のあとに車がざぶざぶと水をかきわけて走るような、「洪水」というより「浸水」に近いものかもしれません。

あふれだした川の水で、ふだん休みともなれば家族連れでにぎわうピクニックエリアも水浸しになって……と、ストーリーらしいストーリーもないのですが、危機とまではいかない、それでも普段より嵩を増した水への不安感を背景に、徹底してリアルであるがゆえに、逆にどこか幻想的な世界が静かに語られるというものでした。その「静かな声」がわたしにはとても懐かしく、以来バクスターの作品を集中して読むようになりました。ですから今回ここで紹介できてうれしく思っています。

ただ、本文の最後にも書いたのですが、これまでこの物語はわたしのなかでは「エキセントリックな先生の話」に分類されていました。ところが訳す過程で一語一語丁寧に読み直していくうちに、この物語は「裏返しの『坊っちゃん』」、つまり、「迎え入れる人びと」の物語だということが見えてきたのです。やってきた人を受け入れるほかなく、受け入れることによって否応なく変わっていく人びとです。

同じことの繰りかえしになってしまうので、ここではもうふれませんが、おそらく「迎え入れる」というのは、作品を読むわたしたちのアナロジーでもあるのだろうと思います。

わたしたちは、本を読むことを通して、これまで知らなかった世界や人びとを知ることになります。もちろん気に入らないといって本を閉じてしまうこともできますが、多くの場合、いつのまにかフェレンチ先生に魅了されていった四年生たちのように、その世界に引き込まれてしまう。

本のなかには、よく知っている世界のよく知っている人しか出てこないような小説もあります。けれども、十歳の頃からやし酒を飲み続けている人物が現れて、タカラ貝だけが貨幣として流通するような世界にわたしたちを引き入れたり、城の測量に呼ばれた測量技師が、いつまでたっても城にたどりつけなかったりするような、それまでわたしたちが想像だにできない世界をかいま見せてくれるような小説もあります。そんな本に接しても、わたしたちはしばらく何がなんだかわからない。だからとまどいながら、半分くらいまでは苦労しながら読むのかもしれません。読み終えても、何がどうだったかと、まとめることもできない。おもしろかったのかどうなのかもよくわからない。それでも、何かが自分のなかに残っていく、というより、その世界をいったん見てしまうと、元の世界に戻っても、もはや世界は同じには見えなくなってしまっている。

それはおそらく「外」からくるものにふれて、初めてわたしたちの「内」が生まれるからだろうと思うのです。「内」ができたから、世界も見え方が変わってしまうのでしょう。

「外」にふれることがなければ、おそらくは「内」も空っぽなままでしょう。だから「内」を問いつめても、そこからは何も出てこない。何かを生み出そうと思ったら、「外」に目を向けること。でも、ほんとうは、向けるも向けないもなく、自分を閉ざしてさえいなければ、自分が否応なく巻き込まれているのを知るのでしょう。

バクスターは言います。「フェレンチ先生を知ったあとの子供たちが、ほんとうに知ったことは何だったのか、という疑問の始まりでもあるのです。」と。この問いは、同時にわたしたちに向けられた問いでもあるのでしょう。本を読んで、何かを知る。読み終わって、自分が知ったのは何だったのか、という疑問が始まる。そうしてその答えはそのときどきで変わっていくのだろうと思います。

さて、急に寒くなってきました。新潟からは初雪の知らせも届いています。11月の下旬ですから、それも不思議はないのですが、このところずっと暖かかったので、急な寒さは堪えます。

それでも秋の日に映える紅葉は、冷たい空気の方が美しいように思えます。体がきゅっと引き締まるような朝の冷たい外気のなかで、高々とそびえるポプラの黄色や、桜並木の赤褐色、ハナミズキの鮮やかな赤、この紅葉を楽しめるのも、せいぜいあと一、二週間というところでしょうか。「グリフォン」のなかでもトミーが太陽の位置を壁に記していく、ささやかだけれど忘れられない場面がありました。

どうかみなさま、気持ちの良い晩秋の日々をお過ごしください。
ということで、それじゃ、また。

Nov. 20 2008








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