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Last Update 10.23

ロアルド・ダールの短篇「幕開けと悲劇的結末 ――ある真実の物語」をアップしました。

小説では「主人公が誰か」をいかにして読者に紹介するかが重要なポイントです。「吾輩は猫である」などという手は、最初のひとりしか使えません。漱石に先を越された人は、頭をひねらなくてはなりません。とりわけ短篇では、なるべく早くわかってもらうために作者は工夫をこらします。たとえばこんな冒頭は、見事のひとことに尽きます。

When Miss Emily Grierson died, our whole town went to her funeral: the men through a sort of respectful affection for a fallen monument, the women mostly out of curiosity to see the inside of her house, which no one save an old man-servant--a combined gardener and cook--had seen in at least ten years.

(William Faulkner "A Rose for Emily")

ミス・エミリー・グリアソンが亡くなったとき、わたしたちは街をあげて彼女の葬儀に参列した。男たちは、倒れた銅像に対する敬愛にも似た気持から。女たちは、もっぱらミス・エミリーの家の中を見たいという好奇心から。というのも、庭師とコックを兼ねていた老人を除けば、この十年間というもの、誰一人として家の中を見た者はいなかったのだ。(私訳)

わたしたちはこの物語が、いまは亡き「ミス・エミリー・グリアソン」をめぐるものであること、彼女は街の人びとに、かつては敬愛されていたものの、少なくとも十年はひっそりと家の中に籠もって、つきあいもなく暮らしていたことがわかります。ごく自然なかたちで紹介されて、わたしたちのミス・エミリーに対する好奇心は、否応なく募っていく。

もちろん作家の名前も重要なヒントです。わたしたちはフォークナーと聞けば、アメリカ南部の架空の街を舞台にした、壮大な物語の一部を見せてもらえることを期待するだろうし、ロアルド・ダールと聞けば、最後にびっくりさせてくれるようなおもしろい短篇を期待する。たとえどんなに静かな幕開けでも、きっとこれも仕掛けなのだろうと先を急ぎます。

今度の作品は途中、何度か、おや、と思います。「ブラウナウ」という地名や、矢継ぎ早に三人の子供を亡くした若い女性、飲んだくれの夫、そうして「アドルフ」という名前……いくつかのヒントをたどって、やがていわば第三者である医者が「ヒトラーさん」という決定的な名前を呼ぶ。このときすでに物語は三分の二まで進んでいます。「やっぱり!」と思う人、あるいは初めて「ああ、そうだったのか」と思う人、それぞれでしょうが、ともかくいずれかの段階で、この赤ん坊が「誰か」を知るのです。この引っ張り方もまた、うまい紹介だと思います。なにしろわたしたちはその赤ん坊がやがてどうなるか、よく知っているのですから、名前だけで十分なのです。

たくみな紹介で、わたしたちはこれが「誰の物語」かわかってしまったあとも、わたしたちの興味は尽きません。彼の「このあと」はよく知っています。けれども、わたしたちは「どうなっていくのだろう」ではなく、「どうしてあんなことになってしまったのだろう」という謎を抱えるからです。

そうしてこの作品では、実にさりげなく、奇妙な暗示がなされています。ほとんど身一つで宿屋に流れ着いた夫婦者。妻はみごもっている。一方は宿屋に泊まることができたばかりか、宿屋の女房の助けも得、医者にかかって出産する。他方は宿屋を追い出されたあげく、厩で生まれることになる……。どうしてそんな差ができてしまったのだろう。片や救世主として二千年あまりも崇められ、片や「人間の皮を被った悪魔」とまで呼ばれる。

どうして……と思ったとしても、この作品のなかでは答えを見つけることはできません、というか、そんなことはしない方がいい。物事というのは、そんなに単純なものではないでしょう。それでも謎をぽんと放られて、わたしたちはやはり「どうして…」と考える。それがダールの術なのでしょう。

ところでアメリカのTVシリーズの『トワイライトゾーン』のエピソードに"Cradle of Darkness" (闇の揺りかご)という作品があります(英語版ならYou Tube で見ることができます)。これにも赤ん坊のヒトラーが登場します。こちらもなかなかおもしろいのですが、アロイスがひげを生やしていない。それ以外にも、この短篇とはずいぶん雰囲気がちがうのですが、ダールが書いた1960年代と、2002年制作のドラマでは、アロイス研究も進んだことが背景にあるのかもしれません。

従来、アロイスは飲んだくれで、彼の散財のせいで一家は貧困にあえぎ、幼いアドルフは父親の暴力にさらされていた、という通説が一般的だったようです。けれども村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー ―「独裁者」出現の歴史的背景』によると、「飲んだくれ」という事実はなかったこと、さらに貧困でもなければ、偏狭な思想家でもなかった、とあります。とはいえ、最初の妻は十四歳年長、その結婚はおそらく財産と地位目当て。数年して別居することになるのですが、それ以前から、アドルフの母に当たるクララ(当時十七歳)とは関係を持っていたようです。ところがいざ本妻と別居すると、クララとは別のフランツィスカという食堂のウェイトレスとの間に子供をもうけ、最初の妻が死去すると、フランツィスカを正妻に迎えたものの、彼女が結核のために転地療養するやいなや、クララを家に入れ、やがてフランツィスカが死んで、クララが正妻となった。なんともはや、という感じです。

飲んだくれの父親による日常的な暴力と貧困のなかで育った子供、というヒトラー像は、わたしたちにも納得しやすいものです。けれども実際は、確かに三人の妻に対する処遇など見ても、優しさとか思いやりとかにはほど遠い人物であったのでしょうが、後年のアドルフがあのような人物になった根拠を、すべて父親に求めるというのには、いかにも無理があるでしょう。これを見ても、親がああだったから子供はこうなった、という見方がいかにいい加減なものか、よくわかるように思います。

ダールの短篇が、特有の皮肉なトーンを今度ばかりは封印し、「真実の物語」を名乗り、作為を排してクララの悲劇性に焦点を当てているのに対し、「闇の揺りかご」はもっとずっとフィクションらしい作品です。主人公の女性は、タイムマシンで過去に行き、赤ん坊のアドルフを殺そうとする……というものなのですが、結末は皮肉なものとなっていて、こちらの方がかえって「ダールふう」の仕上がりになっているようにも思います。ともかくタイムマシンで過去に行くことができたら、ヒトラーを何とかすることと、ケネディの暗殺を阻止することをたいがいのアメリカ人は考えるのかもしれません。日本人だったら、関ヶ原でしょうか、それとも原爆投下の日や東京大空襲の日の前に、みんなに避難を呼びかける?

タイムマシンでもなければ、わたしたちは決して歴史の決定的瞬間に立ち会うことはできません。仮に立ち会っていたとしても、あれが「決定的瞬間だった」とわかるのは、もっとずっとあとのこと。だからこそ、わたしたちは「もし〜だったら」と考えずにはいられないし、こんな小説が書かれるのだと思います。

はてさて、戸外を見ると、ハナミズキの街路樹の紅葉が、そろそろ始まっています。やがてケヤキやイチョウやポプラの葉も色を変え、遠くの山々が鮮やかな色に染まるのでしょう。確か、アップダイクの『イーストウィックの魔女たち』だったと思うのですが、春が来て憂鬱になる人と、秋になって憂鬱になる人がいる、という意味のことを主人公は言っていました。主人公は春が来て憂鬱になる。というのも、新しい生命が芽吹き始めるということは、それが死に向かって一歩足を踏み出すことでもあるからだ……と。秋はもっと穏やかな季節です。やがて来る冬に向かって、諦観を抱いて静かに歩いていく。そんなことが書いてあったような気がするんですが、もしかしたらいい加減なことを言っているのかも。いや、これを書こうと思って探したんだけど、見つからないんです(笑)。

何にせよ、空の美しい、気持ちの良い季節であることには変わりありません。どうかみなさまが秋の日を楽しんでおられますよう。

近辺でもずいぶん新型インフルエンザ(もっぱら「新型」と呼ばれています)の話を聞くようになりました。春先の、通る人がみなマスクをかけているようなことはありませんが、どうかみなさまもご自愛のほど。ところで、最近、柄つき模様つきのマスクをたまに見かけるのですが、あれはずいぶん変なものですね。その昔、不良高校生がマスクにマジックインキをしみこませているのをかけていたのを思い出してしまいました。マスクはやっぱり愛想のない白が一番いいみたい。

新型インフルエンザばかりじゃない、従来の季節性もそろそろ出始めるとき。寒暖の差も激しいころです。どうかお元気でお過ごしください。

ということで、それじゃ、また。

Oct. 23 2009



Last Update 10.16

「半世紀前のやらせが教えてくれること〜TVとわたしたち」をアップしました。

そもそもは、一月にロバート・シェクリィの「危険の報酬」の翻訳をサイトにアップするときに、参考文献として読んだ1950年代のアメリカのテレビ事情に関する本『テレビの夢から覚めるまで ―アメリカ一九五〇年代テレビ文化社会史―』(有馬哲夫著 国文社)が大変おもしろかったのが始まりでした。その本のなかで触れられていた「クイズ・ショウ・スキャンダルズ」がどういう事件だったのか、ブログでも紹介しました。

それを「鶏的思考的日常」としてまとめようと読み返したとき、もう少しこの問題を掘り下げることはできないかと思ったのです。

わたしはあまりテレビを見ないので、テレビの「やらせ」問題が新聞紙上をにぎわせてもピンと来ないことがほとんどです。それでもNHKのドキュメンタリー「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」にいくつもの「やらせ」が見られたことは、新聞で連日のように取り上げられていたのはよく覚えています。かなり詳細な検証記事も読んだのですが、なんだかあんまりおもしろそうなドキュメンタリーじゃないな(笑)、と思ったぐらいで、いったいこれの何が問題なのか、「やらせ」というのがそもそも何なのか、どうにもよくわからなかったのでした。

その検証記事も一段落したころ、当時夕刊に月一で連載していた加藤周一の「夕陽妄語」でそのことが触れられていて、自分の漠然と感じていた「もやもや」の正体はこれだったのか、と思ったものでした。今回、この文章を書くために読んでいた『テレビの嘘を見破る』のなかにもこれが引用されていましたので、ここで孫引きしておきます。

ネパール高原の「ドキュメンタリー」について、視聴者は、一体何にだまされたくないのか。撮影隊の一人が高山病にかかったかどうかは、個別的な事実の問題である。その事実を通して番組のいいたかったのは、おそらくネパールの自然のきびしさだろうが、ネパールの自然がほんとうにきびしいかどうかは、また別の問題である。だまされたくないのは、個別的な事実についてか、その事実の意味、さらには番組全体のいおうとした事についてか。

(「夕陽妄語」朝日新聞 '93・2・17夕刊)

いま改めて読み返してみると、加藤の主張は、「そのときその場面で高山病にかかった映像なのか、のちの再現映像なのか」が問題ではなく、その映像を通して制作者は何を伝えたかったかである、「番組全体のいおうとした事」がわたしたちを「だます」ことを目的としていないのであれば、個別の映像を問題にする必要はない、というものであることがわかります。

ただ、どういうわけかわたしはずっと「視聴者は、一体何にだまされたくないのか」という箇所ばかりが頭に残っていて、「やらせ」を問題にする人は、自分がだまされたということに腹を立てているのだ、というふうにこの文章を理解していたのでした。

何にせよ、だまされるのはいやなものです。おそらくそれは、だまされることによって何らかの被害を受けるからではなく、「だまされた」ということ自体が、わたしたちの自尊心を傷つけるからでしょう。

「だます」側の意図はさまざまです。相手をバカにするためにだましてやろうとすることもあるでしょうが、チャールズ・ヴァン・ドーレンのように、そんな意図は毛頭なかったにもかかわらず結果としてだますことになってしまう場合もあるでしょう。そんなケースで「だまされた」と腹を立てる人は、自分があるプロセスを「知らされなかった」ことに腹を立てているのです。そしてまたあるプロセスを、何らかの理由で「知らさなかった」人は、そのことで罪悪感を抱く。

映像における「やらせ」が問題になることの背景には、このことがあるように思います。

情報公開という言葉があります。なぜ、情報は公開されなければならないのか。不正を未然に防ぐために、という答えがすぐ返ってくるでしょうが、本当にそうなんでしょうか。

わたしたちは、人間の行為とは、意図や動機、感情や目的から理解可能な仕方で流れ出るもの、というふうに考えています。何らかの行為をした人は、かならずそれに対して申し開きができることを期待します。もしある出来事が、一見すると、ある行為者の意図的な行為であるにもかかわらず、その行為が理解できないとき、つまり意図や動機や感情や目的がわからないと、とまどってしまいます。相手に対してどのように応えたらよいのかもわからなくなってしまいます。

以前、こんな遊びをしたことがあります。
「ぶう、これは豚が一ぴきです。ぶうぶう、これは豚が二ひきです。ぶうぶうぶう、これは豚が三びきです。ぶうぶうぶうぶう、じゃ、これは豚は何びき?」
この答えはわかりますか? 三びきです。
では、「ぶうぶうぶうぶうぶうだと、豚は何ひき?」
文字に書くとわかりやすいかもしれませんね。答えは二ひき。

「ぶうぶう」は答えとは関係はありません。質問者が「何ぴき」とたずねれば、それは「一ぴき」、「何ひき」と聞けば、「二ひき」、「何びき」と聞くなら「三びき」と応える、そんなルールがあるのです。

気がつく人はすぐに気がつきますが、気がつかない人は、もう全然気がつかない。ひとりを残す全員がわかってしまったとき、ただひとりわからなくて怒り出した人がいました。自分をはめようとしているのだ、と、真剣に腹を立てたのです。

「ぶうぶう」と豚の数の規則性がどうしても見つからないというとまどいが、「何かが自分だけに隠されているから見つからないのだ」という怒りへと変わっていった。この他愛のない遊びが、非常に印象的な出来事として、わたしには記憶されたのでした。一部が隠されている、自分以外の人はそれを知っている、という状態は、まさに「やらせ」の状況であると思います。

確かに「やらせ」ではなく「演出」という言葉を使うと、ずいぶん印象が変わってきます。けれど、単なる言い換えに留まっているうちは、「カメラの視界の外で桜の枝を揺すって花吹雪を起こしたのはやらせか」といったレベルの議論は、何度でも出てくるでしょう。けれど、問題はそこにはない。

「やらせ」という言葉には、視聴者を「だます」というニュアンスがかならずくっついてきます。けれども、映像を観るということは、それがフィクションであろうとノンフィクションであろうと、「始め−なか−終わり」を持つ物語のなかに入っていくことに変わりはありません。物語の世界に入っていくということは、語り手に「だまされる」ことでもある。わたしたちは「だまされる」ことを恐れてはいけないのだと思います。

今野勉は『テレビの嘘を見破る』のなかで、「肝心なことは、世界と向きあうこと、です」と書いています。この人が「作り手の原点」とする「事実の前に謙虚であること」そうして「伝えたいことがあれば、そのために考えられるありとあらゆる最善の方法を考える」ということは、まちがいなくその通りであると思います。おそらくこの方は、非常に立派な演出家なのだろう、良い仕事をたくさんなさり、これからも続けていかれる方なんだろう、とも思います。

けれども、そこまで立派な人ではなくても、ふつうの実利性をもったありきたりの人が撮った映像に「だまされる」のは、ちょっと不安になってきます。だからこそ、わたしたちはもっとその「だまし」が何を目的にしたものか、もっともっと意識的にならなくてはいけないのではないか。

リテラシーというのは、たぶんそういうことを指すのだと思います。「あれはきっとやらせだよ」と指摘することではなく。

途中で何度もちがう方向に迷い込みかけて、なんだかえらく書き上げるまで時間がかかってしまいましたが、書いていて楽しかった文章です。ただ、あんまり何度も読み直したので、しばらく読むのはいやなんですが(笑)。わたしが書いて楽しかったように、読んでくださる人が楽しんでいただければ良いのだけれど。

気がつけば、すっかり秋も深まってきました。風の中にキンモクセイの香りが混ざっています。日の光は金色を濃くし、ほんの少し残っている、猫の額ほどの田圃がある道を通ると、空気のなかに刈られたばかりの稲の匂いがむせかえるほど。ああ、秋だなあと思います。

ちょっと風邪を引いたりもしていたのですが、何とか体調も戻りつつあります。
またいろいろ頑張っていこうと思っていますので、どうかよろしく。

みなさまもお元気で、秋の日を楽しまれますよう。
ということで、それじゃ、また。

Oct. 16 2009



Last Update 9.26

シャーリー・ジャクスンの短篇をふたつ、「魔女」「なんでもない日に落花生を持って」を翻訳しました。

"One Ordinary Day, With Peanuts" が全文掲載されていたのを見つけたので、最初にこちらを訳してみたのですが、なんとなくピンとこない。そこで、よく似たシチュエーションの "The Witch" と並べてみました。

この列車に乗り合わせた男は、「なんでもない日…」のミスター・ジョンスンではないのか。男の子の側から見たのが「魔女」であるのに対し、ミスター・ジョンスンに焦点を合わせたのが「なんでもない日…」なのではないだろうか、と思ったのです。

少し想像してみてください。あなたがまだ小さな子供、電車に乗っても足が下に届かないくらいの小さな子供だとします。そこへ隣りに見知らぬ男が坐ってくる。通路側に坐られて、逃げることもままならない情況で、いきなりグロテスクな話をし始めるのです。保護者である母親にとっては、悪夢のような情況でしょう。けれど、子供の側からしてみたらどうなのか。この男の子は四歳といっても、なかなか知恵も回るし、頭の良さそうな子供です。

彼が何者かわからなくても、相手が何かしら、暗い、まがまがしい想念を抱いていることは感じるでしょう。そうして、男の子はその暗くてまがまがしいものに引きつけられる。というのも彼は、自分を取り巻く「名前は?」「年はいくつ?」「かわいいお坊ちゃんねえ」などという紋切り型の言葉にうんざりしているのです。そうしてちょうど、サキの「話し上手」で、子供たちが独身男のお話に夢中になったように、男の子もこの男が垣間見せてくれる紋切り型の言葉の外の世界に引きつけられます。ただ、独身男のお話は、箱の外のもうひとつの箱、大人たちが子供を閉じこめておく小さなお話の箱よりは多少大きな箱でしかありません。幾重にもなった入れ子のひとつ、あくまで「お話」というかたちで閉じられた世界です。ところがこちらの男が見せてくれたのは、箱の外の箱として、閉じられてはいないものだった。

わたしたちはこの箱を閉じようとして、さまざまな説明を考えます。そうして、男の子の考えた「魔女」も、その説明だったのでしょう。「魔女」という言葉で箱を閉じることによって、その想念を「怖いお話」として毒を抜き、無力化しようとしたのではなかったか。
男の子が意識してそれをしたとは思いません。けれど、人間が言葉を使うようになって以来、ずっとやってきたことを、男の子もやったのでしょう。そうして、こうしたことを繰りかえすことによって、人は言葉と言葉の隙間から立ち上るものが見えていた時代に別れを告げて、言葉の世界の一員となっていくのだろうと思います。

問題は、この男の方です。彼はいったいなんのためにこんな話をしたのでしょうか。

ソクラテスは「人は誰も、悪を悪と知りつつ行う者はいない」と言いました。確かに、歴史を振り返ってみても、どのような戦争にも「大義」はかならずありますし、大量虐殺やテロを支えるのは、たとえその時代、その集団にしか通用しないものであっても、理論や思想、人びとが深く信奉できる物語です。あるいはまた、自分がなすことは「悪」であるとわかっている人でも、そういうときにはどうしてもしなければならないのだ、この「悪」を犯さなくては、自分はもっとひどい情況に陥ってしまうのだ、という、一種の正当化がなされているのだと思います。「次悪」なんていう言葉はありませんが、行為者は最悪を避けるためにこうするしかなかったのだ、と、自分の行為を他者に向かって説明する「言葉」が用意されていたはずです。おそらくその意味で、ソクラテスの言ったことは正しいように思います。

わたしたちがこの男の動機を知りたく思うのも、そうしてまた、それがつかみがたいことがこの短篇の魅力であることも、ソクラテスの言葉を、わたしたち自身が生きているからでしょう。

けれど、彼はそうなんでしょうか。そういうこととは無縁の世界の住人なんじゃないでしょうか。

このことは、「なんでもない日…」のミスター・ジョンスンを見れば、いっそう明らかです。ネットの感想文にあるように、彼を「悪を体現した存在」のような見方で読んでしまうと、どうも落ち着きが悪いように思えるのです。彼が「悪の象徴」なら、物言いの荒い運転手を解雇させるミセス・ジョンスンが「善の象徴」?? まさか! むしろ、ジャクスンが描こうとしたのは、善とも悪とも無縁の世界じゃなかったのでしょうか。

「善」というのも、言葉です。「悪」というのも言葉。わたしたちの社会は、この言葉をひとつの軸として、人間と人間の関係や、人が取るべき行動についての指針が立てられています。わたしたちは成長し、言葉を学びながら、同時にその使い方を学んでいく。そうやって、「善」と「悪」の世界の住人になっていきます。

けれども、もしその外から何ものかがやってきたとしたら。外からやってきたものには名前がないでしょうから、わたしたちの目には見えないでしょう。ただ、仮にその何ものかが人間の目にも見えるような、言葉のフィルターに引っかかるような姿かたちに身をやつしていたとしたら。そうして、その何ものかが、わたしたちのなかにいつの間にか混ざり込んでいたとしたら。

彼らにとっては、「善」だの「悪」だのという規準にしても、結びついたり離れていったりする「関係」にしても、どうにでもいじれる、ちょうど人形遊びの筋書きのよううなものなのではないのでしょうか。つまり、言葉を生きているわたしたちには「悪を悪と知りつつ行う」ことはできないけれど、言葉の外からやってきた彼らにとっては、そんなことは簡単です。彼らはそんな規則に支配などされてはいないから。人を恣意的に結びつけ、切り離すことだって、まるでアリの通り道に飴玉を置いたり、逆に穴を掘って水を流して遊ぶ子供とおなじこと。

そう考えていくと、ジャクスンが描こうとしたものが、何となくおぼろげに見えてくるように思うのです。おそらく、ジャクスンが描こうとしたのは、悪ではなく、「善」という言葉と「悪」という言葉の隙間じゃなかったんだろうか。

言葉にならないものを何とか掬い上げようとした、という意味で、この「なんでもない日に落花生を持って」という作品は、作品のおもしろさとかという意味では「くじ」なんかに譲るのだけれど、大変に深い、興味深い作品のように思います。

さて、このかん、いくつものことがつぎからつぎへと起こって、忙しくしていました。自分にできることはごくごく限られている、それでもやるべきことはしなきゃなりません。だから、そういうことをひとつずつやっていきました。ひとつはケリがつきましたけれど、残りはまだ結果は出ません。そうして、ケリがついたことも含め、これから先どうなるのかもわからない。

いまは結果待ちの日々です。不安にもなるし、つい悪くなる想像をしてしまって、そうなったらどうしよう、いったいどうなるだろう、とついついそんな考えも起こってくる。それでもそれは、待ちきれなくて答えを迎えに行くことだと思うんです。迎えに行っても、時間が来るまでは答えはでないのだから、先取りしたって意味がない。それでも、ただ待つだけの状態というのは、苦しい。だったら待ちながらほかのことをしていよう。自分のルーチンをひとつひとつ片づけていこう。ちょうどいま、そんなところです。

うまくいけばいい、と思いながら、この更新情報も書きました。しばらくそんな感じの日々が続いていくでしょう。どうかいい結果が出ますように。だけど、それが終わっても、まだいろんなことは起こり続けます。わたしはこれからもそうやっていろんなことに巻き込まれながら、自分のできることをひとつひとつ、丁寧にやっていきたいと思っているところです。

良かったら、うまくいくようにみなさんも願ってください、なんて言ったらムシが良すぎるかな。

ここ数日は、残暑がぶりかえしたような日でした。週が明ければ9月もいよいよ最終週。いよいよ今年も四分の三が過ぎました。終わりよければすべてよし。残り三ヶ月を充実させていきたいものだと思います。

空は高く、木々の葉は、最後の緑を濃くしています。
どうかみなさまが気持ちの良い秋の日々を過ごしていらっしゃいますように。

September. 26 2009



Last Update 8.13

ロアルド・ダールの短篇「女主人」の翻訳をアップしました。

この話を最初に読んだのは、いまから二十年近く前だったのですが、そのころはライトな『サイコ』だと思っていました。おっかなくない、最後に「おっ」と思わせる『サイコ』であると。それが、今回訳すために読み返してみて、『サイコ』というよりは、なんだかおとぎばなしに近いような印象を受けたのでした。

見知らぬ街を歩く、というのは、なんともいえず不思議なものです。よく知っている場所を歩くわたしたちは、おそらく目の前の光景を見ると同時に、ちょうどカーナビのように、「空間のなかにいる自分」の位置を確かめながら移動していると思うのです。だからこそ、本を読みながらも歩けるし、目印にしている建物が、急になくなったとしても、自分のいる場所を見失ったりはしません。けれども、知らない場所であれば、よくよく方向感覚の確かな人を除けば、俯瞰的に自分の場所をとらえることはむずかしいでしょう。その不安感は、おそらくそこから来るのにちがいありません。

自分が歩いている道が、どこへ続いているのかわからない。道筋に沿って建っている家並みの向こうには、いったい何があるのか。そんな不安感が、さまざまな物語を産み出すのでしょう。

迷い込んだ先では、猫がうようよと歩き、家の窓からも猫が顔をのぞかせているのかもしれない(萩原朔太郎『猫町』)。声をかけてくれるのが親切な人かと思ったら、恐ろしい人買いかもしれない(森鴎外『山椒大夫』)。街のように平坦な場所ではない山中や、見通しのきかない森の中だったりすると、道に迷うというだけで、大変危険なことになってしまいます。

同時にこれは、この先、いったい何が起こるのか、何が待っているかわからない、わたしたちのメタファーでもあるのでしょう。

住み慣れた街を歩く人は、経験を重ね、よく知った日々を営んでいる人のメタファーでもあります。一方、新しい環境に身を置く人は、まるで見知らぬ街に迷い込んだ人のよう。そんなふうに考えていくと、安寿と厨子王も、ヘンゼルとグレーテルも、「三枚のお札」に出てくる小僧さんも、そうして「女主人」の主人公ビリーも、あるいは「チョコレート工場」という迷路に迷い込んだチャーリーも、「子供」「少年・少女」といっていい。そうして、みんな恐ろしい体験をすることになります。

多くの子供たちは、危険をくぐり抜け、成長して、またよく知った場所に戻っていきます。行ったきりにならない、行って、ちがう人間となって、また戻ってくるというのが「成長」ということである、と、これらの話は教えてくれているようです。とすると、まったく気がつかないままお茶を飲んでしまったビリーは、「行ったきり」になってしまうのでしょうか。

ロアルド・ダールは、わたしが小学生のころから親しんできた作家のひとりです。本というのは、「共に成長していくもの」と、「通り過ぎていくもの」があるように思います。折に触れて読み返し、成長に応じて読み方も深まっていく本と、読んで楽しんで忘れていけばいい本。前者にくらべて後者に価値がないかというと、そんなことは全然ないと思うんです。十代二十代のころに、「通り過ぎていく」本ばかりをあまりに読み過ぎたのではないか、という気が、ちょっとしないではないのですが(笑)、むしろ自分を作っているのはそっちかなあ、とも思います。

ここで終わるか、と、あっと思わせ、思わずにやりとしてしまうストーリー・テラー、ダールの作品を楽しんでいただけたら、これほどうれしいことはありません。

それにしても昔はこんなに大雨が降っていましたっけ。去年の七月の終わり、偶然出先で経験した大雨は、信じられないほどの降り具合で、死者まで出たのでした。夏に夕立はつきものですが、「夕立」という言葉には収まらないほどのあまりの激しさに、わたしたちの側がいまだ対応し切れていないように思います。急に降り出す土砂降りは、厄介なだけではないのだと、最近思うようになりました。

雨が降ったり、台風が来たり、かと思えば地震が来たり。考えてみれば自然の力というのは、とてつもないもの。「地球に優しい」なんてコピーが、なんだかほんとに白々しく思えてしまいます。

地球温暖化だとか、環境破壊だとかと不安になるのも、逆に、自然を自分たちでコントロールしようと思うからこそ、そのコントロールが及ばないものに対する不安なのではないでしょうか。わたしたちにできるのは、大きな力をまず認め、それによる災害を最小限にくい止める、ということだけなのではないのかと思います。

さまざまなことが起こる毎日ですが、どうかみなさま、お元気でお過ごしください。そろそろひぐらしも鳴き始めました。立秋を過ぎ、八月も、あと半月。残りの夏の日を楽しまれますように。

ということで、それじゃ、また。

August. 13 2009



Last Update 8.06

ジョン・チーヴァーの短篇「ニューヨーク発五時四十八分」の翻訳をアップしました。

いまから十五年ほど前のことですが、あるアメリカ人と話をしていて驚いたことがあります。その人は、アメリカ人というのは、競争心が激しく、自己中心的な人があまりに多い。クラスメイトや同僚も、「友だち」というより競争相手で、自分の弱みなど決して見せられない。そこへいくと、日本人はみんな優しく、弱みにつけ込もうとするところがない、だから自分は日本が大好きだ、というのです。

翻訳物の小説では、アメリカ人は実に精神分析医によくかかっている。白衣を着ていない、友だちのような話し方をするドクターに向かって、登場人物が寝椅子に横になって、昨夜見た夢の話をする、という場面をずいぶん何度も読んだのですが、わたしは長いことそれが不思議でした。それが、その話を聞いたとき、ああ、そういうことなのか、と思ったのでした。

自分の周囲が全員ライヴァルならば、常に鎧に身を固めていなければなりません。そうは言っても、いつも強く、正しいわけにはいかないのが人間で、だからこそお金を払って、駄目な自分、弱い自分を見せているのか、と。

それから十年ほどが過ぎて、いつのまにか日本でも「精神科」の敷居はずいぶん低くなりました。わたしの周囲でも、鬱病や双極性障害などという言葉を聞くこともまれではなくなりました。おそらくいまならわざわざ「精神分析医にかかる」と訳す必要もないでしょう。

これはわたしたちの社会が、アメリカのように競争社会になったからなんでしょうか? わたしたちの周りのクラスメイトや同僚は、いつのまにかライヴァルや敵になってしまったのでしょうか。

敵というのは、あまり実感にはそぐわない。けれども、人と人との関係は、以前よりずいぶん希薄になってしまったのかもしれない。あまり人の重い話は聞きたくない。自分もそんな話をするような「KY」なことはしたくない……その結果、駄目な自分、弱い自分の話は、お金を払って聞いてもらわなければならなくなってしまったのか。

1950年代から、郊外に住む人びとの「孤独」を描いたのが、ジョン・チーヴァーでした。ローンを組んで、郊外に立派な家を買った。それぞれの部屋にバス・トイレのついたベッドルームが七つほどあり、広いリビング、広い庭には芝生が敷き詰められ、プールまでがある。そんな豊かな生活を営みながら、妻は日中、話す相手もおらず、ホームパーティは開いてもそれは近所づきあいや夫の仕事のため、自分には気の合う友人もいない。子供たちは親の価値観やライフスタイルをバカにし、素行不良だったり、アルコールや、のちにはドラッグに手を染めたりしている。毎日、時間をかけて通勤し、身を削るように仕事をし、そうやって家を手に入れたのに、どうしてそこは「スイート・ホーム」ではないのか。いったいどこで誤ってしまったのか。

では、そのチーヴァーの「子供たち」はいったいどうしたでしょう。立身出世主義者で、自分ひとりが正しいような顔をして、価値観を押しつけてくる父親に反発して、彼らは60年代に、学生反乱を起こした。ヴェトナム戦争に反対し、権威を憎み、たとえ家を持っても、対等でフレンドリーで物わかりのいい親になろうと努めた。子供たちには、自分の好きなようにしていいんだよ、と言い、価値観というのはいろいろあっていいんだ、と、結局は何も教えようとしなかった。その結果、父親になった「子供たち」は、孤独感から解放されたのでしょうか。さらに、「子供たち」の子供たちは、手本にしようにも、反発しようにも、「父親像」すら持てなくなってしまった。権威を嫌う父親の下では、家族はひとつに結びつくこともなく、その絆はひどく希薄で、「子供たち」の子供たちは、「何もかも奪われてしまった」ミス・デントとそれほどちがわないところへと流れ着いたのではないか。わたしたちがいまいるのは、そういうところであるようにわたしには思えるのです。

なのに、わたしたちは、どこかに親密な関係、お金を払わなくても、自分のことを気遣い、自分の話に耳を傾け、自分のことを誰よりも気にかけてくれるような関係がある、と夢想しているような気がします。どこかに行けばそんな場所があると思って、あちこちを渡り歩き、この人こそ、と期待して、関係を結ぶ。けれど、仮に最初はうまくいっても、そんな関係は続くわけがない。そんなとき、ミス・デントのように、自分以外の人はみな、そういう関係を誰かと築いていると想像して、ひとり苦しんでいるのかもしれません。

それでも、そんななかでも、なんとか関係を結ぶことはできないのか。「家」を作ることはどうだろう。最初はそれが「ホーム」ではないとしても。スザンナ・タマーロは『心のおもむくままで』で七十代の老女にこんなことを言わせています。

六十か七十になってふいに分ってくる。
 家や庭は、便利だから、きれいだから、あるいは偶然のなりゆきで住んでいるところではなくて、自分の庭であり、自分の家であって、貝殻がなかに棲む貝の一部であるように、自分の一部であることが。貝殻は貝が自分の分泌物でこしらえたもので、うずまき模様には貝の歴史がきざまれている。家である殻は貝をつつみ、上やまわりにかぶさって、貝が死んでもなお離れず、貝が味わった喜びや苦しみと離れようともしない。

(スザンナ・タマーロ『心のおもむくままに』泉典子訳 草思社)

家というのは、やはりそんなものなのかもしれません。ときに自分の城に見えることもあれば、自分を縛り付けるような牢獄に見えることもあっても、長い間住み続けることによって、自分の一部となるのでしょうか。

短篇の最後でブレイクは、家へ帰っていきます。この経験を通して、ブレイクはどう変わっていくのでしょう。夫婦の寝室の間をふさぐ本棚は、取りのけられたのでしょうか。こういうことを続けていたら、やがてどうなるか、自分の前に立ちふさがるミス・デントの姿が浮かんできたりするのでしょうか。

もっと気になるのは、ミス・デントの「それから」です。彼女に帰る先はあるのでしょうか。ブレイクという憎悪の対象を失って、その空白をいったい何で埋めることができるのでしょうか。チーヴァーが作り上げた世界は、そこで終わってしまいますが、「そのあと」を考えずにはいられません。

はてさて、それにしても暑い日が続きます。近所には並木があって、六時前からセミの声がうわんうわんと聞こえてきます。その声を聞くだけで、体感温度が二度ほど上がりそうです。確かにその声は「降る」ほど聞こえてくる。セミしぐれ、とはよく言ったものだと思います。

それが、夕立が近づくと、その声がぴたりと止むのです。空は暗く、空気は雨を含んで重くなり、やがて、ぽつり、ぽつりと来たかと思うと、一気に降り始める。それが小一時間ほども続いたあと、少しずつ空は明るくなり薄日が差してきて、セミの声も戻ってくる。雨が上がるのはそのあとです。水道の栓を閉めるように雨が上がり、ああ、夏だなあ、と思います。

暑さは厳しい時期ですが、その季節の楽しみというのもある。どうかみなさまが夏の日々を楽しんでいらっしゃいますように。

お元気でお過ごしください。
ということで、それじゃ、また。

August. 06 2009



Last Update 7.25

ブログで5月に翻訳をしかけて中断していた、フランク・オコナー「天才」をアップしました。

これは語り手がどこにいるか悩みに悩んで、最後まで訳して、結局二度直しました。

一切の出来事は、主人公のラリーの目を通して語られます。そうして、この語り手は「ぼく」と言っているのだから、ラリー自身なのでしょう。でも、このラリーはいったい何歳のラリー、どこでこの出来事を振り返っているのでしょうか。大人のラリーが当時のことを、できるだけ正確に語っているのか、それともラリーは未だ子供なのか。子供とすれば、一体何歳ぐらいなのだろう。

「わたしのエディプス・コンプレックス」では、少なくともフロイトの「エディプス・コンプレックス」理論を知っている大人、そうして、その理論をいささか皮肉な目で見ている語り手が、子供の目を通した世界のことを語っているのだと考えました。子供は大人が考えるより、はるかに多くのことを知覚していながら、それを表現するボキャブラリを持っていない。子供の知覚している世界をできるだけ正確に表現するためには、大人のボキャブラリが必要だ、と考えている語り手を想定したのです。ですから、ここでの語り手は、「わたし」という一人称を選びました。

この「天才」でも、ブログ掲載時は「大人」を考えていました。ただ、最後まで訳してみて、なんとなくこの語り手は、これから自分がどうなるか、わかっていないのではないか、という気がしたのです。大人であれば、自分が神父になっているか、探検家になっているか、音楽家になっているか、そのいずれともちがう者か、知っています。けれど、この語り手は、自分がどうなっているかわかってはいない。となると、大人ではないだろう。

それでも、dignity(「威厳」とか「品位」とか「矜持」とかを意味する単語です)や
"It must have been real love, for I have never known true love in which I wasn't ashamed of Mother."
(「おそらくそれこそは真実の愛だった。母を恥じることを通さなければ、ぼくはほんとうの愛に目ざめることもなかったはずだ」とここでは訳しました)
といった表現を、はたして何歳ぐらいの子がするものだろう。

そこで、ユーナと同じくらいの、小学校の高学年から中学生ぐらいの子を想定して訳してみました。でも、語り手は、ユーナの気持ちもまだわかっていない。語り手にとっても作中のラリー同様に、ユーナは自分が手の届かないほどの「おとな」です。

やはり、それよりもまだ幼い男の子なのだろう。
最後の場面で、ユーナは自分の世界に戻っていき、ラリーも元の世界に戻ろうとします。そこでラリーは、かつて楽しかった「本の執筆」に、いささかの興味も抱くことができない、と味気ない思いをします。ユーナとの経験を経て、ラリーは少し大人になった。かつての「本」は、身長が伸びたために身に合わなくなった服のようなものです。
ひとりぼっちになったラリーは何をしただろう。お母さんの言うとおり、じき、友だちはできたでしょう。けれども、その前に。そのときのラリーが書いたのが、「天才」なのではなかったか。そういう設定がなされているのではないか。

早熟で豊かな感受性を持った六歳の男の子が、書いたというふうに考えよう、と思いました。上でもあげたように、子供の文体ではないし、ボキャブラリでもありません。だから、こちらもインチキ臭い子役文体(?)はやめて、ちょっと背伸びをさせてみました。六歳の男の子には思えないかもしれませんが、なにしろ彼は「天才」ですから、そこは大目に見てください(笑)。

さて、みなさまは日食をごらんになりましたか?
わたしの住むところでは、明け方まで雨が降り、日が昇ってからも厚い雲がたれこめて、日食は見られそうもないなと思っていました。ところが十時をまわったぐらいでしょうか、曇りの日とも、薄暮ともちがう、頭の真上から暗くなるような、明るさが吸い込まれていくような、独特の感じがありました。同時に空気がすうっと冷たくなってきて、ああ、これが日食なのだ、と思いました。十時半ぐらいだったでしょうか、窓からひょいと頭を出して空を見ると、雲を透かして欠けている太陽が見えました。淡いグレーの紗の向こうに、銀色の太陽の一部が黒くなり、三日月型になっているのが、くっきりと見えたのです。

わたしが見上げていたら、それにつられるように、近くにいた人も見上げ始めました。
「なんだかすごいね」
「オレ、鳥肌立ってきた」
「なんやよぉわからんけど、感動するゎ」
そんな声があちこちから聞こえてきました。

やがて太陽は、もっと欠ける前に、ふたたび厚い雲に覆われたので、わたしも、周囲の人も、見るのをやめて、それぞれの方向に歩き始めましたが、なんだかみんな、宇宙的スケールのものにふれたときの顔になっていたのでした。おそらくわたしもそんな表情を浮かべていたことでしょう。

超越的なもの、崇高なもの、何と呼ぼうと、自分を超える大きなものがあるんだ、と気づいたときの人の顔っていうのは、いいものだな、と思いました。個人主義が普通の考え方として根付くようになる近代より前、人はもっとこんな顔を、いまより頻繁にしていたのでしょうか。

日食ツアーを始め、クジラを見に行ったり、高い山に登りにいったり、いまでは苦労して、お金もかけなきゃ、なかなかそんなものに触れることができない。それでも昔の人にとっては、雷ひとつ、雪解けひとつがそんな崇高なものだったのかもしれないなあ、と思ったのでした。

前回この更新情報を書いてから、三ヶ月です。そのあいだに、「鶏的思考的日常」はふたつアップしてるんですが、更新はずいぶんさぼってしまいました。すでにいくつか書きかけているし、もうひとつの翻訳もじきにアップできると思います。しばらくサイト強化月間(笑)としていきますので、またお暇な折りにでも、のぞきに来てみてください。

ずっと更新しないあいだものぞきにきてくださった方、ほんとうにありがとうございました。またぼちぼちとやっていきますので、どうかよろしくお願いします。

サルスベリのピンクが目にまぶしい季節です。
どうかみなさま、お元気で、夏の日をお過ごしください。

ということで、それじゃまた。

July. 25 2009



Last Update 4.24

フィリップ・K・ディックの短篇「変種第二号」をアップしました。

高校時代、フィリップ・K・ディックを初めて読んだのが、この短篇が所収されているサンリオSF文庫の『ザ・ベスト・オブ・P.K.ディック』でした。たぶん四分冊になっていたと思うのですが、なんとおもしろいのだろう、と夢中で読んだことを覚えています。なかでもこの「変種第二号」は印象深いものでした。

さまざまな変種のなかでも、ぬいぐるみのクマを抱いたデイヴィッドは、とりわけ印象深く、「変種第二号」といえば、わたしにとっては、“気持ちの悪い子供があとからついてくる物語”でした。のちに読み返して驚いたのは、デイヴィッドが「子供」として出てくるのは、全体の三分の一ほどにも満たない、主人公がロシアの前線へ向かうまでの一場面でしかありません。それでも、「廃墟のなかでたったひとり生き残った子供」というイメージは、やはり強烈で、この作品をことのほか不気味にしているのも、デイヴィッドによるところが大きいのではないでしょうか。

デイヴィッドの不気味さは、もちろん姿かたちやクマを抱いているという外見もありますが、なによりも、受け応えがどこかおかしいところから来ているでしょう。わたしたちは、この奇妙な受け応えをするデイヴィッドを怪しいと思い、ヘンドリックスに危機が迫るのを感じながら先を読み進みます。それでもヘンドリックスは、デイヴィッドをあくまでも人間の子供として扱い、彼を何とか保護し、守ってやろうとする。一方で、同じ人間を「敵」と見なし、非人道的(この言葉を見るたびに、わたしは「人道的な兵器」というのはいったいどのようなものを指すのだろうかと考えてしまうのですが)によって殺戮を重ねながら、目の前に現れた見ず知らずの子供を何とか守ってやろうとする。このように、ある面では意味づけが過小であり、また別の面で意味づけが過剰である。このバランスの悪さこそが、人間と動物を分けているのかもしれません。

デイヴィッドを初めとした変種たちのことを考えていたとき、わたしが思い出したのは、和辻哲郎の有名な言葉でした。

「人間とは「世の中」自身であるとともにまた世の中における「人」である」(『人間の学としての倫理学』)

かつての日本語では、「人間」という言葉は「じんかん」と読まれ、文字通り、人と人とのあいだ、つまり「世の中」を意味していたのだそうです。それがいつからか誤って人のことを指すようになったのだ、と。

わたしたちはひとりの個人である前に、人と人の間の存在としてあります。お母さんのお腹のなかにいるときから、誕生を待たれ、呼びかけられることによって「人間」となり、死後、肉体は滅んでも、「おじいちゃんは」「おばあちゃんは」と呼びかけられることで人間であり続ける。それぞれが所属するさまざまな共同体、すなわち「間柄」のなかで生きる、ということが、人間である、ということだと言うのです。

ヘンドリックスは、デイヴィッドを保護すべき子供とみなし、そのことによって自分の身が危険にさらされることを承知の上で、何とか連れて行こうとします。このとき、ヘンドリックスにとって、デイヴィッドはまぎれもない人間です。同時に、デイヴィッドを人間(子供)として扱うことによって、ヘンドリックス自身が「人間」としてふるまっている、とも言えるのです。

そう考えていくと、ロシア兵を「敵」として殺戮する兵士としてのヘンドリックスは、人間と言えるのか。クローとどうちがうのか。敵をすべて殲滅し、味方もまた殲滅され、ひとりきり残ったヘンドリックスは、それでもなお人間と呼べるのか。

人間と、人間でないものの差というのは、その人を人間として扱ってくれる人びとがいる、同時に、自分が人間として扱うことのできる人びとがいる、ということにあるのかもしれません。

こう考えていくと、どうしても思い出すのが、ロバート・シェクリィの「静かなる水のほとり」という短篇です(『人間の手がまだ触れない』所収)。

小さな惑星でひとりきり暮らすマークは、ロボットに言葉を入力し、チャールズという名前をつけて会話を交わします。「女性をどう思うね?」という彼の問いに、「いや、わたしにはわかりません。あなたは適当な人を見つけるべきですね」と、彼の入力した通りにロボットは答えます。そのことをマーク自身は十分に知っているのに、彼はチャールズを人間として、友人として扱うのです。惑星での単純な繰りかえしの生活のなかで、マークは少しずつ歳を取り、同時にチャールズも古びていく。そうしてふたりは最期のときを迎えるのですが、マークが人間であり続けることができたのも、チャールズを人間として扱ったからだと思えてなりません。

「変種第二号」は、このチャールズにくらべると、ずいぶん精巧なロボットなのですが、それでも同じ50年代の作品です。倒されると歯車やネジや継電器やチューブ(これは「電子管」と訳したのですがひょっとしたら「真空管」かもしれません)が飛び散るロボットというのは、なんとも古風なイメージです。宇宙艇というのが小さいサイズのロケットというのも、ほほえましくなるような描写です。こういうのを見れば、いまから半世紀前のSFなんだな、と思う。それでも、人間という種が終焉を迎えるかもしれないという危機感や、人間そっくりのものに対して違和感というか、不気味さを感じるというところなど、実によくわかるように思います。

忙しかったということもあるのですが、長かったし、訳すのにずいぶん時間がかかってしまいました。ブログ掲載時からおつきあいくださった方には、お礼を言っておきます。検索でここにたどりついた方には、楽しんでいただけたらいいなあ、と思っています。

三月の終わりから訳し始めて、桜の花が咲き、散り、いまは若葉のまぶしい季節です。季節の移り変わりにともなって、花が咲いたり、木々が芽吹き、やがて若葉を繁らせたりする。毎年の光景と言ってしまえばそれだけですが、「変種第二号」の世界では、望むべくもない光景でもあります。今年も咲く花を愛で、若葉の匂い立つ並木道を歩くことが、どれだけ幸せなことか。「死の灰」に覆われた世界を訳しながら、わたしはそのことを思っていました。

読んだあと、少し世界がちがって見えてくる。世の中にはまだまだこんな本がたくさんあるんだなあ、と思うと、ちょっと楽しくなってきますね。またこれからもぼちぼちと紹介していきますので、楽しみにしていてください。

何だかいやに暑い日があったと思えば、日が落ちれば肌寒いような日もある。寒暖の差が激しい今日このごろですが、どうかみなさま、お変わりありませんよう。気持ちの良い春の日々をお楽しみください。

ということで、それじゃ、また。

April. 24 2009



Last Update 3.30

「この話したっけ」「便利な、不便な話」をアップしました。

近所の小学校の塀には、「目標」と書いた看板が出ていて、そのなかのひとつに「がまんのできる子供」と書いてあります。わたしが小学生のころは、あまり「がまんする」などという言葉を聞いた記憶はありません。むしろ、「がまん」なんて、「ほしがりません、勝つまでは」などという言葉に通じるような、一種のアナクロニズムとしてとらえられていたように思います。

あきらめず、努力すれば、夢はかなう。だからほしいものがあれば、がまんするのではなく、手に入れられるようにがんばろう。わたしはそういう言葉を聞きながら大きくなったように思うのです。

ところがそうやって欲望を肥大させてきた結果が環境破壊や資源の枯渇を招いたのではないか。そんな反省の気持ちが「がまんのできる子供」という「目標」にはこめられているように思います。

一方で、いまの子供たちを対象としたマーケットは、おもちゃだけではない、スナック菓子にとどまらない多種多様な食品や、服、電化製品にいたるまで広がっています。テレビのコマーシャルだけではない、テレビ番組やマンガが何とか子供の欲望を喚起させようとしている。そんな時代だからこそ、「がまんのできる子供」の育成が必要、と考える人も多いのかもしれません。

けれども、わたしの見る限りでは、子供たちがつぎつぎとほしがる、というよりも、むしろ親たちの方が、率先して子供にそういうものを買い与えているのではないか、と思うのです。少なくとも、赤ちゃんはミッキー・マウスのよだれかけはほしがらないはずです。

お年玉で×万円もらった、と話している小学生何人かに「それで何か買ってもらうの?」と聞いてみましたが、その多くが「500円までならデュエルマスターズカード、買うてええて言われてるけど、あとは別にほしいもんないから、貯金する」といった内容のことを言っていました。子供たちは意外に堅実、というより、ほんとうにほしいものがないような印象を受けたのでした。

「目標」の「がまん」が指しているのは、そういうことではないのでしょうか。遊びたくてもがまんして勉強する、給食ではきらいなものでもがまんして食べる、体育の授業では苦しくてもがまんして走る……。

もしその「目標」が意図しているのがそういうことだとしたら、それも何となくピントがずれているような気がするのです。勉強なんて、やりたくないのをがまんしてやるようなものじゃない。

それでも、確かにいまのわたしたちの多くは、「がまん」をしないことに、なにがしかの罪悪感を感じているように思うのです。歩かないこと、手間を面倒がること、「便利」な手段に飛びついてしまうこと。だからこそ、「便利」な世の中ではあっても、子供たちは、「便利」を避けさせ、がまんさせよう、この標語の裏には、そんな思惑があるのではないでしょうか。

どうして「便利」はいけないのか。「便利」でないものがそんなに良いのなら、わたしたちはどうして便利ではないやり方を選ばないのか。わざわざ子供の目標に掲げてしまうのか。

そんな「良い・悪い」とは別に、便利なものは、かならずしもわたしたちの生活を快適にはしていないのではないか、という問題意識は、ずいぶん以前からわたしのなかにありました。便利になればなるほど、不便なことが出てくるような気がする。「不便」は「便利」の対義語ではないのではないか。そのことをきちんと考えてみたかったのです。

岩村暢子の『変わる家族 変わる食卓――真実に破壊されるマーケティング常識』(勁草書房)は、わたしにはずいぶん衝撃的な本でした。ここに出てくる家庭が、どれだけ現実の家庭を反映しているのか。極端な例だけを取り上げているのではない、と繰りかえし書いてあります。膨大なデータとインタビューをもとに書かれた、とも。それでも、これが標準的な子供のいる家庭だとは、どうしても思いたくないわたしもいます。それでも、「便利」の行き着く先がこんな家庭だとしたら。やっぱりこれは大変なことです。

「便利」を追求し続けて、「ストレス」を感じ、疲れてしまっているのがいまのわたしたちだとしたら、「がまん」はその処方箋として的確なのか。わたしはそうは思いません。わたしの結論がまだまだダメだというのは、自分でもよくわかっているのです。だから、これを読んだ方の考えを聞かせてもらえれば、と思います。

今日は気温は少し低いけれど、春らしい日差しのふりそそぐ日でした。ほころびかけた桜の花も、今日一日で、一気に開いたことでしょう。

今年もまた花開く桜のように、繰りかえす日々を大切に、丁寧に生きていきたい。そんなふうに思います。わたしはかならずしもちゃんと理解できているとは言えないのですが、メルロ=ポンティのこの言葉を読むと、いつも胸が熱くなるんです。

モンテーニュのモラルのすべては、つぎのように決断する誇り高いこころざしに基づいている。――人生に根拠はないにせよ、これをほかにしてはなにものも意味がないのであるのだから、この人生を引き受けることにしようではないか、という決断である。このような自己自身への転回のあとでは、かれには再びすべてよしと思われるのであった。

メルロ=ポンティ『シーニュU』(竹内芳郎 訳 みすず書房)

万事O.K.だから“すべてよし”なのではない。“すべてよし”と引き受けていこうじゃないか。この「誇り高い決断」も、こんな春の日ならできそうな気がする……。
そんな気がしませんか?

どうかみなさまも、気持ちの良い春の日をお過ごしください。
ということで、それじゃ、また。

March. 30 2009





Last Update 3.15

フラナリー・オコナーの短篇「善人はなかなかいない」の翻訳をアップしました。

わたしは小学校の一年生のとき、カトリックのお葬式に参列したことがあります。その教会の信者でもあった、同じ学年の子のお父さんのお葬式でした。その子のお父さんは、ケンカの仲裁に入ったところ、暴力に巻き込まれて、命を落としたのでした。

子供時代のわたしは、どういうわけか「ナイフで刺された」と記憶していたのですが、いま思うに、ナイフを振り回すような特殊な暴力沙汰に巻き込まれたわけではなく、「ナイフ」というのは当時のわたしの捏造で、おそらく日常的な諍いが引き起こした事故が、最悪の結果を招いたのではなかったかと思います。

祭壇には棺が置かれ、後ろの方にいたわたしからは、よくは見えなかったのですが、花が一面に飾られ、香炉からはよい匂いのする煙が流れてきて、大変に美しいお葬式でした。確か、亡くなった方の子供は五人か六人か、わたしと同じ学年の子は、その真ん中ぐらいで、大勢の子がベールをかぶって、前にずらりと並び、頭を垂れてお祈りをしていました。端で痩せて小さなお母さんが、ハンカチを目に当てていたのが、わたしのところからも見えました。

当時のわたしは、暴力を憎む立派な人が、「ケンカの仲裁」という神様の御心にかなう善い行いの結果、命を落とすのが納得ができない思いでいっぱいでした。ところがミサを執り行ったシスターは、「神の御許に召された」ことが、良い、すばらしいことのように言うのです。死ぬことは、永遠の命を手に入れることだ、と。

そのことの意味が、当時のわたしにわかったわけではありません。いまのわたしでも、よくわからないことです。けれども、ああ、この人たちは、こんな考え方をする人たちなんだ、と、そのときに思ったのか、あとで何度も思い返すうちに、いつからかそのように考え出したのかはさだかではないけれど、生きていることが何にも増して良いこと、というのは、ひとつの考え方でしかないのだ、そう考えない人もいるのだ、と思うようになりました。死は怖ろしい。けれども、そんなふうには考えない人もいる、と思うと、自分のなかの恐怖の質が、少しだけ変わっていくように思えたのでした。

フラナリー・オコナーというと、かならず書いてあるのが、父親の命を奪った進行性の病気に、自身も二十五歳のときに冒された、ということです。それでも「脚と顔の下半分の骨が柔らかくなる病気」と書いてある全身性エリテマトーデス(全身性紅斑性狼瘡)という病気が、日々、どれほど痛んだのか、そんな病気を抱えて日を送ることがどのようなものだったのか、「徐々に冒されていく」という感覚がどのようなものなのか、さらには日々の痛みや麻痺のなかに死の予兆を読みとるというのがいったいどのような経験であるのか、何も教えてはくれません。わかるのはただ、わたしの想像を絶するものであろうということだけです。

ところがオコナーの作品には、そうしたものは描かれていません。オコナー自身が「小説家は、自己を表現するために書くのではない」と言います。さらに、「自分の見るものを真なりと信ずるから、それを描きだそうとして書くのでもない。むしろ、自分の見るものをできるだけそのまま彼の読者に伝わるように表現するのである」(『秘義と習俗』)と言います。オコナーが何を見ていたか、知りたければ、やはりその作品を読むしかないのでしょう。

オコナーの作品は、訳すのにやっぱり体力がいるなあ、という感じがします。最後のひとつ前の“はみ出し者”の言葉も、もうちょっとちがう感じがして、またそのうち直すかもしれません。訳すのはずいぶんきつかったですけれど、日本語や英語でただ読むだけよりも、おもしろく味わうことができました。またそのうち、ほかの作品も訳していきたいと思っています。そのときは、またよろしく。

翻訳作品と著者紹介のページも少しいじりました。前より読みやすくなったのではないかと思うんですが、これだけのページを作るのに、ものすごく時間がかかりました。おまけに、ロバート・シェクリィを書くのを忘れてます(笑)。またそのうち書かなくちゃ。

春とは名ばかりの冷たい雨の日が続きましたが、ひさしぶりに晴れてみると、すっかり春の日差しです。新しい季節、新しい年度の到来です。東の窓を開けて、大きく深呼吸したくなります。

季節の変わり目、体調を崩しやすい時期かもしれません。花粉症の方はつらい季節。
でも、春はすぐそこ、と思うと、なんだかうれしい気持ちがこみあげてきませんか?
どうかみなさま、気持ちの良い春の日を楽しんでいらっしゃいますよう。

ということで、それじゃ、また。

March. 15 2009








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