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アーネスト・ヘミングウェイ
「キリマンジャロの雪」
11月12日
シャーリー・ジャクスン
「くじ」の改訂
11月19日
シャーリー・ジャクスン
「物語の顛末」
1月25日
フィッツジェラルド
「生意気な少年」

■その他の更新

▼ Last Update 02.06

F.スコット・フィッツジェラルドの短編「生意気な少年」を1月25日に、「鶏的思考的日常 vol.35」を今日アップしました。

限られた時間で、ブログやサイトに載せる文章を書いていますので、なかなかこちらまで回らなくて、ついつい遅くなってしまいました。なんて、こんな言い訳をしてみても始まらないんですが。

フィッツジェラルドというと、村上春樹の翻訳もあって、近年、ふたたび読まれるようになってきた作家であるように思います。ただ、村上春樹の翻訳に漏れた作品は、なんとなく見捨てられてしまった観もあります。本文の最後にも書いたように、何しろ多くの短編を書いた人ですので、あまり知られていない短編も数多くあるんです。そういう中からおもしろいものを、これからも訳していきたいと思います。

なかでもこのベイジル・リーのシリーズというのは(といっても、わたしも三つしか読んだことはないのですが)、フィッツジェラルド特有のみずみずしさにあふれていて、なんとも言えず、読後感が良いものです。これが掲載された『サタデー・イヴニング・ポスト』という雑誌が、表紙のノーマン・ロックウェルのイラストに象徴されるように健全な雑誌で、書き手にもハッピーエンディングを求めていたということもあるのですが、生活が破綻を見せ始めていたフィッツジェラルド自身が、過去を懐かしみ、過去の日々に救いを求めるような側面があったことは、否定できないでしょう。

子供時代の思い出話というのは、どこまでいっても、誰がするにしても、つまるところは自慢話です。自己愛のかたまりである人間が、自分は小さい頃からどれだけ優れていたか、どれだけすばらしい親の元に生まれたか、どれだけ恵まれた環境に育ったか(逆に、不幸に耐え、逆境をはねのけたというパターンの自慢話もありますが)、それを披露せずにはおれないのです。そういう自己愛を離れての思い出話はありえない、といっても過言ではありません。

文学作品といえどもその運命を免れることはできません。なかんずく、自己愛の意識が人一倍強い人が表現者になったわけですから。「生意気な少年」の中でも、ベイジルがみんなから嫌われた理由も、並みはずれて博識だったから、とか、誰でも良かったのだがたまたまベイジルがその場にいたために仲間はずれにされてしまった、とかと、かなりいい気なものです(笑)。

にもかかわらず、多くの自慢話がいや味でしかないのに、自伝的な文学作品が読者にいや味なく受け入れられるどころか、わたしたちを感動させ、もう一度読みたいと再読までさせるのは、いったいどうしてなのでしょうか。

わたしたちはさまざまな出来事に出会います。それが何ごとか、わからないまま、その現実と交渉し、現実がわたしたちの対応によって変化し、そこからさらにわたしたちがそれに対して反応していきます。それが何なのか、いったいどういうことなのか、わたしたちはそれにぴったりと合う言葉とめぐり会うまで、わたしたちにはよくわかりません。

小説というのは、わたしたちが言葉とめぐり会うひとつの方法です。作家は、自分の経験や、幼いころの体験を言葉にしようとします。ところがこの言葉は、辞書にも載っている、どこにでもある普遍的な言葉です。まったく個別的な経験を、どこにでもある言葉で表現しようとする。共通の言葉を通じて表現される個人的な経験は、同時に普遍的なものとなっていきます。

その言葉が、体験によって起こった、自分の内の「モヤモヤ」を、晴らしてくれる言葉を探しているわたしたちと出会う。それが適切に言い表されている言葉と会ったわたしたちは、何ともいえない感動を味わいます。こうやって、作家の個人的な経験と、わたしたちの個人的な経験が、言葉によって結びつくのです。

こうした結びつきは、こう言えばみんな感心してくれるだろう、みんなすごいと思ってくれるだろう、と、自分の想像する「みんな」の反応を予期して語られる自慢話には、望むべくもないことです。というのも、このときの「みんな」は、自分の想像する「みんな」ですからつまりは自分なのです。どこまでいっても、自分の言葉から外には出ていかない。自分の経験を言い表す言葉を手探りする苦心とは、まるでちがうものです。

だから同じ「自慢話」であっても、わたしたちはフィッツジェラルドのそれを楽しむことができるし、同時に自分の過去の経験を、より深く理解することができるのでしょう。

この短編には、たとえば『グレート・ギャツビー』の深さはないけれど、それでもわたしたちはこの短編を読んで楽しいと感じるし、ベイジル・リーを通して、過去の自分に出会うことになるのだと思います。

それにしても、ブログに書きっ放しにしたままのログ、書き直そうと溜めているログの多さは頭の痛いところです。書くのにどんどん時間がかかるようになってしまって、更新頻度も落ちているのですが、まあなんとかぼちぼちとやっていきたいと思いますので、どうぞよろしくおつきあいのほどを。

さて、ブログでもアナウンスしていますが、ミラーサイトの管理をしてくださっている方が、翻訳をiPhoneで読めるように変換してくださっています。http://www.freewebs.com/vocalise/gb/annex.htmlからダウンロードできるので、iPhoneをお持ちの方は、どうぞお試しください。翻訳もがんばっていかなくちゃ。

ブログでは新しい短編の翻訳も終わっていますので、近い内にそちらもアップしますので、どうかお楽しみに。

この冬は、ことのほか寒い冬でしたが、ここ数日は、春の陽射しを感じます。梅もずいぶんほころびてきました。春もつぎのつぎの角ぐらいにはいるのでしょうか。

どうぞみなさまも、お元気でお過ごしください。

ということで、それじゃ、また。

Feb.06 2011



▼ Last Update 11.21

シャーリー・ジャクスンの講演「物語の顛末」をアップしました。これを機に、「くじ」の翻訳も全面的に改めています。

"Biography of a Story" が所収されている遺稿集 "Come Along With Me" の冒頭で、遺稿集の編集に当たったスタンレー・ハイマン――ジャクスンの夫であり、同時に大学で文学理論を教える教授でもありました――は、この講演録の背景を簡単に説明しながら、参考資料として「どれほどわずかであろうと、作品を知らない人のために」あえて遺稿集にも「くじ」を再録したと述べています。

確かに「くじ」は、アメリカでは小学校や中学の英語のテキストとして授業で使われることも多いし、短編小説のアンソロジーの常連でもあります。日本でいうと、たとえば芥川龍之介の「地獄変」のような位置にある作品なのかもしれません。けれどもハイマンの言葉の裏には、単に有名というだけでない、妻の作品に対する誇りや愛情のようなものがうかがえるように思います。

多くの毀誉褒貶にさらされた、というか、どうやら発表当時はそのほとんどが毀と貶だったらしい「くじ」ですが、当時ヴァーモントにあるベニントンカレッジで教鞭を執っていたハイマンは、作品をどのように評価していたのか、文学理論に照らし合わせてどのように分析していったのか、もっとくわしく聞いてみたいような気がします。

わたしも「くじ」を初めて読んだときの衝撃を、いまも覚えています。早川の『異色作家短編集12』で読んだのが最初で、不思議な短編小説を読み進んだ最後に、この作品に出くわしたのでした。最後の場面で心臓をわしづかみにされ、思わず本を持ったまま、立ちあがったのでした。

おそらく同様の反応を示した人は少なくなかろうと思います。わたしは思わず立ちあがっただけですが、当時、それだけではすまなかった人が、作者に手紙を書いたのでしょう。

「もしこれが『ニューヨーカー』の読者を代表するサンプルであるなら、というか、その号に限っての読者大衆のサンプルであったとしても、わたしは即座に書くことそのものを断念したにちがいありません」(本文)というジャクスンは、手紙を寄越したのは、読者の中でも極めて特殊な、「何でもすぐ真に受ける人びとであり、無作法で、しばしば無教養で、しかも笑われることをことのほか怖れている」人びとである、と考えていたようですが、本当に特殊な人だったのでしょうか。

たとえばカフカの作品や、あるいはまたボルヘスやムジールの作品を読むとき、わたしたちはおそらく心して(笑)作品世界に足を踏み入れることでしょう。いくつかの出来事がうまく焦点を結ばず、合理的な解決に至らなくても、どこかで「そういうものだ」と納得してしまいます。

それに対して、「くじ」の世界は、平明な、夏の光がすみずみまで行き渡っているような世界です。作品中の時間は、広場に集まってくる人びとに沿って流れていき、部分的に説明のために遡行することはあっても、わたしたちは心地よく流れに乗って運ばれていきます。記述は一貫して合理的で、わたしたちは「何のためのくじなのか」「くじを引いてどうなるのか」という疑問は、やがて解き明かされるにちがいないと、作者を信頼しつつ読み進めていきます。けれど、待っているのは、予想だにしない結末なのです。穏やかな、明るい作品世界が、一転して恐ろしい幕切れとなる。しかもその理由は、わたしたちにはどうにもよくわからないのです。

読者は、それまで合理的説明がなされると作者を信頼して読んできたのに、土壇場でそれをひっくり返されるのですから、腹を立ててもいいかもしれません(笑)。おかげでわたしたち読者は、誰もが今度は作者になって、「くじ」の続編を頭の中で作らなくてはならなくなってくるのですから。

読者が「何でも真に受ける」のは、ほんとうだと思わせるような、リアリティあふれる描写と人物造型ゆえでしょう。「無作法」なのは腹を立てたから、そうして、「笑われることをことのほか怖れ」るのは、幕切れ直前まで、あまりに作品世界が平明な調子で進んでいくので、もしかしたら自分一人だけ、肝心の合理的説明の部分を読み逃したのかもしれない、という不安がぬぐえないからに相違ありません。

そう考えていくと、ジャクスンが紹介した手紙は、大なり小なり、読者であるわたしたちの感じ方を反映したものであるように思います。

さらに、この講演でもうひとつおもしろいのは、この作品が成立に至った背景の箇所です。乳母車を押しながら坂道を上っているときにアイデアがひらめいて、そこから一気呵成に書き上げた、という部分です。

「くじ」が、もっと時間をかけ、綿密に構成されたものであるなら、何のためのくじ引きなのか、なぜ今日まで続いているのか、いったい誰が主催しているのか、といった数々の疑問点を、作者自ら、考えずにはいられなかったはずです。たとえそうした「答え」を直接作品の中に描かなかったとしても、何気ない描写や人びとの会話、言葉の端々にそんな「作者の考え」はにじみ出していたにちがいないと思うのです。

ところが、この作品には、そうした謎の答えは、一切空白のままです。レンズの焦点の内側に物体を置いたときのように、どうやっても像を結ぶようにはできていない。それもそのはず、一気呵成に書いた作品だから、作者自身もその答えをまったく知らないのです。

わたしたちはどうしても、作品の中できちんと原因結果が結ばれていないこの作品を、一種の寓話、何かの隠喩だと受けとって、その「元」となった話を、あれやこれや考えてします。豊穣を願っての人身御供の物語ではあるまいか、とか、贖罪の山羊を選び出さずにはいられないわたしたちの社会の隠喩になっているのではあるまいかとか、この物語の向こうを考えます。ちょうどレンズの焦点の内側に置かれた物体が、スクリーン上に像を結ぶ代わりに、スクリーンの反対側に虚像ができるように。作者自身がその答えを知らないからこそ、この作品を元に、誰もが新たな作者となれるのでしょう。

その昔、「ニューヨーカー」誌上で、リリアン・ロスがヘミングウェイの思い出について書いている文章を読んだとき、ヘミングウェイが「くじ」という作品のことを卑怯だ、と批判していたことを思い出します。原文が手元にないので、どういう点についての批判だったかはわからないのですが、細部に至るまで厳密な像を頭の中に構成し、それを的確に伝える表現を徹底的に追求したヘミングウェイからすれば、こうした空白は許せなかったのかもしれません。

作者が描きだした厳密な像を言葉を通して読み取ることにせよ、言葉のつながりの向こうに、もうひとつの物語を透かし見ることにせよ、こうやって考えていくと、やはり「読む」という行為は、「意味を紡ぐいとなみ」だなあ、と思わずにはいられません。

「くじ」は、わたしがブログ上で最初に公開した翻訳です。そうして今日までにおそらく最も多くの人に読んでいただいた作品でもあります。この機会に再度手を入れていますので、この講演と併せてふたたび読み直していただければ、願ってもない喜びです。

さて、このところなんだかんだ忙しく、まとまった時間もなかなか取れず、翻訳の手直しにもずいぶん日数がかかってしまいました。のぞきに来てくださった方、どうもすいません。

そうこうしているうちに、秋もすっかり深まり、日の入りも早く、三時も過ぎれば、空には薄暮が忍びより始めます。暮れてしまえばクリスマスに向けて、あちこちにしつらえられたイルミネーションが一斉に点灯するのですが、それにはまだ少し間のある四時半ごろ、あたりは不思議な薄闇に包まれます。

先日、そんななかを自転車で走っていたところ、ビルのガラス張りの壁面前で、十代の女の子たちがダンスの練習をしているのを見かけました。それを見ながら通り過ぎて、しばらくしてからふと、ロイ・デカラヴァの写真を思い出しました。

dancers「ダンサーズ」

暗いフロアでダンサーたちが踊っています。傾いだ肩、柔らかな膝、体の重さを感じているようには思えない軽やかな足。写真を見ていると、切りとられた一瞬の向こうに、どこまでも続く音楽が聞こえてきそうです。エリントンのビッグ・バンドだろうか、いや、もっとひそやかな音楽、低い音で奏でられるベースと音を絞ったトランペット、心臓の鼓動のようなバスドラム。

この音楽は、いったいどこから流れてくるのでしょうか。わたしの内から、というのとはちょっとちがう。写真と、わたしのこれまで聞いてきた音楽の記憶の、その中間のあたりから流れてくる音楽のような気がします。ちょうど、ひとつの作品を読んだあと、わたしの内に生じた小さな小さな「作品」が、わたし自身に帰属するものでもなく、また作者が創り出したものでもないように。

サイトを開設して6年間が経ちました。青息吐息で続けていても、読み物の量だけは着実に増えていっています。大勢の方にも読んでいただくようになりました。

ありがたいと思うと同時に、これほど大勢の人の目にふれることが、何となく怖いようにも思います。それでも、かたつむりの歩みを続けていくしかありません。

わたしの紡いだ言葉たちが、読んでくださる人の内に、ささやかな像を結びますように。そうして、そこからまた、瞬間的な、小さな作品が生まれていきますように。

いままでほんとうにありがとう。

そうして、これからもまた、よろしく。

Nov.21 2010



▼ Last Update 10.04

アーネスト・ヘミングウェイの短篇「キリマンジャロの雪」をアップしました。

ヘミングウェイの中でも、特別に愛着のある作品だったので、ブログに訳してから、手直しにずいぶん時間がかかってしまいました。なのに、これだけ手を入れてもまだ気に入らない部分が何ヶ所かあります。その部分は、これからの宿題だなあ、と思っています。

わたしは昔から感じていたのですが、ヘミングウェイという人は、何よりも精進の人であったように思うのです。死後出版された最後の作品である『移動祝祭日』を読むと、特にその観を強くします。

『移動祝祭日』は、晩年のヘミングウェイが、パリで過ごした若く貧しい日々を、言葉によって、厳密に、克明に追体験しようとしたものです。「しなくちゃならないことは、ただ、一つの本当の文章を書くことだ」と考えていた若き日のヘミングウェイ、「そのとき、それは容易だった」という日々を言葉によって再現しながら、なんとかして当時の活力を、書くことに向かう厳しい姿勢を、厳密な文体を、「本当の文章」を、取りもどそうと、ノーベル文学賞まで受賞し、功成り名を遂げた大作家が、最後の最後まで苦闘を続けるのです。

ところが「キリマンジャロの雪」の主人公ハリーは、『移動祝祭日』の作者と同じことを考えているのです。作家ヘミングウェイが書くことによってとりもどそうとした過去を、ハリーは最良の時期を過ごした場所で再現しようと、アフリカにやってきて、事故に遭ったのです。

ということは、1930年代、三十代にして、ヘミングウェイの「精進」は、『キリマンジャロ…』のハリー同様、過去を振り返り始めたのでしょうか。「本当の文章」を書こうとする精進が、「あのころ」自分の内にあったものを取りもどそうとする苦闘へと変わってしまったのでしょうか。

単純に考えれば、『武器よさらば』のころに手に入れていたものを、その後のヘミングウェイは失ってしまった、ということになるのかもしれません。事実、作中でハリーも享楽的な生活や、才能を切り売りしたことが原因かもしれない、と考えています。けれども、それはそんなに単純なものなのだろうか、とわたしは思うのです。

西谷修の『不死のワンダーランド』には、このような一節があります。

……作家は書く。それはありうべき作品の実現を求める企て(営み)である。しかし「本質的孤独」をとおして「作品の空間」に入ってゆくとき、〈作品〉に近づけば近づくほど、書く者は〈作品〉に対する支配性を失い、彼を非人称化するこの空間のなかで〈書く〉ことを非人称的な何ものかの手に委ねてゆく。つまり書く者は自分を失って〈作品〉の周りを彷徨い、その喪失と惑いのなかで〈作品〉によって書かれてゆくのだ。

そうして実現された〈作品〉は誰にも帰属していない。書き上げられた一冊の書物を前に、作家はあるよそよそしさとともに、解雇された者の〈無為〉を感じるという。あたかも書き終えられた〈作品〉から解雇されたかのように。そして残された一冊の書物はそれ自身のうちに閉じており、作家は依然〈作品〉には近づきえないままにある。〈作品〉はつねにそれがあるところにない。かぎりなくもの(事物的存在)に近い死骸のうちにもはや〈死〉がないように。だから彼はふたたび〈作品〉を求めて筆をとる。

(西谷修『不死のワンダーランド』講談社学術文庫)

ここは、ブランショが『文学空間』の中で、作家がある作品を書くということを、死に引きつけて解き明かしている部分の説明にあたります。文中に出てくる「本質的孤独」とは、作家が書くことによって世界から切り離される、ということです。

わたしたちはふだん、自分のことを〈私〉として意識しています(もちろん、「オレ」でも、「ぼく」でも、「おいら」でも、「うち」でもいいのですが)。この〈私〉は身体によって外界から区別された〈私〉、鏡を通して見た自分の像として、ばくぜんと把握している〈私〉です。

けれども、作家は〈書く〉ことを通じて、ふだん自分が把握している〈私〉から切り離され、「自分を失って」いく。つまり、〈私〉という意識がうすれ、「〈作品〉の周りを彷徨い、その喪失と惑いのなかで〈作品〉によって書かれてゆく」のだと。

〈書く〉という行為がこのような経験であるとしたら、ヘミングウェイがあるときはまだそこにたどりつけないと感じ、確かな作品を書いたあとでは、〈それ〉が自分から失われてしまったと感じたとしても、不思議はないように思うのです。

「だから彼はふたたび〈作品〉を求めて筆をと」ったのが、ヘミングウェイの生涯でもあったのでしょう。そうやって、彼は「〈作品〉の周りを彷徨い」続けたのだろうと思います。

そうして、こうした〈作品〉を読むわたしたちも、おそらくは同様の「本質的孤独」の中に入っていくのだろうと思います。読んでいるわたしは、ふだんの〈私〉ではない。ふだんの〈私〉から切り離され、誰ともつかない存在となって、作家のハリーと共に、死ぬという経験をします。

死ぬという経験は、実際には誰もすることはできません。

もちろん、わたしたちは誰もがみな死んでいくし、死がどういうものか、理解はしています。「たたかいごっこ」に夢中の三歳ぐらいの幼児だって、自分が「やられる」と、バタッと倒れ、動かなくなります。「どうしたの」と聞くと、「死んだの」と目をつぶったまま、小さい声で教えてくれる。小さな子供であっても、「死」がどんなものか、真似ができるほどには理解しているのです。

けれども、それは地面に倒れ、動かなくなった体であり、閉ざされた目であり、つまりは外から観察された死であるに過ぎない。死がいったいどのような経験であるのか、それが訪れたとき、わたしたちはすでに意識がなくなっているわけですから、誰にもわかりようがないのです。

漱石は『思い出す事など』の中で、自分が「三十分ばかりは死んでい」たときのことを書いています。ところが漱石自身にとっては、寝返りを打ち、つぎに枕元の金盥に自分が吐いた血を認めたあいだの三十分間は、「髪毛一本を挟む余地のない」ものだった。実際には三十分の死を経験した漱石ですら、自分の死を経験することはできなかったのです。

けれども「キリマンジャロ…」の中でハリーは死ぬという経験をする。それが「ほんとう」かどうかは、どうでもいいことです。誰にも確かめられないことは、ほんとうも何もない。そうして、ふだんの〈私〉から離れ、〈作品〉の周りをさまよう読者であるわたしたちも、ハリーと共に死ぬのです。もちろん、最後の場面で、戻って来ることができるんですが。

本を読むというのは、やはりものすごい体験なのだなあ、と、こういった作品にふれるたびに思います。わたしの訳したものが、原文を損なっていなければ良いのですが。

ヘミングウェイはやはりすごい作家です。わたしはいつも、だれそうになると、『移動祝祭日』を開くんです。ああ、自分はまだまだこんなふうに真剣に生きてないなあ、って。もっとがんばらなくちゃ、って。それこそ、わたしにとっては「雲の上」の人なのですが、それでも少しでもそんなふうに真剣に言葉に向きあうことができたらなあ、と。

はてさて。
それにしても、ほんとうに最近のお天気は、徐々に季節が移っていくということを忘れてしまったようです。風に感じる秋の気配、なんて悠長なことは言っておれない、とばかり、一夜にしてがらっと季節が変わってしまうのですから。そういえば、昔話に、蔵の部屋がひとつずつ、十二ヶ月になっている、というのがありました。ひとつだけ開けてはいけない部屋があって、そこを開けると……というのでした。

その話でいくと、今年も十番目の部屋が開いたことになります。暑い暑いといっていた夏も過ぎ、朝夕は肌寒いほどになりました。実りの秋を迎えたいものです。こちらもせっせと更新していきましょう。

ということで、また、近いうちに(笑)。こんどはひと月以上間を空けたりはしません。

どうか気持ちの良い秋の日をお過ごしください。ええ、どうせ、すぐ寒くなるんですから(笑)。

ということで、お元気で。
それじゃ、また。

Oct.04 2010



▼ Last Update 8.20

シャーリー・ジャクスンの短篇「夏の人びと」をアップしました。

毎年やってきていた避暑地で、初めてこれまでとちがうことをする。となると、わたしたちが考えるのは「この夫婦にきっと何かが起こるにちがいない」ということです。いったい何が起こるのだろう、ふたりはどうなってしまうのだろう。その一点に引っ張られて、わたしたちは作品を読み勧めます。無事に終わるはずがない、ふたりはひどい目に遭うにちがいない、という結末もわかっています。わからないことはたったひとつ。ふたりに何が起こるかなのです。

ですから、こうしたストーリーで作者が心をくだくのは、結末を知っている読者をじらしながら、最後でどのような出来事を持ってくるかということです。あちこちに置いておいた撒き餌をひとつひとつ拾いながら読み進んできた読者が、あっと驚くような。もちろんいきなり宇宙人がやってきて……などと、それまでと無関係な結末を持ってくると、読者はルール違反と怒り出しますから、作者には「納得させながら驚かせる」という難題を解決しなければなりません。町の人の陰謀か、黒幕がいるのか、レイバー・デイが終わったら、秘密の祀りでもあるのか、それとも湖に何かがいるのか……。どんな結末を用意しても、読者の想定の範囲内です。

実は読者は想定範囲内の結末が好きです。殺人事件なら犯人が見つかり、犯行の動機が明かされる、恋愛小説なら結ばれる、家族物語なら和解し成長を遂げる、離ればなれになった人はまたふたたび出会い、探していた宝物は見つかる。最後には幸せになれるとわかっているから(逆に、どんな悲惨な結末を迎えるだろう、という予感がわたしたちのページをめくる手を急がせることもありますが)、つまりは結末を知っているからこそ、情景描写などを読み飛ばし、会話部分だけ拾い読みしながらも、読むことができるのです。そうして、最後まで来て自分の予想と一致して、安心して本を置くことができるのです。

この「安心」は、わたしたちがいま生きている世界も、同じように「終わりよければすべてよし」というかたちで結末を迎えることができるのだ、という安心につながっていきます。ですから特に、人生の鳥羽口に立つ子供が読む児童文学にあっては、「何があっても乗り越えられるんだよ」「人生はすばらしいものなんだよ」と繰りかえし教えていく必要があると主張する文学者も多くいます。

ところがジャクスンは意外な結末を持ってきます。誰ひとり予想しなかったような。

けれど、たとえばすべてがアリスン夫人の夢だった、といった反則技とはちがって、この結末を読んでも、読者は裏切られたとは思いません。

夢落ちというのは、作者が結末をつけられなくなって、強引に力でねじふせたものです。それに対してジャクスンは、さまざまな可能性を提示して終わる。あたかも、すべては提示しました。だから、このあと、結末をつけるのはあなたですよ、と言わんばかりに。ジャクスンからバトンを手渡されて、このあとどうなるかという問題を解くのはわたしたちの仕事になってしまうのです。

読み終えても、わたしたちはアリスン夫妻がどうなったか考えることは続きます。けれど、作者が答えを教えてくれないので、唯一絶対の答えはどこにもない。どこまでいっても不確かな「その後」を考えているうちに、ただ不安だけを抱えたまま、この先がどうなるかわからないなんて、何だかこれは現実そのままではないか、と思えてくるのです。

小説は、始め―中―終わりという完結した世界を持つから、わたしたちは安心してその中での出来事を楽しむことができるのではなかったか。だから、登場人物がどれだけ悲惨な目に遭おうと、平気でいられるし、現実は結婚してから苦労が始まるというのに、主人公たちが結ばれれば、手放しで喜んでしまう。

ジャクスンの小説はいずれもそうなのですが、世界は安定したものでも、ちゃんとした結末を迎えるものでもありません。逆に、そうなるはず、と考えているわたしたちの願望に揺さぶりをかけます。そうして、それは現実にも波及効果を及ぼします。世界は見えているとおりのものなのか。ひとつの出来事が終わるたびに、わたしたちは「とにかく終わった、良かった良かった」と区切りをつけてしまうけれど、そんなことをして本当に大丈夫なのだろうか。

ジャクスンの小説を読み終わるたびに、現実の世界までもが霧に包まれたような、不確かなもののように思えてきます。わたしたちが漠然と、世界というのは確固としたもの、何ごとにも「終わり」があり、またつぎの「始まり」が始まる、と抱いているのは、単なる思いこみでしかなかったことがわかってきます。

だからおそらくわたしはジャクスンを読んで、読み飽きることがないのだろうと思います。『くじ』から始まって、ここでジャクスンを扱うのも五作目です。なかなか Web で読めるテキストも多くはないのですが、まだまだ訳していきたいと思っています。

それにしても、何という暑さでしょう。世間では、人の耳目を驚かすようなニュースがつぎつぎと起こっているのに、暑さのせいでそれもたちどころに流れていってしまうような気がします。

そこにいるはずの人がいなかった、それもひとりやふたりではなく、日本中のあちこちで……などということが、つぎつぎと明らかになっていったり、ふたりの子供を抱えた若いお母さんがどうしようもなくなって「ばっくれ」たあげく、悲惨な結果を引き起こしてしまったり、広島の原爆式典にアメリカの駐日大使が(実質的にはオバマ大統領の代わりに)初めて出席したり、ほかにもメキシコ湾の原油流出がどうなったかなど、何かもうちょっと「それからどうなった」が知りたいように思うのですが、なんだか最高気温の更新と、増え続ける熱中症患者の報道に、どんどん過去の方へ押しやられていっているような気がしてしまいます。

確かに、暑いです。暑いときに暑いなんて、芸のないことは言いたくないんですが(笑)。
小学生の時、インドにしばらくいたという先生が、「体温を超える暑さなんて、君たちには想像もできないだろうが、ドライヤーの熱風がほんとうに全身に吹き付けてくるんだぞ」と話していたのをいまでも覚えています。夏休みというと、毎朝新聞を見て、昨日の最低気温と最高気温を記録していたものですが(もう少し正確に言うと、毎朝ではなく、8月30日に新聞を山と積み上げてまとめてやっていました)、わたしが小学生の頃は暑い日でも31℃かそこらで、33℃などはまずお目にかかれない数字でした。ところがいまは朝も9時を過ぎればそんな温度になってしまうのですからね。

ふだんは冷房が苦手なのですが、さすがに今年は自分の家にいてもエアコンを使っています。ただ、外に出ると効き過ぎのところも多くて、上着だのなんだのを忘れないようにしなくてはならず、なんだかな、というところです。地球は温暖化しているのかもしれませんが、都市を暑くしているのはエアコンでしょう。

打ち水をしても、アスファルトでは暑くなるばかり。でも、下が土の並木道に入ると、吹き抜ける風にほっとします。暦の上では立秋を過ぎ、ただもうこの熱波が去るのを待つしかないのでしょうか。

猛暑の日々、どうかみなさま、お元気でお過ごしください。

ということで、それじゃ、また。

Aug.20 2010



▼ Last Update 7.30

「友だちが敵になるとき」をアップしました。

ブログに書いた日付を見ると、あれから一年も経ったか、と驚いてしまうのですが、去年のちょうどいまごろ、ある方からうかがった、非常に印象的な話がもとになっています。詳しくは本文を見ていただくことにして、話をうかがったとき、まず最初に「友だちだからそんなことが起こったのだろう」と思ったことを覚えています。

中学生の頃、壮絶なケンカ別れの場面に遭遇したことがあります。部活が終わって楽器を片づけていたとき、上級生ふたりが口論したあげく、一方が紙に赤ペンで「絶交状」と走り書きして、相手に叩きつけたのです。

そのころから世間を斜に見る傾向のあったわたしは、なんだか芝居がかったことをする人だなあ、といくぶん滑稽にも思ったものですが、時間を経てそのときのことを振り返ると、個々の人の友だちに対する激しい怒りをその人なりにケリをつけるには、そんな派手な儀式が必要だったのかもしれません。

小学生の頃、習字で何でも好きな言葉を書きなさい、という課題が出て、その作品が教室の後ろに掲示されていたことがありますが、三分の二ほどを占めたのが「友情」という言葉でした。ほかにも「親友」とか、「友」とか(これを書いた子は、単に画数が少なかったからだったのかもしれませんが)、ともかく「友情」がらみは大人気でした。

事実、中学生から大学生ぐらいまで、というと、友だち関係は生活の中で大きな割合を占めます。当時を思い返せば、勉強するか、部活動をするか、本を読んだり絵を描いたりの趣味の活動に打ち込んでいるか、塾へ行ったり習い事に通ったりするかを除けば、ほとんどの時間は友だちと過ごしていたような気がします。それだけでなく、友だちと仲違いして落ち込んだり、友だちの抱えるいざこざに巻き込まれたり。友だちをめぐるあれこれで、わたしたちは人との距離感を学び、関係の築き方を学び、配慮の仕方を学び、ケンカのやり方を学び、修復の仕方を学んで来たのでしょう。

とはいえ、その経験を通して、わたしたちが友だち関係をうまく築き上げることができるようになったかというと、決してそうではありません。むしろ、当時あんなに仲が良かったのに、いつのまにか行き来しなくなったり、ヘタをすると裏切られたといういやな思い出だけが残っていたり。

友情がそんなに大切なものなら、大人になってもわたしたちは何とかして、誰かと友だち関係を築こうとするでしょう。でも、かつての友だちと疎遠になっても、かすかな寂しさや、ばくぜんとした後ろめたさを感じても、たとえば恋人がいない、配偶者がいない、というときのように、相手を見つけようと必死になることはありません。

友だちというのはなんだろう。友だちはほんとうに必要なんだろうか。そんなことをあれこれ考えてみました。

河合隼雄の本だったと思うのですが、「友だちというのは、夜中の二時に、車のトランクに死体を入れてやってきて、かくまってくれ、というのを、さっと中へ入れてやれる関係だ」みたいなことが書いてあったように記憶しています。

もし、こんなふうに自分を頼ってきてくれたらうれしいだろうな、と思う反面、自分にとって大切であればあるほど、自分はそんなことはできないな、とも思います。そんなことをしたら、いまの関係が壊れてしまうだろう。自分が軽蔑されるだろう。そんなことを思って、誰のところへ行けたとしても、自分が心から大切に思っている人のところへだけは行けないだろうと思うんです。友だちは、やはり繊細で微妙な関係。でも、それだけの配慮と気遣いを、自分が自然にできる対象がいてくれるというのは、うれしく、またありがたいことだと思います。

ところで最近、NHKの連続ドラマ「ゲゲゲの女房」をおもしろく見ているんです。主人公の水木しげるの奥さんが、とてもいい。人に対する自然な尊敬の念を持っていて、いつも、誰に対しても、どんな出来事に直面しても、ていねいに、誠実に、相対していこうとするのです。尊敬の念っていうのは、周りを暖かくするものなのだなあ、とつくづく思います。

水木しげるとその奥さんを見ていると、やっぱりああいうのが友だちだなあ、って思います。

友だち、夫婦、恋人、わたしたちはさまざまに分類するけれど、根本的に、相手に対する敬意を持ちつつ、対等であるような関係は、やっぱり全部友だちと呼んじゃっていいのではないでしょうか。

わたしたちがひとりでいるとき感じる、不安感、孤独感、そういうものが、気持ちのやりとりができる他者がいることによってずいぶん救われます。それは、誰かと気持ちのやりとりをしている状態が、わたしたち本来のあり方だからではないのだろうか。わたしはそんなふうに思うのですけれども。

結局、書き上げるまで時間もずいぶんかかってしまって、実はこの裏で結構こむずかしいことも考えていたりもするのですが(笑)、楽しく読んでいただけたら幸いです。山本周五郎はちょっとマニアックだったかもしれませんが。

梅雨が明けたら、それにしても暑い日々が続きます。朝、窓を開けると、セミの声がかたまりのようになって飛び込んできます。日が昇ってしばらくすれば、捕虫網を持って駆け回る子供の餌食になってしまうのか、静かになるのですが。

一ヶ月ほど、厳しい暑さが続くでしょうか。どうかみなさま、お元気でお過ごしください。くれぐれも、熱中症などにかかることがありませんよう。ご自愛のほど。

ということで、それじゃ、また。

またすぐに、ジャクスンでお会いしましょう(笑)。

※付記:「クレメンティーナ」ブログの方で、she-catさんのご指摘をいただいた点を受けて、一部手直ししました。

July.31 2010



▼ Last Update 7.01

ジョン・チーヴァーの短篇「クレメンティーナ」をアップしました。

ブログにアップしたあと手直しする段階で、どうやっても「当たる」感じがしなくて、何度も書き直しました。軸になる文体が決まるまで、一ヶ月ぐらいかかっちゃいました。クレメンティーナのしゃべり方をどうしようか、青空文庫でいろいろな女中のしゃべり方を探してみたのですが、横光利一など「あたくし結婚するときには、あんな旦那様と結婚したいと思いますわ」と「睡蓮」という小説の中で言わせています。でも、ほんとに当時の女中さんがそんな言葉遣いをしていたのだろうか、と読んでいてもいまひとつピンときませんでした。

家族の一員ではない人が、家にいるというのはどういうものなのだろうか、と以前にも書いたことがあるのですが(「鶏的思考的日常vol.14 「階級」の話」)、この短篇を読んでみると、ヨーロッパ人がかならずしも「女中」をうまく使っているわけではない。「身分」ではなく、「女中」という仕事として割り切っているアメリカ人の方が結局のところ、クレメンティーナをうまく使っているところもおもしろいと思いました。

ともかく、時間をたーっぷり使ったので、近来の翻訳のなかでは、自分としては、まずまず納得のいくものになったと思っています。

本文のあとがきにはうまくおさまらなかったので、ここで書くのですが、短篇のなかに、滞留期限の切れたクレメンティーナがこれからどうしよう、と迷う場面があります。イタリアに戻るべきか、愛してもいないジョーと結婚して、アメリカに留まるか。

この逡巡は、最後の「どうして良き主は、人間にこんなにも数多くの道をお与えになり、人の生涯をこんなにも奇妙に、また多様にさせ給うのだろう」というところとも対応していきます。

わたしたちの日常も、このように「あれか、これか」の選択を迫られる場合が少なくありません。そんなことを考えていたら、ちょうどテレビでワールドカップの試合をやっていて、PK戦を見ながら、この「選択」ということを考えたのでした。

どこを狙うか。
どのくらいの強さで蹴るか。
ペナルティ・キックを蹴る選手は、たったひとり、その選択を下さなければなりません。

何か、そんな責任を負わなければならない選手を見ることに耐えられないような気さえしたのでした。

翌日、日本の敗戦を報じるニュースのなかで、ロベルト・バッジォの言葉が引用されていました。
「 PK を外すことができるのは、PK を蹴る勇気を持った者だけだ」

わたしは94年の暑かった夏、テレビで見た、暑い暑いアメリカ大会で、ブラジルとイタリアの決勝戦での PK の場面を思い出しました。バッジォは脚を痙攣か何かで痛めていて、ほとんどまともに走ることもできないような情況だった。そこで、PK を蹴って、外したのです。

これまでに何百回、何千回とゴールネットを揺らしていたにしても、その瞬間はどれほど恐ろしいことでしょうか。文字通りの「蹴る勇気」を奮い起こさなければならない瞬間にちがいない。そうして、たとえそれを外したにせよ、その勇気を持っていた選手は、勝者なのだと。おそらくバッジォはそう思っていたのではないでしょうか。

選択がわたしたちを苦しめるのは、まちがった方を選んでしまったらどうしよう、という恐怖感でしょう。けれど、選択はほんとうにふたつしかないのか。

結果だけを見るならば、PKは、入れるか、外すかのふたつしかありません。クレメンティーナはアメリカに留まるか、イタリアに戻るかのふたつしかない。

けれども、結果が出る前の段階、選択肢はほんとうにふたつだけなのか、というか、あるのだろうか、と思うのです。PKを蹴る選手は、蹴らないという選択肢はありません。否応なく、蹴ることに向かって押し出されている。一方、クレメンティーナにしても、在留期限が迫り、たったふたつのどちらかを選ばなければならないところに、否応なく押し出されています。

そのとき、選択者を苦しめるのは、一方が「当たり」で、一方が「外れ」、そうして「当たり」を引かなければおしまいだ、という思いです。けれど、PKを外して敗退することになっても、日本チームは、まだその先があるし、選手も「つぎ」があります。クレメンティーナがどうすれば幸せになれるか、一体誰にわかるというのでしょう。そもそも、幸せって何?

選択に苦しむのは、選ばなければならないことの苦しみではなく、その結果が「当たり」か「外れ」かの二種類しかない、と思い込むことの苦しさなのだと思います。チーヴァーが言うように、ほんとうの意味で「生涯が多様」なら、「当たり」と「外れ」の二種類しかない想定は、誤っていると言わざるを得ません。

いくつかの選択をしてみて思ったことは、ああするも、こうするもない、ということでした。短期的な結果なら、うまくいかなかったこともあるし、あきらかに失敗したこともある。けれども長い目で見ると、選択の如何に寄らず、ものごとは「なるようにしかならない」ということです。どちらかを選べばうまくいく、というような、簡単なものではない。「当たりくじを引こう」などとこざかしく考えるのは、実はとんでもない思い上がりなのかもしれません。

選択をつきつけられたときに必要なのは、当たりくじを引き当てる千里眼ではなく、「ボールを蹴る勇気」なのだろうと思います。つまり、どんな結果であっても、それを引き受ける、という勇気です。こう考えれば、選択というかたちで問題が浮上したとき、そのとき同時に、自分の意志というものが立ち上ってくる、ということなのかもしれません。

クレメンティーナは、開き直るようにして、ジョーと結婚することを選びました。「多様な生涯」とは、「当たりか外れか」の二種類ではない。「愛かお金目的か」という二種類でもない。それは、他人が見て論評したりするような性格のものではなく、ただ、勇気を持って、自分だけの物語を紡ぎ続けていくことなのだろうと思います。

一ヶ月ほど、この「クレメンティーナ」ともうひとつのエントリを抱えて、ちょっとずつ書いたり直したりしてきました。時間をかければいい、ってものでもないのでしょうが、やはり自分の中で深めていく時間が、翻訳であれ、文章であれ、必要であるように思います。遅々としたペースではありますが、おつきあいくださったら、幸いです。「クレメンティーナ」と一緒に書いてきたもうひとつの方も、近日中にアップできそうですので、お楽しみに。

雨が上がったら、真夏の暑さです。湿度や温度差で体調を崩しやすい時期なので、どうかみなさま、ご自愛のほど。

ということで、それじゃ、また。

July.01 2010



▼ Last Update 5.22

「褒められること、叱られること」をアップしました。

以前、本屋に行ったとき、『子どもが育つ魔法の言葉』という本が、レジのカウンターに平積みされていたのを見たことがあります。

手にとって中を開かなくても、どんなことが書いてあるか見当がつくなあ、と思ってしまいました。おそらく古来から言い習わされ、誰もが知っているような言葉、たとえば「親は子の鑑」であるとか「褒めて育てよ」などということが書いてあるのでしょう。きっとわたしたちが「知らないこと」は何一つ書いてないのにちがいない。だからおそらくそれを読んだ人は、「なるほど」と思い、「その通りだ」と思い、「自分にもできそうだ」と思い、少しいい気分になって、やがて忘れてしまうのです。だから、レジ横に平積みするほど売れるのだろうと思いました。

そのとき不意に『パンセ』の中にあった「世の中にはあらゆるよい格言がある。人はそれらの適用にあたって、しくじるだけである」という一節まで一緒に思い出して、思わず笑ってしまいそうになりました。

確かに「魔法の言葉」ではないけれど、人を育てるには、決して外してはならないポイントというものがいくつかあるように思います。ちょうど、パソコンを使うときも、ピアノを弾くときも、プールに入るときも、かならず守らなければならないようないくつかのポイントがあるように。ただし、人間が相手の教えるということは、電源スイッチを押したらかならず電源が入るようにはいかない。だから、どれほど「魔法の言葉」を知っていても、相手が魔法にかかってくれるかどうか、パスカルによれば、それが「適用」できるか、は相手と自分の関係や、まわりの情況など、ありとあらゆる要素に左右されることになるのだろうと思います。

おそらく「魔法の言葉」なら、こんな本を読まなくても誰もが知っている。わからないのは、いま、このとき、目の前にいるこの相手に、どの言葉をかけてやれば、魔法にかかってくれるのか、ということです。おそらく本にはそんなことは書いていない。

さらに、その本には決して書いてないだろうと思うことがあります。あなたはなぜ子供に魔法をかけようとしているのか。子供に魔法をかけて、いったいどうしようとしているのか。

確かに「子供が育つ」と聞けば、何だかそれだけで良いことのような気がします。種をまけば「早く芽を出せ」と水をやり、芽が出てきたら太陽に当て……と同じように、植物だって、動物だって、育つこと、伸びていくことは、それだけで良いことのような気もします。でも、それはいったいどうしてなのか。

おそらく人は、誰もみな、この世界に生きていくことが良いことだ、と、漠然と思っているのでしょう。とんでもない、環境破壊や犯罪の増加を考えると、とても良いことだとは思えない、という人がいるかもしれない。けれども、そう考えている人でさえ、自分が病気になれば、なんとか治ろうとするだろうし、動物が誕生する場面に立ち会えば、深い感動を覚えるはずです。おそらくわたしたちは、この世に生を受けたことは無意味ではなかったと、どこか深いところで信じているにちがいない。その肯定感ゆえに、自分以外の人が生きていくことの手助けがしたいのだと思います。

分数のわり算ができるようになった小学生だって、隣の席の子が困っていれば、どうやったらわかるようになるだろうと知恵をしぼる。それは、自分ができるようになって良かったと、漠然と感じているからではないでしょうか。

そう考えていくと、教えることは、先生や親や指導者の立場にある人だけでなく、誰もに関わってくる問題だと思うのです。

「どうしたら相手を魔法にかけることができるか」が教えるということではないはずです。

教えるということは、とりもなおさず教えている自分を見つめることにほかならない。自分にいったい何がわかっているのか。どこまでわかっているのか。教えられると考える自分を支える枠組みというのはいったい何なのか。

教えられている方は、褒められて喜んだり、叱られてふくれたりしてりゃいいんです(笑)。教えられている側は、自分がいったい何を教えてもらっているのか、ほんとうのところはわからないのだから。けれども、教える側はそれではこまります。

だからこそ、教える側が伸びるのだと。『子どもが育つ魔法の言葉』とは、それを口にする人が育つ魔法の言葉なのかもしれません。

タイトルをどうしようか、ちょっと考えたんです。ブログ初出のときの「褒められて伸びる、の反対は?」をそのまま使おうか、とも思ったんですが、とりあえず上記のものに落ち着きました。でも、視点は「褒められる側・叱られる側」ではなく、「褒める側・叱る側」に置いています。それは単にわたしが教える側にいるから、というだけでなく、「教える」ということは、自分がいま、この世界に生きていることに、何らかの意味がある、と考える者の、首尾一貫した態度だと思うからです。

勉強を教えている人は、それほど多くはないかもしれないけれど、教え、教えられる関係のどちらかにいる人は、ずいぶん多いのではないでしょうか。そんな方が読んでくださって、褒められるってどういうことだろう、叱られるうれしいです。

本文を書いたあと、「この話したっけ」の入り口をリニューアルしたりしてもたもたと時間をかけていたので、こちらの更新も遅れてしまいました。本文を書いたころは天気も悪くて妙に肌寒かったのですが、今日の暑さときたら! これで平年並みなのでしょうが、急激な温度の変化には参ります。建物の陰になったところでアスファルトの上に、敷物のようにべたーっと寝ているネコを見ました。ネコも暑いのね。

どうかみなさまも気温の急変に体調など崩されませんよう。
ということで、それじゃ、また!

May.22 2010




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