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What's new? ver.3

※ここには2005-12-03から、2006-3-15までの更新情報とひとことを載せています。


Last Update 3.15

「「読むこと」を考える」「ものを食べる話」、補筆しました。

「ものを…」のほうは、一章書き足して、最後の部分に『バベットの晩餐会』を入れてみました。食べることについて書きながら、食べる「もの」のほうに意識が向いてなかったことに気がついたので(ご指摘ありがとうございました、というか、ご指摘と理解しました(笑))。

「「読むこと」…」のほうも、ブログでいただいたご質問とコメントをもとに、書き加えています。二章と、あと最後のところを補筆しています。

どちらもはっきり言っちゃうと、たいして代わり映えしませんから(笑)、どうかお暇なときにお読みください。

すいません。同じもの、何度も何度も読ませちゃって。
バンドの練習とか、そんなものに立ち会っているぐらいのつもりで、どうかおつきあいください。

バンドの練習というと、わたしが小さい頃のことを思い出します。
川を隔てた裏手に、大きな家があったんです。表は診療所で、裏が個人の家になっていた。
そこで、いつもバンドの練習をやっている大きな音が聞こえていました。

♪ソ、シ、ドー、ソ、シ、レドー、ソ、シ、ドー、シソー(って、これでわかる人はエライ!)って、毎日そこばっかりやってるわけです。それを二回繰り返して、ドラムがドタドタ…というところで、いつも終わっちゃう。

カッコイイ曲だなぁ。そのつづきはどうなっていくんだろう、と、頭の中で来る日も来る日も想像してたんですが、そのお兄ちゃんたちはどうやってもそこで終わってしまう。
なんでも、そこの「医者の息子」が、ドラムセットを買ってもらったんだそうです。川を隔てて真裏に当たる我が家にも、やかましいでしょうが、と、菓子折が来たらしい。時折、ドコドコいう音が聞こえ、そのうち、例の♪ソ、シ、ドー、が始まると、急いで裏をのぞきにいきました。たまに向こうで、お兄ちゃんたちが川に石を投げたり、タバコを吸ってたり(確か高校生だったような…)しているのが見えることもありました。だけど、とうとうその先に行かないまま、そのうち聞こえなくなってしまいました。

中学に入って、「レコード鑑賞会」でDeep Purpleの特集がありました。"Smoke on The Warter" を聞いて「!」。十年ぶりくらいの疑問が氷解したわけですが、期待したほど、「めくるめく展開」があったわけじゃなく、ちょっとガッカリしました。なんだ、ふつうじゃん、って(笑)。以来、Deep Purpleがそこまで好きになれなかったのは、それが原因かもしれません。

わたしが書くものは、とりあえずイントロだけ、ではなく、なんとか最後まで行くことを目指していますので、どうか暖かい眼で見守ってやってください。菓子折は行きませんが(笑)。

ところでなんなんでしょうね、ここ数日の寒さは。
休みの日にクレー展を見に行こうと思ったんだけど、外を見たらすごい吹雪だったので、日和ってしまいました。とにかく期間中になんとかして行きたいものだと思っているのですが。

いまブログで連載している「いっしょにゴハン」も間もなく更新できるはずですので、どうかまた遊びにいらしてください。あー、ボン・ジョビだ、あれもなんとかしなきゃ。

ということで、それじゃまた。
どうかお元気でいらっしゃいますよう。

March.15, 2006



Last Update 3.09

「ものを食べる話」をアップしました。食べるってどういうことなんだろう、だれかと一緒に食べると楽しいのは、どうしてなんだろう。
そういう問題意識から、いくつかの食べるシーンをピックアップしてみました。

ちょっと前に「ソイレント・グリーン」という昔の映画のDVDを見ました。物語の舞台は2022年。地球上の人口が爆発的に増加してしまったために、ひとびとは、ちょうどカロリーメイトのようなものを配給され、それを口にすることで生きながらえている。

そのカロリーメイトもどきの正体を暴いていくのが映画のメインストーリーなのですが、メインストーリーよりもはるかに強烈なのが、政府が老人たちを集めて安楽死させる場面です。横たわる老人たち。そうして天井の巨大スクリーンは、すでに失われてしまった地球の情景、老人たちが幼い日々を過ごした、記憶の底にある情景です。そうして、そこに流れるのはベートーヴェンの交響曲第六番「田園」。老人たちは涙を流しながら、安らかに、眠るように死んでいく。

なんともいえず、恐ろしい場面でした。けれども、その一方で、こんなことも思ったのです。わたしたちが自分のものとして所有できるのは、結局は記憶だけではないんだろうか。政府によって、生死さえコントロールされているところで、死んでいく老人たちが、たったひとつ所有しているのは、過去の記憶です。もしかしたら、それさえも、統制された、埋め込まれたものなのかもしれない。けれども、スクリーンを見、「田園」を聞いているそのときの記憶を、最後に抱きながら、老人たちは死んでいくわけで、このとき、たしかに記憶は彼らのものであるはずです。

わたしたちは、さまざまなものを記憶にとどめます。記憶はいつのまにかどこかへいってしまうから、どこかへいかないよう、おりにふれて思い返し、頭の中でその場面を再現し、もういちど、記憶し直そうとします。そうすることによって、その「楽しかった過去のひととき」をもういちど生き直すし、身体としての脳に刻み込もうとする。こうした身体の中に組み込んでいくということが、結局のところ、所有ということではないのか。

おっと、またどこにも行き着かないことをもたもたと考えてるみたい。
ところで、記憶というと、昔から非常に恣意的な脳内フィルターのもちぬしであるわたしは、ある種のことはまったく記憶に残らなかったんです。たとえば、好きじゃない科目の授業とかね(笑)。どんなに勉強しようと思っても、じゃなかった、勉強しようなんてちっとも思わなかったんだけど、ほんと、授業中、とりあえず座っていたはずなのに、頭の中になんにも残ってなくて、出るのはため息だけ、みたいな経験をさんざん繰り返してきました。

どうもこのところ、この記憶の網の目がいちだんと広くなったみたいで、ふっと意識が離れると、何でもかんでも忘れてしまいます。毎朝、わたしは駅の自転車置き場に自転車を預けていくのですが、いったいどこへ置いたのか、これがわからない。毎日のことだから、昨日置いた場所、一昨日置いた場所、今朝置いた場所、なにもかもがごっちゃになってしまっているのです。毎朝、家を出るときは、自分が置いた場所をしっかり覚えておこう、と思っているのですが、たいてい、自転車置き場につく頃には、それさえも忘れ、毎日夕方になると、自転車置き場をむなしくうろうろしてしまう……。もう末期的症状といえるのかもしれません。

ところで、この間、スーパーでアイスクリームを買ってきたのです。ハーゲンダッツに「チーズケーキ味」が期間限定で発売されたので、これは食べなくちゃ、といさんで買ってきたのですが、家に戻った瞬間、電話が鳴り、電話で話しながら冷蔵庫に買ってきたものを入れていたせいでしょう(と思いたい)、ついうっかり、野菜室にリンゴと一緒にいれてしまっていた。気がついたのは翌日でした。すっかり溶けてしまって、横を押すとぶよぶよします。いったん解凍したものを再び凍らせてはいけない、という知識はありましたが、アイスクリームをムダにすることは、どうしてもできなかったんです。

ふたたび冷凍庫に入れて、固くなったところを見計らって食べてみました。美味でした(笑)。クリーミーではなくなって、シャーベットみたいにシャリシャリしてましたが。アイスクリームを救出できたという満足感が勝りました。

さて、「ものを食べる話」、これを読まれた方が、また誰かといっしょにゴハンが食べたいな、と思っていただけたら、これほどうれしいことはありません。
いつか、また、一緒にゴハンを食べましょう。

だんだん春めいて来ましたね。どうかお元気で。
それじゃ、また。

March.09, 2006



Last Update 3.02

「雪の中のハンター」をアップしました。
翻訳の最後にもちょっと書いたのだけれど、実に怖い話、どこにも行き着かない悪夢のような話です。

ただ、この話は怖いばかりではない。
笑えるところもあるし、考えさせられるところもいくつもあります。

たとえば、『スタンド・バイ・ミー』を始め、少年ものの映画では、確実に太った少年が出てくる。ちょっと鈍くさい、そうした男の子は、グループの足を引っ張るわけです。

これまでわたしは、いつも主人公の視点から見ていたために、その子を「お荷物」としてしか見てきませんでした。けれども、同じように太った子が見れば、それはおそらくはずいぶんちがうはずでしょう。

最初、わたしたちはタブの目に案内されてこの物語に入っていくために、この視点のずらしが簡単にできる。おそらくこれを読んだあとは、同じように太った子が出てきても、前のようには見ることはできなくなると思います。

もうひとつ、印象的なシーンがあります。
フランクが「ロクサーヌはな、おれがいままでそこにあることさえ知らなかった、まったく新しい世界の扉を開いてくれたんだ」(原文は "She's opened up whole worlds to me that I never knew were there.")という場面です。

ロクサーヌがほんとうにフランクのいうようにすばらしい少女なのか。
タブでさえ「あんな子供ならよく知ってる」というぐらいの子ではないのか。
ほんとうのところはわかりません。

それでも、わたしたちはときどき、こんな思いをすることがあります。

だれもがそれぞれの世界を持っていて、ほんとうなら、わたしたちは自分ではないだれかに会えば、確実に、自分以外の世界とふれあうわけです。けれども、多くのとき、そんなことは思いもしない。知らない世界(知らない、ということは、知りたい、ということでもあります)のはずなのに、たいして興味をもたず、ろくに考えもせず、知っていると思ってしまう。

「扉を開いてくれた」と思える人に会えるというのは、ほんとうにすばらしいことなのだと思います。ロクサーヌがどんな子なのかはわからないけれど、フランクにとって彼女はそういう存在だった。やはりそう思える人に会ったというのは、たとえそれがどのようなできごとをつぎに生み出すことになったとしても、フランクにとってはすばらしい出会いだったのだと思います。

だって、それ以外に、わたしたちが自分以外の世界を知る方法があるでしょうか。
いい、とか、悪いとかではなく、やはりわたしはそんなふうに思います。

それにしても三月になったというのに寒い日が続きます。
それでも今日は自転車に乗っているお相撲さんを見かけました。
近所のお寺が、三月場所の巡業でやってくるお相撲さんの宿舎になっているのです。
毎年、お相撲さんの姿を見かけるたびに、ああ、今年も春が来たなー、と思います。

ところでお相撲さん、たとえジャージをはいて自転車に乗っていても、あの髷で、職業が一発でわかります。いまのわたしたち、ほとんどの人が見ただけで職業なんてわからないなかで、ああ、お相撲さんだ、って道行く人から見られるわけで、そういうのは誇らしいのかな、ちょっと大変なのかな、なんて、いろいろ考えてしまいます。
わたし、どうも「わー、お相撲さんだー」と無意識のうちに、にこにこしちゃってるみたいで、もちろん全然知らない人なんですが、こちらが見てたら、いつも目礼されてしまって、そういうときはサインとか求めたほうがいいのかな。ただにこにこ笑ってるだけなんですが(笑)。

寒い日が続きます(あ、また書いちゃった)。どうかお風邪などお召しにならないよう。お健やかにお過ごしください。それじゃ、また。

March.02, 2006



Last Update 2.22

「「読むこと」を考える」アップしました。
ブログ掲載時より大幅に加筆訂正、というか、ほとんど別物になっています。
新鮮な気持ちでお読みいただけるのではないでしょうか(笑)。

わたし自身は見たことはないのですが、“インディペンデンス・デイ”という映画の話を聞いたことがあります。

UFOに乗って、地球を侵略にやってきた地球外生命体をやっつけるために、主人公たちが、月の裏側に隠してある侵略者たちの宇宙船を奪取、それを操縦して敵の主力艦を撃墜する、というのがクライマックスなのだとか。

笑えるのは、アメリカの空軍パイロットが、宇宙人の乗ってきた宇宙船をそのまま操縦できる、というところで、どうやらマイクロソフトは単にグローバルスタンダードであるばかりでなく、宇宙的標準(ユニバーサル・スタンダード)でもあるらしいのです。
その話をうかがったときは、わたしも一緒に笑ってしまいました。

マイクロソフトはともかく、地球外生命体が宇宙から地球を侵略にやってくる、という発想そのものが、おっそろしく「ローカル」な発想であるわけです。

地球外生命体が、わたしたちが想像するような「宇宙人」の外見をしている、という思いこみ。
その生命体が、宇宙船を建造し、宇宙へと乗りだし、ほかの星を侵略する、という思いこみ。

わたしたちはこうした「思いこみ」を笑うけれど、わたし自身、同じようなことをやっている。たとえば、朝起き抜けに「エサくれ、エサくれ」の大合唱をしているキンギョたち、わたしの姿を見てそうやっている、と、わたしは思っているわけですが、キンギョが「わたし」を見て「エサをくれ」と言っている、というのも、わたしの思いこみ(というか、キンギョの一種の擬人化)でしかありません。

自分の思考には、「人間」という、あるいは「日本人」という、「女」という、ほかにもありとあらゆる属性からくるところの、無数の「くせ」がついてしまっています。そうして、思考は、その轍に従って、無意識のうちに、いつも同じ隘路をたどってしまっている。

そうして、それを「あたりまえ」だと思い、標準だと思い、何ら疑ってみようとしない。
その「あたりまえ」に疑問を投げかけるのが、ひとつには、本を読むことだと思うのです。

ウラジミール・ナボコフに『ロリータ』という小説があります。『ロリータ』の語り手は、有罪判決を受けた殺人者で、幼児暴行犯を自称する、ハンバート・ハンバートという名の中年の二流詩人です。
彼はロリコンという言葉の元になったように、十二歳から十四歳までの少女を偏愛します。

これだけ言うと、おそらく、わたしたちのほとんどが、気持ちが悪い、と思い、そんな本など読みたくない、と思うでしょう。けれども、おそらく読み終わると、ハンバート・ハンバートが好きにならずにはいられなくなっているはずです。

本を読む、ということは、「あたりまえ」のことなど、世の中にはひとつもないのだ、ということを実感することでもあります。けれども、せっかく手に取ったのに、それを十分に楽しめないとしたら。ハンバート・ハンバートが好きになる前に、道徳的嫌悪感や、さまざまな理由で、うまく読むことができなくなってしまったら。

ハンバート・ハンバートが好きになる、ささやかなお手伝いになれたらな、と思います。

読むことは、倫理の問題でもある、という考え方があります。言語が間違った使われ方をした結果の最たるものが、ホロコーストだった、文学を考えること、そうして「正しい読み」をするという「倫理としての読書」をしていくことは、こういう最悪の事態を回避するものである、という考え方です(ヒリス・ミラー『読むことの倫理』)。

まだミラーは読んでいる途中で、わたしも十分に理解したとはいえないのですが、もしそうであるのなら、ほんとうにすばらしいことだと思います。

こんなふうに少しずつ考えながら、あっちへいき、こっちへいきしながら、また書いていきます。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。そうして、良かったら、感想、聞かせてください。

細かい文章もだいぶたまっているので、ぼちぼち更新作業も進めていく予定です。
それじゃ、また、近いうちにお会いしましょう。
どうかお元気で。

Feb.22, 2006



Last Update 2.10

ブログで「「読むこと」を考える」のサンプルとして訳した「八人の見えない日本の紳士たち」をまずは翻訳の方にアップしました。本文の方も追ってアップしていきますので、そのときはまたよろしくお願いします。

ところで先日来訪者が7000人を超えました!
カウンタのキリ番をゲットされたのは、ブログのほうでもよくコメントをくださるゆふさんです。パチパチ(拍手の音)。

報告してくださって、どうもありがとうございました。
ささやかなお礼ですが、どうぞ受けとってくださいませ。

試験の頃はずいぶんアクセスがありましたから、7000行くまでは早かったナー、という印象があります。この間、Yahoo!にも登録された(カテゴリの「芸術と人文」>人文>文学>外国文学>アメリカのところです)ので、そのことも影響しているのかもしれません。ごくごく地味にやっているのですが、初めのころにくらべれば、定期的に来訪してくださっているかたもずいぶん増えたのではないかと思います。

わたし自身は日常生活でも、Web上でも、あまり熱心にコミュニケーションをするほうではありません。積極的にメールをやりとりしたり、ブログでもあちこちにコメントを書き込んだり、トラックバックを送ったり、っていうのは、面倒くさい、というか、苦手で、つい億劫になりがちです。このサイトも掲示板もないし、何か、自分の考えたことを一方的に発表する場、みたいになっているのかもしれません。

でも、わたしは書くときに、いつも読んでくださるかたの存在を感じながら、書いていきます。

「自分を表現する」という言い方がありますが、わたしはこれはよくわからない。
表現すべきなにものかが、わたしの内側にあるわけではありません。
読むことで、あるいは話を聞くことで、自分の内側に起きた「さざなみ」があるだけです。ただ、その「さざなみ」を外に向けて送り返したいんです。それがまたつぎの波となって返ってくることを願いながら。

だから、どうかお話、また聞かせてください。

いろんな意味で中途半端、わたし自身があっちへぶれ、こっちへぶれしている情況なので、サイト全体の内容も、行方を定めぬものとなっているのですが、それでも「読んでおもしろいもの」「少しでも読むに足るもの」が書けるよう、これからもがんばっていきますので、どうかまた、遊びにいらっしゃってください。

それにしても、ああ、もう、いったいいつまで寒い日が続くんでしょう。まったくイヤになってしまいます。
それでもベランダのブルーベリーには、たくさんつぼみがついています。徐々にくっきりしてきた日射しを受けて、日に日に膨らんでくるのがわかります。 春はつぎの、つぎの角くらいにいるのかな。

寒いけれど、どうか良い日々をお過ごし下さい。それじゃ、また。

Feb.10, 2006



Last Update 2.04

ブログで思いついたように書いていた歌詞の翻訳やCDを聞いた感想をまとめた「陰陽師的音楽堂」を新しく作りました。ただもう書きたくて書いたような文章で、あまりに個人的趣味に偏っているのかもしれませんが、興味のある方はどうかのぞいてみてください。

どこかに書いていると思うんですが、十年ほど、音楽をほとんど聞かない時期がありました。聞かないことさえも意識にのぼらないような時期でした。もしかしたらそうやって、わたしも音楽を「卒業」していたのかもしれません。

たまに思い出して聞きたくなった曲を聞くだけの、穏やかなつきあいかた。
音楽ではなく、過去のあることを思い出したり、気持ちを高揚させるための、道具のような音楽の聞き方。そんなふうになっていたのかもしれません。

それが、ある方にお会いして、何人かのミュージシャンを紹介していただいて。それがきっかけとなって、わたしは失いかけていたものを取り戻したのだと思います。
そうした意味で、やはり「出会い」というのはいつだって「必然」なのでしょう。

なんというか、ひどく偏ったことを書いているのだと思うんです。だけど、わたしは「解釈」じゃなくて、自分に聞こえたことを書こうとしています。音楽を流すのではなくて、そのなかにできるだけ深く入っていって。そうしてわたしが聞いた「音」を、あるいはリズムを、「歌」を、なんとか言葉につなぎとめようと思っています。

そうして、こうした文章は、わたしはこんなふうに聞きました、っていう、わたしの返事でもあります。音と音が響き合うように、音に呼び起こされたわたしの言葉は、響いていくのでしょうか。読んでくださった方の胸に、音を呼び起こすのでしょうか。

わたしが聞く音は、おそらくほかのひとの聞く音とはちがうものだろうし、それはしかたがないことだと思います。でも、どこか少しでも同じように聞こえるところがあったら、やっぱりすごくうれしい。だから、そんなときは教えてください。

たぶん、わたしが文学に求めるものと、音楽に求めるものは基本的に全然ちがっているんです。音楽だったら、理論も、構造も、表現も、意味も関係なく、結局は、いくつかのコードと、リズムと、ベースラインと、ギターと、できれば印象的なピアノソロと、あとは心に残るメロディの断片と、あんまりひどくない歌詞(笑)さえあればいいんです。それだけあれば、十分。

またこんなふうに音楽がわたしの生活のなかに戻ってきて、ほんとうに良かったと思います。聞くのがうれしくてたまらない音楽について、これからも書きたくてたまらなくなったとき、書いていくんだと思います。そんな、きわめて私的なものだけれど、良かったら、おつきあいください。そうして、あなたが好きな音楽についても、どうか教えてください。

忙しかった日々も、とりあえず一段落。また明日からブログで「読むこと」を書いていきます。

どうか、お暇なとき、また遊びに来てください。
それじゃ、また。どうかお元気で。

Feb.04, 2006



Last Update 1.31

昨日までブログに連載していた「ヴァレンタインの虐殺」をアップしました。あたりまえですが、「虐殺」の記録を載せたわけではありません。

実は、ちがうネタを準備していたのですが、書いているうちにもうひとつ問題意識が焦点化せず、このままだとピンぼけになるのがわかっていたので、先送りにしたんです。そこで急遽、差し替えたのがこれ。翻訳をやる時間もない、となると、お定まりの思い出話です。

こんなものがおもしろいのか、はなはだ疑問なんですが、わたしが書いた文章が呼び水となって、そういえば自分があげたとき、もらったとき、こんなことがあったなぁ、なんて思い出していただけたら、これほどうれしいことはありません。そうして、どうかわたしにもその話を教えてください。

記憶というのは、自分がやったこと、なしたことの記憶であるばかりでなく、自分の眼に映った他者の記憶でもあります。

他者の記憶、というのは、不思議なものです。
まるで、自分の内側に、その人が住みついているみたい。
ほんの限られた時期、限られた回数しか会っていなくても、こうやって思い返してみれば、わたしの記憶のなかでは、その人が自律性をもって動きます。

ほかの人の記憶の中にも、「わたし」は刻まれているのでしょうか。
それはわたしには手がだしようもないことだけれど、それも(もしあるとすれば)、まぎれもなく、「わたし」なのでしょう。「わたし」のなかの「さまざまな人」と、「さまざまな人」のなかの「わたし」。こうしてわたしたちは、記憶を媒介としながら、他者と結びついていくのではないか、と思います。

記憶は、もちろん過去の自分の経験がもとになったものだけれど、同時にそれは〈いま・ここ〉の「わたし」が編集し、改めてつくり出し、語っているものです。そういう意味で、「老いの繰り言」ではない、と思うんですが……。うーん、昔のことは思い出せても、このところ確実に新しいことの記憶は危うくなってるし。同じことを繰り返すようになったら、どうか教えてください。あれ、晩ゴハン、何食べたっけ?

記憶ネタはクリスマス―正月―ヴァレンタインと三つ続いたので、しばらくやめておくことにしましょう。つぎのネタ、もうちょっと煮詰まらないんだけど、なんとか始めていけるかな。もうちょっとかな。

最後に載せた"My Funny Valentine" は、有名なスタンダード・ナンバーです。いろんな人が歌ってるけれど、わたしはやっぱりチェット・ベイカーが好き。この人は囁くように、吐息まじりに歌うんですが、高音部になって、全然声を張らないのに、それでいてちっとも声が痩せないんです。とってもいい雰囲気に包まれているような気がする。これも最近CDで聴き直したんだけど、やっぱり記憶にある声とちょっとちがうんだなぁ。そんなに良い状態で聴いていたわけではないのですが。なんだか、やっぱり昔の方が良く思える、というのは、歳を取った証拠だろうか。困ったなー。

さて、昨日・今日とこちらでは雨で、非常階段から見る遠くの山も雨に煙って見えません。
雨が上がったら、またぐっと冷え込む、と、憂鬱になるようなことが天気予報の欄に書いてあります。
どうか、みなさま、お元気でいらっしゃいますよう。

また、遊びにいらしてください。それじゃ、また。

Jan.31, 2006



Last Update 1.25

「女か虎か」をアップしました。この作品は、19世紀末のアメリカの短編ですが、おとぎ話を模した体裁をとっています。そのため、訳文も、一種のコスチュームプレイ、太宰治の『走れメロス』あたりを参考にしながら書いてみたのですが、どうでしょうか。雰囲気、でてるかしら。

普段の自分の文体ではない、着ぐるみを着て出てくるような感じはおもしろくはあるけれど、反面、気が抜けないものです。バランスの悪いところ、文法上の誤りなどありましたら、どうかご指摘ください。お願いします。

ところで先日、しばらく読めずにいた方の文章を拝見する機会がありました。ずいぶん久しぶりだったのだけれど、やはり以前と同じ「声」が聞こえてきて、懐かしさで胸がいっぱいになってしまいました。

文章というのは、情報を伝えるための道具である側面ももちろんあるのだけれど、それだけではない何かがあると思うのです。それをわたしは「声」というふうに理解しているのだけれど、そうして、自分自身、十分にわかっているわけではないのだけれど、文章を読むとき、ほんとうは、まず聞こえてくるのがその「声」じゃないんだろうか、って思うんです。ところが、それを飛び越えて、意味が直接伝わってくるような文章が多い。意味を伝えるための道具になってしまっているのです。

ピカソは、芸術とは何かをさがしまわることではなくて、何かに出会うことだと言った、と、何かに書いてあったような記憶があるのですが、それがなんであったか、この間からどうやっても思い出せません。もしかしたら、ちがってるかもしれません。だけど、いかにもピカソだったら言いそうだ、と思いませんか?

わたしも、この「声」のことを考えるとき、ほんとうにそうだと思います。文章の声、わたしが一番最初にこの声が聞こえてきたのは、二葉亭四迷の『平凡』を読んでいたときだったのだけれど、この「声」に出会ったとき、やはり「文章」ということを、真剣に考え始めたのだと思うのです。さがしまわったわけじゃなく、思いもかけないとき、ひょいっと出会った。
「意味」だけを考えていると、おそらく文章はただの道具になってしまう。この「声」と出会うこともなくなってしまう。

わたしの文章は、声を持っているのでしょうか。そうでありたい、と思います。作りあげていきたい、少しずつ、成熟させていきたい、と思います。

ということで、決意表明をしたところで、今回はこれまで。
また、つぎのとき、お会いしましょう。
寒い日が続きます。でも、駅へ行く通り道、蝋梅が咲いているのを見つけました。春ももうすぐ、っていうのは、まだ気が早いかな。早く暖かくなるといいんですが。日は少し長くなりましたね。

それじゃ、また。お元気でお過ごし下さい。

Jan.25, 2006



Last Update 1.16

ブログに連載していた「英会話教室的日常番外編 〜アズマさん西へ行く」をアップしました。

ちょっとこのところ忙しい日が続いていて、ネタを仕込む時間も、翻訳をするゆとりもなかったところで、何か書けないかな、とひねりだしたのがこれです。なんでこんなもの書き始めちゃったんだろう、と思いながら、なんだかんだ苦労しながら一週間、書き続けてみました。核になる体験はあるし、モデルになっている人もいますが、基本的にはフィクションとしてお読みくだされば幸いです。

書いているときはよくわからなかったのだけれど、なんというか、どちらでもない、ふたつの間で揺れ動いているみたいな感じを書きたかったんだと思うんです。これ自身は非常に未熟なものではあるのだけれど、なんとなく、どんなふうなものが書きたかったか、が見えてきたことだけは収穫でした。お読みくださって、一部でもクスッと笑えるところがあれば、これほどうれしいことはありません。

ただ、元になる出来事の記憶をたどりながら(なんと1994年の出来事です!)、改めて「実際にあった出来事」と「フィクション」の境界の曖昧さを感じることもありました。アズマさんはわたし自身の分身でもあるのですが、わたしではない部分もあります。あるいは、ここで「わたし」という一人称で書いている「わたし」が、現実の私と必ずしも一致しているわけではない。「物語」がいったいどこから始まっていくのか。その混沌としたところを、これからもっと見ていきたい、深く深くおりていってみたい、そんなことも思います。おっと、またえらく大風呂敷を広げてしまっていますね。

それにしても、忙しいです。"automatically"という単語があります。何気なく、とか、無意識のうちに、自動的に、みたいな意味の副詞ですが、もちろん“機械的に”みたいな意味もある。わたしはこの単語を見ると、機械が動いているところをつい想像してしまうんです。自分が何をやっているかもはっきりと意識することがなく、機械になったみたいに、目の前に置かれるものをつぎつぎに処理していく。いま、ちょっとそんな状態になりかけています。

こんなふうになるといつも思い出すのがこの言葉。

「慣習化は仕事を、衣服を、家具を、妻を、そして戦争の恐怖を蝕む。……そして芸術は、人が生の感触を取り戻すために存在する。それは人にさまざまな事物をあるがままに、堅いものを「堅いもの」として感じさせるために存在する。芸術の目的は、事物を知識としてではなく、感触として伝えることにある」

(ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』せりか書房)

機械になったみたいな自分の感覚を取り戻さなきゃ、って思います。
情報や知識を得るための本じゃない本が読みたい。音楽は……、唯一の慰めに近いものですが、最近どういうわけか毎日U2を聴いてます。それも"WAR"とかの昔のやつ。エッジのギターがとってもいまの気分なんです。
そして、そして……ああ、どこかへ行きたい。

さて、明日は待望のお休みです。雑用がたまりにたまってるんだけど、そんなものには目をつぶり(笑)、映画でも観に行ってこようか、って思います。せっかくスーツを着た殺し屋の映画をやっていることだし。

ということで、それではまた。
どうかみなさまもお変わりありませんよう。
また、お暇なときにでも遊びにいらしてください。

Jan.16, 2006



Last Update 1.06

昨日までブログに連載していた「いくつもの正月」(「正月の思い出」改題)アップしました。

いつも文章を書くときは、着陸地点のおおまかな目安をつけておいて、そこに降りられるよう四苦八苦して、なんとか降りたらそこからもういちど戻って全体を書き直すのですが、今回は最初から落ちをつけるつもりがなかったので、そのぶん、楽だったといえるかもしれません。そのかわり、他の人にとっては、おもしろくもなんともないものなのかもしれません。だったらごめんなさい。

ただ、書いていきながら、ずいぶんさまざまなことが徐々にはっきりと見えてくる、という経験をしました。

せんに、こんな話をうかがったことがあります。いまでもはっきりと覚えているのだけれど、ひとをかたち作るもの、というのは、結局のところ、子供のころの些細な、身体的な経験の断片の集積ではないのか、というお話でした。たとえば夕立のあとに立ちのぼる土の香り、といったものが、言葉による類型化を拒みつつ、そのひとの内にありつづけ、混沌としたままのありようで、そのひとを規定しているのではないか。

そのときは、なるほど、と思いつつも、なんとなく肝心のところをわかりそこねているような気がしたのです。それが、この文章を書きながら、自分のなかへどんどん降りていって、自分が過ごしたいくつもの正月を、文字通り、目の前に思い浮かべ、音を聞き、匂いを嗅ぎ、空気を感じるうち、まぎれもなくそうしたものがどこにも行かずに自分の内にあることを知ったわけです。そうした経験というのは、いまの自分自身と分かちがたく結びついているはずの、読んだ本や積み重ねていった知識、考えてきたことや経験などよりも、さらに深いところ、自分の根幹にある。というか、むしろ自分はこうしたものによってできあがっているのだ、と改めて感じたわけです。

それを文章にしようとして、そのとき、その場限り、あとにも先にもただ一度限りの色や音や匂いや空気を、言葉に押し込め、定着させようとして、これはちがう、と思い、そんなものではなかった、と思い、だれでもないこの自分がその類型化を拒んでいる。

それでも、言葉であらわす色や音や匂いや空気は、それそのものにはなりようがないけれど、、それでも言葉にすることで、類型化、同時にそれはつまり一種の普遍相を獲得しうるということでもあるわけです。
個人の経験は、どれほどそれが根本的なものであろうと、というか、根本的なものであればあるほど、そのひとの内でしか生きられない。けれどそれが本当に表現されれば、その表現に接する人のなかに植え込まれることもある。たとえば文学作品や音楽や映画がそうであるように。たとえば映画「ソイレント・グリーン」を観たあとでは、「田園」が決してそれまでと同じようには聴けなくなるように。
お話をしてくださったかたがおっしゃった「夕立のあとに立ちのぼる土の香り」は、わたしの原体験にはなかったものだけれど、その話をうかがったのち、わたしの内に刻み込まれ、わたしの内にあった校庭で天気雨にうたれながらはしゃいだ記憶(陽の明るさ、雨の暖かさ、校庭の土のにおい、雨のにおい)と結びつき、わたしのものになっています。

おっと、えらく大げさなことを書いてしまいました。実際、自分が書いたのは、ごく個人的な記憶のスケッチ以上のものではないのだけれど、それでもそれが呼び水となって、読んでくださったかたが、ああ、そういえば自分の家では……と思い出してくださったら、これほどうれしいことはありません。

よかったら、またお話、聞かせてください。
ということで、それじゃ、また。
寒いけれど、どうかお元気でおすごしください。

Jan.06, 2006



Last Update 1.02

あけまして おめでとう
あたらしいとし おめでとう
きょうも あしたも あさっても
ずっと ずっと 1ねんじゅう
300と65にち
よい日でありますように

なかがわりえことやまわきゆりこ『ぐりとぐらの1ねんかん』

あけましておめでとうございます。
旧年中は当サイトに遊びに来てくださって、ほんとうにありがとうございました。よたよたとよろけながらなんとか続けてこれたのも、ひとえにみなさまのおかげです。
今年もまた、翻訳をしてみたり、昔話をしてみたり、ああだこうだ考えたことを書いてみたり、と行方の定まらぬ文章を、ちょっとずつ書いていくと思いますので、お暇なとき、お寄りくださったら、これほどうれしいことはありません。

年明け最初の更新情報は、ほんとは更新ではありません。ただ「リリアン・ヘルマン ――ともに生きる」に一部手を入れ、修正を加えた、というだけのことです。
それでも自分のなかでは、けっこうデカい変更なんですね。ブログに書いているころは気がつかなかった、そうして、サイトにアップしてもはっきりとはわからなかった部分、ヘルマンの『眠れない時代』という作品に、問題はなかったのか、みたいなことです。

自分のなかで規範を持つ。これはいい。
自分のこの規範に従って行動する。これもいい。
じゃ、この規範を、他人に当てはめることは? それで、人を批判することは? さらに、それで人を断罪することは?
むずかしいなぁ、と思います。

『眠れない時代』は確かに問題の多い本だと思います。事実関係の整合性が要求される部分と、自分の回想が不用意に混ざり合っているというばかりではなく。
それでも、この作品のなかでモラリスティックな発言をしているヘルマンよりも、農場を手放さなければならなくなって、その最後の日に、ハメットとふたりで鹿を見るシーンや、ハメットがニューヨークに発ったあと、彼の部屋に残されたさまざまな物を見るシーンなど、心に残る部分がいくつもあります。

過去のある時期と結びついた物って、物は物でしかないのに、ときに、ひどく悲しいものになりますよね。
それを自分が手に入れた(もらった、あるいは借りた)ときのことを思い出すだけでなく、経過した時間のなかでさまざまなことが変わってしまい、物そのものは変わらないだけに、自分や自分を取り巻く情況の変化とのギャップを目の当たりにすることになって。つまりは自分がそのときに戻れないことが悲しいんだと思う。

だけど、わたしはこの感傷が、自己憐憫をも含む、甘い痛みだということも知っています。ときに甘い物を食べるのはいいけれど、甘い物だけ食べてたら、虫歯になっちゃうし、胃だって悪くします。
ヘルマンは、ハメットの部屋に残されたさまざまなものを見て「苛々した」と書いています。自分が愛した農場、ハメットとそこで過ごした農場を売り、ハメットと別れて暮らすことになったのに。そういう物を見て、涙を流す代わりに、苛立ち、腹を立てるヘルマンは、やっぱりステキだなぁ、と思います。

ヘルマンについて書いた文章みたいに、考えが足りない部分、視野狭窄に陥ってる部分、勉強が足りない部分、あとではっと気がついて、そんなことを書くことに意味があるのか、何かにつながっていくのか、と思うこともあるけれど、それでもわたしは書くことによって成長してきたのだし、これからもそうしていくしかないんだと思います。
わたしは自分がまちがったことを書かないなんて、絶対に思わないし、立ち止まり、振り返りしながら、修正を続けていこうと思います。

ということで、本年もよろしくお願いします。もしおかしなことを書いていたら、そこ、変だよ、って教えてくださればうれしいなぁって思います。

インフルエンザがそろそろ流行始めているようです。どうかみなさま、お元気でいらっしゃいますよう。
それじゃ、また。

Jan.02, 2006



Last Update 12.30

「リリアン・ヘルマン ――ともに生きる」アップしました。
マッカーシズムについてはどこまで書いていいのかわからず、相当にもたもたしています。もう少し手を入れたほうがいいのはわかってるんですが、またそれはこれからの宿題ということにして、今回はこれで一応の終わりにしようと思います。

ヘルマンのことを「現代のジャンヌダルク」と称している記述も見たことがあるのですが、そんなふうに祭りあげるのは好みではありません。わたしのなかには相当激しい偶像破壊者の血が流れている(笑)、ということもあるのですが、それ以上に、人を祭りあげる、というのは、祭りあげることによって、きちんと評価するということをやめてしまうことでもあると思うんです。それは結局、自分を不問にする、ということを含んでいるんじゃないのか。評価というのは、つねにそれを評価している自分をも評価する、ということを含むことだと思うから。

なんだかまだもたもたと書いてますね。とりあえず、こんな話は少し置いておきましょう。

今日、仕事から帰って、ほとんどやっつけのように大掃除をしました、というか、したことにした、というか。もう収納の許容量をはるかに超える本だけは、どうしようもなくて、とりあえず山をいくつか分けて、こちらの山に分け入れば、A関係の本、こちらの山にはB関係、ということにはしましたが。あとはカーテンを洗って、窓を拭いて、換気扇を洗って、それから、それから……。
まぁとにかく疲れました。

一年使ったカレンダーを外しました。
鮮明に記憶に残っているいくつかの日を、改めて見直しながら。

あのとき、もしこう言っていたら。
あのことをしなかったら。
そういう日が、いくつかありました。

いま現在起きていることに対して、わたしたちはそれがどういうことなのか、理解することはできません。ただ目の前で起こるのを見て、聞いて、考えて、何らかのアクションを起こして、あとは記憶にとどめることしかできません。ああしたら良かった。こう言っていたら良かった。そういうことは、そのときには絶対にわからない。

終わってしまってそれがわかったところでどうなるのか、とも思います。終わってしまったことではないか。もはやわかったところで、手のだしようがない。悲しく、悔しい思いをするだけではないのか。

それでも、たとえいまの自分にはもはやどうしようもできなくても、わたしは忘れてしまうのではなく、振り返り、何度だって振り返り、それはどういうことだったのか、自分はどうすべきだったのか、考え続ける方を選びます。

おそらくそれは「過去に留まる」ということとはちがうと思うから。
カレンダーは新しくなりました。それでも、わたしは古いカレンダーに刻まれたそのいくつかの日を、新しい日の光に当てながら、振り返り、考えるんだと思います。

さてさて、今年もいよいよ終わりです。
Pet Shop Boysの歌に、"Being Boring"というのがあります。Pet Shop Boysのなかでは一番好きな歌かもしれない。ちょっとノスタルジックな旋律に、ニール・テナントのどこか超然とした声が相まって、1990年のアルバムなんだけど、全然古さを感じない。
こんな感じの歌です。

古い写真を偶然見つけた
十代のころのパーティの招待状と一緒に
「白い服着用のこと」というコメントに添えて、引用句があった
だれかの奥さんで、有名な作家でもあったらしい人が
1920年代に言ったことばだ
若い頃っていうのは、もう死んでしまったけれど、
閉じようとしているドアを開け放ってくれた人の言葉に励まされることがある
その人は、「わたしたちは絶対に退屈したりしない」って言ったんだよ

だって、ぼくたちが退屈な存在じゃなかったから
自分を理解する時間なら、ありあまるくらいあった
そう、ぼくらは絶対に退屈な存在じゃなかった
ドレスアップして、喧嘩して、それから思い直して仲直りして
ためらったり、終わりがいつかくるなんて心配したりしたことなんて、
一度だってなかった

ここで出てくる「だれかの奥さん」はスコット・フィッツジェラルドの奥さんのゼルダです。統合失調症と診断された彼女が、〈混濁した思い出にまとまりをつけようとする絶望的な試み〉(当時の彼女の医師の話による)として書いた唯一の小説『ワルツはわたしと』のなかに[S]he refused to be bored chiefly because she wasn’t boring.という一節があるようです(なにしろ混乱したこの作品を、わたしはいまだに通しで読んだことがありません)。彼女は退屈な存在ではなかったために、なににも増して、退屈であることを拒んだ、というところでしょうか。

ゼルダというと、その作品以上に有名なのがナンシー・ミルフォード『ゼルダ ―愛と狂気の生涯』(大橋吉之輔訳 新潮社)で、この本はデイヴィッド・ドルトンの『ジャニス ―ブルースに死す』(田川律、 板倉まり訳 晶文社)の冒頭「ジャニスは本を読んでいる。彼女自身の大空に舞い上がり、ナンシー・ミルフォードの『ゼルダ』の世界に隠れている」という、ものすごく印象的な場面で登場します。どうもこれ以来、わたしの頭のなかは、ジャニス・ジョプリンとゼルダが抜きがたく一緒になってしまっている。

ゼルダも、ジョプリンも、いわゆる「幸せ」な一生とは言えなかったのかもしれない。それでも、少なくとも退屈、なんてものとは縁がなかった。それだけは確かです。
退屈してる時間なんて、ないんだと思います。
だって、考えなきゃならないことはたくさんあるし、本だって、音楽だってたくさんある。会いたい人だって、話したい人だって。だから、退屈なんてしない。そんなふうにしている限り、退屈な存在にはならなくてすむかな、なんて思います。
おもしろい人間でありたい。いつも、いろんなことを考えて、見たり、聞いたりしながら。

今年一年、ほんとうにありがとうございました。
来年もみなさまにとって"never being boring"(退屈なんかとはほどとおい)年でありますように。
"'cause we are never being boring"

それじゃ、よいお年を! 来年、またお会いしましょう!

Dec.30, 2005



Last Update 12.22

「ペンティメント 〜亀」をアップしました。
『ペンティメント』全体からみれば、この「亀」という章は分量も少ないし、同じく所収されている、フレッド・ジンネマンによって映画化された「ジュリア」に較べればずいぶん地味なものですが、非常に印象深い小品です。とくに、年老いたヘルマンが、死んでから五年になるハメットと言葉を交わすシーンは、冒頭のエピグラフと並んで、深く心に残ります。

小学生のとき、理科の実験で糸電話を作ったことがあります。紙コップに穴を開けて糸をつけ、教室の端と端に分かれて。顔は遠くに見えながら、直に聞こえないようにささやく声が、紙コップのなかから聞こえてくる。声が糸を伝ってやってくる、ということが不思議でもあり、耳元で聞こえるクラスメートの声がなんだかくすぐったくもあり、双方でクスクス笑ってばかりいたような思い出があります。

わたしは文章を書くとき、おもに自宅のノートパソコンを使っています。自分のための覚え書き、仕事の文章、それ以外にも、サイトやブログに載せるための文章を書くのも、同じパソコンです。サイトやブログの文章は、この端末の向こうで読んでくださってるかたに、糸電話みたいに、心のなかで話しかけながら書いていきます。日本語として通じてますか? 変なふうに読んでませんか? ひとりよがりなこと、書いてませんか? 近視眼的な考えに陥ってませんか?

端末は糸電話ではないから、もちろん相手の姿も見えないし、声も返ってくることはありません。
だからときに、向こうに、果たして読んでくださってるかたがいるのかどうかさえ、おぼつかなくなることもあります。
まったく関係のない方面から、およそこちらの意図とはかけ離れた読まれかたをして、徒労感だけが残ることもあります。

それでも、自分が考え、考え、考えたのち、いまの自分に書けるのはここまで、と書いた文章の、ここを読んでほしいと思ったまさにその場所を読んでもらったときの、身体が震えるような喜びを、わたしははっきりと覚えています。そうして、読み手でもあるわたしが、書き手でもある相手の「ここを読んでほしい」という場所を読みとった、と思ったときのよろこびも。もしかしたら、それさえもわたしのひとりよがりの思いこみでしかなかったのかもしれないけれど、少なくとも、そのときわたしはまぎれもなくそう思ったわけです。

そうした経験のひとつひとつは、数は少ないけれど、くっきりと鮮烈なイメージとして、わたしのなかで根をはり、息づいている。そのイメージは、ときにわたしを叱咤し、あるいは勇気づけてくれます。暗闇のなかで迷うような気がして、痛切に、声が聞きたい、どうしたらいいか教えてほしい、と思うこともあるけれど、でも、たぶん、そのイメージがある限り、わたしは大丈夫、がんばっていける、と思います。
そうやって、わたしはこれからも書いていくんだと思います。

ヘルマンについては、もう少し書いてみたいことがあるので、しばらくおつきあいください。

それでは、また。

Dec.22, 2005







Last Update 12.13

「'TWAS DA NITE ――クリスマスの思い出」をアップしました。ブログのほうで三回にわたって書いたクリスマスネタに、加筆修正しています。このタイトルは、もちろん"It Was the Night"の意で、正確には……なんて書き始めると長いんですが、まぁTake 6のクリスマスアルバム"He is Christmas"に収められている曲からタイトルを借りてきたわけです。

先日、このサイトを見てくださっている方から、メールをいただきました。
目が不自由な方で、スクリーンリーダーを使って読んでくださっているのだそうです。わたしが訳した文章の感想も書いてくださって、拝見しているうちに、胸がいっぱいになってしまいました。わたしにとって、すばらしいクリスマス・プレゼントでした。

大変うれしかったのですが、反面、そうまでしてくださって読んでもらうに足るものを自分が書いているのだろうか、と、どうしても思ってしまったんです。

わたしが「百円の真実」と読んでいる、ある種の言葉があります。

「環境保護」
「差別をなくそう」
「人に迷惑をかけない」
「お年寄りを大切に」……

もちろんそれ自身、間違いじゃありません。
誰にも文句のつけようがない言葉です。
けれどもその言葉を言うことに、何らかの意味があるのか。言うことが、実際に何らかのアクションに繋がっていくのか。

問題は、そこなんです。標語だのなんだのあっちこっちにこんな言葉があふれているけれど、そうして平気で口にもされているけれど、それ自体、ちっとも次のアクションに繋がっていってない。そのくせ、書いておけばいい、口にしていればいい、どうだ、間違ってないだろう、といった言葉に成り下がってしまっている。

「他人の痛みを知る」という言葉があります。
わたしはこれも、こうした「百円の真実」だと思っていました。

わからないから他人の痛みなのであって、この身に感じられるものならば、それは自分の痛みです。考えてみればずいぶん矛盾した言葉で、わたしはそんなのはずっと嘘だ、と思って、こんな欺瞞的な言葉は、キライだ、と思っていました。
人の痛みなんて、どこまでいっても人の痛み。わかるものではない、と。

それが、あるとき、眼科のお医者さんからこんなお話をうかがったんです。

その方が受け持った患者さんは、目の手術のあと、別の病気を併発して、視力がどんどん落ちていったのだそうです。
そうして、お医者さんは患者さんに告げたそうです。失明するかもしれない。覚悟してください、と。その代わり、まだ見えているいまのうちに、点字を覚えてください、私が教えます、と。

そのお医者さんは、そのときにはまだ点字をご存じではなかったんだそうです。 それでも本を買って、勉強して、勤務が終わった8時ころから、消灯時間の夜9時までの間と、日曜は朝から晩まで、患者さんにつきっきりで、点字を教えられたのだそうです。「外来の控え室で、コーヒーを一緒に飲みながら、すっかり無口になった彼女の心の震えが、痛いほど伝わってきました」

おそらく、人の痛みはどこまでいっても人の痛みでしかありません。
それでも、わたしたちはその人の心に寄り添うことによって、他人の痛みではあっても、推測することはできる。

このお医者さんのお話は、そういうことをわたしに教えてくださるものでした。

この下でも書いた「孤独」ということを、ここでもういちど考えます。
もちろん、一人で生まれ、一人で死んでいく人間には、孤独以外のありようはない、と思います。他者はあくまで他者で、わたしの理解の及ぶ範囲ではない。

それでも、人間が孤独である、ということも、あるいは、他者をほんとうに理解することはできない、ということも、やはり「百円の真実」ではないのだろうか、と。

結局はそれを踏まえて、そこからどう考えていくかが問題になっていくのでしょう。

E.M.フォースターは、『ハワーズ・エンド』の冒頭、エピグラフとして"Only Connect"と書きました。「ただ、結びつくことさえできれば」というあたりでしょうか。

他者は理解できない。自分と他者の間には、越えることのできない壁がある。
推測した他人の痛みは、自分の痛みではないけれど、理解は、誤解でしかないのかもしれないけれど、それでも、理解しよう、結びついていこうとする状態と、「理解できない」「わからない」「所詮、人間は孤独なんだ」と言ってしまっている状態とは、決して同じではないはずです。
そうして、そのことは同時に、越えられない自分と他者を隔てる壁を、なんとか乗り越えようとする試みでもあるはずです。そうすることで、自分自身が広く、豊かになれるはずです。

なんというか、まだまだいろんな意味で未熟です。英語もできないし、本だって読んでない。考えて行かなくちゃいけないことは、いっぱいあります。
それでも、一歩一歩進んでいくしかない。言葉にしてみれば、たったこれだけ、ということを書くために、わたしはこれからもがんばっていこう、と思います。

さまざまな方に見ていただいているのだな、と改めて思います。
読んでくださって、ほんとうにありがとう。ひとりひとりのかたに、心からお礼を言います。足跡のひとつ、遠くでまたたく灯のひとつに、どれだけ勇気づけられているか。
そうして、これからもよろしく。
"Only Connect."

それにしても、寒いです。妙に長いでこぼこのマフラーを姉からもらったので、明日からこれをぐるぐる巻きにしていこう、と思っています。姉の家の犬と、ペアルックなんだそうです。

ということで、それじゃまた。
どうぞ、お健やかにお過ごしください。

Dec.13,2005







Last Update 12.09

♪ カーソン・マッカラーズの短編『木・岩・雲』をアップしました。
Web上で原文を載せているサイトをあちこち捜したんですが、なぜか一時期全然読めなくて、それがいつの間にか、またいっぱい出てきました(笑)。どういうことなんでしょう。版権の問題なのかな。英語そのものは決してむずかしいものではないし、"loose"など、いくつかキーワードがありますから、できれば原文のほうもお読みになってください。わたしの訳した「男」のしゃべりかたは、少しスクエアに過ぎるかもしれません。

♪マッカラーズは、決して結びつくことのできない人間の孤独を描いた作家と言われます。というか、アメリカ文学そのものが、そういった孤独や疎外といったものを一貫して扱ってきたわけです。ただ、マッカラーズの作品の多くは、この孤独を強調すればするほど、逆に、結びつくことができれば、理解し合うことさえできれば、そうしたものは解消されるはずなのに、という、一種の「甘さ」があるようにわたしには思えてしまう。

大橋健三郎は『アメリカ文学論集 ――人間と世界』(南雲堂)のなかで、スティーヴン・クレーンの詩を引用しつつ、このように言います。

かつてある学者がぼくのところへやってきた。
彼は言った――「私は道を知っている――来なさい」と。
そしてぼくはこれをきいて大喜びだった。
二人でぼくたちは急いだ。
早く、あまりにも早く、ぼくたちは
ぼくの目が役立たぬところへやって来、
ぼくは足つきが怪しくなった。
ぼくは友の手にすがりついた、
だが、とうとう彼は叫んだ――「私は迷ってしまった。」

簡単な詩であるが、それが簡潔であるだけに、私たちをドキリとさせる。思いだすだろう、子供のときに闇のなかで絶望的な孤独を感じ、わが手を引く見知らぬ人の手に、それがわが手にふれているからこそかえって絶妙な断絶感を感じて、この世も終われとばかりに泣きわめいたことを。なぜそうなるのか、子供は知りはしない。知ることができないから、孤絶感は極限に達するのである。そしてもし今日のわたしたちがまさにこの子供のようなものだとしたら……。
(…略…)「疎外」もしくは「孤独」とは、もしそれが本当の「疎外」であり「孤独」であるならば、けっして頭だけで解釈しうるものではなくて、まさに文字通り上のようなおそろしいものであるはずなのだ。

多くのアメリカ文学は、「孤独」や「疎外」をさまざまな観点からとらえ、説明しようとし、原因や処方箋を考えてきました。大橋は「それにたいする救済を何かの形で現実的に提出し、実践することは可能であろうし、可能であるべきである」といいます。

ただ、そうなのかな、と思うわけです。むしろ人間というものは「孤独」以外のありようがあるんだろうか、と。なにしろ「他者」にほんとうに心があるのかどうかだって、わたしたちにはわかりようがない。まして「他者」が何を、どういうふうに感じているか、なんてことはわかりっこないんです。そう考えていくなら、むしろ「孤独」なのがあたりまえで、「わかりあった」「結びついた」と思えるのは、幻想以外のなにものでもない。

けれども、わたしたちは普段、日常生活をおくっているときは、そこまで孤独感を覚えたりはしません。孤独を味わうのは、大橋が言うように「わが手を引く」人の存在があるとき、つまり、理解やつながりを求めていくときなのでしょう。理解やつながりを求めて、逆に深い、絶望的な孤独を味わってしまう。それがわたしたちのありようではないんだろうか。わたしはそんなふうに思います。

けれども、大橋はこのようにも言います。「それ(孤独からの救済の探求)と同時に、あるいはそれを究極的に支えるものとして、私たちは柔軟で強靱な人間性への信頼を失ってはならないと私は思い、たとえばユーモアといったことをふたたび想起するのである」

なるほどな、と思います。ユーモアがどういうものだか、あるいは「笑い」がどういうものだか、よくわかっているわけではないのだけれど、少なくともわたしは生きていく上で不可欠の要素だと信じています。大橋の言うように、人間は孤独であるけれど、同時にそれに耐えうる「柔軟で強靱な人間性」を備えている。だからこそ、起こったことや、そのときの自分の心情を、ちょっと高いところから俯瞰して、おもしろおかしく語ることができるのかもしれません。

わたしたちのまわりでは、日々、さまざまなことが起きます。そのほとんどをわたしたちは忘れてしまう。けれども、その一部ではあっても、そのいくばくかを「おもしろい」とすくいあげ、「おもしろい話」として語ることができたら。それは「孤独からの救済」ではないにしても、少なくとも何らかの意味のある行為ではないのでしょうか。まぁ、わたしの話が笑えるかどうかはともかくとして、そんなふうに思っています。

♪ これもおもしろいかどうかはなはだおぼつかないのですが、「鶏的思考的日常」のページが妙に重いと思ったら、94kbもあったので、ふたつに分けました。「鶏的思考古篇」(とりてきしこういにしえへん、と読んでください)、「どこまでいっても鶏頭篇」です。これもインデックスつけて、個々の記事に飛べるようにしたほうがいいんでしょうが、どぉぉやっても時間なんかありません。ああだこうだ書いたけれど、そういうこととは関係なく、あはは、と笑って読んでいただければ、これほどうれしいことはありません。

♪ ところで『木・岩・雲』の一節に"the lids closed down with delicate gravity over his pale green eyes"という部分があるんですが(「瞼は重力の作用を微かに受けるのか、青緑の目にかぶさってくる」と訳してみました)、この部分で思い出すのは"Gravity Eyelids"というタイトルのPorcupine Treeの歌です。この歌詞もよくわからない歌詞ですよね。重力を受けてまぶたが被さってくるんだろうか。だけどどこかにこのマッカラーズの短編が響いているような気がするんだけど。

♪ それにしても寒いです。すっかり暮れてしまったなかを自転車で帰ってくると、南の空にはスパッと切り落としたような半月が、白々と輝いていました。前にこんな半月を見たときのことを思い出しながら、冬の寒さのなかで見る月や星は、ほかの季節より明るさを増すのだなと思いました。こうした明るい月や星が見えるのなら、冬の寒さも我慢してやろうじゃないか、というところです(態度デカイ)。

寒い日が続きます。どうかみなさま、お健やかにお過ごしください。
♪それじゃ、また♪

♪ おっと忘れてました。「My Book Mark」のページに「ほんの動物」でリンクさせていただいた「なつメロ英語」を加えました。ここで「天国の階段」も聴けます。丁寧な訳詞も読めます。おもしろいサイトなので、ぜひ行ってみてください。だけどここにリストアップされてる曲ってほとんど知ってるんだよね……。

Dec.09,2005





Last Update 12.03

「ほんの動物 ――わたしたちと「隣人」をめぐるささやかな考察」をアップしました。ブログ掲載時のものに相当手を入れ、なんとか読めるモノになったんじゃないかな、と思います(hopefully)。

これを書いていたころ、とにかく時間がなくて、毎日電車の中で、どの本のどの部分を使おうか考えて、本棚の奥の方から本を引っ張り出し、該当箇所を探し、なんとかその部分の引用だけでブログを引っ張っていたようなものです。書き直すことで、単に引用の寄せ集めじゃなくなってたらうれしいのですが。

♪ 本文中にも引用した、長田弘『ねこに未来はない』(晶文社)のなかに、こんなふうに忘れられない一節があります。本文のほうには話がずれるため、入れることができなかったので、ここにあげておきます。

しばらくするとこんどは、吉行さんの薬子(※詩人の吉行理恵の飼い猫)がとつぜんいなくなってしまったのでした。
 薬子がいなくなった夜、吉行さんは夢のなかにまで薬子を捜したのだそうです。すると、吉行さんはしのびこんだ廊下で、和服を着た萩原朔太郎とすれちがったのでした。薬子はその朔太郎の足もとでわらっていました。

「めざめたとき、薬子が死んでしまったことを感じました」と吉行さんはすこしくるしそうにそういいましたが、吉行さんの言葉通りにいえば、「私が詩に憑かれたころ、選んで私のところへやってきた」薬子をうしなうことは、吉行さんにとってひとつの無垢の季節の終わりを意味するとともに、新しい出発のためにドアの固い握りをかちりとまわすことでもあったのでした。

わたしたちは、生きていくなかで、望むと望まないとにかかわらず、いくつもの出会いと別れを経験します。別れは、いつだって、さびしく、かなしく、そしてくるしいものです。それでもわたしたちは、その部屋から出なければならないときがある。そうして、どれほどそのドアの「固い握り」が冷たくても、勇気をもって回さなければならないのでしょう。

出会いも、そうして、別れも、それ自体では、ただ、ひとに会って、ゆきすぎたことでしかありません。けれども、それは、わたしたちがそのあとも生きて、生きつづけていくなかで、ほかのさまざまなできごとと結びつけ、意味づけることによって、はじめて、さまざまな意味を持ってくるのだと思います。

つぎの季節へ。それは厳しい冬かもしれないけれど、それでも前へ歩いていかなければ、その過去の出会いさえ、意味を失ってしまいます。だから、顔をあげて、背筋をのばして、前を向いていこうと思うのです。

"What's new? ver.2"もすっかり重くなったので(なんと四ヶ月分の更新履歴が63kb! いったい何を書いてるんでしょう)、更新情報も新しいものにしました。新しい季節の始まりです。このver.3、わたしはいったい何を書き込んでいくんでしょうか。
いままで、ほんとうにありがとうございました。そうして、これからも、またお暇なときでいいから、遊びに来てください。

♪ いよいよ本格的な冬がやってきます。みなさん、お風邪などお召しにならぬよう。新型インフルエンザも流行らなければいいのですが。うーん、今年、予防接種、どうしようかなぁ。考えどころだなー。

♪ ということで、それじゃまた♪ お元気でお過ごしください。

Dec.03,2005








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