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(※ここには2006年3月17日から6月21日までの更新記録が置いてあります)

Last Update 6.21

シャーリー・ジャクスンの短編「チャールズ」の翻訳をアップしました。

もうひとつのジャクスン同様、最後にあっと驚いていただけましたでしょうか。これからお読みになる人のために、結末はここではふせておきましょうね。

この作品を読んで、もうひとつおもしろいと思ったのは、一家で「チャールズ」がメタファーとして使われだすところです。

メタファーというのは、比喩のなかでも、「まるでチャールズのようだ」という直喩ではなく、泣きわめく赤ん坊が「チャールズ」になったり、悪さをするローリーが「チャールズ」になったり、つまりは「とんでもないことをやらかす」ことを直接には言わず、「チャールズ」という言葉で語ろうとするものです。

日常では、むしろ直喩の方が多く使われるでしょう。メタファーが活躍するのは、文学や、特に詩などの方で、特に詩では、メタファーであることを踏まえておかないで、字面に現れたものだけ追っていると、何がなんだか……、ということになりやすい。

このメタファーには、おもしろい働きがあります。

たとえば鴨長明が「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」と言った、この「流れ」は、「時」のメタファーでもあるわけです。
この箇所では、ものごとは時の経過とともに移ろいゆく、と言いつつ、その奧にある時間をも、「川」「一方向に流れる」というメタファーを使って、目に見ることのできない「時」をイメージしようとしている。
すると、おもしろいことに、わたしたちの思考が、今度は逆にこのメタファー、川のように流れていく「時」というイメージに縛られてしまって、それ以外の「時」のありかたを考えられなくなってしまっている。
「時」を「過ぎる」と言い、「経過」と言い、「流れる」「移り変わる」と言う。すべて、「流れ」のメタファーです。

有名なところでは、アメリカのホピ・インディアンは英語では把握できない時間の概念を持っているそうです。
あるいは、古代ギリシャの人々は、円環する時間というものを考えていた。
こうした時間の感覚と、一方向に「流れる」という時間の感覚は、ずいぶんちがうものです。けれども、これはどちらが正しい、というのではなく、わたしたちがメタファーに縛られているからにすぎない。こればかりでなく、わたしたちの思考には、メタファーによって縛られた結果を「当たり前」と思っていることが少なくありません。

一方で、このメタファーは、ときに「死んだ」メタファーになってしまうことがあります。
たとえば「椅子の足」という。
そもそもこれは、椅子のすわるところを支える部分を、人間の足になぞらえて呼ぶメタファーだったわけです。ところがもはやこれはメタファーとしての機能を果たしていない。 こういうのが「死んだ」メタファーです。

けれども、たとえば椅子が走り出していくイメージが喚起される詩があるとする。すると、そのとき「椅子の足」はふたたびメタファーとしての力を取り戻します。メタファーは、わたしたちの思考を縛るものでもあるし、同時に世界を蘇らせるものでもある。

おっと、こんなとっちらかったことを書いていると「チャールズ」だ(笑)。

ああだこうだ書いちゃいましたが、最後で「えっ?」と思っていただければ、それほどうれしいことはありません。

それにしても暑いです。いよいよアイスクリームの季節の到来です(年中食べてますが)。
最近のフェイヴァリットは、ハーゲンダッツのブルーベリーです。もうっ、おいしくってたまりませんっっ。
Porcupine Treeの新しいアルバムを聴きながら、アイスクリームを食べるほど幸せなこともそれほどあるまいと思ったりします(笑)。

ということで、暑くなってきましたが、みなさま、本格的な夏になる前の時期、楽しくお過ごしください。

それじゃ、また。

June 21, 2006



Last Update 6.16

「「事実」とはなんだろうか」アップしました。

内容的には、以前書いた「物語をモノガタってみる」と重なる部分も少なくありませんが、基本的な問題意識は、わたしたちが考える「事実」というのは、わたしたちの外側にあるのだろうか、わたしたちとは無関係にあるのだろうか、ということです。

小学生の時、カトリック系の学校に行っていたわたしは、毎週一時間、宗教の授業を受けていました。そこで聖書に出てくる「放蕩息子の話」や「善きサマリヤ人の話」なんかを教わったわけです。

どういう流れからそうなったのかはわかりませんが、あるときシスターが「葉っぱの一枚一枚を神様はお作りになったんですよ」と言ったのに対して、「それはちがう」と言った勇敢な女の子が現れたのです。「葉っぱは、自然に生えて来たんです」

わたしはなんとなく聖書の話はおとぎ話とか昔話のように思っていて、シスターの話もあくまでもその延長上にあるものとして聞いていました。
それをその子は、そうではない、と言う。
おとぎ話のなかに急に現実がまぎれこんできたようで、わたしは驚きました。

シスターがいろいろ説明しても「自然にそうなった」と言い張って引かないその子に、とうとうシスターは「じゃ、箱の中に時計の部品を入れて、ガシャガシャ振っていたら、“自然に”時計になりますか」と聞きました。
さすがにこれはおかしい、と思いました。少なくとも、時計の部品を組み立てるのは、時計職人であって、神様じゃないだろう。これはシスターのほうがずるい。
もちろんシスターは、そんなことが言いたかったわけではなく、時計職人がひとつずつ時計を作るように、神様があらゆるものをひとつずつお作りになったのだ、と言いたかったわけですが、その意図はわたしには伝わらなかったのです。
ともかく、どういうふうに考えたらいいんだろう(ああ、こう書いてみると、わたし、小学校三年生ぐらいから、ほとんど変わってませんね)、と、ああでもない、こうでもない、と考えていたような気がします。進化という概念さえ、まだ知らなかったころです。

ただ、このときに、なんとなく、シスターが考えている「真実」というのは、ちょっとちがうものなんだろうな、と、漠然と思った。わたしにとっては大きな体験でした。だから、いまでもよく覚えているのでしょう。

わたしたちはさまざまなことを比較するやり方でしか、理解することはできません。現実とフィクション、真実と虚構、歴史と歴史小説、というように。けれどもそれはいつもそのことを問う自分が関わってくる。自分はいったい何を「真実」とするのだろう。この問い返しは、自分が自分を理解することとも繋がっていくのではないかと思います。

まぁ、ずいぶんあっち行ったりこっちへ行ったりで、読みにくいかとも思うのですが、種々さまざまに引用した本の一冊でも、ああ、おもしろそうだな、読んでみようかな、と思っていただければ、望外の喜びです。

いろんなことがありながら、日は続いていきます。いろんなことがあるからおもしろいのだし、さまざまに感じたり、考えたりすることができる。同じことでも、時間が経つ、情況が変わる、あるいは自分が変わることで、ちがったふうに見えてくる。たぶん、真実がひとつだったら、つまんないと思います(笑)。

ということで、それじゃ、また。 暑くなってきましたが、お元気でお過ごしください。

June 16, 2006



Last Update 6.06

「金魚的日常番外編〜キンギョが病気になった!」アップしました。

例によって非実用的なこのサイト、役に立つことはなにひとつ書いてありませんが、病気の金魚の面倒をみた数々の経験をもとに、ごく読みやすいものをひとつ書いてみようと思いました。

以前、ロボット犬が流行ったことがあります。おもちゃにしてはずいぶん高額なものでしたが、いまでは製造中止になってしまいました。あれ、売れたんでしょうか。

生き物を飼うとき、たいていの生き物は、人間より短命ですから、どこかで「いつか死ぬ」ことを念頭におきながら、つきあっていくことになります。まして、金魚、とりわけ和金は、多くの場合、熱帯魚なんかの餌として飼育されているわけですから、もともと長く生きるようにはなっていない。観賞用の金魚より、いっそう弱いのだそうです。だから、わたしもこれまで、何匹も死なせて来ました。知識がなくて死なせた場合もあれば、わたしにできる範囲で、やれるだけのことをやって、それでも駄目だったこともあります。

ロボット犬だと病気になったり、死んだりっていうことはない。どれだけテクノロジーが進歩して、声をかければ吠える、近くに寄ってきて、なつく、ということになったとしても、どんなにかわいくなくても、実際の犬とのつき合いには及ばないのではないか。それはなぜかというと、結局、ロボット犬は死なないからでしょう。
わたしたちが一緒に過ごすペットに愛着を抱くのも、どこかで、いつか、そのうちこの生き物は死んでしまうのだ、という別れの予感があるからこそ、いっそう愛着を抱くのではないか、と思います。

ここで思い出すのが、映画〈ブレードランナー〉の原作でもある『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』です。ここではアンドロイド(レプリカントというのは、確か映画のほうだけの用語だったように思います)たちは、あらかじめ死期が設定されていた。記憶を持ち、死期を持ち、やがて訪れる自分の死を怖れるアンドロイドと人間とのあいだに、果たして線を引くことができるのか。
この線引きを、原作者のフィリップ・K・ディックは、共感(エンパシー)ボックス、「感情移入能力のテスト」という形で設定します。アンドロイドは感情移入ができないから、人間の姿形をした機械にすぎない、とする。けれども、どんどんアンドロイドが精巧になるにつれ、この測定法でもどんどんわかりにくくなっていくわけです。しかも、記憶を持つアンドロイドたちは自分の正体を知らないケースもある。そうなると、人間かどうかの線引きは、いよいよむずかしくなってくるのです。

この本を読んだとき、「感情移入」というのは、人間に等しく与えられているんだろうか、と、しばらく考えたことを思い出します。だって、現実的に考えて、わたしたちが感情移入する、というのは、相手にものすごく左右される。たとえば、むくむくした体でこちらに尻尾をふりながら寄ってくる犬と、水槽の中で我れ関せず、という顔をして泳いでいる金魚では、「感情移入」のしようだってちがいます。あるいは、相手のことを大切に思っていて、なんとか理解しようと願っているときに、相手に感情移入することはとても簡単だけれど(感情移入が理解を助けるかどうかは別問題として)、嫌いな人間が自分に腹を立てていても、感情移入どころか、相手の立場に立ってみることすらしようとはしません。

おそらく、あらゆる感情は、向き合う相手と自分とのあいだに生成するもので、感情移入というのもそれを離れてはありえない。
水槽の中にほかのキンギョと一緒にいたときには、何匹のうちの一匹にすぎなかったのに、台所に置いたICU水槽をのぞいているうちに、やはり絆というものは生まれてくる。 ともに過ごす時間、自分が関わった時間、時間の経過とともに、その一匹は、特別な一匹になっていった。

いつか、何らかの形でかならず来る別れの予感を織り込みつつ、それが少しでも遠くあることを祈りながら、わたしたちはそうやって、さまざまな生き物と、心を通わせていくのだと思います。そうして、その「心を通わせる」ということが、人間とアンドロイドを分ける、不確かで曖昧な線なのだといえるのかもしれません。だけど、映画みたいに、好きになっちゃったらどうなるんだろう。

映画の設定となる時代は、2019年です。あと十年ちょっと。おそらくあの映画のように、車は宙を走ったりしないでしょうし、レプリカントも出てきそうにはないですが、人間か、機械か、の線引きのむずかしさはつづいていくように思います。

さて、六月に入ったら急に暑くなっちゃいました。
まだ本格的な夏ではないので、自転車で走るのは気持ちいいものです。
どうかみなさまも、お元気でお過ごしください。

それじゃ、また。

June 06, 2006



Last Update 6.01

「わたしが出会ったミュージシャンたちをアップしました。

ふだん、音楽を聴くときって、耳で聞いていると思ってますよね。
だけど、これはほんとじゃない。
だって、わたしたちが「知らない音」は、たとえ耳に入っていても、聞こえてはいないからです。

漠然とメロディだけを聞いているのではなく、さまざまな楽器の音を聞き分けられるようになったとき、知っていたはずの音楽が、まるで別の曲に聞こえてきます。だからこそ、同じ曲を繰りかえし、ひとは聞きたくなるのでしょう。どこまで行っても、新しい発見がある。そうして、その発見がなくなったとき、ひとはその曲を聞くのをやめてしまうのだと思います。

音楽を聞くとき、わたしはかなり音を聞き分けながら聞いています。そうすることができるのも、ピアノを習ったり、ブラスバンド部に所属していたりして、さまざまな楽器の音を知っているからだと思います。
知っている、というのは、わたしの記憶にその音が刻まれている、ということです。
そうして記憶のなかの音は、その音を聞かせてくれたさまざまな人と結びついているのです。

さまざまな人と会った記憶は、わたしの身体へと刻まれ、少しずつ、わたしを変えていきます。〈いま・ここ〉のわたしは、同時にそうした過去のさまざまな出会いの集大成でもあるのだと思うのです。

「ほんとうのわたし」という言い方がある。
どこかで漠然と、自分のなかへどんどん降りていったら、ほんとうの自分に出会えるような気がしている。
けれども、さまざまな人に会い、さまざまな本を読み、音楽を聞き、そのほかにもいろんな経験をするなかで、この「わたし」は絶えず変わっていきます。
「わたし」というのは、そういうもの一切合切を含めた集合体なんじゃないだろうか。そう考えると「ほんとうのわたし」と「うそっこ? のわたし」のあいだに線を引くなんてことができるんでしょうか。

音楽を聞くわたしの耳を作り上げた、さまざまな出来事や、出会った人々。
そのなかから、忘れられない人を何人か取り上げてみました。
これを読んで、みなさんの耳を作ったさまざまな人や出来事のことを思い出してくださったら、これほどうれしいことはありません。

さて、急に暑くなっちゃいましたね。
急激な気温の変化に弱いわたしには、ちょっとつらい季節です。ほんとに暑くなっちゃうより、いまの時期の方が苦手なんです。

中国の四川省の夏は、うんと暑くて湿度も高いんだそうです。だから汗が出にくい。そこで、身体が温まるものを食べて、汗を思いっきりかくのだそうです。だから、麻婆豆腐とか、四川料理って辛いんですって。その昔読んだ陳健一の『父からもらったごちそう帳』にそんなことが書いてありました。毎年いまの季節になると、その本のことを思い出し、本には麻婆茄子の作り方が書いてあって、わたしはその本でそれを覚えました。また、うんと辛い麻婆茄子を作ることにしよう。

蒸し暑くてうっとうしい季節の到来です。
それでも、駅へ行く通り道にあるあじさいは、新緑のつぼみをいっぱいつけています。 薔薇もいまが盛り。

どうかみなさまもステキな6月をお過ごしください。
それじゃ、また。

June 01, 2006



Last Update 5.27

アンブローズ・ビアス「月明かりの道」の翻訳をアップしました。当サイトでは「アウル・クリーク橋でのできごと」に続く二作目のビアスです。三人の人物の声を使い分けてみたんですが、読んでいて、別々の人のような感じがするでしょうか。

ひとつの出来事も、見る人が違えば、さまざまに見える。

わたしたちは、はっきりとは意識していなくても、このことはよく知っているのだと思うのです。たとえば、サッカーの試合を見に行っても(というか、見に行った試合に限っては必ず)ニュースでその映像を見る。
おもしろかった本が映画化された、と聞くと、見に行きたくなる。
自分がよく知っている場所が、本の中で描写されていたり、映画の舞台になったりしたら、ひときわ興味を引かれてしまう。
おもしろかった本の話は、ひとがどう思ったか聞きたいし、好きな音楽についても、やはり人の意見が気になる。

おそらく、わたしたちは自分が見ているのと同じようには他者に見えていないことをどこかで知っているのだと思います。
さらに言ってしまえば、自分が「ある」と思っているものが、他人にも同じように「ある」かどうかさえわからない。
自分にしか見えなければ、そのものは実際にあると言えるんでしょうか?
わたしたちはそうした不安をどこかで抱えているから、確かめるためずにはいられないのだと思うのです。

わたしたちがひとと話をすることも、映画を見るのも、本を読むのも、結局はここにいきつくのではないでしょうか。
そうして、他者の視線を通して、自分の見たものが、確かに「ある」と確認し、あるいは他者の視線を借りることで自分の見方を少しずつ修正していこうとしているのではないのか。

以前、討論ということに非常に疑問を持っていたことがあります。
Aという意見があり、Bという意見がある。その両方を採択するわけにはいかないのです。
どういうプロセスを経ようが、結局、どちらかがどちらかを屈服させるということでしかないのではないか。一種の儀式的なものなのではないか。

けれども、討論も「決定」するためのものではなく、一種のコミュニケーションであるのだとしたら。Aを主張する人はBを主張する人の根拠を聞き、背景を聞く。もちろん討議というプロセスを経ることで、問題点が明らかになったり改善されたりする場合もあるだろうけれど、そういう情報が行き来するということよりもむしろ、場を共有し、たがいの声を聞き、うなずきあい、目を合わし、沈黙し、首を傾げ……ということをするためにしているのだとしたら。結局、「意見の一致」というのもそういうことだとしたら、これは討論すること以外では不可能なことだと思うんです。

いま、コミュニケーションのありようは、ずいぶん以前とは変わってきています。
Webの登場で、以前では知り合うこともなかったはずの人の話を「直接」聞くこともできる。
けれどもその「直接」は、おそらく対面での「直接」とはちがうはずだ。

わたしたちはおそらく、いまWebというツールを用いてのコミュニケーションのありかたを学んでいるところなんだろうと思います。一方的に回ってくる「回覧板」でもなく、書き手との距離は「本や雑誌」よりはるかに身近。「話」しかければ「応え」てくれる。

もちろん、どこまでいっても会って話をすることの代わりにはならない。
それでも、文字情報のやりとりを通して、回数を重ねて、誤解しながら、それをまた解きほぐしながら、その向こうに、相手の息づかいのようなものまで聞き取れるようになれば。
そんなふうなやりとりができないものか、と思います。

たとえそれが限られたやりとりであっても。
不十分なものでしかなくても。
それでも耳を澄まして、文字の向こうにいる相手の声に耳を傾けたいと思います。

さて、暑くなったり涼しくなったり、はっきりとしない天候の影響で、このところ少し体調を崩していて、サイトにアップするのも少し遅くなってしまいました。
楽しみにしてくださったかた、遅くなって申し訳ありませんでした。
またこんなものが読んでみたい、というリクエストなどありましたら、どんどんお寄せくださいね。

このまま梅雨に入っちゃうんでしょうか。
ほんと、爽やかな日の少ない五月でしたが。

どうかみなさま、お元気でお過ごしください。
それじゃまた。

May 27, 2006



Last Update 5.17

順番は前後しましたが、ブログで「ダイアン・アーバスの写真に対する補筆」というタイトルで連載していたコラムに大幅に加筆・修正して「写真を読むレッスン ――アーバスの写真を読んでみよう――」としてアップしました。

かなり準備不足の段階で書き始めてしまったので、ちょっと書き直すのに時間がかかりましたが、とりあえず今回はこれで一応の完成とします。ただ、写真を読むことの意味については、後日もう少し加筆しようと思っています。

電車に乗っていると、線路沿いに学校が見えるんです。その学校には、いろんな標語が貼ってある。差別は良くない、差別は許されない、みたいな標語です。

何か、おかしくないか? と思います。
それは、差別は良いか悪いか、という問題の立て方をしたら、悪いに決まってます。 けれど、ある行為をしたとする。それは「差別だ」と判断をくだされる。そこで自動的に、その行為は「悪」となってしまうんです。

わたしたちが、日常的に、明白な意図を持って、ある人を「差別しよう」と行為することは、きわめてまれではないでしょうか。そうではなくて、無意識に取った行為が「差別」である、と判断される。そこでもう「悪いこと」になってしまい、「悪いこと」として処理されてしまい、だれもそれ以上考えようとしない。

ある行為を「差別だ」と判断するのは、だれなんでしょう。それは、その行為によって影響(被害や苦痛)を受けた人でしょう。行為した人は、その指摘を受けて振り返る。さまざまな情況を省み、被害や苦痛を受けた人の話を聞き、誤解があればそれを解こうと努力し、無知からくるものであれば、その無知を埋めていく。つまり、それは「かくかくしかじかの行為をしたら差別に該当する」といったものではない。具体的なやりとりのなかでしか生まれないものであるし、そのやりとりのなかで、個別具体的に解決するものでしかないのだと思うのです。

アーバスの写真は、わたしたちが、ふだん「見るんじゃありません」と言われている人々を撮っています。なぜ、見てはいけないのか。そうして、もうひとつ、なぜ、わたしたちはそれが見たいのか。さらには、わたしたちの「見る」という行為がどういうものであるのかを鋭く問う写真であるのだと思います。

何が正しくて、何がまちがっているか。この判断は、いったいだれが下すのでしょうか。

自分の行動を決断するとき、わたしたちはふつう、未来に自分を置いて、そこから現在を振り返って判断します。
ああ、勉強したくないなぁ。→だけど、もうすぐ試験があるぞ。試験でいい点を取ろうと思ったら、いま勉強しておかないと。
この判断をくだすのは、未来の自分です。

だけど、この未来の自分はほんとうに未来からやってきたわけではなくて、いまの自分が仮に措定したものにすぎないから、やっぱりほんとうのことはわからない。いま勉強しておかないと、と思って、マンガが読みたいのに勉強したら、休校になってしまって試験がなくなるかもしれない。自分の行動の判断さえ、それが正しいかどうかなんてわからない。

まして、他人の行動については、わたしたちは置かれた環境も異なるし、得られる情報も限られています。ですから、他人の行動をどこまで正しいか、まちがっているか、判断できるのでしょうか。

法律的なことはさておいて、日常的なことに関しては、他人の行動の善し悪しを裁くことなんて、だれにもできないはずです。

ただし、こうするのが良いかどうか、正しいか、正しくないか、の判断をしないでは、わたしたちはなかなか自分の行動を決めることはできないから、これはずいぶん不便です。だから、少なくともこの判断は〈いま・ここ〉の、〈自分〉の判断でしかないことを忘れないようにしておきたいと思います。そうして、人に対して、その判断を押し付けるようなことはしないでおこうと。少なくとも、わたしはそう思います。

「差別」の問題は、むずかしいです。

不平等が社会の共通法則であるときには、最も著しい不平等も眼につかない。しかしすべての人々が殆ど平等化されているときには、どんな小さな不平等でも眼につくのである。そのために、平等への願望は、平等が一層拡大するにしたがって、常に一層飽くなきもの、いやしがたいものとなってゆくのである。

これを言ったのは、トクヴィルなんですが、この人は1830年代に、現代の民主主義の問題を見通している。トクヴィルが予見したこの問題は、当時よりはるかに切実なものとしてあるのだと思います。

アーバスの写真を見ながら、わたしはこんなことを考えました。
写真は、本を読むより、あるいは絵を見るより、映画を見るより、いっそうさまざまな見方や解釈を可能にするものです。ですから、興味を持たれた方はぜひ、さまざまな写真家のさまざまな写真をごらんになってほしいな、と思います。

あ、忘れてました。サイト開設以来、来訪者が一万人を突破しました!
一万人目の来訪者は茨記人さんです!
まいどくん 茨記人さん! おめでとうございます!!

茨記人さんに、そうして、いままで読みに来てくださったすべての方に、お礼を言います。
わたしのつたない文章を読んでくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
読んでくださる人がいるから、わたしは書いているのだと思うし、これからも書き続けていけるのだと思います。

読みに来てくださって、ありがとうございます。
そうして、これからもよろしく。
また遊びにいらしてください。

なんだか今年の春は、春らしくならないまま、この雨は梅雨なのかな? なんとなくはっきりしないお天気が続くのですが、どうかみなさま、お健やかにお過ごしください。
それじゃ、また。

May 17, 2006



Last Update 5.12

ドロシー・パーカーの短編「電話」をアップしました。 若い女性の告白といった体裁の、一気に読める短編です。

主人公は電話を待っている。でも、ほんとうは、電話がほしいんじゃありません。相手が自分のことを(まだ)思ってくれているのだ、ということを知りたい。

わたしたちは、他者が自分のことをどう思っているのか、知ることはできません。けれども、相手の言葉のひとつひとつ、身振りや、口ごもったり、言いよどんだりすることまで含めて、相手が自分をどう思っているのか、このことを知ろうとしている。

多くの場合、相手のことをそこまで切実に知ろうとは思いません。
ただ、相手が好きになる。
相手が、世界でただひとりの存在になる。そうなると、相手の言葉や身振りは、比類のない重みを持ちます。
自分の思いは、もしかしたら、自分の内でしか意味を持たないのかもしれない。こうした怖れを抱きながら、ひとつのサインにさまざまな意味を読みとろうとする。
他人の心の中にあるのは何なのか。それを絶えず推測しようとする。
それでも、それはわからない。
たとえいまわかったとしても、つぎの瞬間には、変わってしまっているかもしれない。

「電話」の主人公の心は、めまぐるしく移っていきます。それでも、知りたいことは、たったひとつ。そうしてこの問いは、どこまでいっても終わりにはなりません。
おそらく誰かを好きになるということは、自分のために広げた腕が待っているかどうかも確かめずに、高いところから飛び降りるようなものなのでしょう。

けれども、ここまで極端ではないにしても、わたしたちのコミュニケーションというのは、どこまでいっても不確かなものです。恋愛の時ほど、わたしたちが切実に相手のことを理解したいとは思っていないだけで、他者の心が知ることができないのは同じことです。

表面の言葉や素振りの向こうに「ほんとうにいいたいこと」があると思っている。そうして、なんとかそれを正しく理解しよう、誤解することのないようにしよう、と思っている。

けれども、「ほんとうにいいたいこと」というのが、あらかじめ相手の内にあるんだろうか。この「電話」の主人公のように、わたしたちの心も絶えず揺れ動いているのなら、相手の「ほんとうにいいたいこと」も揺れ動いているのではないのか。

むしろ、コミュニケーションというのは、ほんとうにいいたいことのやりとりではなく、その一瞬に生成される「なにものか」ではないのか、と思います。

自分が愛されているか。自分が受け入れられているか。自分が理解されているか。
こうした問いを、さまざまなレベルでわたしたちは常に問わずにはいられません。
けれども、その問いの答えは、決して与えられるものではないのだと思います。

問うよりも、むしろ、その一瞬にしか生まれない「なにものか」を大切にしたいと思ったりします。

いやはや、今日は忙しい一日でした。
帰ってから掃除もしたし、疲れました。
もうなんか眠いのです。書きながらもうひとつ自分が何を書いているかよくわかってなかったりします(笑)。

ということで、それじゃ、また。
近いうちにアーバスもアップしますので、またよろしく。

気持ちの良い初夏の日々をお過ごしください。

May 12, 2006



Last Update 5.07

「病院で会った人々」をアップしました。
これは、「奉公」という言葉を病院で聞いたことをなんとか記録しておきたくて、書き始めた文章です。二十一世紀、とか言われるけれど、現実に、「奉公」という言葉を生きた人がいたのだ、ということ。そうして、それはそんな昔ではなかったのだ、ということ。
自分のなかでの“衝撃”を、なんとか残しておこうと思いました。

第二次世界大戦が終わって、戦後復興が言われ、日本はおそろしい勢いで「豊かさ」に向けて進んでいきました。そうやって、「豊かさ」があたりまえみたいになって、そこから「バブルがはじけた」、とか、不況だとか言われるようになって。いままた、不況は脱した、とか、そんなことはない、とか、いろいろ言われていますけれど、ほんとうに二十一世紀になっても、いままでと同じように、後ろも振り返らずに「豊かさ」に邁進しちゃっていいものなのだろうか。とりあえず「不況を脱する」ということが最優先課題みたいに言われていますけれど、それは、ほかに将来の展望が描けないから、そんなふうに同じことを言い続けているのではないんだろうか。わたしはそんなふうに思います。

「奉公」という言葉を生きた人が同時代にいた、という衝撃を、どういうふうに考えたらいいのか、いまのわたしはまだよくわかってないんです。だから、いまはこれだけで、話はちがう方にいっちゃってますが(行方も見定めずに書き始めたら、こんなふうになっちゃったんです)、このことは、時間をかけながらまた、考えていきたいと思っています。

世の中にはいろんな人がいます。
自由なようでいて、わたしたちはそれほど多くの人と出会えたり、知り合えたりしているわけではない。
病院という非日常の空間に、余儀なく放り込まれて、わたしはそこで普段だったら会うこともないような人と会ってきました。
ここに出てくる人々は、わたしが生きてきたなかでも、ひどくささやかなつながりでしかありません。
それでも、そうしたつながりのひとつひとつが、やはりいまの自分と、何らかの形で関わり合っているのだ、と思います。

わたしは、人と会ったことを忘れたくないんです。
本なら取り出して読み直すことができる。
CDなら、何度でも、聴き直すことが。
けれども、人に会うということは、意識もしないまま、流れ去っていきます。

それでも、そこで交わされたことば、耳にしたことばは、何よりも人の「肉声」として、わたしの前に立ち現れた。この「肉声」は、時間の流れとともに、というか、時間そのものとして、流れ去っていくわけです。けれども、耳にした「肉声」を、ことばに変換して、自分自身の身体に刻み込む。そうして何度も反復し、思い起こす。このとき、わたしはそのことばの語り手ともなっていく。

もしかしたら、もう会えない人ばかりなのかもしれません。
それでも、会ったときにわたしが受け止めた言葉。わたしの身体へと刻まれた言葉は、ふたたび、わたしというフィルターを通して、語られるのだと思います。そうして、わたしは語っていこうと思うんです。

だから、これからも、いろんな話を聞きたいと思います。
そうしながら聴く者であると同時に、語る者としての自分を、鍛えていきたいと思います。

さて、ゴールデン・ウィークはいかがお過ごしでしたか?
明日から仕事が始まる憂鬱そうな顔の人とは裏腹に、わたしは明日、お休みです(やたっ)。 キンギョ水槽のメンテとか、浄水器のフィルター交換とか、あれもこれもやらなきゃいけないことがいっぱいです。おっと忘れちゃいけない、アーバスの推敲もしなくっちゃ。

どうもね、アーバスの写真を集めたサイトがうまくリンクできないんです。いい方法を考えなくちゃ。ブログでは無断で取って来ちゃったから、そういうことをしないように(笑)。

なんだか急に初夏らしくなってきましたね。
みなさまどうかお元気で。

それじゃ、また。

May 07, 2006



Last Update 4.25

「ペンティメント――ジュリア」の翻訳をアップしました。
ペーパーバックで50ページほどの原作は、短編として、格段に長いというわけではありませんが、なかなか充実した内容で、これまで翻訳したなかでも質・量ともにヘビー級、といったところかもしれません。なんとなく全体にもったりした訳になってしまっているので、もう少し刈り込んだ方がいいような気もするのですが、それは今後の宿題と言うことにして、今回はひとまずこれでアップすることにしました。

現在この短編集の翻訳は、かなり手に入れにくくなっているので、ヘルマンのなかでも格段に有名なこの作品を紹介することができて、大変うれしく感じています。

さて、ここではこの点にふれておきましょう。
文中、怒っているあなたが好き、とジュリアが言う場面があります。
おそらくこれはジュリアの口を借りたヘルマンの心情なのだろう、と思います。

不正に対する怒り。「我れ関せず」という態度を取る人々に対する怒り。無知に対する怒り。作中のリリアンは、思想の裏付けも知識もないまま、ときに不器用に、怒りだけに突き動かされて進んでいく。

もちろん、ストーリーとして見ればおもしろいのですが、ただ現実問題として「怒る」ということをもう少し考えてみると、話はずいぶん複雑になってきます。

わたし自身、非常に怒りっぽい人間で、かつて何度か怒りを爆発させたこともあります。ただ、振り返ってみるに、あまり良いことではなかったと思うわけです。

たいていのことには、さまざまな背景があります。

たとえば、いまロバート・ダーントンの『猫の大虐殺』(岩波同時代ライブラリー)を読んでいるのですが、この本は18世紀半ば、フランスのある印刷工場で、印刷工たちが経営者をからかおうと、夫妻が飼っている猫を殺す、という出来事を扱っています。彼らは猫を殺したばかりか、虐殺した様子を儀式にして再現し、みんなが楽しむのです。

こうしたことのいったいどこがおもしろいのか。いまだと、まちがいなく新聞沙汰になるでしょう。残酷、残虐、ことによると「異常心理」といった文脈で語られるのかもしれません。

けれどもダーントンは「その面白さを理解し得ないのも、現代人と産業革命以前のヨーロッパの労働者とが大きな距離で隔てられているからである」とします。その距離を認識すること。そこから、異文化を解く鍵を見つけていくこと。そうしてダーントンは、印刷工たちが猫を殺した理由を読み解いていきます。

怒るということは、判断を下すことです。けれども、多くの場合わたしたちは限られた情報しか持っていない。あくまでも自分の立場で、しかも限られた情報しかなくて、判断を下していいんだろうか。産業革命以前のヨーロッパの人々、住む時代もちがい、場所、歴史的な背景も異なる人々を、現在の目で、自分の立場で、「残酷だ」「ひどい話だ」と怒ってしまっていいんだろうか。

ムカつくことはあっても、そこで怒ってしまうのではなくて、さまざまな情報を得ながら、自分の立場をある程度離れて、多少なりとも俯瞰的な立場に立ってみると、多くの場合、腹立たしい出来事というのも、それなりの事情と必然性を持っていることが少なくない。単純に怒れるようなことは、そんなに多くはないのです。

そのうえで、やはり怒らなければならないことは、あると思います。
判断を遅らせて、読んだり、考えたりしながら、それでもおかしいのではないか、別のやり方があるのではないか、そうすべきではないのではないか、こう思ったら、怒らなければならない。けれども、それは持続する、息の長いものでなくてはならないでしょう。

なんとなく、いまはすごく単純な決めつけが多いのではないか、という気がします(これすらも決めつけなのかもしれないけれど)。新聞でもなんでも、単純にヒーローを作り出し、ときにはその後に落とすためにわざと持ち上げているとしか思えないようなことをし、一転、「悪者」は徹底的に叩く。本当に怒っているのかどうかわかりませんが、怒ってるふりをしている人も、ずいぶんいます。

怒る必要があることなのか、無視すればよいことのか。判断を遅らせて、ゆっくり考えていく必要があることなのか。それを見極めていくことは、簡単ではないな、と思います。

十代の頃は大変に怒りっぽかったわたしは、そんなふうに判断を遅らせる習慣をつけていくうち、なんとなく怒るタイミングを失ってしまうようなことも多々あります。
それでもやっぱり一方的な決めつけみたいなことをやってしまっていて、あとで、あれはまずかったなー、と反省することも少なくありません。

作中のリリアンの怒りは、読んでいてとても気持ちの良い「怒り」ですが、それは現実ではないから、言葉を換えれば、一種の単純化がなされているから、気持ちが良いのかもしれません。

さて、このところ黄砂がすごくて、空が不思議な色をしている日が続きます。昨日は銀ねず色の空に白い夕日が沈んでいました。北西の山並みも、けぶって見えませんでした。いったいこの黄砂、いつまで続くんだろう。

なんとなく空と同じで、春たけなわだというのにはっきりしない日が続きますが。 どうかみなさま、お元気でいらっしゃいますように。

また、遊びにいらしてください。それじゃ、また。

April 25, 2006



Last Update 4.15

「闇を探す」、いただいたメールをもとに、少し全体を補筆しました。最後を除いてはほとんど変わってませんが(笑)、いただいたメールは大変おもしろいものだったので、ぜひほかの方にも知っていただきたいと思って、紹介させていただきました。

これまでにもときどき書いてきたけれど、わたしは本やメールを読むとき、書き手の声を聞くように思うときがあります。情報を拾い上げるために読んでいるときではない、ゆっくりと、身体の内側に落とすような読み方をしているとき、確かに書き手それぞれに異なる声が聞こえてくることがある。はっきりと聞こえてくる声もあれば、とらえどころのない声もある、もちろん聞こえないこともあります。

それと同じように、わたしたちはものを見るとき、見ている器官は網膜でも、取り込んだ情報をわたしたちの身体に刻みこんで、そこから「ヴィジョン」を構成しているのだな、と思いました。

ただ、転載の許可をいただいたとき、このかたから、多少ショックなお話をうかがったのです。
このかたは、視覚障害をお持ちなのですが、日常生活のさまざまな場で、直接に話しかけられないのだそうです。たとえば病院ではお医者さんが、あるいは美容院では美容師さんが、付き添いの人に聞く。「盲導犬を同伴している盲人に聞いたところでは道行く人が、なんとその犬に話しかけてくるのだそうです」という部分を拝見したときは、思わずため息をついてしまいました。

確かに、わたしたちがいま、さまざまな障害をお持ちのかたとふれあう機会というのは、すごく限られてしまっている。だから、どうしていいかわからない、ということはあると思います。だけど、わからなかったら聞いたらいい、と思うんです。知らずに失礼なことをやってしまったら、謝って、やりなおせばいい。つぎはもう少しうまくできるはずです。
見て見ぬふりをしていたら、つぎのときもそうするしかないでしょう。
コミュニケーションというのは、そういうことも含めて、コミュニケーションなんだと思います。

「自分さがし」という言葉がひところさかんに口にされたものだけれど、結局、「自分を発見する」ということは、自分というものが世界にかかわってゆく、そのかかわりかたを新しく見つける、ということなのだと思うのです。世界から切り離した「自分」をどれだけ虫眼鏡で探してみても、そんなものには意味がない。自分が世界と生きた関係を結んでいくこと。それをどう作り上げるか、何をそこに積み重ねていくのか、結局はそういうことなのかな、と思います。

N様、いろいろ考えることのきっかけをくださって、ありがとうございました。そうして、転載の許可をくださって。N様がメールをくださらなかったら、こんなことを知ることもなかったのでした。ほんとうにどうもありがとう。

それにしても、四月も中旬だというのに寒いです。
このところの雨と風で桜も散っています。
それでも薄曇りの空の下、緑の若芽をのぞかせながら散っていく桜は、はっとするほど美しいものです。

どうかお元気でお過ごしください。
ブログで連載中の『ジュリア』、まだ折り返し地点までも行けてませんが、頑張って最後までいきますから、そちらもよろしく。

ということで、それじゃ、また。

April 15, 2006





Last Update 4.06

「闇を探す」アップしました。

これはそもそも一冊の本を読んだことがきっかけです。
本文のなかでも触れている『夜は暗くてはいけないか 暗さの文化論』(乾正雄 朝日新聞社)です。

これを読んでから半年ぐらい、暗いということはどういうことなのか、闇とはどんなものなのか、ああでもない、こうでもない、と考えてきました。『雛』と『グレート・ギャツビー』と『停電の夜に』を使うことは早くから決めていたのだけれど、どういうふうに書けるか、はっきりとしなかったんです。

ブログ掲載時にも、まだはっきり煮詰まってなかった。そこからなんとか着地場所を見つけることができました。

そもそもの着想に至った本、そしてまた中世の本や柳田国男のご示唆をくださったN様、人工的に闇を作り出すことができるかどうか教えてくださったI様、それから、『樹・岩・雲』でメールをくださったN様、おもしろい質問をわたしにしてくださったスウェーデン人のH先生(ごらんになっていらっしゃらないだろうけれど)、みなさん、どうもありがとうございました。

「おはよう」というのは「なんと天気がいいのか」という意味ではありません。それが言いたいのは、「私はあなたの平安を望んでいます。私はあなたのために今日がよい天気であることを望んでいます」ということです。これは他者を気遣う人が口にする言葉なのです。コミュニケーションの残るすべて、言説の残るすべては、ことごとく、この「おはよう」のひとことのうちにこめられています。

エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ『暴力と聖性』(内田樹訳 国文社)

『思想する「からだ」』(竹内敏晴 晶文社)のなかで竹内はこの部分を引きながら、さらにこの訳は「おはよう」ではなく、「こんにちは」ではないか、といいます。 そうして、こんな体験を引くのです。

 じいちゃんは朝暗いうちにわたしを起こして家の前の路地を竹箒で掃き清める。向かいからも両隣からも人が出てくる。「おはようございます」「おはようござい」と威勢のいい挨拶が交わされる。

 どの家にも必ずある小さな植木棚の花に水をやると、じいちゃんはわたしの手を引いて歩き出す。隅田川――わたしたちは大川と呼んでいたが――の川べりには町の人たちが寄りあってみな川向こう――つまり東の空へ向いて立っている。

 やがてまっ赤な「おてんとさま」が、はるばると平らな地平の、わずかに棚びく雲の向こうに昇ってくる。人々は一斉に手を合わせ、かしわ手を打って拝む。じいちゃんはわたしにわからない唱え言をつぶやいている。

 それが終わるとじいちゃんはすっと背をのばして隣の人に「こんにちは、よいおひよりでございます」と、ていねいに頭を下げる。

 こうしてわたしは「お天道様」のお昇りになる前は「お早うございます」、後は「今日はよいお日和でございます」と挨拶することを学んだ。たぶんこれは江戸数百年の市民たちの習わしだったろう。

なんと美しい風景。なんと美しい挨拶。わたしたちは夜の闇を失うと同時に、日の出の喜ばしさも失ってしまったのだと思います。

けれども、失った、と気づくところから、何かが始まるはずです。まずそこを見る。そうして、そこから考えていく。これからも、もう少し考えていきたいと思います。 どうか、これからも、お話、聞かせてください。

桜が日に日に咲いていきます。この時期の桜は、暗いなかで見ても、木全体がぼうっと明るいのです。「花明かり」という言葉を思い出します。

どうか気持ちの良い春の日をお過ごしください。
それじゃ、また。

April 06, 2006





Last Update 3.26

「とんでもないラジオ」アップしました。

チーヴァーというと、1950年代の作家、というイメージが強くて、ブログのほうでもうっかり「1950年代のアメリカを舞台に」と書いてしまいましたが、発表されたのは1947年、第二次世界大戦が終わってわずか二年の作品なんですね。

アパートメントに住む、といっても、メイドがいたりして、ずいぶん優雅な暮らしです。あのダコタアパートにも近い感じなのかもしれません。この時代の400ドルというと、いまに換算してどのくらいなのでしょうか。

このアイリーンの暮らしは、いまのわたしから見ると、ひどく奇妙なものに思えます。いったい何をして暮らしているのでしょう。専業主婦といっても、家事の多くはメイドがやり、子供の世話まで半ば、やらせています。パーティを開き、外で食事をするという、社交生活を維持することがおもな役目だった彼女たちの生活を考えると、現代のわたしたちの生活より、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』や、もっとさかのぼって、イーディス・ウォートンが描く世界のほうに近いのかもしれません。

この作品は、柴田元幸の『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書)にも、「ラジオ」という項目で取りあげられています。

華やかそうな見かけと、その裏に隠れた不安、悲惨、醜聞。その対比を衝撃として提示しているところに、たぶんこの「巨大なラジオ」という作品の古めかしさがある。一九四七年よりはずっとシニカルな時代に生きる現代の読者にとって、こうした表面と実態のずれは、衝撃というよりむしろ出発点だからだ。

確かにわたしたちは、どんな「立派な」人物にも、「裏側」があると思っています。それを暴くのを目的とするメディアも、さらには、そののちに暴くために、ことさらに持ち上げようとするメディアさえ存在します。

ここでは、「知る」ということは、その対象を征服し、支配しようとするものでしかありません。

そうでないような「知り方」、支配する方向に向かわないような「知り方」、たんに「知る」ことに留まらず、「理解する」ことに結びついていくような「知り方」はないのか。

むずかしいことですが、それは、知ろうとする「わたし」の問題であると思うのです。

「わたし」が「あなた」を知ろうとする。
このことは、常に「あなた」を知る「わたし」を知る、ということでもあると思うのです。

盗み聞きしていたアイリーンでさえ、聞いたことに影響を受けます。そうして、けんめいに自分の幸せを確かめようとします。それは、知ることで不安になったからです。
「みんないい人」と世界をとらえていれば、自分も「いい人」でいられます。深く考える必要もない。けれど知ることで、自分のそうした「理解」が、ごく皮相なものであることを思い知らされて、ならば漠然と「いい人」であった自分はどうなのか?
このように、おそらく、「知る」ということは、「自分を知っていく」ということと切り離せない。

不安であることを、怖れてはいけないのだと思います。
先がわからないことの、不安。
相手がどう思っているかわからないことの、不安。
世界が知らない「他者」で成り立っていることの、不安。
そうして、正しいことばかりはしていない自分の、ときに愚かで、まちがったことをしでかしてしまい、それどころか実際にやっているときは間違っているか、正しいことをしているかさえわからないことの、不安。

けれど、わからないことは、ひとつずつ、わかっていけばいい。
明日は、やがて今日になります。
ひとつずつ、経験して、そこから学んでいけばいい。
そうして、ここで「わかる」ということは、わかっていく「わたし」をわかるプロセスであると思います。

だから、知らないことの、わからないことの不安を、引き受けていこう。わたしはそんなふうに思います。不安を引き受けながら、ひとつずつ知っていくことで、この「知る」というのは「支配する−される」の関係を、脱していくことができるのではないか。

ところで、お彼岸も過ぎて、ずいぶん暖かくなってきました。
まだわたしの地域では、桜もほとんど咲いていないのですが、不思議なことに、一本だけ満開の桜の花を見ました。日の当たり具合なのか、いったいなぜその一本だけが満開なのかよくわかりませんが、一足早い春爛漫を、横を通り過ぎる一瞬、味わいました。

去年、桜の花を見たときのことを、はっきりと覚えています。
去年と今年、咲く花は同じでも……と、大昔から日本人が考えてきたようなことを、今年もわたしは感じるのでしょう。

さて、そういうことで、それじゃ、また。
気持ちの良い春の日々をお過ごしください。

March.26,2006





Last Update 3.17

新しい季節がめぐってきて、このページも、すっかり重くなったver.3に変わって、新しい"What's new"です。

記念すべき第一号は「いっしょにゴハン」「ものを食べる話」を書きながら、それには書けなかった「食べること」をめぐるあれやこれやの思い出話を書いています。

その昔、在日外国人を招いての交流会に出たことがあります。たまたま近くにスウェーデンから来た人がいたので、わたしは本で読んだことがある「スウェーデン風ミートボール」というのはどういう料理なのか聞いてみました。その作り方をめぐって、あれやこれや話しているとき、近くで聞いていた日本人の、わたしより少し年代が上の女性がこんなふうに言ったんです。
「わたしが若い頃は、そんなふうな所帯じみた話をこんな場でするなんて、恥ずかしかったんだけどね」

あはは、所帯じみた話ですかー、おもしろい見方ですねー、と笑うわたしの右上20cmあたりに、「けっ」という吹き出しが浮かんでいたことはいうまでもありません。

日常生活を軽いもの、とする見方がわたしは好きではありません。
毎日の生活、とりたてて言うほどのこともない、ふつうに起きて、ゴハンを食べて、仕事に行って、仕事をして、またゴハンを食べて、仕事をして、本を読んで、音楽を聴いて、買い物に行って、ゴハンを作って、ゴハンを食べて……という生活は、重大な日と同じくらいに大切だと思います。っていうか、それが重大な日だかどうだかなんて、あとになってみなきゃわからないんじゃないか。

だから、どのような時にせよ、その時は君がそれまで生きてきた集大成なんだ。それを支える小さな時の積み重ねなくして重大な時に到達することは出来ない。決断のための重大な時、人生の転換期、過去のあやまちをにわかに拭い去ろうと待ちかまえている日、今までしたこともない仕事をしたり、考えたこともないやり方を思いついたり、持ったこともないものを持ったりする――その日はいきなりやってきはしない。

リリアン・ヘルマン『秋の園』

こんなふうに、どの「時」を切り取っても、これまで自分が生きてきた集大成、っていうふうに考えたいんです。

もちろん、毎日の暮らしにどっぷり浸っているだけでは、その「日常生活」ということさえ理解することはできません。わたしたちがそれを「それ」と見ることができるためには、外からの視点が不可欠だと思うから。

水を飲むように、本を読み、本を読んで考えるように、ゴハンの支度をしたい。
わたしはいつもそんなふうに思います。

ところで、この間、キリ番の報告をしていただきました。
ヴァレンタインの検索で、このサイトを見つけてくださった imaiさんです!!
福助 imaiさん! おめでとうございます。
imaiさんに、幸せが7777個、余分に訪れますように!!

それにしても、カウンタがここまで来るとは、思っていませんでした。正直言って、ここまで続けられるとも思ってなかったんです。

これまでに何度も、自分にいつまで書くことがあるんだろうか、と思いました。どれだけ話したいことがある、と、わたしが思っていても、それは結局は一方的に送りつけているだけなんじゃないか。いま、たまたま書きたいことがあるような気がしているけれど、こんなふうに、自分の方からだけ送っているうちに、自分自身の思いもすり減って、干からびてしまうんじゃないんだろうか。そんなふうに思ったこともありました。

でも、書くために読み、そうして読むことで、また書きたいことを見つけていくうちに、わたしはこんなふうに思うようになりました。
それがどんな形であれ、コミュニケーションとして続いているなら、いま自分が送り手の立場にいようが、あるいは受け取っていようが、そんなことはどっちでもいいんだ、と。

これからも、少しずつ、いろんなことを読んだり、考えたり、書いたりします。
だからどうかお話、これからも聞かせてください。

さて、週末は暖かくなってくるみたいです。
もうじきお彼岸、春もすぐそこですね。

どうか、お元気で。
良い日々をお過ごしください。それじゃ、また。

March.17,2006








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