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What's new? ver.7


(※ここには2007.3.4 〜 6.9 までの更新記録が収めてあります)

Last Update 6.09

キャサリン・マンスフィールドの短編「ディル・ピクルス」をアップしました。

やはりマンスフィールドというと、「ガーデン・パーティ」ははずせない。それでもあまりにあれは定番過ぎて……というところから、少し外したものを選んでみました。皮肉ななかにも、おもしろがっている作者の視線が感じられて、マンスフィールドのなかでも好きな作品のひとつです。

実際、再会というのは、映画でも小説でも、飽きるほど取り上げられるテーマです。というのも、再会には、過去があり、現在があり、変化がある。始め−なか−終わりという物語のすべての要素が、「出会い」という一事に凝集されているのですから。

ただ、20世紀初頭のこの作品がおもしろいのは、たったこれだけの分量なのに、確定を逃れてしまっているところです。彼は、ほんとうに彼女が感じたように、彼女のことをからかっていたのか。あるいは、彼が口に出して言っているように、彼女のことを愛していたのか。どうとでも読むことができる部分が少なくありません。

感情というのは、重層的なものです。彼女が相手の社会性のなさを疎ましく思いながらもそれでも引かれていった過去があったように、彼が、絨毯になりたい、と言いながら、相手がしゃべっているのを繰りかえし遮ったりしたように、「ほんとうに愛している」という言葉のなかにも、それはそれはさまざまな色合いの、さまざまな感情の要素が混在しているのでしょう。

六年の歳月を隔てて変わっていったヴェラが、さまざまに経験を積み変わっていった彼に会う。揺れ動くさまざまなヴェラの心情を、わたしたちがそのときどきの光に当てながら読んでいく。ヴェラの心情も、ヴェラを通して見る「彼」の心情も、まるで万華鏡を覗くときのように形を変えていきます。

もうひとつは、やはり、時代という要素もあるのでしょう。

この作品をいまの日本に置き換えてみたら、ひどく薄っぺらなものにならざるをえないように思います。社会主義の機運みなぎるロシアは、単なるエキゾティックな外国(まあ今日ではロシアなどエキゾティックでさえありませんが)でしかないし、ふたりの階級の差は、収入の差になってしまう。

やはりこの作品でも、階級が重要な伏線になっています。彼女がそれまで暮らしてきた生活の秩序と、彼のそれはちがっている。このふたりが一緒になるためには、それぞれが、相手の秩序に入っていくために、自分自身を変えていかなければなりません。それまでの生活から、相手が所属すると思われる生活に入っていけるように、見方も、考え方も、振る舞いも、変えていかなければ絶対にうまくいかない。

結局、六年前に彼女はそうやって自分を作り上げることを断固、拒否するわけですが、それでもそのことに対する「揺らぎ」が生じています。いまのドラマにはこの「揺らぎ」はありません。揺らがないところでのかけひきは、単なるかけひきにすぎず、それだけに、薄っぺらくなってしまう。おもしろくないのは当然でしょう。

自分が何を思っているか、それは思う対象がなければわかることではありません。というか、思う対象があって初めて、わたしたちの意識は動き始めるのです。制約にしても同じことです。制約があるからこそ、問題が焦点化し、わたしたちの意識がその問題に向けてかたちづくられる。だから階級という制約がなくなったとしても、それは別に自由を意味しない。

ほんらい、異なる人間が生活を共にしていくというのは、この自分を作りかえていくというプロセスが不可欠だと思うのです。その作りかえを前提としないいまのドラマは、「妻がいる」というステイタスにあこがれる男性と、「認められたい」「評価されたい」「安定したい」という願望をすべて結婚という一事に流しこむ女性のかけひきにしかなっていないのではないか。もしそれが、わたしたちの実際のありようの反映だとしたら。なんだかうそ寒いものを感じます。

最後の方で彼が「つまり、ぼくたちは単に、ひどいエゴイストだったってことさ。自分自身に夢中で、自分の殻にこもって、心のなかに他人が入り込む余地なんてほんの少しもありはしないんだ。わかるだろ?」と言うのですが、彼の心がまさにその通りであれば、それに気がつくこともできません。そのことに気がついた彼は、もはやそこにはいない。おそらく、自分の思いは自分の外へ出ては意味を持たないものであることを知ったからこそ、かつての自分がそうだったこと、そうして、いまの自分がどれほどもそこから離れてはいないことを理解できるようになったのでしょう(もちろんそれを言う彼には、自分はフロイトを勉強したんだぞ、というひけらかしもあるのですが)。

自分ではない相手は、自分ではどうにもできない、ということ。自分の思いは、自分の外では意味を持たない、と知ること。つまり、自分には制約があるということを痛烈なかたちで思い知らせてくれる経験が恋愛であるとしたら、それはひとの成長にとって大きな意味のあることだと思います。

さて、下でも書いている《パイレーツ・オブ・カリビアン》、二作目も見ました。一作目に較べて、ストーリーの密度が薄くなっているぶん、活劇や特撮など、視覚的な要素で補おうとしている感じでした。登場人物が一作目と同じでちっとも深まってないから、よけいにそういった印象を受けたのかもしれません。

この作品はいわゆるハリウッドの大作に見られる古典的な筋書きで、あきれるくらい《スター・ウォーズ》と一緒なのですが、例によって三者関係、主体であるビル・ターナーと、客体であるエリザベス、そうして媒介者のジャック・スパロウの関係が根本にあります。そうしてこのパターンでのお定まり、主体が模倣したくなるように、媒介者はきわめて自由で、危機に際しては能力を発揮し、客体もひかれていくわけです。

ところが三作目ではこの媒介者に父親が登場するという。主体の父親は、登場しなくてはなりませんが、媒介者の父親が登場してはまずいのではないか(ハン・ソロの父親は登場しませんし、『こころ』のKのお父さんも、作品が始まる前に死んでしまっています)。どうやってストーリーを破綻なくまとめていくのか。キース・リチャーズがその父親を演じる、ということもあるんですが、ひそかにそういうところも楽しみにしています。
《スター・ウォーズ》? 見たこともない、なんて、どうかおっしゃらずに、一度御覧になってみてください。なかなかおもしろい要素がいくつもころがっています。キース・リチャーズも出ます。ジョニー・デップが真似したみたいに、ほんとにふらふらしてるんだろうか(笑)。

気がつくと、いつのまにか六月に入ってずいぶん日が経っていました。このかん、二度も「鶏的思考的日常」を更新したので、なんだかずいぶん頻繁にアクセスしていたのですが、更新記録のほうはひさしぶりです。だから念のために書いておこう。

「ver.12〜竊盗金魚 賭博ねこ 傷害雲雀 凶器準備集合鶏 編」は5月27日に、
「ver.13〜人は城、人は石垣、人は鶏 編」は6月6日に
それぞれ更新しています。まだ五月分が残っているのですが、これはまとめたいのもあるし、またそのうち、ということで(笑)。

そろそろ暑くなってきました。
蒸し暑い日も続きますが、どうかお変わりございませんよう。
どうかお元気でお過ごしください。

それじゃ、また。

June 09 2007



Last Update 5.31

「鏡よ、鏡」アップしました。

先日、ふと思い立ってクンデラの『存在の耐えられない軽さ』を読み返してみたんです。
前に読んだときは、よくわからないけれど何か胸がドキドキする、と思った。何かここにすごく重要なことが書いてあるんだけど、それが何かはわからない、と思った。だから寝かせておいたのです。
いま読み返しても、やっぱりまだよくわからない。それでも、一部、霧が晴れたように思う部分がありました。それが「鏡」の箇所でした。

「鏡」はこのなかでどのような働きをしているのだろう。そう考えるところからいろいろ考えていきました。もう一箇所、作品のなかで鏡が重要な働きをしている場面があるんです。こちらは「軽さ」を象徴するサビナのきわめてエロティックな場面です。その部分はどういうことかやっぱりわからない。わからないから、そこはまたしばらく寝かせておくことにして、もっと鏡について、いろんな角度から考えてみました(これでラカンに依拠している、なんて、恥ずかしくってとてもじゃないけど言えませんが、一応「鏡像段階」とかの解説書は読みました。「砂糖屋の前を走ったような」という表現がありますが、まさにそんな感じ。ほんのり、ラカン風味、っていうと、なんかおいしそうだ)。

今回、青空文庫をデータベースとして使って、「鏡」をキー・ワードに検索してみたんですが、そこでおもしろい傾向がわかりました。「鏡」について多くふれているのが、岡本綺堂、芥川龍之介、太宰治なんですが、綺堂は怪奇小説、芥川はドッペルゲンガー、太宰はナルシシズムの文脈でふれているものが多い。「二つの手紙」にも見られるように、芥川はドッペルゲンガーにひどく関心が深かったようです。確か、芥川自身がそれを体験した、というのも、どこかで見たように思います。作家の個性というものが、こういうキーワードにも現れているのかと思いました。

太宰の主人公には、二枚目で女性にもてる青年がよくでてきます。確かに太宰自身、長身で整った顔立ちをしていたことが写真などでわかりますから、そうした自分の意識を作品に投影させたところはあったでしょう。けれど、それはナルシシズムというのとは少しちがうように思います。むしろ、通俗的な小説、作家と主人公が一体となった、というか、作家が欲望を剥きだしにして、それを紙の上で満たしているかのような小説こそ、ナルシシズムといえるものでしょう。そこでは読者は作家=主人公と一体となるか、読むのをやめてしまうかしかありません。

太宰の登場人物たちは、二枚目で女性にはもてる。もちろんそのことをよく知っている。けれどもそこに充足していない。言葉を換えれば、そこに閉じこめられてはいません。だからこそ、普遍性を保っているのだと思います。

ナルシシズムというのは、やっかいなものです。だれもがそれを抱えていて、できるだけ隠そうとしているけれど、やはりそれとは無縁ではいられない。
人を好きになるときですら、ああ、この人はわたしと感じ方が似ている、と思ったり、自分の理想を相手に投影してしまったり。朔太郎が言うように、鏡に映った自分の姿に恋をしてしまうのかもしれません。

それでも、相手は自分とは異なる人間です。異なる身体をもち、異なる顔をし、異なる声をしている。たとえスタート地点は自己愛であっても、自分への愛を外へと向け変えることは可能なのではないかと思います。自分が認められたい、救済されたい、という一心だった『人間失格』の主人公、大庭葉蔵でさえ、他者への愛が開かれた瞬間がありました。彼はその瞬間をやり過ごしてしまうのですが。

やはりここで「身体を通して自分を見ようと思った」というテレザのように、身体とは重要だと思います。身体、そうして顔ほど、他者がまぎれもなく他者であることを主張するものはないでしょうから。
ひところメールのやりとりは人を感情的にする、と言われていましたが(いまはそんなことはあんまり言われなくなったんでしょうか)、それは相手の顔も身体も見えない、声も聞こえない、おまけに筆跡さえわからない、他者の痕跡の希薄なフォントは、どこまでいっても自分の延長になってしまうためかもしれません。その人の顔に相対して、その人の声で言われた言葉は、その人の言葉としてわたしの内側に刻まれますが、液晶画面に映った無個性のフォントの羅列の向こうに、自分の見たい像を見ることはたやすいことなのかもしれません。

それでも、本を読んでいれば、その向こうに結ぶ書き手の像は見えてきます。耳を澄ませば、文章から声が聞こえてきます。それはたとえ自分が作り出したものであっても、自分の像とはちがいます。その像と時間をかけてつきあい、対話しながら少しずつ修正を続けていけば、そのイメージはやがて豊かなものになり、わたしの側を変えていくことでしょう。

実際に日常的に顔を合わせている人でも、身近な人であっても、どこまでいっても自分ではない人はわからないものです。宝探しをするように、どこかに埋まっている「ほんとうのその人」を探してあちこち穴を掘るのではなく、その人の話を聞き、行動をともにして、少しずつ知っていく、どこまでいっても知り尽くすことはできないけれど、それでも、というか、それだからこそ、知っていく。それとおなじように、活字の向こうにいる人のことも、そうやって知っていくことができるのではないか、と思います。

わたし以外の人が読んで、おもしろい文章なのか、意味があるのか、相も変わらずよくわからないのですが、わたし自身はいろいろおもしろかったです。ほんとは、鏡の前でおもいっきりナルシシズムに浸っている登場人物が出てくる作品などがあったら良かったんだけど、うまく見つけることができなかったのが残念なんですが。

さて、今日は満月です。いまさっき、ヴェランダから微かにクリーム色がかった月を見ました。
《パイレーツ・オブ・カリビアン》では、満月の光が呪われたものたちの真の姿を浮かびあがらせていましたね。三作目にキース・リチャーズが出てるって聞いたので、見に行こうと思って、予習のためにこのあいだDVDを見たのです。朝の五時ぐらいから見たんですが(笑)、そのあと新聞を見たら、TVの洋画劇場でやっていた(笑)。
キース・リチャーズはプレミアのとき、自分の出てくる場面は寝過ごしちゃって見損ねたんだそうです。なんだかなぁ。"Emotional Rescue" では録音のあいだ、一睡もしなかった、という伝説がある人なんだけど、歳、取っちゃったんでしょうかね。それともつまらない映画なんだろうか。

さて、明日から六月。ブログのほうではまた新しいことを始めるつもりです。
わたしが楽しんでるみたいに、読んでくださるかたも楽しいと感じてくださったら、それにまさる喜びはありません。

ということで、それじゃまた。
お元気でお過ごしください。

May 31 2007



Last Update 5.20

以前ブログで「歳を取った話」をつなぎとして書きました。なんとも不十分なログで、大幅に加筆修正、というか、もはや原型をとどめなくなるまで手を入れて、「時間とわたしたち」として独立させることにしました。

物語を流れる時間ということについては、以前からずっと書こうと思っていたのですが、どう書いたらいいかよくわからなかったんです。ここでは物語のなかを流れる時間ではなく、物語をひとつの定点として、その外を流れていく時間とわたしたち、という観点で書いてみました(そんなええもんか、という気持ちが少々)。そこから「時間」というのは、わたしたちがものごとを認識する一種のやり方なんじゃないか、みたいなことまで。

つい先日、もう会わなくなって二年近くがたつ人の声を聞く機会がありました。内容よりも何よりも、その声を耳にした瞬間、ああ、この人はいまここまで来たんだ、と思ったんです。どういうことか自分でもよくわからないのだけれど、ふっとそんなふうに感じた。わたしがそのあいだに少しずつ変わっていったように、その人も少しずつ変わったのだ、と。そうして「そこまで」行ったのだ、と。よくわからないけれど、何か、とてもそれがうれしかったんです。

ブログのつなぎもなんとかしなきゃ、と思いながら、書き直しているところでした。鶏頭のひとつとして、書いているうちに、少しずつ膨らんでいった。一応、頭の隅には大学時代読んだカントの『純粋理性批判』に出てくる「時間と空間は感性による直観の形式」であるとか、なくはないんですが、それを展開させた、にしてはあまりにお粗末なので、それは言わないでおきます(笑)。ただ、時間というのは、わたしたちは空間化してしか認識できない、ああ、何でこういう話をすると、こんな言い方になっちゃうんだろう、つまり、川の流れのような比喩としてしかとらえることができないわけです。なのに、時計などの視覚的なものの影響で、均一に流れていくものとしてとらえてしまっているのではないか、それだと、時間のある種の性格というものを見逃すことになるのではないか、とずっと思っていたんです。

いっぽうで、時間をこんなふうにとらえることもできます。

 人間が時間という何ものかを要請するのは、ひたすら出会いの設定のため以外ではない。もし私がこの世でただひとりの人間であったなら、私は《ほとんど》時間意識を持たぬであろう。その場合、《まったく》持たぬと言い切れず、ほとんど持たない、としか言えないのは、その孤独の中でもなお私は、私を取り巻くさまざまな事物との出会いの中に生きるほかはないからである。朝、私は太陽に出会わなければならない。夜は月や星に出会い、適度の間隔を置いて自分自身の空腹に対面しなければならず、長い周期において四季に出会わなければならない。

 自分が虚無の空間にひとりただよい、しかも自分の体内に定期的におとずれる睡眠その他の事象を持たぬ、という滑稽な仮定でもしないかぎり、私たちは、人や物や事との出会いなしに生きることはありえない。そして、人や物や事とのアポイントメントのとりきめこそ、私たちが誤って時間という名で呼ぶことになる現象にほかならないのであった。

(佐藤信夫『レトリックの記号論』講談社学術文庫)

出会いの設定のために、「時間」という認識のしかたが要請されている、というのはすごくおもしろい見方だと思うし、なんだかワクワクしてきます。あたりまえのことだけれど、わたしたちはひとりで生きているわけではない。けれど、どうかすると、そのあまりにあたりまえのことを忘れてしまいそうになる。人が風景に見え、風景が背景になってしまっている……。
それでも、朝になると太陽に会い、さまざまな人や物や出来事に会うのです。「背景」なんてどこにもない。わたしたちはそうした人や物や出来事とふれあって、そうして、変わっていくのだと。わたしはその「変化」を「時間」と呼びたいと思います。

書いているうちに、以前はよくわからなかったふたつの文章も、少し別の角度から見ることができるようになりました。
「その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う」(長田弘)
そうなんだろうな、と。いつかそのうち、この言葉をさらに別の角度から読むことができるようになるのかもしれません。

ところで、最近ジョギングを始めました。近所の遊歩道を二キロちょっと走ってるんです。目にも鮮やかな若葉の下を走っていると、耳の内側でPorcupine Tree の"Lazarus" が響いてきます。これを去年、この季節に聴いたとき、来年もこの曲を聴くだろう、と思ったものです。ケヤキの木を見上げ、葉っぱの間から見える日の光を見ながら、この曲を知らなかったときにおなじように見上げたときのことを思いだし、そうして、来年も、そのつぎの年も、わたしはこうやってこの曲を聴きながら、こうやって空を見るのだ、と思ったものでした。歌の方は、木漏れ日ではなく、月の光を歌ってるんですが(笑)。
ああ、この歌詞も訳したきり、うまく文章が書けなくて、どこかに埋もれたままになっています。そのうち掘り起こすつもりでいますが(笑)。

いろんなことがある。いろんなことに出会うために、アポイントメントのために、「時間」が要請されている。そう考えると、世界が少し、ちがったふうに見えてきます。だからこそメイコンが言うように、時の流れは冒険なんでしょう。

ともに冒険を続けていく冒険家として。
いっしょに歩いていきましょう。
どうかお元気でいらっしゃいますよう。
それじゃ、また。

May 20 2007



Last Update 5.15

「サキ コレクション vol.2」として、「話し上手」「博愛主義者と幸せな猫」「立ち往生した牡牛」の三つをアップしました。以前に訳した「サキ コレクション vol.1」と合わせて「サキ コレクション Index」も作り、vol.1 のあとがきも書き加えました。サキの短編は版権も切れているし、心おきなく訳すことができるので(笑)、これからも徐々に増やしていこうと思っています。

サキのおもしろさ、というのは、もちろん結末の意外性にあるのですが、それは同時に、登場人物のおもしろさでもあるように思います。たとえばO.ヘンリーの短編は、「偶然」とか「皮肉な巡り合わせ」というのが大きな役割を負うのですが、サキの場合はほとんどそんなことは起こらない。登場人物の性格が、すべて結末の原因となっているのです。

ときどき「あの作品は人間が描けている(いない)」という評価を耳にすることがあります。これはどういうことなんでしょうか。

有名なE.M.フォースターの定義に「扁平人物(フラット・キャラクター)」と「円球人物(ラウンド・キャラクター)」というのがあります(これについては「小説のなかの「他者」と現実の「他者」」で少しふれています)。

円球人物であるかどうかの規準は、それがわれわれを納得させながら、驚かせることができるかどうかです。もしそれが少しも驚かさないなら、扁平です。納得させないなら、扁平のくせに丸いふりをしているのです。円球人物は人生――小説中の人生ですが――の測りがたさを身辺に漂わせています。

(『小説の諸相』 フォースター著作集8 みすず書房)

サキの登場人物たちは、たいてい一種のカリカチュア、一語で言いあらわせるような人物です。だから「作品に人間が描けている」という評価はあまり見受けられません。それでも、その登場人物の性格から必然的に導かれる結末に、あっと驚いたり、やられた、と思ったりする。フォースターのいう「人生の測りがたさ」を感じてしまう。それは登場人物がどれも「扁平のふり」をしているけれど、その扁平には影がある。扁平と影の魔術で立体と思わせる。それがサキの魅力なのだろうと思います。

ところで、わたしたちはどうしてさまざまな小説に出てくるさまざまな登場人物の性格を「わかった」とか「理解できる」とかと思ったりするのでしょう。
もちろん納得ができるような書き方がしてあるのは確かです。それでも、どれだけ作者の筆がすばらしくても、知らない楽器の音はオーケストラのなかでは聞き取れないように、やはりわからないものはわからないはずです。それが、国や時代を超えてわかってしまう。

おそらく、ほとんどの登場人物の性格は、わたしたち自身の「性格」を形成しているさまざまな要素を分かち持っているのだろうと思うのです。というか、わたしたちが自分の「性格」と思っているものは、さまざまな登場人物を形づくる言葉の寄せ集めなのだろうと思うのです。だから、たとえ自分の幸福に酔いしれて、不幸な他人を探しに行くような人物であろうと、「あなたのため」と言いながら、子供の大切なものを端から取り上げてしまう伯母さんであろうと、部屋のなかに入っていった牛を見て、絵を描き始めてしまう画家だろうと、わたしたちは彼らの気持ちを「わかって」しまう。おそらくそれは自分のなかにも同じ部分があるからではないのでしょうか。

ふだん、そういう側面が直接表面に出てくることはないかもしれない。だから、自分はそんな人間ではない、と思っていられるのかもしれません。それでも、わかる。わかるということは、とりもなおさず、やはりどこかにあるせいではないのか。ある、ということは、ある種の情況ではそれが表面に出てくるのかもしれません。あるいは「わからない」と思うのは、自分のなかにある同じ部分を見たくなくて、「わからない」と思ってしまうのではないのか。

物語の扁平な登場人物たちは、一語で表せる「性格」を持っていますが、現実に生きるわたしたちには、そんな固定的なものはありはしません。せいぜいが「こういうときにはこういうことをしやすい」ていどのクセみたいなものがある、と言えるぐらいでしょう。それでさえ、ふりかえると自分でもよくわからないことをすることは、日常的によくあります。さまざまな情況に反応し、さまざまに感じたり、行動したりする「わたし」のなかには、おそらく、おそろしくたくさんの「キャラクター」たちがいるのだと思います。

「こういう人だから、そんなことになるんだ」とか「そういうことにならないように、その性格のそういうところは治さなきゃいけないよ」とかいう言い方もありますが、わたしにはそんなことを言う人がうさんくさく思えてなりません。サキの意外性がおもしろいのは、そういうステレオタイプの思いこみ、こうだからこうなる、というのをひっくり返しているからでもあるのでしょう。こう言ったらおしまいかもしれませんが、あらかじめ、わかることなどないのだと、やはりそう思ってしまいます。

予防的な発想というのがある。もちろん、外から帰ったら手を洗ってうがいをする、みたいなことは必要だろうし、そうした考え方が有効な局面はたくさんあるでしょう。
でも、それ以上に起こったあとでしか対処できないことは多い。そういうとき、なんでそうしなかったんだ、なんでそうできなかったんだ、とか、考えてみても始まらない。
後手後手にまわる、というと、聞こえは悪いのだけれど、たいていのことは起こってしまってからしか対処ができないものです。後手後手にまわっても、辛抱強く対処していくことしかないのでしょう。思ったようにはいかない、というのは、意外な結末、ということでもある。短編とはちがって、この結末は、つぎへ、そのつぎへ、と続いていきます。
もしかしたらサキだったら、予防的な発想そのものが困った事態を引き起こす、みたいな短編を書いているかもしれません。

さて、五月も半ばになりました。鶏頭も更新しなきゃならないし、音楽堂もやりたいことがある。まぁ、ぼちぼちとやっていきます。あまり変わり映えしないサイトではあるのですが、少しずつ、倦まずたゆまず続けていくので、どうか、細く、長く、おつきあいください。

どうか気持の良い五月の日々を楽しんでいらっしゃいますよう。
お元気でお過ごしください。
それじゃ、また。

May 15 2007



Last Update 5.06

「この話したっけ〜仕事を考える」をアップしました。

もともとは美容師さんから聞いた話を、ブログのほうでつなぎのつもりで書いたんです。そのログを書き直すうちに、もっと膨らませたほうがいいような気がして、そこからいろんなことを考えていきました。
「消費」の部分などは、ここで扱うにはちょっと大きすぎる問題ではあるし、まだまだ勉強が足りないのですが、やはり現代の仕事ということを考えていこうと思えば、消費の問題は触れないわけにはいかない。だから、ここではほんのさわりだけ、書いています。ずいぶん説明不足のようにも思うのですが。

いつのまにか「買い物」ということのわたしたちの生活に占める割合が、とんでもなく大きくなってしまったように思います。
ショッピング・モールに行くことは、休みの日の典型的な過ごし方でもあります。そこにはシネコンもあり、レストランもファーストフードもあり、洋服も靴も携帯電話も売っている。家電量販店もあります。
そういう場所で半日を過ごし、買い物を楽しむ。もちろんそれは楽しい過ごし方のひとつではあると思うんです。

それでも、こういう消費行動が、それを超えて、わたしたちに影響を及ぼしているのではないか。人とつきあうのも、仕事を探すのも、商品のスペックを比較するように「あれか、これか」と見比べ、「これを持つ自分」「これを着るわたし」を思い描くように、「誰かといる自分」「その職場にいるわたし」を思い描く。知らず知らずのうちにわたしたちが本来ならば消費行動とは関係のない場面でも、「買い物」的な発想をしてしまっていることは、少なくとも気がついておいたほうがいいと思います。

わたしたちはほんとうに自分にそれが必要なのか、自分はそれを求めているのか、よく考えることもなく、ただ「ほしい」と思いこまされてしまっているのではないか。そうするうちに、「立ち止まってゆっくり考える」こともなく、つぎへ、つぎへ、と手を伸ばしているのではないか。
ただ、そういう消費行動の対極に「モンテーニュ」と「ヴェイユ」を持ってくるのは、いかにも古いのかもしれません。
それでもやはりヴェイユの労働観に、わたしはずっとひかれてきました。

わたしは子供のころから、よく不安にとらわれることがありました。もし両親が死んでしまったら自分はどうなるのだろう。それを考えると恐ろしくて恐ろしくて、胸が締めつけられるようになったものです。その不安の根本にあったのは、自分が路頭に迷うのではないか、『小公女』のように行き場を失ってしまうのではないか、という恐怖でした。それに較べれば、自分が死んでしまうことなど(死んでしまえばそれで終わりなのですから)、ちっとも怖いことではなかったんです。

大学に入って初めてジャスコで棚卸しのバイトをして、二日で一万円と少し稼いだときの、なんともいえない、自分が自由になったような感じはいまでも忘れることができません。ああ、これでわたしは生きていけるんだ。そんなふうに思ったんです。こうやって、働けばいいんだ。こうやって、わたしは自分を養っていけるんだ。
いまから思うとあまりにナイーヴな感じ方ではあるんですが、それでもわたしの根っこにある感覚は、そのときのその「感じ」です。「自由」とは、自分の足で立っている、というその「感じ」。

わたしは繰りかえし書いているように、不器用だし、体力もあるほうではない。車の免許も持っていないし、ごく限られたことを除けば無能に近いのかもしれません。それでも、わたしはいままでやってきた仕事はどれも楽しかったし、そのなかでいろんなことを知ることができた。まあ一日でクビになった仕事もあるんですが(The Working Song 参照)。
何の仕事をするにせよ、わたしは働くことをおもしろいと思えるんじゃないか。自分のほかの部分はともかく、そういう面だけは信頼しているところがあります。

だからわたしにとって仕事は大切なことだとずっと思っていました。
ところがあるとき、西洋人の理想とする "early retirement" やインド人の「林住期」にあこがれる、という話を聞く機会があったんです。そんなふうな考え方があるということさえ知らなかったわたしはひどく不思議に思いました。そうして詳しくは聞けなかった話の続きを、それから折にふれて考えました。まだその理想はわたしにとっては遠いものですが、『随想録』を読んだり、『ウォールデン 森の生活』を読んだり、「林住期」について書かれたものを読んだり、『門』を読んだりするなかで、漠然とではあるけれど、俗世界を離れることの意味、みたいなものが、ほんの少しだけわかったように思います。

さて、職業という面では「職業に貴賤なし」とよく言われます。というか、いまはその建前さえあまり口にされなくはなってきたけれど、職業差別的な感想を不用意に洩らす公人は、マスコミなどで叩かれます。
昔は職業をもとに身分という固定されたものがあったわけですが、明治維新以降、そういうものはなくなった、とされる。それでも現実に職種に序列はつけられています。
よく儲かる仕事はよい仕事。きつい、汚い仕事はよくない仕事。
その一方で「○○はサラリーマン的だ」という批判のしかたにも根強いものがあります。この○○のなかには、たいてい「先生」や「お医者さん」みたいな職種が入る。そういう職業の人を批判するために「サラリーマン」という言葉を持ち出して、一体何を批判しようというのか。ここでも「職業に貴賤なし」という言葉が何の意味も持っていないことはあきらかです。

あらゆる仕事はその仕事を通して対価を得るものですし、同時に対価を得る以上、責任を伴うものにちがいない。あらゆる仕事の根底に等しくあるのはそのことです。「職業に貴賤なし」というのは、実際にはそういうことではないのか。そうして、網野善彦や、宮本常一の本などを読んでいると、身分の固定されていたはずの明治以前の社会の方が、職業とその人のありかたというものが、深く結びつき、それぞれの職場にそれぞれの「誇り」のようなものがあったように思えてならないのです。

やっぱり、生きる歓びというのは、学ぶ歓びであり、働く歓びである、とわたしは思います。だから、「働く」ということに関しても、もっといろんな面から考えていきたいと思っています。文学にはどういうふうに描かれているんだろう。そういうこともまたいずれ。

さて、いわゆるゴールデン・ウィークも今日で終わり。
また仕事の日々の始まりです。とはいえ、わたしはほとんどゴールデン・ウィークも関係なかったんですが。ああ、どこかへ行きたい。どこかへ行って、木陰にすわって、風に吹かれながら、やかましい Oceansize をヘッドフォンでフルボリュームで聴きたい(笑)

木々の緑は日々濃くなっていき、遠くの山並みの緑も鮮やかさを増しています。
半袖が気持ちのいい時期になりました。ああ、冬物をしまわなくちゃ(笑)
どうかお元気でいらっしゃいますよう。
それじゃ、また。

初出May 06 2007 加筆 May 07



Last Update 4.26

ロアルド・ダール「番犬に注意」の翻訳をアップしました。

ダールというと、短編の名手、あっと驚くようなあざやかな幕切れ、といった印象が強いのですが、その処女短編集に所収されているこの作品は、ずいぶん趣がちがっています。むしろ、ダールの作品と思わない方がよい、戦争に材をとった短編のひとつ、として読んだ方がよいのかもしれません。

戦争文学というと、さまざまな作品を思いだします。
日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、スペイン内戦、南北戦争、ヴェトナム戦争……。従軍経験を持つ作者によって、あるいは直接には関わりを持たなかった作者によっても、さまざまな戦争が描かれていきました。
ただ、ヴェトナムよりあとの戦争に関しては、ほとんど書かれたものをわたしは知りません。スペインの作家ファン・ゴイティソーロがサラエヴォを訪れたレポート『サラエヴォ・ノート』などのノン・フィクションはいくつかあるのですが、文学となると、思いつかないのです。ただわたしが知らないだけなのかもしれませんが、少なくとも湾岸やバルカン紛争を扱った文学作品の翻訳は知りません。それともそういう作品が書かれるには、もう少し時間が足りないのでしょうか。

そういう作品が見あたらない一方で、国内でも戦争をめぐる議論というのは、あちこちでなされ、活溌といっていいのかもしれません。ところがどういうわけか何をめぐる話でも、行きつく先は「戦争か、平和か」とか、憲法をどうするのか、とか、「○○」を認めるのか認めないのか、といった、善悪の対比、一種のステレオタイプに流れていってしまうような気がするのです。

それ以前の問題として、「戦争」というものをどうとらえたらいいのか、わたしはいまだによくわかりません。
たとえば「平和がいいに決まっている」みたいな言い方をする人もよく見かけるのですが(平和を望むんだったら、××に反対しましょう、みたいなせりふがこのあとに続きます)、現実に世界中のあちこちで現実に戦争が続いているのですから、自分がたまたま巻きこまれていない状態を「平和」と感じる、という発想が、どうにもわたしにはよくわからない。結局それは、世界のよそはともかく、自分に関係なければそれはいいのだ、その状態が続いていきさえすればそれでいい、そうならないように「××に反対しましょう」と言っているのではないか、とどうしても思ってしまうのです。

「平和」というのは何なのか。
「戦争」というのはあくまでも政治の延長なのか、それとも暴力なのか。暴力であるとしたら、それはいったいどんな種類の暴力なのか。
一対一で斬り合っていた中世の合戦と、あるいは兵士が一列になって進んでいき、バタバタと倒れながらもそれでも前進を続けていった南北戦争のような戦争と、ハイテク機による空爆を、あるいは核兵器などの大量殺戮兵器の所持を、同じ「戦争」という言葉でくくってしまっていいのか。
戦争について議論するのなら「どちらが正しい?」ではなく、そういうところからなされるべきなんじゃないでしょうか。

ダールのこの短編は、もちろんそんな問題意識に答えるようなものではありません。それでも、ここには戦時ならではの恐怖が描かれている。この作品はダールの直接的な体験を元にしたものではありませんが、ダール自身、その危機とはつねに隣り合わせでいたでしょうし、実際に撃墜もされている。あきらかに、ここにはリアルな恐怖があるはずなんです。
ところが、これを読んだわたしは、最初、そのリアルな恐怖を感じ取れなかった。そのことを自分のなかではもう少し問題にしていきたいな、と思っています。どういうふうに考えたらいいか、まだよくわからないのですが。

ひとは、自分の体験しないことを、どこまで理解できるのでしょう。
やはり、読み手が実際に見聞きしていなければ、どこまでいってもそれはリアルなものにはなっていかない?
そうではないと思うのです。そう思ってしまうと、結局は、本を読むことに意味がないことになってしまう。本を読むことは、その場所に行ったり、何かをしたりする実際の経験にはとうてい及ばない、と認めてしまうことは、読み手の怠慢のように思います。

つい先日、武田泰淳の『異形の者』という短編を読みました。
お寺に生まれた主人公が、十九歳になって、お坊さんになるために本山で修行する、そのあいだの出来事が作品の中心なのですが、この自分とまったく関係のない世界の話を、わたしは非常に近しいものとして読みました。
いまだ起こる前の「暴力」の気配を濃厚にさせたところで、断ち切られたように作品は終わっていく。作品の冒頭にはそれをくぐり抜けた後日の主人公が登場していて、そこにもう一度戻ってみても、主人公が生き延びたこと、そうして「地獄」を何らかの形でくぐり抜けたことはうかがえるのですが、その「暴力」そのものはまったく現れていない。にもかかわらず、そこにはっきりとあるのを感じる。「誓い」、蝋燭に照らされる仏像、木魚の鈍い音、そうして、「果たし合い」に出かける主人公が感じる冷たい湿った風、まったくわたしの知らない世界であったにも関わらず、それはわたしのなかの、言葉にできない、かたちにもならない記憶に結びついていく。

こんなふうに、本を読むことによって、わたしたちはむしろ自分がかたちにできないでいるさまざまな経験や記憶と出会っていくのではないか、と思うのです。知らない世界を知り、現実には決して見ることのできないような出来事に立ち会うことだけでなく。文字を追いながら、同時に自分のなかへおりていって、それとつながるもの、呼応するものをさがしていくことによって。だからこそ、物語が書かれなければならない。

有名な言葉としてテオドール・アドルノの「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」というのがありますが、実際はそうではなく、いくつもの詩が書かれ、そうして、詩が書かれ、読まれることによってこそ世界は「野蛮」を乗り越えることは無理でも、せめてそのなかで押しつぶされないようにしてきたのではなかったか、と思います。

The past is not dead. In fact, it's not even past.
 過去は死ぬことはない。過ぎ去りさえしないのだ。

――William Faulkner

さて、ずいぶん日が長くなりました。薄暮というより、西の空はうっすらと茜色に染まっているものの、頭の上はまだ青い。そんななかを自転車で帰ってきました。この一週間ほどで、すっかり繁った青葉の木のあいだに、真っ白い半分だけの月が見えました。

月が満ち、やがてまた欠けていくように、そうしてふたたび満ちるように、時は流れ、片時も留まることはありません。その時間なかで、記憶の種をそっと育てていきたいと思います。

初夏に向かう気持の良い日々をお過ごしでいらっしゃいますよう。
それじゃ、また。

April.25 2007



Last Update 4.15

「芸術家たち」をアップしました。

わたしは昔から画家や写真家や作家を主人公とする本が好きでした。自伝や評伝も好きでしたが、架空の芸術家たちのフィクションや、実在の人物にモデルを借りているものの、作品を生みだすときの不安や苦悩や高ぶりを、作者が自分と重ねあわせながら書いているものにも同じくらい、ときにはそれ以上に感銘を受けてきましたし、同時に、勇気づけられてきもしました。
どうしてそうなのだろう、一度それを考えてみたい、という気持ちがずっとあったんです。

それとは別に『人間失格』について、一度、何か書いてみたい、とも思っていました。奥野健夫を始め、太宰治の文芸評論は何冊か読んでいました。伊藤整の『文学入門』なども読みました。ただそういうものより、ルネ・ジラールの「欲望の三角形」からこの作品を読み解いた作田啓一氏の『個人主義の運命』の方が、わたしには一番しっくりきたんです。ああ、これはおもしろい。こんなふうに読めるんだ。
そうして、あるところでこの『個人主義の…』を元に断片的な文章を書きながら、さらに、こんなふうに読めるんじゃないか、と思ったのでした。

『人間失格』を初めて読んだのは、十四歳のときです。十四歳のわたしは「これは“本当の自分は別のところにいる”という物語だな」と思いました。
ただ、十四歳のわたしが気がつかなかったのは、「本当の自分は別のところにいる」という気持ちは、それと表裏一体の「本当の自分を知ってほしい」という承認欲求であるということでした。

さらに、「本当の自分を知ってほしい」という気持ちは、ばくぜんと、あらゆる人に向けて発せられた気持ちではないのではないか、と思ったのです。
わたしたちが自分のことを知ってほしい、と願う対象というのは、実はものすごく具体的な存在なのではないか。もう少し言えば、そういう対象に「このように見られたい」という意識が、逆に、自分自身を作り上げていくのではないか。

「本当の自分」というのがどこかにいるわけではない。
それでも、ある特定の人に、「こうありたい自分」「こう見られたい自分」という像はある。実は、わたしたちはそういう像を目指して自分自身を作っていくのではないだろうか。

けれども、他者というのは自分の思い通りにはならないものですから、決して自分の「このように見られたい」という願い通りには見てくれません。逆にその通りに見てくれたら、その段階でその「他者」の役割は終わってしまいます。つねにこの「見られたい」と「承認」がずれ続けるから、その関係は続いていくのではないか。

そんなことを考えていたとき、岩田靖夫の『よく生きる』という本を読みました。そのなかにこんな一節がありました。

 「存在を歌うことが人間が生きていることの究極の意味だ」とハイデガーが言っているのですが(…略…)この人が、自然を通して存在を歌うことが人間の生きている意味だと言っているのです――そういう祝祭もすべて、レヴィナスの考えでいえば、それに向かって表現される相手がいなければ意味がなくなってしまうのです。対話者が必要なのです。すべての表現は、ハイデガーのいうように存在の祝祭であるより以前に、私がこの祝祭を表現する相手との関係なのです。

 文化的な表現は、それが成り立つために、その文化的表現が表現される相手を始めから前提しているのです。その相手は、それなら、その文化的表現の中に含まれるのか、他者は文化的表現の中に含まれているのか。そうではありません。他者は文化的表現ではないのです。他者は、そういう表現としてとらえようとすれば、その背後に隠れてしまう。他者は認識できないものですから。(…)他者は根源的な意味である、としか言えない。その根源的な意味に向かって、私たちはいろいろな文化的表現、自然の祝祭を行っている。

(岩田靖夫『よく生きる』ちくま新書)

『人間失格』について、この角度からなら書けるかな、と思いました。それだけで独立できるほど、しっかりしたものにはなりそうもなかったので、「芸術家」という文脈に置いてみたんです。

まあそんなところから、ああでもない、こうでもないと考えていきました。
太宰の部分ばかりでなく、全体として詰めが甘いのは感じています。こういう角度ではないほうが良かったのかもしれない、という気もしています。それでも、今回はとりあえずここまで、ということにします。

このかん、ずっと体調が良くなくて、なかなか書き直すことができなかったんですが、なんとかとりあえず最後まで書くことができて、ちょっとホッとしています。

まだ肋骨は痛いのです。特に、横になるとつらい。深呼吸するのもつらい。もちろん、咳は「イタタッ」と言わずにはできません(笑)。こればかりは治るのを待つしかないのですが、早く心おきなく深呼吸がしたいです。ただ、こういういずれ治ることがわかっている痛みなんていうのは、言ってみれば楽なものなのですが。

先にあげた岩田さんの本の中に、「本当に、人生は苦しいものです」と書いた箇所がありました。

なんの苦しみも負っていない人などこの世の中にはいません。こんなこと人に知られたら大変だなんて思うことも、一つや二つ誰にでもあるのです。そういうことから逃げていたのでは本物にはならない。そういうものを正面から受け止めて、そういうものを自分で背負って、あからさまに生きることが出来た時に、本当の人に出会う可能性が生まれるのです。そういうことが分かるのに、私は山のように本を読んで、いろいろな挫折を経験して、多くの人々を傷つけて、自分も泥の中を這って、六十年ぐらいかかって、やっと今頃そういうことが少し分かりかけて来たのです。

たぶんそうなのだろう、と思います。
以前、新聞の悩み相談に、これまで苦労をしたことがないのでこれからが心配、という女性の悩み(?)が載っていましたが(※これに関しては鶏的思考「苦労は買ってでもしろ、というけれど」でふれています)、こういうのを見ると、あきらかに「苦しむ」というのもその人がどう生きたか、そうしてどう生きていこうとしているのかと密接に関連しているのだ、と思わずにはいられません。

だから、わたしも苦しんでいこうと、苦しめるような人間に、自分を成長させていこうと思っています。それにはまだまだ勉強が足りない(笑)。

さて、溜まりに溜まった雑文もどうにかしなきゃいけないし、これも、もう少し煮詰めたいし。だから、がんばっていきましょう。

苦手な冬ももう終わってしまったことだし、桜が散って、街路樹はハナミズキが咲き始めています。新しい年度も始まりました。
一方で、これまでずっと持ち続けた問題意識も、ねばり強く持ち続けながら、新しい季節に足を踏み出していきたいと思います。

一緒に歩いていきましょう。
お元気でいらっしゃいますよう。
それじゃ、また。

April. 15 2007



Last Update 3.24

ウィラ・キャザーの短編「ポールの場合」をアップしました。

あとがきにも少し書いたのですが、会話が一箇所しかない、全体が要約の文章でできた作品なので、単純に訳してしまうと味も素っ気もない、それこそ梗概を読んでいるようになってしまいます。
一方で原文は非常に緊密な散文で書かれている。それを緊張感のある日本語にするのがものすごく大変でした。地の文に話し言葉を紛れこませるという反則技を使っている部分もあるのですが、これも平板にだらだら続いていくのをなんとかしようという苦心のあらわれ(笑)と、どうかご笑覧ください。

わたしは昔からこの作品は、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の先行作品だとずっと思っていました。高校を放り出されるところも、ニューヨークを彷徨するところも、そうして、コールフィールドという姓が、ディヴィッド・カパフィールドから来ることを示すように、ホールデンという名前は、ポールを示している、と。

ともに、「インチキ」を憎み、「ほんもの」であろうとする少年が、それゆえに周囲と適応できず、一方は精神病院に入り、もう一方は鉄道自殺を遂げる。『ライ麦畑…』は語り口でずいぶんちがう印象を与えていますが、実際にはどちらもずいぶん悲劇的な内容と言えるでしょう。

ただ、語り口のほかにも、『ライ麦畑…』が細かな風俗描写の分量もはるかに多く、それゆえに、逆の意味で古さを感じずにはいられないのに対し、「ポールの場合」ではその量がきわめて限られているために、逆に時代の制約から自由で、かえって「馬車」などとあるほうが不自然に思えてしまうほどです。結局は青少年期というのは、周囲との不適応の問題は、時代を超えてあるのかもしれません。

ただ、このなかでわたしがどうしても気になるのは、ポールが果たしてどこまで音楽を愛していたのだろうか、ということです。

音楽にしても、演劇にしても、絵画にしても、一種の伝播力を持つものではないんだろうか。言い換えれば、だれの内側にも何ものかを作り出したい、生みだしたい、という気持ちがあるのではないか。

小さな子は教えられなくても、音楽を聴くと歌い出しますし、歩けない赤ん坊だって、体を揺すります。聴くことや見ることは、単にまねをするというよりも、自分も何かを作り出したい、という気持ちをかき立てるものではないのだろうか。

大人になっていくうちに、何かを作り出す領域はどんどん狭められ、その代わりに、すでにあるものを操作することのウェイトが増えていきます。
いつのまにか何かを作り出す喜びというものを、日常では忘れてしまうのですが、それでも音楽を聴いたり、ダンスを見たり、絵を見たり、映画を見たり、本を読んだりすると、わたしたちの内側に、やはり自分も何かを作り出したい、という欲望が呼び覚まされる。芸術作品にはそうした伝播力があるし、それこそがわたしたちがそうしたものを見たり、聞いたりする理由でもあるはずです。

ところが、ポールは、自分はただ鑑賞者であればいい、という。

彼が望むのは、ただ見ることであり、その場にはいっていくことであり、その波に漂うことであり、あらゆることから離れて、何海里も彼方の広い海へと運ばれていくことだった。

ポールのなかには創作に向かおうとする気持ちに歯止めをかける何かがあったような気がしてなりません。
自分が作り出したものに対して、それは贋物だ、とダメ出しをする自分。
そんなものしかできないんだったら、おまえもやはり教師たちと同じ、贋物じゃないか、という批判者。

何をやるにしても、始めるときは、圧倒的に下手くそなところから始めるしかないのです。その部分をショートカットして、どこかに行くことなどできはしない。
その下手くそな自分、気分が悪くなるほど何もできない、不器用な自分と向き合わずには、どんな創作もできません。
それを避けるために、あえて自分を縛っていたのではないか。そんなところにもポールの痛ましさを感じてしまいます。

どれほど拙いものしか作り出すことができなかったとしても、ひとたび作り手の側に回ってみれば、鑑賞するときも、それだけ深く味わうことができると思うのです。「ただ見ること」に自分を縛っていたポールが、自分を縛ることをやめて、音楽が揺り動かす気持ちのままに、下手くそな歌を声を張り上げて歌っていれば、あるいはチャーリー・エドワーズに頼んで、通行人Aとなって舞台に上がっていれば、ポールの悲劇は起こらなかったのではなかったか、と思います。

拙くても、それがどれほど貧しいものであっても、読むことや聴くこと、見ることで自分のなかに生じた火花は、それを外に出してやること。おそらくそれはつぎにつながっていくのだと思います。

さて、インフルエンザで寝込んだり、「ポール」に悩まされたりしているうちに、気がつけばお彼岸も明けました。いよいよ春ですね。
このところのぶりかえしたような寒さで、春なんだかなんなんだか、といった感じだったのですが、三月ももうすぐ終わりです。

また、春が来ましたね。もうすぐ桜も咲き始めます。

年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず

桜の花は同じでも、たとえ木が同じでも、咲く花は同じではない。それと同じように、去年のわたしと今年のわたしも違っています。
去年の桜を見上げて思ったことを、わたしはいまでも覚えています。
今年の桜はどんな花が咲くんでしょうか。そうしてわたしは何を思うのでしょうか。

どうかみなさまも良い春の日をお楽しみください。
それじゃ、また。

March. 24 2007



Last Update 3.04

「この話したっけ〜卒業の風景」をアップしました。

以前は記念日とか、節目とか、気にしたことがなかったんです。
いまでもよく覚えているのだけれど、小学校六年だった弟を、床屋に連れて行ったことがあります。弟の卒業式の前日でした。
わたしはつきそいで、マンガを読んで待ってたんですが、希望が伝わらなかったのか、弟はひどく短くされてしまった。わたしよりずっとおしゃれだった弟は、「一生に一度の小学校の卒業式なのにこんな頭にされてしまった」と涙をこぼすほど腹を立てていました。それがおかしくて、「一生に一度だなんて」と笑うわたしに、弟はますます腹を立てたのでした。

卒業式とか入学式とか、そんなものはわたしにとっては煩わしいだけでした。
そればかりではない、人の誕生日も忘れるし、自分の誕生日だって、特に意識したこともなかった。一年前のこの日に何かがあった、どうかした、なんてことを人から言われると、いつも鬱陶しく感じるほどでした。
自分を「何かの日付」のなかに位置づけることを避けてたんだと思うんです。何か、一回きりしか起こらない過去の出来事に、自分が縛りつけられるのがイヤだった。
ひどく不自由なことのように思っていたのだと思います。

それが、あるできごとを境に、考え方が変わってしまいました。起こったことそれ事態を眺めてみれば(それこそ「神の視点」から)、もしかしたら、ひどくはかない、ささやかな出来事だったのかもしれない。けれども、わたしはそのことを忘れたくはなかった。それを「いま」につなぎとめておきたい、それができるのは、自分だけしかいないんだ、と思ったんです。そのためには、「思い返す」ことがひどく大切なように思えてきて。

それでも、ひとつの見方しかできないでいたら、やはりそのできごとはわたしをそこに縛りつけるでしょう。同じことを同じように繰りかえし考えるだけなら、わたしはそこからどこにも行けない。

大切な本は、読み返すたび、新しいことに気がつくものです。昔はわからなかった部分が、ハッとこういうことなんだ、と見えてきたり、逆に、わからないとさえ思わなかった点が、不思議に思えたり、なんてイヤな人だ、と思った登場人物の抱えたどうしようもなさが理解できたり。そのときどきのわたしの見方に応じて、ちがったふうに読めてくる。
そんなふうに思い返すこともできないか。どうしたら、そんなふうに思いだすことができるんだろう。

長田弘の『すべてきみに宛てた手紙』にこんな一節があります。

 沢庵の言葉は簡略ですが、簡略であればあるほどにアイロニーの陰を深くしてゆくような言葉です。「人無心にして物よく感ず」。伝わってくるのは、言葉というのは思索のかたちにほかならない、という姿勢です。

「心を何処に置かうぞ」という問いに対して、心を「繋ぎ猫」にしてはいけない、と沢庵は言いました。
「心を繋ぎ猫のやうにして餘処にやるまいとて、我身に引止めて置けば、我身に心を取らるゝなり。心をばいづこにも止めぬが眼なり。肝要なり。いづこにも置かぬばいづこにもあるぞ」

「繋ぎ猫」というのはとても愉快なメタファーですが、「我身に心を取らるゝ」というのはすごい言葉だと思いました。
「心」という言葉を使うわたしたちは、あたかも猫のように、その「心」を実体化してしまう。そうして「自分の心」として、猫を繋ぎとめておこうとするかのように、自分の内に閉じ込めておこうとする。
けれどわたしたちはほんらい、他者と関わっていくなかで、さまざまに変わっていくはずです。見方も、感じ方も、変わっていく。
それを「自分の心」として閉じ込めてしまっていたなら、どこまでいっても他者とは出会うことはできないでしょう。

それと同じように、できごとの記憶も「繋ぎ猫」のように自分のうちに繋ぎとめていたなら、それこそ時間にできることは「忘れる」でしかありません。
移り変わるわたしが、そのときどきで思い返す記憶。そうして、その記憶によって、いまのわたしが作られていく。たえず微妙に色合いや光の当て方を変化させながら。そのなかには欠落だってあるでしょう。それでも、そのときは知らなかったことだって、見えてくるかもしれない。
記憶というのはそういうものなのではないか。

ブログに書いている当座は、少し自分との距離が近すぎるような気がして、読み返すのがイヤでした。それでも、書き直しながら、自分をできるだけ離そうとした。わたしの記憶は、ほかの人の記憶と、つながることができるでしょうか。わたしのなかでしか意味を持たないものでしょうか。それは、読んでくださる方に委ねるしかありません。

三月になれば、さまざまなところで卒業式が行われます。そうした風景を見るたびに、わたしの記憶も猫のようにふらりと戻ってきます。そういうありかたで、過去はわたしとともにあるのでしょう。
そうしてわたしのささやかなこの思い返しの試みが、読んでくださる方の「猫」が帰ってくるよすがのひとつともなれば、これほどうれしいことはありません。

さて、そこだけ日当たりが良かったのか、今日、もうほころび始めている桜の木を見かけました。今日は暖かな日でしたね。また新しい季節のはじまりです。

新しい季節もさまざまなことが起こっていく。そうして、いろんなことがあるから、楽しいのだと思います。
心はなにものにも繋がず、さまざまなものに曝し、感じ、また戻ってくるのにまかせよう。そうして、その楽しさを心ゆくまで味わってみようと思います。
どうかお元気でいらっしゃいますよう。

良い春の日をお楽しみください。それじゃ、また。

March. 04 2007








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