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仕事を考える

不可能なものに触れるためには、可能なものをやりとげておかなければならない。
― シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵』



クヌム神


1.肩叩き

先日、美容院に行ったら「お久しぶりです」と担当の美容師さんに声をかけられた。言われてみれば、以前はずっとその人に切ってもらっていたのに、ここ二年ほどは行くたびに美容師さんは入れ替わり、そのあいだ、その人の姿を見ることもなかったことに気がついた。

鏡に映る美容師さんが、これまた鏡に映るわたしに向かって「ずっと裏の仕事をやってたんです」と言う。一瞬、わたしの頭に「裏稼業」という文字が浮かんだ。その文字が吹き出しになって浮かんだわけではないのだろうが、すぐに美容師さんも言葉を続けた。
「裏いうのはね、店に出てお客様の相手をするのやなしに、事務所のほうで、支店の運営とか業務の統括とか、まあそういうような表には出えへん仕事なんですけどね」

なんでも美容師というのは、三十歳がひとつの分かれ道なのだそうだ。
独立するか、「裏」、つまりマネージメント業務を担当するか、後進の指導に当たるか。やはりメインの客筋が若い女性ということで、三十五歳を超えるとなかなか店には出られなくなってしまうらしい。
「ぼく、いま三十四なんですよ」
やわらかい声でしゃべるその人は、少し太めで、着ているものも美容師というより、休みの日のお父さん、という感じ。確かにマネージメントの方に声をかけられるのも納得がいく。

それにしても高校を卒業して、三年間専門学校に通う。二年ほど下働きをして、それからなんとか一人前の美容師になるのが、順調にいっても二十四歳。それが三十でそろそろ肩を叩かれ始める、というのも、ひどい話だ。
そんなふうなことを言うと、
「そうなんですよ。ぼくもやっと自分のラインみたいなもんがわかってきたかな、いうころで、これからやな、みたいに思うんですよね。それでもね、なかなか店に出るいうのもあれやこれやあってね……」

その年代にさしかかると、あらためて理容師の勉強をやり直して、年齢制限のない理容師を目指す人もいるのだそうだ。
そうではなく、あくまで美容師を長く続けていこうとして独立するのも、美容院があまりに多くなった昨今では簡単なことではないという。店に勤めながら「自分のお客さん」を確保した上で独立するというのも、道義的に考えるといささか微妙なところがある。
「ぼくもね、あんまり、自分が、自分が、いう方やないんですよ。それやからなかなか独立いうのもね……」

ところがその店は、わたしの見るところ、かならずしも若い女性向けの店、というわけではない。男性もいるし、おばあさんが白い髪に淡い青のカラーを入れてもらっているときもある。
時間にもよるのだろうが、わたしが行くかぎりでは、三十五歳の男性が美容師をやるにふさわしくないような、若いオシャレな女性向けの美容室、という雰囲気ではないのだ(少なくともそういう店は、おっかなくってわたしには入れない)。もしかしたら、その店個別の客筋とは関係なく、業界全体を「三十五になったら店には出ない」という漠然とした規範のようなものがあるのかもしれない。

やっぱり技術はこれからでしょ、とわたしが言うと、美容師さんのほうも
「自分でもそう思うんですよ。それやから、なんとか現場に出たい、思うてね、また戻ってきたんです」と言った。
「昔ね、不思議やったんですよ。裏へ行くとね、よぉわからん人が、いっぱいいてるんです。店には出えへん、何をしてるんかよぉわからんような人がね。そういうのだけにはなりたないですねぇ」

がんばってくださいね、とその話は終わったのだけれど、そのことは何かとても気になった。前にもよく似た話を聞いたことがあったのだ。それは美容院ではなくて、幼稚園での話だったのだけれど。

幼稚園の先生というと、一般的に「お姉さん先生」というイメージがある。事実、近所に幼稚園があるのだけれど、たまに前を通ったりするときに見かける先生というのは、園児のお母さんよりもまだ若い、短大を卒業してまだ間もない二十代も前半ぐらいの女性であることが多い。

わたしにその話を教えてくれた人によると、実はそれも幼稚園側の方針であるらしいのだ。幼稚園を経営する側からすれば、短大を卒業してまだ間もない、せいぜい五年ぐらいまでの先生が、給与も安く抑えられるのでありがたいのだそうだ。
最初から三年ぐらいの契約だったり、途中でなんとなく退職をほのめかされたり。結婚の話が出てくる時期でもある。そんなこんなで、二十代半ばでは何やかやと辞めていくことになってしまうのだとか。

こうした話を聞いて思うのは、経験や技術はそこまで価値を失ってしまったのか、ということだ。美容師にしても、幼稚園の先生にしても、経験や技術が必要のない職場であるとは、わたしにはどうしても思えない。

たしかに同じことができるのなら、とうの立った人間がするより、若い人間がやったほうがいいように見えるのかもしれない。だが、ほんとうにそうなんだろうか。たとえ現れは「同じ」に見えても、そこにいたるまでの試行錯誤のプロセスがあるのとないのとでは全然ちがうのではないのだろうか。

終身雇用制があたりまえだったころ、そんな職場ではどうだったのだろう。わたし自身は、幼稚園時代は年少がおばあさん先生(と当時は思っていたのだが、せいぜい五十代後半か、六十代に入ったばかりのはずだ。だが白髪で眼鏡をかけたその先生は、当時のわたしにとって「おばあさん」そのものだった)、年中が若い先生、年長が中年の先生だった。少なくともその時代は、その話を教えてくれた人が言うように「五年以内の先生ばかり」ということはなかったように思う。

その時代は、とにかくみんな、それなりの大学に入って、それなりのところに就職しさえすれば、定年までの身の上はとりあえず保証された。だから子供の側も、少しでも良いところに就職できるように、受験も加熱したし、「受験戦争」などという奇妙なことばさえあった。

いったん就職してしまえば、勤続年数が何よりもものを言った。どれだけの技術を持っているか、とか、どんな経験を蓄積しているか、ではなく、単純に、勤続×年、という数字だけが問題だった。

ところが大企業が「終身雇用制」という看板を外してしまい、右へならえ、とばかりに、本来なら経験の蓄積がなにより必要なはずの業種にまでそれが広がってしまったのではないか。本来なら「能力制」の導入のはずが、「不況」ということを名目に、有能な人材を確保するよりも、低賃金で抑えられる、安い労働力を使い捨てる方向に流れてしまっているのではないか。

「終身雇用制」があたりまえだったころなら、たいして考えることもなく、それなりの大学を目指して勉強し、食いっぱぐれのなさそうな、それなりに聞こえの良い企業を探して、なんとかもぐりこめばそれですんだ。だが、企業の側がそういう姿勢を取っているのなら、働く側も自分自身のありかたに関して、深刻なとらえかえしがあってしかるべきなのではないだろうか。
わたしが知らないだけで、ほんとうはみんな真摯にその作業に取り組んでいるのかもしれない。だが、わたしにはどうしても、働くということがどういうことなのか、自分は働くことにどう関わっていくのか、十分に考えられているようには思えないのだ。

英会話の問答集の最初の方にある "What do you do?"(あなたは何をしていますか)という質問は、職業を尋ねるものである。
「(ふだん・恒常的に)何をしているか」と聞きながら、同時に「あなたは何者であるか」を問うてもいるのである。その問いに対しては「職業」で答えるのが正しい、とこの問答は教えている。
おそらく仕事というのはそういうものなのだ。

そんな大切な仕事なのに、本人の意志とは関係なく、技術や経験を身につけている途中で肩を叩かれる。
これはひどいことなんじゃないのだろうか。
そういう「肩叩き」には、抗議をしていくべきなのではないだろうか。

もちろん、抗議して、そのまま認められることの方が少ないだろう。それでも、少なくとも抗議することは必要だし、「肩叩き」されるのはたったひとりではないわけだから、同じような境遇の人と協力することもできるはずだ。そうしながら、少しずつそうした流れは変えていかなければならない。
それでも抗議するためには、必要不可欠の前提がある。
自分はその仕事をこれからもやっていきたいと考えている。
その仕事を通じて、知識を得て技術を磨き、経験を蓄積していきたい。
そういう意識である。もしそれがないのなら、肩叩きをされた時点で、その職場を去るしかないだろう。

いまのような時代にあっては、働かなきゃいけないから、とか、その年齢になったから、ではなくて、自分と仕事の関わりについて、ほかでもない、自分の問題として考えていくことが必要なのではないのだろうか。
それについてわたしはこんなふうに考えた、というのが、この小文の趣旨である。


2.労働者ではなく消費者として


先日、新聞におもしろい統計が出ていた。

 「偉くなりたい」と思っている割合は他国の3分の1程度の8%。むしろ「のんびりと暮らしていきたい」と考えている子が多い――。日本の高校生は米中韓国に比べそんな傾向があることが、財団法人「日本青少年研究所」などの調査でわかった。「偉くなること」に負のイメージが強く、責任の重い仕事を避ける傾向も目立った。

 調査は昨年10〜12月、日米中韓の千数百人ずつを対象に行われ、日本では10都道県の12校1461人に聞いた。

 日本の高校生の特徴がもっとも表れたのが、「偉くなること」についての質問。他国では「能力を発揮できる」「尊敬される」といった肯定的なイメージを持つ生徒が多いのに対し、日本では「責任が重くなる」が79%と2位以下を大きく引き離した。「自分の時間がなくなる」「偉くなるためには人に頭を下げねばならない」も他国より多い。

 このため「偉くなりたいと強く思う」は8%。他国では22〜34%だ。日本の高校生は、他国よりも安定志向が強い。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたいと、とても思う」は43%と、14〜22%の他国より抜きんでる。

 将来の展望も控えめ。「大きな組織の中で自分の力を発揮したい」や「自分の会社や店を作りたい」が他国より少ないのに対し、「多少退屈でも平穏な生涯を送りたい」の多さが目立った。(記事全文)

この統計が端的に示すのは、「自分はそこそこの給料を払ってくれる仕事を見つけて、自分の生活をのんびりと楽しむ。そのほかのことは社会が責任を持ってなんとかしてくれるから、自分はそれ以上のことはするつもりはない」という意思を43%の高校生が持っているということだ。

「大きな組織の中で自分の力を発揮した」くもなければ、「自分の会社や店を作りた」くもない彼らは、別の言い方をすれば、「消費者」である以上のものにはなりたくない、ということでもある。「暮らしていける収入」というのは「消費生活を可能にする収入」という意味で、そこから導き出される「仕事」は職種でもなんでもない。「責任」がなく「人に頭を下げ」る必要もなく拘束時間も短いという属性のみがある。

だが、この結果を見て、たとえなんだかな、と思ったとしても、その責任を高校生たちに求めるのは気の毒なはなしだ。彼らはある意味で日本の市場の要請にしたがって、「理想的」な消費者としてみずからを形成しつつあるのだから。

考えてみればわたしもその高校生たちの親とそれほど年齢がちがわないのだけれど、この世代というのは「職業選択の自由」が憲法で謳われるようになった第一次世代の子供に当たる。「好きな」職業に就けるよう、いい学校に行くために一生懸命勉強して、いい会社に就職して、という価値観のなかで生まれ、成長した世代である。
だから、当時の中学生や高校生たちは、勉強なんてあまりおもしろくないけれど、それ以外に選択肢がなかったからその通りにやってきた(実際には多くの高校生たちは、そこまで一生懸命やらなかったけれど、やらなくてはならないというプレッシャーはきつかった)。

そうして、ほとんどが「好きな」職業に就いた。希望する企業ではなかったかもしれないけれど、「職種」という意味では自分の望みを通したのである。
その結果、自分が望んだ通りの生き方ができていれば、当然、子供もそう教育する。いや、とりたてて口に出して言わなくても、親の側が日々、生き生きと生活していれば、それを見た子供も自発的に親と同じ道を歩もうとするだろう。
もしかしたら「偉くなりたい」8%の子供たちの親というのは、そういう層なのかもしれない。

だが多くの親たちは、漠然とこう感じているのではあるまいか。
自分たちはそれなりに頑張ってきた。なのに手に入ったものはどうもちがうような気がする。良いものを手に入れたようには思えない。「好きな」職業を選んで、それなりの企業に就職できたのは良いけれど、リストラだの子会社への出向だの、忙しいだけは忙しいが、ちっとも充実感がない。
だから、子供にそこまで強く「勉強しろ」「良い学校へ行け」と言うことができない。
子供から「どうして勉強しなきゃいけないの?」と聞かれて、答えることができない。
それよりは、子供にはあくせくせずとも、自分がやりたいことを見つけて、楽しくやっていってほしい。
だから高校生たちはその通りに育ったわけだ。

ただ、ここで問題になるのが「自分のやりたいことを見つけて」ということだ。
実は、これがどれほどとんでもなく困難な問いか、わかっている人はあまりにも少ないのではないか?

ためしに小学生に「大人になったら何になりたい?」と聞いてみるといい。そこにはおそろしく少ない職種しか出てこないはずだ。それは、彼らの人生経験で知りえた職種がそれだけしかない、ということ以上の意味を持たない。
職種ばかりではない。家が農業をやっている、家畜を飼っている、町工場だ、八百屋だ、ラーメン屋だ、などというごく少数の子供たちを除くと、「働いている人」を目の当たりにできる機会もきわめて限られる。そういう子供たちが抱くことのできる「働く」イメージは、きわめて貧弱なものになっていかざるをえない。

身近で働いている人を見る機会も限られ、「働く」ことのイメージさえはっきり持ったことのない子供の「やりたいこと」というのは、乏しい人生経験とマス・メディアが作り上げられたいくつかのイメージのなかから選択することでしかないだろう。

それでも「楽しそう」という肯定的な仕事イメージを持つことができる子供は、まだいい。
連日メディアではさまざまな企業や官公庁の不祥事が取り上げられる。
なんだ、偉そうにしてるけど、悪いやつらばっかりじゃないか。
もっとも身近な「働く人」である先生の悪口も、なんだかんだとかまびすしい。
仕事に対する肯定的なイメージを持てる機会が、いったいどれくらいあるのだろう。これでは「仕事」は苦役でしかない。高校生たちが「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたいと、とても思う」と考えたとしても、まったく不思議はない。
――どうせ仕事など一緒なのだ、できるだけ拘束時間が短くて、楽に稼げるもの。仕事に求めるものはただそれだけ。

では、「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたいと、とても思う」彼らは、自分のことを何と説明するのだろう?
学校の名前でも、仕事の肩書きでも、企業名でもないとしたら。
フリーター? 派遣? それよりも、もっと自分のアイデンティティに密着した説明はないか?

おそらくそれは「○○が好き/嫌いなわたし」という説明の仕方だ。
こういう「○○が好きなわたし」という形での説明の仕方は、現在では「わたしは○○をしている」という説明の仕方より、一般的になりつつあるのかもしれない。
というのも、消費という局面にしぼって考えてみると、消費者である「わたし」が、別の消費者である「あなた」とちがう人間である、と区別できるのは、購買力と「好き/嫌い」だけしかないからだ。

だから仕事の説明が「フリーター」「派遣」と果てしなく漠然としていく一方で、「○○が好き」はどんどん細分化され、具体的になっていく。
以前、特撮シリーズが好き、という人に「ガンダムとかが好きなの?」と聞かれたら、「ガンダム」は「巨大ロボット」で「アニメ」であって「特撮もの」とは何の関係もない、自分は「特撮」のなかでも「等身大ヒーローもの」が好きなのだ、とすごい勢いで訂正された経験がある。彼からしてみたら、自分が好きな○○を、別のカテゴリーとごっちゃにするなんて、許しがたいものがあったのだろう。

だが、ほんとうに消費者として生きることは「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしてい」くことになるのだろうか。
商品は絶えず新しく市場に登場する。ほとんど変化のない商品に、そのつど、新しい意味が付与される。そこで「ある製品を買うこと」は、その製品を所有し、使用することから徐々に離れて、その「意味」を求めることになっていく。ところがその意味は、つぎつぎに更新され、あっというまに自分が買ったものは古くなる。そういうなかで望ましいイメージの自分を維持し続けるためには、恐ろしいほどの購買力が必要だろう。

かくして「○○が好きなわたし」というやり方で自分を説明しようとする人間は、慢性的な飢餓状態に置かれることになる。「自分らしく」あるために、言葉を換えれば、他の人間から自分を際立たせるために、「ナンバーワンではなくてもオンリーワン」となるために、髪を染め、黒に戻し、シーズンごとに服を買い、さらに買い、少しずつ時期を早めるバーゲンに足を運び、雑誌で絶えず最新の情報を学習し、携帯電話を新しくし、パソコンを新しくし、車を、デジカメを買い換える。それでもまたつぎの製品は、これを買うと「もっとあなたがあなたらしくなる」と呼びかける。
おそらく「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」という夢は、この消費サイクルのなかにいるかぎりは、決して現実にはならない。


3.早い引退


だが、一方で「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」を実践した人物もいたのだ。しかもその生活はひどく有意義だったらしい。その暮らしを少し見てみよう。

若いというと多少語弊があるが、ともかく三十八歳で仕事から引退し、「暮らしていける収入があってのんびりと暮らした」人物、それがモンテーニュである。

 一五七一年、長年の公僕としての義務と宮仕えに疲れた私はわが城に退いた。三十八歳で、元気ではあったが、父祖伝来の地で平穏無事な毎日を送り、余生を自由と静謐と閑暇にささげるつもりだった。
 私は人から逃げたのではない。しがらみから逃げたのだ。他人のために生きるのはもう十分だ。ならば、これからは自分のために生きよう。私たちを自分自身から引き離し、別のものに縛りつけるこの世のしがらみを棄てよう。何よりも大切なのは自分になりきるすべを知ることだ。

『モンテーニュ エセー抄』宮下志朗訳 みすず書房

しがらみを棄て、自分になりきる。なんとすばらしい響き。先立つものさえあれば、確かにわたしも実践してみたい。ところがモンテーニュはこうも言っている。

最近私は、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かにひとから離れて過ごすようにしよう、それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心にきめて、自分の家に引退した。そのときわたしには、わたしの精神を十分暇な状態のなかに放してやり、自分自身にかかりきり、自分のなかにとどまり落ち着くこと以上に大きい恩恵を、精神にたいしてほどこしてやることはできないように思われたのだった、そして、私の精神が時間がたつにつれていっそう重みを増し、いっそう成熟したうえで、このことを、いっそうたやすく行えるようになればよいと希望していた。しかし逆に、

暇はつねに精神を散らす(ルカヌス『内戦譜』)

わたしの精神は、放れ馬のようになって、ほかの人間にたいして与えていた気づかいよりも百倍も多くの気づかいを自分自身に与えるものだということがわかった。そしてわたしの精神は、それほどまでに多くの幻想的な奇獣怪物を、つぎつぎに生みだしてくるので、そのばからしさ、奇妙さをゆっくり思いみようとして、それらを記録にとりはじめたほどだ。

ひとりこもっていれば「ありのまま」の自分になれるのか、自分らしくいられるのか。モンテーニュはそうではないというのである。

 自分の世界に引きこもるつもりなら、まずは自らを歓迎する準備をすべきだ。自らを抱擁もできない自分を頼るのは愚かだ。人は、社会においてだけではなく、孤独においても失敗することがある。

かくしてその「記録」である「エセー」の執筆とそのための思索は、引退後のモンテーニュの生活の柱となっていく。
……ところでこれは、一種の仕事とは言えないか?

事実、そのモンテーニュ自身がこうも言っているのだ。

われわれはただ働くために生まれたのだ。

死ぬときはどうか仕事をしている最中であってほしい。

 私は皆が働くことを、できる限り人生のつとめを長く延ばすことを欲する。そして死は私が甘藍でも植えているところに、しかも死のことに無関心でいるところに、そして菜園が未完成であることにも無関心でいるところにやってきてくれればいいと思う。

どうやら二種類の「仕事」があるらしい。
収入を得るための「職業」と、生きていくかぎり続いていく仕事が。

ところで以前「林住期」という言葉を聞いたことがある。
インドのヒンズー教では、人の一生を四つの時期に分けるのだそうだ。世の中に出る前、いろんなことを学ぶ「学生(がくしょう)期」、家を持ち、子供を育てる「家住期」、そうして、子供を育て上げ、仕事からも引退するようになった時期、ひとり家を出る。そうして旅に出たり、林のなかに入って瞑想したり。多くの人は自分でその時期に区切りをつけ、やがて家に戻るのだけれど、そのなかからほんの少数の人が、そのまま聖者になって「遊行期」に入るのだという。

ただ、この「家を出る」というのには、少し注釈が必要のような気がする。当時のインドは家父長制で、「家住期」の家長というのは、一族を背負うことを意味した。それこそ『夜明け前』の世界で、その責任たるや並大抵のものではない。そういう社会で家族(一族)ひとりひとりの面倒を見ていくという重責から身を解き放ち、家を出るという思いは、どれほどの解放感があったことだろう。初めて、自分自身の生を生きる、という感覚であるにちがいない。そういう背景にこの言葉を置いてみると、「林の中での瞑想」も、ずいぶん深い意味を持つように思う。夏目漱石の『門』も、この「林住期」をごく短い形で経験した物語なのかもしれない。

いまは多くの人間が、もちろん養っていかなければならない家族、育てていかなければならない子供を抱えているにせよ、その比重は以前とはくらべものにならないほど軽いものになってしまった。そうなると、当然、その反対にある「林の中での瞑想」も、軽いものにならざるをえない。ただ「林」のなかに入って行ったとしても、「暇はつねに精神を散らす」だけにしかならないように思うのだ。

確かに「しがらみ」を脱することを望む人は、当然、いていい。脱することを通じてしか得られないものもあるはずだ。
だが、「林」のなかに入っていくためには、「学生期」「家住期」のうちから、そこに入って何をするのかを視野に入れて、十分に考えておかなければならないだろう。
そうして、たとえ「職業」から離れたとしても、「働く」こと自体から離れたわけではない。「働く」ことは、生きている限りつづいていく。

「偉くなりたくない」高校生は「自分の時間がなくなる」ことを怖れるのだが、自分の時間が無制限にあれば、こんどはそれをなんとかして埋めなければならない。人はほんとうに「何もしない」でいることはできないのだ。
だから「自分の時間」を消費行動と消費行動のための学習に費やすことで埋めるのか。
ところが消費行動は先にも見たとおり、自分が求めるものを決して与えてはくれない。手に入ればそこで消費は終わってしまうのだから、市場の側は決してそんなことのないように、あの手この手を使う。消費者は虹の出てくる場所を目指して歩き続ける。これだって一種の「仕事」なのかもしれない。


4.それでも働くことは大切なこと


エドマンド・ウィルソンの1930年代のエッセイを読んでいると、暗澹とした気持ちになってくる。

 不況以来(※1929年の大恐慌のこと)、自殺率は増加している。一九二六年、サンディエゴには五七件の自殺があった。一九三〇年の九ヶ月のあいだには七一件。そして、一九三一年一月の初めから七月の終わりまでで、すでに三六件である。検死官の記録には、後者のうちの三件は「失業あるいは無収入」という理由がシルされている。二件は「財政上の問題からくる意気消沈」。一軒は「病苦と財政問題」。一件は「健康と集金失敗」。一件は「家賃不払い」。医者の話によれば、老人のなかには親戚たちにサンディエゴに来させてもらったものの、最近その送金が削減されたために、自尊心から救貧院に行くよりも自殺を選ぶ人たちがいるとのことである。

(「飛び降り自殺の名所」『エドマンド・ウィルソン批評集T 社会・文明』中村紘一・佐々木徹訳 みすず書房)

この本のなかでは、アメリカのさまざまな地域での貧困の様相が描かれる。働こうにも職もなく、飢え、住むところを追われる人々。だが、何も1930年代のアメリカのエッセイを読むまでもなく、現代の日本でも同じような実例を探すことはむずかしくないのだろう。

かつてのような好況というのがもはや望めなくなり、雇用の形態もどんどん変わっていく。
いまは派遣やパート・アルバイトなど、時間労働者の割合がふえ、その一方で、最初の美容師さんや幼稚園の先生の例に見られるように、経営者の側が、技術と経験を持った労働者より、低賃金で抑えられる労働者を好むという傾向も、一般的になりつつあるのかもしれない。

働く側も、仕事自体が社会の役に立っている、と考えることもむずかしくなり、したがって、勤勉は美徳、と考えることもできなくなった。
だが、はたして「仕事」というのは、自分の時間や精力や情熱をただ吸い取るだけのものなのだろうか。

1930年代のフランスで、当時リセで教職にあったシモーヌ・ヴェイユは、そこを辞めて工場へ入っていった。そこでの仕事の様子を「ある女生徒への手紙」のなかでこう記している。

女たちときたら、まったく機械的な仕事の中にとじこめられています。そこでは、ただ少しでもはやくとばかり、せきたてられるのです。機械的といっても、仕事をしながら、のんびり何かほかの夢想にふけっていられるというようなものだと思わないでください。まして、じっくりものを考えるなんてことは、とてもです。そんなものではなく、こういう状況の悲劇的なことといったら、仕事が機械的すぎるので、とても思想がわいて出てくるどころではなく、しかも、仕事以外のことはなにひとつ、考えさせようとしないのです。考えるということは、もっとゆっくり進むことです。ところが、情容赦のない官僚どもの定めたスピードのノルマがあって、どうしても、それを実行しなければならないのです。そうしなければ、首になるし、十分な稼ぎもできないからです。……

ひまな時間は、一応理論的には、一日八時間労働なので、かなりあるはずですが、実際には疲労のためにないのも同じことです。疲れると、何をする気もなくなってしまうことがたびたびです。その上に、言うべきことを全部言っておくとすれば、工場では、たえず人の下になってくらしているということです。いつも、上役の命令に服して、屈辱を感じながらくらしているということです。

(シモーヌ・ヴェイユ「ある女生徒への手紙」『労働と人生についての省察』所収 黒木義典・田辺保訳 勁草書房)

それでもその生活をヴェイユは「こうしていられることが、言葉に言いつくせないほど、幸福に思われます」という。

いったい、人生の現実は、感覚ではなく活動だからです。――わたしの言うのは、思考の活動でもあり、実際の活動のことでもあります。感覚だけで生きている人々は、物質的にも、精神的にも、仕事をし、創造する人たちにくらべますと、寄生虫みたいなものにすぎません。そして、この仕事をし、創造する人たちだけがまさに、人間なのです。この人たちは、強いて感覚を追い求めませんが、かえって、それを追い求める人々よりももっと強烈な、もっと深い、もっと人工的でない、もっと真実な感覚を受けとるのだとつけ加えておいてもよいでしょう。とにかく、感覚だけを追求することの中には、エゴイズムが含まれており、そういうエゴイズムは、わたしにはぞっとする程いやらしい感じがします。

ヴェイユが過ごした工場での労働のきつさを、わたしは想像することしかできない。あるいはまた、自ら進んで工場に入ったヴェイユと、そういう環境に生まれ、そこで働くことを余儀なくされていたほかの労働者もまたちがっているのかもしれない。けれどもそうしたわからなさやちがいを越えて、ヴェイユのいう「この仕事をし、創造する人たちだけがまさに、人間なのです」という言葉を、まさにその通りだと思う。

先に「二種類の仕事」と書いた。それでも、生活するための糧を得るための仕事と、死ぬまで続いていく「仕事」は、やはりまったくちがうことではないのだと思うのだ。はたして「糧を得るための仕事」も、自分の時間や精力や情熱をただ吸い取るだけのものなのだろうか。

自分に何ができるのか。自分がどこまでいけるのか。これは「仕事」を通じてしか見つからない。「ほんとうにやりたいこと」は、あらかじめ自分の内側にあるわけではない。「なりたい自分」が広告の向こうにいるわけではない。それは、ヴェイユが言うように「人生の現実は、感覚ではなく活動だからです」。

だからこそ、わたしたちはいっそう「仕事」について、自分たち自身で考えていかなくてはならなくなっている。自分が仕事に何を望むか、どんな仕事を必要としているのか、仕事を通して、自分が何を得ることができるのか。
何も考えないまま、「人並みに就職して…」という発想では、やっていけなくなっている。 だがこうしたことは、わからなければ仕事に就けないのではなく、仕事をするなかで、試行錯誤しながら見つけていくしかないのだろう。

もちろん、適当に見つかる職をなんであれ仕事としてやって、ある程度稼げれば、それなりの生活をして、あまり多くを望まなければいい、という考え方もある。
けれども、それは時間をやり過ごすのと、たいして変わらないのではないか。
好きなものを買って、好きなものに囲まれて暮らす?
「好きなもの」はまたたくまに古くさい物、ガラクタになってしまう。どこまでいってもほしい物はなくならない。
そんな生活は楽しいんだろうか?

わたしが初めて働いたのは、ジャスコの棚卸しのバイトだった。二日間だけ、時給750円の仕事だった。パートの人が商品のチェックをしていく横で、クリップボードに数を記入していく。調味料ひとつとっても、驚くほどの商品の種類があるのを知り、いままで何度となく前を通ったはずの売り場を自分が何も見ていなかったことを知った。配置には意味があり、限られた売り場のレイアウトは、考え抜かれたものだった。つまり、わたしはその仕事を楽しんだのだった。

それから、さまざまな仕事をした。
うまくいかなかったこともあるし、失敗もたくさんした。それでもどんな仕事でも、やる前は知らなかったことを知ったし、できなかったことができるようになっていた。
仕事は、どんな仕事であっても、少なからず単調で、退屈で、つまらない側面はある。疲れるし、緊張だってする。義務もあれば、望まない責任もかかってくる。もしかしたら、正当に評価されない、と感じることのほうが多いのかもしれない。

それでも、働くということは、学ぶことなのだと思う。
生きることが学ぶということであるように。
知らないことを知る。
できないことができるようになる。
これ以上に楽しいことがあるんだろうか、と、やはりわたしは思うのだ。



初出March 05, April 27-May 01,2007 改訂May.06 2007

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