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The Working Song


初めてやった仕事は、コピー屋のバイトだ。
やってきた客に、ちょうど携帯電話くらいのサイズのカウンタを渡す。カウンタを差し込むとコピー機が動き始める、という仕組みだ。コピーが終わるとまたそのカウンタをレジに持ってきてもらい、数字をノートに記入する。そうして枚数をチェックしてお金をもらう。
白黒コピー一枚あたり8円だった。

コピー機がだいだい6台前後あり(中古のコピー機を使っていたので、8台ある機械のうちのたいていどれかが故障していた)、修理まではできないけれど、調整をし、用紙がなくなったら給紙し、紙が詰まったらパネルをかぱっと開けてしわくちゃの紙を取り出し、必要に応じてトナーを交換し、機械のなかの掃除もする。あとは接客と、お金の出し入れ、コピー屋の掃除と本部への連絡が、一切の仕事だった。

試験前になると殺人的に忙しくなる。試験期間中はバイト要員を二人、ときによっては三人に増やしていたのだが、休憩を取るどころではなく、コピーを待つ学生の列は店の外にまで及び、レジは途切れることがなく、常時、どこかしらのコピー機は用紙がなくなり、どこかしらは紙が詰まるのだった。

学生街にあったコピー屋は、試験期間が終わって学生の拡散期になると、うってかわって暇になる。 一日客が一人か二人、という状態で、一般の客が来ることもあった。
たまにコピー機を使ったことがない、という年配のお客さんが来たりすると、代わりに取ってあげたりもした(一度、年配のお坊さんが持ってきた、こよりで綴じてある和紙の本をコピーしたことがある。裏の字が写って見にくくなりやすいので、調整したり、紙を間に挟んだりしながらずいぶん苦労して取った。漢字ばかりの本だったけれど、あれはお経だったんだろうか。聞いてみればよかったな)。
お客が来なければ、その間、何をしていてもかまわない。わたしはもっぱら本を読んでいた。

そのころ、メアリー・モリスの『コピー』(原題"Copies" 飛田茂雄訳 『ラヴ・ストーリーズII』所収 早川書房)という短編を読んだ。ニューヨークのアッパーイーストサイドにあるコピーセンターが舞台である。そこはわたしがバイトしていたようなセルフコピーの店ではなく、持ち込みの原稿を、そこで働く人がコピーを取るのだ。
オーディションに受かるのを待ちながらそこの店で働く女優志望の主人公の恋愛模様を描いたスケッチ風の短編だったけれど、メインストーリーより、コピーを依頼して持ち込む原稿から微妙に垣間見える、客の人生が非常に印象的だった。

 コピーセンターには休みなく客が入ってくる。ビバリーはどの客も知っている。グリムズリー夫人も知っているし、ホモの劇作家も知っている。ライカーズ島(※ニューヨーク市の刑務所がある)の弟のところに祈りの言葉を送っているエホバの証人も知っているし、いつもアメリカン・エキスプレスのゴールド・カードを使うせっかちな婦人も知っている。背広のえりにふけのついた音楽学校の教師たちも、思い詰めた表情でぼろぼろになった履歴書を持ち込む失業者たちも知っている。

学生相手のコピー屋には、そんな劇的な原稿が持ち込まれることは多くはなかっただろう。それでも、コピー機の間に取り忘れた手書きの手紙や、ときにはスナップ写真を見つけたときには、いったいなんでこんなものをコピーするのだろう、と、想像力をかきたてられもした。

その仕事は試験期間を除くと、楽なものだったけれど、拘束時間が長い割には時給が良くなかった。あたりは大学だらけ、医学部や医大もあったので、文系の一年や二年には、コストパフォーマンスの高い教育関係の仕事は回ってこない。大学のアルバイトの窓口には日参したし、アルバイトニュースもよく買った。

大学で紹介してもらったものに、絵のモデルというのがあった。
絵画教室でモデルを勤めるのである(もちろん面接など一切なく、容姿で選ばれたわけではなかったので、念のため)。
座っていれば金になる、楽なバイトだと思ったのだが、とんでもなかった。40分座るのを、間に20分の休憩を挟んで三セット繰り返すのだが、実際、休みはほんとうに必要だった。
ほんの少しも動けないのが辛い、というよりも、座っている間は一点を見つめていなければならない。これが眠くなるのだ。そうならないように、画家志望の学生たちと話をしたり、コーヒーを飲んだり、体操したり、ときには椅子を並べて仮眠したこともある。そうやってなんとか鋭気を養う? のだが、また一点を見つめていると、睡魔が襲ってくる。受験勉強をやっているときより、睡魔とは必死で闘ったような気がする。プロのモデルというのは、えらいものだと思った。

出来上がりつつある絵を見るのはおもしろかった。絵というのは、あくまで描き手が表現したいものを写し出すのだということがよくわかった。つまり、実物にはちっとも似ていないのだ。ちょっとなー、ひどいよなー、と文句をつけたいものも少なくなかったが(こちらに自覚が足りなかっただけか?)、中にひとり、実物より二割り増しくらいに描いてくれた人がいて、その絵はちょっとほしいな、と思ったりしたものだった。

このバイトは、コピー屋と掛け持ちしながら、二年ほど続けた。つまり、わたしを描いた絵は、当時、相当数存在したことになるのだが、それはいったいどうなったのだろう。そうして、あの画学生たちはどうなったのだろう。

***

一日でクビになったバイトもある。
寮の先輩が、自分が辞めたいから、と探していた後釜に、抜擢? されたのだ。
なんと、喫茶店のウェイトレスである。

まず開店前に掃除をしてください、と言われたので、掃除機をかけた。奥の方がけっこう汚れていたので、椅子を重ねてやっていると、もうひとりのバイトのお姉さんに「そこまで丁寧にやらなくていいから」と言われた。これがそもそも、ケチのつけ始めだったのかもしれない。
言われるまま、テーブルを拭き、店を開け、マスターに教えてもらいながらアイスコーヒーを作ったりした。

生憎、その日は台風で、お客が3組ぐらいしかない日だったのだ。
お客が来れば、「いらっしゃいませ」と言い、注文を取りに行き、マスターに伝え、できあがったものを運んだ。客が帰れば、カップやさらを洗った。
そのうちやることもなくなった。
マスターとバイトのお姉さんはずっと話をしている。それが妙にintimateな雰囲気で(なんというか、日本語の「親密」というのとは微妙にちがうのだ)、邪魔をしたら悪いような気もしたし、基本的に話すことがなかったら喋らないことにしているわたしは、レニー・クラヴィッツをかけて(「好きな音楽をかけてもいい」と言われてラックを見たら、ロクなCDがなかったので、唯一聞いてもいいかなと思えるクラヴィッツをかけたのだ)、持ってきた本を座って読んでいた。

そうして5時になった。
その日の日給をもらい、「ウチの店には合わないから」とマスターから、多少申しわけなさそうと見えなくもない言い方で言われた。
以来、バイトをクビになった経験はないのだけれど(ウェイトレスの経験もないが)、いったい何が悪かったのか。

やっぱり、レニー・クラヴィッツ?


コメント(ブログよりの転載)

クビになった理由 (arare)

こんにちは。

私も昔やったバイトを思い出しました。会員制の高級クラブでピアノの生演奏というバイトです。7時、8時、9時からそれぞれ30分ずつの3回。何を弾いてもいいし、空いた時間は自由にしていいということでした。時給も格段に高かったので、私は喜んで引き受けました。

初日、最初の30分のステージが終わって厨房の椅子に座って本を読んでいました。すると女性の主任がやってきて、『あなた!時給払っているんだから、皿洗いくらいやりなさいよ!』と言われました。言われた条件と違うと思いましたが、新入りの立場で文句を言うわけにもいかず、素直に従いました。

次の日、演奏が終わるとまた女性主任が来て言いました。『ここは年輩の会員さんが多いんだから、クラシックばかりじゃ困るのよね。ポピュラーや演歌も弾いて頂戴!』

クラシックしかやったことのない私は大変戸惑ってしまい、ましてや演歌など一度も弾いたことがありません。ポピュラーソングを思い出し思い出ししながら暗譜で弾きましたが、練習もしてない演奏ではミスタッチも多く、ネタも切れたので5分ほど早く終了しました。

するとまた女性主任が来て言いました。

『30分ステージの約束でしょ!5分早いわよ!』
『すみません、私には無理なので、今日でやめさせてください』
『何言ってるの、まだ始めたばかりでしょ。そんな甘いことじゃ、世の中渡っていけないわよ!』

私の世渡りのことなんかどうでもいいですが、約束を違えられても理不尽なことを言われても、雇われている身は弱いんだということを学びました。

ところで陰陽師さんがクビになった理由は何でしょうね?

アイスコーヒーがおいしくなかったから?
マスターは話好きなのに、おしゃべりの相手をしてあげなかったから?
見てはいけないものを見てしまったから?

ミステリーができそうです。ではまた。

やはり職場は人間関係 (陰陽師)

楽しい書き込みをありがとうございました。
これは単にわたしの品性が下劣なだけかもしれませんが、他人が苦労する話はおもしろいものですね。

>『あなた!時給払っているんだから、皿洗いくらいやりなさいよ!』
なんて、その女性主任の姿が目に浮かぶようで、思わず笑ってしまいました。

>会員制の高級クラブ
だったら、演歌はやはりマズいんじゃないかと思うんですが(といってもどういうところかいまひとつ想像ができないのですが)、その人の好みという要素も大きかったのではないかと思います。
そういうところでブラームスが聴きたい、というお客さんは少ないかもしれないけれど、たとえばガーシュウィンなんかだったら、たとえその曲を知らない人でも、ちょっと贅沢で、いい雰囲気が味わえるのではないかと思うのですが。

>私の世渡りのことなんかどうでもいいですが、約束を違えられても理不尽なことを言われても、雇われている身は弱いんだということを学びました。

これはつくづく思います。未だにそう実感する毎日です。

ところでArareさんはこのお仕事は続けられたんですか?

>ところで陰陽師さんがクビになった理由は何でしょうね?

これは未だによくわかりません。その近くを通るたびに(お客としては一度も行ったことはありません)「店の雰囲気」っていうほど、たいそうな店かよ〜、と内心で思っていたんです(ほんとうに、コーヒーもあれば焼きうどんも、焼き肉定食も、パフェもある、というふつうの? 喫茶店です)。

ただArareさんの書き込みを見て、ふっと思いました。
本を読んでいたのがまずかったのかもしれない、と。
本って、読まない人にとっては、読んでいる人の姿って、これ以上はないほどの拒絶の姿なのかもしれません。
ついでにこんな本を思いだしました。ポール・セローの『わが秘めたる人生』(小川高義訳 文藝春秋社)です。
主人公は大学生で、夏休みの間、高級会員制カントリークラブのプールの監視員のアルバイトをします。

本も読めないところで働いたことはなかった。読書のおかげで仕事に耐えられたのである。私はモールドウィン・カントリークラブにもボードレールを持ち込んで、ちらちら盗むように見ていたが、マタンザの眼にふれると、しまっておけと言われた。
「そんなようなのを読んで何になる? いいか、俺に言わせればだな、およそ本なんてものを読むから頭がおかしくなるんだ。ただ眼が悪くなるだけじゃない。つまりためにならないってんだよ」……
「じゃあ、自分の子が学校へあがっても、本を読ませないってことですか?」
「そりゃ教科書はべつだ」
「これが教科書じゃないってのは、どうわかります?」
「だって、おまえ、鼻先をくっつけてるじゃないか。好きで読んでるんだ」と、彼はぞっとするような身ぶりをした。「そのうちに気がふれるぞ」
「はあ、なるほど。つまり教科書は面白くて読むもんじゃないから、気が狂うこともないと。楽しめる本だけが精神病につながる、ですね?」……
「俺を阿呆だと思ってるだろう」
「というか、その――」……
「おい、この仕事がいやなら、おまえの代わりはいくらでもいるんだぞ」

この主人公の上司ほど、本に対してあからさまな敵意を剥き出しにする人はそれほど多くはないでしょうが、本を読まない人にとって、読む人は理解不能な、一人殻に閉じこもっているような姿に見えるのかもしれません。
職場って、人間関係の要素が大きいですよね。
マスターからすれば、バイトの子にそんな態度を取られては、これから先、気持ちよく一緒に働けそうもないな、と判断したのも、仕方がないところだったのかもしれません。

Arareさんの
>マスターは話好きなのに、おしゃべりの相手をしてあげなかったから?
というあたりが正解かもしれません。

やな思い出 (ゆふ)

>本を読まない人にとって、読む人は理解不能な、一人殻に閉じこもっているような姿に見えるのかもしれません。

高校生の時のことです。学校が終わって帰宅するための電車を待っている間、ベンチに座って本を読んでいました。そこへ見ず知らずの他校の女子高校生二人組が歩いてきました。そうしたら、私の姿を見て、なんと、「やなかんじ〜」と言うではありませんか。
私はその頃非常に内気だったので(今でもそうですけど)、顔を上げることもできず、目を本に落としたまま、しかし字を追うことはできずに、ただ俯いて恥ずかしさに耐えていた……という嫌な思い出が甦ってしまいました。

絵のモデルの話、「本を読む人」のポーズだったら、そしてページをめくる動作をゆるされるのだったら、少しは楽かもしれませんね。

フラゴナール (陰陽師)

ゆふさん、こんにちは。

>嫌な思い出が甦ってしまいました。
嫌なことを思いださせてしまって、ごめんなさいね。

確かに意図を誤解されたまま、その誤解を解く機会も与えられない、というのは、悔しいし、辛いことだと思います。とくにそれが高校生のころだったりしたら、なおさらのこと。

その女の子たちは、なに、あの人、本なんか読んで、カッコつけちゃってさ、や〜ね〜、っていうふうに思ったんでしょうが、おそらく彼女たちにとって、本を楽しんで読む人がいるなんて、信じられないことだったんでしょうね。

自分が理解できないものを前にすると、人はいろんなリアクションをとります。
理解できない=自分が拒絶された、と思う人(その現れとして、怒り出したり、逆にバカにするような態度に出たり)。
理解できないけれど、それはなんだろう、知りたいな、と思う人。
できることなら、後者でありたい、と思います。

やっぱり人は社会的動物ですから、他者から拒絶されるのは辛いことです。たとえそれが自分にとって関係がない人間であっても、やはり拒絶されると傷つきます。
けれども、拒絶した側に立ってみると、実はそちらが先に「拒絶された」と思っていることが少なくないのではないか、と思います(ややこしい書き方ですね……)。
ゆふさんを笑った女の子たち、実は、自分たちに理解できないことをしているゆふさんに「拒絶された」ように感じたのかも知れません。

わたしにも経験がありますが、本を読む人間というのは、決して多数派ではありません。
日常生活で本をめぐる話がふつうにできれば、こんなサイトを開く必要もないわけで、読書関係のHPの多さを見ても、本をめぐって日常的には決して話がしやすくない、本を読む人は、どちらかといえば孤立することを余儀なくされている状況が現れているような気がします。

本を読まない人には、読む人の楽しさは決して理解できないだろうけれど、本を読む人は、読まない人が読む人に対する気持ちを理解しておくことは(バイトを一日でクビにならないためにも)必要なのかもしれません。

>絵のモデルの話、「本を読む人」のポーズだったら、そしてページをめくる動作をゆるされるのだったら、少しは楽かもしれませんね。

フラゴナールの「本を読む少女」という名作があるから、やっぱりそれと同じ構図で絵を描こうなんていう勇敢な人はいなかったのかも。

だれですか!?
モデルがちがう、なんて声が聞こえてくるぞ。えいっ、えいっ、これでもくらえっ!(声のした方に石を投げている)あ、そっちにもいるかっ!






初出Dec.22,2004、コメント部分補筆Jan.5,2005