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 文豪に聞いてみよう


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【new】◆ 鴎外は卑怯だったのか ……2009.02.01
 
◆ 中島敦と身体のふしぎ……2007.08.05
◆ 芥川龍之介と不安……2007.08.28
◆ 二葉亭四迷と新しいことば……2007.09.11
◆ 横光利一と生のようなレトリック……2007.10.12
◆ 有島武郎と共同体と共に生きることと ……2008.02.06
◆ 啄木と言葉のふるさと……2008.05.23


昔から、現実の人間よりも、本に親しむことの方が多かったわたしは、作家をひどく身近に感じていました。あとがきをもとに、この本を書いたのはどんな人だったのだろう、と空想をめぐらせるだけでなく、口絵写真や奥付けの生没年まで見ては、こんなおもしろい話を考えだした作家を、親しみとあこがれをもって眺めていたのでした。

繰りかえし読むうち、主人公の活躍ばかりでなく、ほんの一場面しか出てこない、それでも印象的な役割を果たす人々に心ひかれるようになります。英雄的な主人公に出会いさえしなければ、平凡でつつましい人生を送っていたはずなのに、出会ったばかりに、主人公をかくまったり、助けたりして、大きく運命が動かされてしまうような人。主人公を送り出したあとは、そういう人々は物語から消えていきます。そういう人は、それからあと、どうなったのだろう。主人公を追う敵の群れに襲われたり、厳しい尋問にさらされるようなことはなかったのだろうか。出てこないことはよく知っていても、どこかに手がかりがなかったか、さらにもういちど読み返し、作家がこの話の続きを書いてくれないものだろうか、と思いました。

読んだ本の多くは、わたしが生まれるはるか前に亡くなった人たちによって書かれたものでした。奥付けを見てそれを確かめるたびに、なんで自分はもっと早く生まれなかったのだろう、と残念でした。もし自分がその時代に生きていれば、手紙を書いて、いろんなお願いができたのに、と。

いまでも相変わらず、小説を読んでいると、変なところが気になります。中島敦の『名人伝』では虱を取り替えた、とあるのだけれど、なぜ見ているだけなのに取り替えなければならなかったのだろう、とか、『坊ちゃん』で清が買ってくれる「鍋焼饂飩」というのは、いったいどこで買ってくれたのだろう、これはうどん屋に注文して出前をとってくれた、ということなのだろうか、それとも何かの折りに、こっそりうどん屋さんにつれて行って、食べさせてくれたのだろうか、とか。ふつう鍋焼きうどん、って、うどん屋では一番高いメニューなんだけど、それがきつねでも月見でもないというのは、清の心づくし、ということなんだろうか、とか。
もし作家が生きていれば、わたしは「この作品で伝えたかったことはなんですか」なんていうことより、ずっとそういうことが聞いてみたいと思うのです。

ここでは、わたしが昔から親しんできた日本の作家をひとり取り上げて、さまざまな作品を、ひとつのゆるやかなテーマで、おしゃべりしてみたいと思います。
あっちへいったり、こっちへいったり、「木を見て森を見ない」ような話をしていこう、そうやって、誰もがよく知っているような作品を、別の角度から見ることができたら、と思っています。
作家に聞いてみたら、そんな見方もあるのか、と、苦笑混じりにでもおもしろがってもらえないだろうか。そんなおしゃべりができたら最高なんですが。

初出 Aug.05 2007

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